平穏無事に生きる。それがオレの夢(仮題)   作:七星 煙

15 / 17
前書き

保有する”知識”とは異なる道を歩み始めたが故に、これまでの関係に疑問を持ち始める。そしてとある事を切欠に、再び心は揺らいでいく……。
そんな感じを表現できればなぁ、という話。




二章 2-6

◆20XX 5月◆

 

 正月の一件から暫くの間、これといって特筆するべき問題やイベントは特に起こらなかった。そんな日々を繰り返していくうちに、オレ達は二年生へと進級した。

 

 二年生に進級したオレ達だったが、かなり奇跡的な確率でまたしても仲の良かった全員が同じクラスとなった。最早誰かが仕組んでいるのではないか、などと邪推したくもなるが……まぁ特に問題がある訳でもないし気にするほどの事でも無いだろう。それはオレ達の日常に殆ど変化など無い事を意味している。

 ……いや、変化なら確かにあった。

 

 第一に大きな変化があったとすれば、やはり勉強面での事だろうか。

 二年生へと進級すると同時に、女子生徒にはある必修科目が誕生した。言うまでもなくISに関する授業だ。これは国の意向によるもので、全国どこでも中学二年生から授業を始めている。

 ”将来の選択肢を広げるため”などと言っているが、実際は少しでも多くの生徒の中からより優秀なIS適正資格を持つ生徒をIS学園へと進学させるための措置だろう。ISが国防の要となっている以上、エリート学校やお嬢様学校だけを対象に授業を受けさせては意味がないのだから、まぁ一応理解は出来る。尤も、このカリキュラムの内容など、所詮申し訳程度の予備知識を得るだけだし、更に言ってしまうと弊害というものも生まれつつあるのだが、それはまた別の話だ。

 

 次に、オレ達の関係――つまりは交友関係の変化だ。

 結果から言ってしまうと、正月の鈴の告白は成功したと言える。ただ、予定外の事があったといえば、それは鈴が告白しようとする前に弾が告白した事だろうか。文字通り草葉の影から事の成り行きを見守っていたオレ達はかなり驚いたものだ。

 まぁ結果として互いが両想いであり良い結果となったのだから素直に喜ぶべき事だ。尤も、告白しようと勇んでいた鈴は嬉し泣きしつつ困惑するといった風に、感情を持て余していたようだが。

 

 そしてこの出来事が、オレに一つの決意を促すこととなる。

 

 

「一夏、オレは明日から君の弁当を作るのは止める事にした。悪いがこれからは自分でどうにかしてくれ」

「……は?」

 

 何時もの面々で昼飯を食っていると、突然何の前触れもなく澪は俺にそう言った。

 彼女の言葉の意味は分かる。だが何故そんな話題を出すのか、それが俺には理解出来なかった。驚いているのは俺だけではなく、正月以降からイチャ付き始めた弾と鈴、そして数馬達も同じ様だ。どうやら彼等も理由を聞いていないらしい。

 

「……これまた随分と突然だね」

「ど、どうしたの澪ちゃん?」

「一夏、お前何かしたんじゃねぇの?」

 

 シホ、メグに続き数馬が発した言葉に、しかし俺には思い当たる様な事がなかった。確かに常日頃から色々と迷惑かけているかもしれない。今まで何度も呆れられるような事もあった。けれど……ここまで露骨な態度をされるような事は無かった。これは小学生の時と同じ――いや、下手をすればそれよりもマズイ状況かもしれない。必死になって原因を探り頭を回転させる俺に、答えを出したのは澪だった。

 

「いや、別に一夏がオレに何かをしたから、という訳では無いよ」

「じゃ、じゃあ何で……?」

 

 密かに彼女の弁当を楽しみにしていた俺としては、何が何でもその理由を知りたいところだ。緊張の面持ちで尋ねる俺に、しかし澪は弁当を食べながら事も無げに淡々と答えた。

 

「理由は簡単。オレ自身に余裕がなくなったってところだよ。後は……というかこっちが本命みたいなものだけど、一夏に告白する女生徒が増えてきた事が理由」

 

 二年に進級してから、澪は生徒会長補佐という、独自の役職を務める事となった。俺達の通う学校の生徒会は、どうやら周辺の学校と比べると随分と珍しいシステムをしているらしい。生徒会長補佐とは、受験を控えながらも学校の運営を果たさなければならない生徒会長を補佐しつつ仕事を学び、そして次期生徒会長へとなるための役職、というのが分かり易いだろう。

 また、他の次期生徒会役員を育成するシステムとして、既存の役員たちが彼らに仕事を教えるそうだ。

 二年の後半――二学期以降になると修学旅行を始めとしたイベントが多く、色々と忙しい。そうなると、その年の生徒会役員の主だった役員たちは、色々な行事に対応するためにとても大変な思いをするらしい。そこで考案されたのが、元二年にして三年生へと進級した生徒会役員たちが、ほんの少しではあるが新生徒会の面倒を見る、というシステムなのだ。といっても、実際に動くのは新役員たちで、三年生は本当にちょっとしたサポートしかしないらしい。

 だがこうすることで、新生徒会の運営効率を上げ、二学期以降のイベントに備えられるように盤石の態勢を整える、というのが理由だそうだ。また、これだけ聞くと既存の役員達は大変な苦労をすると思われがちだが、このシステムを導入して以降、その苦労の甲斐あってか、進学先の学校でも率先して生徒達を率いたり、或いは社会に出たときに活躍している元生徒が増えたとのこと。……殆ど澪から又聞きしたようなものだが、そんなところだ。

 

 閑話休題

 

 さて。前者の理由は、なるほど確かに一理ある。

 本人は生徒会長をやるつもりはなかったそうなのだが、聞けば前任の役員達からの推挙があったらしい。恐らく彼女が役員選挙に立候補したのはそれが一番の理由だろう。そういった理由から立候補した彼女は、見事当選、生徒会長となった。容姿端麗、頭脳明晰、おまけに男女平等に接する姿勢を貫いているのだ。当選しないはずが無かった。

 とまぁ、こんな背景があった末に澪は生徒会長となり、現在彼女は生徒会長としての仕事が多いために多忙な毎日を送っている。ここまでは理解出来る。だが……後半の言葉の意味がいまいち分からない。

 

「……オレが言った言葉の意味が分かっていないようだね、一夏」

 

 どうやら顔に出ていたらしい。一度だけ頷いた俺に、澪ははぁと呆れた様に小さな溜息を吐く。

 

「一夏、まず今年に入ってから告白された回数を思いだしてみて」

「えっと……確か6、いや7回、かな」

「はっ!イケメンマジ爆発しろ」

 

 言われた通り回数を思い出し口にすると、数馬が物凄い目付きで睨み付けながら吐き捨てた。そんな事を言われても俺にどうしろってんだよ。

 別に自慢ではないのだが、どうやら俺は女子からモテる部類に入るらしい。悪友やクラスメイト達からは羨ましがられるが、俺からすればどうして俺なのかが理解出来ない。告白してきた女の子が決まって言うのは『第一印象から決めていた』『優しく接してくれたから』などが決まり文句だ。だが俺からすれば、彼女達の告白は酷く”軽い”物にしか聞こえない。

 

 第一印象というが、果たして俺のどんなところを見て好きになったのか。それを聞けば『笑顔が素敵』だの『剣道部で活躍しているところが格好良かった』だの、これも殆どパターン化している。そんな彼女達の言葉はしかし、俺の心には届かない。

 笑顔が素敵というが、果たしてその時オレが浮かべていた笑顔は誰に向けていたものだったのだろうか?剣道部で活躍しているというが、果たして彼女達はその裏で俺がどれだけの努力を重ねているのか、何故強くなりたいと思っているのか。そういった内面を知っているのだろうか?そんな事も知らずに、ただ表面上の”織斑一夏”という人間を好きになられたところで、そんな想いは俺には届かない。

 

「一夏は女生徒から告白される。だが君はその悉くを断っている」

「それは……良く知らない相手と付き合う事はできないから」

 

 贅沢な事を言っているのは自分でも理解している。けれど、そんな事だけで俺を好きになった相手を、俺は果たして好きになれるだろうか?と自問すれば、間違いなく『無理』だという返事しか返せない。大して話したこともない相手を好きになるなんて、俺には出来ない。相手が俺を好きになってくれたから告白を受け入れる。そんな軽い気持ちで、俺は相手を受け入れる事はしたくない。それは、相手に対しても失礼だと思うから。

 

「確かにそうだね。さて、そうして断り続けている君だが、そんな君の近くに別に付き合っているわけでもない女が毎日弁当を作っては持ってきている。……断られた人達からすれば面白くない話だ」

「っ、でもそれは、部活で忙しい俺の代わりに澪がやってくれているだけだろ?それに、千冬姉から頼まれているって事もあるし――」

「そうだ。でもそれは尚更、断られた彼女達からすれば気に食わない事なんだよ。もし仮にオレが『”ブリュンヒルデ”織斑千冬から頼まれているからやっているだけだ』何て言ったらどうなると思う?答えは簡単だ。彼女達の抱える不満は確実に怒りや嫉妬に変わり何かしらの形となって現れる」

 

 何でもないように淡々と語る澪の言葉に、しかし俺は呆然とするしかなかった。

 

 

 ショックを受けた様な表情を浮かべる一夏を少々気の毒に思いつつも、オレは後悔していない。

 中学生や高校生という年頃は、とても繊細な時期だ。特にそれらが形として顕著に現れるのが恋愛感情だ。また、これは女として生きていくようになってから気付いたことだが、女子のそれは男子が持つ恋愛感情よりもより複雑で繊細で、そしてどこか危ない。そんな彼女達に恋愛対象として見られているのが一夏だ。

 一夏は小学生の時や原作に比べると随分マシになっている。相手の好意に気付き難いのは変わらないが、それでもある程度踏み込んできたり告白してくる相手には、しっかりと返事を出している。だが、だからこそ五反田澪(オレ)という人物が彼の側にいるのは危険なのだ。

 

 自分達が求めている場所に、別に付き合っている訳でも無いのに何の苦労もなく憧れの織斑一夏(かれ)の側に居座る五反田澪(おんな)。このまま一夏に告白をする生徒が増える可能性を考えると、何か起こると考えてもおかしくはない。

 

「今は何かしらのアクションを起こす生徒はいないが、正直それも時間の問題だろう。オレ達自身は互いを親友だと考えていても、周りからすればそうは見えないかもしれないし、面白くも無いだろう。そして何れ溜まっていったフラストレーションの矛先が向けられるのは――間違いなくオレだ」

 

 女の嫉妬は怖いって言うだろう?とおどけて言うオレに、一夏は難しそうな表情を浮かべる。だがこれは殆ど確信に近い推測だ。恐らくそれらは現実となるだろう。

 直接的ではなく間接的に相手を傷つける方法なんていくらでもあるのだし、何が起こっても不思議ではない。そしてオレは、それが酷く不安でならない。だからといって、別に己の保身の為だけに言っている訳では無い。ただ面倒事が起こり得る可能性を潰すこと、そして一夏の意志を尊重する為でもある。

 

 これまで一夏の近くに居たのには、多くの打算がある。一夏と浅からぬ交友関係を築いたときから、オレは一夏の側にいる事で”織斑千冬”の印象を良くし、将来的にはそれらを利用していこうと考えていた。けれど気が付けばそんな考えは薄れていき、今では純粋に一夏や鈴達との時間を過ごしたいと思うようになっている。一夏の鈍感をどうにか直そうとそれとなく動いてきたのも、一友人として彼には幸せになってもらいたいと思うようになったからだ。

 だが、そうして過ごしていく内にふと考えるようになった。このままオレが一夏の世話を焼き続けるのは、彼の為になるのだろうか、と。そしてその懸念は現実のものとなりつつある。

 

 中学二年生へと進級してから、いや。より正確に言えばそれよりも前――入学してからすぐの頃から一夏は既に多くの女子生徒から告白を受けている。しかし彼はそれらを全て断ってきた。理由までは分からないが、オレがやってきた事が原因なのではないか、と考えるようになってきた。振り返って見ればどうだ。一夏の弁当を作ってやったり、勉強を見てやったりと、少々過保護なまでに彼の面倒をみているではないか。

 これまで何かと一夏の世話を焼いてきたのは、千冬さんに頼まれていたから、という大義名分があるが、次第にオレ自身が”彼の世話を焼くのも悪くない”と思うようになったのも理由の一つだ。だが一夏に近すぎる立場にオレという異性がいる事で、かえって一夏に異性に対する興味というものを摘み取ってしまっているのではないか。そう思えてならないのだ。

 

 酷く自分勝手な理由であることは理解している。どれだけ身勝手な事を言っているのか、それも十分理解している。一夏はとても優しい心を持っている。それを知り、その心を利用するように態々”自分は厄介事は面倒だ”と言葉にすれば、きっと一夏は理解はしないまでもある程度の納得はしてくれるだろう。それがどれだけ卑怯な事をしているのかも、重々承知の上だ。それでも、手遅れになるよりはずっといい。それこそが、”一夏のため”になるのだろうから。

 

「そういう訳だから一夏、これからは自分でどうにか――「澪は」……ん?」

 

 一通りに説明を終えたオレの言葉を遮り、一夏が視線を合わせてくる。

 

「澪は、俺の為を思って言ってくれてるんだよな?」

「……まぁ、一応そのつもりではあるよ」

「……だったら、俺はこれまで通り澪に色々と世話を焼いてもらいたい。これまで通り弁当だって作ってもらいたい。俺は澪が側にいる事が迷惑だなんて、これっぽっちも思ってねぇんだから」

 

 オレの手を取り真剣な眼差しでそう告げる一夏。彼の言葉を理解した瞬間――カァッと顔に熱が集まるのを感じた。だが次いで感じたのは、サッと血の気が引いていく感覚と――そんな馬鹿な、という絶望感に近い感覚。

 

「一夏、お前やるな……」

「まさか皆が居る状況でそんな事を……」

「は? 俺はただこれまで通りでいてくれって言っただけだぜ? というか、何でクラスの皆して俺達の事を見てるんだよ」

「「……ないわー」」

 

 何やら弾や数馬がごちゃごちゃと言っているようだったが、今のオレの耳には少しも入ってこなかった。

 

 ――心臓が早鐘を打ち始め、呼吸が浅くなるのを感じる。

 

 そんな事を気にしている余裕は今のオレには無く、すぐにでもこの場から離れたいという感情が胸の内を支配していた。

 

「ちょっと澪、アンタどうしたのよ?」

「え? な、なぁ、大丈夫か? 顔が真っ青だけど……」

 

 そんなオレの変化に気付いたのか鈴と一夏が心配そうに声をかけてくるが、それに答えるだけの余裕など無く。

 

「っ、すまない。気分が悪いから保健室へ行って来る」

「え、ちょっ! 澪!?」

 

 友人達の制止を振りきり、オレは逃げる様に廊下へと飛び出した。

 

 

『………』

 

 澪が飛び出していった後の教室では、誰もが声を発せずにいた。普段は冷静で頼りがいのある生徒会長の奇行とも取れる行動に、誰もが驚きを隠せずにいたのだ。そんな中、いち早く我に返ったのは、件の少女の双子の兄である弾だった。

 

「あー、皆! ウチの妹が悪かった。何だか此処最近調子が悪いみたいだったからさ、きっとそれのせいだと思うから心配しないでくれ」

 

 手を合わせて頭を下げるというわざとらしいなオーバーな弾の態度に、次第にクラスメイト達は落ち着きを取り戻した。そんな彼等を見て、弾は内心ホッと溜息を零す。

 

「な、なぁ、弾。さっきのってやっぱり、俺のせい、なのか……?」

「一夏……」

 

 流石に状況が状況なだけに声を潜めて確認してくる親友に、弾はさてどうするべきかと悩む。

 双子の妹の調子がここ最近悪かったのは事実だ。だがそれでも、彼女が突然教室を飛び出した直接的な原因は彼(一夏)にあると言わざるを得ない。それが分からないほど弾は馬鹿では無いし、そして一夏自身もそれに気付いているだろう。それでも確認を取ってきたのは、単に自分が悪い事をしてしまったという罪悪感か、それとも――……

 

「(全く。鈍感なのかそうでないのか……)大丈夫だっての。お前は心配しすぎなんだよ」

「っ、あぁ……悪い」

 

 弾は零しそうになる溜息をグッと堪え、努めて何でもない風を装い一夏を説得する。勿論気休め程度でしかならない事は弾も、勿論一夏自身も気付いている。だがこれ以上この話題を蒸し返す訳にいかないのは一夏も悟った様で、彼はそれ以上何も言わず大人しく残った弁当に箸を付け始めた。

 そんな親友の姿を見て一先ず安心した弾は、ふと自分に向けられている視線を感じた。視線の先には、少し前まで親友と呼べる女友達であり、今は愛する恋人である鳳鈴音がいた。彼女もこの場で話を蒸し返す様なことをするつもりはないようだが、その目は『後で事情を詳しく説明しろ』と語っていた。

 元々周囲の変化には敏感であるし、何よりその対象が自身の妹――鈴音からすれば親友である澪に関わる事だ。言い逃れをする事など出来ないことくらい理解している。無言のままに小さく頷いた弾に、鈴音も残る弁当を平らげるべく席に着いた。

 

 ――結局その後、澪は体調不良を理由に早退する事となった。

 

 

『澪……本当に大丈夫?』

「大丈夫。……少し横になっていれば平気だと思うから」

『そう……。何かあったらすぐに声をかけてね』

 

 扉越しに聞こえてくる母さんの声に、オレは力なく返事を返す。

 あの後、精神的な疲労によるものか体調を崩してしまったオレは学校を早退。そのまま帰宅した。いつもよりも早い時間に帰宅したオレの顔を見て、お祖父ちゃんと母さんは随分と驚いていた。早退してきたこともそうだが、どうやらオレの顔色はかなり悪かったようだ。しかし、今のオレにそんな事を気にしていられるだけの余裕は無かった。

 

 ここ最近、どうにも体調が優れない。それと同時に感じるようになった精神の乱れ。オレの精神年齢が他の同年代よりも高い事から何とか冷静さを保つことが出来ているが、そうでなければ居ても立ってもいられない。そんな焦燥感にも似た不自然な、モヤモヤとした気持ちが胸中に渦巻いている。そしてオレは、それを表面に出さぬように何とか押し留める事は出来ても、抑制する事は出来ない。こんな不安定な感情の乱れは、過去の『俺』の経験の中には存在しなかった。

 

 ベッドに寝転がりながら、一夏に握られた右手を見る。あれから随分と時間が経っているというのに、その手はまるでつい先ほどまで握られていたかの様に、燃える様な熱を帯びている。

 そうして眺めていると否が応でも思い出してしまうのは、教室での一夏の言葉。

 

「……っ!」

 

 瞬間。手に集まっていた熱がまるで体中を駆け巡るように伝播する。頬は上気し、呼吸が乱れ、そして――胸が締め付けられる様な、それでいて体中に満ちる熱とはまた違う、温かな熱が宿るのを感じる。

 この熱の正体を、オレは――いや。『俺』は知っている。過去に数度、ホンの数える程度にしか感じた事のないものであるが、しかしそれ故に、その正体に見当がついてしまう。そしてそれが、『オレ』には信じられない。

 

「……きっと何かの間違いだ」

 

 声に出して呟く。そう、これは精神的に参っているときにあんな言葉をかけられた為に、心がそうだと錯覚を起こしている。そうに違いない。オレは自分自身を納得させるように何度も心の中で繰り返す。

 そもそも、こんな事を考えてしまうのもきっとこの精神的な疲労や倦怠感からくるものに違いない。ならば早く寝て治して、そして明日からはまた何時もの五反田澪に戻ればいい。そう思いながら、オレの意識は落ちていった。

 

 

 翌日の朝、オレの願いとは裏腹に更なる悩みの種が現れる。

 腹部に感じる鈍痛と嫌悪感に目を覚ます。昨日よりも酷くなった体調の変化に苛立ちを覚えながら掛け布団を捲り――息を飲む。オレのベッドと寝巻きが、鈍い赤に染まっていたのだ。

 持てる知識の中から現状に当てはまるだろう事柄を思い出し、理解する。この現象は、一般に初潮と呼ばれるもの。平均的な思春期の少女であれば、もう少し前に起こっていたであろう現象が今、オレの身に起こっている。

 それは即ち――オレの肉体の、完全なる女としての覚醒が始まった事を意味する。

 

 自分の身に何が起きたのか。それを理解したオレは、思っていたよりも冷静に受け止められていた。

 何れ訪れるとは思い覚悟していたので、そのお蔭だろうか。性転換手術を受けたことで他の子達よりも症状が現れるのは遅いかもしれない、と聞いてはいたが、まさか今日だったとは。

 同時に、オレはここ最近の体調不良と精神の不調の理由に合点がいった。今までのそれは、この時の前兆だったのだ。

 

「あぁ……思ってたよりも大分痛いな、これは」

 

 オレは小さく呟き、体を起こしているのも億劫になったのでベッドに体を投げ出す。

 重力に従ってベッドに収まったオレの体は、普段よりもずっと重たく、もどかしさを感じた。そんな事を頭の隅で考えつつ、あまりに無気力状態と鈍痛に今日は休みをとらせてもらおうと考え、枕元の目覚まし時計に視線を向ける。時刻は午前6時を少し過ぎたところで、普段と比べれば大分遅い。

 まぁでも、これもしかたのないことだ。兎に角まずは着替えの準備……いや。学校に連絡する方が先か? それと、他の役員たちに仕事を肩代わりしてもらわないと。その埋め合わせも何れしないとなぁ。後は他に――あぁ、くそ。まるで頭の中をかき混ぜられたように思考が安定しない。あっちへいったりこっちへいったり。

物事の優先順位が付けられない。

 

「いつもならもう少し上手く立ち回れてると思ってたんだけど……まぁいいや」

 

 とりあえず、母さんに事情を説明しよう。

 等々考えることすら億劫になったオレは、一先ずそれだけ決めて、ノロノロとした動きでベッドから這い出る。そこで、ふと気が付いた。

 

「そういえば着替えてないや。……気持ち悪い」

 

 けれど、着替えを用意する事すらやはり億劫になったオレは、鈍い痛みを訴え続ける頭と下腹部に不快感を覚えながら、部屋を出た。

 

 




後書き

鈴や弾の関係を見て、”知識”と違う道を歩み始めている事に、果たして自分はこのまま一夏に近い存在でいていいのか?などと思い始めてしまう。そんな話でした。
人間って、一度「こうだ」と決めた事でも何かが切欠で揺らいだりするもの。それが思春期の、しかも元は男とは今は女の子。しかも中途半端に知識なんて持ってたら色々と自分でも訳の分からない行動をしてしまいそうだなぁ、と思い、今後の展開も含めその辺りを描写した話でした。

まぁ、私は転生したことなんてないですし、あくまで「こうなりそうだな」という考えの下執筆しています。ですので人によっては「いや、こうはならないだろう」「グダグダ考えすぎじゃね?」と思うかもしれませんが、そこは一つ物語の演出ということでご容赦を。

感想・指摘等お待ちしております

※2013.9/10 誤字修正
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。