尾道茶寮 夜咄堂   作:加藤泰幸

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第十五話『茶筅供養 その二』

 茶道具には、消耗品もある。そのうちの一つが、茶筅だ。

 茶を点てる際に穂先が折れたり、長期間の使用で穂先が広がりすぎた茶筅は使い物にならない。

 点てる時だけじゃなく、茶碗の中で清めもする道具なので、劣化しやすい一面もあるだろう。

 

 そうして使えなくなった茶筅は捨てずに取っておき、茶筅供養をする。やり方は流派によって様々だが、寺で念仏をあげてもらうケースが多いらしい。

 だから、夜咄堂のやり方では、供養になってないんじゃないだろうか、と千尋は思う。

 オリベが「気持ちが篭っていればいい」と言ったとはいえ、裏庭に置かれた一斗缶の中で茶筅が燃える様は、供養というよりは、たき火か火遊びのようである。

 

 

「……いや。せめて、気持ち気持ち」

 ただ燃えるのを見ているのも暇なので、両手を合わせて目を瞑ってみる。

 初めは戯れだったのに、いざやってみると、茶筅を使ってからの日々が不思議と蘇った。

 段々と千尋も本気になり、これまで客を癒してくれたことへの謝辞を、頭の中で何度も唱える。

 だが、それも数分で終わり、また手持ち無沙汰になった千尋は、間もなくやってくるロビンのことを考えた。

 

 ――ロビンの言い分は、こうである。

 なんでも、自分を見かけるといつも撫でてくれる、ロビンお気に入りの中学生の女の子がいるのだが、最近その子に元気がないらしい。

 ロビンが「どうしたの?」と声をかけるわけにもいかず、かといって犬に悩みを打ち明けてももらえず、ただ消沈する姿を見るばかり。

 そこで白羽の矢が立ったのが千尋だった。なんとか女の子を店まで連れてくるので、一緒に元気づけて欲しい、というのだ。

 正直なところ、断っても良かった話ではある。

 しかし、普段のドーナツをねだる時とは違い、珍しく真剣に頼み込むものだから、つい安請け合いをしてしまったのだ。

 

 

 

「千尋さん、来ましたよ」

 ヌバタマが裏口を開けるのと同時に、声をかけてきた。

「あれ、もうか。どーやって連れてきたんだろう」

「女の子……山越さん、って子なんですけれど、ロビンさんが鼻で押すような仕草を見せるんで、面白がってされるがままに歩いたら、夜咄堂に着いたそうです」

「犬に誘われ古民家喫茶か。女の子からしたらミステリアスかもな」

「ミス、テリ……?」

「横文字あまり分からないんだっけか。神秘的、ってこと」

「実際、私達は付喪神ですから、その感想は当たっていますね。どーしますか」

「俺が会ってみるよ。ヌバタマは茶筅を見ててくれるかな」

「分かりました」

 ヌバタマとすれ違って裏口から厨房に入り、更に客室スペースへと抜けると、三つ編みを結った女の子が、窓際の席でロビンの手を握って遊んでいた。

 他には客はいないし、あの子で間違いないだろう。

 

 

「どーも、いらっしゃいませ」

「あっ、店長さん? ごめんなさい、まだ何を頼むか決めてなくて……」

 女の子は慌ててロビンを離し、テーブルの上のメニューに視線を移す。

 その瞳には、どこか力が篭っていないような気がした。

 ロビンの言う「元気がない」とは、こういうことなのだろうか。

 

「いいよ、そのままで。和服のお姉ちゃんが、店に寄っていくように勧めたんでしょ?」

「はい」

「今日は他にお客さんもいないし、ロビンと遊んでていいよ」

「ありがとうございます。なんだか不思議な感じのお店ですね。……あ、ロビンっていうんだ、この子。お店の犬なんですか?」

「うーん。一応、そうなる……のかな」

 ノラを気取ってはいるが、ちょくちょく夜咄堂には遊びに来るし、本体の水注も店に置いてある。

 だから曖昧ながらも肯定したけれど、ロビンとしては気にくわないようで、千尋の発言を耳にするや否や、軽い体当たりをぶちかましてきた。

 

 

「ワウッ!」

「わっ! やったな、駄犬!」

「ワン、ワンワンッ!!」

 なおもぶつかってくるロビンを、なんとか払いのけようとする。

 しかしロビンは食いさがり、みっともないじゃれ合いになってしまった。

 とにかく引き離そうと、必死に抵抗すること、しばし。

 ……気がつけば山越は、生き生きとした目つきで笑っていた。

 

 

「あははっ、犬と本気で喧嘩してる」

「あ……いや、これは……」

「店長さん、かっこいいのに子供っぽいですね。でもロビンちゃんかわいそうですよ」

「……はい」

 よりにもよって、中学生の女の子から、子供っぽいなんて言われてしまった。

 がっくりと肩を落とす千尋とは対照的に、ロビンはしたり顔で、舌を出しながらこっちを見ている。

 どうやら、山越を笑わせる為のダシに使われたようだ。

 

 

「……まあ、いいさ」

「え? なにがですか」

「いや、こっちの話」

「そうですか」

 山越は笑うのをやめて、力のない瞳に戻った。

 隣にいるロビンも消沈したのが、気配で伝わってくる。

 ……これじゃあ、駄目らしい。

 そんなに落ち込んでしまう出来事とは、なんなんだろう。

 千尋は膝を落として目線を合わせると、努めて優しい声をかけた。

 

「なんだか、元気がないね。嫌なことでもあったの?」

「あ……その、キーホルダー、無くしたんです」

 ちょっとだけためらう様子を見せたが、山越は意外にすんなりと話してくれた。

「キーホルダー? 大事な物だったのかな」

「はい。ガラスの宝石が付いているキーホルダー。……子供っぽいですよね」

「大事な物に、大人も子供も関係ないさ」

「ありがとうございます。……それをバッグに付けていたんですど、バッグを落とした時に取れちゃって。そしたらそれを、ノラ猫がくわえて持って行っちゃったんです」

「フゴッ!?」

 ロビンがひときわ強い鼻声を鳴らした。

 あまりにも激しかったもので、話の最中であるにも関わらず、反射的にそっちを見てしまう。

 ロビンは鼻にしわを寄せて、明らかに怒っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

「許さねえ! その猫、絶対に許さねえ!」

 横を歩くロビンがぎゃんぎゃんとわめきたてる。

 周囲に人影はないけれど、こうも騒がれたら不安を覚えてしまう。喋らないようにと何度も注意したけれど、ロビンは聞く耳を持たなかった。

 それどころか、尾をピンと突き立てて、早く早くと言わんばかりに千尋の前に出る始末だ。

 が、ロビンは行き先を知らないので、結局は千尋の足元に戻ってきてを繰り返している。怒っても、間の抜けたところは何も変わっていないのだ。

 

 

「そう怒るなよ。そもそも、犯人……いや、犯猫か? そいつのところに行くんじゃなく、協力者の所に行くんだから」

「フゴッ! なんで怒っちゃ駄目なのさ!」

「協力してもらえないかもしれないじゃん」

「フゴッ!」

 何度も鼻息を鳴らすロビンと共に、浄土寺への緩やかな坂道を行く。

 ……どうせ乗り掛かった舟、ロビンたっての希望で、千尋はキーホルダーを探すことにした。

 

 しかし、問題なのは探し方だ。

 どんな猫に取られたのか、山越は覚えていなかった。それが分かっていれば、どこかの飼い猫の可能性もあっただろうし、何かしら手は打てただろう。

 だが、分からない。これはシズクの探し人よりも難しいかもしれない。

 持っていったのが猫というのも、ついていない。ロビンは犬語しか分からず、猫に聞き込んで糸口を掴むこともできないのだ。

 どうしたものか……千尋は少し考え込んだが、答えはすぐに思いついた。

 猫語なら、猫に頼めばいいだけの話なのだ。

 

 

 

「おー。ここだ、ここ」

 訪れた千光寺の門の前で、千尋は一度立ち止まった。

 線香の香りが、ここまで漂っている。どこか気持ちが引き締まる香りだ。

 これを毎日嗅いでいる彼は、どんな気持ちで日々を過ごしているんだろうか。

 

「おー、行こう行こう! 嫌だと言っても協力させるぜ!」

「してくれるといいんだけどなあ……」

「で、誰なんだ? 寺の坊さんか? それとも仏様に天罰を依頼するのか?」

「なんじゃい、やかましい」

 低く渋い声がロビンをたしなめる。

 門の影から、声の主の雪之丞がぬらりと現れた。

「ゲェーッ! ゆ、雪之丞!?」

 ロビンが大声を張りあげる。

 さすがに叫べば人が来るかもしれない。千尋は強めにロビンの頭を叩いたが、それも気にしないほど、彼はうろたえていた。

 

 

「おう、ワシじゃ。久しいの」

「お、お前、尾道に帰ってたのか? いつから?」

「ずっと前じゃ。昔みたいにお前をシバきに行っても良かったんじゃが、野暮用があっての」

「そ、そーか。なんだか知らねーけど、そのまま野暮ってていーんじゃないかな」

「どうしようかのう。またお前が悪さをするなら、シバきに行こうかのう」

「あわわ」

 明らかに恐れた様子のロビンは、鼻をピスピスと鳴らしながら千尋の後ろに隠れる。

「協力させる」と豪語していた彼の面影は、みじんも残っていなかった。

 

 

「カッカッカッ! 相変わらずじゃのー。……いやな、千尋。ワシら昔からずっとこんな感じなんじゃ。ロビンが店の菓子を盗み食いしたり、悪さする度にワシがシバいてな」

「まあ、手を焼く気持ちは分かるな」

「義理を重んじるワシと、楽しいことが第一のロビン。多分、元々相性が悪いんじゃろな」

「あー。やっぱり、相性悪いのか」

「で、今日はどうしたんじゃ? シズクならまだ目覚めんぞ。茶会の日に来るよう、茶室本体に語りかけたけえ、返事はなくとも伝わってはおる」

「いや。今日はシズクさんとは別件で、お前に頼みがあってさ。えっと……」

 

 

 切りだそうとして、口ごもる。

 そんな関係だというのに、受け入れてくれるだろうか。

 でも、今更帰るわけにもいかず、千尋は難しい顔をしながらも話を続けた。

「ロビンの知り合いの女の子が、ノラ猫にキーホルダーを持っていかれたんだ。その猫を探したいんだけれど、協力してくれないかな」

「嫌じゃ」

 雪之丞はそっぽを向く。

「まあ、そう言われる気はしたけどさ」

「分かっとるんなら、諦めい。ワシゃこいつの性根が好かん。協力する義理もない」

「……しかし、そこをなんとかさ」

 なおも食いさがる声は、千尋のものじゃない。相変わらず千尋に隠れつつではあるものの、まっすぐに雪之丞を見据えながら、ロビンが言ったのだ。

 

 

「女の子がさ、ほんとーに困ってるんだよ。大事なキーホルダーらしいんだよ」

「……ほいで?」

「その子、いつも俺を可愛がってくれるんよ。だから、俺、力になりたいんだよ。頼むよ、雪之丞」

「……ふむ」

 雪之丞は、門の前の石段にどっしりと座り込み、眠っているように目を細めた。

 おそらくは再考してくれているんだろう。

 ロビンの行動は、言ってみれば、雪之丞のシズクへの義理にも似ている。

 それが雪之丞の琴線に触れたんじゃないか……そう思っていると、雪之丞はぴょんと石段から跳ね起きて、千尋達の横をすり抜けてしまった。

 

 

「ワ、ワンッ! どこに行くんだ?」

「どこって……お前達が頼んだんじゃろが」

「雪之丞! ……で、でもお前、俺のこと嫌いなんじゃ」

「あー、嫌いじゃ! ほいじゃけ、さっさと終わらせたいわ! はよせんか」

 ぶっきらぼうに言うと、ぷい、と前を向いて、雪之丞は歩き出した。

 こいつは、そういう猫なのだ。

 

「良かったな、ロビン」

 足元のロビンに声をかけるが、返事もせずに茫然としている。

 それでも、無意識の行動だろうか、彼の尾はぶんぶんと左右に振られていた。


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