第7.5話『合体ってなんだろう……?』
「誰もいない。私は気ままに一人ぼっちな時間を過ごす。こういう時間も悪くない」
重厚な造りの扉に背を預け、両膝を抱え込む形で座る少女。
名を春日部耀。黒ウサギが呼び出した人類最高クラスのギフトを所持する問題児の一人。
扉の向こう側、"ペルセウス" 本拠、白亜の宮殿最奥最上階に存在する闘技場に似た場所では、大将戦が行われている。
"ノーネーム" からはジン=ラッセル、逆廻十六夜、柊葵の三人に加えてこのギフトゲームの審判役であり、商品でもある黒ウサギの以上四名が参戦している。
耀はホストである "ペルセウス" の人間に姿を見られてしまったため、中で待つルイオスに挑戦することが出来ない。そのため、残敵の
今回のギフトゲーム "FAIRYTALE in PERSEUS" に勝利するため、二人の少女にはそれぞれ重要な役割が与えられていた。
飛鳥は失格覚悟で囮と露払いをする役割。耀は友となった異種族の力を駆使して、見えない敵を感知、撃退する役割。
ゲームマスターであるルイオスを打倒する役割は十六夜に任されている。ちなみに葵はジンの護衛という名の付き添い。主に十六夜にいじめられた彼の心をケアすることが仕事だ。
大将戦が始まってしまえば正直二人の少女の仕事は終わったといえる。あとは仲間の勝利を信じて適当に時間を潰せばいい。
という訳で耀は現在、絶賛物思いに耽っていた。
「合体ってなんだろう……?」
腕に口元を埋めながら悩ましげな声を彼女は上げる。
頭の中を支配するのはヤハハ、と笑う金髪の彼が残した言葉だった。
遡ること十数分前。勢いよくボス部屋へと乗り込もうとする葵に耀が口を尖らせていたところまで戻る。
「絶対ダメ。また怪我するかもしれないんだよ、葵は私と一緒にここにいるべきだ。行かせない」
「で、でも一応オレも "ノーネーム" の一員なわけだし、頑張ってコミュニティに貢献しておかないとさ、いらない子みたいになる可能性が無きにしも非ずといいますか」
「葵はバカだ。なにも分かってない。黒ウサギが言ってた、コミュニティの仲間は皆大事な家族なんだって。家族のことがいらない人なんていないよ。例えいたとしても私にはみんなが、葵が必要なんだ。だから次変なこと言ったたら
口元をむっとさせ睨むように見つめる少女に葵も負けじと勢いで応戦する。
「なら、オレにだってみんなは大事な家族さ。中に入ったって結局は見ていることしか出来ないと思う。物陰に隠れてビクビクしていることしか出来ないと思う。でも万が一、十六夜君がやられそうになった時オレがいればなんとかなるかもしれない。大事な家族を救えるかもしれない。そう思ったらこんなところでのんびりしてられないよ。もちろん、耀ちゃんと二人でお話するのは楽しそうだけどさ」
迷路のように入り組んだ回廊の中、二人はそれぞれ引くことをせず、ただ時間だけが過ぎていく。
友を、仲間を、家族を思うが故の選択。
いずれは消えゆく夢幻だということも忘れて葵は目の前の少女の想いに自身の想いをぶつけ続けた。
心のどこかで真実に気付いているのかもしれない。だが、それを認めてしまえば狂ってしまいそうになるから包み隠す。箱庭に来る以前、彼は普通の、市民Aであり、庶民Bでしかなかったのだから。
終わりの見えないやり取りに誰もいないはずの空間から盛大な溜息が一つ零れ落ちる。静観を決め込んでいた彼がとうとうしびれを切らし動き出した。
「あー分かった分かった、真面目な話をしているフリして堅実にイベントをこなしてるんだろう? 面倒くせぇからもろもろスキップしてさっさと合体しろよ。これから毎日のようにこんなやり取りが続くと思うと口元がスライムになるだろうが! コーヒー豆の栽培でもしょうかなオイ♪」
弾むような声音で二人の間に割って入ったのは金髪学ランの少年十六夜。今は不可視のギフトで姿を隠しているため声だけの出演だがニヤついた笑みを浮かべていると容易に想像がつく。
「い、十六夜君なに言ってるの!? バカなの? オレは別に耀ちゃんをどうこうしようとしてるわけじゃないよ。だから」
「葵、合体ってなに?」
言いつくろうように必死に両手をワタワタさせる葵に耀はあっけらかんとした表情で小首を傾げる。
十四歳ということもあって、人より多少劣るが『恋』という単語の意味は分かる。だがその先になるとからっきしの耀は知的好奇心のままに葵に問い続けた。
――合体ってなに? 私と葵が合体するとどうなるの?
顔を真っ赤に染めながら後ずさりする葵の肩に十六夜の手が触れ一言
「がんばれよ」
葵が耀を落とす前提で話が進んでしまったのは言うまでもない。
その後、結果的に葵は大将戦へと参加することになった。理由は至極簡単、暴れまわる十六夜からジンを守る必要性があると耀自身が気づいたからである。
葵も大切だけどジンも友達だから、と耀は泣く泣く三人を見送り現在に至る。
「葵は大切な友達だから、合体してもいいのかな?」
十六夜の口にした謎の言葉に頭を悩ませる耀。
飛鳥がいれば教えてもらえるのにな、と少し寂しげな表情を浮かべながら目の前の壁を眺めていると鼻に違和感を感じた。
「ん? この匂いはもしかして?」
耀が何かを感じ取ったと同時に回廊の奥からコツンコツン、とヒールの音が鳴り響く。しばらく待っていると赤いドレス姿の少女が現れた。
「あら春日部さん、貴女一人なの? 葵君も中に?」
「うん。十六夜が暴れすぎてジンが怪我しないように見てもらってる」
たんたんとした口調から紡がれたおかしな情報に思わず苦笑を浮かべる飛鳥。立ちつくす彼女に座るよう促し耀は先程の疑問をぶつけることにした。
「飛鳥、合体ってなに?」
ゲーム後、顔を真っ赤に染めた飛鳥に十六夜が追いかけ回されたとか。
◆ ◇ ◆ ◇
耀と飛鳥を除いた "ノーネーム" の三人が黒ウサギとレティシア、ゲームマスターであるルイオスの待つ白亜の宮殿最奥へと足を踏み入れてから数分。切って落とされたばかりの火蓋が嘘のように呆気ない幕切れを迎えていた。
勝者―― "ノーネーム"
敗者―― "ペルセウス"
これぞまさに人外の成せる業。逆廻十六夜は最凶の問題児たる実力を大いに奮っていた。
「くらいやがれオラあああああッ!!」
本当に我々は勝てるのだろうか、と憂いに満ちたウサ耳少女の不安を消し飛ばすように放たれた拳。雷のごとく速き一撃に闘技場の様な空間は悲鳴を上げた。大理石でできた白い壁がペラペラの紙のように打ち破られ、崩れ落ちる。
「痛いです」
「うん。痛いね」
間抜けな姿のまま再び硬直する二人。空いたままの口の中に土煙が流れ込んでいることすら気づかない。
右の拳を放ち、ぐるりと一回首を回した十六夜はつまらなさそうに左手で頭をかきながら吐き捨てるように言い放った。
「これが元・魔王だ? 白夜叉の足許にも及ばないくせに冗談きついぜ。下手したら神格を失った金髪ロリ以下じゃねのか」
「そんなまさか、アルゴールが一撃で倒されただと……?」
圧倒的優位に在ると過信し続けた者は
そして、"彼女" はその身を地に伏せる。
「お前もかわいそうなヤツだな」
少年の瞳に宿りしは憐み。自由を奪われ、地に落ちた者に対する憐み。彼女――精霊・アルゴールに向けられた絶対的強者からの憐み。
「主がこんな使えない無能低悩だとよ」
もし仮に彼女を完全に御せるだけの心と
「なん、だと……。僕が無能? 低能? ハハ、面白い冗談だね。全然笑えないよ」
くだらない、と吐き捨て青年は現実から目を背ける。
本当は理解していた、未熟な自分では彼女を御せないことを。それでも勝てると、名無しの旗無し風情に遅れを取るペルセウスではないと驕った。驕った結末が目の前の惨状。たった一撃、飛ぶことも出来ないただの人間の拳一つで、箱庭 "最強種" の一角を成す星霊が地に伏した。
――やはり無能だったのか? いや違う。僕はあの "ペルセウス" をまとめるリーダールイオス=ペルセウスだ。いずれは "サウザンドアイズ" をも喰うコミュニティの若き天才。無能なはずがない――
絶望する自分に言い聞かせるように何度も何度も呟く青年を絶対的強者は心底つまらなさそうに嘲る。
「ハッ、寝言は寝て言うもんだぜ、七光り坊ちゃん」
"七光り坊ちゃん"
青年にとってそれは所謂 "禁句" だったに違いない。
右手に携えし炎の弓が軋み、砕け散った。
憤怒。震怒。激怒。感情のままに叫び散らす、自分を否定したヤツを許さない、と。絶対に殺してやる、と。
だから彼は口を滑らせてしまった。
「ふざけるなッ! この僕が使えない無能低能だというのなら貴様のところのそれは何だというんだッ! 犬死も出来ないようなヤツはただの
ルイオスは知っていた、"ノーネーム" が哀れな虎、ガルド=ガスパーを打倒したことを。
ルイオスは知っていた、"ノーネーム" がガルドを打倒した時、死にかけたメンバーがいたことを。
ルイオスは忘れていた、"ノーネーム" と金髪の少女とウサ耳の少女を取りかえようと交渉した時、彼の放った忠告を。
粗野で凶悪な快楽主義者は軽薄な笑みで人を小馬鹿にし、子どものような笑顔でヤハハと笑う。そして、人生という儚いひと時にロマンを求め突き進む彼は守ると決めたもの、大切だと認識したもの、救うと誓ったものたちに嘘を吐かない。
全身を構成する一つひとつの細胞が唸り声を上げ、瞳に宿りし想いが鋭く得物を捉える。我を忘れて怒り狂う青年が零したそれは彼を激昂させるだけの重みがあった。
震える。足元だけではない、彼の存在する空間のありとあらゆるものたちが震える。無機物だろうとなんだろうと関係ない。
「――黙れよ」
一言。たった一言で青年は思い知った。恐怖した。
飛ぶことも出来ないただの人間などではない。遙か上空に鎮座する己の全身から冷たいものが溢れ出し、脳内に警鐘が鳴り響く。否、打ちつけられる。直接全身に向け "逃げろ" と。だがもう遅い、どちらが喰われるのかは既に決まっているのだから。
そこからは何の面白味もないただの "蹂躙" だった。
少しは手心を加えてやるつもりでいた十六夜の拳は吹き荒れる嵐のように宙を舞う青年を捉えた。逃げ惑う蠅を捕まえては地に落とし、一撃。羽を毟り取っては地に落とし、一撃。
だがルイオスも七光りとはいえ、五桁に本拠を置く名門ペルセウスの長。ただ殴り殺されるだけでは終われない。唯一にして絶対の
「邪魔だ」
お前に用はない引っ込んでろ、と元・魔王を軽く一撃で沈め、十六夜は冷たい眼差しで獲物を捉える。
まさに人外。潜在する力を全て解き放てば星をも砕く一撃を放てるやもしれない化け物。 規格外を目の当たりにしてまともな判断が出来るものなど同列かそれ以上のものを除いてはいやしない。
故に凡人のルイオスは "彼女" に命令し続けた。立て、立て、立て、と。
◆
月の兎。過去の功績から献身の象徴とまで謳われた帝釈天の眷属。黒ウサギもまたその一人だった。
大好きな仲間たちにはいつでも笑顔でいてほしいと願い、彼女は身を粉にして働き続けた。でも、ダメだった。自分一人だけではどうにも出来ない。十二分に才のあるリーダーもまだ幼く、正直頼りない。このままでは終わる。あの日、魔王に襲われた日から守り続けてきたものを全て失う。
――嫌だ。それだけは絶対に嫌だ。例えこの身が煉獄の炎に焼かれようとも仲間たちだけは失いたくない――
だから彼女は最後の手段に全てをかけた。そうして呼び出されたのが人類最高クラスのギフト保持者である逆廻十六夜、久遠飛鳥、春日部耀の三人。彼らは強かった。黒ウサギの想像以上に、期待以上に強かった。まだ原石にも関わらず底知れぬ才と強靭なる意思を併せ持つ規格外の人間。多少の問題点も彼女自身が
彼らがいればどんな敵にも負けない。
彼らがいればどんな敵をも倒せる。
彼らがいればどんな敵からも取り戻せる。
これでやっと、と舞い上がる気持ちを抑えきれず、少女は慢心した。過ちを犯す。
仲間の死。自身が呼びだした三人とは別に、成り行きで仲間になった彼が死んだ。仲間のためにその身を犠牲にして彼が死んだ。優しい彼が死んだ。
彼は力こそなかったものの、しっかりと輝くものを持っていた。ずっと大切に守り続けてきた小さな仲間たちを惹きつける力。たった一夜にして自分よりも密な関係を気付いてしまった彼に少し嫉妬したのも、その才が素晴らしかったからだと少女は喜んだ。
彼は仲間たちに喜びを与えてくれる。
彼は仲間たちに優しさを与えてくれる。
彼は仲間たちに笑顔を与えてくれる。
そんな彼が死んだ。生きる価値もない外道に殺され、死んだ。
少女は絶望した。
"仲間の為なら煉獄の炎に焼かれても構わない"
少女は自身を否定する。お前は偽善者だ。規律を破ることを恐れ逃げた、ただの薄っぺらい偽善者だ。助けられる命を見捨てた臆病者の偽善者だ。大切な仲間を見殺しにした偽善者だ。
自分には仲間たちを思う資格がない。
自分には仲間たちを救う勇気がない。
自分には生きている価値がない。
だから、黒ウサギなんて死ねばいいんだ。役立たずは死ねばいいんだ。存在する価値のない役立たずは死ねばいいんだ。
ウサ耳を持つ少女の瞳、その全てが絶望の色に染まりかけた時、傍らに立つ最凶の問題児は言った。
"無責任だな"
軽い調子で、いつもと変わらない声音で告げられた一言に少女は拳を握りしめ一撃、自らの頬を殴り飛ばした。
痛い。痛くて痛くてしょうがない。でも正気を取り戻すことは出来た。
逃げない。終われない。望みを捨ててはならない。
少女は駆けた。彼のもとまで駆けた。泣きじゃくる彼女を押し退け彼を抱きしめまた駆けた。全力で、足が千切れそうになりながらも駆け続けた。
しかし、現実は甘くなかった。彼は死んだ。コミュニティに眠らせてあったギフトではどうにもならない。助けられなかった。殺した。自分が殺してしまった。
少女は今度こそ絶望した。頭を抱え、耳を掻き毟り、絶望した。
"やっぱり阿呆はおもしれぇな"
生気を失ったように萎れる耳にまた最凶の問題児言葉が届いた。と、同時に優しく頭を撫でられていることに少女は気がつく。
いらない。ほしくない。もらえない。溢れ出す涙でグシャグシャになった顔をもう一人の彼は覗きこみ、笑った。いつもの調子でヤハハ、と笑った。
意味が分からず瞳でその趣旨を伝えようとする彼女に彼は目配せする。
導かれるまま横たわる彼に視線を向けると眠っていた。スヤスヤと気持ち良さそうに寝息を立てながら穏やかな表情で眠っていた。
ウッキャー、と勢いよく飛び跳ねるウサ耳。高揚する気持ちを顕著に表すように髪が緋色へと変色していく。少女は横たわる彼に飛びつき、泣きながら笑った。
飛び跳ねるウサ耳を優しく撫でながら最凶の問題児は紡ぐ。
"救ってやる。お前も、こいつも、あいつらも、何もかも全部救ってやる。完膚なきまでに一つも取りこぼさず俺が救ってやるよ"
地に伏す "彼女" の姿を目にし、少女は確信した。星霊を一撃で、尚且つ素手で倒せる彼が負けるはずがない。
"勝った"
己がコミュニティの勝利を確信し、笑みを浮かべる。彼は約束を守ってくれた。圧倒的な力を魅せつけ、勝利に導いてくれた。もう憂う必要はない。会える。やっと会える。大好きだった彼女を迎え入れることが出来る。あぁ紹介しなくては、眠っていた彼はまだあの方にお会いしていない。だから自分が彼女の良さを伝えておかなければ、と少女は過ちを繰り返す。
「葵さん、あちらで石化している方がレティシア様ですよ。どうですか、お綺麗ですよね」
「あ、うん。幼女だったんだ。でも確かに綺麗だね」
「そうですそうなんですよ! レティシア様は黒ウサギの知り得る中でも最高の女性です。美人で優しくて面倒見も良く、強くて博識でもうとにかく凄いんです!」
「わ、分かった。分かったから落ち着いて黒ウサギさん、今そんな話をしてる場合じゃないよ」
「そんな話とはなんですか! 黒ウサギの大好きなレティシア様のお話がそんなとは失礼ではないですかッ!」
怒鳴り散らす黒ウサギに目を丸くしながら困惑する葵。
彼女の言動に違和感を覚え、問いただそうとした瞬間、葵よりも早くジンが声を荒げた。
「黒ウサギ、十六夜さんが戦っている最中に何を言ってるんだ! 気を抜いちゃダメだよ!」
「へぇ? 何を仰いますジン坊ちゃん、十六夜さんが負けるはずないじゃないですか。おかしなことを言わないでください」
頭でも打ったんですか? と言わんばかりの物言いに葵はおろかジンまで困惑してしまう。
おかしい、いつもの黒ウサギ(さん)じゃない、と気付いているにも関わらず、根拠のない二人は押し黙ることしか出来ない。
「流石十六夜さんデス。黒ウサギとの約束を守ってくれる素敵紳士デース♪」
ウサ耳少女は狂ったような笑みで彼を見つめ続けた。
◆
"彼女" はまた地に伏し、また立ち上がる。終わりなき痛みに全身を支配されてもなお戦い続けなければなならない。それが主の意志故に。
「GYAAAAAAaaaaa!!」
悲鳴。狂ったような笑みを浮かべる黒ウサギに頭を抱え込んでいた葵たちのもとへと届いた悲痛な叫び声。
十六夜は小さく舌打ちを零し、また一撃、何度目かも分からぬ拳を "彼女" に叩きつける。
「もういい。寝てろ」
「GYAAAAAAaaaaa!!」
悲鳴。つんざくように響き渡るそれに自ずと意識が注がれる。
十六夜の猛攻から逃れたルイオスが宙を舞いながら高らかに宣言する。
「アルゴール! 宮殿の悪魔化を許可する! 奴を殺せ!」
「RaAAaaa!! LaAAAA!!」
悲鳴。"彼女" は謳うように悲鳴を上げる。美しくも幻想的だった白亜の宮殿は褐色の光に呑み込まれ、その姿を魔宮へと変えた。白い大理石の柱が何本も蛇のように蠢き合い狂気を轟かせる。
アルゴールもまた一人の元・魔王、隠し玉の一つや二つ持ち合わせていてもおかしくはない。
宮殿が地獄へと変化しルイオスは勝ち誇った笑みで目をひん剥いた。
「もう生きて帰さないッ! 貴様らの逃げ場は無いものと知れッ!!」
「RaAAaaa!! LaAAAA!!」
悲鳴。再び "彼女" は謳うように悲鳴を上げる。
呼応するように生ける凶器と化した白亜の宮殿が十六夜の体を余すことなく包み込んでいく。
「い、十六夜さん逃げてくださあああああいッ!!」
悲鳴。異なる者の悲鳴。
蹂躙。圧倒的なそれを目の辺りにした少女は勝利を確信し、小躍りするかのような気分だった。
"勝ちデス。黒ウサギたちは勝利し、レティシア様を取り戻すんデス"
だから油断した。この世に絶対はない。かつて味わった苦い記憶が蘇る。もう二度とあんな思いはしたくないと心に誓ったはずの少女はまた失う。
「あ、ああ、あああああああああ」
絶叫。瞳に映る彼の姿は完全に呑み込まれてしまった――はずだった。
「ギャーギャー騒ぐな駄ウサギ」
「…………へぇ」
崩れゆく世界。精霊・アルゴールによって造りだされた地獄は "最凶の問題児" 逆廻十六夜の一撃によって
何が起こったのか理解することが出来ない。その場にいる全ての者が言葉を失い、立ち尽くした。
「俺があれくらいで死ぬとでも思ったか。ハッ、これだから駄ウサギは」
「な、なな、ななな何を言ってるんですかーッ! 本気で心配したんですよ! このお馬鹿様!」
「馬鹿はお前だ黒ウサギ。気抜いてんじゃねぇよ。お前はお前の力で仲間を守るんじゃなかったのか!」
「うぅ……すみません」
「謝る相手が違うだろ。本当にお前は馬鹿でどうしようもねぇな」
「あうぅ……」
パチンッ、と乾いた音が一つ。
黒ウサギの持つ神器その名を "素敵ハリセン"。使用者は逆廻十六夜。繰り出されし一撃を彼女は避けようとはしなかった。
◆
どこか嬉しそうに頭を押さえる黒ウサギの姿をジンは瓦礫の山に身を隠しながら葵とともに眺めていた。
「ハハ、流石十六夜さん、僕たちの想像を軽く超えてきますね。おかしくなった黒ウサギも一発で直しちゃいましたし、凄すぎますよ」
「…………」
「葵さんの言う通りあの人は規格外の中でもさらに飛び抜けていますね。恐るべきチートモンスターです」
「…………」
「あの葵さん、聞いてます?」
「…………」
苦笑しながら漏らしたジンの冗談に葵は答えない。いつもの彼ならば「その通り。あれは人の皮を被った化け物だからね。あ、いや、チートモンスターだっけ?」などとおどけて返してくれただろう。だが違った。無言。葵は瞬きもせずただ一点を見つめていた。
「あの……葵さん?」
心配するような眼差しで見上げるジンに葵は答えない。らしくない彼の姿にジンは困惑しつつも、あることに気がついた。無言だとばかり思っていた彼が小さく何度も何度も同じ言葉を繰り返し呟いている。
"ふざけるなよ"
一瞬、ほんの一瞬だけジンは恐怖した。友達であり、兄のような存在だと感じていた彼が怒っている。この空間にいる誰よりも優しい彼が怒っている。
"普段大人しい人間がキレると手がつけれらない"
理由は至極簡単。それまであった鬱憤を全て吐きだすからだ。まだ何も起きていない。それにも関わらずジンは思い出した「あぁうちの問題児は三人じゃなかったんだ」と。
◆
才能の塊である自身が
「さっさと終わらせろ、アルゴール」
「GYAAAAAAaaaaa!!」
腐っても "ペルセウス" のリーダーである彼、ルイオスの言葉に呼応するように "彼女" はまた悲鳴を上げる。
宙に舞い上がった十六夜を褐色の光が直接包み込んだ。
「ハッ、ゲームマスターが、今更狡い事してんじゃねぇよーッ!!」
「ば、馬鹿な!? こんなことが、こんなことが……」
またしても彼は彼の想像を超える。石化のギフトである褐色の光を踏みつぶしたのだ。
ルイオスのの常識は瓦解した。完全に完璧に完膚なきまでに破壊された彼の常識は無に帰する。最早何も残っていない、彼を "ペルセウス" リーダールイオス=ペルセウスを守るものは。
「お前の負けだよ。つまらねぇ。あぁマジでつまらねぇよお前」
「クソックソックソォォォォォッ!! ふざけるな、僕はまだ終わっちゃいない。お前に何が分かる? 僕の背負ってきたものがどれだけ凄いか! 僕はまだこんなところで終われないんだよおおおッ!」
「うるせぇ、誰が終わったなんて言った。ゲームはまだ終わっちゃいねぇよ、ここからがショータイムだろうが。俺の "仲間" をコケにしてくれた罪はまだ終わってねぇんだよッ!!」
仲間。逆廻十六夜の口から "仲間" という言葉が零れ出たことを黒ウサギの持つ素敵ウサ耳は聞き逃しはしなかった。
緩む口元。弾むウサ耳。唸るハリセン。被害者ジン。
"勝った"
黒ウサギは確信する、今度こそ間違いなく勝った、と。もうルイオスに反撃の手は残されていない。頼みの切り札である星霊・アルゴールも、石化のギフトも、十六夜には効かない。
だがまだ気を抜かない、彼が完全にゲームを終わらせるまでは。
「や、やめろ、来るな! それ以上僕に近づくな!」
「いいぜいいぜいいなオイ!! お嬢様に見せられないのが勿体ないくらいだぜ」
「あ、あああああるあるるごおおおおるうううううッ!! 立て! 今すぐこのムカつくクソムシを殺せ! 殺して殺して殺しつくせ!」
「GYAAAAAAaaaaa!!」
悲鳴。ただ主の命を成すためだけに存在するその者は自分の意志に関係なく再び立ち上がる。
そしてまた――
「GYAAAAAAaaaaa!!」
悲鳴。悲鳴。悲鳴。残虐なまでに繰り返されるそれに何の意味があるのだろうか。
逆廻十六夜はただ向かってくる敵を薙ぎ払う。もう二度と立ち上がれないように、立ち上がらないで済むように致死一歩手前の力で殴り続ける。
「GYAAAAAAaaaaa!!」
悲鳴。終わらない。主の命がまた彼女を呼び起こす。
「ハハハ、いいぞアルゴール。お前は僕の従順なる
"まだ何も終わっていない"
彼は、逆廻十六夜はそう言った。
一歩。また一歩彼は踏みしめる。圧倒的力で相手を蹂躙し続ける彼ではない。弱い。使えない無能低能よりも遙か下の地べたに這いつくばる "ただの屑" の彼。さらに一歩。また一歩踏みしめる。
「おいふざけるなよ! 早く立て! 起き上がれ!」
悲鳴。届かない。動かない。辛うじて息はしている。だが動かない。動けない。
また彼は一歩。もう一歩と踏みしめる。彼女の元へ一歩。また一歩。
「ご主人様の命令が聞けないのかこのクソムシがあああッ!!」
「Gya…………!」
絶望的状況に追い込まれた彼は彼女を足蹴にする。文句も言わずただ下される命がままに戦い続けてきた彼女を彼は足蹴にする。何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も足蹴にする。
彼はただひたすらに歩み続ける。また一歩。もう一歩。
そして交わる。二人の彼は交わる。逆廻十六夜と柊葵が交わる。
「おい、お前何してやがる。今からもっと面白いもん見せてやるから後ろに」
「黙ってろ」
一言。葵が発したその一言は十六夜がルイオスに向けて発した一言と同じだ。
だが違う。似ているようで違う。何かが根本的に違う。それは彼にしか分からない。弱い彼にしか分からない。社会の歯車になるはずだった彼にしか分からない。
心地よい寒気。そんなものは存在しない。だが彼が、逆廻十六夜が感じたそれは間違いなくそれでありそれ以外の何物でもなかった。
彼は震える。彼は驚嘆する。そして彼は笑う。探し求めていた者がそこにいる。渇ききった欲望をぶつけるに値する者がそこにいる。
"本気で
一言。今度は彼の口から一言。だがそれは彼の耳に届かない。それが分かると彼はいつものようにヤハハ、と楽しげに笑った、獣の様な獰猛な笑みを張り付けた顔で。
彼は突き進む、彼女の待つ場所へ。一歩。もう一歩。
"お前には一生分からないんだろうな、使われる側の人間の気持ちなんて"
踏みしめる大地を割らんばかりの歩みは止まらない。
そして交わる。二人の彼は交わる。ルイオス=ペルセウスと柊葵が交わる。
「おら立てよッ! 今すぐ立ってご主人様のために奴らを殺してこいッ! この役立たずのクソムシがッ!!」
彼は気付かない。彼が後ろに立っていることに彼は気付けない。ただひたすらに彼女を彼は足蹴にする。生きているのか死んでいるのかよく分からなくなってしまった彼女を彼は足蹴にする。何度も。何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も足蹴にする。
だがもう終わりだ。全部終わり。あれもそれもこれも全て終わり。否、終わらせる。彼が彼の都合で彼を終わらせる。
"あぁ最悪だ。こんな胸糞悪い
「ふざけてんじゃねぇよッ!!」
溜まりに溜まった怒りと鬱憤が右手の拳に全て込められた必殺の一撃。
市民A。庶民B。名もなき村人C。庶民兼一般人。モブ。屑。そんなどこにでもいる彼の一撃をたかが使えない低能無能ごときが防げるはずもない。気付いた時には既に地べたで顔面をすり減らしながら壁に激突する寸前だった。
「GYAAAAAAaaaaa!!」
悲鳴。"彼女" のものではない悲鳴。使えない低能無能の悲鳴。
地に伏し、動かなくなったクソムシの姿を確認することも無く、彼は止まっていた歩みを再開させる。一歩。最後の一歩を踏みしめようやくたどり着く、"彼女" の元へ。
力無く横たわる "彼女"。全身には至る所に傷痕と拘束具。
彼は奥歯を噛みしめる。十六夜がつけた傷痕以外にも主であるはずの彼が足蹴にした時に出来た傷痕が無数に存在するその身は決して綺麗なものではなかった。顔や髪もボロボロ、汚らわしいの一言で片づけてしまうのが妥当な女性。
地に伏す "彼女" の頬に右手を添え、葵は優しく語りかけた。
「――――」
◆
然して対 "ペルセウス" 戦『ギフトゲーム名 "FAIRYTALE in PERSEUS"』はプレイヤー側である "ノーネーム" の勝利によって幕を閉じた。
この戦いにおける最大の功労者はリーダーであるジン=ラッセルでもなければ逆廻十六夜を
"柊葵"
おいしいところをくすねていった彼に違いないだろう。
ゲーム後コミュニティ本拠にて皆は口を揃えて彼に問いかけた。
『で、どうするつもりだそれ?』