竜娘の異世界旅行記   作:ガビアル

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ちょっと詰まりに詰まって書けなくなってたので何も考えずに書いてみた
反省はしない
後悔はするかもしれない


一話

 洞窟がある。

 ぽっかりと岩肌にあいた洞窟だ。

 入り口にほど近い所に居る。湿っていてひんやりした空気が頬に当たった。

 ぺたり、とその苔むした岩肌に手を当て、その感触が嘘ではないことを確かめた。

 手を見る。

 白い手だ。嘘のように白い。生活していれば当然つきものの傷一つ無い。

 肌理が細かく、どこか触れると壊れそうなほどそれは作り物めいて見えた。

 しかし動く。岩肌に触れている手を人差し指から順番に曲げ、握り拳を作った。

 そしてまたゆっくりと手を開いていく。

 自分の手だ。自分の手に間違いない。しかしこれは当たり前に自分の手では有り得ない。

 そんな混乱があった。いや混乱とも言えない。夢か幻にしか思えないような実感の無さ。

 視線を下げる。

 裸だった。

 ふざけた事に裸だった。

 まことにふざけた事に今までなかった場所が膨らみ、在った場所がなくなっていた。

 沈思する。だが正直黙考はできない。

 何を考えれば良いというのだろう?

 何となく壁についていた右手を戻し、自分の膨らんでいる胸に触れてみる。

 ほどよい弾力だった。手のひらで包んでも少し余る。

 

「……うむ」

 

 何がうむなのか判らないが、何となく呟く。

 そして左手をぱっと見何もない下腹部に彷徨わせた。

 

「……うむ、やっぱり無い」

 

 本当に何がうむなのか。非常に事態としては大変なのだ。そりゃ大変なのだ。なのに未だに現実味がない。

 手を顎にあて首を捻ってみる。ポーズだけでも考えてるようにすれば頭も回るかと思ったのだ。

 何となく頬に痒さを感じて、背中にあるもう一つの手で掻く。

 

「……ぐむ?」

 

 おかしい。背中に手はなかったはず。

 ぽりぽり頬を掻いたその手を見る。正確には爪先を。

 無造作に広げてみる。

 

「……翼?」

 

 動かしてみると思ったより力強く羽ばたいた。

 コウモリにしては艶がある、それに細かい鱗も見えた。いやそれ以前に翡翠色の翼なんて持っている生物が居ただろうか。

 何だか考えるのも馬鹿らしくなってきた。

 翼を折りたたむと思ったよりコンパクトになる。

 

「というか、明らかに縮んだ気がしたけど、何だか物理法則無視してるような……」

 

 捻った首をさらに捻りたくなり、ちょっと痛くなったのでやめた。

 何が何だかよくわからない。

 大体、おれは誰だろうか。

 男だった事は何となくわかる。人間だった事も何となくわかる。

 しかしどう見ても自分の身体は女であり、人間でもありえない。

 

「……うーむむ」

 

 どっかりとその場にあぐらをかいて呻いてみる。今更だが声も高く細い。なかなか甘さの残る声でもある。うん、これはどちらかといえば……

 

「おにいちゃん、ごはんだよ、起きて!」

 

 そんな声が洞窟に響いた。どこかでコウモリでも驚かしたのか、バサバサという音がする。

 無言でうずくまった。頭を抱える。キモい、おれキモい。

 何だか典型的なゲームとかの妹キャラっぽく思えたのだ。声質が。ついやってしまったのだ。大体、おれ頭回ってない。今お馬鹿状態なのだ。うん、こんな失態を犯してしまうのはそんな状態が悪いのだ。そうに違いない。

 全て無かった事にすべし。

 そう思い、綺麗さっぱり先程の事を忘れ顔を上げるまで数分を要した。

 洞窟の入り口から陽光が差し込んでいる。

 それをぼんやり眺めながら立て膝に頬をつけた。

 どうしたらいいのだろう。

 何も浮かんでこない。

 何だか頭の奥から痺れているような、とっさな物事しか考えられなくなっているような、不思議な感じ。

 ぼーっと座っていると、どこかで犬の遠吠えらしき声が聞こえた。犬……だろうか、何だか違うような気もする。

 その声に誘われたわけでもないが、何となく腰を上げた。

 

「いつまでも洞窟に居てもあれだしなあ」

 

 我ながらふらふらと洞窟の入り口に向かい、歩き出した。

 

 日に当たると白く見える肌がどこか煌めきを帯びている事が判る。

 なんだかふわふわとヴェールのようなものが肌の表面を覆っていて、それがきらきらしているようだ。

 触れても何とも感じないが何だろうか。

 

「まあいっか」

 

 あまり深く考えず、そのまま歩き始めた。

 洞窟から出るとそこはまさしく荒れ地だった。

 背の低い雑草は茂っているものの、あちこちに黒い岩肌が姿を覗かせ、それを割るように木がちょびちょびと生えている。いずれも低木で一生懸命に根を張っているようだった。

 どうもここは盆地というのも生やさしい、むしろ穴の底といったような場所らしい。四方を崖に囲まれている。その底の広さは学校のグラウンドほどだろうか?

 

「グラウンド?」

 

 ぱっと浮かんでくるし馴染みのある単語のくせに妙な気分になる。

 何の意味だったか思い出そうとしても出てこない。妙な気分だけが残った。

 頭を振って追い出す。正面の崖、絶壁と言ってもいいかもしれないそれを見上げる。

 

「登れるかなこりゃ……無理か?」

 

 きっとスペシャリストのクライマーなら登れる。そんな崖だった。

 近寄って見れば尚更、圧迫されるような、垂直に切り立った崖なのだ。

 一つ呻いて、見上げていると何か動くものが目の端に映った。

 

「……山羊?」

 

 雄の山羊だ、角が大きい。ほぼ垂直の崖をわずかなとっかかりを頼りにひょいひょい渡っていく。

 あっという間に崖を下りてしまった。

 どうもお目当てはこの底に生えている雑草のようだ。「珍しいものが居る」とばかりにこちらを一瞥した後、距離を置いて草をもぐもぐやり出している。

 

「おお、さすがは山の羊と書くだけある」

 

 感心したまま、そろりそろりと近づいた。野生動物は危険だってのは判ってるが、何となく親しみがわいたのだ。寂しさを感じていたのかもしれない。

 あと十歩ほどの距離まで行くとさすがに警戒するそぶりを見せたので、そっとその場に座り混み、旨そうに草を噛んでいる様子をただ何となく眺める。

 立派な体格の山羊だ。近くで見ると結構顔にも古い傷が残っている。決闘を重ねてきた古豪なのかもしれない。

 山羊は不審そうにおれの方を見ると、一声鳴いた。いや話した。体格にふさわしい、どこか厳かな調子で。

 

『なにか?』

 

 意味がダイレクトに伝わってくる。この感覚はどうとも言いようがない。

 しかもそれを当然のように、当たり前のように感じている。

 困惑は置いておいて、とりあえずなんだろう。意志の疎通ができるらしい。

 

「ええと……旨そうに喰うなあと思って」

 

 こちらの言葉も伝わるようだった。どうなっているのだか全く判らないが。

 不思議そうに首を傾げたのち山羊は言った。

 

『喰うか?』

 

 そう言い、場所を譲ろうとさえする。

 

「あ、ああいや、いいんだ。それより、さっきの崖下りは見事だったよな。おれには真似できそうもないけど」

 

 さすがに雑草を生でもしゃもしゃやる気にはなれない。そこまで腹も減っていないし。

 おれの言葉を聞き、さらに不思議そうに山羊は目を瞬かせ、無言でまた草を食べ始める。

 一つ思いついた事があった。

 

「なあ、登る時におれを乗せてってくれないか?」

 

 そう言い、登れずに困っているんだと言うと、今度は若干驚いた様子でこちらを見た。

 

『乗せては登れない』

 

 まあそうだよなあ、と肩を落とす。

 そんなおれの様子をじっと見ていた山羊は不思議を込めた声を出した。

 

『なぜだ? われらは歩くが、竜は飛べばよい』

 

 へ、と間抜けな声が出た。

 おれは山羊に向かいまた間の抜けた顔で聞いたのだろう。

 

「竜?」

『違うのか?』

 

 誰がと聞けば、お前が、と返ってくる。

 はて、そういえば翼もそれっぽいし、鱗もあったし。

 しかし竜?

 うむむ、と考える。人間だったと思ったのだが、竜だったのか?

 いや正直なんだか判らん事づくめで困る。あまりに困ったもので何だか変な笑いがこみ上げて来た。

 

「うはははははっ」

 

 うはは笑いだが、声が高いので何だか間抜けだ。今日は間抜け日和である。

 よし。間抜けついでにやってみよう。

 背中の翼を大きく広げる。微風を感じて何とないすがすがしさがあった。

 察したのか、先程の山羊がちょっと迷惑そうに離れていった。

 ばっさばっさと思い切り動かしてみる。

 二度三度とやっているうちに、何となくこれじゃない感じがしてきた。

 鳥は風を捉え空を飛ぶ、では竜は?

 はばたく、はばたく。

 体の表面を覆っていたきらきら、何だか判らないがあちこちにあるもの。

 これを捉える。これを掴まえる。

 そう、本当ははばたきなんかも必要じゃなく。

 

「……おおお、飛んでる」

 

 空を吹きすさぶ荒れた風が妙に気持ち良い。

 地形のせいかもしれない、妙に気流が乱れていて、そんな風に舞い散らされるようにぐるぐると回ってみたりもした。

 

「飛んじゃう飛んじゃう!」

 

 などと、ただでさえゆるめの頭のネジがさらに飛んでしまったようだ。

 風に乗ったり、ちょっとはばたいて安定するように調整したりしてると何となくコツが掴めてきた。

 よく判らないが、飛べるように出来てるらしい。生物ってのはよく出来てるものだ。何か違う気もするが。

 ある程度の高さまで浮き上がり、これまで居たところを見れば何とも険しい山の中腹だった事が判った。

 山頂の方を見れば真っ白に染まっている、万年雪ってやつかもしれない。

 平地の方を見通すと、さすがに遠くは霞がかってよく見えないものの、ごつごつした岩だらけの荒れ地から一転して草原が広がっている。ぽつぽつと木々は見えるものの、森のようなものは見えない。この辺はそういう木が生えにくい気候なんだろうか。

 時々わっさわっさと翼を動かしつつ、通りがかった鳥の群れを追いかけるように平原に向かって飛んでみる。

 そのうち慣れたら速度に挑戦してみるのも良いかもしれない。そんな事を思いつつ飛翔していたのだが、一つだけ問題点が浮かんできたのだった。

 

「……腹減るなあ」

 

 飛ぶのって結構カロリー使ったりするのだろうか。意識の片隅にさえなかった空腹感が湧いてきてしまったのだ。それもかなり切実に。

 正直目の前を飛んでる鳥もうまそうに見えてしまう。

 食欲でも感じ取られたのか、鳥の群れが乱れた。一羽、二羽とぽろぽろ落ちてゆく。

 

「お、おお?」

 

 何なんだと思って見ていると、体に何かがぶつかってきた。痛くはないものの、何だろうと思って見回しているともう一発、びしりとぶつかってくる。

 

「石?」

 

 弾かれたそれを空中でキャッチ。結構な大きさの石だ、ピンポン玉くらいはある。

 むっとして飛んできた方をよく見ると草原に紛れるような服を着た男が紐のようなものを振りかぶっていた。

 

「むぉ!」

 

 今度は額に石が当たる。

 痛くはないがびっくりした。空中でひっくり返ってしまう。

 そのままぐるっと回って体勢を整えようとしたが、目の端にちらりと男が石を取り出しているのが見えた。どうあってもおれを撃ち落としたいようだ。

 相手にしてられないとばかりに高さをとる。鳥を追って飛んでるうちに随分低いところを飛んでいたらしい。遠目に男が紐を構えながらじっとこちらを睨んでいるのが見えた。

 

「ああ! あれがスリングか」

 

 十分に距離をとってからぽんと手を打つ。

 紐の遠心力で石を飛ばす昔の武器だ。そのくらいの知識はある。鳥が落ちていったところを見ると狩りでもしていたのだろう。すごい命中率だったし、次から次と石が飛んできた。手練の技であることは間違いない。

 

「趣味人なのか?」

 

 何か違う気もした。

 それにしても、ぼつぼつと頭の中が整理されてきたような気もする。まだまだぼんやりしているというか、お花畑なのが自分でも判ってしまうあたり困ったもんなのだが。

 しかしこの頑丈さである。

 

「こんな石を当てられて全く痛くないって、うん、ないもんなぁ」

 

 やっぱり夢か? と頬をつねると普通に痛い。自らにビンタしてみるとやはり痛い。

 

「……うん、わけわからん」

 

 先程の鉄壁の防御力はどこにいったのか。

 石を上に放り投げてみる。

 しばらくしてぽこりと落ちてきた石が頭にぶつかった。

 ぶつかったことは判るが全く痛くはない。

 ……何なんだろうか本当に。

 ともあれ、疑問は棚上げしておくことにした。

 腹の減り具合がもういい加減厳しいのだ。

 

「うぅ、力が出なくなりそうだ」

 

 滞空しているとなおさら腹を減らしそうなので、ゆっくり草原に降りてみる事にした。

 さっきの石投げ男みたいなのに見つかるのも厄介だ。何となく人がいないことを確認してから降りる。

 どこまで飛んできたのか把握してないが、この辺りまで来ると草も足のすねが隠れるくらいに長く伸びている。相変わらず木は背が低くて閑散としているが。

 

「お、発見」

 

 キイチゴ……っぽい。写真で見たことがある。口に入れるとやたら酸っぱかった。

 結構な数が成っていてとげとげしい茎だが、毒とかはないだろうきっと。

 

「メシーメシー」

 

 とにかく腹が減っている。美味い実とは言えなかったが夢中で口に入れているうちにあらかた食べてしまった。

 しかし、物足りない。当然だ。肉が食いたいのだ。何となく肉食な気がするのだ。

 

「ぐう、チキン南蛮、ローストビーフ、豚ロースのショウガ焼き……」

 

 言葉で飯が出るのなら辺り一面に料理の皿が並んでいただろう。

 ぶつぶつとつぶやきながら、とりあえず歩く。

 いっそのことまた鳥でも見つけたら捕まえてみようか……とも思ったのだが。

 

「捌き方とかどーするんだろうか、生で丸かじりってのもなあ」

 

 確か血抜きとかしないと生臭いのではなかっただろうか。スーパーで出来合いのものばかり食べていた身としてはまるで見当が付かない。

 胃袋が何度目か判らないが情けない悲鳴をあげた時だった。

 何やら騒がしさ、というか金属音というか、荒々しい罵声というか。そんなものが聞こえてきた。

 

「お?」

 

 厄介ごとっぽいが、正直それはどうでもいい。とりあえず人を見つければ飯にありつけるんじゃないかと安直な考えで周囲を見回す。

 いつの間にか靄は霧に変わってしまっていてあまり見晴らしは良くない。ただ、音の聞こえる方に近づいていくと霧の中から馬車の姿が見えた。次に少し離れたところで喧嘩……というか戦闘が行われている。

 尋常の戦いではなかった。

 一人を十人以上で囲んでいる。

 手には剣、メイス、あるいは弓。

 行われているのは時代錯誤の殺し合いだった。

 一人対十人でなおそれは殺し合いだった。

 囲まれている男は体格が良い、囲んでいる男達より頭一つ大きく、日焼けし、鍛えられた腕は鋼を思い浮かばせた。

 ぼさぼさの黒髪がふらりと揺れたと思うと、その見かけとは裏腹に舞うように回転し、放たれた矢を避け、前面の敵の懐へ入り、後ろから斬りつけようとした男の首を切り裂く、なんて真似を一挙動の中に行った。

 

「ぐげ……」

 

 妙な声を出し、首を裂かれた男は倒れる。

 既に五体以上が地に倒れていた。囲まれている男の仲間だろうか、あるいは一人でこれだけの数を倒したのだろうか。

 囲まれている男は無造作に剣を振り、血を落とす。

 

「……糞がぁ、ただの商人一人なんて嘘っぱちじゃねえか」

 

 弓を構え、囲んでいる髭男がいかにも悔しそうにそう言い、唾を吐いた。

 恐怖に負けたか、囲んでいる男のうち一人が後ずさりをはじめ……

 

「逃げんなッ!」

 

 髭男は恐ろしいほどの機敏さで引き抜いたナイフを逃げようとした男の首に押し当てた。

 ヒィ、と息を飲む声が聞こえる。

 これには対峙している男が眉をひそめた。

 

「無理、無理だよ頭ぁ、こんな化けモン……」

 

 ナイフを首に当てられながらもなお弱音を吐く。

 頭と呼ばれた髭男は一転優しげな口調になった。

 

「よぉく見ろ、あいつの剣、うまーく使ってるようだがさすがにもう限界だ。あれだけ切りゃあ当たり前だがな。なあ、つまりよ……」

 

 そして唐突に臆した男の腰を激しく蹴り飛ばした。

 

「ああああっ!」

 

 訳もわからなくなっていたのかもしれない。悲鳴のような雄叫びのような声をあげて、その男は油断なく構えている男に突っ込んでいく。

 

「……ちッ」

 

 舌打ちが聞こえ、臆した男は突っ込む勢いのまま、胸を突かれ、絶命した。

 囲まれている剣士は即、剣を引き抜こうとしたが、同時に矢が飛び、槍が迫る。それを避けた事で剣を手放す事になってしまった。

 

「鈍ったなまくらじゃ、そう簡単にゃ抜けんよなあ」

 

 頭と呼ばれた髭男ははそう言い笑う。

 

「手下ではないのか?」

 

 ぼそり、と無手になった男が呟く。低く、冷たい声だ。

 

「臆病者はいらんのよ」

 

 そう言い、弓矢を構え、一斉に、と合図をかけようとする。

 

 まさかのドラマのような漫画のようなアニメのような展開、ぽかんと見ていたおれだったが、これは動かないとまずいと思い、しかし何もいい考えが浮かばず、とりあえず手に持ったままだった石ころを思い切りぶん投げてみた。

 

 ずどん

 

 という重低音が響き渡る。続いてめきめきという音も聞こえた。

 思い出した。おれは極度のノーコンだった。

 いやそれ以前にその威力。なにそれ怖い。

 投げた石はあろう事か、囲まれている男の脇をかすめ、その先にあった男の胴体ほどもある木にぶつかった。

 普通ならそれでお終いのはずだったが、威力が阿呆らしかった。ぶつかった石はその場で粉々になり、衝撃を伝えられた木はどうなったかというと、爆弾でも仕掛けられたかのようにえぐられ、ゆっくりと倒れていったのだ。

 冷や汗が一筋。

 こちらの目の方が良いらしい、向こうの連中からは霧に隠れておれの姿は見えていないようだ。おおいに狼狽えている。いきなり爆音が鳴ったかと思ったら木がへしおれた。そりゃ驚く。

 そんな中、囲まれている無手の男のみが方向でも捉えていたのか、視線を向けてきた。やはり霧で見えないのか、怪訝な顔をしているが。

 何だか勢いだけで動いてる気がするが、うんまあ仕方無い。そして何とかなる確信がなぜかある。

 警戒している彼等に無造作に近づいた。

 10メートルくらいだろうか、そのくらいまで近づけばさすがに視認したらしい。

 一様に驚いている。

 ぽかんとしてない顔がない。

 一秒、二秒。

 さすがに驚きすぎではなかろうか。

 おれは首を傾げた。

 頭であるらしい髭男は信じられないものを見るかのように目をこすると言った。

 

「裸の女ぁ!?」

 

 ……ああそういえば。

 何というかこれは。うむ。

 俺は天を仰ぐ。おもむろに視線を戻して一つ頷き、口を開いた。

 

「こりゃあうっかりだ」

 

 血生臭い闘争の場が一気に緩んだ感じがした。

 そんな中、全く気を緩めていなかった男が行動を起こした。

 囲まれていたはずの男が突如動き、囲んでいた連中のうち一人を締め上げ、慌てて剣で斬りつけてくる敵に対して盾にした。腕が切り落とされ、掴んでいた槍が落ちる。地面に落ちる前に男はそれを拾い、そのまま距離を取った。

 

「ち、畜生めが! そこの売女! てめぇは後でたっぷりしつけてやる」

 

 髭男はののしるようにそう言い、弓矢を構えようとしたが、その腕をぎゅっと握ると、弓を取り落とした。

 

「ぐっ……が」

 

 顔を真っ赤に染め、脂汗をかき、信じられぬものを見る目でこちらを見る。その右手は妙な角度を向いていた。

 

「ぬ、これじゃ握手もできそうにない」

 

 何とはなしに右手をわきわきとさせる。

 頭と呼ばれた髭もじゃ男はちらりと手下の様子を見た。つられてこちらも見る。六人が一人を囲んでいる様相だが、予想外の展開に困惑しているようだ。

 ちぃ、と短く舌打ちし、額に深い皺を寄せると、男は叫んだ。

 

「退くぞてめえらッ……売女ァ顔は覚えたからなぁ!」

 

 今気付いた。ばいたっておれの事か。何というかすごい違和感を感じる。さすがにその呼び方は勘弁してほしい。

 愕然としている間に男達は去っていった。引き際鮮やかと言えばいいのか、死体はそのままだが。

 

「うぅむ」

 

 何となくまた首を傾げた。どう考えても荒事になんて慣れてないはずだったのだが、そう大した事でもないかのように対応してしまった。それに人の死体にも何とも思わず、人を傷つける事にも抵抗がない。

 

「本格的に変になっているというか、やはり現実味がないというか」

 

 唸っていると、不意に布が被さった。はっとする。どうやら長身のボサボサ髪男が服……外套か、をかけてくれたらしい。血がついているのは……うむ?

 

「死んだ奴のか」

「俺の上着はもっと酷い有様さ」

 

 長身の男はそう言って片頬を上げ笑った。そんな顔をすると若干幼く見える。

 確かに酷い有様だった。血みどろであちこちが破れ、すり切れている。服というよりそれはもはやボロ布だった。

 

「何はともあれ、礼を言う。助かった」

 

 そう言って姿には似合わぬきっちりした礼で頭を下げる。

 しかし、と呟いて頭をぼりぼり掻く。

 

「何で裸でこんなところうろついていたんだ? それにその馬鹿力」

 

 顔は緩んでいるが目の奥は全く緩んでいない。何かを問いかけ、それは中断された。

 腹の音で。

 

「……何というか、礼も結構なんだが、浅ましい話であれだけど、飯を食わせてくれないか、飯を……腹減った」

 

 呆れているのか、唇の端がひくひくと震えている。いやしかし、ここで飯の種を逃したら多分、間違いなく食いっぱぐれる。腹の音がせつなく響く。

 

「な、なあ頼む。頼むよ。飯を……なんか出来る事なら何でもするからさ」

「わ、判った! 判ったからそんな泣きそうな目で見るなッ! あといい若い娘が何でもするとか言うな!」

 

 男はどこか焦った様子で離れると馬車の方に向かって行った。いい若い娘とか色々抗議したい事もあるが、何はともあれ、飯にはありつけそうだ。良かった。

 空きっ腹を抱え、のしのし先に行く男を追いかけた。


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