尾道茶寮 夜咄堂   作:加藤泰幸

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番外編『老人の絵本 その四』

 買い出しは、殆ど時間はかからなかった。この日はいくつかの調味料を買いに来ただけで、店で出す菓子や飲み物を補充する必要もなく、スーパーを一軒回るだけで済んだのである。

 スーパーを出ると、また冷たい風が吹き付けてくる。ちらとヌバタマを見れば、少しばかり体を縮れこませているようだった。

「これくらいの買い出しなら、次は付き添わなくていいよ」と軽く声を掛けると、ヌバタマは屈託のない笑みを浮かべて「千尋さんと出かけたいのです」と返してくる。

 慕われるのは嬉しいけれど、ちょっとばかりこそばゆい。

 無意識のうちに速足で帰路に着いた千尋であったが、スーパーを出て間もなく、その足はヌバタマによって止められてしまった。

 

 

「……千尋さん、アイスですよ。アイスクリームのお店がありますよ!」

 ヌバタマが大きな声を出しながら、千尋のコートを引っ張る。

 さっき掛けてくれた慕いの言葉よりも、張りがある声だ。

 まあ、甘味だけには勝てないものなのだ。

 ついつ乾いた笑いを浮かべつつ、ヌバタマが見つけた店を見れば、横幅三メートル程の小さなスペースのアイスクリーム屋が、他の店に挟まれる……というよりは、潰されるようにして建っていた。

 もちろん、幼い頃から通っている商店街だから、そこにアイスクリーム屋があるのは千尋も知っている。

 しかし、立ち寄った事も気に掛けた事も、一度もない店だった。

 

「アイスか。ヌバタマ、ここ来た事はあるの?」

「いいえ。宗一郎(そういちろう)様の代には買い出しに出る事はありましたけれど、お給金は頂いていませんでしたから。欲しいと言ったら宗一郎様が買って来てくださいましたし」

「父さん、パシりじゃん」

「面倒見が良い方、と言うべきですよ。……それで、千尋さん、その……」

 ヌバタマは途中で言葉を切り、やや顔を伏せつつ、千尋と店を交互に見始めた。

 なんともまあ、分かりやすい反応なのである。

 

「……もうすぐ冬だってのに、よくアイスなんか食べたがるなあ。一つだけだぞ」

「さっすが千尋さん!」

 その場でぴょんぴょん飛び上がるヌバタマを抑えつつ、改めてアイス屋に向き直る。

 店舗の正面には、店内への入口とテイクアウトの窓口があって、店内には細く狭いカウンターの座席が並んでいる。テイクアウト窓口に注目すると窓ガラスにメニューが張り出されていた。

 上から順に、バニラ、チョコレート、抹茶、ストロベリー、そして瀬戸田(せとだ)レモン、塩アイス。いずれもお手製と思われる写真付きである。

 

「瀬戸田レモンと塩アイスって、何なんでしょうか?」

 同じくメニューを見ながら、ヌバタマが呟く。

「尾道住んでるのに、知らないのか?」

「基本、お店に篭りっきりでしたから」

「そっか。ええと……瀬戸田レモンってのは、尾道と愛媛を繋いでいる『しまなみ海道』の一角、生口島の瀬戸田って所で採れるレモンを使ったアイスだな。確か、日照時間が長いから美味しいレモンが採れるんだ」

 途切れ途切れながらも、なんとか記憶を掘り起こして説明をする。

「おおー。千尋さん、物知りですねえ」

「それほどでも……」

「それで、塩アイスは何なんです?」

「ん? あー、えっと……」

 

 が、今度は言葉に詰まってしまう。

 塩の入ったアイス、くらいの事はもちろん分かる。この塩も、しまなみ海道のどこかの島で採れたはずだけれど、島名をど忘れしてしまったのだ。

 島名は塩のCMで有名だったはずだが、だからこそ、ヌバタマ以上に千尋自身が気になってしまう。

 こうなれば、文明の利器に頼る事にしかない。

 ポケットからスマートフォンを取り出して、モニターをタプタプする事十数秒。

「……あっ! 思い出した!! は・か・た・の」

「店の前でなーにをしとるんじゃあっ!!」

 千尋の言葉が、店内から聞こえた怒声にかき消される。

 驚くあまり、ついスマートフォンを落としかけたが、なんとか空中で掴んだ。安堵の域を漏らしながら店内を見ると、そこには先日知ったばかりの顔があった。

 

 

 

「あ、えっと……迫田さん?」

「あんちゃんは、この間の喫茶店の店長か」

 テイクアウト窓口から千尋達を睨んでいるのは、他でもない、白くなりだした眉を思いっきり吊り上げた迫田老人だった。

 よくよく彼を見てみれば、店名がプリントされた鮮やかな色合いのエプロンを付けている。

 可愛らしい恰好が意外と似合っている、なんて考えてしまうけれど、今はそれどころじゃない。

 その感想を意識の隅に追いやりながら、千尋は小さく会釈した。

「はい。夜咄堂の店長の若月千尋と言います」

「若いな。いくつじゃ?」

「もうすぐ十九歳になります。大学生です」

「学校に行きながら店を持つとは偉い……と言いたいが、そういうわけにもいかんな」

「と、言いますと?」

「すまーとほんじゃ。そんなもん外で弄ってたら、人にぶつかるだろうが」

 ぎろり、と手元を睨みながら迫田が言う。

「あ……は、はい、そうですね。すぐ、しまいます」

 

 彼の勢いに半ば気圧されながら、スマートフォンをポケットに戻した。

 とんだタイミングで顔を合わせてしまったものだ、と内心唸りながら、千尋は迫田の顔色を伺ったが、まだまだ笑顔が戻る様子はない。

 それでも、せっかく会えたのだから、電子機器を嫌う理由に探りを入れるチャンスではある。

 千尋は、迫田の表情の変化に注意しながら、ゆっくりと話を切り出した。

「あの……ところで迫田さん?」

「なんじゃい」

「迫田さんって、なんでスマホ……」

「それがなんじゃい!?」

 スマホ、と聞いただけで、また迫田がぷんすかと両手を掲げて怒る。

 これじゃあ、探りを入れるなんて到底無理な話だ。

 ちら、と斜め後ろのヌバタマを見やるが、彼女も難しそうな顔をして千尋を見返してくるだけだった。

 さて、どうしたものか……、

 

 

「おじいちゃん……」

 ふと、そこへ子供の声が聞こえてきた。

 振り返ると、五歳くらいの大人しそうな男児が、涙目になって迫田を見上げていた。

「おや、さっきの坊やじゃないかい。ベソかいてどうかしたかい?」

 迫田が猫撫で声で言う。

 先ほどまでの頑固老人はどこへやら、彼は優しげな瞳を男児に向けていた。

 だが、その瞳は何かを捉えたようで、彼はすぐに小首を傾げた。

 

「……おや、さっき買っていったアイスはもう食べたのかね?」

「ううん。……えぐっ……落とした。信号で、車に驚いて……えぐっ……」

「なるほど、そういう事かね。よしよし、じゃあ代わりのアイスをあげよう」

「ん……お金、お母さんにもらってくる」

「そんなのいらんわい。確か塩アイスだったな。ちょっと待ってなさい。ああ、危ないから横断歩道は一緒に渡ろう」

 迫田はそう言うと、慣れた手つきで塩アイスを用意し、店外に出てきた。

 それを男児にそっと手渡し、空いている方の手を握って「さあ、行こうかね」と声を掛けると、彼は男児と一緒に商店街の奥へと歩いて行った。

 

 そして、店の前には千尋とヌバタマだけが残される。

 突然の豹変に、二人は唖然としたままで口を挟めなかったが、見送る迫田の背中が小さくなったところで、やっと千尋が先に声を出した。

「……迫田さん、むちゃくちゃ子供に優しいな」

「ええ。別人かと思うくらいでした」


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