転生したら始祖で第一位とかどういうことですか   作:Cadenza

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臣下のエリアス

 京都地下にある吸血鬼の地下都市、サングィネム。

 サングィネムの女王、第三位始祖クルル・ツェペシが居城内の女王の間。己の目的を聞かせたミカエラに、クルルが気をつけるように言う。

 

「ミカ、今回は第一位始祖が来る。優を取り戻すにしても、第一位始祖には絶対に見つかってはいけないわ。十分に用心なさい」

「アークライト=カイン・マクダウェル、という奴か?」

 

 クルルの声には隠し切れない畏怖と畏敬が込められている。

 フェリド相手に怒りはすれど、クルルが誰かに対してこんな感情を抱いているのを見た事がなかったミカエラは疑問を覚えた。そのことに解答を示したのは他ならぬクルルだ。

 

「ミカ、私の前ならともかく他の吸血鬼や始祖、特に第一位始祖の部下達の前では絶対に様をつけなさい。その場で殺されても文句は言えないわよ。第一位始祖が構わなくても周りが許さないわ」

 

 そう言いながら腕を組むクルルは、冗談を言っているようには見えない。

 ミカエラの疑問はますます増えるばかりだ。

 始祖と言えばクルルやフェリドしか知らないミカエラにとって、第三位始祖たるクルルは最強の存在である。

 事実、日本において彼女とまともに戦える存在はいないだろう。自分では勝てないフェリドだって、実際に戦うのは避ける程だ。

 

 上位始祖会を思い出してもそう。

 第一位始祖と言われた吸血鬼は、クルルやクルルと同じ第三位始祖レスト・カーをも、クルル嬢やレスト坊などと呼んでいた。そんな呼び方に誰も、本人すらも文句を言わない。

 むしろレスト・カーは忌避感や嫌悪感など皆無で、そう呼ばれるのが普通といった印象を受けた。名を呼ばれる事が既に光栄だというように。

 日本に赴くとアークライトが言えば、クルルを露骨に睨みつけてもいた。表れていた感情は嫉妬。その事からレスト・カーは、第一位始祖を慕っていると見て取れる。

 

 第三位始祖をそんな、しかも上位始祖会で使ったのだから日常的に呼べる第一位始祖とはいったい何なのか。

 

「ミカは吸血鬼になって五年くらいしか経ってないし、サングィネムから出た事もあまりないから知らなくても当然ね。いいわ、今後の為にも第一位始祖について教えてあげる。会えば嫌にでも実感せざるえないけどね」

 

 ヤレヤレとばかりに肩をすくめるクルル。

 会えば実感する、と言うのは何となく分かった。自分がなぜ上位始祖会にいるのかと一悶着あったとき、一瞬だけ目が合ったのだ。そう、アークライトと。

 その時の感覚は忘れられない。自分すら知らない自分の奥底を覗き込まれたようなあの感覚は。

 だから興味はある。クルルが恐れる程の吸血鬼。知っていて損はないはずだ。

 

 そこからミカエラは語られた。吸血鬼の王、始源の吸血鬼(ロード・オブ・ヴァンパイア)、全ての始まりと言われる第一位始祖、アークライト=カイン・マクダウェルの伝説を。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

『報告は以上だな? ならばこれにて上位始祖会を終了する。クルル・ツェペシよ、アークライト様自らが赴くのだ。失敗は許されんぞ』

 

 モニターが暗転する。

 

 いや〜、久しぶりで緊張した。案の定、今回もクルルちゃんとレスト坊は喧嘩したね。

 あの子達、ホントに仲悪いな。売り言葉に買い言葉とはあれの事だろう。取り敢えず注意したけど。

 レスト坊は吸血鬼になったばかりの頃に少しお節介を焼いたからなのか、俺を慕ってくれている。別に俺は大したことしてないけどね。ちょっと力の使い方を教えてたり、経験を語ったりしたくらいだ。

 クルルちゃんとはあまり面識ないな。あっちは日本で、こっちはアメリカだから。レスト坊とも最近会ってないし。

 でもクルルちゃんには悪い事しちゃったな。緊張の所為か『虹』の魔眼が勝手に。驚いたよね。そりゃそうだ。虹色に輝く瞳とか怖いわ。日本で手伝うから勘弁して。

 

 それにしても《終わりのセラフ》の兵器化は驚いた。神代ならいざ知らず、あの降霊術を現代で再現させるとは。

 

 だが認めない。失敗して世界が本当に滅んだら困る。

 そもそも俺は天使が好きじゃない。

 それもこれも、あの堕天のクソ野郎の所為だ。元から吸血鬼だからってだけで襲ってきたし。もし生きてたら『月落とし(ブルート・デァ・シュヴェスタァ)』か本気の闇の魔法(マギア・エレベア)、それかフルコースで滅尽滅相してやる。

 

 まあ今は置いといて。俺には忘れられない出来事が今回の上位始祖会であった。

 

全ての始まり(アルティメット・ワン)始源の吸血鬼(ロード・オブ・ヴァンパイア)不死の魔術師(マガ・ノスフェラトゥ)伝説の吸血鬼(レジェンド・オブ・ドラキュリア)……カカカッ」

 

 そう。

 忘れ去りたい過去の産物。消し去りたい黒歴史の具現。我がトラウマ。

 って、キスショット! 笑み全開で俺の傷を抉るな‼︎ 後半に関しては言われてないし‼︎

 

「クククッ……吸血皇帝」

 

 イイイヤァアァアア⁉︎ やめて! 俺のライフはもうゼロだ!

 表情にも態度にも殆ど出ないけど、ホントはダメージ半端ないから!

 

 おのれフェリド坊め。皆の目の前で堂々と黒歴史を抉りおって。あの頃はキスショットと出逢う前で、色々と自棄になってた時期だったんだよ。

 墓に持っていきたいブラック・ヒストリーだってのに……、恨むぞフェリド坊。

 しかも俺に意見を求めるとか。喋るのそんなに得意じゃないのに。二千年も生きて未だコミュ症とか俺って……。

 おかげで声がガチガチ。キスショットに助け求めても視線で頑張れって返されたし。

 

 まぁそれは置いといて、取り敢えず日本に行く事にした。いくらクルルちゃんでも天使が相手じゃ分が悪い。

 他の始祖も賛成してくれたし。まぁ俺、存在的には神霊より上だから。天使如きに負けはしない。

 そう言えばフェリド坊の従者らしいあの金髪の子。なんか覚えがあるような雰囲気を感じた。会ったことないはずなんだけどな。

 

 

「アークライト様」

 

 そんな事を考えてモニタールームを出たところ。純白の髪を肩で切り揃えてショートにし、燕尾服に身を包んだ女性吸血鬼──エリアス・アラバスターに声を掛けられた。

 彼女は俺が侯爵として領地を持っていた頃からの付き合いだ。

 侯爵時代に領地の財政を統括していた秀才。土地の管理や財政、会計士の腕で彼女の右に出る者はいないスーパーメイドである。

 

 彼女はモニタールームから出てきた俺を見ると、サッと跪いて頭を下げた。

 

「上位始祖会で何かあったのですね。ならばこのエリアスに、何なりとお申し付けください。如何なる事も半日以内に準備を整え終えます」

 

 ホントにこの娘、予知能力か読心術でもあるんじゃないだろうか。

 これまでもそうだった。俺が何かしようとすれば、言う前に今回の様に備えてしまう。

 彼女には感謝が尽きない。経営のけの字も知らなかった俺が土地を維持出来ていたのはエリアスのおかげだ。

 

 戦闘に関して俺は最強かもしれないが、力で解決出来ない事はこの世にいくらでもある。

 例えば国の行く末がそうだ。力に物を言わせて解決しようともいずれ限界が訪れ、そして崩壊するだろう。

 侯爵の地位と土地を得て、いざ経営しようとしたまでは良かった。だが忘れてはいけない。俺が元人間の凡人だと言う事を。

 領主としての知識も経験もない俺には、どうして良いか分からなかったのだ。いやホント、何やってたんだろ俺。キスショットと言う伴侶が出来たことに浮かれていたのだろうか。

 

「エリアス、お前にはいつも苦労を掛ける」

「何を仰いますか。苦労などと思った事はありません。アークライト様が居たからこそ私は……」

 

(うーむ、どちらも間違ってはおらぬのぅ。わしは何と言ったら良いものか。邪魔せんように黙っておくかの)

 

 こう言ってくれるが、エリアスにはかなり苦労を掛けてる。

 吸血鬼だって完璧じゃない。ミスや油断もする。

 侯爵時代にミスを犯しても大して問題にならなかったのは、エリアスのフォローのおかげ。なるべく負担を減らそうとやれる限りの事をしたんだけど、あるとき俺がやってた仕事の半分くらいを自分がやるとエリアスが言ってきた。やはり杜撰だったらしい。

 

 領主としてのノウハウだって彼女から学んだ。

 領地運営も最初はエリアスに任せっきりだった。俺がやった事と言えば、空想具現化(マーブル・ファンタズム)で土地を活性化させたり、ちょっと因果を弄って運を良くしたりなど。能力頼りの謂わば反則技。

 エリアスの尽力に比べれば些細なものだ。

 如何なる状況、不測の事態が起ころうと臨機応変・冷静沈着、スピーディーかつアグレッシブに対応するスーパーメイド。何より心を忘れない秘書の鑑。それがエリアスだ。

 

 だからこそ驚いた。彼女が俺に吸血鬼にしてくれと頼んできたのは。

 

「エリアス。お前は今、満足しているか?」

 

 あの堕天のクソ野郎が教会の奴らを唆して十字軍を嗾けて来た一件の後、俺に言ってきたのだ。『私を吸血鬼に、貴方様の側に置いてください。我が永遠の王よ』と。

 

 驚いたものだ。だってエリアスは、信仰高い信徒だったのだから。彼女からすれば吸血鬼なんて神の敵、それこそあのクソ野郎やユダ並の大敵だ。

 

 つい聞いてしまったその問いに彼女は、微笑んで答えた。

 

「当然です。これまでの私の生は、充実しています」

 

 まぁそう言ってくれるならいいけど。

 未だに吸血鬼になった理由、ちゃんと教えてくれないんだよね。聞いても毎度はぐらかされるし。

 クロ坊も元々はテンプル騎士団だったから、彼女も何かあるのだろう。内に秘めておきたいなら無理に聞く必要もない。

 

「アークライト様、私にご命令を。我が命に掛け、為してみせます」

 

 おっと、そうだった。俺から日本に行くと言った以上、待たせるのは失礼。

 さっさと準備して、さっさと出発しないと。

 

「禁忌の大魔術《終わりのセラフ》を日本の組織が兵器化しつつある。日本を治めるクルル・ツェペシだけでは戦力不足と判断し、《終わりのセラフ》撃滅の為に私が行く事となった」

 

 上位始祖会でも言ったけど、俺が直接行く事については問題ない。俺が離れても《アヴァロン》に支障は出ないし、トップが不在なだけで動かなくなる様では価値がないと思ってる。

 

「エリアス・アラバスター、部隊の編成を任せる。精鋭で二個小隊。私とキスショットが指揮を執る」

「ッ! はっ、承知しました。六時間で準備を整えます」

 

 深く頭を下げて、エリアスは立ち上がる。

 エリアスはメイドとしてだけでなく、実力を見抜く目利きなどの戦闘面も一流だ。吸血鬼の実力は、主人の実力や生きた年月に比例する。

 エリアスは貴族じゃないがおそらく、本気で戦えばフェリド坊より強いだろう。メイドこそ自分の本分だと言ってるけど。

 

「それでアークライト様。武装は?」

 

 エリアスが言っているのは、吸血鬼が装備する武装の事だ。

 

 知っての通り俺は無理ゲーのラスボスみたいな性能。並の武器では力に耐えられない。一級武装でも使い捨ての消耗品になってしまう。まあこれは上位始祖全員に当て嵌まる事だけど。

 俺の基本は魔法を用いた戦闘だ。だって多彩だし、遠距離だし。

 

 空想具現化(マーブル・ファンタズム)

 無理無理。確かに利便性や応用性は超高いけど、加減が効かなくなる。普段使うのはほんの少しで、本気で行使したのはあのクソ野郎を相手にした時だけだ。

 て言うか、元より近接戦闘は得意じゃない。キスショットにも負けるし。

 

「今回は必要ない。他の者に回してくれ」

 

 キスショットは心渡りとアーティファクトがあるからいいとして、星そのもの(アルテミット・ワン)に耐えられる武器はなかった。

 いや、あるにはあるけど使いたくない。だって俺の黒歴史時代に作った代物だし。厨二心が復活してしまう。初めて使った時、死にそうになった。

 

「了解しました。では準備にかかります。アークライト様、イヴ様、失礼します」

 

 もう一度頭を下げ、背中を向けて小走りに去っていった。

 さて俺も準備をするか。念の為に戦闘人形(キリングドール)も何体か連れていこう。

 すごく、すご〜く不本意だけど、アレも準備”だけは”しておく。あくまで準備だけだ。

 

「行こうキスショット。久しぶりの天使が相手だ」

「うむ。日本の組織は前々から耳にしておる。腕がなるのぅ」

 

 こらこら壮絶な笑顔を浮かべるな。

 俺は見慣れてるからいいけど、他から見ると怖いから。

 それにしても天使、か。《セラフ》と言うくらいだから、どの天使が出てくるか。

 アレを使う覚悟だけはしておこう。使い終わった後に、また悶え死にたくないからね。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 彼女は元々、とある土地を治める貴族に仕えていたメイドだった。その貴族は民の事など微塵も考えない悪徳領主ではあったが、親類は皆死に、自力で生きる術を持たなかった彼女にはそれしか方法がなかったのだ。

 幸いにも才能に恵まれていた為、財務総括の役職に就いてそれなりの暮らしは出来ていた。

 だが就いてすぐに後悔する事になる。悪徳領主の凄まじい悪徳によって、その土地の民の生活は常にギリギリ。裕福なのは領主派の一部の貴族のみ。

 そんな状態で土地と民からの税金を維持しろと言うのだ。無理難題もいいところだ。だが彼女はそれを為した。どう考えても割りに合わなかったが為し遂げていた。

 

 しかし彼女は、あまりに美し過ぎた。女癖も悪かった領主に目をつけられぬはずがない。

 歳が16になると共に、身の危険を感じ始めた。

 会う度に向けられる欲望の目。不必要に触れられる身体。逃げたくとも逃げられない現実。

 そしてとうとう魔の手が伸びようとした時――彼が現れた。

 

 夜に浮かぶ月の如き金髪に、輝く朱い瞳。全てを魅了する中性的な容姿を持った一人の男性が国の役人と共に乗り込んで来たのだ。

 

 そこからは早かった。その日の内に領主は国にしょっ引かれ、いつの間にか彼が爵位と領主を継ぐ事になった。

 新たな領主の名は、アークライト=カイン・マクダウェル。

 

 彼女が抱いたアークライトへの第一印象は、無表情で無愛想、だった。

 常に表情が変わらず、まるで感情がないかのよう。冷静というにはあまりに静かで、正直、不気味とすら思えた。

 しかし彼女は、近いうちにその考えが間違いであると悟る。

 彼ほど王らしく、しかし最も手のかかった領主を彼女は知らない、と。

 

 アークライトは土地経営のけの字も分からなかった。

 結局、領主が変わろうと同じか。そう思った時、彼は彼女に言った。

 

『君が財務の総括か。私は何をどうすればいいか分からない。教えてくれないか』

 

 さすがの彼女も口を開いて間の抜けた声を出したものだ。

 知らないのなら何故領主を継いだのかという疑問より、教えて欲しいと頼んできた事への驚きの方が強かった。

 貴族とは総じてプライドが高い。どちらが優れているか年中競っているし、見栄の張り合いばかり。何があろうといちメイドに懇願するなどありえないのだ。

 

 彼は他の貴族とは違う。まず、そう確信した。

 教えられる全ての事を教えた。彼女が知る限り、彼ほど飲み込みが早い者はいない。

 まるで砂漠のよう。スポンジではなく砂漠。スポンジは良く吸収はするが、限界があるし握れば吐き出してしまう。

 しかし砂漠はどうだろう。その広大さで無限に吸収し、決して漏らしはしない。

 

 僅か数週間で彼は、領主としての知識を完全に物とした。

 だが彼女から見て、アークライトは領主らしくなかった。

 その時代の領主とは領民の事など気にも掛けず、欲望のままに貪り、民からの信用や信頼などとは無縁。それが普通の、少なくとも彼女が知る領主とはそういう存在だった。

 そういった点から考えればアークライトは領主らしくないだろう。

 

 民があってこそ国。民の心が国から離れれば、迎える結末は崩壊。

 

 彼は彼女にそう言った。

 その言葉を証明するように善政を敷き、側近達の目を盗んで街に行って民と交流し、そして意見を実際に聞く。

 

『民を思い、民に想われる。それこそが王』

 

 青臭い理想かもしれない。だが現実ばかりでなく、理想を見てもいいではないか。

 

 一転して豊かになり始めた民を見てアークライトは、僅かに、しかし確かに笑みを浮かべていた。

 このとき彼女は、己の抱いた印象が間違いであったと悟ったのだ。彼は無表情でも無愛想なわけでもない。ただ、感情を表に出すのが不得意な、不器用な人なのだ。

 

 そんなアークライトを神が祝福するかのように土地は潤い、財政も上手く回る。

 いつしか人々はアークライトが治める街をこう呼んだ。

 理想の都、”アヴァロン”と。

 

 王族よりも王らしいアークライト。そんな彼に仕えられる喜び。彼女は確かに幸せだった。

 

 だが幸せは、脆くも数年で終わりを迎えた。

 名君として名が知れ渡り、領民も増えた頃、突然総数十万あまりの十字の旗を掲げた大軍勢が《アヴァロン》に侵攻してきたのだ。

 

 軍の指揮官らしき騎士は、アークライトが居城の城門で集まる民を前に、

 

『化け物の分際で領主を名乗るなど不届き千万! 我等が神の敵、”吸血鬼”アークライト=カイン・マクダウェルをすぐに引き渡せ!』

 

 そう、高らかに宣告した。

 

 吸血鬼? 神の敵? あのアークライト様が?

 困惑する彼女。

 

 アークライトは説明を求める領民達へ、ただそれを肯定した。

 彼女の中で何かが崩れ去る。

 反応は様々だった。殆どの貴族は真っ先に逃げ出し、かなりの数の領民も去った。だが全てではない。

 たとえ吸血鬼であろうとアークライトを信じ、最後まで共にと残った民や貴族もいたのだ。その殆どがアークライトが来た頃より、苦楽を共に歩んできた者達だった。

 

 そんな彼等を目の当たりにして、アークライトが見せた顔を彼女は忘れない。唯一彼女だけが、伴侶たるキスショットすらも見た事がないだろう、頬を何かが滴り落ちたあの表情を。

 

 その時こそ、彼女の心が決まった瞬間だった。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 ──ガチャ

 気配を消して控えていたエリアスは、モニタールームの扉が開く音で意識が戻された。

 

(私とした事がなんて醜態を……一瞬とは言え眠ってしまうなんて)

 

 僅かに頭を左右に振り、意識を完全に覚醒させる。

 目をモニタールームに向ければ、己が主人がイヴと共に出てきたところだった。

 そしてはたと気がつく。主人の表情が、僅かに変わっている事を。

 

 エリアスは主人の元へ急いだ。主人たるアークライトは、滅多に表情を変えない。無表情というわけではなく、感情を表に出すのが不得意なのだ。

 そんなアークライトの表情が変化している。

 上位始祖会でそれ程の事案があったに違いない。

 

「アークライト様」

 

 駆け寄って跪き、頭を垂れる。

 

「上位始祖会で何かあったのですね。ならばこのエリアスに、何なりとお申し付けください。如何なる事も半日以内に準備を整え終えます」

 

 アークライトの表情を変え、上位始祖会に出る程の事案。

 少なくとも悠長に構えられるものではないだろう。

 

 跪いたエリアスを見て、アークライトは笑みを浮かべた。

 

「エリアス、お前にはいつも苦労をかける」

(ああ…やはりお見通しなのですね)

 

 エリアスは気配を絶っていたつもりでも、きっとアークライトにはお見通しだろう。一瞬とは言え、眠ってしまった事も。

 確かに最近は疲れが溜まっているかもしれない。

 だがそんなものは吹っ飛んだ。主人のその一言で。

 自分を労ってくれている。案じてくれている。そして、自分の働きを知ってくれている。

 

 それだけで、エリアスには十分だった。

 

「何を仰りますか。苦労などと思った事はありません。アークライト様が居たからこそ私は……」

 

 もしアークライトが居なければ、自分はあの貴族の魔の手にかかり、絶望で命を絶っていただろう。

 

 彼ほど力と智に通じる王をエリアスは知らない。

 土地の経営とは本来、単独で出来る事ではない。だがアークライトはその大半を一人でこなした。自分や他は、それでも漏れてしまった部分を少し修正するだけでよかったのだ。あまりの規格外ぶりに、仕事が無くなってしまうので私がやりますと頼んだ程だ。

 アークライトが来てから土地は潤い、財政も上手く回るようになった。

 最初こそ神の祝福などと思っていたが、実際には違う。

 それすらもアークライト自らによるものだったのだ。土地という生命を操り、因果にすら干渉する。

 

 だからこそ困惑が深かった。彼が、自分の信仰していた神の敵である吸血鬼と知った時は。

 

「エリアス。お前は今、満足しているか?」

 

 唐突にアークライトがそんな事を言った。

 吸血鬼になったのを後悔していないか、と暗に聞いてきている。表情に出したつもりはなかったが、やはりアークライトにはバレバレらしい。

 

 あの時、決めたのだ。

 単身で十万もの十字軍に、その背後で糸を引いていた堕天の王に。

 残った民や臣下達の命を背負い、たった一人で挑んだあの背中を見た時。

 エリアスは、心に決めた。

 たとえ吸血鬼であろうと、一生彼の側で仕えると。

 

 だから胸を張って言える。

 

「当然です。これまでの私の生は、充実しています」

 

 今思えば、あれは告白に等しかった。

 

 ”私を吸血鬼に、貴方様の側に置いてください。我が永遠の王よ”

 

 思い出す度に顔から火が出そうになる。彼以外に聞かれていないのが救いだ。

 だがその思いに微塵の偽りも、揺らぎもない。

 自分の身体も血も、魂にいたるまで捧げると誓ったのだ。

 

「アークライト様、私にご命令を。我が命に掛け、為してみせます」

 

 だから命じて欲しい。あなたに仕える事こそが我が至福なのだから。

 

「禁忌の大魔術《終わりのセラフ》を日本の組織が兵器化しつつある。日本を治めるクルル・ツェペシだけでは戦力不足と判断し、《終わりのセラフ》撃滅の為に私が行く事となった」

(天使……ッ⁉︎)

 

 無意識に奥歯をギリッと噛み締めた。

 彼女にとって天使とは、忌々しく全滅させたいような存在である。

 アークライトが治めていた領土を失い、表の世界から姿を消すきっかけとなった存在だ。

 

「エリアス・アラバスター、部隊の編成を任せる。精鋭で二個小隊。私とキスショットが指揮を執る」

「ッ! はっ、承知しました。六時間で準備を整えます」

 

 既に頭の中でメンバーを選出しながら、エリアスは立ち上がる。

 

 アークライトがわざわざ精鋭と条件をつけ、同等のイヴと共に直接指揮を執ると言った。

 アークライトの考えを読むのは無理だが、少なくとも今回の一件、ただでは終わらないと予感しているのだろう。

 なら考えられる限りで最高の準備をする必要がある。

 

「それでアークライト様。武装は?」

 

 アークライトが吸血鬼の武装を用いること。それは加減の為でもある。

 神すらも超越する存在であるアークライトは、どれだけ加減してもその魔法一つが天災となってしまうのだ。

 だから敢えて弱い武装を使う事により、被害を抑えている。一級武装が使い捨てになってしまうが、地図を書き直すよりはマシだろう。

 逆に言えば、

 

「今回は必要ない。他の者に回してくれ」

 

 武装を用いないとは、アークライトが本気を出す可能性があるという事だ。

 

 アークライトの本気を知る者はいない。

 かつて一度だけ本気を出したと言われる堕天の王との戦いも、唐突に忽然と堕天の王とアークライトが姿を消した為に存在しない。

 

 ただ、無傷でありながら辛そうな表情を浮かべ、戻ってきたアークライト。そして携えた尋常ならざる威圧感を纏う黒い剣を見て、エリアスは思う。

 

(アークライト様は本気を出す事を避けている。もしや代償が? もしくは私と会うもっと以前に何かが? それともあの剣に?)

 

 いずれにしろ、アークライトに本気を出させる事は、二度とあってはならない。

 主人のあんな表情など、もう見たくないのだ。

 

「……了解しました。では準備にかかります。アークライト様、イヴ様、失礼します」

 

 最後にアークライトと、気を遣ってか黙っていてくれたイヴに一礼する。

 そして背を向け早足で歩き、二人が見えなくなった途端に駆けた。

 

 目指すは軍の待機場。メンバーを呼び出す為だ。

 この地下都市《アヴァロン》に住む吸血鬼、そして人間全てにアークライトは信用され、信頼され、慕われている。

 開発部も惜しみなく最新装備を用意するはずだ。

 全ては己が主人の為に、先を急ぐエリアスだった。

 

 




感想で、アークライトは始祖ではなく真祖ではないかと質問があったので答えます。
真祖とは多く、魔法や術式などで後天的に吸血鬼となった人間を指します。アークライトは正真正銘、生まれながらの吸血鬼なので始祖です。

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