「オリベさん、ヌバタマ。
こちらは、大学のサークルの先輩、岡本さんです。……多分」
「やっぱり忘れかけてたな、お前」
千尋に紹介された女性……岡本知紗は、その千尋をジト目で睨みつけた。
それから、どうしようもない、と言わんばかりに大げさに肩を竦めてみせる。
岡本は日頃から、今のようにあけすけな女性なのだろうか、と千尋は思う。
千尋は岡本の人となりを全く知らなかった。
顔と名前さえ忘れかけていたのだから、当然といえば当然かもしれない。
サークルの先輩でありながら、彼女の事を何も知らないのには理由がある。
なにせ、千尋はろくにサークルに通っていなかった。
彼がサークルに入って間もなく、宗一郎が亡くなった為である。
「大体さ。岡本じゃなくて、ちーちゃんで良いって言ったじゃないの」
「あれ、そうでしたっけ?」
「じゃあ、今からそう呼んでな」
「いや、いきなりそんな事言われても……」
岡本のノリを上手にあしらえず、閉口する他ない。
親しくないのにあだ名で呼ぶ事にも、開放的な彼女への接し方にも、どちらにも戸惑ってしまった。
相手が良いと言っているのだから、機嫌を損ねない為にも応えるべきかとも思ったが、
異性をいきなり下の名前で呼ぶのは、なかなかに踏み越え難い一線だった。
「千尋君、ちょっとそこをどきたまえ!」
そこへオリベが、千尋を押しのけて前に出てくる。
「わっと……何するんですか、オリベさん!」
「うるさい! こんな美人な先輩がいるというのに、何故紹介しなかった!」
「いや、俺も忘れていたもので……」
「うるさい! 日頃、茶を教えている恩義を忘れてしまったのかね、君は!」
「教えてくれているのは、もっぱらヌバタマですが……」
「うるさい! 私がヌバタマだ!!」
無茶苦茶なのであった。
「なんだか、面白いおじさんだね」
「おっ、おおっ? それはなんとも嬉しい言葉!」
だが、岡本はそのやり取りに興味を示してくれた。
オリベはキリリと表情を引き締めて、岡本と、彼女の対面に座った同伴の女性に対して、大げさに会釈をする。
「いやはや、不祥の弟子がお世話になっていたようで。
私、千尋の茶の湯の師、オリベと申します。
ちーちゃんも、眼鏡のご友人さんも、以後お見知り置きを。
ああ、もう呼んでしまいましたが、私もちーちゃんと呼んでも宜しいかな?」
「オリベさんだね。カッコ良い苗字じゃない!
もち、ちーちゃんでオッケーだよ。宜しくな! はっはっはっ!」
「ヒャッヒャッヒャッ!」
「はっはっはっはっはっ!!」
「ヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッ!!」
一体何が面白いのか、二人とも声を揃えて笑いだした。
同伴の眼鏡の女性も、笑い声こそ立てていないものの、彼女は彼女で二人の様子を楽しそうに眺めている。
一体、何がそんなに面白いのか、千尋には理解できなかったが、ひとまずは客が気分を害していない事を良しとした。
「大学……そういえば千尋さん、学生でしたっけか」
馬鹿笑いをする二人をよそに、ヌバタマがそう尋ねてくる。
「うん。市内の大学にな」
「言われてみれば、全然学校に行っていませんでしたね」
「ああ、まあ……
「そうでしたか。でも、もうお店は再開できましたし、通学されても良いと思いますよ。
お抹茶も、私やオリベさんが点てても良いわけですし」
「……そうだな。そろそろ良いか。大して客も来ないしな」
そう言って苦笑する。
悲しい理由に虚しい笑いであった。
「お客様が来ないのは困りますけれどもね。
ちなみに、サークルとは何なんです?」
「ああ、ヌバタマはよく分からないか」
ふむふむと頷きながら、千尋も客席に腰掛ける。
同じくヌバタマも腰掛けるのを待って、千尋は説明を始めた。
「さて……何と言ったものかな……。
そうだな。サークルとは、学校内で同じ趣味を持つ人が集まる会、って所かな」
「なるほど。それは話に華が咲きそうですね。東雲ドーナツ店サークル、なんかもあるんです?」
ローカル色ここに極まったサークル名をヌバタマが口にする。
指で輪を作りながら、恍惚感に満ちた表情を浮かべている辺り、今の彼女の脳内は想像に難しくなかった。
「いやいや、そういうものじゃなく、一般的な趣味というか……
例えば、俺と岡本さんは陶芸サークルなんだよ」
「ほう? 陶芸が好きだったのかね、千尋は」
オリベが笑うのを止めて、会話に加わってきた。
サークルに入った経緯を岡本の前で話すのは気が引けたが、勘違いされても困る。
視界の隅に岡本を入れ、反応を伺えるようにしながら、千尋は肩を竦めた。
「陶芸は別に好きでも嫌いでも……」
「どっちでもないのに入ったのか。ちーちゃん目当てか?」
「オリベさんじゃないんですから。入学式の日に、岡本さんが無差別に勧誘していたんです。
それに運悪……あいや、まあ、とにかく捕まったんですよ。
で、『幽霊部員でも良いから』と言われて、とりあえず入ったわけです」
「なんだ。面識はあったんだな。だというのに、こんな奇麗な人を忘れるとはけしからん」
「いやー、だって仕方ないよ」
オリベの問いには岡本が答える。
「だって、千尋、一度もサークル活動に参加していないんだもん。
ま、それは良いよ。学校に聞いたら忌引きらしいし、大変だったそうじゃない。
……でも、これからは問題ないわけだ」
彼女は千尋の方を見ると、楽しそうに口の端を上げてみせた。
「そんなわけで、明日辺りにでも、講義の前に部室に来いよ。
お前にゃ、ちょっと頼みたい事があるんでな」
岡本がキシシ、と笑う。
ただただ、嫌な予感に駆られる千尋であった。
第五話『七月三重殺』
千尋の通う大学は、尾道の郊外にある。
尾道駅前からバスで約三十分、トコトコと揺られ続けて早朝の大学に辿り着いた千尋は、物珍しそうに周囲を見回しながら歩いた。
特に目につくのは、鮮やかな赤煉瓦の校舎。
そして、校舎に沿って広がっている、少々濁りながらもそれが情緒を生み出すダムだろうか。
だがすぐに、この時期にそんな初々しい事をやっているのは、入学直後に長期欠席した自分だけだと思い至ってしまい、
気恥ずかしさを表に出さないように心掛けながら、校舎を迂回して部室棟の方へと向かった。
まだこの日最初の講義が始まるまでには時間があるからか、道中は殆ど誰とも擦れ違わない。
それはそれで少々寂しく思いながら、千尋は部室棟……の中には入らず、更にその裏へと向かう。
部室棟の裏にして、大学敷地内の端。
ようやく辿り着いた千尋の目的地は、学生達の目から隠れるように、ひっそりと佇んでいた。
(ここが陶芸サークル部室……か)
千尋は、自身の眼前にそびえる建物を見上げた。
校舎からも部室棟からも離れている、陶芸サークル部室。
彼が視線を部室の横に移せば、煙突が備わっている巨大な窯が見えた。
まるで怪物のように広げた口に、釉薬や絵付けの施された素地が入ってくるのを待ち続けている、立派な窯。
これこそが、部室孤立の理由。
焼成時の内部温度が千度を軽く超える、この怪物の危険性を考慮し、陶芸サークル部室は離れた位置にある。
「勿体ない代物だよなあ」
ぼやきながら部室の玄関を開ける。
中に入ってすぐ横に掛けられていたホワイトボードには、所属部員の名前が書かれていた。
芸術学部 美術学科三年 岡本知紗。
経済学部 経済学科一年 若月千尋。
以上。
たった三行の文字が、なんとも寂しく感じられる。
これだけ立派な窯があるのだから、部室が完成した当時は、もっと部員で賑わっていたのかもしれない、と千尋は思う。
だが、昔がどうであれ、今の部員は二人だけ。
しかも、実質あの窯を使っているのは岡本一人しかいないのだ。
無論、千尋自身がサークルに出れば、焼け石に水ではあるが利用者は増える。
ただ、陶芸にそれ程興味がない千尋にとしては、できる事ならサークル活動に時間は取られたくなかった。
勿体ないとはいえ、それはそれと、千尋は窯の事を忘れて部室の中に足を踏み入れた。
「よう、来たか。幽霊野郎」
椅子に腰掛けて待ち受けていた岡本が、大層な挨拶を送ってくる。
色が大分くすんだジャージをまとっていたが、おそらくは作業用なのだろう。
ぺこりと会釈をして部室を見回すと、床や壁、作業台のあちこちに土がこびり付いている。
お世辞にも綺麗な部室とは言い難いのだが、岡本はその汚れを気にする様子を見せない。
それどころか、どっしりと作業台に腰掛けて煙草を吸い、まるで我が家のように振る舞っていた。
「幽霊部員を否定はしませんけれど、幽霊でも良いと言ったのは岡本さんですよ」
「そうだっけか? そうだったかも。はははっ」
岡本が軽く笑う。
あけすけというよりは、ずぼらな人なのかもしれない。
「で、頼みたい事って何なんです?」
「いきなり本題かよ。もうちょっと『素敵な部室ですよねー』とか、言う事あるだろうに。
まあ良いや。ちょっとこれを見てくれよ」
冗談めかしてそう言いながら、手にしていた煙草を灰皿に押し付け、傍に置いていた徳利を差し出してくる。
反射的に受け取ってしまった千尋は、持ち上げるようにしてその徳利を見た。
実に素朴。だが雑に非ず。
素朴の中にも変化を求めようとしたのか、炎の当たりの違いで生み出される濃淡が特徴的だった。
「これ、どう思う?」
岡本が言葉を短く切って尋ねる。
もう、彼女は笑っていなかった。
「……岡本さんが造ったんですよね?」
「そ」
「良い徳利だと思いますよ。釉薬がなくても綺麗ですし、歪みもありませんね」
「あれ? お前詳しいな。陶芸は素人じゃなかったっけ?」
「いや……なんというか……」
なんとなく、返事に窮してしまう。
思ったままを口にしただけなのだが、的外れな事を言ったわけでもないようだった。
脳裏には、付喪神達の顔が浮かび上がってくる。
彼らから受ける日々の稽古の際には、その時に扱っている茶道具の説明を受けている。
それなりに見る目が備わっていたのは、付喪神達の指導の結果なのだろうか。
自覚はしていなかったのだが、それなりに身について知いた識に、千尋は自分でも戸惑っていた。
「とはいえ、まだまだ駆け出しって所だな。そんな大したもんじゃないんだよ、これ」
千尋に構わず、岡本は嘆息した。
だが、千尋の眼には特に欠点の見当たらない立派な徳利に見える。
「……お店なんかに置いても、見劣りしなさそうですけれど?」
「いやいやいや。底は微妙に高さがブレてるから、いざ使うと落ち着かないよ。
それに、胴の膨らみも気に入らないね。
プロの陶芸家は、こう……シュパッ! とさ。奇麗な形に作るんだよ」
「はあ。シュパッ……そんなものですか」
「そうだよ。あ、煙草良い?」
「構いませんよ」
許可を得た岡本は、ポケットから新しい煙草を取り出して火をつけた。
フィルターが取り払われた、両切りのピース。
相当に煙草を吸う証でもある。
全く咽る様子もなくそれを一度吸い、窓の方を向いて吐き出す。
そのまま窓の外を眺めながら、彼女は早口で語り出した。
「スランプなんだよ。あたし」
「この出来で、ですか?」
「そだよ。もう全然駄目。両親が陶芸家で、その影響を受けて、陶芸は子供の頃からやってたんだよ。
自分で言うのも何だけれど、センスがあるのかもね。中学、高校の頃は、なかなかの物を作っていた。
……でも、大学に入った頃から調子が落ちてるんんだ」
「………」
「三年になった今じゃ、もう酷いったらありゃしない」
「……なるほど」
「そこで、だ」
岡本が千尋を見上げた。
「千尋には、スランプ脱出を手伝って欲しいんだよ」
「スランプ脱出……? いや、そういうの、俺には無理ですよ」
千尋は大げさに首を捻る。
確かに幽霊部員ではあるが、自分にできる事なら応えたい、とは思った。
だが、ずぶの素人でもある自分には、的確な助言等、到底できるはずがない。
厭うのではなく、憂慮するような表情を浮かべると、岡本は千尋の心情を察したのか、手を横に振った。
「あー、違う違う」
「はあ」
「別に助言をくれとか、作業を手伝ってくれとか、そういう事を頼みたいんじゃないんだ。
気分転換に、ちょっと晩飯でも付き合ってくれってだけの事だよ」
そう言ってもう一度煙草を吸った岡本は、歯を見せてニヤリと笑った。