竜娘の異世界旅行記   作:ガビアル

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六話

「おい見ろフレッド、あの雲ドーナッツの形してるぞ、美味そうだ」

「……どーなっつ? 時によく判らん言葉を言う癖があるなあんたは」

 

 意味が通じないらしい。いや実際今のおれはどうやって話しているんだか。

 上空の風はとても強いようだ、美味そうだった雲は見る見る間に形を崩し流れてしまう。

 町から離れ、街道を行く。

 路面にある窪みに車輪を嵌めてしまえばあまり揺れもない、快適な道行きだった。

 涼しい気候とはいえ春なのは間違いないらしく、街道から見える草原には花の色もちらほらとある、さらによく見れば花の上でダンスでも踊っているような蜂の姿も見える。側では何やら土を掘っているネズミのような動物もいた。ネズミにしては一回りか二回りは大きいが。馬車が近づくと警戒したのか、立ち上がってこちらを見ている。だがどうやら注意した方が良いのは頭上だったらしい。

 黒い影が走る。

 滑るように鷲が近づき、気付いたネズミは余程慌てたのか、まるでアニメのようにアクロバティックに飛び上がり、一転すると逃げていった。

 追うように鷲も飛んだが見失ったらしく、再び空に舞い上がる。

 

「ご馳走を逃したようだな」

 

 フレッドもそれとなく見ていたらしい。高いところで旋回する鷲を追うように空を見上げ言った。

 

「ご馳走?」

「さっき逃げていった奴だ、タプバラというんだが、これがやたら美味い。さっきのはあまり大きくもなかったが、でかいのは犬ほどにもなる。あまり美味いので狩りつくさぬよう、小さいものは見逃すのが習慣だ」

 

 ……何という恐ろしい事を言うのかこの男は。どんな風に美味いのか頭の中で想像が広がる。尻尾が揺れる。腹が鳴った。

 

「判りやすい奴だ」

 

 フレッドは例のごとく悪趣味な笑いを浮かべ、おれは頬杖をつき憮然とする。向かいから来た人が引く荷車とすれ違った。翼を縮めて見えないように隠す。フレッドは手を上げて挨拶を交わし、荷車を引く男は軽く会釈を返す。街道の清掃も兼ねた糞拾いの仕事だと言う。集めたものは干して燃料にするなり、堆肥に使うなりするらしい。

 

「トーリアにもそろそろ食わせないとな。もう少し行ったところが良い草地になっている。そこまで行ったら飯にするか」

「……催促したわけじゃないからな?」

「顔を取り繕うのはいいが、そのばたばた暴れている背中を何とかしろ」

 

 翼が無意識に反応していたらしい。背中にスリットを作り露出させているので丸わかりだった。上からすっぽり服を被るよりはずっと楽で良い。前に動かし、軽く撫でる。

 

「まさかおれにそんな弱点があったとは。内心を気取られないよう訓練でもした方がいいだろうか」

「色々な意味であんたには無理な気がするが。ところで町に入った時に着る服も考えてあるんだろうな?」

「おう、ミラベルさんに抜かりはないぞ」

 

 本当に抜かりがない、女ものの服については諦めた。あの人の静かな熱意には勝てそうもない。

 リーファンで選んで貰った服は、旅に向けた服装ということもあってなかなか機能的だ。丈の長いゆったりしたスカートはボタンで留められているものの、横に大きな切れ込みが入っていて足を動かしやすい。何でも女性が馬に乗る時に履くものでとても丈夫なのだという。本当はこの下にさらにズボンを履くらしいのだが、そこは省いている、独断で。何枚も着るのは鬱陶しい。

 背中部分を大幅改造してもらった肌着の上に、丈夫そうな織の上着を着ている。ミラベルさんからするとそこは外せないらしく例によって結構派手な模様が描かれていた。背中に入れてもらったスリットからは翼を出す事が出来て、とても楽だ。感覚としてはシャツから腕を出しているようなものか。

 御者台のすぐ後ろに置いてある荷袋をさぐり、フェルトのケープを取り出し羽織ってみた。ケープと言ってもどちらかというとポンチョのような長さと形だ。フレッドに見せてみる。

 

「なるほど、完全に隠れたな、上手い事誤魔化せそうだ。それ一つか?」

「いんや、巡礼用のクロークだっけ? 客が置いてったものだとか言ってたけど、それも持たされてる」

「なるほど抜かりがない。この辺りは居ないが、西には妙な事ばかり熱心な神父の一人や二人はいるしな。近づくつもりもないが」

 

 妙な事ばかり熱心? 何だか凄く含みがありそうな感じではある。フレッドは説明するつもりもない様子だったが。

 

 他愛もない話をしているうちに目当ての草地に着いた。街道から少し外れ、ちょっとばかり下った場所だ。辺りは一面の草原と言った感じで、これまでの、荒れ地に草が生えているような風景とはまるで違う。

 馬車を停め、フレッドは荷車と繋がっている馬具を外す。労るように首を撫でると何事か耳元で呟いた。荷の中から持ち出した拳大の薄桃色の結晶を舐めさせる、岩塩らしい。馬も人と同じで汗を流せば塩気が欲しくなると言っていた。トーリアはしばらく岩塩を舐めていたが、満足したのか足元の草を食べ始める。

 

「ん、あれ? トーリアを繋がなくていいのか?」

 

 聞くとフレッドが怪訝な顔をした。やがて「ああ」と納得した顔になる。

 

「繋いでおくのは狼が出るか、毒草が生えるような場所だけだ。ここ一帯なら問題ない。多少遠くに行っても呼べば来る」

 

 どうやら逃げ出し防止というわけではなかったようだ、てっきりそう思っていた。

 少し台地になっている場所に石を組んだ竃があり火を起こす。妙にしっかりした竃だ。石組みといっても簡易的なものではなく、切り出したものをしっかりと組んである。煙突部分も設けてあった。周囲は地面にも石が敷かれていて、隙間から草が石を割るかのように伸びている。

 

「なんでこんな本格的?」

「ここだけというわけでもない、街道筋にはある程度設備がある。多くは帝国時代に整えられた駅舎の名残だが……まあここはそんな大したものじゃない。自然と旅人が馬を休ませるようになり、火事を起こさないように整えられるようになった所だ」

「駅舎? ぽつぽつ見かけた小屋はそれか?」

「機能していた頃は、伝令が馬を次々と乗り換えながら走る。リーファンからアルノーまでわずか一日半で知らせが着いたらしい」

 

 首をひねる。ぴんとこない。フレッドは竃に鍋をかけ水筒から水を入れる。火加減を見ながら言った。

 

「馬車で十五日、歩けばどんな急いでも一ヶ月以上はかかる道のりだぞ」

「……おお、そう比較されるとすごいな」

「だろう?」

 

 煙突から登った煙が風に吹かれて消える。何となくそれを目で追いながらふと浮かんだ事を聞いた。

 

「でもそんな仕組みがあるなら残そうって人はいなかったのか?」

 

 フレッドはくく、といつもの含み笑いをする。野菜を切りながらなので、ちょっと格好が付いてない。

 

「俺も昔ジラットに同じ事を聞いた、と思ってな。だが昔と違って今は村や町が多い、夕方に町を出ても日が沈む前に次の村に着く。街道から外れた場所も多いから昔ほど速さは出ないが、似たような仕組みはもう出来てるのさ」

「ほうほう……ん? あれか、配送屋とかこの前教えてもらったが」

 

 その時に代筆屋という稼業の事も教えて貰った。何でこの二つが優先されたのかと言えば、せめて連絡をマメに、あるいは緊急の時にはまず知らせて欲しいとのこと。よほどフレッドはこれまで気を揉ませていたらしい。

 

「ああ、配送屋を仕切っているのはアルノーの豪商、メルビン家だ。強引な商売で知られているが商売の方は実際大したものさ。書簡や手紙の配送などは本来国の事業だが、それをほぼ独占している。まあ、王侯貴族だけでなく一般人も手紙をやりとり出来るようになったのは間違いなくあの家のおかげだろう」

「メール便?」

「……妙な発音をする」

 

 判っている、このネタが通じないなんてことは。でもつい口をついて出てしまったのだ。なぜこう、思った事を留めておけずに口から漏れてしまうのか。微妙に赤面し、横を向いた。

 

 鳥の香りが鼻をくすぐる。赤いスープの色は何だろうか。匙ですくってみると煮溶けかけた真っ赤な根菜がある。スープには何やらヨーグルトのようなものがかけられていて、一緒にすくって食べるらしい。口に入れると、野菜の甘さを強く感じるスープに酸味はとても相性が良い。朝方焼いてもらったばかりの柔らかいパンにつけて食べても美味しい。

 

「驚いた、あっと言う間に空になってしまった」

「遠回しに言わんでいいぞ」

「おかわりくれ」

 

 素直に要求すると、にやりと笑いながらたっぷりよそってくれた。さらにパンにナイフで切れ目を入れると、蓋をしてあった別の浅い鍋から肉とキノコを切ったものだろうか、それを挟んで渡してくれる。

 

「鳥だけだと弱いからな、羊の干し肉を茹で戻した。一緒に挟んだキノコの塩漬けと一緒に食うと丁度いいだろう」

 

 かぶりつく。肉の食感が普通とは大分違う、パサパサしているというのでもない、しっかりしている。キノコの方は香りがあり、結構塩分が強い。なるほど、こういう食い方もあるのか、飽きない味だ。これもまたあっという間に完食してしまった。

 

「気に入ったようだな、その干し肉はちょっと手がかかっている。リーファンよりさらに東に行った辺りではよく作られているんだが。ただ干すだけでなく油で煮たりもするらしい、以前聞きかじったやり方で作ったものだったが思いの他上手くいった」

「なあフレッド、お前商人やってるより料理人になった方が良くないか?」

 

 さらに袋から取り出したパンを食べながら言う。羊のチーズも一緒に食べると美味い。いかん、食べ物を口に入れながら話すのはこちらでもマナー違反なのだった。フレッドは何故か目を大きく見開いている。そんなに意表突くような事だったのか。やがて弾けるように笑い出した。

 

「ははは、俺が料理人か! それは良い。考えた事もなかった」

「なんだよ、素直に評価したってのに」

 

 フレッドはスマンスマンとおれの肩を叩く。息を整え笑いを納めた。未だ口元は笑みの形を浮かべているが。

 

「そうだな、それもいい。悪くない提案だエフィ」

「だろう?」

 

 ああ、と短く返したフレッドは椀に残ったスープを一気に口に入れた。笑みを浮かべたままだったが、どこか不思議な目でこちらを見る。

 

「本当に悪くない」

 

 ひっそりと言った言葉がどこか意味深だったような気がしないでもない。

 

 日が沈み初め、どこまでも続く平野を赤く染めた。

 街道際に建てられた看板を見て、文字表を元に何とか解読してみようと試みる。

 

「えーと……ク・ミ・ラ?」

「惜しいな、あの綴りだとクメイラと読む。ハリ瓜といってな、甘い瓜の産地だ。かつては皇帝にも献上されていたものでな。この時期ならそろそろ出始める。美味いぞ?」

「……ちょっと、いちいち煽るな。腹が減る」

 

 そんな無駄話をしながらクメイラへの道を進んだ、起伏の多い地形で道も曲がりくねっている。谷底になっている部分から通って来た場所を見ると幾つも段が出来ていて、もしかしたら昔、川が流れていた場所だったのかもしれない。そのまま谷底、かつての川の底だったのだろう場所を進む。付近には草木が多い、進む程に多くなってくるように感じる。乾いているように見えてまだ水気があるようだ。

 やがて大きく曲がった道を抜けると町の形が見えてきた。

 ここもリーファンと同じように城壁が作られている。城壁というより、土の壁と言った方がいいのかもしれない。付近の土と同じ色をしている。高さはそれほどでもなく、人を相手にするというより動物避けの役目だったのかもしれなかった。

 

「今日はここが宿だ、そろそろ背中を隠しておいてくれ」

「おお、てか野宿じゃないんだな」

 

 ケープを羽織りながら言うとフレッドは苦笑を浮かべて返す。

 

「野宿をしたいなら構わないが、俺は遠慮させてもらおう。虫や獣に悩まされながらの旅路は疲れる。あんたには何故か寄りつかんようだがな」

 

 言われてみれば。右腕の袖をまくって確認してみても傷一つない。今更ながらに感心する。

 

「何という虫除け性能、蚊取り線香もびっくりだ。フレッドも野宿の時はおれの側で寝ると良いみたいだぞ」

 

 冗談めかして言ったら吹いた。しかしどうも笑ってしまったというより、驚きでむせ返ってしまったような。

 

「……あんたはまず、その言葉がどういう意味を持つのか、少し考えた方がいい」

 

 ちょっと考えてみる。すぐに思い当たった。うむ、そりゃ驚くか。確か年頃の男女は同衾せずの社会だった。どうもうっかりと自分の姿を忘れやすい。かなり変な意味に響いてしまったのだろう。

 フレッドはしかし、とまた含むような笑みを浮かべて言う。

 

「考えた上での誘いというなら俺もやぶさかではない。美女の誘いを断るのは男の名折れだ」

「勘弁してくれ……」

 

 悪趣味な冗談にげんなりする。ミラベルさんに言いつけんぞ、ぐらいしか返せる言葉を思いつけないおれの頭が憎い。

 

「妙だな」

 

 急にフレッドの声に緊張が加わった。視線を追えば門の前で荷の確認をしている門衛らしき人が五、六人、それを待っているらしい荷馬車が二台停まっている。

 

「妙?」

「ああ、まさかとは思うが、先手を打たれたかもしれん。速度を落とす。後ろに隠れて巡礼服に着替えてくれ」

 

 どうもあまり冗談を言っている様子ではなさそうだ。門までは距離がある、それなりに時間はありそうだったが……荷袋から急いでそれを出し着込む。といっても袖の無い、フードのついたマントみたいな形なので、羽織って前を紐で留めるだけなのだが。

 

「ミラベルの事だ、紐のついたコインも一緒になっているだろう、首から下げておけ。教会発行の巡礼者証明だ」

「ん、おお。ポケットに入ってた」

 

 一瞬、こんな大事そうなものをどういう経緯で客が置いて行ったのかとも思ったが。余分な疑問を差し挟んでいる時間は無さそうだ。

 

「着替えたぞ」

 

 と御者台に滑り込むとフレッドは横目でちらりと確認した。一つ頷き、視線を町に戻す。

 

「そこまで拙劣な手は打ってこないと思うが……」

 

 独り言を言うように小さく呟くとフレッドは黙り込む。わずかに手綱を動かしながら空いた手で顎を撫でる。目を細め、何かを考えている様子だった。

 荷検めを行っているらしい馬車の後ろに付き、待っていると、フレッドに気付いたのか年かさの門衛がこちらに近づく。親しげに声をかけてきた。

 

「ハーマンさんところの商人だったな、また宿かい?」

「それに酒とハリ瓜だ。しかし何かあったのか? 随分警戒してるが」

「うんうん、それが急に兵士とお達しが来てなあ、禁制品の取り締まりだってよ」

 

 年かさの門衛はいかにも面倒臭そうに肩をすくめる。その目がこちらを向くと「ほう」と一つ唸った。

 

「こりゃ眼福だ。巡礼さんかい?」

「ああ、村の若い連中達で巡礼の旅に出てたらしいが、一人だけはぐれてしまったそうだ。商いの途中に寄る場所なんでな。こうして送っている」

 

 また、いけしゃあしゃあと適当な事を吐く。しかもいかにも余裕げな態度だからタチが悪い。おれは小さくため息をついた。

 

「なるほどなあ、まあハーマンさんとこに拾われて良かったねえ、怪しげな連中にでも掴まったらあんた、そりゃ大変だったよ?」

「はあ……」

 

 何と言ったらいいのか判らないので生返事で返す。が、若者ゆえの無邪気さとでも捉えられたのかもしれない、何故か年頃の女性というものがいかに危険で日頃から注意しなくてはいけないものなのか、説教が始まってしまった。ちらりと見て服を引っ張り、フレッドに助け船を期待したのだが、この男動いてくれない。知らぬ振りを決めこんでいる。こういう場合どうすれば良いのだろうか、困った。

 話が一巡し、さらに自分の娘が酒場で働いていた時期の愚痴に入り、最近生まれた孫が可愛くて仕方無いというところまで話が進み「だから女の子は気をつけなくちゃならん」という所からまたもう一巡話がループしそうになったところで、やっと前の馬車の検査が終わったらしく、次、と声がかかった。

 正直ほっとする。

 馬車の幌を引き上げ荷を開きながらフレッドが目録と共に説明する。傍から聞いていると、どうも東方のなんたらというものが多いようだ。黒真珠だの珊瑚だのは判ったが、チヌルの葉だのコルヒストの根だのよく判らないものの名前も出ている。

 しかしどうも雲行きが怪しくなってきた。

 なんとかキノコの粉末だのと説明したものが引っかかっている様子なのだ。

 

「ハーマンさんの所で扱ってる品ですから、そう妙なものは有りませんでしょう、この商人さんも毎回宿を取ってくれる馴染みの人ですし」

 

 と、先程の門衛は擁護してくれていたのだが納得してくれない。

 どうも粉末の色合いが禁制品の中の特殊な毒物に似ているというのだ。一通りの話を聞いた後、対応している隊長だという男が、複雑な装飾を施された短剣の鞘を見せて言った。

 

「疑いがある以上、拘束し、留め置くことを命令されている。事情は判ったが、大人しく来てもらおう、専門の鑑定士により疑いが解かれれば解放する」

 

 フレッドは目を細め、一言、承知したと言い、頷いた。

 年かさの門衛は「こりゃまいった」とでも言いたげに額をぺちんとはたいている。

 

「そちらは……巡礼の者のようだが?」

 

 どうやら話がこちらに来たらしい。おれはどう答えようか迷い、とりあえず頷いておく。

 

「そっちのお嬢さんについちゃあ、さっき聞きましたよ。どうやら連れの人達からはぐれてしまった巡礼のようです、ハーマンさんとこで保護されてたらしいですね、送っていく途中だったそうで」

 

 フレッドやおれが何か言う前に年かさの門衛が説明してくれる。話を聞くと、隊長は無表情でこちらに近づき、胸元に垂らしてあるコインを手に取った。裏を見、表を見る。

 

「本物のようだな。この男との関係がないなら荷を持って降りろ、町に入るなり去るなり好きにするがいい」

「いや、ちょっと兵隊さん、そりゃあんまりじゃ……」

「気になるならお前が面倒を見てやるんだな、あるいはその器量だ、もし無一文だろうと別の方法で稼ぐ事もできるだろう」

 

 門衛は言う言葉を失ったのか口を幾度かぱくぱくと開き、ため息を吐いた。

 

 いつしか日はとっぷりと暮れていた。荷袋から出した予備のパンを食べつつ、どうしようかと悩む。

 夜になるとかなり空気が冷え込んできたらしい。吐いた息が白い。月明かりで土色の建物もどこか白々と見える。

 フレッドは自警団の詰め所に連行されてしまった。馬車も同じ所の倉庫に入れられている。トーリアは悪い扱いはされていないようだ。詰め所の中にある厩舎に入れられ不機嫌そうながらも飼い葉を食べていた。

 おれはと言えばそんな詰め所の向かいにあった建物、民家だろうか、やけに背の高い家があったので屋上で足を揺らせている。夜だったのであまり人の目を気にする事もない。登るのは簡単だった。

 同情してくれたらしい門衛の爺さんが色々世話してくれるような事も言ってくれたし、路銀も十分に持っている。宿を取ってフレッドの疑いが晴れるまで待てば良いのかもしれない、が正直フレッドの意味深な言葉が気になっていた。

 

「危険があるとか、先手を打たれたとか、拙劣な手だとか……あいつに敵がいるのは間違いないよなあ」

 

 片膝を立て頭を置く。どうもフレッドもその辺の話には触れられたくないのか、聞いてもぼかした事しか言わないし、いつの間にか話がずれてしまっているのだ。

 

「こういう時はこう……ドラマとかだと悪役が盛大に悪巧みを暴露しながら出てくるもんだが……」

 

 さすがにそれは望めたことじゃなかったらしい。詰め所から出てきた人はいたが、どうも事務員か何かのようだ。それに何やら篭ごと届けに来た人も居た。食料だとすればあの兵士達は泊まり込みということだろう。大体元々居たはずの自警団の人達はどうなっているんだろうか、暗くなれば解散? あるいはあの兵士達に一時的に別の場所に追いやられている状態か?

 どうも考えあぐねて仰向けに寝転がった。一面の星空、少し欠けた月が眩しい。

 

「あ、そうだ、連絡」

 

 商会の方に一報をいれないとだった。とはいえ、この時間では代筆も配送を頼む事もできないだろう。というか、一っ飛びした方が早いだろうか? 馬車で一日かからない距離なら、飛んで行けばあっという間かもしれない。

 

「まあでも燃費がなあ……」

 

 何となく腹をさする。どれだけの時間、どれだけの距離を飛べるのかちょっと把握が出来てない。

 とりあえず、と起き上がる。立ち上がって確認すれば詰め所内の灯りも少なくなっているようだ。

 たたんでおいた巡礼用の服を被り直す、黒めの服なので多少は誤魔化せるんじゃないだろうか。ばたつかないように布を帯みたいに巻いて留める。フードも被り、首元もグレーのマフラーで巻けば夜目が相当利かない限り見えないだろう。多分。

 屋上から飛び降りた。十分に膝のバネを利かせて音を出さないようにする。それでもやっぱり少し音は出た。ブーツでなく素足の方が良かったかもしれない。

 

「んにゃ、大して変わらないか……」

 

 独りごち、前にある詰め所の塀を見上げる。まったくもって気分は忍者だった。一飛びに壁を跳び越え敷地に入る。上から眺めていたのでどこに何があるかは何となく判っていた。左奥の厩舎に繋がれているトーリアが目ざとく起きたらしい、鼻を鳴らしこちらを向く。前足をかつかつと鳴らした。不満そうだ。ひっそり近づいて機嫌を取るように首を撫でる。声を潜めて耳元で言った。

 

「もう少し静かにしててな、ちょっとフレッドの安否確認してくるから」

 

 意味が判ったわけでもないだろうが、何となく通じたらしい。大人しくしてくれる。

 詰め所は四角い平屋になっていて、壁はやはり土を固めたブロックを重ねて作ってある、付近の土と同じ色をしていた。広さは結構なものだ、いざという時の住民の避難用なのかもしれない。窓からは明かりが漏れている場所も二つある。不寝番でも居るのだろう。

 音を立てないように近づき様子を伺う。

 もちろん一暴れして行こうなんては思っていない。武術の達人が首をちょいと押して気絶させるなんてやってみたいものだが、真似しようものなら首をちょんと切ってしまう自信がある。フレッドが言うに無意識に加減してるらしいが。正直それもどこまであてにして良いのか判らない。

 窓の下で耳を澄ます。よく聞こえないので壁に耳をつけた。

 

「ぬ……?」

 

 こめかみあたりから後ろに流れている角、普段髪に隠れてるこいつをくっつけると妙によく聞こえる。

 まさかこれが骨伝導という奴なんだろうか。違う気もするが、いやまあ、便利ならいいか。

 吐息が聞こえてくる。何かをちびりと飲み、カップを置く、げっぷをした、いかにも下品に間延びしたげっぷだ。ちょっと聞いているのが嫌になってくる。何かを手で掴み、口に入れ咀嚼する。ナッツを噛むような咀嚼音だ。そしてまた飲む。

 時折体の熱を逃がすかのようにふいーと息を吐く、酒でも飲んでいるらしい。喋らないのは相手が居ないという事だろう。しばらく様子を伺い、動く様子がなさそうなのでおれも移動しようとした時だった、ドアの開くような音がし、足音が聞こえる。誰かがもう一人入って来たようだ。酒を注ぐような音がし、喉を鳴らして飲んでいる。

 

「……ふぅー、よう、一杯貰うぜ」

「飲んでから言うんじゃねえよ、で、どうだあいつは、食ったか?」

「駄目だな、水も飲まねえ。どんな経験してきてるんだか、警戒してるってもんじゃねえよ」

「そりゃあお前、お上に睨まれるような事してきたんだろ」

「お上ってか、ありゃ多分……」

 

 部屋に入ってきた方の男は声を途切れさせるとまた酒を注ぐ音がし、喉を鳴らして飲む。

 

「おい、胸糞悪いからって一気に飲むな、俺の酒だぞ」

「明日は俺が奢ってやるよ、気にすんな、三日、わずか三日適当な命令こなすだけで一月分の給料だ、アレ絡みの金に決まってる、とっとと使っちまうに限るさ」

「言うな言うな、隊長があんなのにすげ替えられた事でそんなの知った話じゃねえか、仕事終えたら皆でダリヤ美人でも抱きに行こうぜ、そして飲んで騒ごう。くだらん仕事と隊長の仏頂面に乾杯だ」

 

 その後も雑談と酒宴は続く。士気とか仕事意識はどこいった。

 アレ絡みというのが引っかかるが……いやそこまで考えると想像できることが多すぎる。ただ、もし水も飲まないってのがフレッドの事だとしたらどうしたものか。フレッド自身で何か手を打ってるものだと思いたいが。

 

「あいつ自身、今回の事態は予想外だったっぽいんだよなあ」

 

 口の中で呟く。三日間適当な命令こなすって事は、その間拘留するって事だろうか。嫌がらせ? だとしたらそりゃ拙劣だが。

 

「……よく判らん」

 

 夜気の中にため息をそっと吐く。部屋の中は聞き耳を立てずとも声が聞こえる程に盛り上がっている。どうやら馴染みの娼館の誰それが良いとかいう話のようだ。まったくいつの時代でもどの場所でも男はそんなものか。おれも混ざって下品に騒ぎたい。

 しばらくそのまま様子を伺っていると、信じられない事に当直らしい二人は酔い潰れて寝てしまった。好都合極まりないが、ちょっと待てとも言いたい。それでいいのかと。

 窓から覗き込むと、やはりあの時門の前に張っていた兵士のうち二人だった。部屋には扉が三つあり、先程の音の感じだと右側の扉。建物の右側面がそれにあたるようだ。

 外側から右側面に回り込むと格子の嵌った小窓が幾つも並んでいる。脱獄防止のためか結構な高さがある、飛びついて中を確認してみると、あばたが浮かび、ボロを纏った男が月明かりに照らされながら自慰をしていた。無言で離れる。嫌なものを見てしまった。

 

「寒いだろうによくやるよ……」

 

 二つめは空。三つめの格子に飛びついて覗いてみると、ベッドの上で仰向けになり、驚いている様子のフレッドと目が合った。寝っ転がって夜空でも眺めていたらしい。

 

「よう」

 

 軽く声をかけると、のそりと起き上がり近づく。囁くような小さな声で言った。

 

「なんであんたが……いや、潜り込むのもあんたならわけも無い事か」

「おお、ついでに言えば騒ぎも起こしてないからな」

「とっくに逃げていたかと思っていた」

 

 そう言い、くくと小さく笑う。相変わらずの皮肉な様子にちょっとばかり腹も立つというものだ。

 

「仕事で引き受けた事でもあるし、何よりそんなに冷血じゃないぞおれは」

「竜なのにか?」

「竜なのにだ」

 

 多分恒温動物のはずだ。

 まあ、それはさておき、さっき聞いた兵士同士の話……愚痴に近いものだったが、それを教えておく。

 フレッドは目を細めて顎を撫でる。髭が伸びたらしい、じゃりじゃりと音がする。

 やがて考えが纏まったのかため息を吐くとこちらを見た。

 

「ハーマン商会の方にはこの連絡は入れてないな?」

「ん? ああ、時間が時間だったしな」

「今後も片が付くまで配送屋は使うな、下手すればだが、国を巻き込むおおごとになりかねん。策士気取りで火薬の上で火遊びをしている馬鹿がいる」

「へ……これってそんなにでかい事態になっちゃうのか?」

 

 おれは唖然とした、というか想像できない。どこをどういじったらそういう事になるのか。

 フレッドはこめかみを揉みながら言った。

 

「ハーマン商会にも当然ながら販路や取扱品が重なる、言ってみれば商売敵がいる。察しているだろうが俺にも敵がいる、利害で結びついたんだろう、ハーマン商会の名を貶め、俺を殺すのが目的なのだろうがやっている事はちぐはぐだ」

 

 おいおい、殺すのが目的って……いや、会った時の修羅場を思い出せば無理ないのか? とするとやっぱり最初のあれは強盗じゃなく強盗を装った……はて?

 軽く混乱するおれを置いて、フレッドは肩をすくめて続ける。

 

「相手はジラットにはまだ知られたくないはずだ、左手ではナイフを持っているが、右手は握手をしているだろうからな。エフィ、あんたが早馬を頼めば、さほど考えもせず妨害しようとするだろう、丁度集めていた傭兵を使う。上手く処理できる頭があればいいが……現場を仕切るのはここに出向させられた隊長だ、門の所で会っただろう。一応とはいえ国の正規兵、そんな連中に配送屋の人員が殺されればメルビン家が黙っていない、むしろ好機と見て食い込んでくる。この国の利権にはずっと前から目を付けられていてな、そうなれば泥沼だ」

 

 平然とした顔で言わないでほしい。というか面倒臭すぎる。というかメルビン家って何だかほんわかした感じのネーミングなのに意外と物騒なのだろうか。

 

「とりあえずだ、難しい話はいいから、必要なものは何だ?」

「水とパンだな」

「そう言えば水にも手をつけないとか言ってたが」

 

 フレッドは無言で見ろと、指をさす。その先を目で追うと素焼きの鉢に豆のスープらしきものが出ていた。なぜか近くでネズミが数匹転がっている。

 

「死に方からするとアコニトの毒だろう。この手のは狩りでも使うところがある」

 

 意味するところを察し、ため息を吐いた。

 

「毒盛られてるとか、しかも慣れてる様子とか、本当にお前何者だよ」

「まったくだ、俺は何者なのだろうな」

「至って普通の真面目で善良で温厚な交易商人じゃなかったのか?」

「最近、料理人志望が加わった」

 

 相変わらずとぼけた様子だ。牢獄の中にいても一向に応えた様子がない。だがふと目に鬱々としたものが浮かんでいるのが見えた。

 

「まったくちぐはぐさ。三日の間に傭兵を集めるつもりだろう、野盗を装わせ俺を殺す、死人に口無しだ、荷から禁制の品が出てきて捌かれた事にされる、少し前に嫌疑をかけられていたなら誰も疑わん」

 

 見通すような事を言う。しかしちょっと不思議にも思った。

 

「なんで三日なんだ?」

「帝国時代のカビの生えた制度だが、貴族達の私兵を使う為に三日刻みで正規兵扱いをするものがある。あの隊長が短剣を見せていただろう、あれが印だ。通常の正規兵は長剣を証として拝領する。エフィが聞いた兵達の愚痴もその為だろう、私兵に顎で使われなくてはならん」

「ほうほう、納得。しかしそこまで読んどいて大人しく捕まったのは?」

 

 それが不思議なのだ。兵達を見た段階できな臭いものも感じていたようだし、逃げる事とか考えなかったのか。

 フレッドはベッドに腰を下ろす、目をつむり呆れたようなため息を吐き言う。

 

「最初に言った通りだ、ここまで拙劣な仕掛けをしてくるとは思わなかった。いや、これまでは多分出来なかったのだろう、権力を用いてくるとはな、いよいよ……」

 

 容態が悪いか、という呟きは小さく消えた。その時のフレッドの表情はどこか遠くを見、感傷に浸っているようで……とても突っこんだ事を聞ける雰囲気ではない。

 どうもまた、色々聞き出すタイミングを失ってしまったようだった。


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