ダンジョンにコンティニューするのは間違っているだろうか   作:deep

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プロローグ2

 人々が眠りから覚める時間帯。

 

 目を覚ました活気あるオラリオの住人は、外から聞こえる音に嫌な予感を感じながらカーテンをスライドさせ窓越しに、又は玄関の出入り口まで足を運び外へと顔のみを出して外を見やる。そして誰もが外の光景に辟易とした表情を浮かべた。

 ザーッと、雑音にも聞こえる音と共に空から降り注ぐ大量の雨。出歩くこともままならぬであろう数カ月ぶりの豪雨に人々ならず神までも、肩を連動させた短い溜め息を吐いた。

 

 

 そんな誰もが予想もしていなかった豪雨に憂いている中、オラリオを見下ろす摩天楼の中から、下々を見下ろす王を思わせる佇まいで、豪奢な椅子に腰掛け鉛のような雨雲を窓越しに最上階から見上げる女がいた。

 表情に憂いは無く、寧ろどこか遠い過去を懐かしむようなその表情は、嬉しそうでありながら哀しみを含んでいる、儚い、消えてしまいそうな笑顔を、女神フレイヤは浮かべていた。

 

「オッタル」

「此処に」

 

 潤った光沢を放つ、蠱惑的な唇から男の名が呼ばれる。

 フレイヤからの言葉に間髪入れず反応を示したのは、フレイヤの背後に待機していた、名実相伴って『オラリオ最強』の称号を冠する猪人(ボアズ)の男。オッタル。

 フレイヤに絶対の忠誠を誓っている彼は、その最強と言われる冒険者の能力(ステイタス)を活かし、護衛から召使いのような事まで幅広くフレイヤの為にこなしている。

 

葡萄酒(ワイン)を」

「ハッ」

 

 意匠を凝らされた卓にいつの間にか、用意されたグラスに葡萄酒が粛然と注がれていく。フレイヤは満たされていくグラスを横目にもう一度、雨雲へと視線をやる。

 

(………雨。……もう懐かしく感じてしまう、あの子との出会いを)

 

 フレイヤはゆっくりと目を閉じる。

 消えたゆく眼の前の景色の代わりに、瞼の裏へ浮かび上がるのは、自分と青年の出会い。

 

 今日のような激しい雨の日。

 路地裏に、ボロボロの使い古された雑巾のような服と、余すところ無く傷がつき、冷え切っていた体、小径に横たわっていた。

 

 フレイヤは一つ一つ鮮明に思い出していく。

 

 初めて出会った……いや、一方的に見つけた時に抱いた鈍色の魂に対する失意を。

 その直後、手のひらを返すよう、真逆に変化した暖かな感情を。

 

(目が離せなかった魂を。冷たかった頬を。開いた瞳を。掠れていた声音を。交わした言葉を。)

 

 あの子の――名前を。

 

 全部全部全部全部、覚えている。

 

 だけれど――― もう―――

 

「――フレイヤ様」

 

 目が開かれた。

 忠実なる従者からの声に、フレイヤの意識が過去から現在(いま)へと呼び戻される。

 フレイヤは反射的に声の聞こえた後方へと緩慢に顔を動かすと、オッタルが「葡萄酒を」と、掌で卓を指していた。

 掌に促され再び顔を前に、視線を卓へ動かすと、上部が溢れぬよう配慮された、3分の2程赤い液体で満たされているグラスが有った。

 フレイヤは取り憑かれているものから逃れるように頭を振る。未だ、過去の記憶に苛まれている自らを、情けなく思いながら。

 

 切り替えきれていない過去に対する想いを、胸中に無理矢理しまい込み、固く蓋をする。背中に感じる憂慮の視線にフレイヤは、取り繕った笑みで「ありがとう」と、御礼の言葉を述べ、もう一度卓へと首を回すと、何かに気付いたような顔へ変わった。

 

 

「あら?」

「如何なされました」

 

 疑問の声にすかさずオッタルが反応を示す。

 顎に右手を添え、首を傾げながら卓を見つめるフレイヤに釣られ卓へ瞳を向けるが、特にいつもと変わりは見られなかった。

 何を疑問に思ったのか、と頭の中で推測するが答えにたどり着けぬまま、フレイヤから次のセリフが繰り出された。

 

「オッタル……ダメじゃない」

 

 ――――!?

 

 まさかの言葉にオッタルは、内心驚愕に満たされる。

 予想もしていなかった、まさかの自分の粗相。頭を回転させ、今日何か粗相をしたか振り返るが、思い当たる節が見当たらない。

 仏頂面のまま焦り始める。強力なモンスターとの戦闘ですら感じなかった焦燥を内に秘め、兎にも角にも、このまま主を待たせては更なる失態と答えをだす。

 

 この結論に至るまで要した時間は僅か0.02秒、オラリオ最強と称される力を惜しみなく全力で使った瞬間だ。

 

「申し訳ありません。何か失態を――」

「――グラスが一つ足りないわ」

「分かりました」

 

 オッタルは一体何故グラスがもう一つ必要なのか、推察することを後に、フレイヤの舌の根も乾かぬうちに返事を返し、一瞬オッタルの姿がぶれたかと思ったらその手には、フレイヤと同じ丸みを帯びたワイングラスを持っている。

 

 オッタルがフレイヤに返事をしてから、ワイングラスを下の階まで取りに行き、戻って来るまでに要した時間は僅か0.2秒、オラリオ最強と称される力を惜しみなく全力で使った瞬間だ。

 

 オッタルは失礼致します、と断りを入れて卓へとグラスを置く。

 そして、仕事を終えたオッタルは元の位置に戻ろうとするが、フレイヤはそれを怪訝な表情で制する。

 

「どこへ行こうとしているの?」

「……戻ろうかと」

「そのグラス貴方のよ?」

「……私がワインを?」

 

 ええ、とフレイヤは頷き、部屋の隅にある客人用の椅子に視線を送る。椅子持ってきて腰を下ろすよう、暗に訴えているのをオッタルは察した。

 部屋の隅から運んだ椅子を促されるままフレイヤの対面に運び、腰を下ろす。

 フレイヤは椅子に腰掛けたオッタルを満足そうに見ていたが、折角の酒の席だというのに背筋をピンと伸ばすオッタルに、従順ねぇ、と顰め面になり、固すぎる従者に嘆息を吐いた。

 しかし、嘆息に連動して下がった顔を上げると、オッタルの前に置いてある空のグラスを見て今度は、いいこと考えたと、いたずらっ子のような顔に変わる。

 その従順過ぎる従者の空のグラスを見てフレイヤがとった行動とは、の入っている瓶を手にすることだった。

 ターゲットにされているとは露知らず、従者は自らの主神がとった不可解な動きに疑問を覚えたが、その疑問は直ぐに晴らされる事となった。

 

「オッタル」

「何でしょう」

「グラスを出しなさい、注いであげるわ」

「―――!?」

 

 オッタル、本日二度目の驚愕。

 

「……いえ、それは……」

「私の酒が飲めないって言うの?」

 

 どこで覚えたのか、新人の冒険者に酒場で愚痴を聴かせる先輩冒険者のように酒を勧める。

 有無を言わさぬ態度にオッタルは、渋柿を口にしたような顔を作ったが、やがて観念したのかおずおずとグラスを前に差し出した。

 フレイヤは満足そうに顔を綻ばせ、瓶が軽くなっていくのを感じながらグラスに葡萄酒(ワイン)を注いだ。

 

「ねえ、オッタル」

 

 葡萄酒(ワイン)を注ぎ終えたフレイヤから表情が消える。先までの綻ばせた表情とは打って変わった、神妙な顔つきだ。

 フレイヤはおもむろにグラスを手にとった。

 

「何故、私がこんな早朝からお酒を飲もうとしているのか分かる?」

「いえ、判りかねます」

 

 ワイングラスのステムを指先で右へ左へと弄び、グラスの中で揺れる小さな波を眺めながらの問いかけに対しオッタルは、なるべく簡潔に、端的に答えた。フレイヤの態度から答えに期待していない事が分かっていたからだ。

 フレイヤは、短く考える素振りも見せず答えたオッタルに気分を害した様子もなく、話しを続けた。

 

「思い出さない? 今日のような雨の日は、あの子の事を」

 

 フレイヤが「あの子」と口に出した瞬間、オッタルの表情が苦虫を噛み潰したかのような、露骨に不快な表情へと変わった。

 表情の変化が少ない筈の従者がこの短い時間に、二転三転と表情筋を動かしているのを見てフレイヤは嬉しそうな顔を、特にオッタルも「あの子」に対する未だ変わらぬ想いを抱いている事に、はにかんだような笑顔を浮かべた。

 

「オッタルは相変わらず苦手なの?」

「苦手では有りません、嫌いなのです」

「私の次に一緒にいる時間が長いんでしょ?」

「奴が突っかかってくるだけです」

「昔はよく一緒にダンジョン探索していたのに?」

「……私に付いてこれるのが奴しかいなかっただけです」

「私の記憶だと、貴方が深層に潜るようになってからは、2人で潜っているところしか見たことが無いのだけれど」

「………」

 

 フレイヤからの追求に黙してしまうオッタル。

 基本、フレイヤには口答えなどしない彼には珍しいというか殆どあり得ない事なのだが、遠慮もぼかす訳でもなく、明確に否定の意思を見せていた。だが、最後には敬愛する主の御前と理解していながら不機嫌そうに顔を顰め、黙然。オッタルは心底、『あの子』が嫌いだった。

 

 しかし、

 

「………私は奴の強さ"だけ"は認めています」

「今も?」

「はい」

 

 断固とした想いを乗せ、力強く頷く。

 その前のセリフはやけに"だけ"を強調していたが、フレイヤは分かっていたかのように聞き流した。

 

 そしてオッタルは言った。オラリオ【最強】の称号を冠する男が言ったのだ。

 過去ではなく、頂点と言われている今でも強さを認めている、と。その言葉に含有する意味は冒険者にとって計り知れない。

 フレイヤの笑みが深くなる。

 

「あなた達よく模擬戦してたわよね 戦績は覚えているの?」

「………385勝327敗33分けです」

「どっちが?」

「私が、です」

 

 興味津々なフレイヤを他所に、オッタルは忌々しそうに戦績を語った。

 結果だけ見ればオッタルの勝ち越しなのだがその顔は悔しさで歪んでいた。

 

「ですが」

 

 オッタルは続ける。

 

「私の勝ち星の数々は奴とのレベル差が2あった頃に稼いだもの。奴がレベルを上げ、差が1になればどちらが勝利してもおかしくはなくなり、奴がまた一つレベルを上げ、完全にレベルの差がなくなれば奴が私の目の前で地にひれ伏している姿を見ることが出来るのは、数えられる程しか有りませんでした」

 

 戦いの数々を思い出しながらオッタルは語る。話の途中から目を見開いていた主神に気づくこと無くオッタルは語り続ける。

 その顔は、対等になった途端つけられた数多の敗北からの悔しさも有ったが、それよりも、戦いに満たされていたという武人としての喜びが無愛想な顔から滲み出ていた。

 

 オッタルは『奴』が嫌いだったが、『奴』との戦いには確かに満たされるものがあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そろそろ乾杯でもしましょうか」

 

 あの後、しばらく昔話に花を咲かせていたフレイヤだったが一息ついた所で、グラスを右手で目元まで掲げ、唐突に切り出した。

 話が弾んでいた二つのグラスに注がれた葡萄酒(ワイン)は量が変わっておらず、口がつけられていない。

 オッタルは分かりましたと、答えると、同じくグラスを掲げた。

 

「それじゃ、乾杯」

「………いただきます」

 

 2人は同時に葡萄酒(ワイン)を口に含む。

 減っていくグラスの中、口内を満たすワイン特有の渋み。遅れてやってくる葡萄の甘みを喉へ送りながら、フレイヤは、オッタルとの昔話も拍車をかけたため、胸中に押し込んでいた『あの子』への想いが溢れてくるのを感じていた。

 グラスから瑞々しい唇を離し、葡萄酒(ワイン)の量が半分程になっているグラスに視線を向ける。

 

 そして、嫌な気分になった。

 

 瞳に映るのは満たされていない、3分の2から半分ほどに減ったグラスの中身。その真ん中から上の空間が心底気に入らない。同じ葡萄酒(ワイン)でも他の液体でもなんでも良いから、その空間を満たしたくなる。

 

 気分を害するのだ。同じくポッカリと穴が空いている自分の空虚な心を映しているようで。

 

 

 フレイヤは再びグラスへと口をつける。

 そして、品位のある彼女には珍しいというかあり得ない、グラスの中身を味わうこと無く顔を上げ飲み干した。

 オッタルがあり得ないもの見たような、驚きの表情をしている中、フレイヤはグラスを見る。

 

 そして、さっきよりももっと嫌な気分になった。

 

 

 

 瞳には、何も無い、空虚に満たされたグラスだけが映っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 かつてオラリオには【英雄】と呼ばれた男が存在した。

 

 オラリオに住む殆どの人々に、神々に愛された、まさに【英雄】と呼ばれるに相応しい人間。

 

 ダンジョンに潜れば誰よりも前で修羅の如く剣を振るい、ダンジョンからでれば太陽のような笑顔を振りまく。

 

 彼は優しかった。

 

 深層に単身で潜れる実力者にも関わらず、様々な階層で、彼に危険なところを救われた、という声は後を絶たなかった。

 

 彼が地上に居る際は、お使い紛いなことから、屋根の修理、子供と広場で遊んでいたりもした。

 

 嫌な顔ひとつ見せず、寧ろ役に立ててよかったと笑う、他の粗暴な冒険者とは違う、優しい彼を、老若男女、種族や職業問わず愛されるのは必然だったのかもしれない。

 

 

 誰もが彼の背中を見ていたのだ。

 

 

 能力を持たぬオラリオの住人は、彼を愛した。

 

 オラリオに来たばかりでまだ未熟な弱き冒険者達は、彼に憧れた。

 

 長い間ダンジョンで戦い続けた強き冒険者達は、彼の背中の遠さを知った。

 

 強き冒険者達の中で、彼と言葉を交わし彼の人柄を知った者達もいる。

 

 見た目にそぐわぬ年齢の小人族は、彼の隣に立ち共に戦いたいと願った。

 

 後に最強の魔法使いと謳われるハイエルフは、いつか彼の背中を守ってみせると誓った。

 

 未熟な冒険者だった頃の熱い心を失ったドワーフは、再び心の火を熾し彼を支えてやりたいと望んだ。

 

 

 派閥の垣根を超え、誰もが彼に様々な感情を込めた眼差しを送っていた。

 

 

 

 

 だが、彼は死んだ。

 

 

 

 彼が修行と称し、深層に一人で一ヶ月間籠りに行っていた帰りの事だ。

 

 まず深層とはどれだけレベルが高くとも一人で潜る場所では決して無い。最低でもレベル4以上が隊を組み、万全な準備を整えた上で、進む場所だ。

 それを、彼は一人で、それも一ヶ月も籠もり続けた。

 

 無謀と言ってもいい。だが、彼はやり遂げた。

 

 卓越した技と、オラリオでも屈指の実力を用いてやり遂げたのだ。

 

 それでもやはり、体は傷つき、体力を失い、戦いに明け暮れた毎日で精神力はすり減っていた。

 倦怠感が足取りを重くする中、懸命に残り少ないポーションを飲みつつ着実に歩を進めていった。

 

 そして、彼は見つけてしまった。まだ深層と呼ばれる階層で。

 

 夥しい数のモンスターに囲まれ、魔法を放たれようとしている冒険者を。

 

 その光景を見た彼の脚は、行動を開始していた―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

【英雄の死】という悲報は瞬く間にオラリオに広がった。

 

 最初は誰も信じなかった。誰かのいたずらだ、と。死ぬはずがない、と。

 信じたくなかった。だけれど、彼の居たファミリアから正式に死亡宣告された。されてしまった。

 

 もう、【英雄】はこの世にいない。あの自分達を率いて、守ってくれた背中を見ることはない。地上での笑顔を見せてくれることは二度と無いのだと。

 

 真実。彼の死は確かな真実だと脳が認識してしまった。

 

 

 その日、オラリオが泣いた。

 

 

 静かに、夢だと、何かの間違いだと思いながら、涙を流した。

 

 宣告を聞いた上で信じなかった者も、隣で涙を流す者を見て、また泣いた。

 

 泣いて泣いて、枯れるまで泣いて。

 

 彼の最も嫌いなことを思い出した。

 

 

 ――悲しい涙は一番嫌いだ、悲しい時も笑っていたほうがましだから――

 

 

 口癖だった。

 

 彼は泣きそうになった人を見たら近づいて話を親身に聞いていた。そして、泣き顔を笑顔に変えてきた。

 

 泣き続けたオラリオの住人は決意した。

 

 今までさんざん頼って、助けて貰ったのだから最後くらいは自分達だけで立ち上がろうと。

 

 

 そして、

 

 

 

 オラリオは笑った。

 

 

 

 涙が頬を伝いながら、確かに笑った。

 

 

 空にいる彼に

 

 

 ありがとうと、さよならを込めて―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人々と神々にこの世を去った事を嘆かれた男。

 

 人種:【人間《ヒューマン》】

 

 職業:【冒険者】

 

 名前:【ハイド・クルフェル】

 

 二つ名:【英雄(ヒーロー)

 

 

 終わりを告げた筈の冒険は、ここから始まる

 

 

 

 






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