尾道茶寮 夜咄堂   作:加藤泰幸

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第十五話『茶筅供養 その三』

 猫の町・尾道には、猫に関わるスポットも多い。

 千光寺山の麓にある(うしとら)神社付近から、夜咄堂近辺までの小路には、それらが特に密集していて「猫の細道」とまで呼ばれている。

 数千体の猫グッズがある美術館や、猫を模したアクセサリーショップ、猫の絵が描かれた板壁や、地面に石を埋め込んで作られた猫の絵……

 とにかく、猫、猫、猫尽くしの小路である。浄土寺方面に向かうにはちょうどいいので、千尋もこれまでに何度も通ったことがある道でもあった。

 雪之丞が向かったのは、その細道である。

 麓側入口、板壁付近で雪之丞が「アーオ」と一鳴きすると、艮神社の境内から、キジシロ猫がぬるりと出てきた。

 雪之丞が低い声でニャゴニャゴ言いながら歩み寄る。多分、聞き込みをしてくれているんだろう。

 

 

「ワンッ! 頼むぜ、雪之丞」

「少し黙っとれ! ……ニャゴ、ニャゴニャゴ」

 急かすロビンに一喝し、雪之丞はなおも話を続ける。

 その間、千尋は板壁の絵を見ていた。十匹ほどのディフォルメされた猫が描かれているのだけれど、どの猫も絵の具が剥げ落ちている。

 長年風雨に晒されて、こうなったみたいだけれど、どれくらい経てばこうなるんだろう。

 なんせ、千尋が小さい頃は、まだ尾道は猫の町といわれていなかった。この絵もそんなに昔からあるわけじゃなさそうなのだ。

 そもそも、尾道が猫の町になったのは、いつからなんだろうか……、

 

 

「分かったぞ」

 雪之丞が話を切りあげて、のそのそと戻ってきた。

「情報屋のフジはさすがじゃの。案の定じゃった。この辺りでは有名な、悪猫のダオって黒猫がおるんじゃがの。そいつが、それらしき物をくわえとったらしい」

「よし、じゃあそいつをぶっとばそう! どこにいるんだ?」

「ダオは縄張りを持たず、いつもそこいらをほっつき歩いとるんで、特定はできん。多分どこかで悪さをしとるんじゃろうなあ」

「じゃあ、悪さしそうな場所を探そう!」

「そんな場所、知らんわい。千尋、どうするんじゃ?」

「今度は、ダオって猫がどこにいるか聞き込んでくれないかな」

「まあ、それしかないの」

 

 

 一行は、猫の細道を前進した。

 山中に伸びているこの道は大部分が木々に覆われていて、青さが宿ってきた三月の葉と、その隙間から差し込む陽光は、どこか幻想的な雰囲気を醸し出している。

 確かここは、猫の細道という通称以外にも、尾道イーハトーヴ、なんて呼び方もされていたはずだ。

 かの有名な作家、宮沢賢治が作り出した理想郷……イーハトーヴ。

 いわれてみれば、幻想的なこの小路には、適した名前かもしれない。

 そこを喋る猫が先導して歩くものだから、道を抜けたら、猫の事務所か、注文の多い料理店にでも迷い込むような錯覚さえ覚えてしまった。

 だが、そんなことはなく、ちゃんと夜咄堂付近の石段に抜ける。

 その先の仏塔や広場で雪之丞が鳴くと、その都度猫が現れたので聞き込んでもらったけれど、いずれも空振りだった。

 

 そうこうするうちに、次第に陽も落ちていく。

 もしかしたら情報屋のフジのところに、新しい情報が入っているかもしれない。

 雪之丞の発案で、スタート地点である艮神社に戻ってみたが、それが幸いした。猫の絵が描かれた板壁で、爪を研いでいる黒猫がいたのだ。

「あっ、悪猫!」

 真っ先に気がついたロビンが叫ぶ。

 反射的に体を動かしたのは雪之丞で、彼は素早く黒猫に詰め寄った。

 なるほど、こうやって板壁の絵の具は剥げ落ちていたんだな、なんて関心をしていたのは、千尋だけだったようだ。

 

 

「間違いない、ダオじゃ。ニャゴッ!」

 雪之丞が出会い頭に、ダオの鼻へ猫パンチを一発見舞う。

「フギャッ!?」

「ニャゴッ!」

「フギャフギャッ!?」

 ダオも一度は反逆的な姿勢を見せたが、雪之丞の二発目で完全に怯んでしまった。

 それからは雪之丞のペースで、ダオを抑え込みながらニャゴニャゴと声をかければ、ダオは暴れることもなく、素直に返事をしているように見える。

 

 

「やっぱりそいつか? キーホルダーはどこだって?」

 興奮気味にロビンがまくし立てながら近づき、千尋も後に続く。

 話は終わったのか、雪之丞はなおもダオを抑えつつ、千尋らの方を向いた。

「おう。こいつじゃ。光物なんで玩具にしようと取ったらしい。でも飽きてしもうて、この辺のでかい猫にあげたそうじゃ。……あっ!」

 向き直った時に力が緩んだのか、ダオが雪之丞の手をすり抜けて神社の方へと駆けた。

 途中で一度だけ立ち止まり「ダオーウ」と大声で鳴いた後、また駆けだして、その姿はすぐに見えなくなってしまう。

 

 

「……嘘はついてないからな、じゃと」

「見つかったと思ったら、また猫探しか……」

 同じことの繰り返しになってしまって、気が重い。

 雪之丞も、尾を力なくだらんと下げている。

 ただロビンだけが覇気を前面に押し出して、力強く足踏みしていた。

 

 

「よし! じゃー今度は、でかい猫を探そう!」

「続きは、明日にせんか? この辺りは照明がないけえ、暗くなると危険じゃ。こういう時は、急がば回れじゃ」

 シズクの人探しに成功した教訓からの発言だろうか、雪之丞がしたり顔で言う。

 千尋も同調して頷いたが、ロビンは解せぬようで、首を傾げていた。

「なんでだよ! 急がば急げだよ! 探そうぜ!」

「でも、俺もちょっと疲れたよ。それに、店も長くは空けられないしさ」

「じゃあ、雪之丞だけでも!」

「言うたじゃろ。危険なんじゃ」

「フゴッ……」

 いつものロビンの鼻息が、どこか悲しそうに響く。

 しかし反論はなく、結局一行は解散したのである。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 夜咄堂に、風呂はない。

 だが、銭湯で済ませれば解決する問題だ。当時の千尋は家賃を削減する為、承知の上で店に引っ越している。

 商店街中央にある銭湯は、ライトグリーンのペンキが風情を生み出していて、昭和の印象が強い尾道商店街ではよく映える。

 夜咄堂からは片道十五分なので、立地も悪くはない。……冬になるまでは、そう思っていた。寒い日は急いで帰らないと、湯冷めしてしまうのだ。

 完全に考え足らずだったのだけれど、かといって夜咄堂に風呂を増築するような余裕もない。

 小走りで帰宅路を行きつつ「どうしたものだろうか」と考えるのは、慣例行事にさえなっていたが、最近ではその機会も減っていた。

 多分、寒さが大分薄らいだから、問題を気にしなくなっているのだろう。そして冬にはまた後悔するのだ。

 

 

「……もうすぐ四月か。夜咄堂に来て、初めての春だな」

 商店街の細路地を、防犯用のペンライトで照らして歩きながら、物思いにふける。

 春に控えた茶会が終われば、すぐに初夏。夜咄堂に来てから一年が経過する。

 だから、今回の茶会は一年の集大成といえなくもないだろう。

 

 この一年で、嫌いだった茶道に向き合えて、茶人としてのスタートに立てた。

 点前や道具も少しは覚えて、技術や知識が身に着いた。

 それらに関しては、成長したかもしれない。

 ……でも、言い換えれば、教科書どおりの茶道を覚えただけ。創意に関しては、まったく考えてこなかった。

 このまま創意を持たずに茶会を迎えるわけにはいかないけれど、一体どうすればいいのか分からない。

 思い悩みながら歩くうちに、千光寺山の石段を上がり始め、夜咄堂はだんだんと近づいていた。

 夜咄堂と猫の細道に分岐する、石畳の三叉路に差し掛かった時に、犬の遠吠えが耳に届いた。

 

 

「今の、ロビン……?」

 脱力感が充満した鳴き声だ。間違いない。

 聞こえてきたのは猫の細道の方だった。固定照明がない猫の細道は、日中以上に異世界への入口の様相を呈していて、足を踏み入れるのはちょっとばかり気が引ける。

 それでも鳴き声が気になって猫の細道に進むと、さほど歩かないうちに、細道を行ったり来たりするロビンの姿が見つかった。

「お前、夜になにやってるんだ?」

「あっ、千尋!」

 ペンライトに照らされたロビンは、普段にも増して土埃にまみれていた。

 返事は聞かなくとも、それだけで大方の予想はつく。

 同時に、ロビンの想いの深さが、新たな疑問として浮かび上がってきた。

 

 

「でかい猫探し、か?」

「おう」

「でもお前、猫語分からないんだろうに」

「そーだけどさ。じっとしてられないんだよ。……今んところ、猫は一匹も見つけてないんだけれど、この辺うろついてりゃ、何か見つかるかもと思って」

「……一体、なんでそこまで」

「ワンッ! そんなの、決まってんじゃん」

 ロビンが、舌を出しながらトコトコと近づいてくる。

 足元まで来た彼は、眠そうな瞳で千尋を見上げながら、続きを口にした。

 

「あの女の子は、俺を可愛がってくれるんだよ。だったらその気持ちに応えたい。ただそれだけの、捻りもなんもない理由だよ」

「見つけられないかもしれないのに?」

「そーだな。結果として見つからないかもしれねー。でもさ、そうしたいんだよ。俺にできることがあれば、少しでもやっておきたいんだよ」

「……ロビン」

 

 俺にできる事があれば。

 その一言を聞いた千尋は、ぐわん、と横っ面を殴られたような衝撃を受けた。

 必ずしも見つかるとは限らない。でも、行動をやめてしまったら、何にもならない。

 だから、失敗を恐れてはいけないのだ。

 ただただ、相手のことだけを考えて取り組むべきなのだ。

 

 

 

「……ロビンに教えられるとは、思わなかったな」

「あん。なにが?」

「こっちの話だよ」

 中腰になってロビンの頭をワシャワシャと撫でる。

 それから千尋は、猫の細道の奥へペンライトを向けた。

「猫探し、俺も手伝うよ」

「ち、千尋!」

 

 ロビンが元気よく足元にすり寄ってきたが、ズボンに泥をこすりつけられてしまう。

 口元を歪めながらロビンを払いのけて、千尋も猫の細道を歩き始める。

 草むら、塀上、石段の影……あらゆる場所にペンライトを向けて、まずは二往復程するけれども、一匹たりとも猫は見つからなかった。

 

 それでも、千尋とロビンは探すことをやめない。

 加えてもう一往復。せっかく銭湯に行ってきたのに、首筋が汗ばんでくる。

 更にもう一往復。石段のアップダウンに、明日の筋肉痛の予感が漂ってくる。

 ……やっぱり見つからない。もしかしたら見当違いのことをしているのかもしれない、と思う。しかし、それでも二人は、でかい猫とやらをひたすらに探し続けた。

 

 

「ハアハア、ハア……ったく、どーなってんだよ。猫の細道なんだから、もっと猫がいてもいーだろうにさ。ハア」

 息が荒くなってきたロビンが、周囲を見回しながらもぼやく。

「いても、警戒されてるのかもしれないな」

「なー、千尋。でかい猫ってヒントはあるんだから、そこいらの店で聞き込んだらどーだ?」

「無理だよ。この時間はどこも閉店してる」

 そう言って、ちょうど近くに会った店の入口をペンライトで照らす。

 近所ということもあって、何度か訪れた経験がある所だった。

 

 

「ここは?」

「猫グッズがある美術館だよ。福石猫も売られてるんだ」

「福石猫ってなんだ?」

「知らないのか。尾道の町中で、招き猫の柄をした石を見かけたことがあるだろ? あれは、園山春二(そのやましゅんじ)さんってアーティストが作ってるんだ。日本海で取ってきた丸石を半年くらい水抜きして、招き猫の柄にして、最後に麓の神社でお祓いを受け……て……」

 

 ふと、自身の説明に引っかかりを覚える。

 福石猫は、確か千体以上は点在していたはずだ。デザインも大きさもバリエーション豊かで、中には人間の赤ん坊ほど大きな物もある。

 ……でかい猫。もしかしたら!

「ロビン、こっちだ!」

 

 ひらめきが走るのと同時に、石段を一目散に駆け下りる。

 ちら、と後方を見てロビンがついてきているのを確認しつつ、猫の細道を抜け、艮神社の鳥居近くまで下りてきた。

 鳥居の先には広場があり、その先には境内があるけれども、今回用事があるのは、手前の広場の方だ。

 浄土寺山に行く時に、艮神社をショートカットするのだけれど、その際に目にしたことがある。記憶が確かなら、広場の一角には……、

 

 

「あれだ!」

 ペンライトが、ひときわ大きな福石猫を捉えた。

 自身もそこに近づきながら、福石猫を中心にしてペンライトの光を旋回させると、微かな反射がある。猫の形をしたキーホルダーの反応だった。

「ワンッ! おい千尋……」

「ああ。キーホルダーだ」

「確かにでかい猫にあげちゃいたが……ちくしょう、あのダオって悪猫、意地悪しやがったな」

「見つかったから良しとしよう。ほら」

 ロビンをなだめつつ、キーホルダーを手に取ろうとする。

 だが、千尋の手は途中で止まってしまった。

 

「どーした、千尋?」

「……見てみろよ」

「フゴッ!?」

 間近でキーホルダーを凝視したロビンが、裏返ったような鼻声を漏らす。

 ガラスの宝石が埋まっていたと思われる目の部分には、ぽっかりと穴が開いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

「なるべく早く連れてくるから」と言っていたロビンが、約束どおり山越を連れてきたのは、翌日の夕方だった。

 玄関に顔を覗かせた山越だけなら問題はないのだけれど、この日は少々の客が入っていた為に、ロビンまで上げるわけにはいかない。

 ヌバタマに店番を頼んだ千尋は、カウンター下の棚で保管していたキーホルダーを袖に入れて、山越へ歩み寄った。

 

「やあ、いらっしゃい」

「こんにちは。……またロビンに引っ張られちゃって」

「変な犬だよねえ、本当に。……でも、奇遇だね。今日は渡しておきたい物があるんだよ」

 変とはなんだ、と言わんばかりにロビンが鼻で小突いてくるが、無視して玄関の外に出る。

 袖に突っ込んだ指先は、無意識のうちにキーホルダーの目の穴に触れていた。

 ……正直なところ、大いに心配ではある。キーホルダーが見つかったとはいえ、完全な状態ではないのだ。

 それでも、彼女は喜んでくれるだろうか。ロビンの執念は、実るのだろうか。

 微かに眉をひそめつつも、千尋はキーホルダー取り出した。

 

 

「確か、キーホルダーをなくしてたよね」

「はい」

「それって、もしかして、これのことかな」

「あっ、これ……」

 山越は目を丸くしながら、キーホルダーをそっと手に取った。

「ロビンが見つけてきたんだよ。……残念ながら、見てのとーりで、その時には既に欠けてたんだけどさ」

「……そう。ありがとうね、ロビン」

 

 山越は振り返って中腰になると、ロビンの頭をゆっくりと撫でた。

 二度、三度、四度と、何度も何度も。

 大好きな女の子に、こうも労われている。

 ……だというのに。

 ロビンは喜ぶことなく、むしろ捨て犬のような目つきで、山越を見上げていた。

 

 

「……残念、だったね」

「見つかっただけでも嬉しいですよ」

「ロビン、偉いよね」

「はい。感謝しています。でも……」

 山越は、顔を見せぬまま言う。

「これは、貰った物だったんです。……転校しちゃった大事な友達が、お別れの時にくれたんです」

「それが、宝物の理由だったんだ」

「だから、友達に申し訳なくて……」

「………」

 掛ける言葉が見つからずに、千尋は黙って少女の傍へと歩いた。

 慰めたところでアクセサリーは元に戻らない。罪悪感は、払拭のしようがないのだ。

 

「あっ……」

 ふと、ロビンが少女の手からすり抜けた。

 優しく撫でてもらいながら、どういう了見だろうか、と思うが、答えはすぐに分かった。

 ロビンと、視線が合ってしまう。身じろぎもせずに、熱い瞳で自分を見上げてくる。

「ロビン……」

 普段は饒舌な付喪神の名を呼ぶ。

 今は山越がいるから喋らないけれども、それでもロビンの気持ちは伝わってきた。

 わざわざ自分を見つめるのだから、自分にしかできない頼みごとがあるのだ。

 

 自分にしかできないこと。

 すなわち、夜咄堂の主にしかできないこと。

 それが分からないほど、千尋も鈍感じゃない。

 

 

 

「……一つ、提案があるんだ」

 視線をロビンから山越に移し、静かに語りかける。

 まだ、道具は見繕っていないけれど、なんとかなるだろう。

 それよりも、大事なのは気持ちの方だ。

 ロビンが昨晩、そう教えてくれたじゃないか。

 

「……なんでしょうか」

「良かったら今度の日曜、またお店に遊びに来ないかい? 二階の茶室に案内するよ」


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