尾道茶寮 夜咄堂   作:加藤泰幸

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第四話『5.8742諭吉 その一』

 相も変わらず、梅雨空の日が続いている。

 雨の勢いは日に日に本格的となっているのだが、風が強い日が少ないのが、せめてもの救いだろうか。

 稀に風が強くなろうものなら、夜咄堂(よばなしどう)の薄く古い板壁は、ぎしりと嫌な音を立てていた。

 これまでが大丈夫だったのだから、どうという事はないと、オリベは自慢げに言うのだが、

 今後も倒壊しない保証はないし、客とて、落ち着いて店を利用出来ないだろう。

 

 ……問題は、その客自体がこない事なのではあったが。

 

 

 

 

「全員、集まったな」

 集合の声に応じ、夜咄堂の一階に集まった面々を、千尋は神妙な顔つきで一瞥した。

 面々とは言っても、オリベとヌバタマの二人だけなのだが、とにかく一瞥した。

 前もって何も話していないので、二人の付喪神(つくもがみ)は顔を見合わせ、肩を竦めあっていた。

 当然の反応だが、呼び集めた理由はこれまでに何度も匂わせている。

 事前説明は不要だろうと判断した千尋は、ズバリ核心から語り始めた。

 

 

 

「本格的に、夜咄堂の経営が厳しくなってきた」

「おやまあ」

「それはそれは」

 静かながら熱の篭った千尋の語りとは対照的に、付喪神達の反応は淡泊だ。

 

「おやまあそれはそれはって……本当に苦しい状況なんだぞ。

 学費、生活費、給料、店舗運営費、それに加えて諸経費が諸々」

「ごめんなさい。でも私達にはよく分からない話で……。

 あ、もちろんお店に来るお客様が少ない事態には憂慮していますよ?」

 ヌバタマがそう言って胸に手を当てた。

 もっともな言い分ではある。

 確かに付喪神に金の話をしても、分かってもらえるものではない。

 千尋としても、本当に二人に期待しているのは、同情ではなく、これから話す事であった。

 

 

 

「分かった。俺としても出費でなく収入の話がしたいしな。

 結局は、お店が繁盛すれば解決する問題なんだ」

「ごもっともです」

「そこで……今日は二人から、お店を繁盛させる為の意見を募ろうと思う。

 お金周りや細かい事は気にしなくて良い。

 お客様に来てもらう方法を思いつけば、とにかく教えてほしいんだ」

「なるほどなるほど」

 オリベが頷き、自信満々に挙手をする。

「ならば、経験豊富な私に任せておきなさい。名案があるぞ」

「はい、オリベさん」

「美人のお姉ちゃんに限り、私が接待するのだ。

 さすれば皆メロメロになって常連に」

「次いってみましょうか」

「ち、千尋ぉ?」

 接客方法の検討は面白そうだが、この案には下心しかない。

 オリベを歯牙にもかけず、今度はヌバタマを見る。

 それを受けた彼女は少し逡巡(しゅんじゅん)する様子を見せたが、おずおずと切り出した。

 

「ううん……あんまり自信がないのですけれど……」

「良いよ。言うだけ言ってみて」

「料理の研究、とかどうでしょうか?」

「つまり、新メニューって事か」

 ふむ、と首を引いて頷く。

 

「ええ。もっと若い人に受けそうなものを増やすんですよ。

 パンケーキとか、女の子に人気らしいですよ?」

 ヌバタマが嬉しそうに提案する。

 千尋にとってはパンケーキもホットケーキも変わりないのだが、彼女の言う通り、実際に人気があるのも理解はしていた。

 

「悪くはないが……それは、どちらかといえば、常連確保の為の案だな。

 根本的な客の入りを改善しなくちゃいけないんだ」

「なるほど、そうですよねえ」

 ヌバタマも理解はしてくれたようで、すぐに引っ込んでしまう。

 

 

 

「……ちなみに、千尋は妙案を持ち合わせていないのかね?」

「あ、それです。その絡みで、二人に聞きたい事があるんです」

「ほうほう。なにかね?」

「これも常連確保案ですが……日々是好日(にちにちこれこうにち)を使えないかな、と」

「ふむ?」

 オリベがうやむやに頷く。

 同意ではなく、もう少し詳しい説明を求められていると察した千尋は、なおも言葉を続ける。

 

「日々是好日を使えば、茶道の良さをハッキリと伝えられるでしょう?

 普通の人は茶道の良さなんて分からないから、その分、未知の感動を味わってもらえると思うんです。 

 そうすれば常連になってもらえるし、口コミ効果もあると思うんだけれど」

「うむう……それは難しいかもしれんな」

 オリベが鼻鬚を弄りながら渋い返事を返す。

「そうなんですか?」

「日々是好日は、本当に茶の癒しを必要としている人にしか効果がないのだよ。

 必要であれば、相手がその必要性を自覚していなかろうと効果が生まれるが、

 そうでなければ、無意味なのだ」

「そっか。上手くいかないもんだなあ」

 

 ならば、できる事はもう一つしかない。

 本来なら、もっと早くこれを始めるべきだったのかもしれないが、何分面倒臭い。

 その上、梅雨の時期にやるのだから、億劫この上なかった。

 しかし、他に手段はなく……

 

 

 

 

「ビラ、配るか」

 千尋は重々しく呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第四話『5.8742諭吉』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 尾道市で人通りが多い場所といえば、やはり商店街だった。

 尾道駅と繋がっており、千光寺山の南部に沿うように伸びている上、

 名物のラーメン店も多数並んでいる為に、地元の者のみならず、観光客もよく行き交うスポットとなっている。

 千尋とて、普段の買い出しだけではなく、商店街にある銭湯にも連日通っており、お世話になり通しの場所だった。

 立ち並ぶ建物には古いものが多く、昭和の香りを感じさせる通りではあるが、それが情緒を生み出している。

 来るものに、なにか懐かしさを感じさせてくれる通り。

 

 千尋達がビラを配っているのは、そんな場所だった。

 

 

 

「茶房・夜咄堂ですー」

千光寺(せんこうじ)山にあるお店ですー」

「和室でお抹茶も召し上がれます。宜しくお願いしますー」

 

 当たり障りのない言葉を掛けつつ配るビラは、順調に受け取ってもらえていた。

 雨が降っている事も踏まえれば、アーケードがある商店街以外の選択肢は考え難かったのだが、一応他にも駅構内等の選択肢はあった。

 想像以上に減っていくビラを考えれば、その選択肢から商店街を選んだのは正解だったと言えよう。

 

 だが、千尋の頬には赤みが差していて、声もどことなく抑え気味だ。

 理由は一つ。今日の出で立ちである。

 長着袴(ながぎはかま)足袋雪駄(たびせった)

 勤務中と同じ和装は、嫌でも通行人の目を引く。

 ただただ恥ずかしくて仕方がない千尋であった。

 

 

 

(やっぱり注目されるよなあ。その為に着たんだけれど……)

 とにかく、知人が通りかからない事だけを祈りながらビラを配る。

 店が評判になるのならともかく、自身に妙な噂が立ってはたまったものではない。

 殆ど通っていない大学には知人も少なく、その方面では問題ないだろう。

 だが、中学や高校の知人ならば、周囲に幾名か住んでいるはずだ。

 然程友達が多くない千尋だったが、それでも不安なものは不安なのである。

 

(恥ずかしいのは我慢するとしても、付喪神の事も考えると、目立ち過ぎるのはなあ。

 ……それにしても、二人は恥ずかしくないのかな)

 

 ビラを配り続けながら、横目で付喪神達を見る。

 老若関わらず、女性を見かけては気軽にビラを配っているオリベはともかく、

 ヌバタマの表情からは、多少の羞恥が感じられた。

 オリベが女性にばかり配るからか、それとも少女が和服を着ているからか、

 特に男性からビラを求められる事が多いようで、羞恥の理由には幾分それも含まれるだろう。

 

 しかし、顔は赤らめても動きは機敏で、積極的なる姿勢が見受けられる。

 夜咄堂の事を最も考え、最も意欲的に活動しているのは、彼女のようである。

 その点、千尋はと言うと『店』という言葉よりも『金』という言葉を先に思い浮かべてしまう。

 幾分恐縮してしまうが、こちらはこちらで背に腹変えられぬのだから仕方がない。

 

 

 

 それにしても、と思う。

 この二人は、どうして夜咄堂で働いてくれているのだろうか、と思う。

 青織部沓形茶碗(あおおりべくつがたちゃわん)と、水葵蒔絵螺鈿棗(みずあおいまきえらでんなつめ)は、父宗一郎の物……今では、遺産を受け継いだ千尋の物だ。

 千尋の物なのだから、千尋の店で働くという理屈も、分からないでもない。

 しかし、それは義務ではないし、千尋も勤労を強要した事はない。

 ロビンが夜咄堂から離れて活動しているのだから、付喪神という存在が店に縛られるわけでもないのだろう。

 給料だって雀の涙なのだから、二人が夜咄堂で働く理由が、千尋には分からなかった。

 

 

 

 

(俺だったら絶対働かないけれど……「のわっ!?」

「おっと、失礼」

 考え事をしていたからだろうか、通行人の男性にぶつかりかけて、つんのめってしまう。

 転びはしなかったが、ビラが飛び散ってしまった。

 ビラ配りに集中していなかった事を内省しながら、前屈みになってビラを拾おうとした瞬間であった。

 

「ワンッ!」

「あ……ロビン!」

 ふらり、と毛達磨が現れる。

 ロビンは千尋に向かって笑うように舌を出してみせると、落ちたビラを咥え、突如走り出してしまった。

 コモドドラゴンのようなみっともない動きではあったが、太っていても犬は犬なのか、すぐに遠くへと行ってしまう。

 一瞬、何事なのかと固まってしまった千尋であったが、やや遅れてから、走り難い雪駄で慌ててロビンを追いかけた。

 

 

 

 

「おい、ロビン待て! それを返すんだ!」

「ワン、ワンワンッ!」

「ワンワンじゃないっての!」

「んじゃ、ニャアニャア」

 多少追いかけると、ようやくロビンがニャアニャアと鳴きながらビラを離した。

 ひったくるようにしてそれを拾い上げた所で、細い路地裏まで駆けてきた事に気が付く。

 周囲には、人影はまったく見当たらない。

 どうやら、何か用事があって呼び寄せられたようだ。

 

 

「ったく、もう……一体何がしたかったんだよ、お前は」

 袴を汚さないよう、膝裏を手で押さえながら中腰になる。

 視線を合わせられたロビンは、ワン、と一度吠えてから喋り出した。

 

「決まってるじゃん。お前と話したかったから、人がいない所に誘い込んだんだぜ」

「はあ? 話?」

「お、その冷酷に見下すような瞳、良いじゃないのさ。

 JCの好みじゃないかもしれんが、もうちょい上のお姉ちゃんならキュンときそうだ」

 へらへらとしたロビンの言い草に、顔が強張っていた事に気がついて、つい目を瞑る。

 切れ長の瞳は、時々ロビンの言うような表情を作り出してしまうのが困りものだった。

 

 

「で、話って何なんだよ。ビラ配りの最中だから、手短に終わらせてくれよ」

「おう。それにも関係するんだよ。なんでもお前、夜咄堂に客が来ないんで苦労しているそうじゃないか」

「耳が早いな」

「まあな。……でだ。俺に素晴らしい提案があるんだが、試してみる気はないか?」

 

 ロビンは、不遜な笑みを浮かべながらそう言った。


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