時は少しさかのぼり、漣とヴェールヌイが正也と再会する少し前。
幸仁と瑞鶴は急いで霧を抜け出していた。 まるで雲のような濃霧から脱出し、青い空と海が広がる見慣れた光景に安堵の息を漏らした。
その後急いで周囲を見渡し状況を確認しようとするが、二人はすぐに異変に気付いた。
「島風…島風…!? くそっ、霧の中で逸れてしまったのか!」
「それだけじゃないよ提督さん! 赤城さんや他の皆の姿もない。 どうやら、逸れたのは私たちのみたい…!!」
「くっ、なんてこった!? よりによって、こんな危険な海域で逸れてしまうとは……」
「ど、どうしよう提督さん…!?」
南方海域という危険な場所で、他の艦娘たちと逸れてしまうのは危険極まりない行為。 それは、一度はここから逃げてきた瑞鶴が一番よく分かっていることだった。
狼狽する瑞鶴に幸仁は、
「落ち着けっ!」
毅然とした態度で言い放った。
「慌てるんじゃない瑞鶴。 どんな状況に陥ろうと冷静さを欠いたらダメなんだ。 まず落ち着いて状況を把握する、それからどうすべきか考えるんだ」
自分も危険な状況にいるというのに、あくまで冷静に事をとらえる幸仁に瑞鶴は唖然とした。
そんな彼の姿に、瑞鶴も彼女の言葉を思い出していた。
『空母として艦載機を放つとき、一番大事な事は平静でいる事。 少しでも動じれば、それは自分や周りを危機に陥れる事になる。 だから私自身、鍛錬のときは何事にも動じないよう勤めているのよ』
それは、いつも顔を合わせれば自分をけなしてくる一航戦の不愛想な方。 しかし、同じ空母として確かな実力を誇り、ひそかに憧れを抱く彼女の言葉。
そうだった… 今ここにいるのは自分と提督の二人だけ。
何より私は提督の護衛艦。 その私が取り乱したら彼が危険に晒される。
落ち着いて… しっかりしなきゃ。 これじゃ、また彼女にバカにされる。
瑞鶴は大きく深呼吸し息を整える。
今はそこにいない一航戦の先輩に心の中でお礼を言って、彼女は提督に向き直った。
「…うん、ごめんね提督さん。 今この場で戦えるのは私だけなのに、その私が取り乱したら提督さんも危険に晒しちゃうものね」
そう言いながら苦笑する瑞鶴を見て、幸仁も頷いて返事を返す。
「ああ、その調子だ。 この霧を抜け出すのにそこまで移動したわけではないから、皆とはそれほど遠くへ離れてはいないはずだ。 まずはこの霧から離れて、それから索敵を……」
その時、二人は突然黙り込み海面の方を向いた。
そこからは波をかき分けるバシャバシャという音が聞こえてきた。
しかし、二人は音のする方には行かず霧の近くで身を隠した。
なぜそのようなことをしたのか?
理由は簡単。 音のした方からは黒い艤装に身を包んだ一団、深海棲艦の艦隊が移動していたからだ。
編成は駆逐ハ級フラグシップが3隻と戦艦タ級フラグシップと輸送ワ級が1隻。 それだけなら大したことはなかったが、問題は旗艦を務める深海棲艦だった。
白く長い髪をツインテールのように束ね、両腕には戦艦を彷彿とさせるような巨大な艤装が取り付けられている。
他の深海棲艦とは一線を画した姿。 明らかに姫クラスの深海棲艦だった。
「な、何なのあいつ…!? あんな深海棲艦、私見たことがない…!」
「…あれは、南方棲戦姫か」
「知ってるの提督さん…!?」
「静かに…! 向こうに気づかれる……」
幸仁の言葉に慌てて口元を塞ぐ瑞鶴。
二人は南方棲戦姫たちの方に目をやるが、幸いこちらの存在には気づいていなかったらしく、そのまま進撃を続けていた。
《マッタク… 『アレ』ノ調整相手ニ使エソウナ艦娘ヲ探シテコイナンテ、アノ御方モ人使イ……イエ、深海棲艦使イガ荒インダカラ…!》
《ソレニ、私ダッテ姫ノ一人ヨ!? コンナ雑用、装甲空母ノ奴ニデモヤラセナサイヨ!!》
こちらに気づいていない南方棲戦姫は誰にでもなく一人で愚痴を叫び、そのたびに傍らにいたタ級やワ級に宥められていた。
「…提督さん、聞いた? あの深海棲艦、『アレ』の調整相手を探してるって。 一体何のことかしら?」
首をかしげながら幸仁を見やる瑞鶴。 だが、
「提督さん……?」
幸仁の方は瑞鶴の言葉に反応することもなく、ただただ南方棲戦姫の方に視線を向けていた。
(あいつの言っていること… 『アレ』の話といい、あの御方っていうのは戦艦棲姫が話していたアイツと同一人物と考えるのが妥当か…)
(どうにかして、もっとその人物の情報を引き出せないか…?)
熟考している幸仁に首をかしげる瑞鶴。 彼自身としては南方棲戦姫から情報を引き出したいところだったが、今は仲間たちと逸れそれどころではない。
それにここに来たのは自分の弟と隣にいる瑞鶴の姉を捜索すること。
本来の目的を忘れてはいけないと、幸仁が思考を戻そうとした時だった。
南方棲戦姫の隣にいた輸送ワ級。 他の深海棲艦に隠れて見えなかったが、ワ級は一人の艦娘を拘束し連れている。
その艦娘に気づいた瞬間、瑞鶴は大きく目を見開いた。
《マア、幸イチョウドヨサゲナ艦娘ガ見ツカッタシ、今ノウチニアノ御方ヘ点数稼ギシテオキマショウ》
南方棲戦姫はニヤリと笑って鹵獲した艦娘を見る。
腰まで届く長い銀髪を下げた艦娘で、瑞鶴と同じ弓道着とスカートのような赤い袴を身にまとっている。
しかし、今は衰弱しているのかぐったりしたまま動かなく、髪も服装も敵の攻撃を受けたせいでボロボロ。
そう、鹵獲されていたのは瑞鶴の姉である姉妹艦、翔鶴だったのだ。
「翔鶴姉っ!!」
《…ッ!? 誰ダッ!!》
瑞鶴は勢いよく飛び出し、即座に弓を構える。
弓から放たれた矢は空中で艦載機に姿を変え旋回、狙い通り南方棲戦姫の艦隊へと攻撃を仕掛けてきた。
瑞鶴の放った爆撃機は敵の駆逐艦を攻撃し、突然の奇襲に駆逐艦たちはなすすべなく撃沈されていった。
不意を突かれたことで一瞬動揺していた南方棲戦姫だったが、奇襲を仕掛けてきた瑞鶴を見て、
《オ前ハコイツト一緒ニ逃ゲテイタ艦娘…!? ……ナルホド、目的ハコッチカ》
不敵な笑みを浮かべ、近くにいたワ級たちに指示を出す。
瑞鶴の方は敵の駆逐艦を落とし、次は南方棲戦姫へと攻撃を仕掛けようとしたが、
「翔鶴姉を離せっ! 離さないと……!?」
《離サナイト……ドウナルノ?》
瑞鶴の視線の先。 そこには南方棲戦姫の隣にいるタ級が、鹵獲している翔鶴へと主砲を構えていた。
黒光りする巨大な主砲。 ただでさえ衰弱している彼女がこの主砲をまともに受ければ轟沈は免れなかった。
《ソッチコソ武器ヲ下シナサイ。 大事ナ姉ガ消シ飛ンジャウワヨ》
「…この、卑怯者……!!」
歯ぎしりしながらも、瑞鶴は南方棲戦姫の言う通り艦載機を戻した。
翔鶴を人質に取りながら、南方棲戦姫は話を続ける。
《今ノ貴方ガ選ベル選択肢ハフタツ。 姉ノタメニ大人シク私タチニ鹵獲サレルカ、姉ヲ見捨テテ私ト戦ウカ。 サテ、ドウスル…?》
大事な姉を助けに来た瑞鶴にとって、後者の選択など選べるはずもなかった。
だからといって、このまま鹵獲されれば姉どころか自分も助からない。
なすすべなく俯く瑞鶴。
ぽろぽろと涙を流し、己の無力さを悔やむことしかできない…… その時だった。
「俺がその艦娘の代わりに人質になる。 だからそいつを開放してくれ」
突然瑞鶴の背後から聞こえた声。 そこには瑞鶴の後をボートで追ってきた幸仁の姿があった。
「て、提督さん!? 何を言って…!?」
瑞鶴は慌てて何か言おうとしたが、幸仁はそれを片手で制する。 それ以上は何も言うな、と彼は目で瑞鶴へ語り掛けていた。
《…貴方、ソノ艦娘ノ提督ナノ? 私ハ艦娘ヲ探シテイルノ、人間ノ貴方ヲ捕マエテコッチニ何ノメリットガアルノカシラ?》
訝しげに幸仁を睨む南方棲姫。 だが、幸仁は動じることなく話を続ける。
「俺はタウイタウイ泊地の提督で、この近くには俺の艦隊の艦娘たちも来ているんだ。 俺を人質に取れば、そいつらを鹵獲するのに役に立つだろ」
「お前は『アレ』とやらの調整相手に艦娘を探しているって言ってたな。 向こうの霧の陰で聞かせてもらったよ」
「俺の艦隊は西方海域のカスガダマであの戦艦棲姫を倒すほどの実力だ。 調整相手としては、そんな死にぞこないの艦娘よかよっぽど使えると思うぜ」
幸仁の提案。 それは自分を他の艦娘を鹵獲する人質として使えというものだった。
いくらなんでもそんな提案を黙って見過ごすわけにはいかず、瑞鶴は声を荒げた。
「提督さん、正気なの!? 自分を人質にするどころか、他の皆までこいつに差し出すなんて…!!」
「俺だってできればごめんこうむりたいよ。 …でもな、そうするほか翔鶴を助ける方法がない。 そうだろ…?」
「………」
「俺は弟の正也とお前の姉を見つけるためにここまで来た。 そのために必要な手立てなんだ。 もしこんな奴の頼みを聞いてもらえるのなら、俺の弟を……正也を助けてやってくれ」
「提督さん……」
さっきの威勢から急にしおらしくなった瑞鶴。
そんな二人の姿を見ていた南方棲戦姫は、フッと笑うと二人に言った。
《…イイワ。 ソノ御涙頂戴ニ免ジテ取引ニ応ジテアゲル。 マズハ貴方ガコチラニ来ナサイ。 ソレト同時ニ、コチラモコノ艦娘ヲ引キ渡スワ》
幸仁は頷くと、ボートを操作し南方棲戦姫のいる方へと向かう。 同時にワ級とタ級に命じて翔鶴を向こうへ連れていくよう指示を出した。
瑞鶴と南方棲戦姫の間を一人と二隻はゆっくりと移動していく。 お互いの距離は徐々に縮まり、幸仁とタ級たちがすれちがった瞬間…
ズドオオオオオオオオオオオン!!
突然の砲撃音。 それは、幸仁の隣をすれ違ったタ級が幸仁めがけ砲撃した音だった。
砲弾は幸仁のいるボートへ飛来し、辺り一帯の物を吹き飛ばした。
「なっ…あっ…!?」
いきなりの出来事に困惑を隠せない瑞鶴。 それに対し、南方棲戦姫は腹を抱え高笑いを上げていた。
《アッハハハハハハ!! 馬鹿ナ男ネ、ソンナ取引素直ニ応ジルワケナイジャナイ。 情報提供アリガト、貴方ノ艦娘モソコノ子ト一緒ニ『アレ』ノ調整相手ニ使ワセテモラウワ》
南方棲戦姫の真意に気づいた瑞鶴は怒りをあらわにする。
向こうは初めから取引に応じるつもりはなかった。 それどころか目の前で大事な提督を跡形もなく吹き飛ばした。
弓を握る手に力を籠め、瑞鶴は南方棲戦姫に艦載機を向けた。
「あんた、初めからこうするつもりだったのね! 翔鶴姉だけじゃなく提督さんまで利用するなんて、あんた最低ねっ!!」
《何言ッテルノ、ココハ戦場ヨ。 敵ヲ倒スノニ、卑怯モクソモナイデショ? 不意打チヲシテ私ノ部下ヲ沈メタ貴方トドウ違ウトイウノカシラ》
《敵ノ弱点ヲ突クノハ戦術ノ基本。 要ハ騙ス方ガ卑怯ナンジャナイ、騙サレル方ガ間抜ケナノヨ》
あざけるように肩をすくめる南方棲戦姫に、瑞鶴はますます怒りを募らせる。 その手は、今にも艦載機を一斉に放とうとしていた。 だが…
「…ああ、全くもってその通りだな」
突然聞こえてきた声に驚く瑞鶴と南方棲戦姫。
同時に黒煙を上げた場所から勢いよく何かが飛び出した。
「うらあっ!!」
黒煙から飛び出した幸仁は即座に右手の刀で自分を砲撃したタ級を一刀両断する。
幸仁はそのまま間髪入れずに一気にワ級へと接近、翔鶴を拘束しているワ級を切り裂くと翔鶴を抱え、急いで瑞鶴の元へと戻ってきた。
「瑞鶴、お前は翔鶴を連れて逃げろ! 叢雲たちも近くにいるはずだ、艦載機であいつらの居場所を索敵しろ」
「えっ…!? て、提督さん……今、深海棲艦を斬って……。 それに、提督さん……私たちと同じように海面に浮いて…えっ……!?」
人間が深海棲艦を倒すというありえない光景を前に動揺を隠せない瑞鶴。
そんな瑞鶴へ、幸仁は簡潔に理由を話す。
「…時間がないから簡潔に話すが、俺と正也はわけあって深海棲艦と戦う力を得た『戦う提督』なんだ。 こいつは俺が抑えているから、お前は早くあいつらを探してきてくれ」
あまりに突拍子もない話に瑞鶴は目を丸くしている。 だが、今はこうしている状況ではないこともわかっていた。
瑞鶴は幸仁から翔鶴を受け取ると、
「…わ、分かったわ。 提督さん、くれぐれも無茶はしないでね!」
「ああ…」
遠くへ去っていく瑞鶴の背中を見送る南方棲戦姫。
忌々しげに舌打ちしながら、今度は幸仁へと視線を変えた。
《人間メ… ヨクモコノ私ヲ騙シテクレタワネ…!》
「お前の考えは最初から気づいていたよ。 俺がお前の立場だったら同じことを考えるからな」
「それに、騙す側が卑怯なんじゃなく騙される側が間抜けなんだろ? 俺もあの御方とやらについての情報がほしかったんだ。 お前には、この場で洗いざらい吐いてもらうぜ」
幸仁は真っすぐに刀の切っ先を南方棲戦姫へ突きつける。
対する南方棲戦姫も、主砲を構え幸仁を倒すべく身構えた。
《…マアイイ。 オ前ハココデ締メ上ゲテ、予定通リサキノ艦娘タチヲ鹵獲スルタメノ人質トシテ使ワセテモラウ。 モウ、生キテココカラ出ルコトハデキナイワヨ…!》
「…上等だ。 お前こそ、俺の家族に手を出してただで済むと思うなよ。 あいつに… 瑞鶴に手を出した罪は重いぜ…!」
「行くぜ、南方棲戦姫っ! お前は俺が倒すっ!!」
《覚悟シロ人間ッ! 貴様ハ五体満足デハ済マサナイゾッ!!》
海面を駆け抜け幸仁は南方棲戦姫へと接近。 今ここに、もう一人の戦う提督のバトルが幕を上げたのであった。
どもー♪ 思いのほか、続きが早く上がりました。
なんかもう艦娘置いてけぼりな展開になってますね… ちゃんと彼女たちにも見せ場を作りたいところです……
次回、二人の提督と二人の姫とのバトルになります。 次も、楽しみにしてもらえるとありがたいです。