──私のいた未来において、平塚静の配偶者は……比企谷八幡よ。
予想通りの、そして最も望まぬ名が雪ノ下の耳に届けられた。
だが、認めない。認められない。……認めたくなんて、ない。
だから抗う、必死に。その答えは間違いなのだと、あらを探す。
「……その根拠は?」
──艦長よ。彼は平塚静の末裔の一人だった。そして、比企谷八幡とは生き写し。生まれ変わった姿とはいえ、血の繋がりがあるのは間違いないでしょうね。
「比企谷くんと平塚先生が直接結ばれなくても、彼等の子孫の血が交わったという可能性もあるのではなくて?」
──確かにその可能性は否定し切れない。……でもね、雪乃。詳細は省くけど、最初に平塚静の子供達が歴史に姿を表すのは、今から30年後なのよ。
30年。その数字の意味を吟味し、また一つ雪ノ下の心に絶望の陰が降りる。
──今すぐに二人が別々に子供を作り、その子供同士が若くして更に子を成したとしても……救世主の年齢はせいぜい、10歳かそこらということになってしまう。
物語の世界においては、まだ幼い少年が世界を救う大冒険を繰り広げたとしてもおかしくない。
だが、ここは現実なのだ。一体どのような危機が訪れるのかは分からないが、人類を救うだけの活躍を担うというのなら、その者は何らかの組織──軍隊や警察、あるいは政界や法曹界といった民衆に対して多大な影響力を持つ組織に属している大人であると考えるのが妥当だろう。
10歳の子供が世界を救うなど、能力面でも倫理面においても現実的ではない。
「……貴方の言う救世主の定義が平塚先生の子孫というのなら、相手は比企谷くんでなくても構わないのでは?」
なら、別の手段を探す。比企谷八幡と平塚静が結ばれなくても構わない、雪ノ下雪乃か由比ヶ浜結衣が結ばれる未来を求める。
──それは、出来ない。不確かな可能性に人類全体の命運を賭ける訳にはいかないわ。……それに……
これは、ユキ=ノシタの我儘。それでも、これだけは譲れない。
──それに、それでは私のヒキガヤ=クンが生まれてこない。
短い言葉に込められた、魂をすべて吐き出すような想い。
その心の叫びを耳にし、話し合いの求める内容が変化したことを雪ノ下は悟った。
雪ノ下雪乃にとって比企谷八幡が必要なのと同様、ユキ=ノシタにとってヒキガヤ=クンこそが片翼。
同じ魂を持つもの同士の、エゴとエゴのぶつかり合い。極論してしまうならば、人類の未来などどうでもいいのだ。ただ、自分の愛する男性に寄り添うことこそが望みなのだから。
「……私にも、比企谷くんが必要よ」
話し合いは平行線。絶対に妥協できない一点が衝突しているのだから、結論など出る訳無い。両者納得の行く落とし所など、存在するはずがない。
そう、それが。雪ノ下雪乃とユキ=ノシタのやり方同士のぶつかり合い、ならば。
……それなら。
──ねえ雪乃。平塚静は駄目でも、由比ヶ浜結衣になら貴方は比企谷八幡を譲っても構わないのかしら?
「……そうね。彼女にだったら、それも仕方ないわ。比企谷くんと私が結ばれた結果、由比ヶ浜さんが私達から離れてしまうくらいなら、私が身を引いても構わないと思っているわ」
それは想像をしたくない未来。
愛する人との生活の中で時折、今頃彼女は何をしているのかしら、幸せでいてくれるのかしらと思い悩む。そんな将来なんて、まっぴらごめんだ。
自分にはあの二人が必要。絶対に、手放さない。どちらか片方の翼でも失ってしまえば、自分はもう飛ぶことが出来ないのだから。
雪ノ下の想いを聞き、ユキ=ノシタは決断を下す。
自分と彼女のやり方同士のぶつかり合いでは、答えは出ない。
ならば、別のやり方を用意すれば、いい。
正々堂々、真正面から、卑屈に最低に陰湿に。そんな斜め下の解決法を。
そんなやり方を、私は知っている。そしておそらくは、彼女もまた。
──ねえ、雪乃。なら、一つ提案があるのだけれど。
「これ以上話し合っても意味が無いように思うのだけれど。一応、聞くだけは聞きましょうか」
自分は変えられません。ならば世界を変えましょう。
さて、どう変えますか?
──貴方、比企谷八幡と性交してみてくれないかしら?
……なっ!
な、何を。突然なんてことを言い出すのよ、この馬鹿。
そりゃあ彼とそういう関係になるのはやぶさかではないけれど、むしろ望んでいて自分としてはいつでもOKなのだけれど、なんでいきなりそんな話になるのよ全然脈絡なんて無いじゃない。平塚先生とくっつけるかどうかという話ではなかったの? 第一に、まだ私と由比ヶ浜さんの告白に対して未だに結論を出していないのよあのヘタレは。今いきなり私が彼を誘ってしまったらそれは、由比ヶ浜さんに対する裏切りになってしまうじゃない。そんなことは出来ないわ、彼女の悲しむ姿なんて私は見たくないのだから。それぐらいなら私のほうが身を引くってさっき言ったばかりじゃないの、もう忘れたのかしらこのポンコツAIは。でもそれはそれとして比企谷くんとそういう関係になるのを想像するとなんていうか、こう、胸とお腹の奥のほうがキュンとなるわね。ああもういつまで私達を待たせるのかしらあのゾンビは。こんな美少女二人がいつまでも貴方なんかを待っているだなんて思わないほうが良いわよまあでも待ち続けてしまうんですけどねいっそ実力行使? いやだからそれだとユキの言うとおりになってしまうじゃない子供は何人がいいかしらね?(5.27秒)
──由比ヶ浜結衣も一緒に、3人で。
な! な、な、な、なんですって!?
いえちょっと待って、待ってください。何でそんな破廉恥な提案がなされているの? 当然だけれど私は処女で、生まれて初めての経験になるというのにいきなり3人でなんていくらなんでもちょっと上級者向けに過ぎるでのはないかしら?? まっとうな男女交際においてそのようなことを実行する男がいたらそれは間違いなく女の敵のたらしと呼ばれる類のケダモノあって、比企谷くんにそれを求めるのは流石に無理というものでしょう。でも少しだけ彼の両側に寄り添う私達を想像してみるとなにかしらこれ、何だかとてもしっくりと来るような。いつまでも3人で一緒にいるというからにはそういう未来も想定されてしかるべき? 二人が同時に子供を産んだとしたら双子でもないのに同級生の兄弟になるわけね。5人で笑い合って暖かい家庭を築いていく。どうしましょう、何だかそれはとても素晴らしい未来のように思えてきてしまう。私と比企谷くんが求め合って、比企谷くんと由比ヶ浜さんが求め合って、由比ヶ浜さんと私が求め合って……って、ちょっとまって、最後のは流石に違うわよね? 女の子同士でそういうのは3人でというのとはまた違う禁忌があるわけで。でも世の中にはそういうセクシャルを持つ人もいるわけでそれは決して否定されるべきものではないし、私も由比ヶ浜さんとならその、嫌かと言われれば別に嫌というわけではないし、むしろ少しだけ魅力的だと言っても嘘にはならないような、ならないような。(3.33秒、世界新)
──雪乃! 苦しい! 呼吸して、呼吸!
はっ!
私は一体どうしたのかしら? なにかイケナイ考えをブツブツと呟いてしまったような……何だか……気が……遠く……
──だからっ! 息してっ!
そ、そうよね。
しゃべり続けてしまって息をするのを忘れていたようね。吐いてばかりじゃなくて吸わないと酸素を取り入れることが出来ないものね。
……えーっと、
「ヒッヒッフー、ヒッヒッフー」
──雪乃っ! 産まれないからっ! 私が悪かったから、ちょっと落ち着いてちょうだいぃぃぃ!!
──落ち着いた?
「どうやら、少しだけ取り乱してしまったようね。恥ずかしいところを見せてしまったわ」
──少し、ではなかったように……
「ユキ、誰であろうと失敗して無様を晒すことはあるわ。それを必要以上に指摘して辱めるような行為は慎まれるべきよ」
端的に言えば、忘れなさいということだ。
つついて遊ぶのも面白いが、ここは言うことを聞いておきましょうか。これ以上機嫌を損ねても、互いに得はないのだし。お楽しみは、またいずれ。
──OK、話を元に戻すとしましょう。
「そうね。……で、さっきのあの提案は一体何なのかしら?」
先ほど浮かべたイケナイ考えを思い出してほんのりと頬を染めてしまいながらも、それでも声と態度にはおくびにも出さず、雪ノ下が問う。
ユキも自分をからかうためだけにあんなことを言い出したのではないのだろう、流石に。そう思いたい。
──私が言いたかったのはね、雪乃。何も一人の男性に一人の女性、その組み合わせのみに拘泥する必要はないのではないかしらと、そういうこと。
「……まさか貴方、比企谷くんのハーレムを作ろうとか考えていないわよね?」
──もちろん、考えているわよ? 貴方と比企谷八幡と由比ヶ浜結衣の3人が幸せに暮らせるなら、そこに平塚静を加えてあげてもいいじゃない。そうすれば全てが丸く収まるのだから、それくらいの度量は見せなさいよ、雪乃。
……ふぅ。
いいわ。とりあえず、頭ごなしに否定するのはやめましょう。
ユキの提案を真面目に考察するとして、メリットとデメリットを洗い出すならば。
「仮にその案を採用するとして、メリットとしては貴方の言う通り、懸案事項が解決するということ。私も由比ヶ浜さんも比企谷くんを諦めることなく、未来に彼と平塚先生の子孫を残せるわね」
──全て解決、万々歳よ。
「……言いたい文句もあるけれど、今はいいわ。そしてデメリットとしては、現代の日本では心情的な面からも法律的な面からもその選択はとても難しいのではないかしら、ということね」
──そうね、たしかに難しいでしょう。でも、不可能ではないわ。
不可能ではないって。それは確かに、妻公認の愛人がいる家庭というのもきっと存在はするのだろう。
それを見て甲斐性があると褒めそやす人もいるかもしれないが、だからといってそれが一般的に受け入れられるのかと言われれば、決してそのようなことはないと思う。嫌悪感をもよおす人のほうが多いのではなかろうか。
これが自分だけに関わる問題であるのなら、人からどう思われようが気にしない。自分をわかってくれる人がいるのなら、それでいい。赤の他人にいくら陰口を叩かれようとも、せいぜいが全力で叩き潰す程度のこと。
ただ、この場合はそれではすまないだろう。自分の大切な人達もまたつらい思いをするというのなら、この案に賛同することは決してできない。
そう、雪ノ下が口にするにしてはとても常識的な意見を述べ、出された案を却下しようとする。
だが、敵もさるもの。次に投げかけられた言葉は、雪ノ下にとって決して無視することの出来ないものであり、事態の収束点を決定することになったのだ。
──ねえ、雪乃。私は思うのだけれど。
「何かしら?」
──自分は決して変わらない。変えられない。でも、世界はそんな自分に優しくない。そんな時、貴方ならどういう決断を下すのかしら?
……この。
今、絶対こいつ、にやりと笑っているわ。
そうよね。私と同じ魂を持つというのなら、当然にそういう結論が出てくるわよね。
まったく、手の平の上で踊らされているよう。忌々しい、ああ忌々しい、忌々しい。
それは、かつて自分が比企谷八幡と出会う前。たった一人が所属する奉仕部で考えていたこと。
あれから色々な人と出会い、様々な経験を積み、その意味する内容は少し変貌をとげてはいる。
それでも、根っこのところは変わらない。いわば、自分の原点。
「……そんなの、知れたことよ」
なんだろう、わくわくする。
ええ、そうね。私は負けず嫌いだったわね。敵は強ければ強いほど、いい。
いいでしょう、手に入れてみせましょう。私の望むもの、全てを。
「自分は変わらない。世界は優しくない。なら、世界を変えてしまえばいい」
そう、私は。
新世界の、神になる。