平穏無事に生きる。それがオレの夢(仮題)   作:七星 煙

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月日は少し流れ、中学生へ。
澪や一夏、思春期の少年少女達は、自分の心の変化に戸惑いつつもそれを受け入れて行く。

……そんな話になればいいなぁ、という願望、その最初の話です。



二章 少し前まで女子中学生(ガキ)だった
二章 2-1


◆20XX 4月◆

 

「……朝、か」

 

 カーテンの隙間から僅かに差し込む朝日で目を覚ます。

 まだ春先ということもあってか、冬よりはマシになったとはいえまだまだ肌寒い。が、日ごろの習慣故か、一度起きてしまうとしっかりと目が覚めてしまうため、ベッドから何とか這い出る。

 

 目覚まし時計を見れば、時刻はまだ5時半といったところ。通りで寒い訳だ。

 しかしいつまでもこうしている方が寒いし、時間がもったいない。クローゼットを開け、中から黒のジャージとインナーを取り出し、それを着込む。

 

 準備を整えたオレは、まだ寝ている兄妹を起こさないように静かに一階へと降りていく。すると微かに、食欲を誘ういい香りが漂ってくる。

 

「おはよう、お爺ちゃん」

「おう、澪か。相変わらず早いな」

 

 匂いの元であるキッチンへと足を踏み入れると、本日の仕込みを既に始めている祖父――五反田厳の姿があった。

 既に八十近い年齢でありながらもその腕は丸太のように太く、筋骨隆々といったまさに鉄人。片手で中華鍋をふるう剛腕は未だ衰えず、我が家の不動の大黒柱として君臨し続けている。

 

「何だ、今日もか?」

「うん。日課みたいなものだから、やっておかないと落ち着かなくって」

「そうか。まぁ、遅くならないうちに戻ってこいよ?それと――――」

「車には気をつけること、だよね」

 

 分かってるよ、と返事を返し家を出る。

 

 外はやはり肌寒く、吐く息が少しだけ白い。

 屈伸、伸脚といった順に準備体操で体を解していく。ある程度の準備が整ったところで、腕時計のストップウォッチ機能を起動し、走り出す。

 

 女子として生きていく事になってから既に一年半ほどになる。

 そんなオレがこの体になってから悩んだことは、体力と身体機能の面。男のままだった頃と比べ、意識と体にズレを感じるようになってから、こうして毎朝走りこむようにしている。

 

 こうして毎朝早くに走ることで、オレの一日は始まる。

 

 

「それじゃあね、お兄、お姉。行ってきます」

「おう」

「いってらっしゃい。気をつけてね」

 

 通学路の途中でオレと弾は蘭と別れる。そして暫く歩いていると――――

 

「あっ。澪、弾!」

 

 少し先から聞き覚えのある声。そこには親友である鈴と一夏がいた。声の主は鈴だったようで、彼女は大きく手を振っている。

 

「おはよう鈴、一夏」

「おっす!」

「おはよ、二人とも」

「お、おうっ。おはよう」

 

 挨拶を交わし、四人で学校を目指す。

 

「それにしても……やはりスカートは慣れない」

「そんな事言っても仕方ないでしょ?諦めなさい」

 

 確かにその通りではあるが、こればっかりはどうしても抵抗が出てしまう。

 何と言うかこう、ズボンと違って……スースーするのだ。大体、風に吹かれれば簡単に舞い上がってしまう様なこれを平然と身に付けられる彼女達は凄いと言わざるを得ない。

 

「何故スカートじゃない学校はないんだ」

「いやいや。無理言わないでよ」

「ていうか澪の奴、本気でズボン着用可の中学探してたから驚いたぜ」

「「はぁっ!?」」

 

 と、弾に少しばかり恥ずかしい話を暴露されてしまった。

 だが仕方が無いじゃないか。どうしても最後まで諦めが着かなかったんだから。

 

「まぁ、残念ながらどこにもなかったんだけど」

「当たり前よ!」

「しかし女の子は凄い。こんな布切れ一枚をさも当然のように履いているんだから」

「いや。アンタも女の子でしょうが」

「わぉ、忘れてた。じゃあ一夏」

「な、何だ?」

「君のズボンとオレのスカート、交換しよう」

「「出来るかっ!」」

 

 そんな風に笑いながら目指す場所は、ほんの数ヶ月前であれば弾は一緒では無かった場所。

 小学校よりも少しばかり大きな校舎と敷地。活気溢れる中にも、少しだけ大人になっていく子供達の責任感と言うものを感じる、そんな場所。

 

 4月9日。

 桜の花びらが舞い、新たな始まりを向かえるこの季節。オレ達は今日この日から中学生へと進学する。

 

 

 4月9日。

 この日俺達四人は、晴れて中学生へと進学。今日からは弾も一緒の学校に通うこととなった。

 周りには顔見知りばかりがいると言うにも関わらず、俺や弾、鈴は他の生徒達と同様に少しだけ緊張しながら学校の敷地を跨いだ。

 そんな中、何時もと変わらぬ雰囲気を纏っている澪は流石だと言わざるを得ない。それどころか、彼女の落ち着きようを見ていると少し浮き足立っている自分が恥ずかしい。

 というか、そんな微笑ましいものを見るような笑みを向けないでくれ!

 

 そんな感じで校舎へと近づいて行くと、大勢の生徒が集まっていた。恐らくクラスが発表されているのだろう。

 列に並びながら進む事数分、漸く見えてきた。

 

「おっ!俺達全員同じクラスだな」

 

 弾の言葉通り、俺達四人は奇跡的に全員同じクラスだ。

 

「わぉ、まさかオレも一緒とは。双子を纏めて一緒のクラスとは珍しい」

「そういえばそうよね。まぁでもいいじゃない。一緒のクラスの方が楽しいしさ♪」

 

 鈴の言葉には同感だった。双子だから澪か弾のどちらかと別クラスになる事を想像していた俺にとっては、この上なく有難い。そんな幸運に、小さくガッツポーズ。

 

 そして再び四人で教室へ。因みに俺達のクラスは1-Aだ。

 

 教室の中では既に何人かのグループが出来ている。多分、小学校時代の知り合い達なのだろう。まぁそれは俺達にも言えることだけど。

 でも、だからと言って話しかけ難いという事はあまりなかった。というのも、クラスメイトの大半は小学校でも仲の良い奴等だったからだ。まぁ中には知らない奴等もチラホラ見受けられるけど。

 多分、別の小学校の奴等だろう。

 

「さてと俺達の席は……流石に少し離れてるな」

「オレと弾は前後だけど。……鈴が少し遠いね」

「……何よ、その生暖かい目は?」

「泣かないでね?」

「泣くわけ無いでしょ!?」

 

 澪の冗談にくってかかる鈴を宥めていると、男の担任が入ってきた。俺達は慌てて席に着く。

 

「皆さんおはようございます。初めまして、今日から皆さんの担任になります――――……」

 

 それから担任の自己紹介が行われ、同時にこの後の入学式についての説明が始まる。

 少し退屈な話に耳を傾けつつ、チラリと周りを見る。何人かの生徒(恐らく弾も含む)は俺と同じように少し退屈そうにしているが、残りは少しばかり緊張したような面持ちだ。

 

 多分、中学生になるって事で意識や態度が変わっているからなんだろうと思う。そんな事を思いながら視線を左隣にずらすと、其処には真面目な表情で担任の話を聞いている澪の姿が。

 そんな彼女を見て、そう言えばと思う。

 

 何も変わったのは周りだけではなく、澪も少しだが変わり始めている。

 

(そう感じる様になったのは確か……”モンド・グロッソ”から帰ってきた後だったっけ)

 

 自分の弱さを認めたあの日。彼女が目に見えて変わったと思えるのは、多分あの日からだ。

 

 具体的に言うと、冗談が増えたり柔らかく自然に笑うことが増えたのだ。因みにさっきのやりとりも、ホンの少し前の彼女からは考えられない事だ。

 

 でも同時に、何かに悩んでいるような表情を見せる時も増えた気がする。

 元々俺達よりも色々な事を考えている子だとは思っているけど、その悩みはどうやら俺達であっても簡単に打ち明けられるものではないらしい。

 それが何だか時々、無性に悔しくなる。

 

 そんな事を考えていると、俺の視線に気が付いたのか澪と目が合う。彼女は俺だと分かると、”しょうがない”といった風に小さく笑みを零し手を振ってくれた。

 

「っ!」

 

 そんな澪の仕草に、思わずドキリとしてしまい、パッと顔を逸らす。

 澪の何気ない仕草を見る度にこうして胸が高まるようになったのも、思えばあの時からだった。それからはもう、担任の話なんて耳に入らなかった。

 

 

 その後、始業式兼入学式を行うために体育館へと向かう俺達。程なくして入場した俺達だったが、途中澪は俺達から離れ先生と何やら話しているようだった。

 そんな彼女の行動に鈴も疑問をもっていたらしく、首を傾げている。

 

「あぁ、そういや言って無かったっけか。アイツ、新入生代表の挨拶をやるんだと」

 

 そんな俺達の疑問に答えたのは、澪の双子の兄である弾だ。弾の言葉に、俺達は感心する。

 

「前から頭良いのは知ってたけど、まさか代表の挨拶するほどだったとはねぇ」

「だな。てか、それって一年の中で一番成績が良いって事か?」

「良く分からんが……多分そうじゃねぇか?」

 

 アイツの通知表には5しか書いて無かったし、とは弾の言葉。何と言うか、凄すぎてどう凄いのか逆に分からん。

 そんな事を思いつつ指示に従い整列する事に。といっても、我が校はどうやら生徒を長時間立たせるような事は無いらしく、椅子が既に用意されていた。俺個人としては実に有難い。

 

 それから数分後、入学式が始まった。

 校長の挨拶に始まり、来賓やらお偉いさんやらの長ったるいスピーチを、眠気を堪えて何とか聞く。といっても右から入って左に抜けていっているので意味は無いのだが。弾に至っては既に船を漕いでいる。

 何とも神経の図太い奴だ、と思っていると

 

『それでは続きまして、新入生代表の挨拶です。新入生代表、1-A 五反田澪さん』

「――――はい」

 

 場内に凛とした声が響き渡る。声のするほうへ目を向ければ、そこには声と同じく凛とした佇まいの澪の姿が。彼女はキビキビとした動きのまま、まるで集まる視線など感じていないという様に堂々とした足取りで壇上へと上がっていく。

 

 そこからは何と言うか、良く覚えていなかった。ただ、何時にも増して澪は大人びて見え、そして堂々としている様に見えたのだけは覚えている。

 ――――つまりあれだ。俺は彼女のそんな姿に見惚れていたわけ。

 

「――――以上を持ちまして、挨拶とさせて頂きます。新入生代表、1-A 五反田澪」

 

 壇上でお辞儀をした彼女はクルリと回り壇上から降りていくと、少しだけ視線をこちら――――1-Aの方へと向けた。最初は俺から見て左側だから……恐らく鈴だろう。そして一度瞬きをし――――パチリと目が合った。

 俺は何となく恥ずかしくなって小さく手を振る事しか出来なかったが、それでも澪は少しだけ顔を綻ばせてくれた。それが何だか、凄く嬉しい。

 

 が、彼女の視線を受けたと勘違いした愚か者は何人か居たようで、特に俺の両隣に座る男子はどこかボケッと間抜け面を晒していた。そんな奴等に対し、少しの苛立ちと優越感を覚える。

 残念だが、彼女は君達ではなく俺を見てくれたんだよ、と。

 

 それから暫くして、始業式兼入学式は無事終わりを告げた。

 

 

「いやぁ……疲れた」

 

 教室に戻り開口一番、オレはそう呟き机に突っ伏した。そんなオレに苦笑するのは何時もの面々。

 

「お疲れ様。ってか、流石の澪でも緊張するもんなの?」

「やぁ、鈴。それは当然だよ。というか、あんなのは二度と御免だね」

「良く言うぜ。堂々としてたくせによ」

「そういった姿勢を求められていたからだよ、弾。でなきゃ、あんなのはやらない」

 

 普段からあんな姿勢を維持しろ、だなんて言われたら、オレは間違いなくブチ切れる自信がある。

 

「でもさ。あの時の澪、堂々としてて格好良かったぜ」

「有難う一夏。でも、やっぱり二度目は御免だ」

「ははっ。……あ、そういえばさ」

「ん?」

「あの時俺達を見て笑ってなかった?」

 

 あの時とは、恐らく壇上から降りるときの事だろう。

 そう問われて記憶を掘り返してみて――――あぁ、と一人納得。確かにあの時、オレは鈴、弾、一夏の順に視線を送った覚えがある。

 

「そういえばそうだね」

「あ、やっぱり?」

「うん。まぁ知ってる顔を見れば少しは気が楽になるかなって」

「効果はあったわけ?」

「鈴と一夏が小さく手を振ってくれた時は、正直助かった。

 尤も、その次に見た兄の寝ぼけ面を見て爆笑しそうになったんだけどね」

「う、うっせぇな、仕方ねぇだろ!?」

 

 と、弾は少し居心地悪そうに顔を逸らす。そんな兄の態度に鈴と共に笑っていると

 

「どうかした、一夏?」

「えっ!?あぁいや、何でもないって」

「……そう」

 

 オレの顔をジッと見つめていた一夏。声をかければ少し慌てたように取り繕うが……一体どうしたというのだろうか。

 思えば一夏は小学生の終わり頃から時々ボーッとする事が多くなった気がする。しかしその原因が何にあるのか、今一つハッキリとしない。

 

(まぁ、特にオレにとっても彼自身にとっても問題が起こっている訳では無いし……)

 

 ならば然程気にする必要もないだろう。恐らくは思春期故の精神の不安定と言ったところか。などと考察し始めたところで、担任が戻ってきた。

 そのまま係り決めなどを行い、中学生生活最初の一日は大した問題も起こらずに終了した。

 

 

◆放課後◆

 

 放課後。

 恙無く今日と言う一日を追えたオレ達は、揃って下校する。尤も、登校時とは違いその手には学生鞄以外の大きな紙袋が握られているのだが。

 

「しっかし重いわね、コレ。ていうか、中学に進学した初日に教科書を見るなんて最悪だわ」

「同感。つーか、教科の種類多くねぇか?」

 

 と愚痴を零すのは鈴と弾だ。勉強よりも遊びといった二人は、教科書を見るだけでも嫌になるらしい。その上教科書の重さに耐えかねているのか、少しばかり息が荒い。まぁ、気持ちは分からないでもないけど。

 

「それよりも、どうして澪と一夏はこんな重い物持ってて疲れて無いのよ?」

 

 と、鈴は少しばかり恨めしそうな視線を向けてくる。そんな彼女に、オレと一夏は顔を見合わせ苦笑する。

 

「そうは言ってもね」

「俺も澪も、毎日走り込みしてるからな。多分、その差じゃないのか?」

「うぐっ!?そう言われると痛いわね……」

「鈴、もし良かったら少し持とうか?」

 

 流石に辛そうな表情の鈴を見ていると放っておけない。だが鈴は小さく首を横に振る。

 

「大丈夫。流石に澪に手伝ってもらうわけにはいかないもの。寧ろ弾、アンタ少し持ちなさいよ」

「はぁ!?ヤダよめんどくせぇ!」

「何よ、アンタ男でしょ?女の子が困ってるんだから、少しくらい手伝いなさいよ!」

「え?女の子?どこにいるの?」

「ここにいるでしょうが!」

「ハッ。そういうのはせめて澪の半分くらい胸が大きくなってからってうおっ!?ば、バカ!遠心力付けて鞄振り回すんじゃねぇ!危ねぇだろうが!?」

「うっさい黙れバカ弾!いっぺん死ね!」

 

 そういってじゃれあう二人を見て、クスリと笑う。

 今は何だかんだで言い争っているけど、結局最後は弾が折れて鈴を助けるのだろう。ここ最近では良く見るようになった光景だ。

 二人は互いが抱きはじめている感情が何なのか気付いていないようだが、それも時間の問題だろう。

 

(けど今は特に問題も無さそうだし、口を出す必要も無いかな)

 

 ならオレに出来るのは見守る事だけ。もし二人が悩んで助けを求めてきたら、その時は手を貸す。それが最良の選択だろう。

 尤も、変化があったのは彼等二人だけではなく

 

「澪、本当に大丈夫か?なんなら少し位持つぜ?」

 

 一夏も、だろうか。

 彼はほんの僅かではあるが、人に接する態度に変化が現れ始めた。以前の無駄に八方美人な態度から、少しだけ相手の領域に踏み込む、謂わば”歩幅”のようなものを縮めるようになった。

 

(実際に態度として現れ始めたのは――――里中さんの告白を断った後辺りかな……)

 

 あの日以降、一夏は不用意に他人に踏み込まなくなった。

 依然として八方美人で朴念仁ではあるものの、少し前の様に相手に勘違いさせるような言葉を放つ事は減ったし、無理に手伝ったりせず相手の意志を尊重するようになった。そうやって徐々に、相手との距離の取り方を学び始めている。

 ……尤も、そういった態度が逆に人気を呼びはじめている辺り、手の施しようがないのだが。

 

「大丈夫だよ。それに、オレにとっては体力作りの一環として丁度良い」

「なら良いけど……。もし本当に疲れたら言ってくれよ?」

「ふぅ……。まぁ、気持ちだけもらっておくとするよ」

 

 だがそれでも、生来のお人良し気質が出るためか、若干しつこいきらいがあるのも否めない。特に親しい間柄には顕著だ。まぁこの辺りはこれから彼自身が徐々に学んでいくことだし、オレがとやかく言える事では無い。

 何時までも今どうにも出来ない事に思考を割いていても仕方が無いので、話題を切り替える。

 

「ところで一夏。君は部活は入るの?」

「ん?あぁ、一応剣道部に入ろうかなって考えてる」

 

 一夏の言葉に少しだけ感心する。と同時に、また未来が変わった事を否応無しに意識する。

 

 原作における”一夏”は、自身が無様に攫われたことに悔しいという感情を持っていながら、結局己を鍛える事はしなかった。

 それは、家庭事情と言う環境を鑑みれば仕方の無い事かもしれないが、オレからすればそれは結局の所甘えでしか無い。本気で強くなりたいという意志があったのであれば、両立させるか或いは恥じを忍んででも姉に頭を下げるなど、出来た筈だ。

 

 しかし原作の”一夏”はそれをせず、今オレの目の前にいる一夏はそれを選んだ。

 

(その未来を掴む切欠を作ってしまったのは、恐らくオレのせいだろう)

 

 もしあの時オレが彼に発破をかけていなかったら、原作と同じ道を辿っていたのかもしれない。

 だが今更何を言った所でしょうがない。全ては”かもしれない”、”IF”の出来事であって、今では無い。なら、過去を悔む必要はどこにもない。

 

 そう思わなければ、オレ自身が押しつぶされてしまう。

 

(結局の所、オレの自分本位な考えによるものか)

 

 そう考えると、自分が何だか汚いものに思えてくる。そんな時だ。

 

「なぁ、澪」

「ん?」

「俺さ……感謝してるんだ。あの時澪が、俺を挑発してくれた事」

 

 隣を歩く少年は、微笑みを浮かべながらオレに礼を述べる。

 

「もしあの時、澪の言葉がなかったら、きっと俺は今も燻ったままだった。

 走り込みとか筋トレとかそういった努力をしないで、ただ”強くなる”、”守ってみせる”って想いだけで……」

「……それは君が自分の意志で選んだものだ。オレは関係無いよ」

「そうかもしれない。でも、それでも今俺がこうして何かに打ち込もう、強くなろうって思えるのはきっと、澪のお陰なんだ。少なくとも俺はそう思う」

 

 だから有難う。そう、一夏は言った。そんな彼の言葉を聞き、オレは再び思う。

 

「……君はそうやって、オレの欲しい言葉をくれるんだな」

「ん?何か言ったか?」

「いいや、何も。なら一応、そういう事にしておく。そう言ったんだよ」

「そっか」

 

 ――――変わっているのは彼等だけでなく、オレ自身も含まれているのだと。

 

 少し前までのオレであれば、今の彼の言葉でさえ皮肉と共に切り捨てただろう。だがそうしなかったのは、恐らくオレ自身がその言葉を求めていた事。

 そして、そんな”弱さ”を受け入れつつあるからだろう。

 

 日々変わり行く心模様に、戸惑いはある。

 けれどそれも含めて今の自分だと考えれば、存外それも悪くは無い事だと気が付ける程度には、心の余裕が持てるようになった。

 

 それに、これから先はこんな些細な出来事で動揺している余裕は無くなったのだ。

 

 篠ノ之束。

 彼女が告げた別れ際の言葉は、いつか必ず形となって現れる事となる。

 その時の変化と恐怖に比べたら、ほんの少し前に思っていた”自分が物語の登場人物として都合良い様な存在に書き換えられている”なんて事も、些細な事の様に笑い飛ばさなければならない。

 

 ならば精々、今を楽しむとしよう。

 

「一夏」

「ん?」

「もし剣道を続けながらもどこか申し訳無さを感じるようだったら、オレに言ってくれ。お爺ちゃんや母さんに事情を話せば、長期休暇や土日の午後位はバイトとして扱ってくれるかもしれないから」

「マジか!?助かるよ!」

 

 オレの言葉に、一夏はパァッと顔を明るくする。そんな彼に思わず苦笑が零れる。

 

「まぁその代わりと言うわけではないが……勉強も疎かにしないように。千冬さんからも頼まれているしね」

「うへぇ……」

「まぁあれだ。いざと言うときはスパルタ教育を施すだけだから」

「ひぃっ!?」

 

◇ 

 

 20XX年 4月9日。

 新たな人生の門出であるこの日は、僅かだが自分の変化を受け入れられるようになった日でもあった。

 

 

 




ここまで読んでいただき有難う御座います。

さて。もしかしたら読者様の中には、”澪が随分と丸くなったんじゃないか?”と思う方も居られるかと。
と言う事でその疑問に対する回答です。

・束の残した一言があまりにも衝撃だった為、細事に一々気を張り続けるのに疲れた
・ならばいっそ、楽しめるところは楽しみ、考えるべき所は考える

要はどうにも出来ない問題に頭を使いすぎて、他の細事に一々気を張ってたんじゃ疲れちゃう。
だったら割りとどうでも言い事は寧ろ楽しんだほうが、精神衛生上いいんじゃない?という無意識下での結論が、彼女の反応を少しだけ柔らかくしています。

ですがこんなのは序の口。
次回以降から澪はもっと女の子として目覚めて行きます。ただし自覚無し。多少は変わってもそこまで大きな変化はないだろう、と思っています。

・一夏について

一夏君、未だ自分の心にすら気付いていませんが、暫くこんな感じでウジウジモジモジしてもらいます。
個人的な考察なのですが、
一夏の鈍感=彼自身が恋を知らないから
だと思っております。
ですので、そんな簡単に自分の想いに気付いたら原作の彼はいないだろうと思い、先にも書いたように暫くは悩んでもらいたいと思います。

感想・指摘等お待ちしております。

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