「おーい、香霖ー」
魔理沙は本物の剣とそれに化けたことりを脇に抱えると、店の方へと戻っていった。まずい、まずい、とことりの心の中で焦燥感が増すものの、今のことりにはなにもすることができない。
魔理沙に抱えられたことりの目に入ってきたのは、聞こえていた通り、霖之助と霊夢が口争いをしている構図だった。
これまで噂と、以前香霖堂の窓から覗いた時の一瞬にしか見たことがなかった霊夢に、ことりはおそるおそる視線を向けていった。
まず初めに目につくのは、ここにいる三人の中でもとりわけ変わった作りをした服だろう。彼女が身に纏っているのは、肩、腋の露出した、袖のない巫女服のような衣装。ことりの知っている普通の巫女服とはずいぶんと違っている。霖之助が作ったというそれは、外の世界のものを参考にしたということりのそれとは違い、完全にオリジナルなのだろう。
人間の里ではありふれた、けれど綺麗な黒い髪をした頭の後ろには大きな赤いリボンを結んでいるのが見える。身長は魔理沙よりはほんの少し高いものの、ただ体の成長性の違いというだけで、二人の歳はそう変わらないだろう。
噂では紅白の人間だとよく言われていたが、まさしくその通りの見た目をしていた。弱小妖怪にとっての悪鬼がすぐ目の前にいるという事実に体ががたがたと寒気立ちそうになるものの、そうしたら確実に変化がばれてしまうので、無理矢理にでもその恐怖を必死に心の中にひた隠す。
「あ、おい魔理沙。お前、勝手に店の奥に行くなよ」
「今更だな。気づかない方が悪いんだぜ。そんなことより香霖、こいつはなんだ? 私の上げたはずの剣が二本あるんだが。見たところ、傷の位置も刃こぼれしてるところも完全に一致してるぜ」
霖之助はことりが居間に隠れていたことを知っている。霊夢との言い争いを中断し、店の奥の方から出てきた魔理沙を見て一瞬立ち上がりかけたが、魔理沙の持っている二本の剣を認めると、その表情を困惑、その後すぐに黙考するようなものに変えた。
彼の表情を覗き込むようにしてみると、ふいと、そんな霖之助と視線が合う。今のことりには目がないので、こちらがあちらを見ていることは伝わりようがないはずなのだが、どういうわけか霖之助は二本ある刀のうち、まっすぐにことりの化けている方へと焦点を合わせているように思えた。
ことりが隠れていたことを知っていた霖之助であれば、どちらかの剣にことりが化けていることは気がついているはずだ。だが、ことりの変装は、これまで狸の長たる彼女以外に見破られたことはない。霖之助のような古道具屋の店主に見抜けるものではないとは思うのだが……もしかしたら、と希望を抱かずにはいられなかった。
「それは……そう、複製してみたんだ」
初めは言葉を探るようだった霖之助は、名案を見つけたと言わんばかりにまくし立て始める。
「同じ商品を量産化できれば便利だと思ってね。ほら、僕の店の商品は一点ものばかりだろう? 同じものが欲しいお客さまのために、少し新しいことに挑戦してみたんだ」
「こんな寂れた古道具屋のわけわからん道具をそんなに欲しいと思うやつはいないと思うんだがな。そもそも量産化だとかなんだとか、道具にこだわる香霖らしくないぜ。香霖はどちらかと言うと
「それは、まぁ、そうだが」
「いったいなにを隠してるんだ? わざわざ誤魔化そうとするってことは、なにかあるってことだよな」
香霖さんのばかぁ! と、心の中で叫ばざるを得なかった。霖之助があまりに簡単に論破されていて、ことりは一瞬でも彼に希望を抱きかけたことを後悔した。
疑いを持たれた。状況は悪化し、今となっては、霖之助がどちらにことりが化けているか気づいているかなんて関係がないと言えた。
魔理沙が戻ってきてから黙っていた霊夢だったが、魔理沙と霖之助の会話に好奇心をそそられたのだろう。その視線が本物の剣とそれに化けることりの方へ向く。その時、これまでずっと耐えてきたというのに、ほんの一瞬だけことりは反射的にぴくりと動揺してしまった。
それは初めに魔理沙に持たれた時よりも小さな、よほど意識しなければ気づけないような震え。けれども魔理沙は今、霖之助への詰問を通して自分の持っている二本の剣にまさしく注意を向けていた。
「なんだ……? 今、どっちかがひとりでに動いたような……」
幸いどちらが動いたかということは気づかれていないみたいだったが、もう正体がばれるのは時間の問題だろう。
それでもことりは祈る。どうか、どうかばれませんように。妖怪でも神さまでもなんでもいいから、どうかこの願いを聞き届けてください。
そんなことりに、しかし悪鬼は容赦なく歩み寄る。魔理沙の発言を耳にした霊夢はその重い腰を上げ、ゆらりと魔理沙へ、つまりはことりの方へ近づいてきた。
「ねぇ、魔理沙。それ、ちょっと私にも貸してみてくれない?」
「なんだよ。私は今、こいつの謎を暴くのに忙しいんだぜ。お前は香霖と不毛な言い争いを続けてればいいだろ」
「その霖之助さんが黙り込んじゃったから暇なのよ。あんたが暇にしたんだから、あんたが責任を取りなさい」
「勝手だぜ。まぁいいけどな。すぐ返せよ」
やばい、やばいやばいやばいやばいやばいっ! やばいぃっ!
もうばれるとかばれないとかそういう問題じゃない。自分の身が、妖怪に対して悪虐の限りを尽くしている噂を持つ少女の手へと渡ろうとしている。弱小妖怪たることりにとって、これが恐怖と言わずしてなんと呼ぶのだろう。
一度は捨ててしまったが、わずかにでも光があるのならその希望に縋りたい。そんな必死な心持ちで霖之助に再び視線を向けてみるものの、彼はことりの目線に気づいているのかどうか、もうどうにもならないと言わんばかりに肩を竦めて首を横に振っていた。やっぱりばかぁ! 元々、やはり彼に希望なんてなかったらしい。
あと一秒か、数瞬か。今まさに、魔理沙の手から霊夢のもとへと二本の剣が渡ろうとしている。その事実が、ことりの精神を圧迫していく。もはや、がたがたと震え出す体を抑えることができなかった。
魔理沙がことりが化けている方の剣へ疑惑の目を向け、霊夢が目を見開いて驚いている。霖之助だけが、のんきにため息をついていて。
もう、むりぃ……。
あまりの精神の不安定さから術に綻びが露呈し始め、ことりの意思とは関係なしに、ついには変化の術が解けてしまった。
「ふぎゃっ!?」
「な、なんだっ!? こいつは……」
「……妖、怪?」
変化が解けると同時に本物の剣とともに魔理沙の腕の中から解き放たれ、体が顔から床に落ちた。突然持っていたものの形がまるで違うものになったことで魔理沙は驚愕し、霊夢は静かに疑惑の声を発する。
ことりは、床に落ちた時に顔面を襲った容赦ない衝撃に悶えていたが、そんな二人が自分を見下ろしていることに気がついて、今まさに走っている痛みさえ忘れるほどの寒気が全身を駆け巡った。
「あんた――え?」
霊夢がなにかを口にするよりも早く、ことりは迅速に姿勢を整えた。倒れて無防備だった上半身を起こし、体の正面を霊夢の方へと向けて、足を揃えて膝をつき、両手と一緒に勢いよく頭を下げる。
ずばり、いわゆる土下座の格好だった。
「ご、ごめんなさいぃい! だ、騙そうとしてたわけじゃないんですっ! わたしはその、香霖さんに服の仕立直しをお願いしに来ていただけでぇ!」
「いや、あの、ちょっと」
「隠れてたのだって悪気があったわけじゃなくて! は、博麗の巫女さまのとてつもないご威光にびびっちゃっただけなんですぅ!」
あまりに不意な出来事に明らかに混乱している霊夢に、けれどそれ以上の狼狽の極みにあることりは、痙攣したようにぷるぷると体を震わせながら、自分でもなにをしゃべっているかわからないくらいのことを大声でまくし立てる。
「い、いい、命だけはっ! 命だけは勘弁してくださいっ! なんでもしますから! パシリでもお手でも、なんならあなたさまが座るにふさわしいご椅子にだって変化しますからぁ! どうか命だけは取らないでぇっ!」
「う、うん。その、あのね、ちょっと落ちついて――」
「でき、できれば命だけじゃなくて尻尾とか耳とか削ぐのもやめてほしいなぁ、なんて……わ、わかってます! そんな都合のいい話はないですよねっ!? でも、で、でも、どどど、ど、どうかお願いしますっ! い、痛いのは、い、いや、嫌なんですぅ……や、なんですよぅ……! 勝手なのはわかってますけど、どうかぁ……うぅ、ひっぐぅ……」
唐突に意味不明な命乞いを一方的にたたみかけられたかと思うと、その人物が段々と涙声になっていき、ついには本気で泣き始めた。そんな予想だにしない急展開に、霊夢はもう口にする言葉が見つからない。土下座したまま涙声を漏らす少女を、戸惑いを胸に見下ろすばかりだった。
「……くくっ、あっははははははははっ!」
そんな中、不意に魔理沙が大きく声を上げて笑い始める。ことりは未だ錯乱しつつも、彼女は妖怪巫女と呼ばれる霊夢の知り合いだけあって、きっと無様に土下座している自分を嘲笑っているのだろうと思った。だが、そうではないらしい。
「霊夢っ、お前、面白いくらい怖がられてるなぁっ。ははっ! なんだよ、いったいなにしでかしたらここまで恐れられるんだっ? しかもこいつ耳と尻尾を削がれる前提で話してるぜ? いつもどんな残虐なことやってんだよって話だっ」
「笑いごとじゃないわよ! そもそも聞きたいのはこっち! なんで私こんなに怖がられなくちゃいけないのっ!? いったい私がなにをしたって言うのよっ!」
「……いろいろしてると思うが……」
霖之助がぼそっとなにか言っていたが、霊夢の大声にかき消されていた。ことりは気づいていたものの、そんなことを気にする暇もなく、叫び散らす霊夢に恐怖して、顔を隠すようにすぐ近くにあった黒い布切れをかぶる。そんなことをしても薄すぎて無駄でしかないのだが、そのことに気づけないくらい本能的で咄嗟の行動だった。
かぶったものが焦げたボロボロの元自分の服だと気づいたのは、妙な焦げくささが鼻を刺激した後だった。
「あー、もう! ねぇ、そこのあんた!」
「わ、わたし……ですか?」
「他に誰がいるのよ! いいから、あんた顔を上げなさいっ!」
「ひぃっ!? そうですよね!? わたし以外いませんよね! ごめんなさいぃ! すぐ言う通りにしますぅ!」
ことりは自分のことだと気づいて即座に、ばっと勢いよく頭を上げた。するとすぐに霊夢が姿勢を低くして顔を覗き込んでくる。なにかされるのではないか、とことりはぎゅっと思い切り目をつむって、これから来るかもしれない痛みに耐えるように両手を強く握った。
霊夢は口を大きく開いて、けれどしばらくしてなにも言わずにそれを閉じる。気まずそうにがしがしと頭を掻いた後、小さく息を吐くと、そっとことりの頭の上に手のひらを置いた。
ことりは一瞬びくっと体を跳ねさせ、反射的に逃げそうになったが、どうにかその場に踏みとどまった。
「……別になんにもしやしないから、落ちつきなさい。私はこんな風に怯えてる妖怪を理由もなく退治するような非道な人間じゃないわ」
「そ、そうなん、ですか? で、でもさっきは、腹いせにその辺の妖怪を土に埋めたって……」
「あ、あれはその、じ、事故よ! しかたがないことだったのよ! 誰だって悪さをしてる妖怪を見たら退治するじゃないっ?」
「誰もがそんなことできたら人間は生活に苦労しないぜ」
魔理沙が茶々を入れたので、霊夢はきっと彼女を睨んだ。
ことりは閉じていた瞼をおそるおそる開けていく。そうして自分の頭の上にある手をたどって、彼女の顔をそーっと見つめてみた。
「その妖怪は、悪さをしていたんですか……?」
「え? うーん、し、してたような、してなかったような……どちらかと言えば、してなかったかなぁ、なんてー」
「や、やっぱりぃ」
「いや、してたわ! うん! してたしてた! きっといつかどこかでしてたに違いないわ! 私が見てないだけでどこかでしてた! 間違いないわ! ……たぶんね」
「どっちだぜ」
ことりを見返す霊夢の瞳は、ことりを安心させようとする優しい色がある気がした。魔理沙が横から口を出した時に送っていた視線は、ぶるりと慄きそうになるものに見えたが。
ことりがわずかに警戒心を解いたことが霊夢にもわかったのだろうか。ここぞと言わんばかりに、彼女はことりの頭に置いた手を動かしながら、すっとことりに顔を近づけて、柔らかい声音で囁くように告げる。
「だから、そんなに怯えなくたっていいわよ。私はあんたになにもしない。約束するわ。ほらっ」
霊夢がことりの頭に置いた手とは違う手をことりの顔の前に持ってきたかと思うと、ゆっくりとその小指を立てた。
「指切りよ、指切り。知ってるでしょう?」
「わ、わたしの指を切るってことですかっ!?」
「違うわよっ! どうしてそうなるのよ! 指切りげんまんのことっ! 約束を必ず守る証!」
そこまで言われてようやく合点がいった。小指を立てるしぐさ、それに続く指切りという単語。普通なら確かに、指切りげんまんを思い浮かべる。
ことりは、自分がこの霊夢という少女を必要以上に恐れすぎて、彼女の行動のどれもこれもが自分を傷つけるためのものじゃないかと先入観を持ってしまっていることにようやく気がついた。霊夢が頭の上に手を置いてくれてからは少しばかり落ちつき始めてきていたが、このことを自覚して、さらに冷静さを取り戻していく。
「ほら、あんたも指を出しなさいよ」
「……ほ、本当に切りませんよね?」
「しないから」
こわごわとことりも手を伸ばしていった。それが霊夢の手に触れると、今度は彼女の方から小指を絡めてくる。
白くて柔らかくて細くて、なんとはなしに、綺麗な手だな、とことりは思った。
「約束。私は理由もなくあんたを傷つけない」
「は、はい」
霊夢の指が解け、ことりの手から離れていった。名残惜しくそれを追いかけそうになった自分の手を、ことりは反射的に止める。
この時点で、ことりの中からは霊夢への恐怖心がかなり薄れ出していた。隠れていたことに憤怒してぼこぼこにされると思っていたところが、頭を撫でられたうえ、こんな風に少なからずよくしてもらっている。これまでの恐怖がむしろ、彼女を慕うような思いへと変化し始めていた。
「なぁ、知ってるか? 指切りってな、その昔に不変の愛情を誓う証として小指を切断したことから来てるらしいぞ」
「ひぃっ!?」
「だからあんたはっ! どうしてそう私を邪魔するようなことを言うのよ! 私がせっかく必死にこの子を落ちつかせようとしてるのに台なしじゃないっ!」
「おっと悪いな。そんなつもりはなかったんだ。ただ、せっかくだから事実という名の豆知識を教えてやろうという私の親切心がな」
「嘘つけっ!」
目元をひくつかせて魔理沙にびしっと指を指す霊夢と、帽子で目元を隠しつつ口元に意地の悪い笑みを浮かべる魔理沙。ことりはとんでもない真実にがくがくと体を震わせて、少し離れたところで霖之助が「外はこんなにも静かなんだけどな」とぼーっと窓の外を眺めていた。
「とにかく! 私は本当にあんたを傷つけようとかそういうつもりはないから! だから……そんなに怖がらなくたっていいわよっ」
少ない時間の中で、困惑したり、怒ったり、ずっと大声を出したりといろいろなことをしたからか、霊夢はそれだけ言い捨てるとすぐ近くのイスにどさっと腰を下ろした。彼女が「霖之助さん、お茶!」とムスッとした声で叫ぶと、霖之助はいかにもしかたがなさそうに肩をすくめながら「はいはい」と答えて居間の方へ歩いて行く。
これ以上霊夢に土下座なりなんなりしていると逆に怒られてしまいそうだと判断したことりは体を起き上がらせて、ふらりと倒れかけた。机の上に手を置いて、急なことが起こりすぎて忘れていたが、そういえば体の調子が悪かったと思い出す。
自分も早くどこかに腰を落ちつけないと、床に倒れ込んでしまいそうだ。近くに座れる場所は……そうして探してみたところ、霊夢の隣が一番近くで空いていた。
霊夢はことりと向き合っていたのだから、一番近い座れる場所が霊夢の隣だということはごくごく当然のことである。ことりは妖怪巫女とまで呼ばれる霊夢を前にして躊躇するものの、さきほどの頭を撫でてくれた感覚と指切りの感触を思い出し、勇気を出して一歩踏み出した。
「えっと……隣、失礼します」
「ん」
おずおずと静かに腰をかける。そーっと霊夢の顔色を窺ってみたが、ことりが隣にいることを怒った様子はなさそうだった。
「ま、一件落着ってとこか」
魔理沙がそんな風に一人で呟いたものだから、霊夢が一も二もなく「あんたが言うな」とツッコミを入れていた。確かに、魔理沙がことりの恐怖心を無駄に煽らなければほんの少しだけ早く落ちついていた感じはある。
霊夢は、ことりが顔を覗き込んできていることに気がついたらしい。首を傾げて、なに? と魔理沙に対するものとは一段階柔らかい声音で問いかけてくれる。これまで霊夢がなにか言葉を発するたびにびくびくと跳ねていたことりだったが、この時は、そんな風に体が怯えることはなかった。
妖怪なら誰でも問答無用で退治する外道巫女。これまでずっと博麗の巫女のことをそんな風に聞いていたけれど、案外、噂なんてあてにならないのかもしれない。未だ頭の上や小指に残る温もりを意識して、ことりはそう思った。