茶道具には、消耗品もある。そのうちの一つが、茶筅だ。
茶を点てる際に穂先が折れたり、長期間の使用で穂先が広がりすぎた茶筅は使い物にならない。
点てる時だけじゃなく、茶碗の中で清めもする道具なので、劣化しやすい一面もあるだろう。
そうして使えなくなった茶筅は捨てずに取っておき、茶筅供養をする。やり方は流派によって様々だが、寺で念仏をあげてもらうケースが多いらしい。
だから、夜咄堂のやり方では、供養になってないんじゃないだろうか、と千尋は思う。
オリベが「気持ちが篭っていればいい」と言ったとはいえ、裏庭に置かれた一斗缶の中で茶筅が燃える様は、供養というよりは、たき火か火遊びのようである。
「……いや。せめて、気持ち気持ち」
ただ燃えるのを見ているのも暇なので、両手を合わせて目を瞑ってみる。
初めは戯れだったのに、いざやってみると、茶筅を使ってからの日々が不思議と蘇った。
段々と千尋も本気になり、これまで客を癒してくれたことへの謝辞を、頭の中で何度も唱える。
だが、それも数分で終わり、また手持ち無沙汰になった千尋は、間もなくやってくるロビンのことを考えた。
――ロビンの言い分は、こうである。
なんでも、自分を見かけるといつも撫でてくれる、ロビンお気に入りの中学生の女の子がいるのだが、最近その子に元気がないらしい。
ロビンが「どうしたの?」と声をかけるわけにもいかず、かといって犬に悩みを打ち明けてももらえず、ただ消沈する姿を見るばかり。
そこで白羽の矢が立ったのが千尋だった。なんとか女の子を店まで連れてくるので、一緒に元気づけて欲しい、というのだ。
正直なところ、断っても良かった話ではある。
しかし、普段のドーナツをねだる時とは違い、珍しく真剣に頼み込むものだから、つい安請け合いをしてしまったのだ。
「千尋さん、来ましたよ」
ヌバタマが裏口を開けるのと同時に、声をかけてきた。
「あれ、もうか。どーやって連れてきたんだろう」
「女の子……山越さん、って子なんですけれど、ロビンさんが鼻で押すような仕草を見せるんで、面白がってされるがままに歩いたら、夜咄堂に着いたそうです」
「犬に誘われ古民家喫茶か。女の子からしたらミステリアスかもな」
「ミス、テリ……?」
「横文字あまり分からないんだっけか。神秘的、ってこと」
「実際、私達は付喪神ですから、その感想は当たっていますね。どーしますか」
「俺が会ってみるよ。ヌバタマは茶筅を見ててくれるかな」
「分かりました」
ヌバタマとすれ違って裏口から厨房に入り、更に客室スペースへと抜けると、三つ編みを結った女の子が、窓際の席でロビンの手を握って遊んでいた。
他には客はいないし、あの子で間違いないだろう。
「どーも、いらっしゃいませ」
「あっ、店長さん? ごめんなさい、まだ何を頼むか決めてなくて……」
女の子は慌ててロビンを離し、テーブルの上のメニューに視線を移す。
その瞳には、どこか力が篭っていないような気がした。
ロビンの言う「元気がない」とは、こういうことなのだろうか。
「いいよ、そのままで。和服のお姉ちゃんが、店に寄っていくように勧めたんでしょ?」
「はい」
「今日は他にお客さんもいないし、ロビンと遊んでていいよ」
「ありがとうございます。なんだか不思議な感じのお店ですね。……あ、ロビンっていうんだ、この子。お店の犬なんですか?」
「うーん。一応、そうなる……のかな」
ノラを気取ってはいるが、ちょくちょく夜咄堂には遊びに来るし、本体の水注も店に置いてある。
だから曖昧ながらも肯定したけれど、ロビンとしては気にくわないようで、千尋の発言を耳にするや否や、軽い体当たりをぶちかましてきた。
「ワウッ!」
「わっ! やったな、駄犬!」
「ワン、ワンワンッ!!」
なおもぶつかってくるロビンを、なんとか払いのけようとする。
しかしロビンは食いさがり、みっともないじゃれ合いになってしまった。
とにかく引き離そうと、必死に抵抗すること、しばし。
……気がつけば山越は、生き生きとした目つきで笑っていた。
「あははっ、犬と本気で喧嘩してる」
「あ……いや、これは……」
「店長さん、かっこいいのに子供っぽいですね。でもロビンちゃんかわいそうですよ」
「……はい」
よりにもよって、中学生の女の子から、子供っぽいなんて言われてしまった。
がっくりと肩を落とす千尋とは対照的に、ロビンはしたり顔で、舌を出しながらこっちを見ている。
どうやら、山越を笑わせる為のダシに使われたようだ。
「……まあ、いいさ」
「え? なにがですか」
「いや、こっちの話」
「そうですか」
山越は笑うのをやめて、力のない瞳に戻った。
隣にいるロビンも消沈したのが、気配で伝わってくる。
……これじゃあ、駄目らしい。
そんなに落ち込んでしまう出来事とは、なんなんだろう。
千尋は膝を落として目線を合わせると、努めて優しい声をかけた。
「なんだか、元気がないね。嫌なことでもあったの?」
「あ……その、キーホルダー、無くしたんです」
ちょっとだけためらう様子を見せたが、山越は意外にすんなりと話してくれた。
「キーホルダー? 大事な物だったのかな」
「はい。ガラスの宝石が付いているキーホルダー。……子供っぽいですよね」
「大事な物に、大人も子供も関係ないさ」
「ありがとうございます。……それをバッグに付けていたんですど、バッグを落とした時に取れちゃって。そしたらそれを、ノラ猫がくわえて持って行っちゃったんです」
「フゴッ!?」
ロビンがひときわ強い鼻声を鳴らした。
あまりにも激しかったもので、話の最中であるにも関わらず、反射的にそっちを見てしまう。
ロビンは鼻にしわを寄せて、明らかに怒っていた。
◇
「許さねえ! その猫、絶対に許さねえ!」
横を歩くロビンがぎゃんぎゃんとわめきたてる。
周囲に人影はないけれど、こうも騒がれたら不安を覚えてしまう。喋らないようにと何度も注意したけれど、ロビンは聞く耳を持たなかった。
それどころか、尾をピンと突き立てて、早く早くと言わんばかりに千尋の前に出る始末だ。
が、ロビンは行き先を知らないので、結局は千尋の足元に戻ってきてを繰り返している。怒っても、間の抜けたところは何も変わっていないのだ。
「そう怒るなよ。そもそも、犯人……いや、犯猫か? そいつのところに行くんじゃなく、協力者の所に行くんだから」
「フゴッ! なんで怒っちゃ駄目なのさ!」
「協力してもらえないかもしれないじゃん」
「フゴッ!」
何度も鼻息を鳴らすロビンと共に、浄土寺への緩やかな坂道を行く。
……どうせ乗り掛かった舟、ロビンたっての希望で、千尋はキーホルダーを探すことにした。
しかし、問題なのは探し方だ。
どんな猫に取られたのか、山越は覚えていなかった。それが分かっていれば、どこかの飼い猫の可能性もあっただろうし、何かしら手は打てただろう。
だが、分からない。これはシズクの探し人よりも難しいかもしれない。
持っていったのが猫というのも、ついていない。ロビンは犬語しか分からず、猫に聞き込んで糸口を掴むこともできないのだ。
どうしたものか……千尋は少し考え込んだが、答えはすぐに思いついた。
猫語なら、猫に頼めばいいだけの話なのだ。
「おー。ここだ、ここ」
訪れた千光寺の門の前で、千尋は一度立ち止まった。
線香の香りが、ここまで漂っている。どこか気持ちが引き締まる香りだ。
これを毎日嗅いでいる彼は、どんな気持ちで日々を過ごしているんだろうか。
「おー、行こう行こう! 嫌だと言っても協力させるぜ!」
「してくれるといいんだけどなあ……」
「で、誰なんだ? 寺の坊さんか? それとも仏様に天罰を依頼するのか?」
「なんじゃい、やかましい」
低く渋い声がロビンをたしなめる。
門の影から、声の主の雪之丞がぬらりと現れた。
「ゲェーッ! ゆ、雪之丞!?」
ロビンが大声を張りあげる。
さすがに叫べば人が来るかもしれない。千尋は強めにロビンの頭を叩いたが、それも気にしないほど、彼はうろたえていた。
「おう、ワシじゃ。久しいの」
「お、お前、尾道に帰ってたのか? いつから?」
「ずっと前じゃ。昔みたいにお前をシバきに行っても良かったんじゃが、野暮用があっての」
「そ、そーか。なんだか知らねーけど、そのまま野暮ってていーんじゃないかな」
「どうしようかのう。またお前が悪さをするなら、シバきに行こうかのう」
「あわわ」
明らかに恐れた様子のロビンは、鼻をピスピスと鳴らしながら千尋の後ろに隠れる。
「協力させる」と豪語していた彼の面影は、みじんも残っていなかった。
「カッカッカッ! 相変わらずじゃのー。……いやな、千尋。ワシら昔からずっとこんな感じなんじゃ。ロビンが店の菓子を盗み食いしたり、悪さする度にワシがシバいてな」
「まあ、手を焼く気持ちは分かるな」
「義理を重んじるワシと、楽しいことが第一のロビン。多分、元々相性が悪いんじゃろな」
「あー。やっぱり、相性悪いのか」
「で、今日はどうしたんじゃ? シズクならまだ目覚めんぞ。茶会の日に来るよう、茶室本体に語りかけたけえ、返事はなくとも伝わってはおる」
「いや。今日はシズクさんとは別件で、お前に頼みがあってさ。えっと……」
切りだそうとして、口ごもる。
そんな関係だというのに、受け入れてくれるだろうか。
でも、今更帰るわけにもいかず、千尋は難しい顔をしながらも話を続けた。
「ロビンの知り合いの女の子が、ノラ猫にキーホルダーを持っていかれたんだ。その猫を探したいんだけれど、協力してくれないかな」
「嫌じゃ」
雪之丞はそっぽを向く。
「まあ、そう言われる気はしたけどさ」
「分かっとるんなら、諦めい。ワシゃこいつの性根が好かん。協力する義理もない」
「……しかし、そこをなんとかさ」
なおも食いさがる声は、千尋のものじゃない。相変わらず千尋に隠れつつではあるものの、まっすぐに雪之丞を見据えながら、ロビンが言ったのだ。
「女の子がさ、ほんとーに困ってるんだよ。大事なキーホルダーらしいんだよ」
「……ほいで?」
「その子、いつも俺を可愛がってくれるんよ。だから、俺、力になりたいんだよ。頼むよ、雪之丞」
「……ふむ」
雪之丞は、門の前の石段にどっしりと座り込み、眠っているように目を細めた。
おそらくは再考してくれているんだろう。
ロビンの行動は、言ってみれば、雪之丞のシズクへの義理にも似ている。
それが雪之丞の琴線に触れたんじゃないか……そう思っていると、雪之丞はぴょんと石段から跳ね起きて、千尋達の横をすり抜けてしまった。
「ワ、ワンッ! どこに行くんだ?」
「どこって……お前達が頼んだんじゃろが」
「雪之丞! ……で、でもお前、俺のこと嫌いなんじゃ」
「あー、嫌いじゃ! ほいじゃけ、さっさと終わらせたいわ! はよせんか」
ぶっきらぼうに言うと、ぷい、と前を向いて、雪之丞は歩き出した。
こいつは、そういう猫なのだ。
「良かったな、ロビン」
足元のロビンに声をかけるが、返事もせずに茫然としている。
それでも、無意識の行動だろうか、彼の尾はぶんぶんと左右に振られていた。