尾道茶寮 夜咄堂   作:加藤泰幸

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第十四話『一期一会 その二』

 夜咄堂に帰った千尋は、少し早めに店を閉めてしまい、ヌバタマと一緒に浄土寺山へと向かった。

 店を出た辺りで、空からはちらほらと雪が降り始めている。どうりで寒いはずだった。

 暖かい自室で主題を考えたかったのだけれど、もう一つのやるべきこと、シズクの件が気になるのだ。

 

 それは、安否を確認したいというだけの話ではない。

 シズクが消えたあの日、千尋は心中に沸いた気持ちをヌバタマに打ち明けた。

 シズクの代わりに、凛とした影の人を探す……そんな私案を口にすると、彼女は一も二もなく同意してくれた。

 ただ、ヒントは少ない。まずはシズクと再開しないと、何も始まらないのだ。

 

 

 黒ずんだコンクリートのガード下を抜けて図書館の前に出る。

 初めてシズクを見かけた場所だったが、この日は、冬休み中の小学生が図書館に入って行くのを見かけただけである。

 多分そうだろうと思っていたので、あまり落胆はなかった。

「……いないみたいですね」

「そうだな」

「浄土寺まで行きますか?」

「今日はいいかな……」

「いや、来んさいや」

 二人の会話に、突然広島弁が加わってきた。確実に自分よりも年長と思われる、低く太く、そしてどこかしゃがれた声だ。

 しかし、周囲に人気はない。目を細めて注意深く観察したが、塀の上に座っている猫を見つけただけだった。

 まるで人間のように眉をひそめ、じっと自分を見つめている。何か訴えかけるような……、

 

 

「……今の、もしかしてお前か?」

「おう。ワシよ」

 声に合わせて猫の口が動く。

 千尋は狼狽することもなく、むしろいっそう目を細めて猫を観察した。

 動物に突然話しかけられるのは、もう付喪神のロビンで経験済みだし、それにこの猫には見覚えがある。

 まじまじと見てみれば、記憶違いじゃなかったと確信できた。シズクが茶室下から引っ張り出した雪之丞、とかいう猫なのだ。

 

 

「この前店に来ていた雪之丞だよな?」

「ああ、本当だ! あの……私、付喪神のヌバタマと言いますが、あなたも付喪神なんですか?」

「ほうじゃが、ワシの話は後よ。いいから来んさい」

 猫は早口でまくし立てると、塀から飛び降りて坂道を上りだした。

 事情は分からないが無視するわけにもいかない。

 ヌバタマも同じ考えだったようで、何も言わずに後を付いていくと、すぐに浄土寺に辿り着いた。

 

 降雪にも関わらず、本堂前には参拝者が何人か見受けられる。

 浄土寺は『露滴庵』だけじゃなく、何やら仏像やら仏画やら、門やら宝庫やらと、重要文化財の塊らしい。見るべきところは山ほどあるのだろう。

 

 

 

「こっちじゃ」

 雪之丞は本堂前を通過し、更に多宝堂の前も抜ける。先の階段を進んだ先には、寺の境内ながら小さな神社があった。

 木々に囲まれていて、寺の中にあって特別閑静な場所だけれど、人影が見える。寄進の石柱にもたれかかるようにして、シズクが立っていたのだ。

「シズクさん!」

「あら……千尋さん。それに、ヌバタマさんも。どうしてここに?」

 シズクは背中を起こしながら言った。聞こえてくる声は以前よりも小さい気がする。

「シズクさんを探してたんですよ。そしたら、雪之丞……ですよね? この白猫さんが案内してくれたんです」

 と、ヌバタマ。

「そうでしたか。雪之丞、ありがとう」

「……引き合わせるつもりはなかったんじゃが、この小僧ら、ちょいちょいシズクを探しに来るもんじゃけえ、うっとーしゅうての」

 雪之丞は吐き捨てるように言うと、千尋をじろりと睨みつけた後で、賽銭箱の上に飛び乗り、あぐらをかいて座った。

 まるで人間のような仕草に少しばかり興味は沸くけれど、それよりも先に、シズクにするべき話があるのだ。

 

 

「あれからお店に来ませんでしたよね。……体を保つのが、つらいんですか?」

「ええ、まあ。……それより、私を探していたとか」

「そうなんです。ちょっと、お話がありまして」

 こほん、と咳ばらいをしてから、シズクに向き直る。

 察しがついていないのか、シズクにかしこまった様子は見受けられなかった。

 

「シズクさんが探している人。俺達が代わりに探そうと思うんですよ」

「千尋さん達が……?」

 澄んだ、しかしどこか困惑した声が返ってくる。

「はい」

「そんな。大丈夫ですよ」

「俺達の方が探しやすいと思うんです。移動制限はないから、尾道中を探せますし。だから、その人の話をもっと聞こうと思って、シズクさんを探していたんです」

「……なぜ、千尋さん達が探してくれるんですか?」

「ああ、まあ……」

 

 理由を聞かれるとは思っていなかった。

 つい言い淀んでしまい、雪降る空を見て言葉を探す。

 いや、確かに自分でも「なぜお節介を」と思うことはあるのだ。半年前に比べれば、本当に他人の悩みに顔を突っ込むようになった。

 大きな理由としては、社交的なヌバタマの影響だろう、とは思う。

 彼女の前向きさには、相手の心に飛び込む勇気を教えてもらったし、今でも引っ張られっぱなしだ。

 だが、改めて自問自答してみると、答えはそれだけじゃないのに気がついた。

 

 

 

「……ヌバタマにはヌバタマの考えがあるでしょうが……俺は、気になったから」

「………」

「気になって、心に深く突き刺さっちゃったら……もう、放ってはおけないんです。シズクさんだけじゃない。俺とシズクさんの問題なんです」

「優しい方なのですね」

 シズクは、なぜか笑いをこらえるようにして言った。

 隣に立つヌバタマも同じくニヤニヤとしていて、ちょっと恥ずかしい。

「変、ですかね」

「そんなことはありません。……ああ、でも、宗一郎さんも優しい方でした。親子ですね。目元が似ていますが、性格も少し似ているかも」

「むう……」

 いよいよ照れてしまい、睨むようにして目を細めながら視線を外す。動揺すると目を細めるのは千尋の癖だった。

 

 

「ふふふっ……でも、ありがとうございます」

「別にお礼なんて」

「……嬉しい。心から、嬉しいです。お言葉に甘えさせて頂きます」

 シズクは安心しきった声でそう言うと、静かに微笑んだ。

 彼女の穏やかな雰囲気と相まって、思わずどきりとしてしまうが、動揺が伝わった様子はない。

 というのも、シズクは千尋の反応を気にせず、ポケットから古ぼけたベンジン懐炉を取り出したのだ。

 よくある市販の物で、真鍮製の本体はかなりくすんでいて、じっと見つめても、見る者が映ったりはしなさそうだった。

 

 

「これは、あの方に頂いた物です。人間の道具はよく分からなくて、もう暖かくはならないのですが……探す時に使えますでしょうか?」

「どうかな。……市販の物で名前も書かれていないから、決定的なヒントにはならないかもしれませんね」

「そうだ。その人の名前は分からないんですか」

 ヌバタマが尋ねる。確かに聞いておきたいところだった。

「ええ。あの人と会ったのは二回だけですし、名前も聞きそびれているんです。……実は、記憶も大分曖昧になってきて、顔もはっきりと思い出せないんですよ。おそらく、ここ数年、たびたび本体に戻っているからでしょうね」

「………」

「でも、あの日起こった事は覚えています。今日のみたいな細雪ではなく、外出も困難な大雪の日の事でした……」

 そう呟いと、シズクはそっと胸元で回路を抱きしめる。

 既に失われた懐炉のぬくもりを思い出すかのように、彼女は言葉を紡いだ。

 

 

「……初めて出会った日に、再会の約束をしたのです。『露滴庵』をどう思うのか、もっと話を聞いてみたくて。ですが、約束の日はあいにくの大雪。あの人は来ないだろう、そう思っていたのですが……来てくれたのですよ」

「わあ……」

 ヌバタマは、かすかに頬を赤らめながら聞き入っている。

「傘を差しても横から吹きつける雪風でしたから、雪だるまみたいになっていました。でも、笑いながら来たのです。それどころか、防寒していなかった私にこの懐炉を渡して『寒いからこれで暖を取るといいよ』って」

「素敵な人ですね……それだけ、シズクさんに興味を持ってくれていたんでしょうか」

「違うと思います。私はあの人に何もできていませんでしたから。……だから、そうまでして来てくれた理由を尋ねたんです。そしたら、これは信念だと。一期一会が好きな言葉だと。出会いを大切にするから、約束は必ず守ると。……なんでも、お茶に関する仕事をされているそうで、その繋がりで持たれた信念だそうです」

 

 一期一会。

 当然、千尋も耳にしたことがある言葉だし、茶道に関連する言葉だとも知っていた。

 でも、それ以上は何も知らず、この言葉だけでは、人探しのヒントにはし辛そうだ、と思う。

 もう少し話を掘り下げられないかと、質問を続けようとしたけれど、それは出来なかった。シズクの身体は、先日のように光球を伴って、消えつつあったのだ。

 

 

「シ、シズクさん!」

「ごめんなさい。ちょっと、疲れました……。今回は遠出していませんから、少し休めば戻れるはずです。困ったことがあれば、雪之丞に……」

 シズクは笑いながら言った。

 笑っていられるような体調ではないのだろうに、それを表に出さずに言った。

 彼女の辛さが伝わってきて、千尋はそれ以上呼び止められず……結局、シズクは、再び姿を消してしまった。

 

「……話は終わったかの?」

 そして、後に残された者が口を開く。

 ずっと賽銭箱に座っていた雪之丞は、機敏な動作で飛び降りて、千尋らに近づいてきた。

「さ。人探しするけえの。陽が沈まんうちに探しまわんと」

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

「ワシはまだお前らを認めとらん。ただのガキじゃ」

 先行して坂道を下る雪之丞が、また早口で言う。

「じゃが、シズクの力になれるもんは限られとる。つまり、お前らは消去法じゃ。決して見込んだのと違うけえ、悠長に構えずキリキリ探してもらうけえのお」

 その檄には、千尋ら二人に有無を言わせぬ勢いがある。

 もちろん、感情も高ぶっているのだろうが、この猫は純粋に押しが強いような気もした。

 

「雪之丞さんは、付喪神でしたよね」

 一緒に後を歩くヌバタマが、また確認する。

「ああ。そう言うたじゃろ」

「でも、尾道の付喪神って、オリベさんとロビンさんと、あと私しかいないと思っていたんで、おかしいな、って」

「ヌバタマが生まれる前に、夜咄堂にいたとかじゃないか? シズクさんもそうだったろ」

 千尋が見解を口にすると、前を行く雪之丞は、尾を面倒臭そうに左右に振りながら言葉を付け足した。

 

「小僧の言うとーりよ。ワシがいた頃は、オリベとロビンのバカ犬しかおらんかった」

「その割にはロビンさんから、雪之丞さんの話を聞いたことがないんですよ」

「ワシゃ、長く尾道を離れとったけえ、まだそうだと勘違いしとるんじゃろ」

「同じ付喪神なんだし、会えばいいのに」

「そもそもロビンとはソリが合わん。あいつもワシを煙たがっとるからじゃろ。もっとも、夜咄堂はたまーに様子を見に行っとる。最近代替わりしたのも知っとるよ」

 そういえば以前、店に入ってこようとした白猫を追い出したのを、千尋は思いだす。

 あの時と同じ猫だったかどうか自信はないけれど、目つきの悪いところは似ていた気がする。

 雪之丞が自分を認めないのは、偶然にも観察されていたからかもしれない。

 

 

「……ほれ、そんなことより町に来たぞ」

 車道が見えたところで、雪之丞が立ち止まる。ここからはお前らが前に出ろ、と言いたいのだろう。

 

 ――さて、どうしたものだろうか。

 今日いきなり探しに行くつもりはなかったので、いざ探せと言われても、どこからどう手を付けて良いのか皆目見当がつかない。

 手がかりと言えば「茶道関係の仕事」に「一期一会が信念」に、他には「雪の日に女性にベンジン懐炉を手渡した」くらいのものだ。

 まさか、こんな事を無差別に聞き込むわけにもいかない。

 だと言うのに雪之丞は、シズクが消えた早々に「その男を探す」と言い放っている。その際に千尋は「すぐには無理だ」と断ったけれど、返ってきたのは言葉ではなく、足元への猫パンチだった。

 そんなに痛くなかったけれど、雪之丞に延々と叩かれ、結局は勢いに飲み込まれて、言われるがままに人探しを始めた始末である。

 

 

「……ヌバタマ。どーしようかね」

 ヌバタマに顔を寄せ、小声で相談する。悠長な話を聞かれちゃ、また殴られてしまいそうなのだ。

「うーん。千利休に関する場所でもあれば、手がかりになりそうなんですけれども」

「利休が?」

「利休の高弟、山上宗二(やまのうえそうじ)の伝書曰く、一期一会は利休の言葉だそうです。もし言葉だけじゃなく、利休という人も好きなら、ゆかりの地に足跡を残しているかも」

「だけれども、そんな場所はなし……か。了解。せめて茶人関係の場所を攻めよう。先行してくれるか?」

「分かりました」

「雪之丞の相手は俺がするよ」

「あまり叩かれないように、ご注意を」

 

 

 

 まずは近くから、ということで、ヌバタマが最初に向かったのは、付近の住宅地内にある地蔵尊と古井戸だった。

 これまた利休の高弟で、織田信長(おだのぶなが)に反旗を翻したことでも有名な荒木村重(あらきむらしげ)が尾道に隠遁していたらしく、古井戸は村重が使っていたものだそうだ。

 歴史深い場所けれど名高くはなく、現に千尋も、道中にヌバタマが教えてくれるまでは知らない場所だった。

 だからだろうか、いざ古井戸に着いても参考になりそうなものはなく、それから一行は転々と市内を歩いていまわった。

 

 まずは、尾道茶道史黎明期の茶人、内海自得斎(うつみじとくさい)が住んでいたとされる山脇(やまわき)神社付近。

 更には、茶室がある爽籟軒庭園(そうらいけんていえん)

 結果は、どちらも空振りである。爽籟軒庭園ではもしやと考え、事情を伏せて係員に聞いてみたけれど、困惑しながら「そんな人は知らない」と言われるだけだった。

 

 その間も雪之丞は「はよ見つけんか」とボヤいたり、千尋を小突いてきたりと、大いに急かしてくる。

 千尋だって見つけてあげたかったけれども、雪之丞はそれ以上……もう、ここまでくると焦っているようにも感じられた。

 

 

 

「……さて、次はどうしましょうか」

 爽籟軒庭園を出るなり、ヌバタマが難しい顔をして言う。

「露滴庵絡みでは、何かないの?」

「露滴庵以前建っていた海物園(かいぶつえん)跡が向島にありますけれど……」

「向島か。行けば完全に夜になりそうだな」

「それに、当時を思わせるものはほとんど残っていないので、無駄骨に終わる可能性もあります」

 ヌバタマの説明を受け、千尋は腕を組んで考え込む。

 すると、そんな千尋の足を、また雪之丞が小突いてきた。

 

「なんじゃい。次に行かんか」

「次も空振りだと思うよ。また明日にしようよ」

「いーや、行くんじゃ。はよせえ」

 雪之丞が苛立ちを隠さずに言う。もう、こんな問答を何度繰り返してきただろうか。

 この頑固な猫に現状を理解してもらうのは、なかなかに難しい。千尋はつい頭を抱えてしまいそうになったが、その前にヌバタマが、雪之丞との間に割って入った。

 

 

「雪之丞さん、どうしてそんなに急いでるんですか?」

「そんなもん、分かっとるじゃろ。シズクには時間がないんじゃ」

「私達も分かっています。でも、落ち着いて考えないと見つけられそうにないんです」

「ほいじゃけど」

「急がば回れ。お茶と同じですよ。『早くお茶を出さなきゃ』と焦っても、棗を倒して抹茶を零してしまったら、かえって時間がかかります。ねっ?」

「……むう」

 棗の付喪神ならではの言い分には、雪之丞も反論ができないようだった。

 ヌバタマが励ますように雪之丞を撫でようとするが、雪之丞はそれをかい潜って拒否する。

 しかし、自分への対応のように猫パンチを浴びせる事はなかった。ちょっとだけ悔しかったけれど、とりあえずはよしとする。

 

 

「じゃあ、今日は帰りましょう。……そうだ、雪之丞さんも夜咄堂に来ませんか? 昔はいたんですよね」

「断る」

 即答である。

 振られたヌバタマは、少しだけ悲しそうに目を伏せた。そのせいだろうか、雪之丞は取り繕うように、すぐに言葉を続けた。

 

「確かにワシは夜咄堂におったが、店に思い入れはない。それよりも本体の茶道具が持つ性質が強いからじゃ。……お前の知り合いにも、そんな付喪神がおるじゃろ」

「犬型のロビンさん……」

「ほうじゃ。あいつの本体は、酒で黄金色に輝く焼き物、星野焼(ほしのやき)じゃけえ、楽という性質が強い。ノラになったのも、快楽に忠実だからじゃ」

「本体……そういえば、雪之丞さんの本体は?」

「それよ。ワシの本体は『一期一会』の掛け軸じゃけ。偶然にも探している男の好きな言葉と一緒じゃの。……一期一会。意味は分かるの? その性質があるから、ワシは夜咄堂には戻れんのよ」

 

 雪之丞はさも当たり前のように言うけれど、千尋の頭の中ではうまく繋がらない。

 一期一会。つまりは『出会いを大切に』ってところだろう。

 でも、夜咄堂に戻らない理由との関連性は、見出せないのだ。

 

「ううん、なんだかよく分からないな。どんな繋がりがあるのさ」

 ストレートに疑問を投げかける。

 雪之丞は反射的に千尋に向き直って口を開こうとしたが、動きは途中で止まってしまった。

 尾もだらんと垂れ下がっている。一般的な猫の場合、どんな感情の時に見せる反応だったろうか。多分、マイナス的な感情のような気がする。

「……まあ、ええことよ。また明日、探すけえの」

 そう言い残すと、雪之丞は体をしなやかに弾ませて、瞬く間に去ってしまう。

 陽は、もう半分以上落ちていた。


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