尾道茶寮 夜咄堂   作:加藤泰幸

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第九話『夜咄堂の真実 その二』

「んで、当日の菓子を買い出しに付き合わされる……ってわけかね。面倒臭くてかなわんなあ」

「まあまあ、オリベさん。千尋さんがせっかくやる気を出してくれているんですから。良い事ですよ、良い事!」

 愚痴を零すオリベに、弾む声でそれをなだめるヌバタマ。

 対象的な二人を引き連れて、千尋は商店街を歩いていた。

 夜咄堂(よばなしどう)で出す和菓子は、商店街の一角にある古びた和菓子屋にて調達している……のだが、千尋はその店を見た事がない。

 他の食材ならともかく、ある程度の知識を要する和菓子となると、千尋が買うには不安が残る。

 その為に、和菓子の調達はヌバタマに任せきりになっていたのだ。

 

 

 

(やる気……か。随分な心境の変化だよなあ……)

 二人の前を歩き続けながら、ふとヌバタマの言葉を気に掛ける。

 茶道に好感を持った途端、自分で和菓子まで選びたいと思うようになったのだ。

 まさに別人の様だと、我ながら深く感じ入ってしまう。

 それから、ちらと振り返って、その変化の原因を見やる。

 

「……なにか?」

「いや、なんでもない」

 

 後ろを歩くヌバタマと視線が合うと、彼女は小首を傾げながらも微笑んでくれた。

 一方の千尋は慌てて前を向き、小さく首を横に振る。

(いやいや、いやいやいや)

 小さく胸が高鳴ったのを、必死に押し流そうとする。

 ヌバタマの事は、後回しに――

 

 ――否。

 その感情は、後回しにして良いのだろうか?

 何故、深く考えようとしないのか?

 ヌバタマに抱いている感情を、はっきりとさせるべきではないのか?

 次々と自問が湧きあがった。

 だが、処理しきれない。

 とても、気持ちを整理する事ができない。

 やはり今は考えるのを止めようと、感情を押し殺すように歩調を速めれば、程無くして一行は和菓子屋に辿り着いた。

 

 

 

 

「ごめんくださーい」

 店の前で先頭を代わったヌバタマが暖簾を潜る。

 彼女の快活な声に呼応するように、人の良さそうな若い男性店員がカウンターから出てきた。

「これは夜咄堂さん。いらっしゃいませ」

「いつもお世話になっています」

「こちらこそご愛好ありがとうございます。今日は随分と大所帯で」

「ええ。店長の千尋さんと、サボリ魔のオリベさんです」

「だーれがサボリ魔だね」

 オリベが間延びした口調で突っ込みを入れると、男性店員は声を立てて笑ってくれた。

 

「ははははっ。随分と仲が宜しいみたいで。皆様、今後ともよろしくお願いします」

「はじめまして。こちらこそ宜しくお願いします」

 千尋は軽く会釈をしてそう答えてから、カウンターの中に視線を移した。

「で……そちらが和菓子、ですか?」

「ええ。和菓子の中でも生菓子と呼ばれるものがそちらです」

「ふむ……」

 中腰になってカウンターの中を凝視する。

 

 無論、生菓子の存在は知っている。

 ロビンと初めて会った日に見た紫陽花の生菓子は、再現度が高くて息を飲んだものだ。

 自分から、客に出した事も何度かある。

 

 だが、今回は違う。

 自分が生菓子を頂くわけではないし、用意されたものを出すわけでもない。

 浩之を自分の手でもてなす為、生菓子を選びにきているのだ。

 そう考えながら吟味する生菓子は、普段よりも鮮明に、そして細部まで見て取れるような気がした。

 

 白餡、黒餡。寒天、水飴、みじん粉にぎゅうひ……。

 様々な原材料によって作られている生菓子は、いずれも美しい。

 皆、季節を模した形に整えられていたが、一際目を引いたのは半透明の寒天だった。

 

 

 

「これは、奇麗ですね……」

 思わず感嘆の息を零しながら、寒天に目を奪われる。

 その寒天は、金魚蜂の形をしていた。

 口の付いた水色の球体寒天の中に、二匹の金魚と藻が浮かんでいる。

 口の周辺は絞られていて皺になっているのだが、それが良い。

 見事という他ない、金魚鉢の再現となっているのだ。

 夏の一頁をそのまま縮小化した一品は、なかなかに千尋の胸を打ってくれた。

 

「金魚鉢。まさしく夏の風物詩だな」

 同じくカウンターの中を眺めるオリベが、満足げに頷く。

「千尋ももう知っているとは思うが、茶席で出す菓子は季節を模したものが主なのだよ。

 この季節なら、金魚鉢の他にも、青空だったり、朝顔だったり、そんな所だな」

「まるで芸術品ですよね。凄い再現度だ……」

「うむ。だが菓子だけではないぞ。

 季節の茶花は当然の事、茶道具も季節の意匠が施されているものを、茶席では用いる。

 茶室全体で季節を、言うなれば物語を作り上げるのだな」

「その一部のお菓子にも、季節の要素は欠かせない、というわけですね。

 そんなわけで、その金魚鉢は私も良いと思います。

 特に美しい作りですし、きっと喜んでもらえると思いますよ」

 ヌバタマが胸の前で両手を合わせながら補足する。

 

「ふむ……」

 もう一度、千尋は呟いた。

 

 確かに、目の肥えた二人ならず、自分の目も引いたこの生菓子は、見事な出来という他ない。

 目を瞑って、後日もてなす事になる浩之の顔を思い出そうとする。

 すると、彼に関する最も新しい記憶……ドーナツ店の前での出来事が浮かび上がってきた。

 中学生ながら、彼女とスイーツデートという、なんとも羨ましい……

 

 

(……待てよ)

 

 

 不意に、記憶が一時停止した。

 そう言えば、自分もつい先日、喫茶店でヌバタマと暖かいひと時を過ごした。

 だが、あの時の自分と、先日の浩之とでは、何かが決定的に違っている気がする。

 

 相手が人であるか付喪神(つくもがみ)であるか。

 相手に抱いている好意の種類はどのようなものなのか。

 それがデートなのか否か。

 違う。そんな事ではない。

 違うのは、自分と浩之個人の事だ。

 ……そうだ。

 間違いない。

 あの日の彼は……

 

 

 

「……いや」

 千尋は腰を起こしつつ、視線をカウンターから切った。

 

「浩之君へは、別のお菓子を出すよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 浩之が来店したのは、彼と出くわしてから五日後だった。

 相も変わらず続く猛暑、まずは冷たい飲み物を振る舞って一息ついた所で、

 幸か不幸か、この日も客がいない店内をゆるりと案内すると、彼は案内するもの一つ一つに驚嘆してくれた。

 茶道具やら庭やらに加えて、年季の入ったといえば聞こえは良いが、単に古いだけの椅子や机、

 更にはちょっとした装飾品にまで感じ入ってくれると、自分で調達したものではないとはいえ、千尋も気分が良かった。

 

 だが、もてなすのは千尋の方だ。

 一通りの案内を終えた後で、二階での一服を提案すると、浩之はこの日初めて顔色を曇らせた。

 

「お抹茶……ですか」

「うん。苦いのは苦手かな?」

「あ、いえ。むしろ好きですよ。……そうですね。ではお願いできますか?」

 明らかに微妙な反応。

 だが、それでも彼は千尋の提案を受け入れてくれた。

 何か気を悪くしてしまっただろうかと、千尋は内心戸惑ったが、今更止めようというわけにもいかない。

 かくして、茶室の釜からは湯気が立つ事となった。

 

 

 

 

「茶室でお茶を頂くの、初めてです」

 茶席が始まると、浩之はそう言ってはにかみながら、きょろきょろと部屋の中を見渡した。

 緊張感よりも好奇心が勝っているようで、意外と図太い所があるのかもしれない。

 千尋はつい、自分が初めてこの部屋に足を踏み入れた頃を思い出しながら、風炉(ふうろ)の前に座した。

「実は俺も、お茶を点てるようになってまだ三ヶ月くらいなんだよ」

「そうなんですか?」

「うん。父さんが急死して、思わぬ形で店を引き継いでね」

「あ……」

「気を遣わなくて良いよ。辛くないとは言わないけれど、楽しくもやっているからさ」

 言葉を失いかけた浩之に笑いかける。

 

「そうですか。その……頑張って下さいね」

「浩之君もね。お互い、なんとか店を盛り立てたいものだね」

「はい! ……あの。ところで……」

 不意に、浩之が居住まいを正した。

 千尋も、意識は手前に集めつつも、視界の空気が変わった事を悟る。

 

 

「お茶って、お菓子も出るんですよね?」

「そうだよ。お茶を頂く前に食べて貰うんだよ。

 そうすれば、お菓子の甘みとお抹茶の苦味が、お互いに引き立つ……って事らしいね」

「………」

「そんなわけで。……オリベさん、お願いします」

「はいよ」

 茶室の外から、声の主のオリベが中へと入ってきた。

 浩之の前に座して、菓子器を差し出す。

 浩之が覗き込むようにして見た菓子器の中には……。

 

 

 

 

「……お煎餅?」

「そう。見ての通りのね。どうぞお楽になさってお召し上がり下さい」

 ぺこり、と頭を下げながら千尋が言う。

 言葉にこそ動揺は出していないが、内心では少々の緊張を覚えながらの発言だった。

 

 もしかすると、自身の見通しはてんで間違っているものかもしれない。

 余計なお世話で、良い生菓子をだす機会を逸したかもしれない。

 それでも千尋は、どうしても浩之と出会った時の光景が、気になっていた。

 

 

 

「でも、さっきお菓子の甘みって……」

「それなんだけれどさ。もしかしたら浩之君、甘いものが苦手じゃないかなって思ったんだ」

「………」

「ほら、ドーナツ屋の前で会った時に、スイーツデートが苦手って言っていたじゃないか」

「ええ」

「それに、飲んでいたコーヒーもブラックだったみたいだし。

 だから、甘いお菓子よりも、お煎餅とかおかきとか、そういう物が良いかな、ってね」

「……千尋さん」

 浩之が、千尋の名を呟いた。

 視線をゆっくりと、茶道具から浩之に移す。

 緊張の頂点。

 そこに待ち受けていたのは……はちきれんばかりの笑みを浮かべていた浩之だった。

 

 

 

「ありがとうございます。お察しの通り、甘いものって苦手なんです」

「……そっか。なら良かった」

「それで、お茶と言われて抵抗も覚えたんですよ」

 どうやら、微妙な反応の正体はそれらしい。

 深い安堵のあまり、無意識のうちに息が漏れそうになったが、手前の最中とかろうじて堪える。

 

「……千尋さんのお気遣いに感謝です。いただきますね」

「い、いや、ははは……」

 

 だが、表情までは抑えきる事ができない。

 緊張の糸が緩むと、それによる張りを失った表情が緩んでしまった。

 それに呼応したように、浩之が歯を見せて笑い出した。

 こうなると、千尋ももう抑えは利かない。

 憚る事なく、千尋まで大きな笑い声を立てる。

 

 茶室には瞬く間に、二人の笑い声が広まる。

 

 

 

 

 

 ……しかし。

 

 

 

 

 

 部屋の隅で、オリベが目を瞑った。

 いつもならば真っ先に笑い出しそうな彼は、神妙な表情を浮かべながら、

 千尋らの気づかぬうちに、茶室から出て行ったのであった。


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