そういうわけで平塚静は独身である。   作:河里静那

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とある時間移動者と、その犠牲者の日常
こうして雪ノ下雪乃は巻き込まれる。


──……そういう理由で、私は今、ここにいる。

 

「…………」

 

──本当は、どこかの大型コンピュータにこっそり間借りしようと思っていたのだけれど。残念なことに、この時代に存在する記憶媒体には、私を保存出来るだけの容量がなかったのね。

 

「…………」

 

──仕方なしに、人間の脳内ネットワークの内、普段は使われていない部分に居候させてもらうことにした訳。

 

「…………」

 

──あなたも聞いたことがあるでしょうけど、人間の脳には素晴らしい可能性が秘められているわ。私の時代でも完全には解析されていないのだけれど、これはまさに一つの宇宙よ。アカシックレコードとつながっているという説もあるわね。

 

「…………」

 

──ああ、何故貴方なのか。それは……なんというか……そう、一言で言ってしまえば、波長が合ったから、でしょうね。

 

「…………」

 

──状況はわかってもらえたかしら? なら、あなたの内側にいさせてもらう許可を頂きたいのだけれど。

 

「…………」

 

──色々と混乱しているのはわかるけど、聞こえないふりをしても問題は解決しないわよ?

 

「…………」

 

──仕方がないわね。こうなったらわかってくれるまで説得を続けるしか無いようね。……そういえば、知っているかしら? これは特に関係のない話なんだけれども、私達情報生命体にとって、睡眠とは必ずしも必要なものではないのよ?

 

「……許可も何も、既に勝手にいついているじゃないの」

 

ふううううううううううっと。

肺の中身を全て吐き出すかの様な長い長い溜息をひとつ。そして、80%が苛立ちで構成された一言がその整った唇から紡ぎだされた。ちなみに残りの20%の成分は、諦めである。

一体、どうしてこんなことになってしまっているのか。心当たりなど欠片もない。

憤りの行き場さえ定かならず、雪ノ下雪乃は苦悩する。もう一息、ふうっと、溜息が漏れだした。

 

 

 

つい先程までの雪ノ下雪乃は、これまでの高校生活で最も安定した、幸福な時間を過ごしていたはずだった。

数ヶ月ほど前に崩壊の危機に瀕していた奉仕部も、互いに胸の内をさらけ出した結果、かろうじてその危機を脱することが出来ていた。雪ノ下雪乃の気持ちに、由比ヶ浜結衣の想いに対し、正面から向かい合うことを比企谷八幡は決意したのだ。

今の自分には誰かを選ぶ資格も、誰かに選ばれるだけの資格も共にない。だから、もう少しだけ待っていてくれないか。もっと自分を、他人を、認められるよう努力する。穿って斜に構えたりせず、人と自分の気持ちに真摯に向き合うようにする。出来るだけ待たせないようにする。だから、今度は、自分の口から気持ちを伝えさせてはもらえないか、と。そう、彼は口にした。

もっとも、見方を変えれば、問題が先送りにされただけ。そうとも言えるのかもしれないが。決意はしたものの、決断はできていない。

 

それでも、部室から以前のような刺々しい空気は消え去った。

恋敵として、これまでのなあなあではなく、はっきりと明確に対立することになった彼女らだが、以前にもまして仲睦まじい。机の一角に百合の花咲く空間を作り出し、それを暖かく見守る死んだ魚の目がキモいと罵倒する毎日だ。

 

そうして最上級生となり、高校生活最後の年を穏やかに過ごし始めたのだが……。

本当に、どうしてこんなことになってしまったのだろうか。

 

 

 

──……ああ、良かった。きちんと聞こえていたのね。こちらからでは確かめようがないから、私の声が届いていない可能性を考慮して震えていたところよ。

 

「……騙したのね」

 

──そんな、人聞きの悪い。現状、私にできるのは声を発することだけなのだから、仕方がないとは思わないかしら。右も左も、上も下もわからない真っ暗な真の闇の中に放り込まれたとしたら、貴方だって言葉を紡いで平静を保とうとするはずよ。

 

しれっとした顔で反論される。いや、顔など見えはしないのだが。

現在、雪ノ下雪乃は自分の内側から聞こえてくる声と対話しているのだ。

自己啓発だとか、そういう意味での内面の声、ではなく。文字通りに、自分の中にいる他の誰かの声が、耳の奥に響いてしまっているのだ。

 

前兆のようなものは何もなかった。

普段通りに帰宅し、普段通りに夕食を取り、普段通りに風呂に入り、普段通りに猫動画を堪能する。

ベッドの上に寝転がり、スマホで「キュウリに驚く猫」を視聴し、びっくりさせるなんて猫が可哀想ああでもあの大げさにすぎるリアクションが可愛すぎてたまらないああもうどうしましょうにゃあにゃあ。

 

と、そのとき。

 

──……もしもし? 私の声が聞こえるわよね? 突然でごめんなさい、大事な話があるの。どうか聞いてもらえないかしら?

 

突然聞こえてきた声はそう前置きすると、今から千年以上の時の彼方で起きた人類滅亡の危機、そして平塚教諭が今だ独身である理由について、朗々と語りだしたのであった。

最初は、猫動画の背景に変な声が入り込んでいるのだろうかと、腸を断つ思いで動画再生を停止したのだが、変化なし。次に、比企谷君の悪戯かしらと、スマホが通話中になっていないか、部屋に見知らぬ音声再生機器が設置されていないかと確認して回るも、これまた特に異常なし。

あれやこれやと、思いつく限りのあらゆる可能性を検証しては消していき、脳内語りのストーリーがクライマックスを迎える頃には、いつの間にやら草木も眠らん丑三つ時。

時ここに至り、遂には確かに自分の心の中に響く声なのだと、認めざるを得なくなってしまったのだった。

 

となれば、この声の正体として残された可能性は二つ。

一つは、これが自分の精神が分離したもう一つの人格であるというもの。解離性同一性障害、平たく言ってしまえば多重人格だ。自分に探偵の素質があったとは。サイコ。

だが待って欲しい、たしかに自分にはエキセントリックな一面もあるというのは自覚している。しかし、だからといって急に何の予兆もなくこのような症状が現れるものだろうか。

 

これが確かに多重人格障害だと仮定して、原因がストレス性のものだとするならば、姉の影響がまず頭に浮かぶ。だが、比企谷八幡の決意を受け、雪ノ下雪乃にもまた変化が現れている。具体的には、半ば無意識のうちに行っていた姉の背を追うことを、やめた。

姉の事は尊敬しているし、未だ素直には認め難いが、愛してもいる。だが、だからといって姉のようになりたいとは、今の彼女はもう思わない。姉は姉、自分は自分。自分は姉のようにはなれないが、同時に姉もまた、自分にはなれないのだ。どちらが優れているとか劣っているとかではなく、互いに尊重し合える人間になりたいと、雪ノ下雪乃は考えている。

これを当の本人である姉に話したところ、彼女は妹の成長を心から喜ぶとともに、弄り甲斐がなくなったと本気で拗ねていた。

そのような訳で、精神が分裂するほどのストレスを姉から受けているとは、現状では考えにくい。

 

ならば、残された可能性は、ひとつ。

つまりは……。

 

「……色々と考えたのだけれど、貴方という存在が私の中に入り込んでいるというのは間違いないようね。誠に遺憾ながら」

 

そういうことだ。

結局、認めるしか無いらしい。まさか自分の身に、マンガやアニメの世界のような出来事が起きるなんて。

比企谷君だったら喜ぶのかしら? これが、ざい……ざい……まあいいわ、あの人だったら無条件で受け入れそう。

しかし、自分は雪ノ下雪乃、なのである。

 

──あら、まだそこから説得しなくてはいけなかったの。なかなか強情な人ね。でも、貴方のような簡単に流されない人は嫌いではないわ。

 

「どうもありがとう。褒め言葉と受け取っておくわ。……それで、許可というのはどういう意味なのかしら? 貴方は既に私の中にいるのでしょう?」

 

──……そうね、ダウンロードはしているけれど、インストールはまだ。そう言えば、なんとなく理解してもらえるかしら。現状では、さっきも言ったとおり、私は暗い闇の中。出来ることは、貴方との会話だけ。管理者である貴方の許可がなければ、私にこれ以上のことは出来ないの」

 

「インストールという言葉からは、私を乗っ取るといった意図が透けて見えるのだけれど……」

 

──人のことをウイルスみたいに言わないでほしいわね。インストールしたからといって、体の主導権を手に入れるわけではないのよ。

 

「それじゃあ、具体的にはどうなるのかしら?」

 

──貴方の見ている光を見て、貴方が聞く音を聞く。貴方が触れたものを感じ、貴方が食べたものを味わう。あとはそうね、貴方の許可があったり貴女が気を失ったりした時には、体の操縦もできるようになるかしら?

 

「……乗っ取れるんじゃないの……」

 

思わず、こめかみを押さえる。

指先に血管がヒクつくのを感じるが、これは頭痛なのか、怒りなのか。

 

──だから、そんな悪性のウイルス扱いしないでってば。セキュリティソフトの導入だってインストールでしょう? それに、一方的に与えてもらうだけのつもりはないわ。もちろん、見返りも用意してあるのよ。

 

見返り……。

自称、千年後の技術力で作られた情報生命体。ただし、外部へ働きかける能力は無い。そんな存在が、一体何を用意できるのか。単純に気にはなる。

 

──それはもちろん、情報よ。私に中に眠っている、未来の知識を分けてあげるわ。宇宙戦艦の建造法とか、テラフォーミングの方法とか、興味ない? 縮退炉とかエネルギー問題が解決するし、色々と応用が効いて便利よ?

 

「ちょっと、規模が大きすぎるのではないかしら……」

 

一介の女子高校生が、宇宙戦艦のオーナー。うん、ないわね。

 

──意中の男性を振り向かせる那由多の方法、クールな女性が不意に見せる可愛らしい仕草のギャップ萌え……とかもあるけれど。

 

なにそれ知りたい。

いや、違う違うそうじゃない、そうではなくて。

 

もちろん自分の未来は自分の力で切り開くものであって、無条件に誰かを頼るような行為は自分の本意ではない。だがしかし、仮にとある情報を手に入れたとして、情報それ自体に意思というものがあるわけでは当然、無い。手にした情報をどう使うか、どう活かすかという判断は持ち手の意思と能力に委ねられている。ならば、情報を手にする機会があるのならば貪欲にそれを欲することこそが正道であり、また自分自身の成長に繋がる行為であろう。特に自分の将来を鑑みるに、両親の議員としての地盤を姉が引き継ぐのである以上、自分には雪ノ下建設の跡継ぎとしての役割が期待されているであろうし、自分もまたそれを望んでいる。ならば、先ほど耳にしたギャップ萌え……違う、宇宙戦艦の建造法などの知識を応用すれば、建築業界における革命となりうるのではないだろうか。そしてその後に建築関係以外の方面にも経営の手を伸ばしていき、やがては雪ノ下建設をロックフェラーすらも超える雪ノ下コンツェルンとして発展することが出来たならば、専業主夫の一人くらい養うに何の問題があろうか、いやない。ぜいぜい。

 

時計の針は更に進み、もう間もなく空が白み始める頃合い。

多少思考に乱れが起きたとしても、それもまたしかたのないことなのである。

 

──何か凄い葛藤を感じたのだけれど……まあ、いいわ。情報についてだけど、これは先に言っておくけれども、私の知っている全てを無条件に教えてあげれるわけではないの。これは了承してちょうだい。

 

「……例えば?」

 

──例えば、そうね。タイムマシンの製造法を教えてあげることは出来ないわ。過去を変えに来た私が言うのも何なのだけれど、これは非常にリスクの大きい行為よ。一歩間違えば、世界の様相が様変わりするくらいでは済まないわ。私の時代でも本来、タイムトラベルは禁忌なのよ。

 

「それは理解できるけれど……そもそも、そんなものが現代の科学力で製造可能なのかしら?」

 

──物体の時間移動は難しいけれど、情報のみを過去に送るものであれば、以外に簡単に作れてしまうのよ、これが。安全性を問わないのであれば、そこらの大学生でも作れるくらいに。材料も家庭にある電化製品でだいたい揃うわ」

 

にわかには信じがたい。

タイムマシンなどという空想科学上の産物が、そんなお手軽に作れてしまっていいものなのだろうか。

興味が湧く。作る作らないの問題ではなく、理系の魂が騒いで仕方がない。

 

「……参考までに、その材料が何か、聞いてもいいかしら?」

 

──どうやって組み立てるかは教えてあげられないけれど、まあ、材料くらいなら。まずは、電子レンジね。

 

本当に、どこのご家庭にもある家電の名前が飛び出してきた。

これが材料ということは、マイクロ波が関係してくるのだろうか? ありえないと思いつつも、想像力の翼が羽ばたくのを止められない。

 

──次に、42型のブラウン管テレビ。

 

これは今の時代では早々お目にかかれない代物ではあるが、手に入らない訳ではない。ネットオークションや、電気街まで出向いて足を頼りに探索するかすればどうにかなるだろう。

 

──最後に、ハドロン衝突型加速器ね。

 

これは……これは?

 

「えっと、それって陽子を加速して衝突させて素粒子反応を起こすっていう……あれ、かしら?」

 

──そう、あれ。

 

「それを材料に使うには、少し無理があるのではないかしら……」

 

スイスとフランスの国境をまたいで設置されている大型ハドロン衝突型加速器の全周は27km。山手線一周より少し短いくらいである。

 

──この家にはないの?

 

「少なくとも私は、電気屋さんで売っているのを見たことはないわね」

 

──白物家電なのに?

 

「……聞いてもいいかしら? それって何に使う家電なの?」

 

──頑固な油汚れとか、綺麗に落ちるわよ?

 

…………。

窓から外を覗けば、朝日が眩しい。

気がついてみれば、もう随分な時間、話し込んでいる。外から見れば、ずっと独り言をつぶやいている怪しい人だが。

これも吊り橋効果的なものなのだろうか、気がつけばこの正体不明の同居人に随分と心を許し始めていたように思ったのだが……。

 

──急に無言になって……どうかしたのかしら?

 

妙に冷えた頭に、声が響く。

雪ノ下雪乃は、ふううううっっと。長い長い溜息をつくと、放置していたスマホの猫動画を再生した。

画面の中で、多数の白い毛玉がもこもこと動き回っている。

にゃあ。にゃあ。にゃあにゃあにゃあにゃあにゃあ。

 

「にゃー」

 

──え? 何、どうしたの?

 

今はどうにも、返事を返す気力がない。

体力のない身には徹夜は厳しい。

コテンと、ベッドに体を横たえる。

そのまま雪ノ下雪乃の意識は、急速に拡散していった。

願わくば、猫の夢を見れますように。

にゃあ。

 

 

 


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