魔法少女リリカルなのはties 作:ハルハルharuharu
――ピピピピッ、ピピピピッ
部屋に響く電子音。私は、自分の体温でぬくぬくした掛け布団の中から、それを聞いた。
「眠い……」
できることなら、いつまでも心地よくまどろんでいたかったが。
――ピピピピッ、ピピピピッ
「うる、さい……」
布団の中から、携帯電話を置いてあるはずのサイドテーブルへ手を伸ばす。とりあえず、うるさい目覚まし機能を止めよう。外気に手が触れる。季節は六月。暖かくなり、春というよりは夏に近い季節とはいえ、朝はまだ寒い。
「あれ、無い……」
がさがさとしばらくテーブルの上をまさぐる。そうしている間にも、眠気は徐々に抜けていってしまう。
ようやく手が触れた、と思ったら、ごんっ、と鈍い音を立てて落ちてしまった。もういいや。放っておこう。
……………………眠。
――ピピピピッ、ピピピピッ
「……はいはい、起きればいいんでしょ?」
諦めて、布団から出る。憎き携帯電話は、律儀に健気に電子音を……私を惰眠から引き剥がさんと労働を続けていた。
――ピピ、
電源ボタンを押し、アラームを切る。ついでに時間を見る。午前七時ちょっと。いつもどおりだ。
「あ~~……」
姿見が、そこに映る私の姿が見える。ぼさぼさの栗色の髪の毛。眠気にしょぼしょぼする目。だらしなく半開きの唇。
「……顔、洗おっと」
面倒だけど……
洗顔し、肩に掛かるくらいの髪の毛に櫛を通す。前髪だけを適当にクリップで留め、朝の準備は終了……ではない。
――かちゃかちゃ
卵をボウルに割り入れ、かき混ぜる。最初は卵の殻が入ったり、飛び散ったり、ロクなことにならなかったけど、今では手馴れたものだ。二年もやっていれば、自然と上達する。
フライパンに流し、形を整える。フライ返しでひっくり返し、オムレツのような、卵焼きのようなものが出来上がる。皿に載せ、ご飯と共にからっぽの食卓の上に運ぶ。
「いただきます」
返事は無い。会話も無い。ただ一人、黙々と箸を動かし、口に入れる。食事というよりは、栄養補給と言ったほうがふさわしいかもしれない。いつものことだけど。
「ごちそうさま」
流しで皿を洗う。一人分の食器なんて、洗うのに二分も掛からない。
「行ってきます」
ランドセルを背負い、鍵をかけてから家を出る。返事は無い。これもいつものことだ。
一人で起き、一人で身支度を整え、一人で食事をし、一人で学校へ行く。
全く持って、いつもどおりの私……高町なのはの朝だった。
『 私の家族 三年二組 高町なのは 』
私のシャープペンシルは、四百字詰めの原稿用紙にそれだけを書き、机の上に転がっていた。
静まり返った教室からは、鉛筆やシャープペンシルが原稿用紙のマスを埋める音がひっきりなしに聞こえてくる。
はぁ……
ため息をつき、頬杖を突く。もう作文なんて書いている気分では無かった。なにせ、タイトルがタイトルだ。私の、最も触れられたくない、自分でも考えたくも無い話題。
『将来の夢』とかだったら、適当に書いてさっさと終わらせるのになぁ……
「高町さん、授業中よ」
担任の女性教師に注意された。
「……はい、すみません」
面倒くさいが、書いているポーズだけは取っておかないとな……
青い志に燃える教師は、私の原稿用紙を手に取り、驚いたような顔をした。
「あら……何も書いていないの? ダメよ、ちゃんと半分は書かないと」
「……はい、すみません」
書きたくないんです、とは言わない。あくまで私は作文が苦手なんです、とアピールする。だが教師は、いらぬアドバイスをしてきた。
「例えば、お父さんの仕事のこととか」
数年前に大怪我をして、今も病院に入院しています。
「お母さんのご飯が美味しい、とか」
父さんのお世話と経営する喫茶店が忙しいので、私が自分で作っています。
「兄妹とどんなことをして遊んだ、とか」
兄さんも姉さんも店の手伝いが忙しくて、数日に一度しか顔を合わせていません。
「家族で遊園地に行ったとか……そういうの、あるでしょう?」
『あるでしょう?』
まるで、あって当然、無いのはおかしいとでも言いたそうな言い草。頭に、カッと血が上っていき……くすくす、と教師に叱られる私を嘲笑するクラスメイトの声に……
ぶちっ、と、何かが私の中で切れた。
「――――うるさいっ!!!」
教室中の視線が、私に集まった。
「た、たかまち、さん?」
呆けたような顔で、私を見る。
「……ッ!」
机の中の教科書を、ノートを、筆箱を、投げつけるようにランドセルの中に放り込む。椅子を蹴立てて立ち上がり……机の上の原稿用紙を、びりびりに破り捨て、教室を飛び出した。後ろから、誰かが私を呼び止めるような声が聞こえたが、聞こえないフリをした。
「はぁ……」
怒りを消費して残ったのは、虚しさと、面倒くささだけだった。教室を飛び出し、教師を撒いたまではいいが、どうせ月曜日にはまた顔を合わせるのだ。今のうちに、言い訳を考えておこう。
「はぁ……」
二度目のため息。携帯電話で時間を確認する。三時間目の授業を脱走したので、まだお昼前だった。
(家、帰りたくないなぁ……)
広い家。父さんと母さんが、家族みんなで住むために買った家。でも、誰もいない家。
家に向かっていた足は動くのをやめ……くるっと反転した。
何度も通った道を通り、目的の場所に向かう。
『海鳴市立図書館』。それなりに新しく、小奇麗な外観の図書館だ。
入り口で、カウンターのお姉さんに怪訝そうな顔をされた。ほぼ毎日通っていれば、顔も名前も覚える。楠美穂さん、だった気がする。
「あら、高町さん」
「こんにちは、美穂さん」
「こんな時間に来て……学校は?」
柔和な笑みで聞かれた。先生を怒鳴りつけて飛び出してきました……なんて、言える筈も無く。
「……体調が悪くて早退したんですが、歩いていたら治ったので」
我ながら、ひどい言い訳だ。明らかに嘘だと見抜かれる。
「あら、そうなの」
だが、美穂さんは何も言わなかった。何かを見透かされているようで、少しムッとしたが、何とかそれを顔に出さずに済んだ。適当な数冊の手に取り、閲覧スペースに向かう。
名探偵が事件を解決し、全裸のマラソン男が親友と抱擁し、一人称が我輩の猫が浴槽に水没した頃。
「高町さん、閉館よ」
美穂さんが私の肩を叩いた。
壁の時計を見れば、午後の五時を回っていた。席を立ち、本を書架に戻す。美穂さんに見送られ、夕焼けの中に足を踏み出した。公園の近くを通る。丁度、そういう時間帯なのか、親が子供を迎えに来ていた。
――あ、お母さん
――そろそろご飯よ。帰りましょう?
――うんっ!
聞こえてくるのは、楽しげな家族の会話。
「……っく」
鼻の奥がツンとする。考えるな。考えたらダメだ。
あんな小さい子供に嫉妬するなんて、みっともないにも程がある。でも、駄目だった。
――何で私には、御飯を作ってくれるお母さんがいないんだろう。
――何で私には、キャッチボールをしてくれるお父さんがいないんだろう。
――何で私には、一緒に遊んでくれるお兄ちゃんとお姉ちゃんがいないんだろう。
「……」
ぎゅっと目を瞑り、駆け出した。あれ以上、見ていたくなかった。妬ましさでごっちゃになった頭のまま、走り出した。目を瞑りながら走ったら危ない。そんな当たり前のことさえ、考えていられなかった。
どんっ。
そして案の定、誰かにぶつかった。べた、と尻餅をついてしまう。
「お、悪い。大丈夫か?」
ぶつかった――多分、高校生くらいのお兄さん――は、私の両脇に手を差し入れて立ち上がらせた。
「……すみません。ぼうっとしていました」
できるだけ目を合わせないようにしながら、頭を下げる。服についた土ぼこりを払い、頭を下げる。
「そうか。気をつけてな」
「はい、すみませんでした」
これは、ほんの偶然。私と、この見知らぬお兄さんとの、互いの長い人生で唯一の邂逅……だったはず。
『誰か、僕の声が聞こえますか?』
――でも、違ったんだ。
「……何、今の?」
「……君も聞こえたか?」
辺りを見回すが、他の人達は何も聞こえていなかったらしく、すたすたと歩いていく。
『誰か、僕の声が聞こえますか?』
「まただ」
お兄さんが言ったとおり、また聞こえた。
「あっちの雑木林から、みたい」
最初は普通に歩き、次第に早足になり、とうとう全力疾走した。
何がこんなに私を駆り立てるのかは分からない。分からないが……何かが私を待っている。そんな気がした。
「……あそこ!」
そして、見つけた。雑木林の、割と開けた場所。
「ん? ……何だこれ」
お兄さんが抱き上げたのは、黄色と茶色の毛並みの……
「フェレットですよ」
そう、フェレットだった。
「怪我はしてないけど……弱ってるな」
このあたりの地図を頭に思い描く。たしか、少し先に四階建ての大きな動物病院があったはず。私は、お兄さんを先導して歩き出した。
「衰弱していますが、命に別状はありませんよ」
優しそうなお爺さんは、聴診器を外し、そう言った。それはよかった。確かによかったのだが……別の問題が発生した。
私は、小学生だ。お小遣いは年相応の金額しか貰っていない。こんな立派な病院の診察料を払えるのだろうか……。私はお財布を取り出し、金額を確認した。千五百円。ペットの診察料がいくらなのかは知らないが、きっと足りないだろう。
ぽんぽん、と肩を叩かれ、身体をびくっと跳ねさせてしまった。
「な、なんですか?」
「待合室にいろってさ」
「……はい」
お財布をポケットに仕舞い、お兄さんの後についていく。
待合室のソファはふかふかで、とてもすわり心地がいい。
「飲みなよ」
お兄さんが、そこの自動販売機で買ってきたらしいジュースをくれた。
「お金、払います」
「子供は気にしないでいい」
「……では、ありがたく」
こくこく。ミルクティーの甘さが口いっぱいに広がる。お兄さんはブラックコーヒーを買ったらしい。よくあんな苦いの飲めるなぁ……以前、冒険して飲んでみたことがあるがのだが……あれは、ありえない。
早々に飲み終えたらしいお兄さんは、がきょっ、とスチール缶をひねり潰した。男の人って、力持ちなんだなぁ……
「そういえば」
「はい?」
お兄さんは手持ち無沙汰になったのか、私に話しかけてきた。
「君、名前は?」
……あー、全然気にしてなかった。
「高町なのは、です」
お兄さんは、にっこりと笑った。どこか子供っぽい、無邪気な笑顔だった。
「俺は吾妻秀人。よろしく、高町さん」
「はい、吾妻さん。よろしくお願いします」
翌日。
職員室で、昨日の件を教師に謝罪し、反省の(嘘)意を示すことで、どうにかこうにか、保護者への連絡は防げた。教師なんて、こちらが下手に出て折れるポーズを取ってさえいれば、実にチョロい人種だ。
……が、私にも、苦手な類の人間がいる。
「あっ、高町じゃーん?」
廊下の曲がり角で、あからさまな嘲笑を湛え、行く手を遮る複数の女子生徒。中心にいるのは、腕を組み、取り巻きを数人従えた、女王気分を醸し出す……ええっと、名前なんだっけ。
「………………あの、通れないんだけど」
「えーなにー? きこえなーい」「もっと大きい声でしゃべったらぁ?」「そうそう、昨日みたいにー」「きゃははははは!」
……ああ、そうか。昨日のアレが、私を虐げる大義名分になっているのか。
もし、教師に見とがめられても、昨日の私の行動を盾にすることで追及から逃れることが出来る。そういう腹だろう。
正直、腹が立つけど……そういう過敏な反応は、格好の餌になってしまう。だから、こういうときの最適な行動は…………
「ごめん、名前なんだっけ?」
…………相手を、とことんイラつかせてやればいい。
「……!」
所詮は、子供だ。肩口に、どん、という衝撃。感情任せに、私を突き飛ばした。
「……おっ、と」
ぺたん、と、わざとらしく廊下にしりもちをつく。
「いたい……」
もちろん嘘だ。けど、このまま座り込んでさえいれば、相手は手出しができなくなる。この場面を見られては、さすがに言い逃れができないだろう。そろそろ、始業時間だ。こいつらも、教室へ向かわなければならなくなる。
「……! 調子乗ってるんじゃないわよ! テンコーセー!!」
――転校生。
……私も、別にクラスメイトの名前を覚えたくなくて、覚えていないわけじゃない
(八割くらいはそうだけど)。
私は、ほんの一年ほど前に私立学校からこの公立学校へ転校してきた転校生だ。
その、『有名私立出身』ということが、彼女らにとってはやっかみの対象になるらしい。
「いこっ!」「ほんと、イヤミだよね」「元の学校に帰ればいいのに……」
くだらない。
私に自己満足を押し付ける教師も。つまらないやっかみを向けてくるクラスメイトも。見て見ぬふりをする同級生たちも。くだらない。くだらない。くだらない。
「くだらない…………!!」
――――皆、大嫌い。
……くそつまらない学校が終わり、私は帰路についていた。途中で寄るのは、フェレットを預けている動物病院だ。ええっと……、あ、いた。
「吾妻さん」
「ああ、高町さん。待ってたよ」
入り口付近で柱にもたれて、吾妻さんが手を振る。最近は、こうして待ち合わせをして、一緒に病院へ入るようになっていた。最初は別行動だったのが、よく遭遇するようになって、それなら、と私が提案したことだ。
獣医さんから、容体が安定して、回復状態になっていること。あと数日で退院できることを伝えられ、ひとまず安堵。吾妻さんが、ここ最近の治療費を支払う傍ら、ソファに座って待つ。
「つ、……?」
ずきん、と、肩口に鈍い痛みが走る。突き飛ばされたとき、ほとんど無防備だったから、変な打ち方をしてしまったのだろう。
(……痣さえ残ってれば、証拠にできたんだけどなぁ)
この様子では、別に内出血も無いだろう。とても残念だ。
「お待たせ」
「あ、いえ……、」
立ち上がるとき、また、ずきん、と痛みが走り……つい、顔をしかめてしまった。
「? ……どうかしたのか?」
……気取られてしまった。でも別に、迷惑をかける程のことでもない。
「なんでもないですよ」
愛想笑いをして、何でもない風を装う。これで、これ以上は追及してはこないだろう。
笑顔は、こうした人の遠ざけ方に使えるときもあるから便利だ。
「……肩だな。上腕靭帯」
へ? と思った矢先。大きな手が、私の肩を掴んで、僅かに握るような動作を見せた。
「え、あ、何をあの、」
ぎゅ、という圧迫感。
「痛っ……、……く、ない?」
……それが引くと、動かすたびに痛かった肩が、とても楽になっていた。
「……あの、ありがとうございます……」
ひとまず、お礼だ。どういうことかは分からないけど、これ以上ひどくなることはなさそうだ。
「……虐められてるのか?」
「――、」
鋭い……というか、ちょっと無神経な人じゃないだろうか。面と向かって。
「違います。些細なことです」
「何が些細なもんか。痛いんだろ?」
「……だから、……なんでも、無いですってば」
これは、……なんだろう、この感情は。
怒り? 苛立ち? …………違う。これは。
「……いじめられてなんか、いませんっ!」
これは……『悔しい』、の感情だ。
「私は、誰ともトラブルになんてなっていません! 誰にも関わっていません! あんな連中……あんな子供の遊び程度に、何も感じてなんかいませんっ!」
同情されるなんてまっぴらごめんだ。
「……今日は帰ります。さようなら」
ざわつく心を押さえつけ、踵を返す。
「……ちょっと待った」
…………もう、思い通りに動かない人だなぁ!
「なんですか!」
「…………きみは、どうしたい?」
どうする、って…………
「そんなこと、どうだっていいじゃないですか。他人の問題でしょう」
「どうしたい?」
「だ、だから……!」
話を聞いているの!? だから、何度も言っているでしょう!
「わ、私、は……!」
――なら、どうして声が震える。どうして、視界が滲む。
「わたしは、……!」
くそ、くそくそくそ。
「やりかえしたい、とか、どうにかしてほしい、とか……そういうのじゃ、なくて……そういうのじゃ、ぜんぜん、なくって!」
どうして、誰かに本音を言う。何にもいいことなんてない。感情も、本音も、全部ぜんぶ、自分の内にしまっておくのが、『賢い生き方』というものなのに……!
「――――私は、何が相手でも、屈したくないんです!」
――――どくん。
心臓の鼓動が、何か別の鼓動と、連動したような錯覚を覚えた。
「………………」
吾妻さんは……いいや、見るまでも無い。子供の癇癪なんてぶつけられて、真摯に向き合うような出来た人間なんて、そんな馬鹿真面目な人間なんて、フィクションの世界以外にいるわけがない。
「……よし、任せろ!」
………………。ば、ば……――――馬鹿がいた……!!
翌日。平穏な一日の終わり際。帰り道。
「あっれー、高町さんじゃん」
…………待ち構えていたように、例の……ええっと、名前知らないけどナントカさんが、立ちはだかった。校内で好きにできないとみて、校外で攻撃を仕掛けてきた。
「………………」
いつもなら、過ぎ去るのを適当に待つか、やり過ごしていた。でも、今日は…………
――ぎゅ。
手に、力を込める。昨日の……吾妻さんの言葉を脳内で再生しながら、行動に移る。
――――――『んじゃ、まずは……拳の作り方からだな』
平手から……掌の、指の付け根に最も近い、手相で言う『感情線』に沿うように、小指から握っていく。
――――――『荒事に不慣れなら、相手の目は見なくてもいい。ネクタイの結び目……のど元に注視するんだ。ビビっちまいそうなら、今までの事を思い出しながら、大きく息を吸え』
意地の悪い顔は、見ない。深く、静かに、深呼吸。…………聞こえよがしに嫌味を言われたこと(本読んでてあんまり聞こえなかった)、通りざまに足を引っ掛けられたこと(普通に避けた)。掃除を私一人に押し付けたこと(私もやらなかったから全員怒られた)、突き飛ばされたこと(少し痛かった)。
足の震えが、止まる。
――――『集団なら、何を置いても、まずはリーダーを狙え。だいたいこれで、集団はバラけた個に成り下がる』
「な……何よ、ちょ、ちょっと……!」
ずかずかと、大股に、不意打ちで距離を詰めて…………顔の中心。
――――『良心の呵責は一度忘れて、 ――――――鼻を思いっきりブン殴れ』
ぶん殴る!!
――べしぃっ!!
「ぶぁっ、!?」
「ちょ……カナ!?」「ひぃ……!」
よし! 鼻血は出ていないから証拠は残らない! 次は……
――――『次は、目をブン殴れ』
メガネはしていなから、安心だ! くらえ!!
――ばちぃっ!!
「ぎぁ……!!」
「ちょっと……なんてこと」「いやぁああ……」「おかしいんじゃないの!?」
――――『これで九割の奴は戦意を失う。あとは、止められても何しても、とにかく、リーダーだけを派手な動きで徹底的にボコボコにしろ。泣いても許すな。とにかくボコれ。統制のとれてない集団なんか、結局は自分の身しか大事にしないから』
とにかく、拳で! 頭を! 顔を! 肩を! 腹を! 背中を! 殴って! 殴って! 殴って! うずくまったら蹴飛ばして! くそ、掴まれた袖が破れた! 髪の毛が引っ張られた! 構わない! 知るか! 思い知れ! 思い知れ! 思い知れぇえええええええ!!
「ご、ごめんなさい……! ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!! ごめんなさいぃいいいいいっ!! もうやめてぇええええええっ!! 痛いのぉおおおおおっ!!」
――――『詫びを入れてきたら、一度手を止めろ』
はー。はー。つ、疲れた…………でも、もう一息だ。
携帯電話を、取り出して……――。
「……じゃあ、言え。『私は、高町さんを虐めていました。』ほら」
「わ、わたしたちは…………やってないし」「そうだよ……カナちゃんが悪いんじゃん……」
――――『過失が自分の側にある、って証拠を、どんな形でもいいから残せ。取り巻きは責任逃れをするけど、全員分な。逆らうならボコれ』
「甘ったれるな!」
前蹴り喰らえ!
――どすっ!
「うぐっ……!!」「……!」
よし……場の空気を、完全に支配している。
「――二度目は無いよ。……さっさとしてくれるかな? それとも……」
――――『あとは、一番ダメージがでかいやつを死体蹴りをして、示威行為だ』
カナなんとかさんのわき腹を蹴飛ばす。
「…………おまえたちも、こうなりたいの?」
録音終了。
四人、全員分の言質を取ったぞ!
「……で、その怪我はどうしたんだっけ?」
――――――『口止めと、口裏合わせを忘れないこと』
顎で促すと、取り巻きの一人が恐れおののきながら……
「わ、わたしたちが、ささいなことで、喧嘩をしました……高町さんは、ここには、いませんでした…………」
「で?」
「わたしたちは、ふだん、高町さんを、いじめていました…………カナちゃんと、みぃちゃんと、ともちゃんと、わたしの、四人です…………」
――――――勝った。
「それじゃあ、皆…………『また明日』ね?」
「…………! は、はい」
――――――『意味深に笑顔で挨拶をして、パーフェクトだ』
――――――『これぞ、『ガキの喧嘩・必勝法』だ!』
るんたった。
るんたった。
あは。
あはは。
あははは。
「あはははは! あーっはっはっは!! ざまぁああああああああああああ!!!!」
気分、サイッコー!!
破れた服も、乱れた髪も気にしなーい!!
「吾妻さーん!」
携帯電話を、勲章みたいに掲げて、待っていてくれた吾妻さんに駆け寄った!!
「………………マジで」
吾妻さんは、心底驚いている。教えてくれた本人に、最大限の戦果を報告することができて、本当に良かった。
「はいっ! ボッコボコにしてやりました! あっでも、鼻血も青タンも残しませんでしたよ! 服も持ち物も、一つも破壊していません! だから完璧です!」
「しょ、証拠隠滅のことは教えて無かったんだけどな……?」
「自分で、自分のやりたいことを、ちゃんと考えました!」
あの子らにもプライドってなものがあるだろう。まさか、「普段いじめているクラスの地味子に泣かされました」なんて、言わない確率が高い。
……ふぅ。ようやく、高ぶった気持ちが落ち着いてきた。
「……あの、ありがとうございました。おかげで、サッパリしました」
これで……また、一人きりの静かな生活に戻れる。
「そうか。ちゃんと役立ったのなら、何よりだよ」
ぐしゃ、と、少し乱暴気味に、私の頭を撫でてくれる。
「ちょっとやりすぎだから、これはお仕置きだ」
わしわしわし、と、頭をもみくちゃにされる。
「わ、わ、わ……!!」
ぱっ、と手を離し……今度は、優しそうに笑った。
「――頑張ったな、高町さん。よく頑張った」
その笑顔は、最近ではめっきり見なくなった父親の笑顔に、どこか……似ていて。
「――――なのは、です」
だから、だろうか。
「え?」
父親に似た男の人に、名前を呼んで欲しい。そんな、馬鹿げた我侭を考えてしまった。
断ってくれるなら、それでもよかった。でも。
「なのは、って、呼んで、下さい……」
声は期待に震え、途切れ途切れになってしまう。いつもの癖で、下を向いてしまう。
呆れているだろうか。馴れ馴れしいと思われているだろうか。鬱陶しく感じているだろうか。ごちゃごちゃとネガティブな予想で頭が埋め尽くされる。
「あのっ、嫌なら、別に高町でも……!」
ぽん、と軽く頭に手を載せられた。顔を上げる。秀人さんは、にっこりと微笑んでいた。
「よくやったな。よく頑張ったな――なのは」
「あ……」
じわっ。視界が、水滴を垂らされたように滲んだ。
なのは。
確かに、そう呼んでくれた。名前で、呼んでくれた。
「うっ……うぅ……!」
唇をかみ締めても、駄目だった。
「え!? 何で泣くの!?」
秀人さんは、あたふたと慌てている。泣き止まないと。涙を止めないと。そんな気持ちとは裏腹に、涙腺が壊れてしまったようにぼたぼたと涙が溢れてくる。
しゃくりあげ、鼻まで垂らして……
「な、泣くな……ほら、よしよし」
それは、泣いている子供を落ち着かせるための行動だったのだろう。意外に大きな手で……優しく、頭を撫でられた。
ああ、暖かい。人の体温は、何でこんなにも温かくて、心が落ち着くんだろう。
「落ち着いたか?」
「………………………………はい」
……恥ずかしい。とてつもなく、恥ずかしい。すっきりしたにはした。だが、今は恥ずかしさが多分を絞めている。穴があったら入りたい!
「いや……まさか泣くとは思わなかった」
秀人さんの上着には、紺色の生地のおかげで目立たないが……明らかに、私の鼻水がついていた。
「はいティッシュ」
「ありがとうございます」
ちーん、と鼻をかみ、屑籠に捨てる。
「……理由、聞かないんですか?」
名前を呼んで、頭を撫でたらいきなり泣き出したのだ。訳が分からないだろう。
だというのに、秀人さんは何も聞いてこない。
「言いたくないだろ?」
「……ええ、できれば」
「なら聞かないよ」
優しい人だ。
「吾妻さん、窓口までお越しください」
その時、職員らしき女性が秀人さんの苗字を呼んだ。
「おっと、」
ひょいっと軽い動作で立ち上がり、同時に、私の頭の上から温かさが消えた。
「あ……」
温もりが消えてしまった。じわじわと喪失感が胸を締め付ける。もっと、撫でて欲しかったな……と、自分があまりにも子供っぽいことを考えていることが猛烈に恥ずかしくなり、首をぶんぶん振った。
外はもう暗く、満月と街灯が灯っている。もう子供一人で帰るには遅すぎるということで、秀人さんが送ってくれていた。どうせ予定も無いし、とのことだが、明らかに迷惑をかけている。申し訳なくて、いつもより俯き加減が気持ち十パーセント増しだ。……私は何を考えているんだろう。
ぶつくさ考えながら歩いていたら、道路の段差に躓いた。
「わっ、きゃっ」
転ぶ! ぎゅっと目を瞑り、咄嗟に顔を庇う。だが、いつまで経っても衝撃も痛みもやってこない。不思議に思い目を開けると、私の胴体に回された腕が目に入った。
秀人さんが、私を支えていた。
「普段、使わない筋肉を使ったんだ。今晩と明日は、筋肉痛を覚悟するといい」
「す、すみません!」
ぺこぺこと頭を下げる。ああ、もう。私は。高町なのはは、もっとしっかりした子じゃなかったの!?
「ほら」
秀人さんが、開いた手を差し出してきた。掌を見るが、何も乗っていない。
「……?」
よく意味が分からなくて、首をかしげる。
秀人さんは、『しょうがないなあ』とでも言いたげに、私の手をそのまま握った。私の手をそのまま握った!
「え、あう……」
じわ~っと温もりが伝わってくる。
「転ぶと危ないから」
「……はい」
うわぁ……多分、私ものすごく顔真っ赤になってる……
少し寒いくらいの気温なのに、私の周りだけ春になったように温かい。憧れていた。実は、父さんか兄さんに手を引いてもらうの、すっごく憧れていた。
ああ、幸せ。
だが、幸せな時間というのは、経過するのが非常に早く感じるもので。
「……ここ、です」
私は、豆電球一つとして灯っていない、真っ暗な家の前に着いてしまった。表札に並べて書かれた家族の名前が空々しい。
ぽかぽかしていた身体が、一気に冷たくなっていく。さび付いたロボットのように、間接がぎしぎし軋む錯覚。
「ここか? でも、誰もいない……あ」
秀人さんは、申し訳無さそうに目を逸らした。
あ~あ、気付かれちゃった。勘のいい人だなぁ。
「そうですよ。ここが、私の家です。私と父さんと母さんと兄さんと姉さんが暮らすはずだった、広~いおうちです。……真っ暗でしょう? ふふっ」
……言うな。もうそれ以上、言うな。
「別に、死んじゃったわけじゃないですよ。みんな生きてます。でも、父さんは数年前から病院で、目を覚ましません。母さんは喫茶店の経営で、毎日朝早くから夜遅くまで働いています。兄さんと姉さんはそのお手伝いです。私が起きる頃にはお店で仕込みをしていて、私が寝てしばらくしてからヘトヘトになって帰ってきます」
口が心と直結してしまったように、べらべらと情報を垂れ流しにする。
「おかげで、翠屋はあの大通りで一番人気のお店になったんです。すごいでしょう?
テレビの取材まで来たんですよ。美人の店主に、その子供達。あはは、話題性抜群ですよね!」
「もういい」
そうだ。もう、話さなくていい。秀人さんが困ってる。
「リポーターのお姉さんが、母さんの作ったサンドイッチとケーキを食べて、『美味しい、美味しい』って、馬鹿みたいに繰り返すんです。わ、私は……それ、それを……それを」
「もういい」
そんな言葉も、耳に入らない。
「だ、だれもいないおうちで、自分で作ったご飯を食べながら……テレビで見ていたんです。母さん、お母さんが、知らない人に……! なのは、お母さんが作った食べ物、なんて、何年も食べてないのに、テレビのお姉さんが、それ、食べてて……!」
「もう、いい」
「なのはだって、お母さんのご飯が食べたいのに、家族みんなで、食べたいのに、でも、そうしたら、お母さん、困っちゃうから、なのはは、『いい子』じゃないと、『手のかからない子』じゃないと、いけないからぁぁ……!!」
「もう、いい」
全身が、温かい。秀人さんが。力いっぱい、私を抱きしめてくれている。
「寂しいなら、そう訴えればいい。我侭を言って、泣けばいい。それは、子供の特権だ。そんなこと、求めて当然なんだ。無理に自分の心を殺してまで、我慢しなくてもいい」
今度こそ、心の堰は崩壊した。
「もう、嫌だ!」
封印していた我侭が、本音が、叫び声になって喉を枯らす。私の心を覆っていた外殻が、破壊された瞬間だった。
「もう、寂しいのは嫌だ! 一人ぼっちは嫌だ!
『行ってきます』って言ったら、『いってらっしゃい』って言ってほしい!
『ただいま』って言ったら、『お帰りなさい』って言ってほしい!
一人でご飯を食べるのは嫌だ! もっとお話がしたい! テストで百点取ったら褒めてよ! 誕生日にお祝いしてよ! もっとなのはに構ってよ!」
人目も憚らず、泣き叫ぶ、何年分も泣いて、泣いて、泣き疲れて……秀人さんはその間、ずっと私を抱きしめてくれていた。
「……ん」
目を覚ましたとき、私は、見知らぬ天井を仰いでいた。
身体を起こし、部屋の全体を眺める。広さは、大体八畳くらい。オートバイが表紙を飾る雑誌や漫画が、その辺に無造作に放ってある。
「ああ、起きた?」
秀人さんだった。私の鼻水が付いてしまった上着を脱ぎ、青いエプロンを着けている。
その手には、暖かな湯気を上げる土鍋があった。
「……ここは?」
まだ少しぼうっとする。あの後、散々泣いてからの記憶が無い。
「俺んち」
「えっ……」
秀人さんの家!?
秀人さんは、雑誌を適当に積み上げ、座卓を空けた。
何で、私が秀人さんの部屋に? だが、そのことを考えるよりも先に。
ぐうううううぅぅ~~。
お腹が、盛大に鳴った。そういえば、今日は朝から何も食べてない。給食も食べていない……というか、脱走したのだから当然だ。
「まずは、飯にしよう」
私は、顔を真っ赤にして、首を縦に振った。
はふはふ。
「美味いか? ……まぁ、ちょっとした勝利祝いだ」
秀人さんが、春菊を小鉢に入れて卵を絡めながら聞いてくる。
「美味しいです!」
お腹ペコペコ。それに加え、誰かと囲む鍋だ。美味しくないわけがない。お肉が、豆腐が、白滝が、つくねが、見る見るうちに減っていく。
「ごちそうさまでした」
いつもだったら、独り言になるその言葉。でも、今日は。
「お粗末様でした」
ちゃんと、返事をしてくれる人がいる。それが、泣きたくなるほど幸せだった。でも、帰らないと。ここは、他人の家なんだ。いつまでもいたら、邪魔になる。
「そうだ、なのは」
「は、はい?」
不意に秀人さんに呼ばれ、無意識のうちに下を向いていた顔を上げた。
「いま、携帯電話、持ってるか?」
持っている。薄いピンク色の、去年出たばかりの機種。朝起きたら、食卓の上にぽつんと箱ごと置いてあったものだ。……その日は、私の誕生日だった。
アドレス帳には、家族全員のアドレスと電話番号が登録されていた。……着信履歴も、発信履歴もゼロ以外の数字を刻んではいないが。もしかしたら、と、淡い希望とともに持ち歩いている。のろのろと取り出したそれを、秀人さんはぱっと素早く取り上げた。かちかち、と微妙に慣れていない動きでボタンを操作し出す。
「ほれ」
突っ返された携帯電話の画面には、『吾妻秀人』の名前と、十一桁の数字。
「これ……」
「俺の番号。ついでにメアドも入れといた」
わたしは、恐る恐る、通話ボタンを押した。
――ピリリリリリリッ!
秀人さんのポケットから、恐らくデフォルト設定のままの電子音が響いた。
「はいはいっと……」
ポケットから取り出したのは、シンプルな形の携帯電話。それを、耳に当てた。
「『もしもし』」
目の前と耳元から、二重に聞こえる声。――繋がった。
「……あはっ」
電話が繋がる。そんな当たり前の事が、何故か嬉しくて、可笑しくて。何度も切って、何度も掛けて。電池が切れるまで。何度も。何度も。
「あははははっ!」
誰かとの繋がりが、嬉しくて仕方なかった。
「それで」
秀人さんが表情を引き締めた。……ついに、この瞬間が来た。いくら秀人さんが優しいとはいっても、居座られては迷惑だろう。鞄に手を伸ばす。
だが、出てきた言葉は、あまりにも予想を外れたものだった。
「布団とベッド、どっちで寝たい?」
…………………………………………へ?
「……いや、今日は帰りたくないだろうと思って」
ぽりぽり、と頬を掻きながら。
「もちろん、嫌だったらいいんだ。また、家まで送るから」
……真っ暗で。冷たくて。寒くて。
そんな家に帰り、また一人ぼっちで寝る?
「……や、です」
昨日までなら、いつも通り、諦めの溜息と共に受け入れていただろう。でも。
「?」
目の前にある、優しい笑顔を、手放したくなかった。
「泊まっていきます」
どもることなく、あっさりとそんな言葉が出た。
「よし、そうと決まれば……」
秀人さんが、『待っていました』とばかりに布団を取り出そうとしていて。
「……なのは?」
不思議そうに、私の顔と……自分の袖を引く私の手を、見た。
「いっしょが、いいです」
言葉の続きを待つように、じっと私の目を見る。
「秀人さん、言ってくれました。『わがままを言うのは、子供の特権だ』って。だから、」
きゅ、と。秀人さんの手を握る。
「だから、わがままを言います」
にっこりと。多分、上手に笑えた。
「秀人さんと、一緒の布団で、寝たいです」
少しだけびっくりしたような秀人さんは、くす、と苦笑し、言った。
「……しょうがないな」
夢を、見た。たわいも無い、日常の夢を。
家には家族がいて。お母さんが朝ごはんを作ってくれて。お父さんは新聞を読みながらそれを待っていて。お兄ちゃんとお姉ちゃんが朝の稽古を終えて、食卓にやってきて。
――みんなで、『いただきます』をする。
そんな、たわいも無く、退屈で、だけど、掛け替えの無い、夢を。
◆ ◆ ◆ ◆
「すー……すー……」
俺……吾妻秀人は、いわゆる腕枕の枕ポジションで、寝入ったなのはの顔を見ていた。
「よし……寝たな。…………………………………………………………ふぅ~~~~~!」
大きく深呼吸をする。いや……それにしても。
「緊張したぁ……」
いつも通り、素の態度だったとはいえ、こんなに長く他人と話をしたのは久しぶりだ。
俺にしがみ付くようにして眠っているなのは。
この少女を、どうにも放っておけなかった。目……だろうか。本人が気付いているのかどうかは知らないが、常に下向きで、誰とも合わせようとしない。それが、かつての自分を見ているようで、つい、構ってしまった。ああ、分かっている。これが代償行為であるということも。この少女に愛情を注ぐことで、自分の過去を――
「……おとうさん」
引き戻される。腕に感じる僅かな重みに。しがみ付いてくる手の感触に。
「……どうした? なのは」
ぼんやりとした寝ぼけ眼。どうやら、寝ぼけて俺を父親と間違えているらしい。
「……呼んでみただけ」
そして、また眠る。
今夜だけでも、この子が安心して眠れますように。
――――――ところでコレ、普通に誘拐罪だよな。
……………………………………俺、ヤバくね。
◆ ◆ ◆ ◆
「ん……」
朝、かな。
「んん~……」
いつもより少しだけ硬い布団の中で、伸びをする。
「……ん?」
はた、と目が覚めた。がばっ、と布団を跳ね上げ、起き上がる。
(お……思い出した!)
昨日、秀人さんの家に泊めてもらって、そのまま、そのまま……
『一緒の布団で、寝たいです』
「うわぁ……やっちゃったよ……!」
カーッ、と、顔面にが熱くなる。体中の血が集まっているみたいに。
(でも、腕枕……気持ちよかったなぁ……)
「……えへ」
頬が、緩む。
「あ、おはよう」
台所から、秀人さんが顔をひょいっと覗かせた。不意打ちだった。
「ひゃい!?」
裏返った声で返事をする。
「ちょうど朝ごはんが出来たところだから」
身体には青いエプロン。右手には甘い香りを漂わせるフライパン。左手にはフライ返し。
……やたらとサマになっている。主夫?
「あっ……言ってくれたら、手伝ったのに」
家主を働かせて、客分である自分が惰眠を貪る。明らかに礼を失している。
「いいからいいから。子供は気にしない」
「むー……」
子供って……まあ、確かに否定する要素は無いんだけど。
ちゃぶ台の上に並べられたのは、オムレツ。マカロニサラダ。白米。味噌汁。
和風洋風ごちゃまぜだ。でも、どれも美味しそう。
いそいそと正座する。よく考えてみれば、ちゃぶ台なんて使うの、初めてだ。
「それじゃ」
秀人さんが、神妙な顔で両手を合わせた。私も真似る。そして。
「「いただきます」」
わ、タイミングぴったりだ! へへ、嬉しいなあ。
「なのは」
「はい?」
もぐもぐ。食べながら喋る。お行儀が悪いとは思うけど、折角お話ができるのに黙っているのは勿体無い。
「どこか行く予定とかある?」
「いえ、特には」
予定なんて、せいぜい図書館にでも行こうかな、という程度のものだ。
「この後、本でも買いに行こうかと思うんだけど、一緒に来るか?」
私は、少し意外に思った。
「秀人さん、本読むんですか?」
部屋を見た感じ、数冊の雑誌と漫画と新聞くらいしか置いていない。
「んー、まぁな。買って読んだらすぐ売っちまうけど」
買って、読んで、すぐ売る?
「いや、本って結構スペース取るんだよ。大して広くない部屋だから」
「あの、それでしたら……図書館で借りればいいんじゃないでしょうか」
どんな分厚い本でも、貸し出し期限の一週間もあれば読める。しかもタダだ。
「…………その発想は無かった」
……えー。
「あら、高町さん。いらっしゃい」
日曜日のお昼。行きつけの図書館に行くと、カウンターで美穂さんが顔を上げて、挨拶をしてきた。白いサマーセーターに、金のネックレス。深窓の令嬢……なんて、何かで読んだ呼称がふっと沸いてきた。
「あら……そちらは?」
秀人さんを見て、首をかしげる。私が誰かと一緒にいるところなんて、全く無かったから。意外に思われているんだろう。どうせ、友達いないもん……
「ああ、えーと、今日はカードを作りに」
秀人さんは、どことなく上ずった声を出す。案外、人に接するのが苦手なのか……それとも、魅力的な女性相手に緊張しているのか。
……ちょっとイラつくかな?
その日の晩。秀人さんはベッドを背もたれにするようにエッセイのページを捲って、私はその隣で借りてきた長編SF小説を読んでいた。かち、かち。時計の針が時間を刻む音と。ぱら、ぱら。ページを捲る音。その二つだけが、部屋の空気を支配する。
そこに、ぱたん。という音が加わった。秀人さんが一冊を読み終え、本を閉じた音だ。
「さて、夕飯の準備でもするか」
「あ、私、手伝います!」
数年間、ダテに家事をこなしていない。『子供』発言を撤回させてやろう。
『誰か、僕の声が聞こえますか!?』
その時だった。
昨日聞いた時よりも切羽詰まった声色で、あの声が聞こえた。
「あ、ああ、聞こえてる!」
秀人さんが、初めてその声に返事をした。
『あの時の人! よ……よかった! お願いです、今すぐ、僕の所……病院に来て下さい!』
ぱっとイメージが直接、頭の中に浮かんだ。四階建ての、立派な建物。フェレットを預けている動物病院だ。
「どういうことなの?」
私は、声の主に聞いた。事情が全くわからないのだ。
『あれ、二人も!?』
あ、驚いてる。
『はい、実は……って、う、わあああぁ!?』
悲鳴。そして、声がしなくなった。秀人さんがすぐさま立ち上がった。
「……ちょっと行ってくる。なのは、ここで待ってろ」
壁際に置いてあったヘルメットを引っ付かみ、玄関へと走る。
その後ろ姿を見ていたら、何故か不安になった。その後ろ姿が、大怪我をした日の父と重なって見えてしまい……
「私も行きます! 連れていって下さい!」
だから、思わずそう頼んでいた。秀人さんは、何秒か思い悩み……もう一つ、ヘルメットを手にした。
耳元で風が轟々と唸る。自動車とは違い、時速百キロ近い風が直に体にたたき付けられているのだ。サイズが大きく、顎紐で無理やり頭に装着したヘルメットが風を孕み、ばたばたと揺れる。
秀人さんのバイクが、住宅街を疾走していた。
「……ふううぅっ!」
振り落とされないように、秀人さんの大きな背中に全力でしがみつく。運動は得意ではない。むしろ、大の苦手だ。腕がぷるぷると痙攣するが、弱音を吐いてはいられない。
直角に近い急カーブが目の前に迫る。だけど、秀人さんは全く速度を落とさない。
「きゃああぁぁ~!」
有り得ないほど倒し込まれた車体が、横滑りするように直角カーブを通過した。
ギャギャギャッ! ……後輪が地面を掴み損ね、滑る音を聞いた。
心臓がばくばく跳ねている。肝が冷える、とはよく言ったものだ。とはいえ、この先は直線一本。今のようなアクロバティックな動きはしないだろう……
「飛ばすぞ! 掴まれ!」
「へ?」
条件反射的に掴まっておいて、本当に良かった。一直線。それは、最もスピードを出し易い道ということで、少なくとも、このバイクのエンジンには、まだまだ余裕があるわけで……!
――ヴァアアオオオオオオン!!
エンジンが、残ったパワーを全て搾り出すような高音を立て……未知の速度へと突き進んでいく!
「ひ、ひいいいいいいいいいいっ!!」
今度は、真正面からの強烈な風圧に上体が仰け反る。それでもバイクは止まらず、ぐんぐんと。ぐんぐんと空気の壁を押し開いていく。バイクどころか、乗用車にも乗った事が無い(いや、本当に)私にも分かる。この速度は、異常だ!
とりあえず……あの『声』の主、会ったら、絶対に一言文句言ってやるぅー!!
ようやく動物病院に到着したときには、全身の力が抜けかけていた。メーターの横に付いていたデジタル時計を見る。出発してから、数分しか経っていない。これまでの短い人生の中で、最も密度の濃い数分だった。
それにしても……
「……おかしいな」
秀人さんがつぶやいた。そう、おかしい。ここに到着するまで、猫一匹すら見かけなかったのだ。夜とはいえ、午後十時。多少の人通りくらい、あって当然だというのに。
数分という所要時間は、通りに一台も車が走っていなかったからたたき出せたタイムだ。でなければ、街中を時速二百キロ近くで飛ばせるはずがない。
夜空は少し紫がかっていて、圧迫感がある。息苦しい。
――がっしゃあああああん!!
唐突に、頭上で大きな音が聞こえた。
見上げ……無数のガラス片が、きらきらと、スローモーションのように降り注いできた。
(……あ)
――動け、ない。
竦んでしまっている。頭からの命令が、手足に伝わらない。スローモーションのように迫っていたはずのガラス片は、いつの間にかもう目の前にあって。
――温かい何かに、抱き締められた。
「あ、が、あああぁぁッッ!!」
秀人さんが、私に覆いかぶさるようにして……降り注ぐガラス片をその身に受けていた。
「ひ」
口が、最初に動いた。
「ひでと、さん……?」
「うっ……ぐ、ぅ」
呻き声を上げる秀人さんが、私の横にどうっと倒れた。背中には、出来損ないのサボテンように、ガラス片が顔を出している。
「ちょっと、ドジっちゃったな……」
血だらけで、はは、と薄く笑う。
「とにかく……急ごう」
「で、でも、せなか、ささってるよ!?」
秀人さんは……言い表しがたい表情で、言った。
「大丈夫、大丈夫……俺は、そういう風に、できてるから」
笑う膝を叱咤し、階段を秀人さんに続いて駆け上がる。
秀人さんは、最初は辛そうに。でも、十段を登ったあたりから徐々に顔色に赤みが戻り。二階分を走破する頃には、背中に刺さっていたガラス片は抜け落ち、出血も、抉れた肉も、すっかり元通りになっている。さすがに、その異常さは自分でも理解できた。
そして四階。あの声の主はどこに……
――ゴゴン!!
廊下の曲がり角。そこから、飛び出してきたのは……昼間のフェレットと、
「グウウオオオオオオオオオオオ!!!」
……形容しづらい、あえて言うなら、巨大な黒い毬藻みたいな化け物が飛び出してきた。
毬藻が、その巨体からは考えられないほど俊敏にゴムボールのように跳ね、モルタルだかコンクリートだかの床に、クレーターを作り出した。
――ボゴォッ!!
衝撃で、フェレットが胸元に飛んできた。間一髪でキャッチすることに成功した。毬藻は、床に半分めり込んで身動きが取れないようだ。
「イマイチ状況が理解できんが……逃げるぞ!」
「はいっ!」
とりあえず、あの毬藻が友好的な存在でないことは確かだった。
秀人さんが殿をつとめ、私はフェレットを胸に抱いて走る。
「ギュルアアアアアアアアアアア!!!」
バゴッ、と、硬いものが砕ける音がした。多分、あの毬藻がその身体を床から無理やり引っこ抜いたんだろう。
「振り向くな! 走れ!」
し、心臓が……破れそう!
「ったく、なんなんだあの毛玉は!?」
「あれは、ジュエルシードの、暴走体です」
…………………………………………………………………………
………………………………………………………………
……………………………………………………
……………………………………ん?
今の、誰の声?
秀人さんもきょろきょろと辺りを見回している。
「……僕です、僕」
その声は、私の胸元から聞こえてきた。ぎ、ぎ、ぎ。胸元に視線を落とす。
「驚かせてしまって済みません。でも、どうしてもあなたたちの力が必要だったんです」
フェレットが、理知的な瞳で私を見ていた。ぴこぴこ、と短い手を振っている。こんな状況でなければ、思わず顔が緩んでしまいそうな愛らしい仕草だった。
「フェレットが……」「しゃべった……」
……うっそお。
「いきなりこんなことを頼むなんて、無茶苦茶だということは分かっています。でも、こうでもしないと、あの暴走体を止める手立てが……」
ブオッ!!
「伏せろォッ!」
怒鳴られ、言われたとおりに床に身体を投げ出す。
「ギュフッ!!」
あ、フェレット潰しちゃった。
倒れた私の頭上を、凄い勢いで毬藻が飛んでいった。
ドゴォン!!
その先にあった障害物を吹き飛ばし、壁に大穴を開け、毬藻は私達を正面から見据えた。そのらんらんと輝く目が、『逃がさない』と明確に語っていた。
「どうすればいいの……」
こんな怪物から、どうやって逃げれば……
「ゲホッ、方法が、一つだけあります」
フェレットが、少し咳き込みながら、首輪のように括り付けていた『ソレ』を私に差し出してきた。引き込まれそうなほど鮮やかな、真っ赤な宝石。
「これは……?」
「それを、手に持ってください」
心臓が、運動とは別の理由で鼓動する。視界がクリアになっていく。
これは。この感覚は。あの時、このフェレットの元へ向かった時に感じた焦燥感。
ゆっくりと、赤い宝石に手を伸ばし……
「ゴアアアアアアアアアアッ!!」
だが、それをいつまでも許すほど毬藻は甘くなかったらしい。無防備になった私に突進してきた。
「し、しまっ……!!」
大きな背中が、私の前に立ちふさがった。
「……空気読みやがれこの毛玉があああッ!!」
秀人さんが、毬藻を、『受け止めて』いた。踵が床に半ばめり込み、沈み……耐えた。
「な、生身で……!?」
フェレットが、驚愕に目を見開いた。
「おい、フェレット!」
その状態で。秀人さんが言う。
「はいっ!」
「こいつをどうにかするには、俺達の力が必要って言ってたな!?」
ぎり、ぎり、と拮抗が徐々に傾いていく。やはり、化け物たる所以か。徐々に秀人さんを押し切っていく。
「はい、そうです。僕の念話をキャッチできる……魔力を持った人になら、」
秀人さんは、毬藻を抱えたまま、後ろに『跳んだ』。
「グウッ!?」
「おおりゃああああ!!」
不意に抵抗が無くなり、体勢を崩す毬藻。その胴体(一頭身)に足を突っ張り……投げた。オリンピックで見たことがある。巴投げという技だった。
バゴオオン!!
また別の壁を突き破り、勢いのままに吹き飛んでいった。
「今のうちに、早く!」
私は、今度こそしっかりと、赤い宝石を手に取る。
「僕の言うことを、繰り返して!」
「え、えーと、はい」
「我、使命を受けし者なり」
「我、使命を受けし者なり」
赤い宝石が、どくん、と胎動した。
「契約のもと、その力を解き放て」
「契約のもと、その力を解き放て」
どくん、どくん。
――胸が、熱い。
「「風は空に、星は天に」」
心に、言葉が浮かんでくる。
「グオアアア!!」
恐ろしい咆哮が、叩きつけられる。でも、怖くない。
「だりゃああああ!!」
あの大きくて優しい背中が、私を護ってくれている。
それだけで。
「「そして」」
それだけで。
「 「 不屈の心はこの胸に! 」 」
勇気が、心に満ちてくる!
「どわあああああっ!?」
秀人さんが、壁に空いた穴から、外に放り出された。
だんっ!
飛び出すことに、何の躊躇も覚えない。
「秀人さん!」
空中で、秀人さんを抱きとめる。
「一緒に!」
秀人さんは、最初は虚を突かれたように。でも。
「……ああっ!」
笑って、答えた。
「「 この手に魔法(チカラ)を! 」」
赤い宝石から、眩い光が溢れる。そう、この子の、名は……!
「「レイジングハート、セットアップ! 」」
『Stand by ready. Set up』
瞬間……世界が、光で満ち溢れた。
私の身体からは、薄いピンク色の光が。秀人さんの身体からは、空色の光が。
紫色の濁った空を、明るく照らし出す。
「ふ、二人とも、なんて魔力量……!」
『マスター認証を行います』
赤い宝石……レイジングハートが、涼やかな女性の声で話し出した。
『まずは名前を』
「えと……高町なのは、です」
『バリアジャケットの生成を行います』
「ど、どうやって?」
『思い描いてください』
思い描く。バリアジャケット……言葉の響きからして、戦闘服みたいなものだろう。だとしたら、制服? 頭の中に、それを思い浮かべる。今はもう着ることが無い、その制服。
『確認しました』
「へ?」
今のでいいの? えらくあっさり決めちゃったけど……
『魔法の杖である、私の姿を決定して下さい』
杖……白柄に、金の台座。その中心に、赤い宝石。
『確認しました』
桜色の光が解け、地上にゆっくりと降下した私は……『変身』していた。
「え、え、ええええええええええええっ!?」
腕を振り、腰をひねって背中を見て……唖然。先ほど、私がイメージした通りの服を纏っていた。
ザシャッ!
地面に着地した秀人さんが目を剥いている。
「……いつ着替えたんだ?」
「さ、さあ……?」
『アカウントを作成します』
まだ続きがあるようだ。
『使用者、名前を』
「……俺か?」
秀人さんが、不思議そうにレイジングハートを見た。
「マスターはなのはだろ?」
『はい。ですが、起動詠唱の一部を共有し、魔力のパーソナルデータの登録も完了しています。サブ使用者として、機能の一部を使用可能です』
あー、あれね、はいはい、と極めて軽い調子で相槌を打つ。
『名前を』
「、吾妻秀人」
『認証します。プログラムの一部が使用可能になりました。使用可能プログラムを提示します』
ぱっ、ぱっ。象形文字のような、英語の筆記体のような文字が表示される。
その視界の隅。黒い何かが、もぞ、と蠢いた。
「グオオオオオオオオオオオ!!」
秀人さん!
杖を、前に突き出す。同時。
『protection !』
レイジングハートから障壁のようなものが展開され、
バチイィッ!!
『ルギャアアアアアアアアッ!?』
毬藻の突進を止めた!
「え……?」
障壁は、ふっと空気に溶けるようにして消えた。
今の、私が?
『グルルルルル……』
警戒のうなり声を上げ、じりじりとゆっくり距離を詰めてくる。近づいてきたら、また今の障壁で防げる。だけど、それではいたちごっこだ。こっちからも、なにか攻撃しないと。
「よっし、分かった!」
後ろでモニターと睨めっこしていた秀人さんが、そんな声を上げた。へ? と振り向く。考えてみればそれは、戦闘中に注意を外すという、自殺行為だった。
『グゴオオオオオオオオオオ!!』
「あっ……!?」
『Impact !』
レイジングハートが、今度は私が予期しないタイミングで単語を口にした。衝撃、と。
――ドパァン!!
毬藻が、その単語の通り、破裂音を上げた。
秀人さんの突き出した拳の先に、一つの『○』と二つの『□』を組み合わせたような、幾何学的な図形が浮かんでいた。色は、空色。
「これが、魔法ってヤツか?」
秀人さんが、ぷらぷらと手首をスナップさせながら聞いた。
『基礎攻撃魔法・インパクト』
「さっきの、バリアみたいなのも?」
『そうです。基礎防御魔法・プロテクション』
「……すごい威力」
毬藻の身体は、大部分が砕けてあちこちに散らばっている。たったの一撃で、分厚いコンクリートをも砕いた、あの毬藻の身体が。
『いいえ、マスター。魔法の威力そのものは、C~Bランクです。ですが、ヒデトによって込められた魔力はAA相当。それが、威力を底上げしたのです』
わざわざ分かりやすく説明してくれた。もしかして、この子……すごくいい子なんじゃないだろうか。
「今です、封印を!」
階段から降りてきたらしいフェレットが、そんなことを言った。
「封印……?」
その言葉が引き金だったのか。
『Sealing Mode set up』
レイジングハートに、光り輝く桜色の翼が発生した。
「え、えっと?」
『発動呪文を』
「そんなの知らないよ」
『構いません。あなたの言葉で』
成り行きを見守っていた秀人さんが、ぽん、と私の肩を叩いた。
「つまり、即興でいいってことらしい」
そういうことなら。
「…………」
って、そうだった。私、こういう創作が、苦手なんだった。何でもいいと言われたが、だからといっていい加減な呪文はレイジングハートに失礼だし……秀人さんお願い!
「発動呪文の設定・アカウント『吾妻秀人』」
『アカウント確認しました。入力して下さい』
「発動呪文は『不屈の心はこの胸に』」
それは、あの起動呪文のワンフレーズ。私も、密かに気に入っていた一文だった。
「これでいけるか?」
『問題ありません』
……よし!
「 『不屈の心はこの胸に』! 」
桜色の光の帯が、毬藻を縛り上げていく。そして毬藻の額に、ローマ数字が浮かび上がる。その数字は、21。
「ジュエルシード、シリアル21! ……封印!」
『グアアアアアアアアアアアアア…………!』
恐ろしい咆哮を上げ、抵抗する。だが、巻きついた光の帯は全く揺るがない。毛糸玉のように、暴走体を包み込み……
『 Complete 』
黒い毬藻は消え……目も覚めるような、青い菱形の宝石が浮かんでいた。その宝石が、レイジングハートに引き寄せられ、すぽん、と呆気無く吸い込まれた。
「えっと……」
これで、終わったの?
「やった! 成功だ!」
フェレットが、全身で喜びを表す。そっか。成功、したんだ。
「「ふぅ~……」」
気が抜けて、その場に座り込む。全く同じタイミングで、秀人さんもそうした。
「「ぷっ……」」
そんな些細なことなのに、ひどく可笑しくて。
「あはははははは!!」
顔を見合わせて、気が済むまで。笑い続けた。
――遠くから、サイレンが聞こえてくるまで。
「げえっ!?」
秀人さんが、慌てて周囲を見る。
穴が空いた壁に、あちこちに散らばるコンクリート。そして、そこにいる私達。どう考えても、怪しい。
「に……逃げるぞ!」
「はいいっ!」
この年で警察のご厄介になるのは……勘弁! 母さん達に、迷惑がかかっちゃう!
秀人さんが私にヘルメットを被せ、自分も被り、フェレットの首根っこを掴まえた。
「ぎゅー!?」
上着のポケットにねじ込まれたフェレットが、変な声を上げたが……逃げることが先決だった。
「なるほどな……」
秀人さんのアパート。私と秀人さんの前で、フェレットがちょこんとこちらの顔を見上げている。
「つまり、『危険物を運んでいたら事故って落としちゃいました』ってことか」
「仰るとおりです……」
項垂れる。多分、責任感とか、使命感とか、そういうのがとても強い子なんだろう。
「回収しようにも、今は力を使い果たしてしまいまして……」
そして、がばっと頭を下げた。人間で言えば、土下座でもしているような感じだろうか。必死さが、伝わってきた。
「お礼は、必ずします! 貯えはありますから、金銭でも、宝石でも……!」
「馬鹿か、お前」
「…………え?」
今の、秀人さん? 横を見る。秀人さんが、とても怖い顔で、フェレットを睨んでいた。
「……はは、確かに、勝手な話でしたね」
フェレットが諦観したように呟く。けど、私も、秀人さんと同じように、怒っていた。
なぜなら……
「俺がムカついてんのは、お前が、金を条件に出したことだ」
そう。真剣にお願いされれば、力を貸すつもりでいた。なのに。
「あのね、ユーノ……くん?」
怒りが、徐々に悲しさに変わっていく。
「あ……なんですか?」
「もう関わっちゃったから、今更投げ出すことなんてしないよ?」
「ごめん、なさい……」
うな垂れるユーノくんに、秀人さんが続けた。
「手伝うのはいい。最初からそのつもりだしな。ただ、条件が一つだけ」
「なん……でしょうか?」
「敬語禁止」
「へ?」
「あんま好きじゃないんだよ。なのはもだぞ」
「うん、わかった」
願ったり叶ったりだ。敬語で話すのは、距離があるみたいで寂しいと思っていたところだ。
「というわけだ。わかったな?」
ユーノくんは、少しだけ呆けた様子で黙り……
「……うん、それじゃあ、改めて。名前はユーノ・スクライア。ユーノって呼んで」
私たちの、仲間になった。
二日連続での外泊は流石にまずいだろう、ということで、私は一度家に戻ることにした。
でも、足取りは軽い。
ポケットに手を入れる。かちゃり、という感触を探り、取り出す。真新しい鍵だ。
『来たいときに来ていいから』
そう。帰り際に持たせてくれた、秀人さんのアパートの合い鍵だ。
「なのは?」
肩に乗っているユーノくんが、人がいないことを見計らって声をかけてきた。レイジングハートの細かい調整をするため、しばらくは一緒に行動したい、と彼から申し出てきたのだ。
「なぁに?」
「頼んでおいて言うのもなんだけど、本当にいいの?」
……ふふ。
「大丈夫。だって、一人じゃないもん。ユーノくんもレイジングハートもいる」
『光栄です』
それに何より……
「秀人さんが一緒だもん♪」
家に着いて、まず最初に覚えたのは、違和感。いつもは真っ暗なのに、玄関に明かりが点いている。もしかして。知らず知らずのうちに、早足になる。
誰かが帰ってきている! おに……ごほん、兄さんかな? 姉さんかな? それとも、母さんかな?
家の敷地に入る。玄関先にいたのは、黒いTシャツにジーパン姿の、兄さんだった。
「兄さん! ただい……」
「こんな遅くまで、どこに行っていた」
――足が、止まった。
久しぶりに見る……大体一週間ぶりの兄さんの顔は、静かな、しかし確かな怒りを浮かべていた。
つかつかと歩いてきて。――ぱしん。……頭を、叩かれた。
『おかえり』と暖かく撫でてくれるのではなく。
冷たく、叩かれた。
「…………はは」
不思議、だなぁ……何も、感じないよ。痛さも、哀しさも、何も……
「どれだけ心配したと思ってるんだ」
――この人は何を言っているんだろう。
「学校からも、連絡があった。ここ最近、勝手をしていたそうじゃないか」
無遠慮に私の二の腕を掴む手。
その手が、得体の知れないものに思えて。秀人さんの温もりが消されていくようで。堪らなく、気持ち悪かった。
「母さんも、美由希も、心配していたぞ」
虚無の心に、一片の火花が散る。
「しんぱい………………心配、だって……!? 心配!?」
そして、それは……溜め込んで溜め込んで、膨大な量になっていた『怒り』に、引火した。
「――――ふざけないでよ!!」
自分でも驚くほど、大きな声が出た。気持ち悪い手を振り払う。
「『心配してた』!? いつもいつも放ったらかしの癖に! こんな時にだけ調子のいい事言わないで!」
さあ、言ってやったぞ。どんな顔をするのだろう。バツの悪そうな顔だろうか。それとも、顔を真っ赤にして怒るのだろうか。涙ながらに謝るのだろうか。
けれど、そのどれでもなかった。兄さんは。
――何で私が怒るのかわからない。そんな顔をしていた。
(…………………………………………もう、いいや)
怒りと、失望と、諦観が渦巻く。ああ、本当に、もういいや。
「……レイジングハート」
『Yes, my master』
察してくれたらしく、レイジングハートが起動する。本当、いい子だなぁ……
――リンカーコア起動。
私が今、一番やりたいことを……
――術式構築。
誰よりも早く判断して……
――魔力循環。
手伝いまで、してくれるんだから……!
呼吸をするように、『魔法』を組み立てていく。
『ちょ、なのは!?』
ユーノくん、悪いけど静かにしてて。
自分の体から、桜色の魔力光が漏れだす。
『高町恭也』が、驚愕に目を見開いている。
クリアな視界の中……玄関から、『高町桃子』と『高町美由紀』が出て来た。
あぁ、都合がいい。こいつらも、纏めてやっちゃおう。
「なの、は……?」
『高町恭也』が、呆然と私を見ている。
「五月蝿い。五月蠅い。五月蠅い!! 私を気安く名前で呼ぶな! 馴れ馴れしい!」
術式『インパクト』に、拡散効果を付加。
「あんた達なんて……」
『Impact ♯2 … [large]』
「あんた達なんて!」
掲げた手に、バレーボール大の光が生まれる。それを――
「――――――大ッッッ嫌い!!」
思いっきり、地面に叩き付けた――!
――――――ズドオォォォン!
地面に目掛けて炸裂させた衝撃波は、爆風に変わり、辺り一面に撒き散らされた。
私と同じ、高町という苗字を持つ三人の『他人』が、無樣に、呆気なく、吹き飛ばされる。忌ま忌ましい家のドアが外れ、ガラスが割れ、瓦の何割かが無くなっていた。
「……う」
三人の誰かが、呻いた。何の感慨も沸かない。達成感も。高揚感も。罪悪感も。
「秀人さん……秀人さん…………」
ただ、無性に、秀人さんの顔が見たくなった。
くるっと振り返り、転がった三人を見下す。そして、告げる。
「さようなら」
決別を。
「お世話には……なってないよね」
レイジングハートが、便利な魔法を教えてくれた。『念話』という、テレパシーみたいなものだ。携帯電話の電池が底をついていた私には、まさにもってこいな魔法だ。
『秀人さん、聞こえてる?』
少し間を置いて、繋がった。
『なのはか? どうした? っていうか、これ(念話)、ユーノが使ってた……』
『会いたい』
単刀直入に、切り出した。
『……今、どこにいる?』
ユーノくんがそうしたように、イメージを念話に載せて送る。
『わかった。ちょっと待ってろ』
ぷつん、と切れる感覚。
「……ありがと、レイジングハート」
『問題ありません』
掌に乗せた赤い宝石が、キラリと輝いた。今度、ちゃんとした飾り紐でも買ってあげよう。
「……なのは」
肩に乗ったまま、ずっと黙っていたユーノくんが口を開いた。言われることは、大体想像がつく。
「今回だけだからね」
――魔法を、あんなことに使うのは。
「……ん。わかった」
電柱を背に、夜空を見上げる。
ヴォオン、と、すっかり馴染んだ音が聞こえてきた。
「待ったか?」
ヘルメットから、くぐもった声が聞こえる。
「ううん」
横に引っ掛けてあったもう一つのヘルメットを被る。
「ん」
秀人さんが手を差し出してくる。それを掴み、バイクによじ登った。
「それじゃ、行くか?」
「うん」
私の居場所は、あんな、冷たくて暗い牢獄なんかじゃない。
お日様のように暖かい秀人さんの傍が、私の居場所なんだ。
私はもう、振り返らない。
――これは、小さな出会いの物語。
――平凡とは言い難い小学三年生の私、高町なのはに訪れた、大きな転機。
――渡されたのは、赤い宝石。
――手にしたのは、魔法の力。そして、優しい居場所。
――出会いは偶然か、必然か。
――けれど確かに言えるのは、出会いをくれた友人と、赤い宝石への、ありがとう。
――繋がる絆。そして、ここから始まる物語。
――それは、魔法と日常が並行する日々のスタート。
――開幕。