尾道茶寮 夜咄堂   作:加藤泰幸

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第十六話『花見茶会 その四』

 シズクが天に昇ったのは、日付が翌日に変わってすぐのことだった。

 千尋とオリベ、ヌバタマの三人が見守る中、彼女は「また遊びに来る」とでも言わんばかりに、軽く手を振りながら、自然と消えていった。

 千尋としては当然寂しいのだけれども、一方のシズクが笑顔で去ったのは、決して死ぬわけじゃないからだろう。

 オリベとヌバタマとは、何十年後かに、また天界で会えるのだ。……雪之丞が、シズクの最後を見届けずに夜咄堂を去ったのも、それと同じ理由からかもしれない。

 彼は、あれから二度と姿を見せには来なかった。シズクが天に還れば、また旅がらすの日々ということなんだろうか。これもまた、寂しい気がする。

 

 

「シズクさん、最後まで美しい人でしたね。あーあ、私もあんな大人になれるでしょうか……」

 降り注ぐ春の陽光とは対照的に、前を行くヌバタマが、暗い表情でボヤく。

 見た目だけなら、まあ、かなわなくはないかもしれない。

 しかし、茶道具の話題になると、人が違ったように語りだす一面を知っているだけに、諸手をあげて励ますような気は起らなかった。

 ちら、と右隣を見れば、オリベも似たような事を考えているのだろう。声をかみ殺してくっくっと笑っている。

 一方の左隣では……ロビンがボケっと、気の抜ける面を浮かべていた。多分、こっちはハナから聞いておらず、食べ物の事を考えているのだろう。

 

 

 ――あれから二週間。

 夜咄堂の面々は、珍しく全員で外出し、向島ののどかな歩道を歩いていた。

 道端に立っている桜はもう完全な葉桜に変わっていて、五月が近いことを千尋に教えてくれる。

 

 良い春だった、と思う。

 あれから何度か、茶会の噂を聞いてやってきた、という客とも巡り合えた。

 茶会自体も、この上なく思い入れがあるものになった。

 でも、全ては桜と一緒に、過去の出来事と化してゆく。

 新たな客に何度でも来てもらえるよう、そして新たな茶席で喜んでもらえるよう、また奮闘の日々となるのだ。

 

 

 

「千尋。帰りにドーナツな」

 船着き場でまたもや出くわし、勝手に合流したロビンがフンフンと鼻を擦りつけながら言う。

 いつもはバッサリと切り捨てるけれど、今日くらいは大目に見ても良いだろう。

 なにせ、今日の目的地を教えてくれた小谷春樹から、言われているのだ。少しでも大勢で墓参りしてくれた方が、父も喜ぶと。

「……じゃあ、一個だけな」

「あー、千尋さん、ズルい! 私の分は?」

 くるりと振り返ったヌバタマが、頬を膨らませながら言う。

 

「ズルいって、犬と張り合ってどうするよ」

「むうう。だって……」

「俺だって小遣いは限られてるんだから駄目だよ。来月野球観戦に行く分がなくなるしさ。そもそも、自分の小遣いはどうしたんだよ」

「あれはもう、駅近くのプリン屋……あ、いえ」

「プリンが、どうしたって?」

「なんでもありませーん」

 ほとんど言ったも同然だけれども、突っ込まないのが優しさかもしれない。

 

 

「あ、そうです。ねえ、千尋さん?」

 そんな周知の状態を理解しているのかいないのか、ヌバタマは大げさに手を打ち鳴らしながら言う。

「今度は何だよ」

「野球で思い出したんです。茶会の朝、野球選手の話をしかけましたよね。あれ、なんだったんですか?」

「ジョー・ディマジオのことか」

 そういえば、最後まで説明していなかった。

 今度は、ヌバタマが話をすり替える為に、話を切り出したというわけか。

 

 

「一期一会は世界共通って話だったんだよ、あれは。もう五十年以上前の話なんだけれど、そのディマジオって選手が、ある時、ちょっと体を痛めちゃったんだ」

「大変。入院しないと。……ああ、病院でお茶を頂いたとか?」

「そーいう話じゃないよ。でも、ディマジオは無理をして試合に出続けたんだ。当然みんなは心配する。休養を勧める。……でも、ディマジオは首を横に振ったんだよ」

 ネットで見た、ディマジオの見目麗しい写真を思いだしながら千尋は語る。

 もちろん、マーシャは「顔が似ている」と言ったわけじゃないんだけれども、なんだかディマジオには悪い気がしてならなかった。

 

「そして、こう言ったんだ。『今日、ここで自分を観るのが最初で最後のファンもいるだろう。その人の為に試合に出るのだ』って。……これって、一期一会だろ?」

「確かに、そのとーりだな。海の向こうにも千尋がいたわけか」

 話を聞いていたオリベが興味深そうに頷きながら言う。

「大げさな言い方、やめてくださいよ。ディマジオに悪いです」

「むしろ時系列では、ディマジオんが元祖ですから、日本にもディマジオさんがいた、と言うべきですかね。……あ、でそれより先に、一期一会を広めたのは……いえ、待ってくださいよ。そもそもこの考え方は……」

 ヌバタマはヌバタマで、延々と元祖を求めて遡ろうとする。

 墓参りを前にどっと疲れた気がしたけれど、あまり嫌な疲れじゃない。

 まあ、いいさ。

 

 

 

 その後も、取り留めもないことを語り合っているうちに、すぐ墓地に到着する。

 小谷家の墓を見つけると、千尋はポケットに入れていたベンジン懐炉を取り出し、墓前に供えてから手を合わせた。

 小谷匠は、シズクの想いを知らずに、逝ってしまった。

 今日はその報告に来たつもりだったけれども、墓の前で目を閉じていると、なんだか余計なことをしている気がした。

 きっと、気持ちは同じ。

 又聞きの話だけれども、そんな気がしてならないのだ。

 

 

「おい、まだ参るのかよ。ワンッ!」

 ロビンに吠えられて、現実へと引き戻される。

 千尋は目を細めて、足元の雑種犬を睨みつけた。

「うるさいな。色々と思うことがあるんだよ」

「そんだけ拝みゃあ、じゅーぶんだろ? 早く帰ってドーナツ食おうぜー!」

 ロビンは前脚をやんやと掲げ、墓地から去ろうとする。

 

 

 ――何かの陰がロビンを捉えたのは、その瞬間だった。

「ニャゴッ!」

「キャインッ! い、いてえ! チクショウ、なんだ……あああっ!?」

 陰に殴打されたらしいロビンは、患部の頭を抱えながら悪態をつこうとして、すっとんきょうな声を張りあげる。

 影の正体は、大いにいきりたっている雪之丞だった。

 

「ゆ、雪之丞っ!」

「墓前でなんじゃ、その態度は。しっかり拝まんかい!」

「だ、だって俺、縁もゆかりも……」

「なんじゃあ!?」

「うひい」

 雪之丞にすごまれ、ロビンは頭抱えたままの二本足で墓地から飛びだした。

 放っておいて人に見られると困るのは、みんな分かっている。嘆息一発の後、すぐにオリベとヌバタマが後を追い、墓地には千尋と雪之丞が残された。

 

 

 

「……はあ」

 頭が痛いけれど、確認することがある。

千尋はあの日のように、そっと雪之丞の脇の下に手を突っ込み、自分の目の高さまで掲げて相対した。

「フニャッ? おい、離さんか!」

「雪之丞、お前……尾道から出て行ったんじゃないのか?」

「誰が出て行く言うたんじゃ」

「だって、一期一会を求めて旅するのが、お前の本能なんだろう」

「それはそうじゃ。じゃが……おい、離せと言うとるじゃろ!」

「だって猫だし」

「形は猫でもワシゃあ漢なんじゃ! 愛玩動物扱いはやめんか!」

 雪之丞が、まるでロビンのような抗議を口にする。

 それ以上愛でるのもかわいそうで、言われるがままに地面に戻すと、彼はギロリと一睨みしながら話を始めた。

 

 

「……義理じゃ」

「義理? 俺に?」

「おう。……シズクの件では世話になったからの。しばらくは尾道に残って、恩を返さんとな」

「そんなの、別にいーのに」

「なんじゃい。邪魔か」

 雪之丞が吐き捨てるように言う。

 だが、声に怒気は感じられない。

 むしろ、つまらなさそうというか……寂しそうとも取れる声だった。

 義理自体は、嘘じゃないだろう。でも、理由は他にもあるようだ。意外と寂しがりな猫なのかもしれない。

 

 

「いーや。大歓迎だよ」

「……ふんっ! ほれ、行くぞ」

 雪之丞は尾をフニャフニャとくねらせ、歩きだした。

 かくして、夜咄堂には新たな仲間が加わったのである。


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