秋色の日   作:yoruha


原作:マリア様がみてる
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 蔦子さんの、ちょっとした日常のお話。


 * 本作はマルチ投稿です。作者サイト「夜の羽」にも同じものが掲載されています。

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秋色の日

 

 放課後。帰宅する前に、座ったままなんとなくぼんやりとしてみる。教室から外を見て、窓ガラス越しに緑を通り越し、そのまま視線を上に動かしていく。

 雲がゆるゆると流れている空は、なんというか、そう、いますぐ走って散歩に行きたくなるくらいの秋晴れだった。すかっと抜けるような青が一面に広がっていて、穏やかな風にぷかぷかと浮かんでいる白い綿雲が、なんだか楽しげに遊んでいる子供の姿みたいだ。こんな日はやっぱり中庭あたりをぶらぶらしてたほうがいいのかも。そんなことを思ってしまうのは私の思考って、なかなか素敵なんじゃなかろうか。

「ごきげんよう、蔦子さん」

「あらごきげんよう――ってどうしたの、祐巳さんその顔」

 振り返ると祐巳さんがぼけーっとした顔で……ちょっと訂正。ずごーんとでも形容したほうが良さそうな顔色で、私の背中から背後霊のように挨拶していた。とたとたと近づいてくるといっそうはっきりと見える。そして、ぱっと見で分かるくらいには寝不足らしい。おおかた、またいらない苦労を背負って奮闘中なのでしょう。薔薇さまたち関係なら、祐巳さんは自分で楽しんで首突っ込みたがるきらいもあるから、どうとは言わないけれど。ちょっとこの目のくまは指摘したほうがいいような。はてさて最近は何か事件あったっけ、などと考えていると祐巳さんのほうから理由を話し始めてくれた。

「うん、ちょっと寝不足で」

「いや寝不足は見れば分かるから」

「……ほえ?」

「目のくま。鏡見る。おーけい?」

 手鏡を差し出した。受け取った。みるみるうちにひょえーといった可愛らしいうめき声に変わった。

「うわっ、これはすごい」

「朝、自分で気づかなかったのかしら?」

「うーん、一応見たんだけど」気づかなかったらしい。これはこれで尊敬したくなる気がしないでもない。「って蔦子さん、なぜにカメラに手を伸ばしてらっしゃるのでしょうか」と、きちっとした言葉遣いの祐巳さん。

「つい無意識に」

「うそだっ」

「いやこれがホントなのよね。最近、祐巳さんを見るとやたらなんでもかんでも撮りたくなるっていう衝動があってねえ。こうなると、はっ、と気づいた瞬間にはもうフィルター越しに祐巳さんの姿が」

 ぴしっ。(なにかが崩れる音)

 遠ざかっていく祐巳さん。おーい。冗談だぞー。

 祐巳さん真剣な顔で、

「蔦子さんごめん。しばらく遠くにいるから。それでいつごろ治るの?」

「いやー、真に受けちゃダメだと思う」

「え?」

 不思議そうな顔。

「ほうほう。そっか。祐巳さんたら、いまの本気にしたわけね」

「ううん。冗談だってちゃんと分かってた。信じてた」

「まあ、いいわ。そのうち祐巳さんモデルでまた撮らせてもらうから」

「交換条件は汚いっ」

「隙を見せるほうが甘いのよ」

「むー」

「ほーっほっほ」

 とかなんとか言いつつ、にらみ合っているうちに同時に吹き出してしまう。まあ、祐巳さんの寝不足はなんだかんだといって、結局は祥子さまとののろけ話に突入してしまった。ふむふむ、デート先を祐巳さんが決めることになったから迷って色々さがしているうちに深夜も過ぎて朝になってた、と。

「祐巳さん。お幸せに」

「なんか言葉に裏がある気がするんだけど」

 疑いのまなざし。

「気のせいよ」

「そうかなあ」

「で、どこに行かれるのかしら?」

「あのさ蔦子さん。言葉遣い変わるとすぐ企みがバレるよ」

「……はっ」

「ってことで、ひみつ」

「祥子さまと一緒のところ、ちゃんと綺麗に撮ってあげるのにー」

「そ、それはちょっと惹かれるけど!」

「けど?」

「じつはまだ決まってなかったり」

 あはは、と笑って誤魔化すあたりが真実っぽい。朝までかかって決まらなかったのかと呆れるやらさすが祐巳さんと尊敬するやら。

「それで蔦子さんや、どこかいい場所知りませんかねえ」

「おばあさん口調で聞かれてもね……あ、渋めでいいなら美術展巡りとかどう? 明後日あたりから駅前でやってるらしいから」

「それだ! ありがと蔦子さんっ」

 たたたっ、と廊下へと走っていく。祐巳さんや、廊下は走っちゃいけないんですよー。と注意しようかとも思ったけれど、とっくに声の届かないくらい足音は遠ざかっていた。目的地はおおかた薔薇の館だろう。追いかけてあのあたりで写真を撮らせてもらうのも悪くないかもしれない。そういえば、とさっきまで見ていた空に目をやる。

「――あの空、撮ってみようかな」

 ちょっとだけ、素敵な写真が撮れるかもしれない。そんなことを思ってしまった。思い立ったら吉日じゃないけれど、即行動というのはいいことだ。こういうのはやれるときにやっといたほうが、たいていの場合は後悔しなくてすむのだ。よし。

 立ち上がる。鞄をとってカメラを首にさげて、誰もいなくなった教室を静かに抜け出せば、すぐにまた別の空があるのが分かる。廊下の窓から覗ける空は、さっき見たのとはべつの空。さあて、ここからどこの、どの空を撮ってみよう。うん、まずは靴を履いて外に出て、玄関口から攻めてみますか。

 ひとけが薄れていく校舎内に足音をこつんこつんと響かせながら、まだ青だけに染まっている頭上を求めて歩き出す。

 到着。

「本日は晴天なり、ってね」

 逆光気味な空に向けて、よさそうな位置を探してみる。んー、ここかな。校舎の影に入る寸前の、ちょっとだけ暗くて明るいそんな場所から、太陽を背にするように。

 空を、ファインダー越しに覗き込む。磨かれて曇りなんてまるで無い、ガラスの先にあるのはただひとつの情景こそが、この一瞬の真実で。

 絞っていく。少しブレそうになる。オートのが良かったかもしれない。ピントを合わせて、タイミングをはかる。

 あるがままに、この青空を見つめてみる。

 透明の空。そこには純粋な青と優しい雲があった。やわらかい光が青を鮮やかに彩っていて、さぁぁっと吹き抜ける風が雲を流していく。

 それは青く澄み渡った世界だった。こうやってカメラを通して見てみれば、その風景には上も下も無くて。ひどくシンプルな、なんでもないはずのこんな景色が、どこまでも広がっている空が、とても綺麗で。

 これを、この一瞬を撮りたい。強くそう思った。

 カシャ!

 息を吐き出して、いったん腕を降ろす。いまのはいい感じに撮れた。同じようにまた何枚か撮っていると、雲の色に少し朱が混じり始めてきた。仕方がないので場所を移動することにした。さてと、次はどこで撮ろっかな、っと。

 うずうず。

 なんか気分が高揚してる。撮りたい。とーりーたーいー。

 とにかく、良い素材はないものかと周囲をぐるりと見回して――、

「あ」

 祐巳さん発見。薔薇の館方向に歩いていく後ろ姿を追いかける。なにか雑用でもやっていたのだろう。たったった、と軽快な足音をたてながら、その背中に着いた。最近は祐巳さんのファンも増えているそうな。

 すごい。ひどかった顔色がもう戻ってる。懸念が晴れると元気になるのは祐巳さんらしくてグッドだった。しかも、まだこっちには気づいてないらしい。しめしめ。

「ゆーみさんっ」

 超近距離から耳元に声を掛けてみる。

「どわあっ」

「『どわあっ』って……またすごい驚きかたを」

「……あーびっくりした」

 胸をおさえてドキドキしてるのを強調。はぁ、と大きくため息。

「蔦子さんだったの、もうっ、聖さまみたいなことしないでよー」

「ごめんごめん。で、いまお暇?」

「用事は済んでるけど」

「なら、約束のモデルお願いできるかしら?」

「え。あれって本気だったんだ」

「というか、さっきまで冗談のつもりだったんだけど」

 夕焼けっていう絶好のシチュエーションだから、祐巳さん撮りたいなあと思いついちゃったのです。心のなかでにやり。表に出た笑みは、にっこり。

「最近の祐巳さんは撮りがいがあるからね」

「それ、褒め言葉?」

「当然」

「ホントかなー」

「疑ってはいけません。にこにこ」

「口で言わないでほしい……」

「で、どう? イヤなら無理にとは言わないし」

「うー、どうしよっかなあ」

 もう一押し。きっかけがあれば頷いてくれそうな感じ。周りに何かないかと探してみると、視界の隅に引っかかるものがあった。夕暮れどき。薔薇の館。窓から中の様子がうっすらと窺える。そして近づいてくる影。おお、これだっ。

「よし。じゃあ祐巳さんはバックに薔薇の館を背負ってちょうだい」

「ちょ、ちょっと蔦子さんー」

「でもって紅薔薇さまと一緒に」

「え」

 口をぽかんと開けている姿に、影が重なる。いや、寄り添うって言ったほうが正しい。ということで下級生の憧れの的。出てきたのはロサ・キネンシスでありました。とことこと横まで来た彼女は、祐巳さんに声を掛けた。

「祐巳。なかなか戻ってこないから、どうしたのかと思ったわ」

「ごめんなさいお姉さま」

 とはいえ、表情は笑みだったから怒っているわけではなさそうだ。はた目から見る限りは、だけど。

 きっと心配だったのだろうな、となんとなく分かる。

「すみません。引き留めたのは私ですから」と謝りつつ、何か言われる前に続けてしまう。「で、祐巳さんとご一緒に写真に写っていただけませんか」などと提案してみる。

「あら」

 とだけ言って、思案顔になる。迷うこと数秒、首肯してくれた。

 祐巳さんも当然これで快諾してくれる。そう思っていたら、すでにぶんぶんっと大きく何度も何度も頷いていた。なんというか……とても分かりやすい反応ありがとう。

「じゃ、あのへんに立っていただけます?」

 指し示す。薔薇さま方がいるのがなんとなく分かるのも、風情があるような気がしないでもない。すたすたと歩く祥子さまに、とてとてと傍をゆく祐巳さん。小犬? とちょっとだけ思ったが、まあなんともお似合いであることはたしかだった。このスールはいつ、どんなときに撮っても絵になる。やっぱり素敵な組み合わせっていうのはあるってことなのだ。

「これでいいかしら」

「はい。あ、祐巳さんはもうちょっとくっついてくれるかしら」

「うん」

 とととっ、と足音。

 よし完璧。

「じゃあ撮りますよー」

「ええ」

 並んだふたり。

 夕焼けに照らされながら、この瞬間が愛おしいと言いたげな微笑みをこぼしている。ああ、この感覚をなんて言えばいいんだろうな。さっき見た青空と同じように、ほんものを見ているんだっていう確信。祐巳さんを撮っているとよく思う。祐巳さんは祐巳さんで、他の誰でもなくて、それはすごいことなんだっていう。あー。なんか言葉にならない。

 ファインダーを覗き込む。

 焼けている空。時の経過につれて、真っ赤な太陽の光に反射する大きな雲たち。そして果てしない、伸びている薄雲の遠くまで連なっている橙色の。声も出ないような綺麗さに息を呑みながらも、ゆっくりとピントを合わせていく。調整していく。だんだんと。だんだんと、待ち望んだ一瞬が予感できていく。あのタイミング。あの瞬間。シャッターを切るときの、あの空気。

 薔薇の館は空の色を映し込んで、窓は赤光で燃えているような明るさだ。窓からこっちを見ているのは黄薔薇のつぼみ、由乃さんだろうか。そのままの構図を保って、目の前のふたりへと軸を持ってくる。中心に据える。

 祥子さまの影が、すこし動いた。朱が頬に散る。嬉しそうな笑み。まばゆいばかりの光のなかで、祐巳さんたちの楽しそうな顔がよく見える。よし!

 カシャ!

 指に入っていた力を抜く。もう一枚。カシャ! 距離があるから、手でもういいですと合図すると、ふたりは話しながら近づいてきた。やり取りから察するに、さっきのは祐巳さんも予想外だったらしい。いや、なんかこう、今日はいい写真を撮れたって感が非常に強い。部活云々は関係なく早くいますぐ走っていって現像したいくらい。

「どうだった?」

 不敵に笑ってみたりなんかして。

「って聞くまでもないみたいね」と祐巳さん。

「もちろん。祐巳さんたちにはあとで一枚ずつ渡すわ」

「ありがとう」

「こちらこそ」

「――だそうです、お姉さま」

「ええ。楽しみにしておきます」

「祐巳さん、祥子さま、ご協力ありがとうございました」

 ぺこり。その場で別れた。薔薇の館へと戻っていくふたりを見送ると、私は部室に向かって歩き出す。そのうちに、空はゆっくりと暗さを増していった。

 ただ、言ったほうが良かったのかな。……祐巳さんや、後ろ姿だけでも浮かれてるのがよく分かるってば。

 

 

 

 次の日になった。放課後から篭もっていた暗室を抜け出すと、部室の電気灯で目が眩む。うー、まぶしい。そろそろ渇いたかな。さて、お酢くさいことはとりあえず気にしないで、たったいま現像し終えたばかりの写真を見てみようっと。

「ふむ」

 良く撮れてると思う。いつもながら自分の腕にほれぼれしそうだが、今日はそれ以上だろう。そのくらいなんとも満たされた気分だった。なんでもない空と、いつも通りの薔薇の館と、祐巳さんたち。青空も夕焼けも、他のひとに見せる写真とはちょっと違うような気がする。でも、そのままをまるごと写せたのは間違いなかった。これは――うん、大満足。

 写真を手にしたまま、帰り支度をすませて鞄を持って歩き出す。廊下に出ると、外はもう真っ暗で、帰宅時間をとうに過ぎているのは間違いなさそうだった。先生に見つからないようにしないといけない。うっかり熱中しすぎると、ときどきこうして七時八時を越してしまう。いやまあ、お隣も似たようなものなんだけど。窓の夜空に写真を透かし、もういちどじっくりと見る。

 爽やかな空気と、秋の色を撮った。そんな感じだろうか。ということでタイトルは『秋色の薔薇』に決定。見えないものを撮るってのは趣味じゃないんだけど、ま、こういうのもたまにはいい。

 

 がらり。

 

「――あー!! そ、それはっ!」

 リリアンの生徒としては相応しくないような渾身の雄叫びの主は、お隣こと新聞部の真美さんで。叫んでた。指差して驚いてた。凝視してた。視線の先にあるのは、お約束にも祐巳さんたちの写真だった。うっわお約束。

「あら真美さん、ごきげんよう」と言いながら背中を向ける私。

「ほほほほほ」

 声色が切り替わる。三奈子女史みたいな声だった。

「ごきげんよう蔦子さん。ということでそのお写真貸していただけないこと?」

「ごめん真美さん。その口調はまったく似合ってないから止めたほうが」

「……やっぱりそう思われますか?」

「ええ」

「ざんねんです」

「お気の毒に。じゃ」

「って逃げないでくださいようっ……新聞のネタに困っているんです! 助けると思ってその写真を一枚。いや二枚。いっそ全部!」

 性格変わってる?

「えーと……じゃっ!」

 シュタっ、と手を挙げて走り出すと、後ろから追いかけてくる足音。

「蔦子さんっ! 一枚でもいいからっ! なにか奢りますからーっ! 交換でなにか取材があったとき新聞部が手伝いますからーっ!!」

 本気で懇願していた。 

「おーねーがーいーしーまーすーっ!!」

 わき目もふらず逃げ出す私。すごい形相で追いかけてくる真美さん。今月はよっぽどネタに困っていたらしい。とはいえこれを渡すのは少々困るので……その……ごめん。必死な声に心で謝りつつ、走って走って逃げ続けた。

 

 気づくと足音が遠い。

 なんとかまけたらしかった。息を整える。後ろを見る。追ってきてない。もう大丈夫だろう。

 写真を取り出し、ふう、とかるく息を吐き出して。

 

「しっかし、祐巳さんもやるもんねぇ」

 

 写真のなかでまで仲睦まじさ炸裂な、我らが紅薔薇姉妹の姿――特に、自分のほうから腕を絡めていった祐巳さんに向けて、私は笑いながら、そんなことをつぶやいてみるのであった。

 

 

 おしまい。

 


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