東方HapPinESS   作:にゃっとう

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最終回となります。どうぞ、最後までよろしくお願いいたします。


一〇.大好き、こいしちゃん

 限りなく新月に近くとも、わずかな光を確かに放っている月の下、ことりはふらふらとした足取りで魔法の森を歩いていた。

 さしものコトリジャのことりと言えど、高度な変化をこんな時間まで繰り返し続けていればヘトヘトになるというものである。

 ただ、以前は個性が欲しいだとか、自分にもなにかできることがあれば、と漠然とした気持ちで取り組んでいた。それが今では夢がある。変化の修行に苦労して取り組むことは間違いなくその達成に一歩ずつ近づくための努力だ。

 だからこの疲れは必要なもの。目に見えた成果がなくとも、こうして疲れたぶんだけ未熟さを意識して、次もがんばろう、とことりは思うことができる。

 

「――今日も遅かったねぇ、ことりちゃん」

「あ……」

 

 ようやく自宅たる木組みの家が見えてきたというところで、その入り口に一人の少女が立っていることにことりは気がついた。

 妖怪は月明かりの下でならば昼間のように世界を見ることができるものの、なにぶん魔法の森は木々が生い茂っている上、今は月光はほんのわずかしか降り注いでいない。ことりはこうして声をかけられるまで彼女に気づくことができなかった。

 閉じた第三の目を左胸の少し前に浮かべた、ことりの大好きな少女。古明地こいし。

 

「あるじ、こんなところでどうしたの? もうこんな時間だよ? その、悪いけど、今日は疲れてるから遊ぶのは明日にしてほしいなーって……」

「ううん、今日は遊びに来たわけじゃないわ」

 

 申しわけなさそうにすることりに、静かにこいしは首を横に振った。なんだかいつもと違って理知的な風に感じるこいしの様子に、どうかしたのかなぁ、とことりは小首を傾ける。

 

「ことりちゃんに聞きたいことがあって来たの」

「わたしに、聞きたいこと?」

 

 目をぱちぱちと瞬かせて立ち止まったことりに、こいしが一歩ずつゆっくりと近づいてくる。

 やがてことりのすぐ目の前で足を止めると、こいしはことりを怖がらせないようにゆっくりとその顔に手を伸ばして、優しく眼帯を外した。

 

「ことりちゃんは……どうしてそんなに誰かのためにがんばろうって思うことができるの?」

 

 眼帯で閉ざされていた片方の世界に光が灯る。真っ黒で、歪で、ことりが本来あるべき姿を体現した瞳が、ことりの大好きな少女を映し出した。

 

「あるじ……?」

「あの狸がことりちゃんの秘密を受け入れてくれたって言うなら、ことりちゃんがあの狸に懐くのはわかる。けど……わたしたちは、いろんな人間や妖怪に嫌われてきたのに。なんでことりちゃんは、顔も知らない誰かのためにそんなに努力することができるの?」

 

 こいしの瞳の奥に垣間見えるのは、疑惑、そして心配。

 やっぱり今日のこいしはいつもと違う。こいしは今、歪な夢へと一生懸命にがんばろうとすることりを案じてくれていた。

 ことりが進む先にあるのは辛いものだけかもしれない、ことりが痛い目に合うだけなのかもしれない。せっかく得た希望もなにもかも打ち砕かれるだけかもしれない。こいしはそう、ことりを心配してくれている。

 

「……やっぱりあるじは……ううん。こいしちゃんは、変わらないね。優しくて、いつだってわたしのことを思ってくれて」

 

 思わずことりの口元にわずかな笑みがこぼれた。

 かつて、ことりがこいしと出会ったばかりの頃は、こいしはまだ第三の目を閉じていなかった。

 ことりのことを一番よくわかってくれていたのは、こいしだった。ことりの歪な心を読んでなお、それを見ることが心地いいものだと笑ってくれた。生きることに光を見いだせなかったことりの手を引いてくれた。

 コトリジャとしてうまれ、自身の心に生まれた意味さえも否定され、他人に受け入れられず、誰も来ない暗闇の中で朽ち果てようとしていたことりを救ってくれたのは、そんなこいしの明るさだったんだ。

 でも、彼女は心を読むことに嫌気が差して、心を閉ざしてしまった。

 いつからだろう。『友達』だった彼女のことを、あるじ、と飼い主のように呼ぶようになったのは。

 

「懐かしいねぇ、その呼び方」

「うん……ねぇ、こいしちゃん」

 

 空を見上げる。限りなく新月に近い空。けれど、わずかながら確かな光が月には確かにある。

 

「こいしちゃんは覚えてる? 初めて一緒に地上に来た日のこと」

「え?」

 

 ことりは一度として忘れたことはなかった。

 ことりがこいしと一緒に初めて地上に出た時に見た空は、新月の空だった。月のない世界で星の光が満天に広がる、ひどく美しく、とても幻想的な光景。

 こいしが瞳を閉ざしたことに落ち込んでしまっていたことりを、こいしが半ば無理矢理に連れ出してくれたのだった。

 もしかしたらその時のこいしは寂しかったのかもしれない。やっと心を読めてしまうことで生じる苦しみを捨てる方法を手にしたはずなのに、ことりもさとりも元気をなくして、無意識にことりを励まそうとしてくれていたのかもしれない。

 ことりは、地上には月というものがあって夜の世界を照らしてくれると聞いていた。だからどれが月なのかと一生懸命探した。でも、結局はそこに月はなくて、代わりとばかりに無数の星々が爛々と輝いている。

 ことりはそれがまるで、第三の目という月を閉ざしてしまったこいしのことを喜んでいるようで、「綺麗だねぇ」と呟くこいしもそのことを受け入れてしまっているようで、少しだけ癪だった。

 拳を握りしめて、だからその時、思ったのだ。

 

「わたしが幸せになりたかったのはね、本当は、わたしが満足したいからじゃないの。誰かに嫌われるしかない存在でも、誰かに受け入れられたなら……幸せになることができたなら。きっと、コトリジャと同じように忌み嫌われてきたサトリ妖怪でも、幸せになることができるんじゃないかって。そう、証明したくて」

「ことり、ちゃん?」

「こいしちゃんは」

 

 ことりを見つめたまま呆然とするこいしに、今度はことりが歩み寄った。彼女が眼帯を外してくれたように、ことりも、こいしを怯えさせないように、そっと閉ざされた第三の目に自身の手を添える。

 

「もう、この目を閉じちゃったけど……それでも、きっといつか幸せになれる日が来るよ。わたしにだって来たんだもん。こいしちゃんだけじゃなくて、さとりちゃんにだって……きっと誰にでも幸せになれる権利はあるんだ」

 

 さとりちゃん。この呼び方もずいぶんと久しいものだ。

 初めてこの呼び方で彼女を呼んだ時は、さとりは顔を真っ赤にして恥ずかしがったり、ことりちゃんって呼んでと催促してみたら、これまたそれ以上にゆでダコのようになったりして。

 そういう友達付き合いじみたことをしたことがないからしかたがないのだが、そういう初々しい反応をこいしと一緒にからかって遊んだりしたものだった。大抵その後すぐに叱られるのだけど。

 こいしはどこか、満足そうに、震える瞼を閉じていた。

 

「……幸せ、かぁ。今以上の幸せなんて本当にあるのかな」

「絶対あるよ。わたしが保証する」

「そっか。うん、そっかぁ。好きな人に、こんなに思われること。それ以上に幸せことがまだあるんだねぇ。なんだか少し、楽しみだなぁ」

 

 えへへ、とこいしもことりと同じように口元を緩める。

 なんとなくことりは、本当に久しぶりに、こいしの笑顔を見ることができたような気がした。

 こいしは大抵いつも楽しそうにその顔に笑みを浮かべていて、なにをするにもそれを崩そうとしない。勝負ごとでも、勝ったとしても負けたとしても笑顔のままだし、普段は負の感情なんて少しも表しはしない。

 いや、表せないんだ。第三の目と一緒に心を閉ざしてしまった彼女はもう、無意識でしか行動することができない。

 だとすればあるいは、いつも張りつけている笑顔だって本当のものではない可能性もある。なにせ負の感情が表せないというのに、どうして正の感情だけを表に出せるというのだろう。

 こいしはいつも上機嫌に振舞っているけれど、本当は、なにも感じてなんかいないのかもしれない。

 でも、ことりは、今彼女が見せてくれた微笑みまでも嘘だとは否定したくなかった。たとえ心を閉ざしてしまった彼女でも、きっとことりのように誰かに受け入れられる日が来て、前に進めるようになるのだと、疑いたくなかった。

 

 ――ねぇ、どうしてこんなところにいるの?

 ――……そっか、いっぱい辛いことがあったんだね。

 ――私は古明地こいしって言うの。ねぇ、あなたの名前を教えてよ。

 

 ――名前? ……名前なんて、ないよ。

 ――わたしは誰でもないから。だから、そんな『誰かに愛された証』なんて、もらえなかった。

 

 ――……そっか。じゃあ、なんて呼ばれてたの? 名前がなくても、呼び名くらいはあったでしょ?

 

 なんでこんな自分に関わるのかと、初めは本当に不思議に思ったものだ。

 もう誰にも関わりたくなかった。もう誰ともいたくなかった。温もりを求めることで冷たさが突きつけられると言うのなら、いっそ温かくも冷たくもない、この暗い孤独の闇の中で朽ち果ててしまう方がいいとさえ思っていた。

 顔を上げる。そこには、ほんの少しだけ怯えたように、けれどわずかな期待を表情に滲ませた、三つの開いた瞳を持つ少女が立っていた。

 そんな彼女に、かつて、人の心を持ったことを誰かに受け入れられることを求めていた自分の姿を重ねてしまって。

 気づけば、無意識のうちに彼女の質問に答えてしまっていた。

 

 ――コトリジャ。狐、兎、狸、それから天邪鬼の邪で……狐兎狸邪。

 ――わたしの種族名。わたしの、『誰でもないことを望まれた証』。

 

 そんな自分の呟き程度に小さい言葉を聞いて、三つの瞳を持つ少女は、うーん、と顎に手を添えて考え込み始めた。

 そして、言うのだ。

 

 ――じゃあ、ことりちゃんだね。

 

 ――ことり、ちゃん……?

 

 ――うん。コトリジャだから、天邪鬼の……ううん。邪悪の邪を取って、ことりちゃん。

 ――小鳥みたいに大空を飛ぶことを夢見る、とっても柔らかい心の世界を持った、一人の女の子の名前だよ。

 

「――わたしが誰かを助けたいって思うのは、誰でもなかったはずのわたしが、こいしちゃんに救われたからだよ。こいしちゃんがそんなわたしを、笑顔にしてくれたからなんだ」

 

 どうして顔も知らない誰かのために努力することができるのか。その質問に答えていないことを思い出して、ことりがふいに回答をしてみせると、唐突なことにこいしが目をぱちぱちとさせていた。

 

「私、が?」

「うん。こいしちゃんがわたしに、ことりっていう大切な名前をくれたから。『誰かに愛された証』をくれたから」

 

 あの日、こいしはことりの手を引いてくれた。色んな妖怪に嫌われて、今から話しかける女の子にも拒絶されるんじゃないかって、怯えていたはずなのに、小さな勇気を出して、ことりに手を差し伸べてくれた。

 そのおかげであの日のことりは救われることができた。立ち直ることができた。笑顔を浮かべることができるようになった。

 人の心を持ち、誰にも必要とされなかった自分に、いてほしいと言ってくれたんだ。

 こいしのおかげでことりがどれだけ救われたか。あの温かい手のひらに、どれだけ心地いい温もりを感じたのか。

 きっとそれは、サトリ妖怪の第三の目を持ってしても見えやしない、ことりだけのクオリアだった。

 小さく、笑う。

 そうだ。

 要するにことりは、ずっと昔から恋をしているだけなのだ。

 古明地こいしという一人の少女に、恋をしている。憧れている。

 それだけだ。

 

「大好きだよ」

 

 暗闇の底でうずくまっていた、誰にも望まれない妖怪に微笑んでくれた、彼女のようになりたいと感じた。

 ことりが誰かを幸せにしたい、笑顔にしたいと思う理由なんて、ただそれだけだった。

 

「わたしもこいしちゃんのこと、大好き」

 

 いつか必ず、こいしが救われる日も訪れるだろう。

 その手を差し伸ばすのはことりではないかもしれない。さとりかもしれないし、別の妖怪かもしれないし、人間かもしれない。あるいはこいし自身が自力で強く手を伸ばして、立ち上がろうとするのかもしれない。

 でも、その時は、そうやって前を向く彼女のそばには、自分が隣に立っていたいと思う。彼女の横で、その手をそっと握っていたいと思う。

 だって、たとえ今は第三の瞳を閉じてしまっていたとしても、ことりは変わらず彼女のことをずっと好きなままだ。こいしがどんな風になろうと、どんな道を選ぼうと、この気持ちはきっと変わらないままなんだ。

 そしてこれはことりのエゴかもしれないけれど。もしかしたら、不謹慎なことかもしれないけれど。

 こいしに手を差し伸ばすのはことりではないかもしれない。だけどできれば、その差し伸ばす誰かは、自分であってほしい。そしてこいしに、その手を取ってほしい。

 だって、ことりはこいしのことが大好きなんだから。なににも代えがたいかけがえのない大切な人なんだから。

 こいしのことはできることなら、誰にも渡したくない。

 ことりは小さく笑った。

 ――ふふっ。あぁ、そっか。わたしって意外と独占欲強かったんだなぁ。

 

「いつか必ず、わたしがこいしちゃんも幸せにしてあげるから。だからね、こいしちゃん。心して待っててね」

 

 こいしからしてみれば、突然大好きと言われた上に幸せにすると言われたことになる。彼女はずいぶんと困惑した様子で、戸惑い気味に首をこくりと縦に振っていた。

 

「う、うん……ちょっと状況についていけないけど……ことりちゃんは満足そうだし、別にいいかなぁ……」

 

 限りなく新月に近くとも、ほんのわずかに顔を見せている確かな光が存在する夜空の目。

 かつて新月の夜の下で誓った時よりは、少しでも前に進めている。ことりはそう信じている。

 きっと今のことりでは、こいしの心にはまだ手を届かせることはできない。ことりよりもずっと深い、闇よりも暗い深淵へ沈んでしまった彼女を引き上げることはできない。

 だけどいつか、夢を叶えて、人を幸せにできる、誰かを笑顔にできる妖怪になれたその時。

 その力のすべてを、ただ一人のために尽くしてみよう。瞳と心を閉じてしまった彼女に、もう一度、無意識を越えた心の底からの笑顔を取り戻させてみせよう。

 ことりは、コトリジャだ。

 狐、兎、狸、天邪鬼、そのすべてを混じり合わせた、世界さえ騙すことのできる力を持った妖怪。そして同時に、小鳥のように、まだ幼くとも確かな翼でこの大空を自由に飛び回る光でもある。

 闇の中にも小さな光があることをこいしは教えてくれた。闇に点々と灯る小さな光をたどった先に、一筋の光の道があることをマミゾウは教えてくれた。

 だからことりは、それを自分の生き方に決めたのだ。

 

「こいしちゃん。いつか一緒に、満月の夜空を、二人で月見しようね」

「それはいいけど……いつかって、これまでもそこそこ月見はやってなかったっけ?」

「それとは違うの! もっと特別な、こう、風情とか雰囲気とかあるようなっ!」

「うーん、よくわかんないけど……まぁ、ことりちゃんと一緒なら、大体なんでも楽しめそうだからねぇ。うん、いいよ」

 

 嘘を吐かずして誰かを騙し、真っ暗な闇の中へわずかな光を落として回る。その誰かが新しい道を見つけられるよう、道標となる光を運んで飛び回る。

 それをたどることはひどく苦しく、辛い道のりかもしれない。だけどその先には、きっと幸せと笑顔が待っていることをことりは知っているから。

 

「約束、だよ」

「うん。約束」

 

 どうしてか、ふと、いたずら心がことりの胸の中に湧き上がってくる。

 いつもことりはこいしにからかわれてばかりだ。だからどうせなら今日は、ことりがこいしをからかってみよう。

 少しだけ考えて、ことりは、こいしを強く抱きしめてみることにする。

 

「こ、ことりちゃんっ?」

「えへへ、こいしちゃんはやっぱりいい匂いがするなぁ」

「あれっ、ことりちゃんなんかお酒入ってるっ!? いつからっ!?」

 

 腕の中にいる、いつも飄々としているはずの少女がおろおろと慌てたようでいることが、なんだかおかしくて。

 ――絶対、あとで仕返しとかされるんだろうなぁ……くすぐられたり、尻尾をもふもふされたり。

 ――もう避けられない未来だろうし、だったら、もうこのまま。

 ――今日は、わたしだけのこいしちゃんでいてほしいなぁ。

 

「――――大好き、こいしちゃん」

 

 くすり、と。

 ほんの少しの月明かりが照らす暗い世界の下。これから段々と満月に近づいていく、月の目が浮かぶ夜空の下。

 誰かを笑顔にするために生まれた一羽のことりは、恋慕を抱いた少女の温かな匂いに包まれ、満足そうに顔をほころばせていた。




以上をもちまして「La sfârşitul.コトリジャ」を終了、および今作「東方HapPinESS」を完結とします。

小ネタですが、「東方HapPinESS」の「HapPinESS」は、大文字を取ると「a,p,i,n」が残ります。
これを並び替えると「pain」、つまりは「痛み」となります。ことりちゃんにとって幸せを求めることは痛みを突きつけられることになるかもしれない、という意味を含んでいます。
なお、HapとPinとESSというそれぞれ意味ありげな三つの英単語にはまったくこれっぽっちも意味は込められてないです。小文字の並び替えから目をそらすための単なるミスディレクションとなります。

「東方HapPinESS」の構成段階での小話を活動報告へとまとめてあります。そちらも読んでいただける方、または作品について踏み込んだ質問等ある方は、①下記のURLをコピー&ペーストするか、②作者名をクリック後、左下の活動報告欄から「「東方HapPinESS」【完結】について」をご覧くださると幸いです。

https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=101891&uid=67621

ここまで読んでいただき、たいへんありがとうございました。
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