夜のトラック泊地の港。
空から降り注ぐ満月と星の明かりが煌々と辺りを照らし、堤防に打ち付ける波の音と虫たちの鳴き声が静寂な港にメロディを奏でている。
コンクリートの堤防の端には、一人の人間と一人の艦娘が腰掛けながら満天に広がる星空を眺めていた。
人間のほうは自分の膝に広げているおにぎりを片手に、それを頬張ったままの状態で喋っていた。
「むぐ、むぐ。 いや、外で夜食というのもオツなもんですね鳳翔さん」
おにぎりを頬張ったまま喋る人物、ウチことトラック泊地提督中峰正也はもごもごと口を動かしたまま、隣に座る艦娘に声をかけた。
鳳翔「提督、そんなに頬張らなくてもお夜食は逃げたりしませんよ」
ウチに声をかけられた艦娘、軽空母『鳳翔』はウチの顔を見て、くすくすと笑いながらたしなめる。
ウチは口に含んだおにぎりをお茶で流し込むと、照れ笑いを浮かべながら鳳翔さんに向き直った。
正也「ああ、すんません。 なにせ鳳翔さんの作ってくれる料理、あまりにうまいんでつい…」
鳳翔「うふふ、そう言って頂けると私も作った甲斐がありますよ。 食べてもらえる人においしいって言われることは、作る側にとっても嬉しいことですから」
柔和な笑みを絶やさずに話す鳳翔さんを見て、ウチも思わず嬉しくなる。
鳳翔さんが初めてこのトラック泊地に来たとき、食堂で働く家事妖精たちに変わって自分が食堂の食事作りを担当したいと進言してきた。
ウチは出撃などの仕事と重複して大変じゃないかと言ったが、彼女は元々料理を作るのが好きなことと、それで提督や艦隊の皆の役に立てるならぜひやらせて欲しいと強く希望してきた。
その結果、ウチも本人がそこまで言うなら、ということで希望通り鳳翔を食堂の責任者として配備することにした。
すると、彼女の提供する料理は他の艦娘たちから実に好評なうえ、家事妖精からも鳳翔さんの指示のおかげで仕事が楽になったと喜ばれ、一挙両得な結果となったのである。
正也「それにしても鳳翔さんって料理もうまいうえに仕事の指示も上手じゃないすか。 これ、自分の店を持とうとか思ったことないんですか?」
ウチが何気なく放ったの質問。
しかし、その言葉を聞いた瞬間、鳳翔さんは笑みを崩し沈痛な面持ちで答えた。
鳳翔「それは…… 考えたこともありませんでした…。 あそこにいたときはいつ自分が沈むか、いつあの子達が沈められるか。 その不安と恐怖で胸がいっぱいでしたから…」
鳳翔の言葉を聞いたウチは、
(しまった!)
と内心叫びながら口元を覆った。
そう、鳳翔さんは元ブラック鎮守府の所属だったのだ。
彼女は四六時中資材集めに駆り出され心身共にボロボロの駆逐艦娘たちを励まし、彼女自身もまた提督からストレスのはけ口として理不尽な暴力に耐え続ける日々を送っていた。
だが、事情を知ったウチが直接殴りこみに行き、提督もろともブラック鎮守府を壊滅させたおかげで、現在はウチが提督を務めるトラック泊地で平穏な毎日を過ごせるようになっているのだ。
鳳翔「でも、今は提督のおかげであの子達も平和に過ごしていますし、私も好きな料理ができるので、本当に提督には感謝しています」
悲しげな表情から一変、胸元に手を当てながらにっこりと微笑む鳳翔さん。
しかし、ウチのほうは口を滑らせたことをまずいと思い、話を切り替えようと一人悶絶する。
そして、何を思ったか突然鳳翔さんにこんなことを言ってしまった。
正也「鳳翔さんっ!!」
鳳翔「は、はいっ!」
正也「今夜は、月がきれいですねっ!!」
………
……
…
(何を言ってるんだウチは――――――――――!!!!)
いや確かに場の空気を変えるため話題を変えようと考えたよ!?
でもその話題が『月がきれいですね』ってなんだよ!? 意味分からんわっ!!
ってか話題ですらねえ…!
やっちまったよ…! 我ながらこれ以上ないほどの大事故だよこれ…!
ウチは「ははは…」と自嘲気味な笑い声を上げていたが、どういうことか隣にいる鳳翔さんが何も言ってこない。
ちらりと鳳翔さんの方に目をやると、彼女はなぜか頬を赤くしながら両手を顔に当てていた。
どうかしたのか?
ウチはそう思い鳳翔さんに声をかけようとしたとき、
鳳翔「…提督」
頬を染めたままこちらをちらりと見る鳳翔さん。
ウチが返事をすると、彼女はウチにこう言って来たのだ。
鳳翔「…私、死んでもいいわ」
気付くと、ウチは鳳翔さんの手を掴み必死に叫んでいた。
正也「そんなこと言わないでくれ鳳翔さん!!」
鳳翔「えっ…?」
正也「鳳翔さんがブラック鎮守府で辛い思いをしていたのは分かるよ。 でも、鳳翔さんは今日まで生きてきたじゃないか! そんな簡単に死ぬなんていわないでよ!!」
鳳翔「あの…、提督…?」
正也「ウチも、トラック泊地の皆も、鳳翔さんがここへ来てくれて本当に嬉しいんだ。 大事な仲間が死ぬなんて、ウチは絶対に嫌だ…。 だから、頼むから…」
鳳翔「………」
正也「死なないでくれ、鳳翔さん……。 これからも、ここにいてほしいんだ……」
ウチは涙混じりに今の思いを吐露していた。
傍から見ると、大の男が泣きじゃくるみっともない絵面に見えるだろう。
それでも、これはウチの嘘偽りのない気持ちだ。
この言葉が鳳翔さんに届いたかどうかは分からない。
でも、それでも…
ウチは、鳳翔さんにここにいてほしいから…
ウチが鳳翔さんに顔を向けると、なぜか鳳翔さんは気まずそうな表情をしている。
どうかしたのか?
ウチが鳳翔さんに声をかけようとしたら、鳳翔さんは
「えっと…… そういう意味ではなかったんですね……」
と気恥ずかしそうに呟いていた。
そういう意味?
鳳翔さんの言葉の意味を理解できなかったウチは、鳳翔さんにどういう意味か尋ねようとしたが、
鳳翔「あの、提督!」
正也「あっ、はいっ!?」
鳳翔「私、明日の朝食の仕込があるのでこれで失礼します!」
と言って、彼女はウチの手を振りほどいて港を去っていく。
そして、一人港に残されたウチは、
正也「……。 マジで、どういうことなの…?」
誰もいない堤防で、一人呟くのだった。
鳳翔は一人息を切らせながら中央建物の玄関まで走ってきた。
荒くなった息を整え、先の港での出来事を思い出しながら一人呟く。
鳳翔「はあ…。 提督、あの言葉の意味を知らなかったのね…」
正也が話題を切り替えるために何気なく言った言葉。
『月がきれいですね』
それを女性に言うことが何を意味しているか、彼は気付いていなかった。
そのことに気づかず、鳳翔が返した言葉。
『私、死んでもいいわ』
向こうはそのつもりで言ったわけじゃないのに、こちらはそのつもりで返してしまった。
今でも、そのときのことを思いだすと恥ずかしさで顔を上げられなかった。
だけど、彼女にはもう一つ思い出すことがあった。
鳳翔「あのときの提督の手。 力強くて、とっても暖かかったなあ……」
勘違いして、真剣に鳳翔に死なないでくれと話した正也の手。
あのときの感触が、あのときの温もりが、今もこの手に残っている。
そのことを思い出すと、だんだんと胸のうちから何かがこみ上げてくる。 彼に対する、特別な何かが…
鳳翔「…ハッ!? わ、私ってば何を言ってるのかしら!? 急いで、明日の仕込を終えなくちゃ!!」
顔を真っ赤にしながら急いで食堂に向かっていく鳳翔。
そんな彼女の姿を、空に浮かぶ月と星達だけが静かに見届けていた。