尾道茶寮 夜咄堂   作:加藤泰幸

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第七話『唐津合宿 その二』

 九州とはいえ、北部に位置する佐賀は、広島と然程気温の差がない。

 月は七月、大暑の時期。

 この季節の太陽の照り付けは厳しく、外を歩くだけでもうだるような暑さに襲われてしまう。

 Tシャツにジーンズというラフな格好をした千尋でもそう感じるのだから、

 それ以上の厚着をしていては、たまったものではない。

 とはいえ、この猛暑の中、それほどの厚着をする人間はそうそういないものだ。

 ……人間ではなく、付喪神(つくもがみ)ともなれば、話は別ではあったが。

 

 

「暑い……」

 ヌバタマが気怠そうに呟く。

 先程から、彼女は何度も似た言葉を口走っている。

 額から噴き出る汗を何度もハンカチで拭い、暑さを口にして、それでも彼女は皆と一緒に歩いていた。

 

 名護屋城跡は丘陵上にある為に、駐車場を降りてから二十分程、開拓された丘を歩く必要がある。

 道中は木々が日光を多少遮ってくれるのだが、それでも和服を纏っているヌバタマには耐えがたい暑さのようである。

 和服姿なのはオリベとて同様であったが、彼に至ってはむしろ溌剌とした足取りだった。

 付喪神も歳を重ねればそうなるのだろうか。或いは単にオリベが暑さに強いのか。

 何にしても、オリベは放っておいても良さそうだが、ヌバタマはそうはいかない。

 

 

「なあ、千尋。大丈夫かね……?」

「……そうですね」

 千尋に近づいてきた岡本が、耳打ちするように声を掛けてきた。

 その一言だけで、彼女が言いたい事は分かる。

 同じ事を憂慮していた千尋は、バッグから先程売店で買ったばかりのミネラルウォーターのペットボトルを取り出して、ヌバタマに駆け寄った。

 

「ヌバタマ、飲むか?」

「うう……頂きます」

 力なく頭を下げたヌバタマは、素直にペットボトルを受け取った。

 喉を鳴らしつつ口にすれば、あっという間に中身はカラになってしまう。 

 改めて顔色を覗き込めば、彼女の表情には幾分生気が戻っているように見えたが、一時凌ぎにしかならない事は千尋にも分かる。

「……着替えるか? 俺と同じような服装なら、その辺でも売っていると思うが」

「前にも言いましたが、これは着替えたくありませんもので」

「そうは言ってもなあ。じゃあ、車に戻るか?」

「いいえ。行きます」

 やや強情な程にそう言ってのけられれば、千尋も口を挟めなくなってしまう。

 だが、まだ彼女の為にやれる事は残っている。

 少々恥ずかしくはあるのだが……万が一を考えれば、そうする他なかった。

 

「ん」

 怒ったような声を出して、ヌバタマに手を差し出す。

 何の事なのか理解ができない彼女はきょとんとして千尋を見つめてきた。

 そんな彼女から視線を外し、千尋は投げやりに喋る。

「お前、フラフラじゃないか。転ばないように、手を握っておけよ」

「……千尋さん」

 暫し、間ができた。

 だが彼女は、弱弱しくも微笑んで、千尋の手を握ってくれた。

 

「お世話になります。ふふっ」

「なんだよ、その笑いは……」

「いえ、別に」

「……行くぞ」

 ヌバタマを先導するようにして、千尋は先に歩き出した。

 半歩遅れて着いてくるヌバタマは、なおも力強く手を握ってくれている。

 そうしていると、千尋も少しは安心ができたが、ヌバタマの体調が快調したわけではない。

 

 ふと、これ以上体調が悪化したらどうなるのだろう、と千尋は思った。

 無論、苦しむヌバタマを放っておくつもりは毛頭ない。

 ただ単に、付喪神の体の成り立ちが気になり、ヌバタマの様子を気に掛けつつも考え込む。

 人間であれば、体調悪化の行く先にあるのは生命の終焉だ。

 だが、彼女は生命ではない。

 付喪神には、生命同様の死という概念は存在していないのだろうか。

 だとすれば、この世はいつしか、付喪神であふれ返ってしまう事になる。

 彼女達は、一体どこへ行くのだろうか……

 

 

 

 

 

「ウヒャア! こいつは凄いね!」

 そうして、思慮に暮れている最中だった。

 不意に、前方から声が聞こえてくる。

 顔を上げてみれば、林を抜けたオリベが少し前に立っていた。

 ヌバタマと顔を見合わせあい、手を離して二人して駆けてオリベに追いつく。

 オリベと肩を並べれば、彼の言葉の意味する所は千尋にもすぐに分かった。

 

「……これは良い見晴らしだ」

 思わず、感嘆の溜息が零れる。

 

 

 林を抜けた先は丘の一端となっていた。

 視界に広がるのは唐津の大地、そして海。

 群青色の雄大な日本海は、瀬戸内の海とはどこか違うような気がしたが、その答えまでは千尋には分からなかった。

 だが、その考察も一瞬の事。すぐに意識は景観へと向かう。

 唐津の海と夏青空が、遥か彼方で水平線となって融合している。

 雲一つない、どこまでいってもただただ青い世界。

 丘陵の上を吹き抜ける風に撫でられた事も手伝って、千尋は暫し、暑さも忘れてその雄大な光景に見入ってしまった。

 

 

 

「凄い。本当に……」

 ヌバタマも隣で息を飲んでいた。

 疲労に変わりはないだろうに、心なしか、彼女も表情が和らいでいるように見受けられる。

 内心で安堵しながら振り返れば、最後尾を歩いていた岡本もやってきた。

 

「皆。あの辺りが陣跡だよ」

 岡本が丘陵の下に広がっている林を指差した。

 つられるようにして指の先を見るが、視界に入るのは見えるのは木々のみだった。

 陣跡を連想させるものは見つからず、千尋はなおも目を凝らして指の先を見ながら尋ねる。

「見た目、林みたいですが……」

「ま、そうだね。陣跡と言っても大抵は石碑が残っているだけなんだ」

 岡本は苦笑しながら、なおも次々と林を指差していく。

 

「あそこが伊達政宗の陣跡でしょ。で、あそこが徳川家康。小西行長とか前田利家はあっち。

 後ろの方にも、まだまだ沢山陣跡があるんだよ」

「城跡の周り、陣ばかりですね。これなら陣営毎の行動もここから把握できたんだろうな」

「そうだね。なんだか将棋の盤面を見ているような気分だ」

 岡本が目を狐のように細めながら言う。

 確かに、この全知の光景は岡本の言う言葉に近いかもしれない。

 感じ入ったように頷いて視線を海に向けると、今度はオリベが言葉を掛けてきた。

 

 

「ところで千尋や」

「はい?」

「一応、陶芸サークルの合宿なんだから、私からも一つ教えておこう。

 豊臣秀吉が企画した文禄・慶長の役だが、実は陶芸や茶道にも深く関わりがあるのだよ」

「そうなんですか? 知らない話だな……」

 話の先を催促するようにして、オリベを見る。

 軽さを感じさせない、かといって真剣味も感じられない、つまりは締まりのない通常の表情でオリベは言う。

 

「最初から出兵に織り込み済みだったのかどうかは知らんが、

 朝鮮に出兵した各武将は、現地の陶工を日本に連れてきたのだよ。

 ここ唐津の焼き物も、連れてきた陶工の手によって発展した、と言われている。

 ほれ。朝鮮唐津とか聞いた事ないかね?」

「ええと……」

黒飴釉(くろあめゆう)と、白っぽい藁灰釉(わらばいゆう)が掛かった唐津焼だよ」

 岡本が助け舟を出してくれる。

 そう言われれば、陶芸サークルの部室で読んだ雑誌に、そんなものがあった気がしないでもなかった。

 

「ああ。多分、分かります」

「あれも、朝鮮の陶工によって作られていったものだろうね。

 何分、生まれる前の事なので真意の程は分からないが」

 オリベはまた微妙な事を口走り、にっと歯を見せて笑った。

 どうにも、ヌバタマはともかく、彼には発言の綱渡りを楽しんでいる節が見受けられる。

 何か釘を刺しておこうかとも思ったが、その前に、一緒に話を聞いていたヌバタマが先に口を開いた。

 

 

「戦が発端となって、陶芸が発展し、更には茶器を扱う茶道にも影響が及んでいった、というわけですね。

 風が吹けばなんとやら……といった所でしょうか。オリベさん、面白い話をありがとうございました」

 無垢な笑みを浮かべながら、小さく頭を下げる。

 それから彼女はすぐに、千尋と岡本の方に向き直った。

「千尋さんと岡本さんも、こんな素敵な所に連れてきて下さって、ありがとうございます。

 私、ここまで頑張って上ってきた甲斐がありました」

 

「あ、ああ」

「いやいや、どういたしまして」

 そう言われ、先程と同じ笑みを向けられれば、千尋も岡本もとも笑うしかない。

 更にはそこにオリベも加わって笑いだし、名護屋城跡の一角には、小さな笑いの塊が出来上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 名護屋城跡の見学を終えた一行は、市内の商店街を散策する事にした。

 流石に暑さが堪えたので、陽を避けられるアーケードがある所に行こうという岡本の判断なのだが、

 市街地に帰ってきた千尋らを待ち受けていたのは、アーケードが取り払われた商店街だった。

 周囲を歩く人に聞いてみれば、なんでもアーケードの老朽化が著しい為、岡本が尾道にいる間に取り払われたらしい。

 

 そんな事もある、とあっけらかんと言ってのける岡本を皆で睨みつつ、一行は付近の唐津焼の店に足を踏み入れた。

 

 

 

 

「ほお、これは大したものだ」

 店内で最初に驚嘆の声を漏らしたのは、オリベだった。

 やはり、茶碗の付喪神である為に、何かしら思う所もあるのだろうか、

 店中の棚を所狭しと覆っている唐津焼の数々に、オリベは何度も頷きながら店内を回り始めた。

 それに続くようにして、ヌバタマもやはり表情を輝かせながら売り物を眺めて歩く。

 彼らにとっては、この店は宝石箱のようなものかもしれない。

 未だに陶器の良し悪しは分からない千尋だったが、付喪神達が思い入れ深い事は十分に伝わってくる。

 

 

「この店では、市内の大抵の窯で焼かれている陶器が売られているんだよ」

 一方、入り口付近で千尋の傍に残った岡本は、やや自慢げな様子でそう語り出した。 

「へえ。古い物じゃないんですね」

「陶器と言っても骨董品ばかりじゃない。むしろ主に流通しているのは現代作家の物だからな」

「そうか。そうでないと、岡本さんの両親なんかも仕事になりませんよね」

「そういうこった。もちろん、うちの両親の物も置いてあるぞ。ええと……これだな」

 岡本はそう言うと、近くの棚から、刺身を盛るのに適したような向付を手に取ってみせた。

 千尋は顔を近づけて凝視したが、彼には他の向付と変わらないように見えてしまう。

 

 

(……分からないなあ。違い、全然分からない)

 内心、悔しげにぼやく。

 やはり、これも見る者が見れば、違いは一目瞭然なのだろうか。

 オリベが言う通り、茶道を突き詰めて、茶道の良さが分かるようになれば、自分にも分かるのだろうか。

 

 千尋はこの所、そうして茶道の良さについて考える事が多かった。

 元々、茶道への僅かな興味で始まった夜咄堂経営が、いつの間にか千尋の中で大きな割合を占めるようになったが故の事である。

 無論、今でも茶道が家族を奪った事実も忘れてはいない。

 それでは一体、今の自分にとって茶道とは、良いものなのだろうか。悪しきものなのだろうか。

 正直な所、それは彼自身にも分からなくなっていた。

 どちらに転んでも、矛盾に陥るような気がして、答えを出す事ができなかった。

 しかし、強いてどちらであるかと言われれば……良いものなのかもしれない、と思う。

 日常において、茶道の比重が肥大している為に感じている感覚なのかもしれない。

 

 

 

 

「ところでさ、千尋」

「あ……はい。なんでしょうか?」

 岡本の言葉が千尋を思案から引き戻した。

 返事を返すと、彼女は一歩千尋に近づき、声を小さくして話を続けた。

 

「お前さ。ヌバタマちゃんとデキてるの?」

「はい……?」

 思わず、聞き返してしまう。

 だが、意味は十分に理解できる。

 ゴシップ事が好きな第三者から見れば、そう邪推してしまうのも理解はできる。

 だからこそ、彼女の質問には毅然と答えなくてはならなかった。

 

「……別に。あの子はただの店員です」

 人ではありませんが、と説明できれば、なんと楽な事か。

 事情を知ってもらえれば、素直に理解してもらえるはずなのだ。

「本当にか?」

「本当です」

「じゃあ、言葉を変える。お前はあの子をどう思っているんだ?」

「………」

 

 そう言われて、反射的にヌバタマに視線を移す。

 天真爛漫とした表情で唐津焼の数々を眺める彼女の横顔は、贔屓目抜きでも可愛らしい。

 多少、融通が利かない点もあるにはあるのだが、その根にあるのは善良な心と茶道への愛情だ。

 間違いなく、良い子であるとも思う。

 総じて、魅力的であると言っても差し支えはないし、千尋もその魅力には好感を持っている。

 では、愛しているのだろうか。

 否。

 ラブではない。

 自身の感情は、ライクだと思う。

 そう感じているのは、やはり彼女が人間ではないからなのだろう。

 では、人間だったらどうなのだろうか……という考察に移りかけ、千尋はそれを途中で強引に断ち切った。

 深く考えすぎて、今の関係が壊れるのが、恐い気がした。

 

 

 

 

 

「……良い子だと思いますが、それだけです」

「へえ、ほお、ふうん」

 岡本はわざとらしく頷いてみせる。

 明らかに何か言いたげな反応を見せられては、放ってはおけない。

 

「なんですかその反応は」

「いや、ちょっと残念だな、と思ったのよ」

「残念?」

 小首を傾げながら、岡本の言葉を繰り返す。

「そ。……お前さ。自分で気が付いてないかもしれないけど、時々凄く寂しそうな顔するよ」

「………」

 思わず、自身の頬に触れる。

 思い当りは……ない事も、ない。

 

 岡本の指摘は、付喪神達には悟られまいとする感情の事だろう。

 すなわち……父の死を嘆いている時の事だ。

 人前では見せまいとしている感情だが、知らず知らずのうちに暗鬱としていたのかもしれない。

 

 生活が落ち着いて、父がいないと実感する時間が増えたから、そうなっているのだろうか。

 千尋の周囲は、大いに賑やかである。

 しかし、どれだけ和気藹々としようが、そこに父はいないのだ。

 

 

 

 

「理由は……まあ、大方の察しは付くよ。

 だから、あの子がそれを埋めてくれればな、と思ったんだけどさ。

 ……そっか。脈なしか」

 

 岡本はそう口走り、千尋を残して店内を回り始める。

 だが千尋は、なおも動かない。

 動いたら、涙が零れ落ちそうな気がした。


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