紅魔館の役立たず   作:猫敷

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紫の魔法使いとなんちゃってミステリー 3

第三幕:銃撃戦と種明かし(前半)

 

 暖炉の火がぱちりと爆ぜ、館の陰影が揺れた。硝子窓を叩く雨は暴力のようで、外の世界を白くかき消している。

 

「——私の嘘に乗った奴は、全員、敵だ」

 

 バルターは、まるで退屈なトランプの切り札を机に置くみたいに言った。声は軽い。けれど、軽さの裏側にある硬さは、銃の金属と同じ温度だ。

 

 反論しかけた誰かの舌打ち。椅子のきしみ。床板を蹴る音。

 最初の銃声は、雷鳴とほとんど同時で、誰にも順番が分からなかった。壁の甲冑がカン、と笑い、飾り棚のフラスコがはらはらと落ちる。

 

「伏せろ!」

 

 ショシャナが叫ぶ。警官の声は、身体より先に空気を伏せさせる。

 

 ユリウスが卓を盾にしようと手をかけた瞬間、バルターの腕が緩やかに伸び、火花がほつれた。木口が爆ぜ、ユリウスの肩が跳ねる。悲鳴と罵声が絡み合い、紅茶の皿が床で白い花びらに砕け散った。

 

「待て、私は——」

 

「“私は”は主語にしかならないわよ、ユリウスさん」

 

 バルターはひょいとソファの背もたれを越え、絵画の影に滑り込む。

 

「述語が死んでる。つまり行動がない。行動しない“見た人”ほど、嘘に餌付けされやすいんだ」

 

「ふざけるな!」

 

 少佐が怒号し、腰のホルスターにかかった手が閃く。

 バルターは片目だけで笑った。

 

「ね、ほら。そうやって“見せる”人は分かりやすくて助かるわ」

 

 銃声。少佐の腕がはじけ、銃が遠くの絨毯に転がって沈黙する。

 フリーダがテーブルの脚を掴んで身を隠し、震える唇で言った。

 

「わ、私はただ窓の前にいた少佐を“見た”だけで——」

 

「はい、“乗車券”拝見。あんたも乗った。私の嘘の船にね」

 

 バルターは指で弾いた角砂糖を空へ投げ、それが落ちる前に二発重ねる。砂糖は、降りる場所を見つけられない雪片みたいに彼女の足元で砕けた。

 

 暖炉の火が大きくあくびをし、煙が低く這う。パチュリーは黙って頁をめくったきり、目線ひとつ上げない。彼女の指だけが静かに動き、紙の海を渡っている。

 

 ショシャナは窓際へ、バルターは柱の陰へ。二人の呼吸だけが、銃声の合間を正確に刻んだ。

 

「バルター!」

 

 ショシャナが短く呼ぶ。

 

「背面、階段!」

 

「了解——ほら、ね?」

 

 バルターは身をひねって一段目の陰影に一発。その直後、階段の影から飛び出した男が、階段の途中で足を滑らせ、そのまま沈黙する。“先客”の顔と名は、もう意味を持たない列挙でしかなかった。

 

「“見た”“見てない”で揉めるなら、今は“生きた”“死んでない”で統一しちゃいましょうよ」

 

 バルターの軽口に、ショシャナが苦笑のような溜息を洩らす。

 

「冗談を言う余裕がある間は、まだ大丈夫……そう信じていいのね?」

 

「ええ、もちろん。冗談が言えなくなったら、私はだいたい真顔で引き金を引いてる」

 

 廊下の突き当たり、黒い影がふっと動く。ユリウスが最後の力で投げたボトルが壁に当たり、炎が舐めるように広がる。アルコールの匂いが一気に部屋を満たし、炎の舌はカーテンの裾を試すように掠めた。

 

「火は——」

 

 ショシャナが言う。

 

「心配ない。いずれ必要になるわ」

 

 バルターは即答した。

 必要。

 ——この館を、証拠ごと焼き落とすために。

 

 銃撃は短く、鋭く、そして確実に数を減らしていった。

 支配するのは弾丸ではない。リズムだ。バルターは譜面を開いて、その場の全員の呼吸と恐怖を一小節ずつ支配していく。

 恐怖はいつもテンポを速める。嘘はいつも拍をズラす。だから、指揮者が必要だ。

 

 やがて、喧噪の余白が広がっていった。

 銃声は遠ざかり、悲鳴は余韻に溶け、落ちる雨の音が、天井から滴る音と同じ速さに戻る。

 

 大広間に立っているのは、バルターとショシャナだけだった。

 パチュリーは椅子に座ったまま、閉じかけた本の背をそっと撫でる。頁の間に挟まった埃のにおいが、雨と血のにおいをほんの少し中和した。

 

 バルターが銃口を下げ、肩で軽く息を吐く。

 

「さて、ショシャナ」

 

 ショシャナは彼女の瞳を正面から見返した。揺れている。強く、でも揺れている。

 

「言って」

 

「どっちにつく?」

 

 バルターは笑った。“軽薄”の仮面を正しい角度に被り直す。

 

「ここまで来たら、中途半端は一番危ない。乗るなら全席指定、降りるなら今すぐ」

 

 雨が一際強く窓を叩く。ショシャナの喉が、乾いた音で上下する。

 警官としての正義と、生還者としての現実。秤は、まだ釣り合っている。

 

 長い、数呼吸分の沈黙ののち——

 

「……乗る」

 

 ショシャナは目を閉じ、短く言った。

 

 バルターはわずかに肩を落とし(安堵とも、納得ともつかない仕草で)、拳銃をテーブルへ置いた。

 

「賢明ね。じゃ、後半いきましょう。ここからは“整理整頓”の時間になるわ」

 

 

 

 炎はまだ“遊んでいる”だけだ。燃やす気なら、いくらでも機嫌を取ってやれる。

 バルター——いや、間宮はテーブルに両の拳銃を置いたまま、ゆっくりと姿勢を正した。軽い舌足らずの調子が、すっと剥がれ落ちる。

 

「——パチュリー様、失礼いたします」

 

 口調が変わる。敬語。

 ショシャナが一瞬、目を見開いた。

 さっきまでの“無頼のガンマン”は、いつもの燕尾服の執事の声と立ち居振る舞いに戻っている。濡れた黒髪は、火の反射でつややかに光り、その横顔は奇妙なほど整って見えた。美しい——と、ショシャナは場違いな形容詞を心の中で呟いて、すぐに飲み込む。

 

「これより、証言の骨子を整えます。結論から申し上げると——“ここにいた者は全員死亡。生き残ったのは私一人”。よろしいですね?」

 

 ショシャナは、ためらいを飲み下すように喉を動かし、うなずく。

 

「……あぁ。そうする」

 

「ありがとうございます。では段取りを」

 

 間宮は、室内を素早く見渡した。

 

「弾痕は一部を隠します。相互射撃の痕跡として残すのは、廊下側と階段側。ユリウスの位置をもう一歩、窓寄りに——ショシャナさん、失礼」

 

 彼女は倒れた死体の肘をそっとずらし、手指の向きを“撃ち返した”角度に整える。

 血をこれ以上広げないための布をさっと敷き、靴裏の跡を残さないように移動する身のこなしは、職人のそれだった。

 

「毒入りの茶器は——ここで、まとめて焼きます。鑑識に嗅がれても、暖炉の火で変性したで済みます。瓶のラベルは破り、コルクは燃やして灰に。弾丸は何発か、暖炉の中で溶かしましょう。使っていた口径の特定を遅らせるためです」

 

 ショシャナが思わず口を挟む。

 

「……君、何者なんだ?」

 

 間宮は微笑むだけで答えない。

 その微笑みは、最初から“笑顔しか作れない”彼女の仮面のひとつに戻っていた。

 

「パチュリー様」

 

 間宮は彼女の前に跪くように屈み、静かに視線を合わせる。

 

「申し訳ございませんが、ここで“お亡くなりになって”いただきます。死体は、私が“処理”したことに。よろしいですね?」

 

 パチュリーは本を閉じ、ほんの少し口角を上げた。

 

「……必要なのは理解しているわ。それに、“死んだことにされる”のは初めてじゃない」

 

「感謝いたします。では、形だけ」

 

 間宮はショシャナに頷き、彼女の外套を借りてパチュリーの肩にふわりと掛けた。

 死体に見える角度を作り、頸の位置、髪の流れ、椅子と身体の接点——視覚情報を“死”と認識させるための記号を手早く配置する。

 

「さて、名前の件ですが」

 

 ショシャナが眉を上げる。間宮は自分の胸元——紫のネクタイの結び目を指で整えた。

 

「テーター・フェアバルター。ドイツ語で“Täter(犯人)”と“Verwalter(支配・管理する者)”の掛け合わせです。

 “支配する犯人”。私が、この場の“嘘”と“恐怖”を管理し、犯人を指名する。そういう意味の、ただの仮名です」

 

「ただの……ね」

 

 ショシャナは苦く笑う。

 

「君がそれを口にすると、宣言にしか聞こえない」

 

「言葉は、いつも現実の少し前を歩きますから」

 

 間宮は暖炉に薪をくべ、飾り棚の上にあった度数の高い酒を布に含ませ、カーテンの裾に軽く叩き込む。

 炎は、最初は怯える子どもみたいに引き、次の瞬間には悪戯を覚えた手つきで布に取り付いた。

 

「ショシャナさん。あなたの“証言”を最終確認しましょう」

 

 間宮は短く区切って話す。

 

「嵐の夜、ここで賭場じみた集まりがあり、口論から銃撃戦に発展。あなたは通報に向かったが、雷で電話線が落ちた。戻ったときには、すでに皆、倒れていた。生存を確かめる間もなく、火の手が上がった。——そこで、たった一人、生き延びた私を外へ出し、あなたは“ここを離れた”。以上。できるだけ簡潔に」

 

「通報……そうだ、町の局員に“記録”をつけさせるべきだ」

 

「ええ。時間は私が稼ぎます。“紅魔館”式の手段で」

 

 間宮は片目を伏せる。悪戯の合図、か、謀略の暗号か。

 

「パチュリー様」

 

 間宮は最後にもう一度だけ、パチュリーの手を取る。手袋越しに、ほんの一秒。

 敬礼でも握手でもなく、それは“合意”の手触りだった。

 

「ここからは、私の仕事です。あなたは“死んだ”。——だから、生き延びてください」

 

 パチュリーは小さく頷き、視線を逸らす。炎の赤が瞳に宿る。

 

「あなたの嘘は、気に入らないけれど、役には立つわね」

 

「嘘は道具です。真実に届くための」

 

 火は本気を出しはじめた。階段の絨毯が焦げ、天井の梁が低い声で唸る。煙が視界の境目を曖昧にし、雨の音が遠のいた錯覚を生む。

 

「行きましょう、ショシャナさん」

 

 間宮は二挺の銃を手のひらで重ね、きちんと革のホルスターへ戻す。燕尾の裾を払って、入口へ向かった。

 横顔は静かで、整い過ぎているほど整っている。美しい、とまたしてもショシャナは思う。美しさは時に、最も冷酷な記号になる。

 

「外へ出たら、あなたは“震えている”。私は“虚ろな目をしている”。質問には短く。“火事だ”“中に人がいた”。それだけで足りる」

 

「……分かった」

 

 扉を開ける。嵐が二人を包む。

 燃え上がる館の光が、雨の幕の向こうでぼやけて揺れた。

 

 背後で、パチュリーは椅子に身を傾ける。

 炎の中に消える“死者”の輪郭は、やがて灰になる。

 生者だけが、その灰に名前を与えられる。

 

 間宮は、雨に濡れた庭を一歩進み、ぽつりと言った。

 

「これで、あなたは追われない。ここで“死んだ”。追う者たちは、死者を追わない」

 

 ショシャナは横を歩きながら、息を吐く。

 

「……死者は、嘘をつかないからな」

 

「嘘をつくのは、いつだって生者です」

 

 間宮は微笑む。その笑みは、また“仮面”の角度に戻っていた。

 

「そして、私の嘘に乗った生者は、いつだって——敵です」

 

 遠くで、雷が遅れて拍手した。

 館が、重たい音を立てて崩れる。

 雨は、その音さえ洗い流していく。

 

 夜は続き、嵐は続く。

 だが、物語は次の章を手に入れた。

 “死んだ魔女”と、“支配する犯人”と、“揺れた警官”。

 彼らの嘘と真実が、まだ見ぬ書架のどこかで、次の頁を待っている。

 

 




パチュリー登場編完となります。
某監督の映画をめちゃくちゃオマージュしました。
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