尾道茶寮 夜咄堂   作:加藤泰幸

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番外編『ロビン散策記 犬のおまわりさん その二』

 向島とはどのような島なのであるか。

 一言で島と言っても、周囲一面を海に囲まれた絶海孤島で、殺人事件でも起こすにはもってこいの島から、

 ビルが立ち並びネオンはキンキンキラキラと輝く、そんじょそこいらの本土の町では到底太刀打ちできない程に発展した島もある。

 大きさだって大中小と様々だし、有人無人の違いだってある。

 それ程に数多く溢れる島の一つ、この向島を一言で例えれば、静かな島、だろう。

 船着場に隣接している通りは、本土の商店街以上にシャッターが降りている店が目立つし、島民にもジジババは多い。

 島の中心部まで向かえばそれなりに発展はしているのだが、所々には、隆盛の跡と言わんばかりの物寂しさがあるのだ。

 だが、あくまでも一言で言えば静かなのであって、二言、三言でより詳しく説明すれば、この島の魅力はザクザクと掘り出すことができる。

 

 

「ガキンチョ。この通りに見覚えはないか?」

「ない……」

 通りを我が物顔で歩く俺と、その横をとぼとぼ歩くガキンチョ。

 まるで従者のようなガキンチョは、俺の問いに力なく首を横に振った。

「そっかー。今は寂れているように見えるかもしれんが、戦前は大いに賑わった銀座通りらしいぞ。

 なんせ本土との玄関口だからな。尾道市外の好景気の影響をもろに受けたんだろう。

 ちっちゃな通りに米屋が三件も並んで、それが全部まともに営業できてたんだから、すげーなー」

「それほどにか?」

「おう。聞いた話だけどな。……ま、今じゃこの通りだが」

 

 この通りから活気がなくなったのは、割と近年の事だ。

 戦後、交通の便が発達して、少し足を伸ばせば何でも安価でホイホイ手に入るようになったからか、

 この通りの店々は、時代の進行と共に景気を悪化させたようで、昔に比べれば多くの店が暖簾を下ろしているらしい。

 それでも「不景気なんの!」と、未だに営業を続けるタクマシイ店も幾つか残っていて、それらの店は未だに昭和初期の面影を残している。

 昭和といえば、本土側の商店街の方も同じなんだけれど、向こうは昭和中期後期の懐かしさを醸し出す通りだ。

 一方のこちらは、殆どの人間は本や映像なんかでしか見た事がない、昭和初期の幻想的な古さを醸し出している。

 ちなみに、見た事がないのは、あくまでも人間の話ね。

 俺は、当時は別の都市にこそいたが、その頃の日本の風景を見知っているのだ。

 昭和を知る男、ロビン。

 ううん、なかなかいい響きじゃないのさ。

 マドロス姿で波止場に前足を掛ける俺。

 うん、なかなか絵になっているじゃないのさ。

 

 

「べうべう……?」

「フゴッ? あー、あーあー。なんでもないー」

 ガキンチョの一言で現実に引き戻された俺は、周囲を見回しながら言葉を続ける。

「この辺りは、昔から見た目が変わっちゃいない建物も多いが……本当に見覚えはないんだな?」

「うん」

「んじゃ、お前は結構昔の幽霊なのかねえ」

 ガキンチョと前方を交互に見ながら、更に歩く。

 すると、道の先に、見知った牛乳屋の看板が見えてきた。

 

 

 

「お。ガキンチョ、ちょっと休憩していくぞ」

 そう一方的に告げて小走りになり、巨人の口みたいに開かれている牛乳屋のバカデカ入口を潜る。

 すると、店の奥からタイミング良く、ここを経営している恰幅の良いオババが笑いながらやってきた。

 御歳七十歳。未だに元気に店先に立ち続ける、健康の塊のようなオババだ。

 このオババは、もはやそれが素顔なのではと言いたくなる程に、いつもしわくちゃの笑顔を浮かべているので、俺はなかなかに気に入っている。

 

 

「あらあら、ロビンちゃんじゃないかい。今日は向島までお散歩かい?」

「ワンッ!!」

「そうかい、そうかい。あんたは相変わらず元気だねえ」

「ワン、ワンワンッ!!」

 オババは人間だが、いつも俺と会話をした気になって勝手に話をグイグイ進めてくる。

 とはいえ、大体会話が成立してしまうのは、やはり年の功という奴なのかもしれない。

 戦前の造船所の話のみならず、その昔瀬戸内の王者だった村上水軍の話とか、色んな昔話を聞かせてくれるのだ。

 なかなかに面白い話が多くて、俺はよくオババの話を聞きにこの島へと来ている。

 

 それに、俺が遊びに来ると、いつも水なり食い物なりをくれる所も良い。

 何かを恵んでくれるたびに、俺が心中で密かに付与しているロビンポイントを、もうこのオババは三百ポイント程集めているだろうか。

 三百ポイントもあれば、夜咄堂の古い茶道具と交換できるんで、今度ヌバタマに黙って、何か見繕ってこっそり持ってきてやろうかね。

 

 

 

「さて、せっかく来たんだから、少しばかり休んでいきんさい……おや?」

 この日も、早速休息を提案したオババは、俺の背後にいる人影に気がついた。

 どうやら、ガキンチョは人間にも見える類の霊のようである。

「ロビンちゃん、後ろの坊やはどうしたの?」

「ワン、ワンワンッ!」

「そうかい、ロビンちゃんのお友達かい」

 オババ、それはハズレだ。

 ただのやっかいもんなのだ。

 

「坊やも中に入りなさいな」

「うむ」

 ガキンチョは素直に頷いて中に入ってきた。

「珍しい格好の坊やだねえ」

「きっかいだろうか……?」

「いやいや、変じゃないよ。可愛いって事さ。

 坊やにも何かあげようか。牛乳でいいかい?」

 オババはガキンチョの返答を待たず、牛乳瓶ケース五つ分の高さはあろうかという、これまたバカデカな冷蔵庫に手を掛ける。

 ヴヴヴ、と低く小さなモーター音を鳴らす冷蔵庫の中には所狭しと牛乳瓶が詰まっていて、オババはその中から一本を取り出した。

「……なにかくれるのか?」

「そうだよお。牛の美味しいお乳だよお」

 オババは間延びした口調でそう言って、ガキンチョの頭をぽんぽんっ、と軽く二回叩く。

 それから、腰を屈めてガキンチョと目線の高さを合わせると、緩慢な動作で牛乳瓶の蓋を開けて手渡した。

 想像以上の冷たさだったのか、ガキンチョは一瞬目を皿のように丸くしてしまう。

 

「ほら、飲んで良いんだよ」

「……うむ」

 ガキンチョはおそるおそる中身に口をつけ……そして、にぱっ、と顔色を輝かせた。

「あまい!」

「おや、そうかい」

「とてもあまい……こんなの、はじめてのむ……」

「ほんに変わった子だねえ。ほら、どんどんお飲み」

「うむ。かたじけない」

 深々と頭を下げ、なおも牛乳瓶にかぶりつくガキンチョ。

 うぐぐうぐうぐと、牛乳を喉に押し込むような勢いで飲んでいる辺り、うまさ炸裂濃厚味なんだろう。

 羨ましさのあまり、俺はだらだらと涎を零しながらガキンチョの喉を見つめていた。

 

 というのも、十年以上もこの店に通いながら、俺はオババから牛乳を貰った事がない。

 犬に人間用の牛乳を与えてはいけない、という事で、オババは飲み物ならば水しかくれないのだ。

 新鮮な水は、俺みたいな放浪者にとってはなかなか得難いもので、もちろんそれはそれで嬉しい。

 夜咄堂に行けば幾らでも飲めるもんだけれど、いつも世話になっていちゃあ格好がつかないしね。

 だから、水は水でありがたいのだが……やはり、できるものなら、牛乳の方が良いのだ。

 

 

 

「ワン、ワンワンッ!」

「うむ。あまいぞ、べうべう」

「クゥーン……」

「べうべうもほしいのか?」

「ワンッ!!」

「だめだ、やらぬ」

「フゴッ!!」

 牛乳をせがむも、ラグビー選手の如く牛乳瓶をしっかと防衛されて見事に撃沈してしまう。

 致し方なく、今度はオババに向けてダメモトで、悩殺牛乳欲しい光線を目から発射する。

 しかしオババが、ニコニコしながら俺に用意してくれたのは……いつも通り、ただの水だった。

 俺は犬ではないのだ。

 誇りは高くないが付喪神なのだ。

 牛乳だって飲めるのだ。

 それが主張できればどれだけ良い事か……がっくりとしょげながらも、俺は器に入った水をぴちゃぴちゃと舐める他なかった。

 

 

 ゆっくりしていってや、と暖かな言葉を残してオババが店の奥に戻っていくと、ガキンチョは妙に早口で話しかけてきた。

「いいひとだ……」

「おう。牛乳くれない所だけはダメだけどな。

 今でも向島で暮らしている人達は皆そうだぜー。

 激動の時代を乗り越える知恵とタクマシさ、そして助け合う優しさを持っているんだ」

「うむ。やさしい」

 ガキンチョが、また表情を緩める。

 えくぼを作りながら、丸い目をぺちゃりと細めているその表情は、まあ、その、確かに愛らしくはある。

 だが、駄目だかんね、俺のストライクゾーンはJC。お前は性別も年齢も違うんだかんね。ケッ。

 

 

 

「その締りがない顔、なんとかしろよ。牛乳飲んだらさっさと行くぞー」

「カカさまさがしに?」

「そうだよ。俺様が協力してやってんだから、ありがたく思えよー?」

「かたじけない。ぐびっ」

「牛乳を飲みながらの心無いお礼、どうもありがとう」

「でも、カカさまはどこに?」

「それについちゃあ、考えがある」

 俺は自慢げに鼻を掲げながら言葉を続けた。

「高見山といって、それは見晴らしが良い山があるんだ。そこから探すのが良いかもしれん」

 高見山は、島の南東部に位置する標高三百メートル程の山だ。

 ここから犬とガキンチョの脚で向かうにゃ、相当しんどい場所ではあるんだが、見晴らしの良さは超一級。

 なんせ、村上水軍が物見に使った山だそうで、高見という名もそれに由来するのだ。

「母親の霊がいるなら、多分家があった場所だと思うんだよな。

 ただ……お前、本当に何も覚えてないんだよな?」

「うむ……」

「だよなあ。そんなら、無駄足になる可能性の方が高そうだな。

 ……いや、待てよ」

 

 ふと、思いついた。

 

 鼻息が当たる位までガキンチョに顔を近づけ、その顔付きをじっくりじわじわと観察する。

 突然の事に不思議そうに目をパチクリさせるガキンチョは、始めに感じた通りに、なかなか良い顔の作りをしている。

 そうだ。

 この顔付き、見覚えがある。

 性別が違うから、分からなかったんだろうか。

 渡船で俺をユーワクしてくれたJCに似ているのだ。

 だとすれば、このガキンチョも『あの一族』なのかもしれんぞ。

 

「……おい、ガキンチョ」

「なんじゃ?」

「お前の母親の居場所、分かったかもしれん」

 そう言うのと同時に、俺の心臓はファイアーダンスのようにズンドコ鼓動した。

 昔、オババから聞いた話が本当なら、これはドえらい事になるかもしれんのだ。


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