日を置きながらも定期的に行われるマミゾウによる変化の修行は、時には講義じみたものだったりするし、時には実践じみたものであったり、あるいはただ雑談するだけということもあった。初めはことりにとって「いつもと違うこと」だったそれも、今ではすっかり日常の一部となっている。
変化の修行とは言うものの、その術は本来であれば数十年、あるいは数百年の時をかけて鍛え上げるものだ。成果はあまり目に見えるものではない。けれど、こうしてマミゾウのもとでことりには思いつかないようなことを教えてもらったり、難しかったり画期的なことに挑戦してみたりして、少しずつでも着実にうまくなっているはずだとことりは信じていた。
「あの……ししょー? ここは……」
そんな折、ことりはマミゾウのもとへいつものように訪れたのだが、いつもとは違って修行は始まらなかった。ただ「行くぞい」と彼女に手を引かれて移動を始めて、最初は「今日は別の場所で修行するのかな」とか思っていたりしたものだけど、連れてこられたのは困惑せざるを得ない場所だった。
ことりの前に広がっているものは、すぐ目の前に大きな鳥居が一つと、まっすぐ続く参道。その先には当然のように神社が鎮座し、マミゾウの目的地がここだということはもはや明白だった。
だが、だからこそことりは困惑している。
幻想郷には今のところ神社は二つしか存在していない。一つは、妖怪が多数住む妖怪の山にあるという守矢神社。場所の関係上、人間が訪れることは非常に難しいが、妖怪たちからの信仰が熱い人気の神社だ。
そしてもう一つこそが、その守矢神社が幻想郷に現れる前から存在し、この幻想郷を囲う結界を管理し続けている博麗神社。博麗の巫女、博麗霊夢が住まう通称妖怪神社であり、つまるところことりの目前に存在するのはその博麗神社だった。
どう考えても、変化の修行のために訪れたわけではないだろう。あるいはことりの変化が博麗の巫女をも騙せるか試す心算なのかもしれないが、あいにくとそれが不可能なことはかつての香霖堂での出来事で経験済みである。
見た目でばれることはないだろう。だけど、もしもばれた時のことを考えてしまうとことりの方が冷静でいられなくなって、術に綻びが露呈してしまう。霊夢が問答無用でどんな妖怪でも退治するような恐怖の大王ではないことはすでに理解していることりだが、それでも二度も彼女を騙そうとしてしまえばどうなるかわかったものではない。できることなら霊夢の前で変化を使った状態でいることはもうしたくなかった。
「博麗神社になにか用があるんですか?」
「うん? いや、用なんてないが」
「え?」
ことりが目をぱちぱちとして呆然とする中、マミゾウはことりの手を引いて参道を歩いていく。やがて賽銭箱の前につくと足を止めた。
にやり、とマミゾウの口の端がつり上がったのが見える。泥棒はダメですよ、と注意しようかと思ったが、そういうわけではないらしい。
マミゾウはごそごそと懐をあさると、そこから硬貨を取り出した。変化の術を鍛えることと同時に、他人の変化の見破り方も勉強していることりには、それが葉っぱを変化させたものだということはすぐにわかる。
マミゾウがそれを賽銭箱の中に落とすと、質感も重量もなにもかもが再現されている硬貨に化けた葉っぱは、ちゃりんちゃりんっ、と小気味よい音を立てた。マミゾウほどの変化の腕前になれば半永久的に葉っぱを化けさせ続けていることもできるとのことだが、今回の硬貨は未熟なことりでも――変化自体は相当な才能があるにしても、どうやら見破ることに関しては歳相応らしい――正体を見抜けたものなので、半日もすれば元に戻ってしまうだろう。
なにをしているんだろう。そんなことしたって意味なんてないだろうに。そうしてことりが首を傾けていると、不意に、神社の障子ががらっと音を立てて開いた。
「はいはーいっ、お賽銭ありがとうございまーす……って、あんたかい」
元気そうに笑顔を貼りつけて出てきたのは、以前香霖堂で出会ったこともある、この神社の巫女こと家主の博麗霊夢。ひどく機嫌よさげに出てきたと思ったら、その評定はマミゾウの顔を見るなりげんなりとしたものに変わった。
ということは、と霊夢が賽銭箱に素早く近寄ってはその中を覗き込む。もちろんそんなことをしてもどれだけ賽銭が入っているのかわかる構造はしていないのだが、狸が入れた賽銭が普通のお金なわけがない。中身を確認しなくても、そこに入っているものが葉っぱを変化させただけのものなことは明白だった。
「ふぉっふぉ、邪魔しにきたぞい。相変わらずこの神社は人間がまったく来ておらぬのう」
「余計なお世話よ。そんなことより私の神社のお賽銭箱に葉っぱなんてものいれないでくれる? 入れるならちゃんとしたお金にしなさい。ちゃんとしたお金なら妖怪だろうがなんだろうが歓迎してあげるから」
「それはそれでどうかと思うが……ま、面白いからいいとしよう」
どうやらマミゾウは賽銭の入った音で霊夢をいじりたいという腹づもりで葉っぱの硬貨を賽銭箱に入れていたらしい。ことりはよく親切にしてもらっているから忘れがちになってしまうが、元々化け狸なんて人を騙して楽しむような妖怪だ。こうやって人をおちょくっているマミゾウは、まるで子どものように無邪気で楽しそうだった。
霊夢は、はぁ、と小さくため息を吐いた後、ふとその目線がことりに留まる。初めは首を傾げていたが、途中から「あぁ!」と手をぽんと叩いた。
「あんた、霖之助さんのお店で急に命乞いしてきた妖怪じゃないの。服が変わってたから一瞬気がつかなかったわ」
「えへへ、普段はこの服を着てるんですよ。わたしのお気に入りなんです、これ」
「そういえば、確かにあの黒焦げだった布切れに似てる気がしなくもないかもしれないわね」
なんとも曖昧な表現の仕方だが、それもしかたがないことと言えよう。それほどあの時のことりの服の状態はひどかった。最終的にはゴミ扱いされて踏んづけられそうになったりもしたし。
なんとなく、じぃっと霊夢のことを見つめていると、彼女はなにかに気づいたように表情を崩し、ことりの頭に手を伸ばしてきた。
「はいはい、似合ってるわよ。よかったじゃない、ちゃんと新調してもらえて」
「あ……はいっ!」
どうやら無意識のうちに褒めてほしそうな視線を送ってしまっていたらしい。優しく頭を撫でられて、ことりの顔に無垢な微笑みが浮かぶ。尻尾も勝手にぶんぶんと横に振られていた。
マミゾウはそんなことりと霊夢の様子を眺め、目をぱちぱちとさせながら顎に手を添える。
「なんじゃお前さんら、知り合いじゃったか。ずいぶん親しそうにも見えるが」
「あー? 別に、そう親しくもないわよ。前に霖之助さんのとこで一回会った切りだし」
「そうなのか? それにしてはお前さんへのことりの好感度が相当高いようじゃが……」
「あー、それはー……」
霊夢が言いづらそうに視線をそらす。確かに、自分が悪鬼のように怖がられてしまったことなんてすすんで語りたくはないだろう。その先はことりが引き継ぐことにした。
「その、霊夢さんが妖怪なら目にしただけで誰でも問答無用で退治しちゃうような悪鬼なんだって噂で聞いてたから、わたしが霊夢さんのことを必要以上に怖がってしまって……でも、えっと、本当はそうじゃなくて! 全部が全部嘘ではないかもしれないんですけど、少なくともわたしには優しくしてくれて……さっきみたいに頭を撫でてくれたりして」
「あぁ、なるほどな。大体把握したわい。ことりは単純だからのう……別に、噂の方もそこまで間違ってもいないんじゃが」
ぼそっ、と告げられたマミゾウの一言に、霊夢がきっと睨みをきかせた。おぉ怖い怖い、とマミゾウはわざとらしく肩を竦めてみせる。
「っていうか、そんな噂一体どこで聞いたのよ。あんたの怯えようからして相当だったし……確かに、まぁ、妖怪はよく退治するけど」
「どこでというか、勝手に耳に入ってくるというか……わたしたち弱小妖怪の間では結構有名ですよ? 博麗霊夢には絶対に近づくな、紅白を見たらすぐに逃げろ、だとか。あれは我々にとって最悪の災厄だ、とか。特に、異変が起きている時なんかは凶暴化してるから見かけたらすぐさま逃げろー、って」
「凶暴化とな。ぷくく、これまた間違っておらんから困るな。いや困らんか。わしにはただ面白いだけじゃ」
マミゾウがくすくすとこれ見よがしに笑ってみせるものだから、またしても霊夢が、それもさきほどよりも鋭い目線で彼女を睨む。三度目は許さない、と言外に告げていることが誰にでもわかるくらいの迫力だった。
自分に向けられたわけでもないのに、その威圧感にことりはびくっと震えてしまう。まだ、霊夢への恐怖が完全に消えたわけではない。反射的にマミゾウの影に隠れてしまって、そんなことりを見た霊夢がはっとしたように、あははと愛想笑いを浮かべた。
「ま、まぁ、せっかく来たんだから上がっていきなさいよ。ちょうど暇してたし」
「そりゃあ助かる。元々そのつもりではあったがな」
「でしょうね。それ以外にあんたみたいなやつがこんななんにもない日に私のとこに来たりしないでしょうし」
今日のマミゾウは人間に化けておらず、一目で大妖怪クラスとわかる尻尾を惜しげもなくさらしている。そんな存在を気軽に家の中に招き入れる。それは妖怪を敵とする幻想郷の人間には決してありえないはずの行動だった。
常識外れな霊夢の対応に、少しだけことりは思考の方がついていけないでいる。
立ち尽くしてしまったことりの頭に、ぽんっと誰かの手が乗った。また霊夢かと思いかけたが、彼女はもう障子の方へと歩き始めて行ってしまっている。ということは、この手は。
「ああいうやつなんじゃよ、博麗霊夢は。便宜上人間側につくようなスタンスを取ってはおるが、本来、あやつにとってはきっと人間も妖怪も大して変わらんのさ」
突然告げられたそんな言葉に、ことりは目をぱちくりとさせていた。
「大して、変わらない……?」
「わしらの印象なら、わしはめんどくさいいたずら好きの狸、お前さんは純真で怖がりな幼子と言った具合じゃろうな。そして、もしもわしらが人間であろうとも、あやつの対応の仕方は一切変わらんだろうよ」
人間はほんの一〇〇年も生きられない者がほとんどだ。対し、妖怪は人間に恐怖さえされているのなら、存在を滅ぼされない限りは半永久的に生き続けていることができる。何十年、あるいは何百年生きたって、他のはるか年上の妖怪からは子ども扱いをされたままだったりもする。
そのぶん精神の成長も遅いものだが、それはつまり、人間と妖怪では生きている時間が明らかに違うことを意味している。人間にとっての一生は妖怪にとっての一瞬でしかない。人間が生まれ、老いて死に至るほどの時を経ても、妖怪は未だ幼いまま。人だけが老い、代を移し、そしてまたその新しい命が死んでは生まれを繰り返す。
けれどそんな価値観は霊夢にはない、とマミゾウは言った。彼女にとってことりという妖怪は理解不能だったり、恐れるべき存在だったりするわけでもなく、たとえどんな力を持っていようと見た目と精神通りの子どもでしかないのだと。
「……わたし、誰かに頭を撫でてもらったりとか……そういうの、好きなんです」
「知っておるよ」
マミゾウの手はすでにことりの頭の上を離れていた。二人が撫でてくれたそこに手を置いて、ことりは満足そうに目を閉じる。
「その人の温もりとか、優しさとか、全部そこに詰め込まれてる気がして……いっぱい甘えたいような気分にもなって。霊夢さんは、そんなわたしを受け入れてくれるのかな。わたしがもう一回頭を撫でてほしいってねだったら、しかたがなさそうにしながらも、それをしてくれるのかな」
「どうじゃろうな。してくれそうな気もするが、わしは霊夢じゃないから完全には言い切れん」
「そう、ですよね」
じゃがな、とマミゾウは続けると、ことりが頭に置いていた手の上に、さらに自分の手を重ねた。
「わしならいくらでもしてやれるぞい。弟子を甘やかすのも師匠の役目じゃからな」
「……えへへ。ししょーはもうちょっと、弟子に厳しくしたりとかもした方がいいと思います」
「なんじゃ、そういうのが好みなのか? わしは別にやってもいいぞ? 確かに少し甘やかしすぎている気もするからな」
「い、今のままでいいですっ! むしろもっと甘やかしてくれてもいいんですよっ!?」
痛いのとか厳しいのは苦手だ。厳しくしたりとかもした方がいいとは言ったが、それは空気というな流れというか、そんな感じで口にしてしまったに過ぎない。
というか、痛いことが好きな人なんてそうそういやしないだろう。たとえいるとしても、人間だろうが妖怪だろうがそいつはきっと変態だ。
自身の頭の上にあるマミゾウの手を掴み、その手を半ば無理矢理動かして頭を撫でさせていることりを眺め、くつくつとマミゾウが喉の奥で笑っていた。マミゾウが自分の過剰な反応を楽しんでいることはわかっていたが、今この手で握っている彼女の手の温もりを離したくなくて、ことりは気がつかないふりをする。
温かい、手のひら。世界で一番、私の大好きな感触。誰かの温もりが私を包み込んでくれるような、優しい感覚。
「おーい、あんたら! 早く来なさいよ! もうお茶の用意もできちゃってるわよ!」
「ほう、霊夢にしては気がきくのう。ほれ、こんなところで立ち止まってないで、さっさと行くぞい」
「あっ……」
掴んでいた温もりが離れていってしまいそうになって、ことりは彼女の手を握る力を思わず強くしてしまう。
迷惑だったかもしれない。どこか不安そうにしてしまっていたことりに、マミゾウは少し困った顔をしながらも、軽く微笑んでみせてくれた。
「大丈夫じゃよ。そう強く掴まんでも、お前さんが望むのなら、行くのも一緒じゃ」
その言葉に返事をすることはなかったが、ことりの二本の尻尾は、その代わりとでも言わんばかりに、ぴんっと喜びで直立する。
マミゾウはことりの手を引いて霊夢の方へ向かいながら、「やはりどうにも甘やかしすぎておるなぁ」と唸っていた。ことりもなんとなくそれは感じている。マミゾウが自分の庇護下にあるものには元々そういう気質なのかもしれないし、あるいは、ことりがそういう気質を引き出してしまうような魔性にも似たなにかでも持っているのかもしれない。
どちらにせよ、繋いだ手から伝わってくる温かさは、ことりにとってなによりも心地のいいものだったことに間違いはない。
それからは、神社の居間でひたすら三人で駄弁り合っていた。
その話からすると、どうやらマミゾウは、実はことりという弟子が出来たことを自慢したくて霊夢のところにまでわざわざ来ていたらしい。むずがゆいような、なんというか。マミゾウの目的を知ってからしばらくは、ことりの尻尾はゆらゆらと機嫌よさげに動いていたりもした。
ことりにとって、すでにマミゾウという一人の女性は、なくてはならないとても大きな存在と化していた。落ち込んでいた自分に祭りを楽しませてくれて、出会って間もない自分にいろんなことを教えてくれて、いっぱい頭を撫でてくれたりして。
マミゾウにとってもまた、ことりという一匹の妖獣は重要な存在になってくれているだろうか。
ふと、そんなことを思いながら、神社の居間の中で座布団に座ることりは、ことりとしている修行のことを話すマミゾウの楽しそうな表情を見上げていた。