平穏無事に生きる。それがオレの夢(仮題)   作:七星 煙

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一章 1-3

◆二ヵ月後 20XX年 8月◆

 

 公園での出来事から暫く時は経ち、現在は8月の夏真っ盛り。オレは部屋で一人、最早趣味へと昇華し始めた勉強に取り掛かっている。

 

 昔――前世の”俺”では到底考えられないこの行動ではあるが、現在の”オレ”になってから知識を身に付ける事が嵩じて趣味へと昇華してしまったのだ。

 そんなオレが今勉強しているのは、英語検定と漢字検定、ついでに始めた独語検定。そのどれもが2級だ。前世でもこの位は取得していた事もあってか、比較的労力は少なくて済む。

 こういうときだけは、転生している事が有難いと思えた。

 

 そうして、扇風機が起こす風を感じながら机に向かっていると、携帯の着信音が流れる。共通の物でなく個人指定しているこの音楽は――鈴だ。

 何となく展開が読めてきたオレは、通話ボタンを押す。

 

「もしもし?」

『こんにちは、澪。今日も良い天気ね!』

 

 電話越しに聞こえてくる親友の少し上ずった声。

 彼女は何か隠し事があると、それを悟られまいとするせいで声が上ずる癖がある。が、本人はどうやら気付いていないようなので未だに黙っているのだが。

 

「そうだね。夏休みに入ってからこっち、ずっとこんな天気が続いている。こんな日が続けば、さぞ外で遊ぶのは気持ちが良いだろうね」

『そ、そうね』

「けれど、遊ぶからにはそれなりにやるべき事を確りとやっている筈。なら、まさか鈴が夏休みの宿題に殆ど手を付けていなくて、去年のようにオレに泣き付いて来るなんて事もないだろう」

『も、ももも勿論よ!? このアタシが、夏休みの宿題如きに梃子摺(てこず)る訳ないでしょ!?』

 

 ちょっとからかってみれば、明らかに動揺を隠せていない声が届く。

 というのも、夏休みに入る前からオレは、彼女に宿題は早めに終わらせたほうが良いと、口をすっぱくして言っていたのだ。それに対して彼女は、今と同じような台詞を口にしたのだ。

 

「わぉ、ビッグマウス。ところで鈴」

『な、何かしら!?』

「オレはもう宿題が完璧に終わっていて、後は残り一週間となったこの休みを満喫したいわけ。そこでどうだろう、これから一緒に、毎日、残りの休みを遊び通さないか?」

『……アンタ、分かってて言ってるでしょ?』

「さぁ、何が?」

 

 ぐぬぬという声を軽くあしらい、あくまで素知らぬフリを通す。

 やがて彼女は諦めたのか、若干気落ちした声で呟いた。

 

『……調子に乗ったアタシが馬鹿でした。澪先生、宿題片付けるの手伝ってください』

「素直で宜しい」

 

 クスリと笑い快諾する。こういった素直な面をもっと前面に出せば、彼との距離ももっと縮まるだろうに。

 

「それじゃあ、これから鈴の家に行けば良い?」

『あ、その事なんだけど』

「ん?」

『実はアイツも宿題終わって無いらしいのよ』

「……はぁ」

 

 申し訳なさそうな彼女の言葉に、思わず溜め息を一つ。というのも、彼女にした忠告を彼にもしたからに他ならない。何故揃いも揃って同じ事をするのか、と。

 

 さてどうしたものかと考えたところで、ふと思う。

 そういえば彼女達との付き合いも、既に一年を超えているという事に。そこで考えてしまう、このまま彼女達に隠し事をしたままで、果たして本当に友人と言えるのだろうか、と。

 

 隠し事とは他ならぬ、オレの過去、というか体の事。正直な話、この手の話は小学生どころか大人でも受け止めるのは難しい。

 ならば彼等が、果たして理解してくれるだろうかという疑問がある。

 

(――いや、これは疑問というよりも)

 

 恐怖、だろうか。

 

 恐らく――いや。先ず間違いなく、オレは自分の体の事を打ち明けることで今の関係が崩れるかもしれない事を、酷く恐れている。

 当初はこんな親密な関係を築くことすら、視野にすら入れていなかったというのに。

 

(何ともまぁ、矛盾している)

 

 転生したばかりの頃は、こんな不安なんて持っていなかったのに。何だか自分が弱くなった気がしてしまう。

 

 いや、そもそもオレは強くなんて無い。

 転生の事も、性転換手術を受けてこの人生を受け入れると決めた事も、半ば不安といった感情を強引に押し留めていただけに過ぎないのだから。

 

 そしてただ、その感情を受け入れるときが来たということに過ぎない。

 ならばオレは、果たしてどうするべきか――……

 

『? もしもし、澪?』

 

 突然オレの声が途切れた事を不審に思ったのか、鈴の言葉が聞こえてくる。

 

「……鈴」

『どうしたのよ、急に黙りこんで。何かあったの?』

 

 上辺だけでなく、本心から心配そうな言葉をかけてくれる彼女。

 元々隠し事とかが苦手な彼女らしく、その言葉には彼女の思ったままの感情が乗って聞こえてくるようで。

 

 だからオレは、決心出来た。

 

「一夏を連れて家に来てくれないかな。丁度オレも、話したい事があるんだ」

 

 自分の事を、包み隠さずに話す事を――……

 

 

 オレは一階に降りると、鈴達が来る事を家族に伝える。すると母さんとお爺ちゃん、そして弾は驚いたような、心配するような表情を浮かべる。

 因みに父は仕事に、蘭は友達と遊んでいる為にここにはいない。

 

 というのも、オレは以前、家族にこんな提案をしていた。

 それは、友達を家に連れてくるときがあったら、それはオレの事を話すと言う事。

 

 初めは猛反対された。何もそんな大事な事まで話す必要は無いのでないか、と。

 けれど、本当に信頼出来ると判断した友達には隠し事をしたくない。連れてくるのも、オレが本当に信頼出来る人だけだからと必死に説得した結果、何とか納得してもらった。

 

 そしてこれまで、オレは友達を誰も連れてきたことがない。

 つまり、鈴と、そしてもう一人の友人である一夏の二人だけは信頼出来る、そう思った上での判断だった。

 

 正直、一夏に対してはまだ距離を置いておきたいとも考えている。

 が、公園での出来事を切欠に彼と接していく内に、彼は十分に信頼のおける人物だと理解した。

 尤も、それは鈍感な部分や大した実力も持ち合わせていないのに”誰かを守る”という言葉を簡単に口にする事を除いて見てみれば、の話だが。

 

 また、彼も一緒に呼ぶのにはもう一つ理由がある。

 それは、鈴にのみ秘密を打ち明けたとして、彼がそれを見抜く可能性があったと言う事。

 

 普段はトンと周りの変化に疎く、鈍感であるというのに、いざというときには恐ろしいまでの勘の良さを発揮する。そんな彼ならば、何時までも隠し通せるものでもない。

 それに、これでもし関係が悪くなるようであれば、今後の教訓になる上に彼等とも距離を置けるという打算的な考えもあった。

 そういった経緯から、オレは二人を呼ぶ事にしたのだ。

 

 家族に事の次第を話してから数十分後。二人はやってきた。

 

 

「いらっしゃい。此処がオレの部屋」

「「おじゃましま~す」」

 

 澪に案内されたアタシと一夏は、初めて澪の部屋に足を踏み入れる。

 因みに出迎えてくれた澪の格好は、相変わらず男勝りな格好をしている。具体的にいうと、黒のタンクトップにデニムのホットパンツといった出で立ち。

 

 元々同年代に比べて身長も高く、それでいてスリムな体型、スラリと伸びた足を持ちながら何故か出ているところは出始めている彼女には、それが妙に似合っているから悔しい。

 というか同い年のくせに、なんでアンタだけ主に一部がそんなデカくなってんのよ同じ黄色人種でしょうがと、小一時間ほど問い詰めたいと思ったのは内緒だ。

 

 ほら見なさい。一夏なんか明らかに目のやり場に困ってるじゃない。

 

「それじゃあ、飲み物を取ってくるから。

 一夏はオレの椅子を使って。鈴は……悪いんだけどベッドにでも座っててくれるかな」

「お、おう」

「あ、うん。ありがと」

 

 けれどそんな事はお構いなしといった感じに、澪は部屋を出て行く。そんな彼女を見送り、しかし彼女がいなければ宿題を進める事も出来ないので、何となく部屋の中を見渡してしまう。

 

 部屋の中は同年代の女の子とは思えないほど、落ち着いた雰囲気をしている。

 全体的に白と黒のコントラストを基調としていて、余分な物は殆ど置いていないスッキリとした印象を受ける。あるとすれば、先ほど広げた折り畳み用のテーブルと本棚くらいだ。

 勉強用の机だろうそこには、何冊もの難しそうな本が積まれており、本棚に至っては、日本語以外の分厚い本も数冊見受けられる。けれど、漫画やゲームといった類の物は皆無と言っていい。

 

「……何ていうか、スゲェな」

「……うん」

 

 一夏の呟きに、私は生返事を返すことしか出来ない。

 普段のあの子の成績や立ち振るまいだけを見れば、本当に大人びた子だという印象を持つけれど、こうして部屋を見てみると、それは一方的なイメージの押し付けだったと言う事を理解する。

 

 何故なら彼女の部屋に置いてある本は、そのどれもが何度も読み返したようにボロボロになっている。酷いものは、表紙や背表紙までもが若干擦り切れているほどに。

 

 一体何が彼女をそうまでさせるのかは分からない。

 けれどこれだけは分かる。澪は才能に胡坐をかくのではなく、惜しみない努力を続けられる人なのだと。

 

(もしかして、電話越しに言ってた話したい事って……)

 

 この部屋の状況から考えると、ここまで努力していたことに関係があるのではないか。そう勘繰ってしまう。

 正面に座る一夏はどう考えているんだろうと思い、視線を向けてみれば

 

(あぁ、駄目だわコイツ……)

 

 ほぇーと驚いたように部屋を物珍しそうに見ている、一夏のアホ面が目に入る。

 何というか、本当にどうしようも無い位鈍感な奴だ。

 

「……はぁ」

「ん? どうした?」

「……何でも無いわよ」

 

 お気楽そうで良いわねアンタは、と胸中で呟く。

 

「お待たせ」

 

 すると丁度その時、澪が戻ってきた。かと思えば

 

「一夏」

「ん?どうし――いてっ!?」

 

 器用に片手で飲み物の乗ったお盆を持ち、空いた右手で一夏にチョップを繰り出す。

 

「女子の部屋をジロジロ見るのは、男としてどうかと思う」

「す、すみませんでした……」

「ま、自業自得よね」

 

 頭をさする一夏を尻目に、澪は何事もなかったかのようにアタシの隣に腰掛ける。

 こうやって時々手が出るのは良くあることだ。けれどそれは、一夏がデリカシーの無い事をした時だけなので、それほど心配はしていない。手加減はしっかりと出来ているしね。

 

「で?どこが終わっていないのかな?」

「そしてアンタは本当に何事もなかったかのように話を進めるわね」

「知ってる? 唐変木の語源は”唐の変な木”って言うんだ。

 因みにオレがさっきチョップしたのは人語を解する唐変木。わぉ、珍しいね」

「俺は道端の木かよ……」

 

 こうして三人で過ごすようになって、澪の一夏に対する態度は大分柔らかいものになった。

 けれどまだ、どこか線引きをしているように思えてしまう。それは特に、一夏が何かしら無神経な事をした時は顕著に現れる。

 

(まぁそれは一夏自身の問題だしね)

 

 けれど、そこまで面倒は見てられない。男なら自分で何とかしてみなさい、と。

 

「で? 話を戻すけど、何に手を付けていないのかな?」

「算数のドリルと読書感想文です、先生」

「ん。それじゃあ、ドリルから終わらせてしまおう」

「せ、先生。俺も算数と自由研究が……」

「却下」

「ひでぇっ!?」

 

 アンタを気にしていられるほど、アタシに余裕は無いんだから。後で先生に怒られるのは嫌なのよ。

 

 

 ――数十分後

 

 

「んん~! ……やっと終わった」

「お疲れ様」

 

 漸く宿題を一通り終えることが出来たので、思いっきり伸びをする。因みに一夏は完全にノックアウト状態だ。まぁ気持ちは分からなくはないけどね。

 

「ありがとう、澪。ここまでくれば自分でなんとか出来そう」

「そう。なら良かった」

 

 そう言ってクスリと笑う澪。ほんと、いっつもそうやって笑ってればもっと女の子らしくなれるって言うのに、勿体ないったらないわ。

 まぁその辺りについては今後言えばいいとして――

 

「ねぇ、澪」

「ん?」

「アンタが言ってた話したいことって、何? そろそろ話してくれてもいいんじゃない?」

「………」

 

 電話越しに聞いた澪のあの言葉。今までは勉強で話を切り出すことが出来なかったけど、終わった今となれば別だ。

 あの電話越しに聞こえてきた、いつもの彼女では考えられないような、どこか思いつめた声。

 

(あんな声を聞いちゃったら、ほっとけるわけないっての)

 

 そう思い話を切り出すと、流石に一夏も気になっていたのか突っ伏していた体を起こす。

 見れば澪は、中々話を切り出せない様子。けれどやがて決心がついたのか、固く閉じた口を開いた。

 

 

「………」

 

 話を聞き終えたアタシと一夏は黙り込む。

 

 元々は男だったこと

 けれど、自分が半陰性という特殊な肉体をしていたこと

 遺伝子上は女の子だったから、そちらを選んだこと

 

 澪が話した内容は、正直私が思っていたよりもずっと重いものだった。

 でもこれで、澪が態々隣町から転校してきた理由が分かった。

 

(そりゃあ、いきなり知り合いが男から女に変わってたら、何かしらされる可能性はあるものね……)

 

 転校でもしなければどうすることも出来なかっただろう。

 でも……澪が自分の事を話したのは、ただ過去を知ってほしかったからじゃないんだと思う。

 

「ねぇ、澪。どうしてそんな大切な事を、アタシ達に話してくれたの?」

 

 アタシの問いに暫く黙り込んだ澪は

 

「……友達だから、かな」

 

 やがて小さく、そう呟いた。

 

「それと、二人は本当に信頼できると思ったから。だから、隠し事はしたくなかった……」

 

  真っ直ぐにアタシ達を見つめる彼女は、いつになく真剣な表情をしている。本当にアタシ達に事を信頼してくれている、そう感じることが出来た。

 

 ――それが何だか無性に嬉しくて

 

「仮にオレがそう思っていても、二人は違う。

 ……今の話を聞いて気持ち悪いと思ったのなら、隠さずに言ってほしい。……もう、二人には関わらないから」

 

 だからこそ、続けられた言葉にカチンときた。

 

 

 ――パンッ、と乾いた音が響く。

 

 何の音だという疑問は、直後に訪れた頬の痛みで解決する。今し方、鈴によって殴られたようだ。だけどそれも、仕方のないことだ。

 

(今まで騙してきたようなものだし、気持ち悪いって思うのは寧ろ当然のことだ)

 

 だからこの結果を、オレは受け入れるしかない。そう思っていたが

 

「アンタ、アタシを舐めてんの?」

 

 怒りを含ませる彼女の言葉に、再び脳内が疑問で埋め尽くされる。

 一体どういうことだろう、彼女は何が言いたいのだろうと、彼女を見れば

 

「鈴……」

 

 オレをキッと睨みつける彼女がいる。その表情を怒りに染めているのは分かる。

 けれどどうして――どうして鈴が泣いてるのだろうか?

 

「アンタの話を聞いて、そりゃあ驚きはしたわよ。

 でもね……これっぽっちも気持ち悪いだなんて思って無いわ。アタシが知っている五反田澪は、ちょっと変で、いっつも難しい事考えてて、アタシなんかよりずっと大人っぽいけど。

 それでも本当は優しくて、いつもアタシ達の事を助けてくれる――アタシの自慢の親友なのよ。

 だからね、アンタの過去がどうだとか、アタシには関係無い訳!」

「俺も鈴と同じだ。

 ちょっとキツイ言い方になるかもしれないけど、澪の昔がどうだったかを俺は知らない。きっとその事でずっと悩んでいたのかも知れない。

 でもな、そんなの関係無しに、俺は……俺達は澪の親友なんだよ。性別がどうだったとか、そんなちっぽけな事で、俺達がお前を嫌いになるわけがねぇんだ!」

 

 鈴の、そして一夏の力強い言葉が胸に突き刺さる。

 

 彼等ならきっとこう言ってくれるだろう事は、とうに理解していたはずだ。なのにそれを信じる事が出来ずにあんな言い方をしてしまったのは、オレが勝手に怯えていたからに他ならない。

 

 そう理解した途端、胸に込み上がるものがくる。

 

「……一夏。悪いんだけど、ちょっと部屋の外で待っててくれる?」

「え? でも……」

「一夏」

「っ、鈴……分かった」

 

 気を効かせてくれた鈴の一言で、一夏は部屋を出て行った。

 残された鈴は一夏を見送った後、優しくオレを抱きしめてくれた。その直後、堪えきれなくなった感情が、涙と共に溢れ出してくる。

 

「……鈴」

「うん」

「オレ、さ。二人を信頼してるって言いながら、本当は心のどこかで嫌われるんじゃ無いかって、凄く心配だったんだ」

「……うん」

「……でもさ。答えなんて、最初から分かってたんだ。二人は絶対、オレを受け入れてくれるって」

「当たり前でしょ? アタシ達はアンタの親友で、アンタはアタシ達の親友なんだから」

 

 堰を切ったように溢れる言葉を、鈴はただただ聞いてくれる。その優しさが堪らなく嬉しくて

 

「……っ、ありがとう。鈴、一夏……!」

 

 オレは二人に感謝の言葉を述べることしか出来なかった。

 

 

 ……っ、ありがとう。鈴、一夏……!

 

 扉越しに聞こえてくる涙声に、俺は不謹慎だと思いながらも嬉しくて堪らなかった。

 きっと彼女はいつもの態度の影で、一人悩み、苦しんでいたのだろう。そして嫌われるかもしれないという恐怖を押さえ込んででも、今日こうして俺達に抱えていた悩みを打ち明けてくれた。

 

 それが、俺には堪らなく嬉しかった。

 普段は何だかんだと素っ気無い態度をされる俺でも、こんなに大事な話を聞かせてくれるほどには信頼されていた。

 それが、何だか彼女にとっての特別である証のような気がして、兎に角嬉しかったのだ。

 

 と、そんな事を考えていると――

 

「……よっ」

 

 澪の双子の兄だと言っていた少年が、向かいの部屋から出てきた。初めて会ったのは確か、澪が公園でイジメにあった日だったか。

 家まで送り届けたところ、何を勘違いしたのか。コイツとコイツの爺ちゃんらしき人が襲い掛かってきたときは本気で焦ったものだ。

 そんなことがあったので僅かに身構えてしまうと、彼は少しバツが悪そうな表情を浮かべる。

 

「あー……。この前は何ていうか……悪かった。勘違いで殴りかかっちまって」

 

 と、素直に謝られては、俺も何時までも話を引き摺るのは躊躇われる。

 

「いや、良いって。確かにビビッたけど、身内があんな怪我してたら冷静じゃいられないしな」

「ありがとよ。……そういや自己紹介してなかったな。俺は五反田弾、澪の双子の兄貴だ。弾でいいぜ」

「俺は織斑一夏。俺の事も、一夏でいいから」

 

 おう、と答えた彼――弾は、静かに俺の隣に並び立ち壁に凭(もた)れ掛かると、ポツリと言葉を零した。

 

「……ありがとな、一夏。アイツの事、受け入れてくれて」

「……何だよ突然」

「まぁ聞けって。

 ……アイツさ、俺と違って昔っから難しい事考えてる奴でよ。悩みや何かも全然人に打ち明けようとしやしねぇ。

 そんなアイツがさ、誰かに悩みを打ち明けるのって、きっとすげぇ勇気がいる事だったと思うんだ。そんなアイツの勇気を無駄にしないで受け入れてくれたから」

 

 だから礼くらい言っておきたかったんだ、と呟く弾は、とても嬉しそうで、でも少しだけ寂しそうな表情を浮かべていた。どうして彼がそんな表情を浮かべるのか、俺には何となく理解出来た気がする。

 でも、それを態々いうのは野暮ってものだ。

 

「気にすんなよ。別に誰かの為にって訳じゃない。ただ俺が、アイツの親友だったってだけの話さ」

 

 だから俺は、出来るだけ何でも無いように言葉を返す。

 弾はやっと安心したように、そうかと小さく呟いた。

 

 

 小学六年生の夏。

 オレは、親友である二人に秘密を打ち明けた。

 

 実の所、女として生きると決めたところだけは少し話を変えて伝えたのだが、それでも二人はオレを受け入れてくれた。

 

 今まで打算と効率を考えて生きてきたオレからはとても考えられない行動。

 今回のこのような行動に出たのは、恐らく精神が肉体に引っ張られている部分が少なからずあったのだと思える。

 そうでなければ、友人である鈴は兎も角、態々自分から最重要危険人物である一夏にまで話そうとは思わなかっただろう。

 

 ……だが、柄にもなくそれでも良かったと思える自分もいる。

 

 損得だけでなく、打算でなく、本当の意味で心の内側を曝け出せる友人がいるというのは、何物にも変え難い。

 

 同時に、彼等は小説の中の登場人物ではなく、この世界に生きる一人の人間であるという事を再確認した。

 そう思えたのは、オレを本気で殴ってくれた鈴と、真摯な眼差しでオレを親友だと言ってくれた一夏の行動を見たからだ。

 ただの物語の登場人物が、あれほどまでに感情を顕に出来るはずが無い。

 それは、オレの過去を話したときの両親や祖父。そしてオレの体の事を知り、それでも受け入れてくれた兄と妹の姿で既に知っていたというのに。

 

 それを、改めて理解した。

 

 この先の人生で、まだまだ打算や損得勘定で動くことはあるだろう。

 鈴や一夏とも、どこかで線引きをしてしまうところが出てきてしまうかもしれない。原作の住人として見てしまうかもしれない。

 

 それでもきっと、彼等と一緒に居たいと。そう思える自分も、確かに生まれた。




澪の心の変化は、若干肉体に精神が引っ張られている部分もあります。
が、前世での最後のように、友人というものが如何に得難くかけがえの無い存在であるかを理解しているので、ちょっとだけ勇気を出してみた、みたいな感じです。

原作キャラである二人(特に一夏)に深く踏み込みたくは無い。
秘密を打ち明けるのは怖い。
けれど、このまま黙っている事も出来ない。

という、当初の目的、目標と反する心の葛藤を描いてみた次第。
え?出来て無い?ですよねー。


友達は大事ですからね。
それが自分の深い部分を曝け出せるだろう人物ならば、尚更。


ですが一夏に対してはまだまだ苦手意識があります。
というのも、それは単純に彼がこの世界のキーパーソンだと言う事ではなく、学校において彼の行動(女の子を無意識に落としていく)が、個人的に好かないからです。
が、その辺りを抜けば良い奴だと理解しているので、友人という妥協点を持っています。

因みに最後の一言。アレは本心か或いは照れ隠しか……。そこはまだ、彼女自身が気付いていないデリケートな問題です。

とまぁ、今回の話に対する捕捉は以上です。

感想・指摘等お待ちしております。

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