魔法少女リリカルなのはties 作:ハルハルharuharu
――――社会が悪い。
――――だからこそ。
◆ ◆ ◆ ◆
予感はあった。
あの日。数多の可能性を感じたその時。なのはの脳裏には、この状況へと至る可能性が、現実のものとして感じられたのだから。
――――なのはは、カレンの遺体を確認していなかった。
凍土のクレバスの向こうへ、消えていった。現実的に考えれば、どこまでいってもヒトでしかないカレンが生きているとは思えなかった。
部隊により、どうにか回収された半死半生のなのはが見たものは……オウル・エクリプス隊長以下、戦闘員の半数が戦死した惨状だったのだ。五体満足で残っていたのは、はやて、ヴィータ、そして当時、戦闘部隊最年少だったヴェイロン。
死を悟ったオウル隊長により、隊長権限及び指揮権は八神はやてへと移譲され、どうにか全滅だけは免れたが…………結末は、部隊の事実上の消滅だ。
「んー…………と。ヴェイロンは、いないんだね」
「あの子は
くすくす、とカレンが笑う。
「男の子の後輩が出来たって、兄貴ヅラしちゃってんのよ、アイツ」
「そう、あのハナタレ小僧がね…………――――
すっ、と、後方を指さす。
「あのヘッタクソな狙撃手も、新入り?」
――――バスッ……!!
消音された発砲音。亜音速の銃弾は、しかし……
――――ヂッッ……!!
軌道を逸れ、街路樹の根元に刺さる。
「……ティアナ以下ね」
ティアナであれば、気が付いただろう。なのは、カレンが座る席の周囲に、極細のワイヤーが蜘蛛の巣のように張られていることに。
「オーケーオーケー。鈍ってはいないようね。……もう分かったから、これ、外してくれない?」
その蜘蛛の糸は、カレンの首に触れる距離にも設置されていた。何らかのアクションを起こした瞬間、斬首となる位置に。
「……」
キン、……と、ジッポライター型の偽装具の中に巻き取られる。瞬間、周囲の戦闘員たちの発する殺気が膨れ上がる。
「
…………いま、何が起きた。戦闘員たちが、動揺する。
なのはが。
標的が。
周囲を囲まれた状況のなかで。
「ん。……まぁ、元気そうで安心したよ。もう、部隊の生き残りも、少なくなっちゃったからね…………」
寂寥感を滲ませる声。戦闘員たちは、理解する。この標的は……乳飲み子を抱えた状態で敵に包囲され、それでも尚、
「皆も座ったら? 席はあるし」
ちょいちょい、とそこいらの空席を指さし、笑って見せる。舐められている。侮られている。自分たちが。いよいよもって、カレンの指示を待たずして標的へ攻撃を仕掛けんとする。
「……聞こえなかった? じゃあ、いいや」
何かを言っている。まずは乳飲み子を狙う。あわよくば、殺、
「――――――全員、その場に、
………………隊員の一人であるクイン・ガーランドは、何が起きているのか、分からなかった。
攻撃を受ける間合いではなかった。制空圏に触れるような真似もしてはいない。離脱も十分に可能だった位置。だと、いうのに。
「あ…………が…………ッッ……!!」
――――なぜ自分は、路面と頬を寄せ合っているのだ?
斬られた。
そうとしか思えない。冷たい刃が、あまりにもリアルに、肩口から脇腹に掛けてを、皮も肉も骨も臓器も、抵抗など無いかのように滑り抜けていった感触があったのだ。恐慌を抑え込み、何度も何度も、箇所を見やる。が、皮膚どころか、服の繊維ひとつとして、断ち切られてはいない。
「マ、リーダ……、!! 何を、している……!!」
そして……狙撃手は何をしているのか。初弾を防がれただけで、行動可能な筈では無いか。しかし。
『畜生……ちくしょうっ……! なんでっ……!』
通信の向こうから伝わってくるのは、自身と同じ状況であるということだった。
「……殺気の陣。制空圏と、気当たりの複合技術」
何でもない事のように振る舞うカレンが、未熟な隊員たちに解説を行う。
「気当たりの、殺気の届く範囲までを制空圏と見立て、擬似的な斬殺を行うことで、範囲内の対象に『死』のイメージを与え、無力化する……なのはお得意の、『絶対に殺さない必殺技』ね」
殺気の届く範囲と聞いた隊員たちが、戦慄する。最も離れた位置に陣取る狙撃手で、およそ200メートル。あくまで、擬似的なものとはいえ…………なのはの攻撃可能範囲は、優にそこまでをカバーしているのか。
「……カレン。これはどういうこと?」
なのはが、やや苛立った様子でカップを置く。
「どいつも、こいつも…………ちょっと斬ってやったくらいで、このザマよ」
げしっ、と、最も手近な位置に転がっていたクインを無造作に足先で蹴る。
――凶鳥部隊戦闘員。それは、独立した個人戦力の集団。究極の精鋭。一騎当千の修羅たち。序列こそあれど……その戦闘力は、ほぼ同等。だというのに。
「いつから、我が凶鳥部隊は、烏合の衆に成り下がった…………?」
静かな怒りが、なのはより冷気のように漏れ出す。
「あの日。戦闘員たちが生命を投げ打ってまで打倒した神域の守護者。満身創痍の私たちを狙った漁夫の利野郎と相打ちになったあなたは、命を繋いだ後、その神域の先で、『何か』を手に入れたんでしょうね。オウル隊長の後継者であるあなたがそれを手に入れたことについて、私は文句を挟まない。それを用いて、何をしようとも、同様に」
けれど、と。冷徹な、戦士としてのなのはが、カレンに宣告する。
「オウル隊長の顔に泥を塗るような真似を、凶鳥部隊の格を下げるような真似をするのなら…………今、この場で、この手で、部隊を終わらせてあげるわ。
――――凶鳥部隊戦闘員・序列三位……
ゆらゆらと散漫だったカレンの気が、それを受け、収束し始める。
「万年三位風情が、吠えてくれるじゃないの……」
「あら、失礼したかしらね……
――斬る。
互いに、腰に手を伸ばし……。
「 「 なーんてね 」 」
互いに、無手の丸腰だった。なのははともかく、カレンまで。
「今日は、挨拶だけよ」
互いの殺気も雲散霧消する。こういったじゃれあいは、二人にとってはよくある日常だ。殺気の余波に中てられ、半人前どもはとっくに意識を手放していたが。
「ちなみにコイツらは、二軍以下の育成枠だよ。一軍はちゃーんと戦力揃えてある」
「……でしょうね。でも、それにしたって……」
「場数を踏ませるって意味じゃ、死ぬ思いをするけど絶対に死なない、なのははホントーに都合のいい相手だから、つい連れてきちゃった」
「…………私は、久しぶりに二人でお茶でもって……本当にそう思ってて……」
「だから、今日はこれでバイバイ。……会えてうれしかった」
「なら、もうちょっと、…………って、いないし」
見事な撤退だ。その辺に転がっていたヨチヨチ歩きのヒヨコたちも回収されていったようで、嘘のように、都市の喧騒が戻ってきている。カップの紅茶も、まだ湯気を立てているほどだ。……ただ、空席のみを残して。
「………………ケーキくらい、食べて行きなさいよ」
……せっかく会えたのに。つれない友人に、なのはは少しいじけたような気分だ。
「ぁー。」
「慈樹にはまだ早いよ。…………なによ、カレンのばか。」
さり気なくケーキに手を伸ばそうとする息子を諌め、仕方なく、二つのケーキをヤケ食いするのだった。
◆ ◆ ◆ ◆
アジトへと戻ったカレン一味。現実を知ったヒヨコたちは、雑魚寝部屋に放り込み……カレンは、周囲に誰もいないことを確認し…………
(――――死ぬかと思ったーーーーー………………!!)
ヘナヘナと、地べたに崩れ落ちた。
(っべーわ……話には聞いてたけど、想定の百倍ヤベーわアレ…………マジっべーわ…………)
序列は所詮、過去のもの。二位と三位、ほぼ同率とはいえ、その間に積んでいた経験が、決定的な差となっていた。
(しかもアレ、更にやべー強化変身を隠してるんでしょ……!? 無理でしょ……無理ゲーでしょ……!? どーすんのよアレ……!?)
こつ。
と、小さな足音を聞き、カレンは居住まいを正す。見事な取り繕いようだった。
「あら……ステラ? どうかした?」
「……。、……!。」
小柄な金髪の少女……ステラ・アーバインが、身振り手振りでカレンに何かを伝え、端末を手渡す。ん、と鷹揚に受け取る。
『姉貴。終わったぜ』
低い若者の声。調査に出していた片割れ、ヴェイロンだ。
「その調子じゃあ、」
『……あぁ、
通信の向こうでは、想像した通りの惨状が広がっているのだろう。
「ん。お疲れ様。あとは任せる。好きにしなさい」
『了解だ姉貴。……おい、トーマ! ナパームで焼き払、』
ぶつりと切れた端末を、ステラに返却……しようとしたところで、再度通信。今度は……
「……。」
ステラが、苦虫を噛み潰したような、嫌そうな顔をする。
『やぁやぁ、カレンくん! 元気そうで何よりだね、うん!? わたしだよ、ハーディスだよ! いやぁ、調査任務ご苦労さま! 前々からあの町の教会は怪しくて怪しくて、地域で定期的に行方不明者が出るわその不明者がミサへの参加を欠かさない信心深い人々だったとか、ああそうそう、あの教団の教義なんだけどね、『信心深い者を神の御許へ送る』んだってさ! 不明者が出る、皆が不安になる、救いを求めて教会へ来る、信心が深まる、贄にされる、そしてまた……の悪循環を意図的に作り出していたんだよ! まったくいただけないねスマートじゃない! あんな寒村で信仰だけが救いだっただろうに! キミのところの秘蔵っこ、全身タトゥーのクールボーイと銀髪のニヒルガイにより悪の教団は撃滅・壊滅・焼却! 調査対象だった教団の邪神像は結局ハズレだったけれども依頼達成ミッションコンプリィイイイイイトだよ! 報酬はたんまりと振り込んでおいたから確認しておいてくれたまえ! さてさて次の依頼なんだけどね、あぁ、連続任務で辛かろうと少しスパンを置くことにしよう! 休暇! バカンスは大事だよ! 次の仕事への活力が生まれるからね! 一週間後、今度は管理世界さ! 映画賞の授賞式典で受賞者へ渡される宝冠がね、そう、怪しいんだよ! どうやらどこか遺跡から発掘された遺物がオークションに流れた結果らしいんだけど、もしかしたら今度は
……カレンは、ずきずきと痛む頭を押さえ、端末の電源を切る。
「……独善王め」
表の顔は産業複合体の顧問アドバイザー、しかしその実態は……というやつだ。カレンのような裏の人間にも、代理人を通さず素顔で、本名で、堂々と依頼を押し付けてくる。きっと、管理局にバレても屁とも思わないだろう。自分のことしか頭にないくせに、依頼内容や報酬が、こちらにも明確なメリットをもたらすというタチの悪さ。人のことなど見ていないが、表も裏も、人というものを知り尽くした男。近代社会においての『王』の器と言っても良いだろう。
だが……目的のためならば。辛酸を舐め尽くそうが……
ぴと。
……ひんやりとした感触。ステラが背伸びをして、カレンの額に触れていた。
「……心配しなくていいよ。やることは、判ってるから」
「……。」
「え? 何で、なのはに会いに行ったのか、って? ……あぁ、それは…………ほら、カートたち悪ガキに、経験積ませるためだよ。そこは嘘じゃないんだってば。……おっと、もうこんな時間。そろそろ食事にしようよ」
話を断ち切り、ステラの手を引く。ステラは……制限された思考の中で、カレンの意図をどことなく察しながらも、素直に手を引かれていく。
「…………」
「食事は大事だよー。栄養だけ取っていればいいっていうのは合理的だけど、心が荒むってヒデくんもなのはも言っていたからね。グレンデルの連中、あの欠食児童どもには腹いっぱい温かい料理を食わせてやらなきゃ」
陽気に、不自然に前だけを見て喋り続けるカレン。ステラは、その姿を見ていると、胸のあたりが苦しくなるのだが……それが何なのかは、制限された思考では、分からなかった。
◆ ◆ ◆ ◆
「ただいまー」
ようやく自宅に帰りつく。
「おう、お帰りー。遅かったな?」
先に戻っていた秀人が出迎えてくれる。なのはは、慈樹をベッドに寝かせ、部屋着に着替えると……
「秀人さん、聞いてよもー!! カレンってば、カレンってば…………!!」
秀人に抱き着き、この日あったことを逐一報告する。いつもの光景だ。
「そっか……生きてたか」
秀人は特に驚くことなく、納得していた。
「……殺しても死ななさそうなオウルとアーデルハイドが死んで、危なっかしかったカレンが生きてるってのも、まさかだけどなぁ……」
「…………うん」
アーデルハイドの血縁者であるマリエルやジェイルは、知っているのだろうか。伝えるべきだろうか。いや、家族の問題だ。外野があれこれ、騒ぎ立てるような事でも無いのかもしれない。と、秀人は考えを巡らせている。
「それで、ね。秀人さん。大事な確認なんだけど…………」
なのはが、もじもじと、言いづらそうにしている。
「確認……? あぁ、気にしなくていいぞ。どうした?」
なのはは、意を決した様子で……
「――――カレンと寝たって、ほんと?」
…………………………………………
「……………………えっ、何だって?」
突発性難聴(詐病)を発症した秀人が、張り付いたような笑顔で聞き返す。
「だぁかぁらぁ………………カレンとセ「あーーーーーーーーーー聞こえない聞こえないーーーー!!」
ぶんっ、となのはを座椅子に向かってスローイングする。
「な、なんちゅうことを聞いてくるんだお前は!?」
「だって、カレンが……すっごい自慢げに……」
ぶすーっと頬を膨らます。
「あぁぁあ……えぇっと、アレは、そう。色々と状況的に画もやまれぬ事情というものがあり……」
「……あの夏休みね? 秀人さんが行方不明になり、私たちが心配で心配で夜も眠れなかった日々。フェイトが不安のあまりオネショまでしたあの日々。秀人さんは女に腕枕をしながら人肌の温もりに包まれてヌクヌクとのうのうと熟睡していたのね? ……はっ! さてはオウル隊長とも寸前まで行ったんでしょう!?」
(女の洞察力こえぇええええええ!!!?)
「いやいやいや、あの頃はその……ほら、結婚とかそういうヤツの前だったじゃん?」
「私はお嫁さんのつもりだったけど」「そうだったの!?」
衝撃の真実。
「うー…………でも、その頃は秀人さん、私にそういうの無かったし……カレンはスラっとして綺麗な身体だったけど……うー…………」
ガジガジと袖口を不機嫌に噛みながら、なのはが唸る。理屈としては判っていても、納得できないのだろう。
「うむ……なのは」
「……なぁに?」
「ラーメン食べに行くか」
「行く」
気分がモヤモヤするときはヤケ食いに限る。
――はいはーい、慈樹くーん! 奈々お姉ちゃんだヨーいでででででっ! ピアス引っ張らないでー! 千切れるぅー! ……あ、気にしないで行っておいであだだだだだバレッタ引っ張っちゃらめぇー! ハゲるぅー!
……呼んでもいないのに現れた奈々に息子を預け、肉体労働者御用達・四桁カロリーラーメン店へと向かうのだった。
「あー、美味しかったね!」
本日二杯目のラーメンを完食した秀人と、男顔負けの量を同じペースで平らげたなのはが、夜道を歩く。すっかりご機嫌である。単純というかなんというか……
「……カレンにも教えてあげよう。新入りもたくさん居たし」
小声でそんなことを話しながら、帰路に就く。秀人も内心で一安心だ。
さて翌日である。秀人の女性問題がとりあえずひと段落、と思った矢先。
「…………リーゼ?」
はやての使い魔、リーゼが突然来訪し、悲壮な顔で縋りついてきた。
「なのは……! あるじが、あるじがぁっ……!!」
少しばかり距離を置いていたとか、顔を合わせづらいとか、そういったものは彼方へ消え去り。
「ちょっと行ってくるね!」
背嚢に食材を満載し、リーゼとともにはやての下へ。
――主の体調が、ここ数か月の間、思わしくないのです。安定期に入れば、とも思いましたが、落ち着いたのも束の間、つわりがぶりかえし、体重が何キロも落ち……病ではないので、根本解決には至らず…………こ、このままでは主がぁ……!!
そしていざ、はやての居城へ。新たに観測された世界に居るのかと思いきや、意外にも、海鳴市のかつての自宅跡地に新たに家を建て、住んでいるのだという。灯台下暗しとはこのことだ。
真新しい玄関に足を踏み入れると、隅っこにある部屋から気配がする。
「んー……リーゼ……? 遅かったじゃない……」
うつらうつらと……恐らくは薬の効果もあるのだろう。朦朧とした様子で、なのはをリーゼと誤認しているようだ。そして、数か月ぶりに会う親友の姿は。
「ちょっ……! はやて、あなたどうしたの!?」
頬はゲッソリとこけ、腰まである自慢のロングヘアは毛艶を失いパサパサ、もともと偏食気味でアバラが浮くほど細かったが、今は全体が痩せこけている。
「あっ、なのはさん!!」
フィアットがつきっきりで介助をしている様子だった。校長業務にはやての介助と、この中では最も多忙なのかもしれない。
「あー……なのはか。……………………えっ、なのは!?」
びくっ、と覚醒するが、身体を起こすには至らない。
「おい……リーゼ……どういうことだ……!」
はやては、使い魔を睨みつける……のを、なのはが諌める。
「いいから寝ていなさい。リーゼがあなたを心配していることくらい、判るでしょう」
逆らう気力も尽きたのか、渋々と体の力を抜く。
「そうですよぉ、部隊長。今日もあまり召し上がらなかったんですから、変に消耗する真似はしないでください」
ベッドテーブルには、子供用かと見まがう小ささの器が数点。しかし、そのどれも半分も減っていない。
「…………」
なのはの視線に、はやては諦めたように溜息を吐く。
「見りゃ分かるだろ……食っても食えんし、無理やり食っても吐いちまうんだ……あまりに食えんことが続いたら、点滴打って栄養摂るようにしてるけど……」
大きくなっている腹にそっと手を触れる。
「不幸中の幸いだ。そっちはもう順調も順調……しっかり育ってるってさ。ったく、私の栄養を片っ端から食っていやがる……」
少し嬉しそうに笑うはやてだったが、なのはとしては見過ごすわけにはいかなかった。
食事内容に問題は無さそうだ。だが、それでも食べられないとなると……
「なのはさんは、つわりの時は……」
「ゴメン、その点では力になれない」
というのも、なのはは、これほどまでに強いつわりを経験していないのだ。変化した体質もあるだろうが、精々が、食事量の減少と倦怠感程度のもの。だが、別の点では力になれる筈だ。とにかく、母体に栄養を蓄えなければならない。
「…………よし」
親友のためとあらば……
「――――出かけるわよ、はやて」
――――鬼となる。
「嫌だぁ……嫌ぁだぁあああ……降ろしてぇええ……!!」
力無く抵抗するはやてを、なのはは車椅子に載せる。どうやら車椅子も新調したらしい。
「あわわわわ……なのは、無理は、無理だけはぁ……!」
慌てふためくリーゼを敢えて無視し、玄関を出る。
「ひぃー……溶けるぅ……!!」
「干からびるよかマシでしょ! 日光浴びろ! フィアット! 車を回しなさい!」
「い、イェッサー!」
……一回りも年下のなのはに子分扱いされていることは、今更だろう。
――ヴヴォヴォヴォヴォヴォヴォッ……
車庫よりクローバーマークを装着したGT-Rが出てきて、なのははズッコケた。どうやらフィアットもそうとうテンパっているらしい。
「何よこの車―!!?」
「わ、私のだ……国際免許を書き換えてるから、運転できるんだ……へへへ、すごいだろう…………でも今日は勘弁……」
そりゃそうだ。改めて、もう一台の無難なアルファードに搭乗する。
「なのはさん、免許、免許! ここミッドじゃないですよ!」
「あっそうだった」
まさか『魔法世界の免許証です(キャピッ)』なんて検問で出したら、それこそ(頭の)病院へ送られてしまう。
後部座席へ……
「こ、こいつ……ロイヤルラウンジとか、いいグレード乗りやがってからに……」
走る応接間である。フィアットの運転も相まって、走っていることを実感することさえ薄くナビで示した道をゆく。
「…………で、どこへ行くんだ? 病院なら、行ってもあまり意味は…………」
「近くの海浜公園よ。今日は風も穏やかでいい気候よー」
まさかの行楽地!
「………………嘘だろオイ」「マジよ」
マジだった。
駐車場に止め、愚図るはやてをヒョイと車椅子に載せる。
「あーもう軽くなっちゃって……はい帽子!」
ズボっと麦わら帽子を被せ、ノシノシと歩いていく。
「こ、この……世話焼きオカン気質め……! 今日び関西でも居ないわよ……!!」
「吾妻家、凶鳥部隊と、台所番ばかりやってればそうもなるわよ」
最初は身を固くしていたはやても、次第に落ち着いて来たのか、車椅子に身を任せている。
「快晴とまではいかないけど、晴れて良かったわね」
夏はまだ先。絶好の行楽日和と言うやつだ。
周囲に目を送ると、休日を楽しむ人々で賑わっている。学生と思しきカップルや、ある程度の年齢の夫婦、しかし、やはり一番多いのは、子供を連れた家族連れだ。
「…………」
望郷の眼差しで、静かにそれを眺める。歩いているうちに、売店を通りがかる。なのはが小声で、フィアットに何かを言いつける。
「……ここじゃ、ないけど」
ぽつぽつと、静かに話し出す。
「小さいころ、パパとママに、こういうところ連れてきてもらってたな……」
過酷な人生を送ってきた少女だが、そういった時期もあったのだろう。
「あんまり食べる子供じゃなかったから、ソフトクリームか、たこ焼きか、いつも迷ってて、メロンソーダも半分くらいはパパに渡してた……でも、」
楽しかったなぁ、と振り返る。
「だから、かもね。こっちに越してきて……買い物行くときは、わざわざ遠回りして、この公園を通ったりしてた」
「初めて会ったのも、この公園だったわね。今よりもっと髪が長かったから、はじめは気付かなかったけど」
「……そうだよ。せっかく静かな早朝だったのに、秀人ったら、なのはを背負って、バタバタバタバタ走っててさ……」
ベンチに腰かけての思い出話に花が咲く。
「…………いいなぁ、って、思った」
「…………」
「……なんの苦労も無く、幸せそうにしやがって……って、思ってたけど……そうじゃ、無かったんだよね」
少し風が吹き、はやては帽子を押さえる。
「誰も誰もが、大なり小なり、何らかの不幸や理不尽に遭っていて……私は、自分だけがこの世で不幸なんだと思っていて、それに気づかなかった」
視線の向こうで、小さな二人の子供のひとりが勢い余って転び、もう一人が助け起こす。そんな光景を、羨ましそうに、しかし、愛おしそうに眺める。
「何よ、随分としおらしいじゃない?」
「……弱ってるからな」
茶化すなのはに、苦笑で答える。
「――――――双子だ。二卵性で、男の子と女の子らしい」
だから難しい、と。
「……」
呆気にとられるなのは。
「だから、まぁ……人の倍、頑張らなきゃいけないからな。弱音なんて吐いてちゃあ、」「それは違うと思うよ」
と、はやての言葉を、なのはが強く遮った。
「誰もが不幸や理不尽に遭う。それは本当。でも、不幸や理不尽は、その人自身のもので、それは大小で測れるようなものじゃないの。小さな不幸に弱音を吐いちゃいけないとか、自分の身体の辛さを訴えちゃいけないとか、そういうのは無いと思うな」
先程の二人の子供を、両親が手を引いて歩いていく。
「誰もかれもが不幸や理不尽に遭うっていうなら……
――――それは社会が悪いのよ」
はやては、呆れたように笑う。
「またそれ?」
「そうだよ?」
顔を見合わせ、わだかまりなど既に無く……ただ笑う。
「社会が悪い。だからこそ、」
「頑張っていい方に変えていかなきゃいけない、ってね」
と、言いつけておいた通り、フィアットが売店から戻ってきた。
――メロンソーダとソフトクリーム、たこ焼き。
「…………言ってたっけ?」
話のタイミング的には偶然なのだが、狙ったとしか思えない。
「はやての趣味嗜好くらい把握してるわよ。ジャンクフード大好き人間」
「……あんまり食えないけど」
「なら私が二人分食べるわよ」
言うや否や、メロンソーダの入ったカップのストローに口を付ける。
「社会をいい方に変えていく第一歩よ。
――――友達の前でくらい、たまには愚痴を言っても良い」
皆が皆、いつ何時も強く在れるわけではないのだ。
はやての肩が、ぴくりと動く。
「愚痴ばかり言う人は嫌いだけど……いいんじゃない?
――――ずっと頑張ってきたんでしょう?」
その言葉を聞いて。はやての肩が、小さく震える。
「…………、うん。だって、食べなきゃって思うと食べられないし……」
「うんうん」
「寝られないし、寝られたと思ったら気持ち悪くて目が覚めるし……」
「うんうん」
「…………うんうん言ってないで何か言えよぉ、もう!!」
わしっ、とヤケクソぎみにソフトクリームのコーンを掴むと……「あ」「あ」二人の従者が呆気にとられるように、あまりにも呆気なく口に運んだ。
「むぐむぐ……っあー美味い! クソッ、あとでゲロに変わるんだとしても美味いなぁもう!」
「ちょっと、あんまりゲロとか言わないでよ!」
「食わなきゃ食わなきゃって思うと余計に食えなくて、リーゼもフィアットも心配するし、気晴らししようにも気晴らしのための気力が湧かないし……!」
たこ焼きは男らしく手づかみだ。
「そもそも、私はそんなに趣味多くないんだよ! ずーっとベッドで寝てるから小説だって刊行ペースより読むペースの方が早くて早々に枯渇するわ、書類仕事でもしようかと思うとフィアットは意外にも事務有能でやること無いし……!」
「押しつけたくせにぃー!!」
フィアットが後方で発狂しているが、気にしない。
「どうせ吐くんだし好きなモン食わせろって言うとリーゼがクドクドお説教するし……!」
「わ、わたしはあるじのことを思って……!!」
「あぁああ、もう! 喧嘩して気まずくなってなのはは遊びに呼べないし、美香たちにはこんな弱った姿見せたくないし、好きでベッドで日がな一日を過ごしているわけじゃないんじゃーーーーーーーーーーーーー!!!!」
ぐいぐいとメロンソーダをイッキ飲みである。
モヤモヤするときはヤケ食いが一番、と秀人は言っていたが、精神性が似ているはやてにも有効だったようだ。
「あーくそっ……おいフィアット! リーゼ! お前らも食え! ……足りん! 片っ端から買って来い!」
パァーンと万札を叩きつける。かくして、ベンチ周りはちょっとした宴会場となり。
「おっ、何だ何だ?」「何かやってんの?」
賑やかさに吊られた人々が集まり。
「寄ってらっしゃい見てらっしゃい! 摩訶不思議なイリュージョン!」
その人々の集客を見込んだ大道芸人が芸をおっぱじめ。
「あっはっは! あれイリュージョンとかい言ってるけど魔力使ってるよ! 魔法じゃん魔法! 本末転倒!」
「げふぅ……ちと食いすぎたか。買いすぎだリーゼの馬鹿め……おう、ガキども! くれてやらぁ! 持って行け!!」
その辺で遊んでいた子供らに振る舞いながらも芸を見物し。
「では新曲を……『ファッキン現代社会』。我が神に奉ります。そして社会はクソ」
「っふ。音楽をもって社会へ反抗する意気や良し。弾いてみなさい」
ストリートミュージシャンに信者が紛れていたり。それが意外といい曲だったり。でも倫理的にアウトな歌詞だったり。
結局……夕方近くまで騒ぎ倒し。
「…………すぅ、すぅ」
「遊び疲れて寝るとか、子供かっつーの」
車椅子上で、呑気に寝息を立てるはやてをなのはが運ぶ。
「産んでから本当の勝負よ。二時間おきの夜泣き耐久レースに怯えるがいいわ」
「………………うぅーん……! コワイ……夜泣きコワイ…………!」
さりげなく悪夢をすり込むのは止めていただこう。
後部座席のフルフラット化可能なリクライニングシートに寝かせると、より深く眠ったようで、起きる気配さえしない。ほんの2キロも無いような、短距離の移動。
(…………リーゼ、毛布)
(はい、なのは)
ゆすり起こすのも、折角の安眠が勿体ないと判断し、今日は自宅に居ながらも車中泊だ。
「主……こんなにも穏やかな寝顔、久しぶりに見ました……」
ぱたん、とドアを閉める。フィアットは運転席で、寝ずの番だと言う。
「なのは……本当に、恩に着ます……」
良く見れば、リーゼも隈が濃い。
「あんまり過保護で抑圧しちゃダメよ。食べたいっていうものがあるなら、なんでも食べさせてあげること。付きっきりじゃなくて、一人になる時間を作ること。でも、本質的には寂しがりだから、放置と接触のバランスをうまい具合にとること。いい?」
「はい……はい……!」
これ以上は、あとは上手くやるだろう。
――――ヒマなときは遊びに来るね
と、はやて宛に一筆を残す。ささやかながら礼に、と、映画試写会のチケットを二枚受け取り、帰路に就く。
「秀人さんと行こうーっと。乳幼児は元からタダだし」
背嚢の中身もカラになり、身軽な帰り道だ。
「………………双子かぁ」
ある意味、なのはも双子の妹分がいるのだが……同い年のきょうだいとは、どのような感覚なのだろう。ヴィヴィオ、慈樹は、若干年齢が離れているし、距離も離れている。離れて暮らしている以上、慈樹は実質、一人っ子だ。
「………………三人目かぁ」
…………秀人のあずかり知らぬ場所で、計画は進んでいく。
◆ ◆ ◆ ◆
さて、秀人の女性問題はこれで片付いたのか。
――――否。
あと一人。
特大の爆弾が近いうちに炸裂することを、まだ誰も知らないのだった。