番外編『ロビン散策記 犬のおまわりさん その一』
「フヘッフヘッフ! ワンッ!!」
船の上にごろりと這い蹲った俺が、そんじょそこいらのJCならイチコロの鳴き声を漏らす。
必殺悩殺セクシーボイスの効果は絶大だったようで、案の定、俺を取り囲んでいる向島のJC三人組は、
「キャー!」「かーわいいー!」等と、キンキンキラキラ黄色く心地良い歓声を、俺の耳に届けてくれた。
掴みさえ良けりゃあ、あとは容易い。
さあどうぞお好きになさって、との気持ちを込めて、一層腹を突き出してやれば、
JC達は腹をモサモサザクザクと撫でてくるのだが、これが何とも心地良く、ひと撫で毎に俺のコーフンを煽ってくれる。
若く柔らかい手。子供ならではのエネルギッシュな声。
おお、これよこれ。この感触の為に俺は夜咄堂を出たのだよ。ワン。
それでいて、彼女達の手つきには暴力性というものがない。
なにせ、動物を扱う時の加減というものを弁えるようになったお年頃なのだ。
これがJSだと「わあわあワンワンわあワンワン」と、毛をむしらんばかりの勢いで撫でてくるものだ。
かといって歳くってりゃ良いってもんでもなくて、JK以上では、俺のコーフンをここまで掻き立ててはくれない。
これこれ、これこそがJCの良さなのよ、と、トロリトロトロと悦に浸りつつ、
なおも寝転がる俺の視界の奥に、俺達を羨望の眼差しで見つめる、大学生くらいと思わしきアンチャンが映った。
ハハァン、大方アンチャンも同じように撫でられたいのだろう。
でもダメだかんね。残念無念また来年、ワンコに産まれて出直しといで。
悦楽と優越感がグルリグルリと絡まり、俺はこの世の幸せを独り占めしたかのような心地で、船とJCに揺られ続けた。
――渡船、ってもんが尾道にはある。
本土側の尾道市街と、本土から三百メートル程離れている向島を繋ぐ三隻の船が、それぞれ一日百往復程、セッセセッセと海上をひた走っているのだ。
向島側にとっては重要な交通手段だし、もちろん本土側にとっても有用な船なもんで、客には地元の奴らが多い。
今現在、俺の腹を撫でてくれているJC三人組も、向島に住む少女達で、休日は大抵三人揃って本土に遊びに出かけている。
長年の経験でその事をチャーンと知っている俺は、本土側の船着場に張り込んで、JC達が向島に帰る時に同乗しているって寸法だ。
千尋の奴は俺の事を駄犬だのなんだのと馬鹿にするが、尾道に来て十八年、地元の皆々様から愛されている俺ともなれば、渡船の乗務員とも顔馴染みで降ろされる事もないんだもんね。
向島に着くまで、約五分。
何者にも邪魔をされない、短くも至福のひとときを、俺はマンキツしていた。
「フッヘフッヘフッヘ、フゴッ!」
「ロビンって本当に人懐っこいよねえ。ねえねえ、うちの子にならない?」
俺のチャーミングな鳴き声に気分を良くしたのか、三人の中でも一等可愛い子が、今度は俺の頭を撫でながらユーワクしてくる。
発育も一番良くて、少女らしからぬくびれた胴回りが目を引く、それはそれはミリョク的な子なのだ。
鎖に繋がれた生活というのはちょっとご勘弁頂きたいものなのだが、この子のお誘いとあらば一考の余地はある。
まず、飼い主としては申し分なし、これぞまさに本懐である。
家も昔ちらっと見た事があるが、十分な広さの庭付き一戸建てであった。これも良いとしよう。
あとは……これだけの美人ちゃんなのだ。もしかすると、この子も『あの一族』なのかもしれない。
ともなれば、この子や家族に流れる血には、品格というものがちゃーんと染み込まれているはずだ。その点も良し。
ただ、これだけ好条件が揃っても、鎖を乗せた天秤を用いれば、やっとこさっとこ釣り合う状態だ。
さてさて、これはどうしたものだろうかね。
いや、やはり俺にも野良としてのプライドというものが……
「ねえねえロビーン。おうちにおいでよー」
なおも甘ったるい声が、俺のチャーミングなふわふわ耳を支配する。
はいっ、行きます、決定。ペットになっちゃうもんね。
シュタッと跳ね起きた俺は、ついに見つけた主と主従のお手を交わそうと、右前脚を差し出し……
「あ。着いたよ」
「おやつにパン買ってこうよ! お腹空いちゃった」
「そうだね。ロビン、ばいばーい!」
……差し出して、見事に空を切った。
渡船が向島に到着するや否や、JC三人組は未練のミの字も見せずに立ち上がり、足早に渡船から降りていったのだ。
あの大学生のアンチャンも、そんな俺を見て、プククと笑い飛ばしながら去っていく。
ぽつん、と一匹寂しく取り残される可哀想な俺。
いと、かなし。
瀬戸内の風に吹かれ、黄昏れたい気分に駆られてしまうが、これを本当にやっちゃあ乗務員のオッチャンがぶったまげる。
正体だけはキッチリ隠さにゃあ、ナンパどころの騒ぎじゃないのだ。
致し方なく、トボトボとした足取りで船を降りた俺の体は、降船の瞬間にぐいと後方に引っ張られた。
「ギャインッ!??」
尻尾が動かず、だというのに前に進もうとしたもので、地面に大の字に倒れてしまう。
何が起こったのか理解が出来ないままに体を起こそうとするが、まだ尻尾が動かない。誰かに握られているのだ。
いくら可愛く賢く逞しくクールでホットなナイスガイのロビンちゃんで通っている俺と言えども、尻尾を握られちゃあ怒っちまう。
ぐるる、と歯をむき出しにして振り返ったその先には……
「べうべう……」
着物を着た五歳くらいのガキンチョが、俺の尻尾を握っている。
ガキンチョは、哀愁に満ちた瞳をまっすぐに俺に向け、その瞳同様の寂しげな口調でこう言った。
「べうべう……カカさま、どこにもおらん……」
番外編『ロビン散策記 犬のおまわりさん』
ゴンゴンゴンゴンゴンゴンゴンゴン、とエンジン音を刻みながら、渡船が本土側へと去るのを見送る。
段々と遠のくエンジン音の代わりに聞こえてくるのは金属音。とはいっても、皆大好きお金の音なんかじゃない。
船着場からちょいとばかし離れた所に建っている造船所から聞こえてくる、緩やかなリズムの金槌の音なのだ。
この造船所は、なんでも戦前からこの向島にデデーンと居座っているらしい。
千光寺山から見ても造船所のクレーンは目立っていて、夜にはライトアップなんかしちゃったりする、島のシンボルみたいなもんだ。
島に住む牛乳屋のオババが、戯れに聞かせてくれた昔話によれば、
戦時中は、ジャンジャンジャカジャカとパチ屋宜しく、それはもう景気の良い音を打ち鳴らしていたらしい。
それというのも、立地の問題が大きいのだろう。
尾道の近隣都市の呉には、戦時中、呉鎮守府なる海軍拠点があった。
これを略すると、クレチン、となんだかヒワイな響きがする言葉になってドキドキしちゃうんだけれども、
肝心の海軍拠点は、そんなおちゃらけとは対照的にガッチガチのマジモンだから、
近隣に位置する向島造船所の景気が良かったのも、自然の流れと言える。
「べうべう……」
同じく船を見送っていたガキンチョが、また不安そうな声で呟いた。
降船してから今に至るまで、こいつがずっと俺の尻尾をぎゅっと握り続けるもんだから、さっきから痛くてたまらん。
その上、べうべう等と奇妙なあだ名を付けやがって。
これだからJC以外は困るのだ。
もう唸りたくて唸りたくて仕方がないのだが……
声同様に、不安の塊の様な顔を見せられちゃ、優しい俺としては、どうにも気後れしてしまうのだ。
「べうべう……カカさま、どこ?」
「ワンッ!」
そんなの知るかい。せめて名を名乗れ。
「なまえ、おぼえておらぬ……」
「ワ、ワンッ!?」
偶然の会話成立に、思わず声がひっくり返ってしまう。
「カカさま、カカさま、どこ……」
「ワフン」
知らんがな。そもそもどこに住んでいるんだよ。
「やしき……やしきのばしょも、おぼえておらぬ」
「!?」
二度も続けば、偶然とは思い難い。
と、同時に、俺の頭ん中の電球にピコーンとあかりが灯った。
くるりと首を回して、ふんふんとガキンチョの匂いを嗅げば、案の定、人間の香りが全くしない。
いや、人間云々でなく、何の香りもしないのだ。
こいつぁ、この世の奴じゃあない。
だから、俺の心中も読み取る事ができたんだろう。
かといって、夜咄堂には他には付喪神はいないから、その線でもない。
時代がかった着物や喋り方を考えりゃあ、大方、随分昔に死んじまって成仏できない幽霊って所だろうかね。
「名前を聞いても分からない、おうちを聞いても分からないってか。
はぁー。これがJCなら喜んで探すのに協力してやるんだがなー」
相手が幽霊であれば、喋っても支障はない。
面倒臭そうに鼻息を鳴らしながら、俺はそう言ってのける。
「じぇーしー?」
「じょしちゅーがくせーだよ。お前とは年齢も性別も違う、ステキな子達だ」
「それ、カカさま?」
「アホちん」
脱力しながらも、突込みを入れる。
よもや、この俺が突っ込み側に回ろうとは、ガキンチョの天然パワーとは恐ろしいものだ。
さて、それにしてもどうしたもんだろうか。
本気を出してブンブンと暴れれば、振り解くのは造作もない。
なので、逃げようと思えばいつでも逃げられるんだが、
さっきも言ったように、ガキンチョがあまりにも不安そうな顔をするもんで、逃げるのもちょっと宜しくない。
となれば、答えは一つ。
こいつのお母さん……多分、そいつも幽霊なんだろうな。
それを探し出してやる以外にはない。
突如降りかかった面倒事に、俺はやれやれとクールに頭を振りながら、ガキンチョの顔をもう一度見た。
くりくりとした目付きに、やや高めの鼻。
頬はガキンチョらしくぷっくりと丸いが、白い肌には少なからずの気品を感じる。
おかっぱの御髪もしっかりと手入れされていて、乱れがない。
いわゆる一つの美少年ってやつだわな。これならば、母親も美人なんだろう。
「子持ちは完全にストライクゾーン外なんだが……まあ、美人に感謝されるのなら、悪い気はしねーなー」
「すとらいくぞーん……カカさまか?」
「ノウ。お前の母親を探してやるって言ってんだよ。ほれ、離さんかいな」
そう告げて尻尾を震わせると、ガキンチョはようやく手を離した。
ようやく自由を得た尻尾を、ブンブンと二度、三度振ってリラックスした所で、くるりと体を回転させて通りの方へ歩き出す。
「探しに行くぜ。着いてきな」
「……うん!」
ガキンチョはタドタドしい足取りながらも、俺に平行して歩きながら、言葉を続けた。
「のう。べうべう」
「そのべうべうって呼び方は止めろ。ロビンって名前があるんだ」
「べうべう、かたじけない」
「……ロビンだ」
「べうべう」
いつの間にか、ガキンチョは笑っていた。
気分屋はこれだから困るのだ。
俺は歩調を速めながら、通りをズシズシと進んでいった。