尾道茶寮 夜咄堂   作:加藤泰幸

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第十二話『曜変天目茶碗 その三』

「いやー、奇遇だなあ。俺、ちょうど腹が減ってたんだよ。ワンッ!」

「はーいはいはい……」

 犬が、喋っている。

 周囲に人がいないからと言って、外でペラペラとくっちゃべるのは、雑種犬型付喪神、ロビンの悪い癖だった。

「いつか思わぬところで聞かれてしまう」と前々から何度も言い聞かせているが、ロビンは話を聞かない。

 千尋も最近では、注意も返事も億劫になってしまい、適当に流しがちになっていた。

 

「……そんな事より、お前が渡船に乗っているとは思わなかったぞ」

「向島は俺の散歩圏内だからな」

「さすがはノラ犬」

「犬じゃない! 付喪神ー! 形が犬ってだけで、俺も付喪神なの!」

 やかましく喚きながら、ロビンが鼻で膝をぐいぐい押してくる。

「それよりお前、本当に付喪神だとバレないようにしろよ? 渡船だって、運賃どーしたんだよ」

「おー、渡船のおっちゃんは顔なじみだからなー。ノラ犬のフリしたらタダで乗せてくれるのさ」

「……やっぱり犬じゃん」

「フゴッ! 今のは言葉のあやだよ! ワンッ!」

 

 

 変な鼻息を鳴らすロビンから逃げるように、足早に和菓子屋「赤備」を目指す。

 船中でロビンに、うっかり目的地を話してしまったのはまずかった。

 和菓子の買い付けを邪魔されるだけなら、まだいい方だろう。小谷の店に迷惑をかけたり、正体がバレたりする事だけは避けなくちゃいけないのだ。

「なーなー、待てってさー。和菓子和菓子ー!」

「お前の好物はドーナツだろう……」

「ドーナツも好きだけど、和菓子も好きなんだよ」

 ロビンが贅肉を揺らしながらドスドスと追いかけてくる。どうにも、撒くのは難しそうだった。

 

「行くの、やっぱり明日にするかな」

「甘いぜ千尋。延期するならするで、俺も当分船着き場に張り込むぜ」

「……分かった。せめて、店の中に入ろうとはするなよ?」

「おー、当たり前じゃーん」

 ハアハア舌を出して笑うロビンにそう言われたところで、不安しかない。

 しかし、赤備には行かなくちゃいけない。他に良い店はないのだ。

 諏訪を巡る不思議な縁に思いを馳せつつ、店の近くまで来る。

 休憩中だろうか、外で小谷が背伸びをしているのが見えた。

 

 

 

「ワンワン! 甘い香りだ! ワンッ!」

「あっ、バカ!」

 突如駆けだしたロビンに怒鳴ったが、もう遅い。

 声こそ小谷には届かない距離だったのに、瞬く間に小谷の傍まで到達してしまう。

 じゃれつく様な真似こそせず、小谷の前をぐるぐると周回するだけだったが、それでも小谷は突然の襲撃に驚いたようで、一歩後ずさるのと同時に、被っていた白帽を落としてしまった。

「こら、駄犬!」

 ようやく追いついて、手で強めに払う。

 叩くつもりはなかったのだけれど、勢い余った平手はロビンの尻に当たってしまい、駄犬は「ヒャン!」と悲痛な声で鳴いて、来た方向へと逃げ出してしまった。

 ちょっと、悪かっただろうか。

 考える事一秒弱。

 ちーっとも悪くない。

 仮にロビンが怒ったところで、好物の東雲ドーナツ店特製抹茶ドーナツを与えれば、機嫌は一発で直るのだ。

 

 

「……今のは?」

「あー……あはは。なんかノラ犬に懐かれちゃって」

 それよりも、今は小谷だ。会話は聞こえていなかったとは思うけれど、念の為に場を取り繕おうと、落ちた小谷の帽子を拾う。

 手で埃を払っているうちに、帽子の内側に刺繍された名前が見えた。

「小谷、豊……」

「………」

「ご家族の帽子ですよね」

「……むう」

 帽子を渡すと、肯定とも否定とも取れる唸り声が返ってきた。

 しかし、千尋にはもう答えは分かる。やっぱり、二人は家族だったのだ。

 詳しい事情は聞かずに、お茶を濁して退散するべきだろうか……。

 

 

「小谷さん」

 無意識に、穏やかな声が漏れた。

 頭で組み立てた理屈とは正反対の言葉が、脳裏に浮かんでいる。

 なんとも、おせっかいなものだが……まあ、いいさ。

「実は、豊さんとは先日会いました。ご存知かもしれませんが、尾道に帰ってます」

「……知っている」

「ご家族と仲が悪い話も聞きました。……おせっかいだとは分かっています。でも、もし俺で力になれる事がありましたら、是非」

 

「……むう」

 また、小谷が唸る。しかし、今度は首を縦に振りつつの声だった。

「本当に、無理はしないでいいんですよ?」

「大丈夫だ。……何故だろうな。君は、なんだか喋りやすいんだ」

 三白眼の目を細めてそう言うと、小谷はゆっくりとした足取りで、船着き場への通りを歩きだした。

 黙って千尋も着いていくと、かなり遠目だけれども、視界には対岸の千光寺山が入った。舞台造りの千光寺や、寺の隣にある大岩も確認できる。

 少しだけ、意識が小谷から風景に移る。

 この美しさは、通りに活気があった頃から変わらないのだろうか……。

 

 

「……豊は、弟だ」

 小谷の告白に、千尋は意識を彼に戻した。

「……七年は会っていない。……小さいの頃は二人して『親父みたいに立派な和菓子屋になろう』と息巻いていた。実際、中学に入った時……二十年ほど前から、実際に手伝いだしたよ。八年前に親父が病死するまでは、ね」

「………」

「……親父が死んで、すぐだった。豊が『兄貴の和菓子は古い。もっと斬新な和菓子を作りたい』と言い出したのは。俺はそれを不安に思った。俺達は激論をかわし……やがて、殴り合いの喧嘩になり、あいつに大怪我をさせてしまった。『二度と帰ってくるな』と暴言も投げかけて、ね」

「方針の違い、ですか」

「そう言ってもらえると、まだ聞こえがいいね」

 ちら、と小谷が振り返って苦笑する。

 いつの間にか、二人は船着き場前のバス停まで来ていた。白ペンキで塗られた小さい家を待合に使っているバス停で、映画の舞台としても有名な所だった。

 

「……豊は、本当に家を出た。行き先と事情が分かったのは一年後。豊を追って上京した恋人の立島さんからの手紙だった。……豊は立島さんとの結婚を考えていたが、大黒柱の父を亡くした事で『今のままでは先がない』と、仕事に不安を覚えたらしい。それが、すれ違いの理由だったんだな」

「………」

「千尋君は、他にどんな話を聞いたんだい?」

「東京でお店を持つ事になった。あと、こっちで式を挙げる為に帰省している、と」

 

 本当は、もう一つ聞いている。

 豊もまた、兄と同じ様に、自分の和菓子に悩んでいると。

 でも、それは簡単に話しちゃいけないような気がした。

 

 

「そうか……」

 小谷はバス停前のフェンスに腰を預け、静かに瀬戸内海を見つめる。

「豊さんに、会わないんですか?」

「……会えるわけないよ。散々に追い出してしまったんだ」

「それじゃあ、式にも出ないんですか……」

「立島さんは『怒っているのはポーズ』と、密かに誘ってくれているが、無理だ。……引き出物が不調だと話しただろう? あれも、立島さんから依頼された物なんだ。これを機に仲直りして欲しいという計らいだろうね」

「いいアイディアじゃないですか」

「……俺も、せめて引き出物を祝いの言葉に変えたかった。でも、無理なんだ。……ようやく、気がついたよ。俺は怖いんだ」

「………」

「父の和菓子には、堅実なだけじゃなく創意があった。俺が堅実さを、豊が創意を引き継いだ形になったけれど……豊が正解だったんだね。俺は、挑戦する気持ちを持てない。……昔から何も変わっていないんだ、俺は。豊だって許してくれないさ」

 

 そうか。

 そうだったのか。

 ようやく、小谷が抱えていた悩みを知る事ができた。でも、そこを乗り越えなくちゃ、いつまで経っても仲直りはできない。

 誰かが、小谷の……いや、この兄弟の背中を押してあげなきゃいけないんだ。

 

 

「大丈夫ですよ。小谷さん」

 小谷の落ち込んだ声と釣り合いをとるかの様に、明るい声で千尋は言う。

「千尋、君?」

「きっと、仲直りできます。大丈夫ですから」

 はっきりと、そう言ってのける。

 それでも、小谷から返ってきたのは、消えてしまいそうな苦笑だった。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 夜咄堂の周囲は、夜になると人の声がしなくなる。

 商店街に隣接した、俗にいう夜の街、新開(しんかい)地区でさえ、他の都市の歓楽街と比べたら静かな方だろう。千光寺山にある夜咄堂の周囲から声が消えるのも当然である。

 しかし、夜咄堂の中は違う。店先のアンティークランプにほのかな照明を灯した夜咄堂では、千尋とヌバタマ、そして共に暮らすもう一人、中年男性の付喪神のオリベが、膝を突き合わせていた。

 

「ヒャッヒャッヒャッ! 人間とは難しい生き物だなあ!」

 ひととおりの説明を聞いたオリベは、甲高く笑った後で、緑青色の抹茶碗を煽った。

「笑い事じゃありませんよ!」

 ヌバタマが強い口調でたしなめる。

「ああ、分かっている、分かっている。キリッといこう、キリッと」

 薄茶を飲み干したオリベは、幾何学模様が描かれた茶碗をテーブルに戻し、茶碗と同じ模様をした和服の袖を翻して腕を組む。

 普段はふざけてばかりなのに、真面目になると、なかなかに雰囲気がある男なのだ。

 

 

「いや、しかしね。勇気をもって、えいやっ、と和菓子を作っちまえば解決するもんだと思うんだがね」

「そういうのは、蛮勇と言いませんか?」

 と、千尋が尋ねる。

「義があれば勇気 になるさ。彼には弟と仲直りしなくてはならない義がある。その目的の為には、思い切って挑戦しても構わない……いや、するべきだと思うよ」

「なるほど……」

「……と、昔のえらーい人が言っておった。ヒャッヒャッ!」

 ちょっと感心したら、これである。

 呆れる二人をよそに、オリベは残った抹茶を一気に飲み干したが、鼻下のヒゲに薄茶が付いてしまい、いっそう締まりがなくなった。

「ヒゲ、ヒゲ」

「おっと、こりゃ恥ずかしい」

「オリベさんの格言、いつも他人のふんどしですよね……」

 ヌバタマが口をとがらせながら言う。

「まーまー。だが、実際そうするべきだと思うよ。この織部(おりべ)茶碗として百年、付喪神になってからも百五十年程人間を見てきたから、人というものが少しは分かる」

「その割にはこの間、店先で観光客の女の子を口説こうとして、撃沈してましたよね」

 ヌバタマの突っ込みに、オリベは瞬く間に顔をひきつらせた。

「み、見ていたのかね? あれはナンパではない!」

「みっともないから、あれほどやめてと言ってるじゃありませんか! 罰として明日の掃き掃除はオリベさんです!」

「聞いてくれヌバタマ。店を案内しようとしてだね」

「駄目です!」

「ぎゃふん」

 オリベはわざとらしく、ひっくり返るような仕草をしてみせた。

 それにしても、少々脱線が過ぎている。千尋が閑話休題と言わんばかりに居住まいを正すと、ヌバタマもそれに倣った。

 

 

「……話を戻しますが、俺は小谷さんの力になりたいんです」

「私もです。そこまで深い事情とは知りませんでしたから、今は特にそう思います」

「ふむ……具体的には、どうしたいんだね?」

 オリベは鼻ヒゲをちりちりと弄りながら言う。

「小谷さんには、新しい和菓子に挑戦できるようになってもらいます」

「弟さんに謝る件はどうする」

「和菓子の問題さえ解決すれば大丈夫です。弟さんを理解できなかった昔とは違う……そう実感できれば、謝れる様にもなるかと。……これは、三笠さんに協力してもらおうと思います」

「和菓子屋の老人だね。……なにか、考えがあるようだな」

「ええ、まあ」

「分かった。しかし念の為に、もう一手用意するべきではないかね?」

「もう一手……? ああ!」

 答えは、すぐに思いついた。

 

 

 ――夜咄堂と、付喪神。

 ここ尾道に、人知れず息づいているその二つには、ある力がある。

 茶寮と茶道具の精霊だからこそ成せる力。

 それは……、

「『日々是好日(ひびこれこうじつ)』を、使うんですね」


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