魔法少女リリカルなのはties   作:ハルハルharuharu

21 / 174
第二十一話

 

――ピピピ、ピッ。

 

 目覚ましの音を、鳴り始めると同時に止める。

「なのは。朝だぞ」

 布団をめくり、コアラのように真正面から俺にしがみ付いているなのはを揺り動かす。この寝相、いずれはちゃんと矯正しないとなぁ……

「…………う~ん」

 もぞもぞと動き……半開きの眼で、目を覚ました。

「もう、あさ……?」

「そ。朝だ」

「…………そっかぁ、それじゃあ、デッキブラシで洗わないとねー……」

 駄目だこりゃ。完全に寝ぼけてる。

「なーのーは! 起―きーろー!」

 頭を掴み、ぐわんぐわんと前後に揺さぶる。

「あうあうあう……! お、起きた! 起きたよー!?」

 よし。

「今日は大事な日なんだろ? 早く起きて仕度しなきゃ、リンディさんに怒られてクロノに皮肉言われるぞ」

「それは嫌ッ!」

 がばっと起き上がる。やっぱ、あの二人の名前は効果的だな。

「朝飯どうする? 俺が替わろうか?」

「ううん、大丈夫」

 そして、寝巻きのまま台所に歩いていった。

 心なしか、うきうきと踊っているようにも見える。 

「おはよう秀人。……よいしょっと」

 出窓に置いてあるバスケットから、ユーノが危なげなく飛び降りる。そして、変身魔法を解除し、人間体に戻った。

 

 朝食を頬張りながら、神妙な顔になる俺達。

 

「いよいよ、今日だな」もりもり

「…………そう、だね」ぽりぽり

「ほんと、早かったね」もぐもぐ

 

 今日は、プレシアの拠点へ総攻撃を仕掛ける日。

 昨日は全員、しっかりと身体を休め……魔力と体力を満タンまで回復させた。

 

 いつ戦闘になっても困らない。士気は高く、負ける気はしない。

「なのは、嬉しいのはわかるけど、しっかり切り替えろよ?」もりもり

 昨日、にこにこととても嬉しそうな顔で帰宅してきたなのはは、『友達が出来た!』と、とても嬉しそうだった。携帯電話のメールで、桃子達にまで報せていたのだから、本当に嬉しかったのだろう。だからといって、今日の行動に支障をきたすようでは困る。

「うん。それは大丈夫」ぽりぽり

 なのはは、しゃきっとした態度で答える。

「秀人、心配しすぎだよ。なのははその辺、ちゃんとしてるって」もぐもぐ

「そうだよな。悪い」もりもり

 

 そう。いよいよ、今日だ。

 

「お、今日の鮭、濃い目の味付けだな」

 塩辛くは無いが、いつもの味付けと違う。

「いっぱい動くだろうから、少し多めに調味料使ってみたんだ」

 なるほど。確かに。

「そう? 十分に美味しいけど」

 ユーノはマイペースに箸を動かす。

 

「「「…………」」」もりもりぽりぽりもぐもぐ。

 

 ……今日、だよな?

 

 

 

 

朝食を終え……俺達は、アースラのブリッジに集合していた。

「皆さん」

 リンディさんは普段の柔らかな態度を封印し、厳格な『艦長』として、俺達の前に立つ。

 出撃を控えた武装隊も、モニターで見ているだろう。

「いよいよ、この時が来ました」

 偶然にしては出来過ぎていた、あの出会い。

俺達がユーノと出会い、ジュエルシードを始めて封印した夜。あの夜から、全ては始まった。

 

なのはとユーノ、レイジングハート。一人っきりだった生活に、三人の家族が加った。

 

 負けられない相手……フェイトとの出会い。

 

幾度も衝突し、何度も負けた。

 

『友達になりたい』という願いを込めた、全力の勝負。その末に、遂に勝利をもぎ取った。

 

 フェイトにもまた、負けられない理由があった。それは、母のため。

 

 そして、今。その全ての因縁に、決着が付こうとしている。

 

「プレシア・テスタロッサの拠点へ、総攻撃を仕掛けます」

 

 ざわ……と、アースラ全体が、にわかにさざめき立つ。

「まず、アースラ所属の武装局員が先行。進入経路を確保し、敵拠点の構造を把握します。その後、少数精鋭の突入部隊が最深部へ乗り込み、プレシア・テスタロッサを確保。以上です」

 本当に、至ってシンプルな作戦だ。それだけに、達成は難しいだろう。

 武装隊が相手にするのは恐らく……あの時以上の数の、傀儡兵。プレシアの本丸を守る、強力な個体が出現するかもしれない。

 さすがに、出てくると分かってさえいれば、以前のように自暴自棄の特攻をするような馬鹿は出ないだろう。

 そして、俺達がプレシアを押さえることができれば、傀儡兵は機能を停止するはずだ。

「突入部隊は、四人」

問題は、その突入部隊だが……メンバーは、既に決まりきっている。

 

「クロノ・ハラオウン」

 まずは、クロノ。執務官としての実力・経験共に、前線指揮官を担うに相応しい。目の前の敵を倒すことしかできない俺に、的確な指示を出してくれることを期待する。

 

「ユーノ・スクライア」

 次に、ユーノ。攻撃こそ苦手だが、転送・捕縛・回復・強化など、現地での貴重なバックアップ要員。後援があると分かっていれば、俺も、他の局員も、安心して力を出し切れる。

 

「高町なのは」

 そして、なのは。言うまでも無く、戦力の要。実戦で磨き上げた力は、恐らくは俺を上回る。その自慢の砲撃は、有象無象を寄せ付けない。露払いからトドメまで、オールラウンドで活躍するだろう。

 

「吾妻秀人」

 最後は、俺。ジュエルシード事件の当事者として、また、ユーノの協力者として、最後まで関わり、見届ける義務がある。

 

「以上の四名を、最深部への突入部隊として編成します。質問があれば、今のうちに」

 たった四人での突入。だが、負ける気は欠片も感じない。

「無いようですね。では…………」

 全員をぐるりと見渡し……

 

「状況、開始!」

 

 

「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「了解!!」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」

 

 

 前線メンバー、ブリッジ、整備班……その全てが声を揃え、声を張り上げた。

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 フェイトは、アースラの廊下を走っていた。懸命に足を動かし、その場所を目指す。

 一応、精神状態は安定したと見なされ、アースラ内部であれば、自由に動き回ることを許可されていた。

とはいえ、片腕には未だ無骨な腕輪が装着されており、バランスを取るのが難しそうではあるのだが。

 

 行き着いた先は、アルフの病室。独房を出られたら、真っ先にここに来ると決めていた。

 ドアを開ける。

「おや、君は……」

 アルフに治療を施していた医務官の男性は、フェイトの姿を見て、軽く驚いたようだった。

「おじさん、アルフの具合は?」

「おじさんって……私はまだ、二十代なのだが……」

 少し凹んだような様子で、咳払いを一つ。

「ああ、正直驚いているよ。スクライア君の治癒魔法という要因はあるのだろうけど……数日どころか、もう動いても問題無いレベルにまで回復している」

 さすがは、生命力の強いオオカミをベースにしているだけのことはある。

「アルフ……アルフってば」

 フェイトが声を掛けると、アルフは目を覚ました。

「……フェイト!?」

 がばっと跳ね起きる。確かに、もう動いても問題は無いようだ。

「お願いアルフ。ブリッジってところまで着いてきて」

 その切羽詰った様子に何かを感じ、アルフはベッドから起き上がる。

「オッサン、行っていいかい?」

 少なからず世話になった相手だからか、一応許可を求めるアルフ。

「だから私は二十代だと…………ああ、構わんよ」

 諦めたように、退院許可を出した。

 

 

 ブリッジへのドアを開ける。

「え……? フェイト!? アルフ!?」

 突入に備え、ブリッジで待機していた秀人たち突入班が、目を剥いて驚いた。

 それを無視し……いや、最初から気付いていなかったのだろう。リンディの目の前までやってくる。

「リンディ、あの……」

 恐らく、これがプレシアと話をするチャンスだと考えているのだろう。言葉を選んで、考えあぐねて……出てきたのは、簡単な一言。

 

「ここにいさせて」

 

 意を決して、リンディにそう頼み込んだ。

 本来なら、却下されて当然のことだ。局員でも、協力者でもないどころか、元・容疑者の一味なのだから。牢に閉じ込められないだけでも、異例の温情措置なのだ。

 だが、リンディは予想に反し、来ることが分かっていたようで……

「特別よ?」

 と、同席を許可した。

「…………フェイト・テスタロッサ」

 クロノが口を開く。やはり、拒否するのだろうか。だが、クロノが口にしたのは、俺の予想とは違っていた。

「ここにいたいというのなら、条件がある」

 リンディは、クロノに任せるようだ。

「……なに?」

 フェイトは、どこか不安げに、その『条件』を尋ねる。 

 それは……

「最後まで、逃げる事無く……見届けるんだ」

 真実と向き合え……そう、言いたいらしかった。きっと、何か真実の一端を掴んでいるのだろう。フェイトを見る目が、少しだけ弱弱しい。

 フェイトは。

「…………うん、頑張る」

 その条件を飲んだ。

 

 

 モニターの中では、今まさに、先行部隊が敵拠点へ足を踏み入れるところだった。

 

 先行部隊の面々は、敵の拠点……その『庭』に該当する位置に転移した。

 目の前には、巨大で、禍々しい気配を漂わせる城砦。あそこが、プレシアの居城。

「行くぞ!」

 既に、プレシアは感づいているだろう。故に、傀儡兵が出現するより一刻でも早く、城砦へ乗り込む必要があった。

 

「……妙だな」

 だが、予想に反し城砦は、異常なまでに手薄……いや、無防備だった。巨大な鉄扉は施錠すらされておらず、手動で簡単に開いた。絨毯敷きの廊下には罠も無く、妨害される事無く通過することが出来、一直線だった。突き当たった先の扉もまた、人一人で簡単に開いてしまった。

 そして、極めつけに。最深部どころか、最も手前の広間。その玉座に……

 

「プレシア・テスタロッサ!」

 

 プレシアが、悠然と腰を下ろしていた。

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

「あいつが……」

 全ての元凶にして、フェイトの母親。プレシア・テスタロッサ。

もっと凶悪な面構えをしてるのかと思ったが……思っていたより、普通だ。

疲れ、やつれたようにこけた頬。紫色の口紅。どこぞのシャーマンがするような、幾何学的な模様を顔に描いている。化粧の毒々しさを除けば、妙齢の美女といった外見だ。

「おかーさん……!」

 フェイトが、モニターに映る映像だと分かっていながら、一歩前に踏み出した。

 映像とはいえ、双方向通信によって、向こうとの会話は可能だ。プレシアと話がしたいという、フェイトの心境も分かる。だが、なのはが、その手を掴んで止める。

「ダメだよ」

 これ以上、フェイトを傷つけさせない。そんな強い意志を感じさせる行動だった。

「でも、」

「フェイト」

「……………………わかった」

 それも、なのはに静かに見つめられ、引き下がる。

 

 もう少し……静観することにしよう。

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

「そこを動くな!」

 局員達は円状に展開。玉座を取り囲むようにして、デバイスを構える。

「プレシア・テスタロッサ。時空法違反・公務執行妨害の容疑で、あなたを逮捕します!」

 対して、プレシアは。

「……………………愚かしいわね」

 ただ、ぼそりと、そう呟いただけ。局員達によってデバイスを突きつけられていることに、全く動揺していない。ただ気だるげに、頬杖を突いている。

 

 だが、局員達が『そこ』に足を踏み入れた途端、態度が豹変した。

「何だ、これは!?」

「…………ッッ!!」

 局員達は『ソレ』を目にし、息を呑み……手を触れようとした、その時。

 

 

「アリシアに触るなアアアアアァァアアアアァァァァァァ!!」

 

 

――ズガアァァン!!

 

 轟く大音声。目を焼く閃光。

「なっ……!?」

 驚き、振り返った局員が見たのは……黒焦げになり倒れ付す仲間達。

油断などしていなかった。いつ動いても、即座に鎮圧できるはずだった。

それは、わずか一瞬で崩れ去る。

 

そして。

「私の娘にいいぃ……! 触るなあァァ!!」

 悪鬼の表情で迫る、プレシアだった。

「ヒッ……!」

 デバイスを構えようとする局員の顔面を鷲掴みにし……異常な腕力で、そのまま宙に掴み上げた。

 

――ギリギリギリ……!

 

 そのまま、冗談のような膂力で頭蓋骨を締め上げる。

「あ……がァッ……!」

 痛みに呻き、プレシアの手を振りほどこうとした拍子にデバイスを取り落としてしまう。

仲間達は、距離が近すぎて攻撃魔法を撃つことができない。タダでさえ、狭い場所で魔法を撃つ危険は高い上、仲間がプレシアと密着しているのだ。巻き添えにしてしまう可能性も、十二分にあった。

 

――バチイイィンッ!!

 

「ぎゃっ……!!」

 掴まれていた局員は、ゼロ距離から電撃を食らわされ一発で失神。

「ああっ!!」

ゴミのように放り投げられたその身体は、近くにいたもう一人を巻き込んで床に転がる。

『Photon Burest』

狼狽する残りの局員へ、攻撃魔法を仕掛けた。

 

――ドゴオォン!!

 

 狭所での爆発は、その威力を数倍に増し……局員達を蹂躙する。

 シールドは砕け、吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた。

「……他愛もない」

 気だるげに、プレシアが言う。

 戦闘開始から、たった数分。それだけの時間で、先行部隊はプレシア一人に敗北した。

 

 

「管理局。見えているかしら……? 聞こえているかしら……?」

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

『管理局。見えているかしら……? 聞こえているかしら……?』

 

 私は、モニターから目を離すことが出来なかった。

 プレシアに呑まれていたわけではない。先行部隊の惨状に慄いているわけではない。

 ただ、その映像のインパクトに、動くことを忘れていただけだ。

「…………フェイト?」

 そう。それは、一見フェイトのようだった。

 顔は、同じ。そっくりとか、瓜二つとかいうレベルを越えて、同じ。

 長く、量の多い金髪。閉じられてはいるが、その両の瞳も、フェイトと同じ赤い色をしているだろう。

 だが、共通点といえばその程度。

 残るのは、怖気を催すほどの異常な光景だ。

 

 モニターに映る少女は、上下を密封された、瓶のような水槽の中で、薄緑色の溶液に漬かっていた。

 

 胎児のように溶液の中に浮かぶ少女の口からは、気泡が漏れていない。つまり、生きていない。

「う……ッ!」

モニター越しとはいえ、人間の死体を直視してしまい……何より、死体を『娘』と呼び、瓶詰めにして保存している、プレシアの異常な行動が恐ろしい。

「あれは……何? アリシアって、誰?」

「プレシアの、実の娘だ」

 私の疑問に答えたのは、クロノだった。

「プレシア・テスタロッサの娘、アリシア・テスタロッサは……三年前に死亡している」

 クロノが、諦めたように白状しだす。

「フェイト・テスタロッサという名前は、プレシアの過去の経歴には、一言も登場していない」

 だが、と言い、一拍置く。

「フェイトという『名前』は無かったが……『名称』は、存在していた」

 名前ではなく、無味乾燥な名称。

「それは、人造生命……クローンの製造」

 え……?

「クローン……?」

 それじゃあ、フェイトは……フェイトと瓜二つの、あの死体は……!

「記憶転写型特殊クローン。プロジェクト・FATE(フェイト)」

 フェイト……?

 

 私の小ざかしい頭脳が、勝手に結論へ辿り着いてしまう。

 フェイト。フェイト・テスタロッサ。目の前にいるプレシアを母親と慕う少女。記憶の中にいるプレシアは、随分と優しい母親で……でも、ある境を機に、ぱったりとプレシアは愛情を見せなくなった。

 その『境』とは、十中八九……

 

『そうよ。フェイト……お前は、プロジェクトFATEの実験台一号……アリシアの模造品よ』

 

 それは、プレシアによって明言された。

 

 フェイトは、アリシアのクローン。私はなかなか、その事実を受け入れられなかった。

 でも、それとは関係なしに、プレシアの口からは悪意が吐き出される。

『私がアリシアを取り戻すまでの間を繋ぐ……ただのお人形』

 一言一言が、フェイトの心を抉っていく。

『やっと、アリシアを取り戻す算段が付いた……』

 恍惚とし、瓶詰めの娘の遺体を撫でるプレシア。

『だから』

 こちらを向き、表情を一変。嫌悪感を隠そうともせず、吐き捨てる。

 

『おまえはもう、いらないわ。

 

どこへなりとも……消えなさい!』

 

 これが……曲がりなりにも、母親の言うことか!?

「フェイト、!」

 母親から悪意を叩きつけられたフェイトは……地べたに、ぺしゃんと座り込んでいた。

「なんとなく……わかってたんだよ」

 ぽつりと、寂しげにフェイトが言った。

「記憶が、ところどころ抜け落ちていたり、逆に、見たことが無いような光景を突然思い出したり」

 この前の、突然のパニック。あれも、そういうことだったの?

「当たり前だよね……だって、ボクの記憶じゃないんだから」

 フェイトの記憶ではない……なら、その記憶の、本来の持ち主は……

「これは、あそこにいるアリシアの記憶なんだから」

 その内心を知ることはできない。けど、想像する事はできる。

 自分の記憶の大部分が、自分のものでは無かった。

『優しい母親』だったプレシアが、愛情を注いでいたのが、自分ではなかった。

 フェイトがどんなに頑張っても、プレシアは『優しい母親』になどなってくれない。

 

それは、アイデンティティの崩壊だ。

 

「わかってたんだよ。でも…………!」

 堪えきれず、フェイトの頬を一筋、涙が伝った。

「昔のおかーさんは、優しかったんだ……! それを、信じたかった……!」

 一度堰を切ってしまった感情は、涙となってあふれ出す。私は……慰めも、同情も、何も出来ず、何も言わず……ただ、フェイト身体を、アルフと一緒に抱きしめる。

私と同じくらいの大きさであるはずの身体は、細く、小さく、今にも折れてしまいそうで……

「うえええええぇぇん……!! えええええぇぇん……!!」

「フェイトッ……!」

 打ちひしがれたフェイトの泣き声が、胸に突き刺さる。

『あっははははは……いいザマねぇ』

 耳障りなプレシアの嘲笑が、私の神経を逆撫でした。

「おまえは……ッ!!」

 どこまで……どこまでフェイトの気持ちを踏みにじれば気が済むんだ!

「てンめええええええええええええ!!」

 アルフが、ぎりぎりと拳を固める。

 それを、さも愉快そうに見つめ……

 

『私はねぇ、フェイト……

アリシアと同じ顔をした、あなたのことが、ずっと、ずっと、ずっと……!!』

 

 

 プレシアが、決定的な一言を吐き出そうとする。

 

 私は咄嗟に、フェイトの耳を塞ごうとする。

 

 クロノがエイミィに、通信を遮断するように指示する。

 

 リンディさんが立ち上がり、何かを言おうとする。

 

 ユーノくんが、感情を露に叫ぼうとする。

 

全ての行動の、直前。

 

 

 

――――アースラが……『揺れた』。

 

 

 

 比喩的な意味ではなく。心理的な意味ではなく。

ただ、物理的に。極めてアナログに。

物体と物体が衝突した際に発生するエネルギーの波を、私達は『揺れ』として感じ取っていた。

 

 その轟音はプレシアの言葉を引っ込めさせ、発生した揺れは、その場にいた全ての者の動きを直前で硬直させる。

 

 衝突した、二つの物体。

 

うち一つ。それは、アースラの内壁。

 合金とも、カーボンとも、プラスチックとも違う、私にとっては未知の物質。ただ、私の常識を覆しうるだけの強度を持っているということは、間違いない。それも、アースラという艦船の最重要区画である、ブリッジを守るために構築された内壁。

 

 その、非常識なまでに頑丈な内壁に……非常識な大穴が開いていた。

 

 数ミリや数センチなど、植物の根が時間を掛けて侵食するなどという、ちんけな穴ではない。まるで、薄いアルミに、釘を金槌で打ち付けたが如き、大穴。

 釘と金槌。二つで一つの、衝突した物体のもう片方。それは……

 

 

――秀人さんの、右腕。

 

誰も口を開かない。身じろぎ一つしない。リンディさんも、クロノも、ユーノくんも、アルフも、フェイトも、私も……画面の向こうのプレシアさえ、口を閉ざしている。

 

「……………………お前は」

 

 ぼそりと、低く、小さく……それでいて、万人の耳に届く声が、耳朶を打つ。

 

 

「…………もう、口を開くな」

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

『口を開くな』。

 

 それは、プレシアに向けて発せられた命令のはずだった。

だというのに、なのは達は、一歩も動けない。

 

 俯いたまま、めごっ……と、肘までめり込んだ腕を、壁から引っこ抜く。

 

 魔法の発動気配は、一切無かった。つまり、正真正銘……単純な腕力だけで、壁を穿ったのだ。当然、引っこ抜いた腕は無傷では済まない。

 

握り固められた拳は、自らの握力か、衝突の所為か、グチャグチャにひしゃげていた。

あるはずの無い関節が急造され、骨が、肉を突き破って露出している。

それは徐々に回復はしているが、痛くないわけではないだろう。痛覚が無くなるわけで

はないのだから。

痛みを脳に伝えるべき神経が千切れたか……もしくは、怒りが痛みを振り切ったか。恐らくは、後者だ。

 

――ボタッ……ボタタッ……

 

 噴水のように噴出した血が、床に鉄錆びくさい水溜りを発生させる音と。

 

――パチ……パチッ……!

 

 何かが弾けるような音。

 

 その二つだけが、だだっ広いブリッジにある、唯一の音だった。 

 

 アースラ内部で、訓練室など限られた場所以外では魔法は使えない。アースラに搭載された装置で、魔力の結合を打ち消されてしまうからだ。

 なのに……秀人の身体を取り巻くように、空色の光が立ち上り、弾けるように帯電している。

 

 魔力は……魔法の力は、多分に感情や、精神力に影響される。

 普段なら、いくら秀人やなのはといえど、ここで魔法を使うことはできない。

 だが、今は……秀人の魔力は感情に呼応し、異常なまでに高まっている。

時折稲妻が爆ぜ、アースラのエネルギーと、秀人の魔力がぶつかり合っていることを示していた。

そして、その色が空色……秀人の魔力光だということは、アースラが、秀人さんの魔力を打ち消しきれていないという、なによりの証だった。

 感情。それは……『怒り』だ。

 

 地底のマグマのように煮え滾り、天上のフレアのように燃え盛る……圧倒的な、いっそ暴力的なまでの、『怒り』。

 

 その怒気に中てられ……なのは達は、呼吸することさえ、忘れていた。

いや、違う。この『怒り』に触れて、矛先が自分に向いてしまうことが怖くて……何も、出来なかった。

『ふ……ふん! お前が何を言おうと……私の邪魔はさせない!』

 最初に動いたのは……動いてしまったのは、プレシアだった。

 

 秀人が顔を上げる。さながら、獲物を捉えた肉食獣のように……『怒り』の全ては、プレシアへと向けられた。

 

「口を開くなと……」

幸いなことに、なのは達はその表情を見ることは無かったが……プレシアは、真正面から見てしまった。

 

――憤怒に染まる……鬼のようなその顔を。

 

「言わなかったか……?」

 

 ずしん、と、重力が増したかのような錯覚を、なのは達は感じた。

威圧感、圧迫感……そういうレベルではない、文字通りの『重圧』が、なのは達を真上から押し潰した。

『ひっ……!!』

 プレシアは明らかに恐怖を覚え、一歩後退する。その時点で、既に勝敗は決していた。

 その恐怖を振り払うように、プレシアがデバイスを凪ぎ……

「敵拠点に、大量の魔力反応……ランク、いずれもAからAAランク……」

 蚊の鳴くような声で、エイミィが報告する。この状況で発声できただけ、エイミィは立派だ。フェイトなど、とうに限界に達し、意識を失っているのだから。

「エイミィ」

 ぞっとするほど静かな声で、秀人が言う。

「先行部隊は全滅した。出撃する」

 凍り付いているリンディに構わず、確定事項のように、そう言った。

「あ……あの、ちょっと待って。さっきのゲート、潰されちゃって……新しく開くのに、ちょっとだけ時間が……!」

「何分だ」

 単刀直入に、そう聞く。

「にじゅっぷん……」

「十分でやれ」

「は、はいッ!!」

 エイミィは、青ざめた顔と涙目でコンソールを叩き始める。

 

 

 そして、しばし沈黙の後……ふと、秀人が表情を変えた。

「…………準備が出来たら呼んでくれ」

 それは、いつもの秀人の声色。

 もちろん、努めてそういう声色を作っているわけだが、なのは達は、それに気付かなかった。僅かながら自制心を取り戻し……端的に言えば、我に返ったのだろう。

だが、なのは達はそんなことを考えるより先に、重圧から開放されたことに安堵し、久方ぶりとなる呼吸を行う。

「はいっ! お任せ下さい!」

 エイミィは慣れない敬語と共に、びしっと敬礼した。

「…………」

 その背中に、なのはが声を掛けた。

「秀人さん……だよね?」

 なのはは、そう言ってから、あまりにも馬鹿な質問をしてしまったと気付いた。

だが、それを責められる者が、誰一人としてここにいただろうか?

 誰よりも秀人を信頼するなのはでさえ、そう感じずにはいられなかったのだ。

 秀人の怒りには、それだけ凄まじいものがあった。

 プレシアの所業に、堪忍袋の尾が切れた――ただそれだけとは、到底考えられない。無理やり言葉に表現するとしたら……そう。

 

 自らの信ずる何かが、穢されたかのようだった。

 

「…………」

 なのはは、恐々と確かめるように……秀人の指先をそっと掴む。

 そうして振り払われないと確認し、ぎゅっと両手で掴む。

 秀人もそれを握り返し……ようやく、なのはに振り返った。

「……ごめんな。怖がらせて」

 ぽん、といつものように頭を撫でられる。

「…………!」

 たまらず、人前であるということも忘れ、秀人の腰のあたりに抱きついた。

 

「ごめんね。つい……」

 なのはが、顔を赤らめて身体を離す。まだ僅かに指先を掴んだままというのは、単に甘えているだけだろう。

「もう手はいいの?」

 ユーノが秀人に聞く。

「このとおり」

 ひょいと持ち上げられた右手は、傷跡一つ無く治癒していた。その手で、床にへたりこんだフェイトを、横抱きに抱え上げる。

「ユーノはアルフを」

「ああ、わかった。……ほら、アルフ」

「すまない……」

 そしてユーノは、腰砕けになったアルフに肩を貸し、立ち上がらせる。

 

 そのままブリッジを後にし……クロノも、その後を追った。

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 秀人たちがブリッジを出て行った途端、空気が一気に弛緩した。

「こ……」

 ぴたりと、作業する手を止めるエイミィ。

「怖かったぁ……!」

 べしゃっ……と、そのまま突っ伏す。

「……………………」

 だが、リンディはそれを責めることはしない。というより、できない。リンディもまた、膝が震えて立ち上がることができないからだ。

管理局員として、提督として、アースラ艦長として……決して少なくない数の修羅場を

潜ってきたはずだった。

だが、あれは……埒外だ。あそこまで純粋で、高濃度な『怒気』は、未だ経験したことも無い。

『殺気』であれば、まだ耐えられた。戦場では、大なり小なり必ず経験するものだ。『殺してやる』という、言ってしまえば分かりやすい感情に過ぎない。

だが、『怒気』は違う。何をするのか、全く想像する余地が無いのだ。それだけに、恐ろしい。

 それに加え、あの魔力。

 確かに、感情に比例して魔力が高まるというのは事実だ。

しかしそれは、数値にして数パーセント、最大でも十パーセントに届くかどうかというレベルに過ぎない。あんな……艦船の阻害効果を上回る程の増幅など、あるはずがない。

 

 オーバーSランク魔導師の魔力量は、平均して200万前後。魔力量で強さの全てが決まるわけではないが、一つの基準にはなる。

 アースラや他の次元航行艦には、魔力の結合を阻害する……AMF(アンチ・マギリング・フィールド)の発生装置が搭載されている。

 まだ新しい技術のためサイズは巨大であり、十メートル四方もあるが、効果は折り紙付きだ。

最大魔力値300万以下の魔導師……すなわち、現時点で確認されている全ての魔導師は、魔法の発動すら困難になる。まして、『無意識に流れ出した魔力が、体表に目視で確認できる』レベルの魔力結合など、誰にも……リンディにもできない。しかも、秀人はそれを無意識の内に行っていたのだ。

 

 つまり、あの時点で秀人の魔力は、300万を軽く超えていたということになる。

 

 以前計測した際の、秀人の魔力量は150万前後。当然、これだけでも非常に高い数値なのだが……その、更に二倍。

 記録が残っているだけでも、それだけの魔力を持った人間は確認されていない。

そう、まさに……

 

「…………非常識だわ」

 

 リンディには、そう漏らすことしかできなかった。

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

「ありがとう」

 フェイトをベッドに寝かせていたら、アルフに礼を言われた。

「何がだ?」

 

「あの時、プレシアの言葉を遮ってくれて」

 

 ……ああ。

「もし、最後まで言われていたら……フェイトは持たなかった」

 あの時プレシアが言おうとしていたのは、きっと……フェイトを決定的に殺す言葉。

ああしなければ、アルフが言うように、フェイトは正気ではいられなかったはずだ。

 とはいっても、さっきキレたのはそういう計算じゃない。本気の本気で、俺はプレシアに対して怒っていた。いや、今も、プレシアへの怒りが渦巻いている。

 なのはが怖がるから今は抑えているが……戦闘になったら、抑えきれるとは思えない。

 まぁ、その辺はクロノが上手く手綱を握っていてくれると信じよう。

「なぁ、頼みがあるんだ」

 頼み……?

「何だよ。言ってみろ」

「アタシも、連れて行ってくれ」

………………

「それは、」

 言葉に詰まる。

 アルフは……回復したとはいっても、それはあくまで、普通に過ごすなら、という前提

での話だ。戦闘なんて、とんでもない話だ。

「いいんじゃない?」

「ユーノ!?」「ユーノくん!?」

 思わず、なのはとハモる。いきなり、何を言い出すんだ。

「行きたいっていうなら、連れて行ったほうがいいよ」

「でも……まだ、ダメージが」

 残っている。そう言おうとした俺の眼前に、目にも止まらない速さで、拳が寸止めされ

た。拳の主……アルフが、不敵に笑う。

「ダメージが……なんだって?」

 ……一応、雑魚の相手くらいはできるか。でも、持久戦は厳しい。

「…………クロノ」

 俺は、クロノに意見を聞いた。

「おい、フェレットもどき。きみには勿論、考えがあるんだろうな」

 クロノはまず、言いだしっぺのユーノに確認を取る。

「簡単だよ。僕がアルフとワンセットで行動する」

 サポートには秀でているが直接的な攻撃力に乏しいユーノと、攻撃力はあるが長く戦えないアルフ。確かに、理にかなっているかもしれない。

「……言っておくが僕も、自分のことで手一杯だ。手助けはできないかもしれないぞ。それでも、やるのか?」

 

「「やる」」

 

 答えは、随分とあっさり出た。

 ユーノとアルフは声を揃え、頷いた。

「…………ああ、わかった」

 微妙ながら、戦力が増えた。

「秀人さん」

 なのはが、こしょこしょと小声で話してくる。

「イザというときは、私がフォローするから……」

「ああ、俺も気をつける。

もしアルフに何かあったら、フェイトに顔向けできないからな……」

 

 

 それと、もう一つ。

「先に行ってくれ。すぐ追いつく」

 俺はきびすを返し、元来た道を逆走する。

「どうした?」

「忘れ物だよ」

 それも、かなり大きな。

「急げよ」

 クロノは、さっさと行ってしまった。察しのいい奴で助かる。

 

 

「フェイト」

 俺は、フェイトの寝るベッドに腰を下ろす。

「……寝ていてもいい。俺の独り言に、付き合ってくれ」

 俺の今からやろうとしていることは、ただの自己満足の不幸自慢だ。

 生傷を他人に晒して、悦に浸る馬鹿な行為に過ぎない。

 でも、それがフェイトに必要なら……俺は、喜んで馬鹿になる。

「俺の身体のことは、もう知ってるだろ?」

 ベッドの脇に置かれた、金属製のポッドを手に取る。

 

――メキッ……ガキキッ……

 

 それを握り潰し……手の平サイズにまで圧縮する。

「この馬鹿力は……欲しくて手に入れたものじゃないんだ」

 そう。こんな力なんて、要らなかった。俺はただ平凡に……両親と共に過ごしたかっただけだったのに。この身体のせいで……俺は何もかも失った。

 

「骨格が筋力に耐えられるようになるまで、ベッドから一歩も動けなかった」

 痛みで暴れないよう、特性のベルトで全身をベッドに拘束され、縛り付けられた。

「一日に何度も骨が折れて、靭帯が千切れて……治療費も、かなり掛かった」

 際限の無い支出に、家計は火の車。父さんは病気を患い、母さんは心を病んだ。

 仲の良かったおしどり夫婦。そのはずなのに、いつも廊下で言い争って……いや、不満をぶつけあっていた。

「母さんが言ってたんだ」

 もう、俺に聞こえることも気にせず、母さんは大声で叫んだ。

 

 

「『あんな子なんか、産まなければよかった』…………って」

 

 

 どんな怪我よりも、あの言葉が痛かった。だから、願った。

「…………毎日毎日、鎮痛剤で薄らボンヤリとした頭で、カミサマなんてもの相手に、必死に願ったよ。

『身体を丈夫にしてください』

『怪我をしても大丈夫なようにしてください』

……って」

 実際、カミサマはいたのだろう。俺の願いは、聞き届けられた。

「身体が筋力に馴染んで、どういうわけか、怪我がすぐに治るようになった」

 俺は喜んだ。これで、母さん達に迷惑がかからない。家に帰れる……そう思った。

「でも、遅かったんだ」

 父さんは、母さんは……もう、俺と一緒にいることさえ、嫌になっていた。

「俺は、遠い場所にある施設に入ることになってた」

 ハッキリと言えば、厄介払いだ。

 

「俺と同じような境遇のヤツが、結構いたよ」

 親に捨てられた。親が蒸発した。親が死んだ。親戚中をたらい回しにされて来た。

 男も女も、野良犬みたいにギラついた目をしていたっけ。

自分より年下を、自分より身長が低い奴を、成績が悪い奴を、自分より駆けっこが遅い奴を…………自分の『格下』を、虐げる対象を、いつもいつも、捜し求めていた。

俺は、私は……コイツよりはマシだ、と慰めるために。

 

「でも、そんな奴らも……俺のことを怖がって、近づこうとすらしなかった」

 腕力というのは、子供社会の中では絶対だ。それが、子供相応のものだったら、腰巾着が擦り寄ってきたりもするのかもしれない。

 だが……グランドピアノを片手で持ち上げ、コンクリートの壁をぶち抜くような力は、明らかに異質で、異常で……異端だった。

 

「大人達には猛獣扱いされて、檻の中に閉じ込められた」

 鋼鉄の扉の奥の、鉄格子の窓しかない薄暗い部屋に閉じ込められ、食事もトイレも睡眠も勉強も、全て一人で済ませていた。

 扉の横にある、食事やらが差し入れられる小窓が、外界との唯一の接点だった。

 

「誰かと会話することも、滅多に無かった」

 娯楽用に差し入れられる、時代遅れの漫画や小説。

 その中に自分を登場させ、架空の友情や愛情で、自分を慰め続けた。

漫画の中のヒーローが、自分をこんな牢獄から連れ出してくれるのだと、妄想に耽っていた。でも、そんなことは有り得るはずも無く……

 

「何年かそこで過ごして…………高校卒業の資格を取ったのと同時に、そこを追い出された。……まぁ、年齢は詐称してたんだけどな」

 就職し自立できるように……正確には、国からの支援金が打ち切られる年齢になると同時に、俺は呆気なく牢獄から解放された。

 結局のところ、俺を助けてくれるヒーローなんて現れず……ただぞんざいに、扱い方の分からない『自由』を投げ渡された。

 

「必死で、生きるために駆けずり回ったよ」

 泥水を啜って生きるのも、野垂れ死ぬのも、自由だった。

何者にも拘束されない代わりに、誰にも支えてもらえなかった。

 今の職場に落ち着くまで、各地を転々とした。日雇いから短期……時には、合法なのかどうかも分からないような仕事、明らかに違法な品物の運搬まで。モラルなんかとうに無くなり、ただその日の食事と、雨風を凌げる場所を見つけるだけで一日が終わっていった。

俺とそう年の変わらない奴らが……何の心配事も無いような能天気な顔で、親に洗濯してもらった綺麗な服で、ただ遊ぶ金を稼ぐための気楽なバイトをして、買ったアクセサリーをジャラジャラさせて俺の横を通るたび……殺したいほど、妬ましくなった。

 

「今の職場に拾ってもらわなかったら、俺は泥棒か、人殺しになっていたかもしれない」

そんな俺を拾ってくれたのが、今の上司……カントクだ。

 日雇いの仕事現場の縁で、素性の怪しい俺を雇ってくれた。

 企業を立ち上げたばかりで、とにかく若くて体力のある奴が必要だったのだと言った。

 実際には、カントクの会社には俺を雇う余裕も、俺の保証人になってアパートの敷金礼金を立て替える必要も、全く無かった。

一応は社長であるはずのカントクさえ、生活費だけが給料のような、ギリギリの生活が一年以上続いていたのだから。

 

「……しばらく後に、探偵を雇ったんだ」

 会社がようやく軌道に乗り始め、『貯蓄』という言葉の意味を、身をもって実感した頃、

それでも生活費を差し引いたら殆ど残らないような給料を……なけなしの生活費を削って、何ヶ月も貯めて、ようやくその資金が溜まった。

「父さんと母さんを探してくれ……って」

 散々な目にあってきた。

やっと救われる。そう思った。

 離れ離れだった両親と再会して、ぎこちなくても、親子の関係を取り戻し、また三人家族で暮らせる。

俺には、誰よりも幸せな未来が待っていると……そう信じていた。

 

「一ヶ月くらいで見つかったけど………………遅すぎた」

 カミサマはいなかった。

いたのは、俺に他人分の不幸を押し売りする、『現実』という名の悪魔だった。

 俺がこんな身体になったのも、交通事故で死ななかったのも……全ては、俺を絶望に突き落とすために仕組んだ、悪魔の脚本だったのかもしれない。

 

 仕事熱心だったのか、おしゃべりだったのか。あの探偵は、現場(・・)の状況まで、詳しく教えてくれたもんだ。

「母さん、は……」

 不意に、目の前が滲むが……それだけだ。もう、流れるものは、何も無い。

「俺……俺を、施設に預けた、その日の晩に……」

 あの時、引き止めていれば……それをしなかったばかりに、母さんは。

 

 

「首を吊って……死んだんだ」

 

 

俺が生まれ育った家で。いつも食事をしていた部屋で。排泄物を垂れ流しながら、白目を剥いて死んでいたそうだ。

 それを見つけたのは、病身の父さんだった。

「父さんも、その後すぐ……」

その父さんは、次の月に病気をこじらせて、一人で死んだ。今の俺が暮らしているような安普請のアパートで、孤独死していたらしい。

 もう、病気を治す気も無かったんだろう。病院の往診記録は、母さんが死んだ日で、ぱったりと途切れていた。

 

「俺の家は、とっくに取り壊されて無くなってた」

 自殺者の出た借家など、買い手も借り手も付くはずが無く……大家によって取り壊され、駐車場になっていた。

 毎朝寝起きしていたベッドも、食事をしたリビングも、窓からの眺めが良くて気に入っていた屋根裏部屋も、何もかも、何一つ、残っていなかった。

 

「だから、俺にはもう……やり直せない」

 やり直すべき両親はもう、この世にいないのだから。

「どんなに泣いて後悔したって、あの日には戻れない」

 

――何度、夢に見ただろう。

 

あの日、道端で遊んでいなければ。

車に撥ねられなければ、今でも俺は普通の人間で、普通の人生を歩んでこられたのかもしれないと。

 

――何度、夢に見て泣いただろう。

 

あの日、母さんを引き止めていれば、母さんは死なずにすんだかもしれない。

父さんと一緒にちゃんと病気を治して、二人だけでも幸せに過ごせたかもしれないと。

 

 でも、もう遅い。

 

俺の家族は終わってしまった。どうしようもない程に、壊れてしまった。もう、直すことも、取り戻すこともできない。

「でも、フェイトは……まだ、やり直せる」

 フェイトの母親は、プレシアは……まだ生きているのだから。

「俺がプレシアの首根っこふん掴まえて、フェイトの前に連れて来てやる」

 どんな事情があろうと。どんな理由があろうと。

「プレシアに土下座させて、今までのことを謝らせる」

 全ては、それからだ。

「もし、それでも無理だったら……どうしてプレシアを許せなかったら」

 フェイトは、プレシアにされたことを覚えているだろう。

 もう、盲目的に従うことをやめたフェイトは、ちゃんと不満を訴えることができる。怒ることができる。そして、その結果、プレシアとの決別を望むなら……

 

「アルフも連れて、俺ん家に来ればいい」

 

 俺が、フェイトの家族になる。

「なのはと、ユーノと、俺と……五人で、楽しく暮らそうぜ」

 きっと、楽しい。寂しさなんて、感じる暇も無いだろう。

フェイトは毎日、なのはやユーノ、アルフと遊んで、喧嘩して、何度も仲直りを繰り返して……今よりもっと、絆を深めていく。

 

「皿を突っつきあって食事して、取り分が多いの少ないの、つまんないことで騒いだりさ」

 

――俺がしたかったこと。家族みんなでの食事。

 

「ああ、学校に通うのもいいな。友達を作って、放課後、おしゃべりしながら道草食って帰るんだ」

 

――俺が出来なかったこと。普通の学校生活。

 

「誕生日には、みんなで盛大にお祝いするんだ。でっかいケーキ買って、年の数だけ蝋燭立てて、その日の主役が一気に吹き消したりして」

 

――俺がしてもらえなかったこと。誕生日のお祝い。

 

したかったことを、できなかったこと、してもらえなかったこと。全部、全部……俺が、叶えてやる。

 

 

「俺が、嫌でもフェイトを幸せにしてやる」

 

 

 時計を見る。丁度、十分が過ぎていた。

「独り言は、これでおしまいだ」

 

――コトン……

 

 ベッドの脇に、それを置く。

 フェイトの魔力光と同じ、黄金色のトライアングル。

 バルディッシュ。クロノからガメておいた。

 一人では心細いに決まってる。常に傍にいて、アルフと共にフェイトを守ってきた、フェイトの相棒なら、きっと。

『フェイトのこと、頼んだぞ。バルディッシュ』

 届くはずの無い念話を、願掛けのつもりで送ってみる。

 

『言われるまでも無く』

 

 …………え?

 

 頭に直接響いた声……念話に驚き、振り返る。

 だが、フェイトは変わらず眠ったままで、バルディッシュも沈黙している。

 聞き間違い……だよな。

マスター登録されていない俺は、AMF下でマスター登録をしていないデバイスと、念話を行うことはできない。

 

…………ま、いいか。

 

「行ってくる」

 

 さぁ、行こう。フェイトの幸せを、取り戻しに。

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 秀人が出て行ってすぐ、フェイトはぱちっと目を開けた。どうということはない。最初から……正確には、廊下を秀人に抱えられて移動していた時には、もう目を覚ましていたのだ。狸寝入りならぬ、狐寝入りというやつだった。

 

「…………秀人も、辛かったんだ」

 ベッドから降り、バルディッシュを手に取る。ろくにメンテナンスもされず、戦闘を続けたせいか、細かな傷や罅割れが痛ましく刻まれていた。

 

――キンッ……

 

 デバイス形態に変形させる。

「あはは……ボロボロ、だね」

 そう。デバイス形態のバルディッシュは、あちこちがひび割れ……すでに、限界近くに達していた。武器としての強度を保っているかどうかも怪しい。

「ボクといっしょだ」

 見てくれだけの、ポンコツ。

「おかーさんは、ボクのことなんて、最初から見てなかったんだ」

 自分がプレシアの娘だというのは、ただのまやかしで。

「おかーさんが大事だったのは、アリシアだけだった」

 自分は、アリシアの模造品だった。

 

 でも。

 

「あいつは……そんなボクでも、友達になってくれるのかな」

 高町なのは。フェイトの宿敵で、ライバルで……『友達になりたい』と言う、変な奴。

 

「あいつは……こんなボクでも、幸せにしてくれるのかな」

 吾妻秀人。『嫌でも幸せにしてやる』と言った、不思議な奴。

 

「あいつらは……『ボク』を見てくれた」

 アリシアの模造品ではなく、一人の『フェイト』という人格として。対等に扱ってくれた。

 

「ボクは……どうすればいいんだろう」

 彼に、彼女に……報いたい。でも、どうすればいいのか分からない。

 

「何から始めたらいいんだろう」

 誰かのために、何をすればいいのか。

 

『Sir.』

 迷える主に、寡黙な戦斧が答えた。

『私は、造物主の願いを託され、それを実現しうる者として作り出されました』

「リニスの……?」

 バルディッシュの製作者。プレシアの使い魔にして、フェイトの育ての親……リニス。

「リニスは、何て……?」

 ある日、忽然と姿を消してしまった。何も言い残す事も無く。

 彼女がバルディッシュに託した願いとは、一体……

 

『――あなたの未来を切り開く剣であれ。

 

――あなたの生涯を支える杖であれ。

 

――あなたの夢を守る盾であれ。

 

……そう、託されました』

 

「…………リニス」

 目を閉じ、メッセージを反芻する。その目蓋から、一筋の涙が流れた。

「そうだよね。今のボクを見たら、がっかりしちゃうよね」

 うじうじと悩んで、二の足を踏むような自分が、リニスに誇れる姿なわけがない。

「…………うん!」

 顔を上げたフェイトは、吹っ切れたような笑顔を見せた。

 

 バリアジャケットを装着。

「ボクは、もう一度強くなる」

 己の覚悟を確かめる。

「リニスに、アルフに……誇れる自分になるために!」

 傷だらけのバルディッシュを手に立ち上がったフェイトの姿は、凛々しく、気高く……

 

「行くよ、バルディッシュ!」

 

 誰よりも、美しかった。

 

 バルディッシュのコアが……黄金色に眩く輝いた。

 光は広がり、バルディッシュを包み込む。そして……

 

――バキィンッ……!!

 

『Recovery complete』

 全ての傷を、完全に修復した。

 

 誰もが、知る由も無いだろう。

 秀人がぶち抜いたブリッジの壁。丁度その場所に、AMF発生装置のコントロールユニットがあったことを。そして、秀人の拳が、寸分違わずそれを砕き、ショートさせていたということを。全ては、偶然に過ぎない。だが、その出来すぎた偶然はまるで、フェイトを促しているかのようだった。

 

 何も阻むものは無く、フェイトは魔法を発動する。

転移魔法。

『いいのですか? 使ったことの無い魔法です』

 そう。フェイトは、転移魔法を使ったことがない。バルディッシュに登録されてはいるものの、いつもアルフにまかせっきりで、練習さえ怠っていた。

 魔法の失敗は、直に命を危険に晒す。

 ここで大人しく待っていれば……そう呟く、弱気な自分がいる。だがフェイトは、自分の弱さを、己の意思でねじ伏せた。

自分はもう、一人ではないと……

 

「ボクを支えてくれるんでしょ?」

『…………Yes.』

 

 頼りになる相棒が、支えてくれると知ったから……

 

「頼りにしてるよ、バルディッシュ!」

『Yes.sir !』

 

 フェイトはもう、迷わない!

 

――ヴォンッ!!

 

 そして立ち上る、黄金色の魔力光。

『術式構築・確認。座標入力・確認。必要魔力充填・確認。

システム、オールクリア』

 驚くほどスムーズに、魔法は発動段階に入る。

 

 フェイトの魔法の才覚が、意志と完全に合致した瞬間だった。

 

『主。その力は、何のために?』

 

――その力を正しく使える日が、きっと来る。

 

 バルディッシュは、秀人の言葉を、再び主に問う。

「当然!」

 フェイトは、あの日の言葉に……今こそ答える。

 

 

「ボクの友達を、助けるために!!」

 

 

 

――フェイトは、飛翔する。

 

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。