大晦日の時雨と提督。
pixivに同時掲載。
「卯月、その書類はここに置いておいてくれ。これが終わったら見るよ」
「了解ぴょん!」
卯月は手に持った紙を指示された場所に置くと、付き添ってきた天龍の元へと戻った。
「司令官も、仕事は程々にして休むといいぴょん!」
「わかった。程々にするよ」
「じゃあ、また来年ぴょん!」
「ああ、また来年、だな」
「じゃ、俺はこいつを送ってくよ」
「ああ、ちょっと待て天龍、この書類、色々間違いがあるから新しい用紙に書き直してこい」
「うげっ、まじかよ…」
「必要なことだ。別に今出さなくとも、四日までに提出してくれればいいから。よろしく頼むよ」
提督は天龍に紙束を渡した。天龍は面倒だなあ、などと呟きながら、眉間を押さえた。
提督は執務室の執務机で様々な書類に目を通している。その書類に新しい紙を付け足したり、あるいは紙を抜き取って封筒に仕舞ったり。
その紙には遠征報告書と書かれていたり、今作戦による出資材量の総計と書かれていたり。とにかくさまざまである。
僕は今日一日、提督の秘書艦として提督の補佐をしている。でも、さっきから提督の息が荒いような感じがするんだ。
「…提督、大丈夫かい?」
「時雨か。俺は全然平気だが、どうした?」
提督は涼し気な顔で僕の顔を覗いた。その表情はいつも変わってなくて、どこか僕のことを見透かしているような、静かな優しさを感じる。
「さっきから提督の息が荒いような気がしてね。…本当に、大丈夫?」
「別に何ともないが…そんなに息荒いか?」
「いや、僕の空耳かも」
「そうか。…なんなら、少し休んでもいいぞ」
「ううん。僕はまだ大丈夫だよ」
「わかった。じゃあ、そこにある書類に誤字がないか確認してくれないか?」
「任せてよ、提督」
提督が指差した先には書類の束があった。提督一人でこの書類を書いたのだと思うと、何故かぞっとした。提督が皆の知らないところで無理をしているのではないか、とか考えちゃうんだ。
僕はその気持ちを振り切り、目の前にある書類に手を付けた。この書類は…今月の出資報告書だね。
少し目を通したけど、誤字脱字の類は無さそう…かな。
…かな?
「提督。これ、0が一つ多くないかい?合計は合ってるけど…」
僕は提督にその書類を渡して、確認してもらった。提督も間違ってることに気付いたのか、溜息を吐いた。
「確かに間違ってる…直さないとだな」
提督は傍のメモ帳に何かを書いた。その後、その書類を足元に置かれているシュレッダーに放り込む。書類は乾いた悲鳴をあげるが、救いの手を差し伸べる者はなかった。残ったのは細く裂かれた紙切れだけのようだ。
「ありがとう時雨。助かるよ」
「これくらいなら全然平気だよ」
「だが、あと三時間もすれば年明けだ。無理せずに姉妹達のところへ行ってきても良いんだぞ?」
「何言ってるの提督。仕事を片付けるのが先だよ」
「今ある書類の締め切りはまだ先だ。俺があとで楽をしたいから今片づけてるんだ。だから無理せず姉妹達の所に行っても良いぞ?」
この時間帯だし、何らかの提出物がある艦娘達も、それぞれの姉妹と過ごしているだろう。
確かに締め切りはまだ先だし、僕も夕立達の所に戻りたい。天龍さんも龍田さんの所に戻っただろうし、今自室の外にいる艦娘は僕ぐらいなものだろう。
──けど、提督は?
さっきも言ったけど、執務室には僕と提督だけ。他の艦娘はいない。
提督は鎮守府にいる皆に気を遣ってるのか、一人で年を越そうとしている。
「なら、提督もおいでよ」
「…あのなあ、男は艦娘寮に入れないって、ルールで決まってるんだぞ?」
「今日くらいいいじゃないか」
「駄目だ。ルールはルール。提督の俺が破ったら大変なことになる」
「提督は頑固だね」
「俺はルールに従ってるだけだ」
やっぱり、今日の提督はどこかおかしいような気がする。
熱っぽいというか、つらそうというか、寂しそうというか…。
「別に俺に気を遣う必要はない。行って来い」
そういって提督は僕の背中を軽く叩いた。
「提督も気を遣わずに、今日くらいは来ても良いんだよ?」
「だから、俺はルールに従ってるだけだって何度言ったら──」
「ならなんでつらそうな顔してるのさ」
「俺は年中つらそうな顔ぶらさげているのか?」
「そ、そんなんじゃなくて!」
「わかった。わかったから、行って来い」
提督は強引に僕の手を取ると、出口に向かって歩き出した。僕は提督を不機嫌にしてしまったのかと考えながら、それにつられるように引っ張られた。
それにしても、提督の手、暖かいなあ。
「て、提督!」
提督は執務室のドアを開け、僕を外へ押しやった。
「俺は大丈夫だから行って来い」
「提督!僕はただ──」
僕の言葉が届く前に、執務室のドアが音を立てて閉まった。
「提督、なんで…」
──なんでそんなにつらそうなの……?
◇◆◇◆◇◆◇
「あ、時雨おかえりっぽい」
「うん。ただいま」
「臨時の秘書艦で呼ばれてたけど、大丈夫だったー?」
「白露、僕は大丈夫だよ」
「…どうしたっぽい?元気ないっぽい」
「そんなことないよ?少しお腹空いてて…」
「…夕立にはわかるよ。時雨、元気ないっぽい」
「いや、だから…」
「嘘は良くないっぽい」
「う、嘘なんかじゃ…」
「なら、時雨が本当の事を言うまで年越しそばはお預けっぽい」
「そ、そんな…」
「…ホントだ。時雨、泣いてきたの?」
「…へ?」
「ねえ、ホントに何があったの?」
「…実は、提督に追い出されたんだ。皆の所に行くようにって」
「え?追い出された?」
「うん。僕は残って提督の事を手伝おうとしたんだけど、提督が無理矢理…グスッ」
「時雨…」
「ひっぐ…提督…えっぐ…つらそうだったんだ…」
「おー、よしよし。姉さんの胸で泣きなさーい」
「…白露姉さん、どう思うっぽい?」
「どうって…提督が無理してるんじゃない?この感じだと」
「突撃してみるっぽい?」
「まあまあ、落ちついて落ちついて」
「じゃあどうするっぽい?」
「今から行くんだよ」
「何処に行くっぽい?」
「執務室だよ執務室!時雨が気になってるんだから行くしかないでしょ!」
「やっぱり突撃っぽい!」
「…ま、いっか。ほら時雨、いつまでも泣いてないで、行くよ!」
「え?ど、何処に?」
「聞いてなかったの?執務室だよ執務室!」
「え?あ、ちょっと!?」
「突撃っぽい~!」
◇◆◇◆◇◆◇
白露と夕立に引かれて、執務室の前まで戻ってきた。手を引かれて走ってたから、少し落ちついたかな。
提督はなんで僕を追い出したんだろう?本当にただの気遣いだったのかな?
「提督ー?入るよー?」
ドアノブを回し、ドアを押す。
が、ドアが動かない。
「時雨?何してるの?」
「ドアが開かないんだ」
このドアに鍵は付いていないし、何かドアの向こうにあるのかな?
「時雨、少し退くっぽい」
今度は夕立がドアノブを回し、ドアが開くか確かめている。
「ふぬぬーっ!」
夕立がドアノブを回したままドアを押し始めた。
今この場で一番力が強いのは夕立だし、このまま任せよう。
「っぽい!」
気付けば一人くらいなら通れるくらいにドアが開いていた。
夕立は凄いね。僕には無理だよ。
「提督は一体何を引っかけて──」
僕はドアの隙間から執務室の中を覗いて、ドアが動かなかった原因を見る。
そこには、横たわる提督の姿があった。
「提督!?」
「どうしたっぽい!?」
僕は慌てて提督に駆け寄り、提督を抱え起こす。それでも起きないところを見ると、気を失っているようだ。
「提督、どうしちゃったの!?提督!」
「時雨!取り敢えずそこソファーに寝かせようよ!」
「わかったよ!」
白露に言われた通り、提督をソファーへと寝かせようとする。提督を引きずるのは嫌だから、お姫様のように抱きかかえる。
提督って、意外と軽いんだね。僕でも抱えられるんだもん。
「時雨、こっちっぽい」
「うん」
提督を傍にあったソファーへと寝かせる。そして、提督の顔をまじまじと見る。
提督の少し整った顔に汗が垂れている。息は荒く、顔も赤い。これはどう見ても…。
「これは…風邪だね」
「そうっぽい」
「あー、やっぱ無理してたかー…」
白露は僕の言葉だけで提督の状態が分かってたのかな。だとしたら凄いね。
「風邪ならベッドに寝かせないと…」
「ねえ、時雨。提督の部屋ってどこ?」
「…どこっぽい?」
「え?」
そういえば、今年は提督が自室に入っていくのを見たことが無い気がする。というよりも、今月提督が執務室から出たところを見てない気がする。
「…わかった。僕が提督の部屋に運んでおくよ」
「夕立も行くっぽ──」
「わかったよ。夕立、戻るよ!」
「ちょっと、白露姉さん離すっぽいー!」
白露が夕立の口を塞いで部屋から出ていった。白露、凄い笑顔だったなあ。
「じゃあ、提督を部屋に運ぼう」
一人残った僕は、ソファーに寝かせていた提督を再び抱えて、白露が開けっ放しにしていたドアから出た。
◇◆◇◆◇◆◇
「よいしょ…っと」
提督を着替えさせるの難しいから上着だけを脱がせた。次に提督をベッドに寝かせて、額に濡らしたタオルを置いた。取り敢えずはこんなところかな。
「提督、いつも無理しちゃ駄目だって言われてるのに、なんで無理しちゃうのかな…」
提督はいつも、後で楽したいから仕事をしてる。でも、一度も楽になったことが無いんだ。
提督が早く仕事を片付けても、休む暇もなく次の仕事が舞い込んでくる。その仕事を早く片付けても、今度はどこかで問題が起こる。
提督は疲れを見せたりはしなかったけど、こんなにも体が傷付いていたんだね。
ふと、時計を見る。時刻はフタサンゴーナナ。年明けまであと三分。
「今年ももう終わりだね…」
掛け布団の中に手を入れて、そっと提督の手に僕の手を乗せた。やっぱり、提督の手は大きい。僕の手より、一回りも二回りも。
この手で僕達に指示を出しているのだと思うと、色々と誇らしくなる。
「提督。来年の抱負は、もう決めたかい?」
提督は寝ているから、返事が無いことくらいわかってる。でも、聞いてみたかったんだ。
「僕の来年の抱負は、誰一人も欠ける事無く、この戦いを終わらせる…だよ」
この戦いで誰も欠けてほしくない。一人ひとりが個性を持ってて、その一人ひとりが違う魅力を持ってて。その一人ひとりが集まることによって、様々な困難に立ち向かえる。絶望的な状況でも、打開策を思い付ける。
望むなら、僕はこの一人ひとりになりたい。
ふと、再び時計を見る。時刻はマルマルマルヒト。年が明けて一分が経っていた。
「あ、年が明けたね。…年越しそば、食べるの忘れたなあ…」
まあ、年明けそばでもいいかな。美味しいのは変わらないし。
「明けましておめでとう、提督。今年も僕を…僕達をよろしくね」
僕は寝ている提督にそう言って、そっと微笑んだ。