ヤ―さんに近況報告を行ってから三日後の夕暮れ時、オレは一人街中を散策していた。
目的はただ一つ、未だ消息不明の彼女、久遠飛鳥ちゃんを見つけ出すこと。
彼女が姿を消したのは十六夜君たちが魔王との審議決議へと向かってすぐの出来事であり、あれから既に六日も音沙汰無し。さらに言えば、オレが捜索を始めてから三日も経過している。にも関わらず未だに所在どころか姿を見た人にさえ出会えていない。
普通に考えればあり得ない話だ。ギアスロールにはプレイヤー側の人間について『休止期間の自由行動範囲は、大祭本陣営より五〇〇メートル四方に限る』と明記されている。たったそれだけの距離ならば三日はおろか一日と掛からず回りきれるだろう。
でも、見つけられなかった。それは何故か?
ここで浮かび上がるのは『魔王に捕まっているのでは?』という疑問だ。
もし仮にそうだとするならば、どれだけ探しても見つけられなかったというのも納得がいく。
しかし、正解ではない。これもまたギアスロールによって『一週間を、相互不可侵の時間として設ける』と明記されている以上、向こうから手を出してくることはないのだ。
再び浮かび上がる疑問符。示される解答は単純明快。
"箱庭のルールは絶対"
これが前提条件に存在するからだ。以前、興味本位で黒ウサギさんに『もしルールを破ったらどうなるんですか?』と尋ねた事がある。
オレとしては何らかのペナルティ、例えば、ゲーム中、一時的に体の自由を奪われる、或いはゲーム自体に敗北する程度だと思い込んでいた。
いや、まあ、これでも充分に重い罰なんだが彼女の口から告げられた一言に比べたら取るに足らないというか、軽すぎるというか。
黒ウサギさんはトレードマークのウサ耳を弾ませ、これでもかとあざとさを際立たせる仕草(右手の人差し指をクルリと一回転させながら「てへぇ♪」というきゃわわな擬音が生まれ落ちそうな小首を傾げる運動)とともにこう仰った。
――YES! 爆発♪
庶民兼一般人が三秒ほど時の流れから逸脱してしまったのは言うまでもない。
あとからジン君にも聞いてみたが本当に爆発するらしい、悩やら臓器やらをぶちまけて。
まあ、この話は置いといて、魔王に捕まっていないのであれば考えられる答えは己ずと一つに絞られる。
"自発的に身を隠している"
とはいえ、飛鳥ちゃんはゲーム中にふざけてかくれんぼをするような性格ではない。
ならば一体どういうことか、ヒントは彼女の言動にあった。
"助けを呼ぶ声が聞こえる"
トラブルに巻き込まれている可能性大。流石は問題児様、もっと早く気付くべきだった。
両ひざに左右の手をつきながら駆けまわって荒くなった呼吸を整える。頬を伝いレンガ造りの歩廊へと滴る汗の量が尋常じゃない。オレはマラソン選手じゃないんだ、そろそろ限界かもな。いい加減出てこいアスカーこのヤロー。
「…………」
胸の内で軽く文句を垂れてみたがこれといって変化はなく、名状しがたい虚しさだけがオレの心を支配する。
蓄積された疲労がさらに後押しするかのように両足をガクガクと震わせた。
もうこれ泣いてもいいじゃないでしょうか? 崩れ落ちてもいいんじゃないでしょうか? 「orz」の形で絶望させて頂いてもよろしいのではないでしょうか?
「…………」
案の定、誰からも返事はない……ぐすんっ。
酷く濁った空気やらあれやらを入れ替えるため、大きく息を吸い込み、たっぷりと時間をかけて吐き出す。
視界の先では茜色に染まる街並みが段々と夜の帳に包まれていく。
オレはただ一人、天を仰ぎ見ながら、眠るように瞼を閉じた。
「ヘイ店長ちゃん、マスターの大好物、ストロベリーのねっとりとろとろ練乳塗れ一つ!」
茫然と立ち尽くすオレの耳に陽気な声音が触れる。
街中に病原菌が蔓延しているせいで出歩く人などほとんどいないはずなのに、浮かび上がった疑問に対する答えは考えるよりも早く示された。
「ちょっと待ちなさいラッテン、誰の大好物がそんないかがわしいものなのよ。答えなさい」
聞き覚えのある声に背筋を蠢く言いようのない不安と恐怖、そして怒りが否応なしに鼓動を早め、吐き気を催すほどにオレの体を蝕んでいく。
前のめりに倒れそうになるのを必死に耐え、耳を傾ける。
「私の大好きなツンデレロリっ娘マスターですけど。なにか間違ってましたか?」
「ええ、そうね、頭から尻まで全て間違っているわ。ふざけるのはその不埒な脂肪の塊だけにしてちょうだい」
「どうだ聞いたか店長ちゃん! お尻とか平気で口にしちゃうのがうちのマスターだ! 最近の悩みは成長することを放棄してしまった貧相なお胸なのである。ひんぬー最高ー♪ ジーク、ちっぱい!」
「…………殺す」
楽しげな笑い声が響くだけでどうしてこんなにも不快感が増すのだろうか。決まっている、アイツがオレの、大切な仲間を苦しめている張本人だからだ。
ギリリ、と漏れる歯ぎしりに応じて握り締めた拳の力も増していく。
「やめてくださいよマスター。そんなに可愛らしくポカポカ叩かれたら、勢い余って昇天しちゃいます~♪」
「……ダメだコイツ。ヴェーザー、貴方何とかしなさい」
「断る。すまねぇがそういうのは柄じゃねぇだ、悪く思うなよマスター」
「何故そうなる。私は貴方のマスター、貴方は私の配下、分かるでしょ」
「気分じゃねぇ」
「貴方、死にたいの?」
「店長、さっきのストロベリーのねっとりとろとろ練乳塗れをダブルで頼む。これでいいだろ?」
「……キング」
「店長、うちのマスターはキングのトリプルを御所望みたいだ。よろしく頼む」
「誰もそこまでは言ってないわ。ただ、貴方がどうしてもというなら食べてあげないでもないけど。そうよ、私は貴方たちのマスターなのだから配下の気遣いに応えてあげるというのは当然の義務」
「店長、やっぱりシングルだ」
「き、キング! キングーッ!」
何故ここにヤツらがいるのか? どうして笑っているのか?
考えるだけ無駄だ。どうせオレじゃあ勝てない。そう頭は冷静に敗北を告げているにも関わらず、心はいうことを聞いてくれない。
高まる感情が爆発するのも時間の問題だ、今すぐここを離れたほうがいい、彼らがオレの存在に気付く前に。
「美味いか、マスター?」
「まあまあね。私は甘いものは好みじゃないけれど、貴方たちがどうしてもというから食べてあげてるのよ、感謝しなさ……ヴェーザー、それ以上この私を愚弄するような表情を続けるのであれば貴方に戦慄と恐怖を刻みつけてあげる」
「などと可愛らしくドヤりながら口の周りを白濁液まみれにするうちの卑猥なマスター。ロリきゃわわ~、やっぱり最高ー♪」
「この腐れロリコンめ――ヴェーザー!」
「だからそういうのは柄じゃねぇんだよ。こんなバカは放っておけばいい。それよりもオレはアイツの方が気になるんだが」
「アイツ? 一体誰のことよ?」
「あれだ」
息を呑む音がする。次いで漏れ出る溜息。そして、響く不機嫌そうな舌打ち。
オレは石化したようにその場から動けなくなった。
「……まったく、ツイてないわね、最悪と言ってもいいわ。どうして貴方がここにいるのかしら、胸糞悪い。さっさと尻尾を巻いて逃げだせばいいものを態々自分から殺されにやって来るなんて愚かを通り越して滑稽よ、バーカ。貴方の脳は溝鼠以下ね、そうでしょ、ひいら……ラッテン、貴女、何をしているの?」
「もちろん録画ですよ。ささ、続きを早く。あ、出来ればもっと過激なのお願いします。こう、なんと言いますか、舌舐めずりとかエロい感じの……マスターの舌? あの、どろりと粘っこく纏わりつく白濁液を執拗に追い回したあげく残さず絡め取ったド淫乱ぺろぺろ器官……マスターエロすぎ。あぁ、鼻血が」
「ラッテえええンッ!!」
「ま、マスター!? やめてください、怒鳴る元気があるなら私を叩いて、『この役立たず!』と。さあ、早く!」
「貴女はもう手遅れなようね。近寄らないで変態」
「そんな後生ですぅ~。あ、でも、その蔑むような瞳が私の心を掻き立てる。マスタぁぁぁ~!」
「は、離せバカ! やめなさい! 嫌味のように押し付けないでちょう……くるしぃ~」
「まったく、しょうがねぇヤツらだ。店長、キングのトリプルを一つ追加だ」
ダメだ。どうやら蓄積された疲労によってオレの精神はかなり参っているらしい。
そうだ、そうに決まっている。でなければ背後から漏れ聞こえてくるこの阿呆なやり取りの説明がつかない。
「マスター最高ー♪ ジーク、ちっぱい!」
「まだ言うかこのバカーッ!」
魔王ペストとその配下、ラッテン、ヴェーザー。オレは最も危険な人物たちに遭遇してしまった。