そういうわけで平塚静は独身である。   作:河里静那

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そういうわけで平塚静には旦那がいる。

それからのことを語ろう。

 

 

 

日本の千葉の片隅で、一人の少女が神へとジョブチェンジを果たしてからしばらく。

彼女は大学在学中に小さな会社を立ち上げた。いわゆるベンチャー企業であり、規模としてはごくごく小さいもの。世界はおろか日本経済から見ても吹けば飛ぶような存在である。

しかし、そのちっぽけな一粒が、やがて全世界、全人類を震撼させることとなるのだ。21世紀において最も世界に影響を与えた人物と名高い女傑、雪ノ下雪乃の伝説がここに幕を上げた。

 

その企業が発表した幾つかの新技術。当初、それは誰からもろくに見向きもされなかった。

それも仕方のない事だろう。事実上無限にエネルギーを供給するエンジンや、それが砂漠であろうとたとえ火星であろうとも肥沃な大地に生まれ変わらせる環境変化方など、誰がどう考えても眉唾ものでしか無かったのだから。

 

雪ノ下雪乃の求める資金提供に応じたのはただ一社、雪ノ下建設のみ。他の企業は、また酔狂な真似をすると、その様子を嘲笑うように眺めるのみであった。だが間もなく、それは致命的な失策であったのだと。そう、全世界の企業が悟らざるを得なくなる。

彼女の発表したSFじみた技術。それらを雪ノ下建設が実際に作り上げ現実のものとした結果、彼女の吹いた大法螺は、一切の虚偽なくその全てが真実だったのだと。そう、判明したのだ。

 

人類にとっての永遠の命題であるエネルギー問題と食糧問題。これを一挙に解決する力を得た二つの企業は、技術と資金という互いに無いものを補填するため、その規模の差にもかかわらず対等の条件で合併。これにより、新たに雪ノ下コンツェルンが誕生した。優良とはいえ、日本の一地方企業がコンツェルンを名乗る。本来であれば失笑物の行為であろうが、だがしかし何の問題もない。何故なら、この企業は瞬く間に世界でも屈指の、いや他に並ぶもののない程の巨大企業グループへと成長することになったのだから。

そして雪ノ下雪乃はその頂きに女王として君臨した。起業後、わずか数年のことである。

 

雪ノ下雪乃のもたらした改革は、経済面だけにとどまらなかった。

彼女は、県議を飛び越えて国政の場へと躍り出た姉、陽乃を全面支援する方針を決定。妹の社会的影響力と潤沢に過ぎる資金力に加え、自らの持つカリスマ性を正しく行使した陽乃はやがて、史上最年少にして女性初の内閣総理大臣へと就任する。

 

雪ノ下姉妹の進撃は止まらない。

世界のリーダーで在り続けたい某国や、エネルギー市場の支配者であった産油国からの反発など、彼女らには敵も多かった。だが、それらからの有形無形の様々な障害などは歯牙にもかけず、雪ノ下の名が歴史に登場してからたった30年の後には遂に、世界は飢えと貧困からの脱却を果たすことに成功したのだ。

これら一連の出来事は、後世において雪ノ下革命、人類史上最も革新的な改革と呼ばれ、讃えられることとなった。

 

そしてこの同時期、人類に雪ノ下とはまた別の契機が訪れる。

それは、外宇宙からの侵略者。違う種からの侵攻、国や人種という枠組みよりももっと大きなカテゴリでくくられる"敵"の登場という契機を経て、人類は遂にこれまでの全てのわだかまりを捨てて、手を取り合うこととなる。

そしてその敵を打ち倒した後、有史以来の夢である全世界統一を果たした人類は、その活動の舞台を遙かなる宇宙へと移していくのであった。

 

なお、その敵との戦いにおいて、全人類からの希望をその身に受ける一人の男がいたという。

世界を守るために戦う、勇者。或いは英雄。或いは、救世主。その彼の名は……

 

 

 

このように、世界をより良い方向へと変貌させていった雪ノ下姉妹ではあるが、彼女らは祖国日本を蔑ろにしていたというわけではない。

世界を改革するのと同時に、内政にも当然のようにメスが入れられていった。それは様々な手段と目的を持って行われたが、一つの例としてこのようなものが挙げられる。

その当時、日本は第二次高度経済成長とでも言うべき特需の最中にあったが、それでも将来に向けた不安が全くなかったというわけではない。

特に、少子高齢化の問題はいくら経済を回し、国民の所得を増やしたところで、それで単純に解決するのかと言われれば決してそのようなことはないのだ。

 

この問題の対策として、ある意味においては前時代へと逆行するような政策がとられることとなる。それが、一夫多妻制の導入であった。

経済面を始めとした幾つかの条件をクリアした上でというなかなかに難しい条件はあるが、一人の夫と複数の妻、それが同時に家族となれるようになったのである。

 

この制度を最初に利用することとなった羨ましき、爆発するべき男性の名を比企谷八幡という。

既に内縁の関係にあったという複数の女性との婚姻は、しかし市井の個人ということもあり本来であればさほど大きなニュースとはならないはずであった。

だが彼の名が後世にまで伝わっているのは、妻の名が些か有名であったからであろう。平塚静、由比ヶ浜結衣、そして雪ノ下雪乃。そう、あの知性と美貌と経済力を併せ持つ、世界で最も有名な女傑の名がそこに並んでいたのだ。

 

全世界から爆発しろ、末永く爆発しろ、いいから爆発しろ、どこがボッチだ爆発しろと数多の祝福を受けた比企谷八幡であるが、婚姻の結果として彼の生活に何らかの変化が訪れたのかと尋ねれば、別に何も変わりはしないという答えが帰ってくる。彼はそれまで通りに世間の風評など我関せずと受け流し、誰も見ていないところでは少し腐り、自らは表舞台に立つことはなく、家庭において変わらずに妻達を支え続けたという。

 

さらに後において彼は、一色いろは、川崎沙希、戸塚彩加、折本かおり、鶴見留美と、次々に妻の数を増やしていき、その都度に爆発しろと呪わ……祝われる訳なのであるが──それはまた、別の話。

 

 

 

 

 

そして、時は流れ。

世界は22世紀を迎えた。

 

 

 

 

 

人類の活動圏が宇宙へと移るにつれ、地上に住まう人々の数が減っていくのが自然の流れ。この時、既に地球は人類にとって過去の存在となりかけていた。

かつては日本と呼ばれた国の首都として繁栄していたこの千葉の地においても、それは同じ。暮らすのに不便があるわけではないが、どこか活力の感じられない、停滞した空気がこの街を支配していた。

 

だが、それは言い換えれば、穏やかな雰囲気に包まれているということでもある。かつての地球人が田舎という土地に持っていたイメージとでも言おうか。ゆっくりと時間の流れる、退屈ではあるが優しい世界。

その地位を後進に譲り、隠居に入った雪ノ下雪乃が余生を過ごす地として選んだのが、この千葉であった。

 

彼女の終の住まいとなったのは、今はもう誰も通うことのない、在りし日には総武高校と呼ばれていた建物だった。

半ば廃墟と化していたその建物を彼女は買い取り、人が住めるように改修を施した。そして、特別棟と呼ばれていた一棟にある一室、その部屋を自分の居室と定めた。

 

今はもう希少となった紙の本のページを捲り、手ずから入れた紅茶を口に運ぶ。その繰り返しの、時の流れから取り残されたかのような日々。

数人の使用人の他には言葉をかわす相手もなく、彼女を訪ねてくる人もいない。そんな静かな生活が、彼女は嫌いではなかった。もうずっと長いこと、人類という群れを率いて戦ってきたのだ。最後の時くらいは穏やかに、本来の自分が求めていた時間を過ごしたい。そんな心持ちだ。

……ただ一点、不満に思う点があるとするなら、それは。

 

ふと、目の前にある長机の、自分の隣の席に視線を移す。次に、対角線上の自分から最も離れた席へと。

そこに座るものは、誰もいない。それでも、雪ノ下は愛おしい物を見る目で、虚空を見つめる。

 

本当に、なんて酷い人たちだろう。

比企谷くんも、結衣さんも、静さんも、他の誰もかも。

みんな、みんな、私を置いて先に逝ってしまうなんて。

何時か再び出会った時。その時には、私のほうが先に逝ってやるんだから。残される悲しみを味わうといいわ。

その時のことを想像して、ふふっと笑う。

そして、また、紅茶を一口。

 

 

 

そんなある日のことだ。彼女のもとに、珍しくも訪問者があったのは。

訪れたのは、美しい少女。長く艶やかな黒髪、白磁のような肌、整った顔立ち。それは、若かりし頃の雪ノ下雪乃の姿と瓜二つ。

 

かつて雪ノ下コンツェルンに属する一企業が開発し、現在では人類のパートナーとして欠かすことの出来ない存在となった、完全自立型アンドロイド。そのプロトタイプにして最高傑作と言われる一体。……そういうことになっている。

雪ノ下雪乃が手に入れた、両翼とはまた別の意味で自身の一部であった、パートナー。未来人ユキの、それが現在の姿だった。

彼女との同居生活が終わってから、気がつけば随分な時間が経っている。体を手に入れた彼女は、雪ノ下コンツェルン代々の総裁に仕える秘書として、多忙で充実した日々を送っていた。

今は雪乃の曾孫とともに、地球から遠く離れた場所で活動していたはずだが。

 

彼女は言う。お別れを言いに来た、と。

自分の持つ未来知識は、その全てを伝え終えた。もう雪ノ下に、人類に貢献できることは残されていない。だから、これからは自分だけのための生を歩んでみることにした、と。

 

超長距離移民船団に乗るという。新天地を目指し、銀河の大航海だ。

おそらくもう、彼女が再び地球に降り立つことはないのだろう。

彼女はとても澄んだ、綺麗な、そして強い意志の込められた瞳をしていた。

 

その姿を、雪乃はとても美しいと、そう感じた。

だから、言う。素直な気持ちを込めて。

貴方の好きにしなさい。……だって、貴方は一人の人間なのだから、と。

 

 

 

去り際、ユキが尋ねてきた。どこか怯えたような、そんな表情をして。

後悔、してはいないかと。

自分は貴方の人生を大きく捻じ曲げた。私が貴方に宿らなければ、貴方は貴方だけの人生を歩むことが出来たのではないか。それをずっと尋ねたかった。でも、怖くて聞くことが出来なかった、と。

 

その吐露に対し、雪乃に返せる言葉はこの他にはなかった。

 

いい、人生だったわ。

 

と。

 

 

 

 

 

それから間もなくのことだ。全人類宇宙に衝撃が走ったのは。

巨星、墜つ。

雪ノ下雪乃の訃報は、彼女と直接関わった人にも、間接的にしか彼女を知らない人にも等しく、大きな悲しみをもたらした。

だが、天寿を全うした彼女の死に顔は、とても安らかなものであったという。

 

彼女の最後に残した言葉は、ふたこと。

 

ありがとう。

また、会えるわ。

 

と、いうものであった。

 

 

 

 

 

そして。そうして。そうして、だ。

優しくも残酷に、遙か時は流れ……

 

 

 


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