「良い夜だ」
頼りにするには乏しい、街灯の光を背に受けて姿を晒す。今宵は満月、ではない。しかし、全てが曖昧になる暗闇が好ましい。己が、此処に在ると、確たる実感を伴って感ぜられるこの夜が。口の端に笑みが浮かぶのを自覚しながら、硬直する人影に問いを投げる。
「お前は、どちらを選ぶ?」
――闘争か、逃走か。
投げた問いが、返される事は無かった。走り去る背を眺め、鼻を鳴らす。
――詰まらない。
自我の回復から、毎日、このようにして誘いを掛けているのだが、一向に狙い通りにはいかない。時折、視線を感じるので悪魔、或いは堕天使や退魔組織なりが近辺に根を張っているのは間違いないのだろうが、出張ってくる気配が無い。
――人でも喰らえば、駆けつけるやも知らんが。
首を振って、否定する。ソレでは意味が無いのだ。己が己として、敵と向き合わねばならない。この身を再び、畜生に堕する事は望ましくない。
「過ぎた話、ではあるが」
天を仰ぎ、独りごちる。そう、過ぎた話だ。誰が、何と言おうと、この身は既に畜生、化外の身であるのだから拘り等、不要だ。外貌も、その言葉に相応しく醜悪そのもので、腰から下に掛けて存在する四肢は、嫌という程に獣臭を発している。
――。
思考に、空白が生まれる。否、認めたくないのだ。私が、どれ程私であると言おうが、化け物である事に変わりない。畜生、化外、怪物、悪魔、そのどれもが当て嵌まる。しかし、どれもを心底では認めようとはしていない。
己の無様を、嗤う様に風が吹く。春独特の陽気の抜けた冷たい風が、醜態を晒す化外に吹き付け、身に纏わり付く迷妄を削り取る。同時に、嗅ぎ慣れぬ、或いは最も身近な臭いを運び、意識が研ぎ澄まされるのを自覚する。
「来るか」
脳髄より、更に深く、突き刺さる異臭を嗅ぎながら振り返る。到来する、闘争の息吹を肌で感じ、笑う。腐臭、悪臭、汚臭、どのような言葉で飾ろうとも例え様の無い臭気が満ちる。血と糞尿、人畜の境の入り乱れた此の場は正しく、鉄火場だ。
「来い、来い、来い――!!」
待ち望んだ死線に、総毛立つ。全身に刃を走らせる様な、慄然とした高揚感に口元は益々歪み、思考は冷然と、肉体は凄然と、我を形作る。
――紅が、降り立つ。
相対するのは五、紅髪の悪魔を中心として黒が二人、白、金が其々、警戒の面差しを以て、此方を睨む。
「貴女が、はぐれ悪魔、バイサーね?」
「如何にも」
理性的な対応は予想外であったのか、目を見開き硬直する。少々の失望を感じつつ、習慣であった口上を述べる。
「今宵は月も無い、良い夜だ。こんな良い夜に、化け物が相対し、牙を剥いている。最早言葉は要るまい、選べ」
――闘争か、逃走か。
両腕を大きく広げ、決断を迫る。この場に措いて、尚、逃走を図る様であれば微塵の躊躇なく、鏖殺する心算である。しかし、それは無いと断言できる。王者の素養を備えた、紅い少女を見据え確信する。感じた失望こそ拭えるモノではないが、今此の場に、それは不要だ。
「っつ、随分と洒落た台詞を言うのね、祐斗」
「はい」
充満する、尋常ならざる質量の殺気に対する怯えを振り払い、毅然とした様子で紅い少女は騎士へと王命を下す。指名を受けた金は、虚空から剣を現出すると、一足飛びに駆け、一切の躊躇なく目前の化外へと斬りかかる。殺意も、敵意も無い。路肩の石に傾ける注意よりも軽い。作業でしかない斬撃を、直に受け止める。
――何だ、コレは?
斬り上げられた両刃の剣を、防ぐ事も無く見遣る。僅かに、皮膚に食い込んだソレは斬る事以外にも機能を備えているらしく、刃の内に渦巻く何かを感じる。が、効力を発揮することなく砕け散る。金の騎士は、驚愕を露わにし硬直する。失望も、ここに極まれりと、無造作に腕を振るう。紙屑が、風に煽られ飛ぶ様に、騎士の体躯が空を舞う。
「祐斗!!」
悲痛な叫び声と、土煙、牽制の心算なのか、雷光が瞬き、戦場は騒然とする。最早、修羅場からは程遠い、茶番にも似た情景に、急速に高揚は醒めていく。怒りすら湧かぬ、呆れすらせぬ、興味の喪失は嘲笑と共に、声となる。
「何だ、それは? 温い、軽い、小さいぞ」
発声と同時に、静まり返った場に、密やかに、敵意が蘇生されていく。再び、燃え上がらんとする闘争の種火を活かすべく、彼らの矜持を奮い立たせるには嘲弄こそが効果的なのだろうと言葉を続ける。
「鉄火場の臭いかと思えば、貴様等の腐臭だとはな、我ながら耄碌しておったわ」
「随分と、好き勝手言ってくれるじゃない」
眉間に皺を寄せ、紅がナニかを放つ。迫り来るのは、消滅の波動。成程、有象無象の類であれば塵も残さず、消えるのだろう。だが、足りない。
「何だ、貴様、塵掃除も上手く出来んのか」
「生憎、箱入り娘だったのよ」
再度、蜂起した気宇は、衰えていないが、相貌は悔しげに歪んでいる。
「私達を、忘れて貰っては困ります」
黒い髪の女が再度、雷光を発し、白い少女が拳を繰り出す。敵意、殺意、両者共に充実しており、万全の体勢から放たれている。しかし、届かない。
「まだだ、まだ足りない」
下肢を駆動し、足踏みする。後ろ脚が地中へと沈み込み、降ろされた前脚が混凝土を粉微塵に砕く。巻き上げられた細礫が周囲へ降り注ぎ、三人とも吹き飛ばす。血が舞い、瓦礫が積み重なる。倒れた四人と呆然とする一人を睥睨し、その在り様を嘲笑う。
「畜生にも成り切れんとはな」
剣なら斬ればいい、拳ならば殴ればいい、雷光なら焼けばいい、王なら使えばいい、単純にして明快。在るモノは在るがまま用いれば良いのだ。絆や誇り等、余計なモノを混ぜるから半端になる。糞が塵を掲げた所で、輝くモノなど在りはしない。
闘争とは、我の張り合いだ。我こそが、一等であると、優等であると、我であると鎬を削る、ある種、最も純粋で原始的な社交である。
「さぁ、立て! 立って、魅せろ、その、無様な在り様を!」
倒れ伏す彼らからは、未だ衰えぬ意気を感じる。で、あるのならば全霊を以て応えるのが、己の役割だろう。
「ええ、そうね……私としたことが油断、していたわ」
傷付き、流血でその面貌を染めて尚、王たらんとしている。剥き出しの我ではない、しかし、後天的に形成されたであろう格が、彼女を、彼女たらしめんと、燦然と輝く。
――成程、見事だ。だが……
「吼えるだけでは、何も変わらん、示して見せろ」
「言われなくても」
『立ちなさい、私の愛おしい子供達』
号令一下。
母の様な、慈悲に満ち溢れ、帝王の如く冷徹な言の葉は、不可思議な熱情を帯びて、彼女の眷属に浸透する。騎士は剣を取り、巫女は祈りを捧げ、戦車が蹂躙の構えを執る。王は、満足気な表情で微笑むと、兵士を傍らに置き、己が下に集う英傑を誇る様に、いずれ彼自身も、この戦列に加わるのだと示す。個人としてではなく、群体としての個我。個々の意志を統括する、王としてのリアス・グレモリーを、自他に見せ付ける。
『Aux armes, mon enfants,Formez vos bataillons,Marchons, marchons ! Qu'un sang impur Abreuve nos chateau!』
――武器を取れ、我が子らよ。隊伍を組んで、進め、進め! 穢れた血で、我らの城を埋め尽くせ!
それは、慈愛に満ちた蹂躙。狂奔と情熱が渦巻き、喝采を上げて死地へと飛び込む臣へと向けた、暴君の詩吟が響き渡る。
『自帰依仏、当願衆生、体解大道、発無上意、自帰依法、当願衆生、深入経蔵、智慧如海 自帰依僧、当願衆生、統理大衆、一切無礙』
対するは何者にも捉われず、己こそを拠り所とする孤高の理にして、信ずるべき己すら見えない蒙昧の極致。見えぬ、聞こえぬ、知らぬ、唯、我であれば良い。他の一切を無用と断じ、排斥する。寄る辺の無い祈りが捧げられる。
『Le jour de gloire est arrive! Contre adversaire de la mon, L'etendard sanglant est leve!』
――栄光の日は来たれり! 我らの敵に血染めの旗を掲げよ!
『オン・ビラジ・ビラジ・マカ・シャキャラ・バシリ・サタ・サタ・サラテイ・サラテイ・タライ・タライ・ビダマニ・サンバンジャニ・タラマチ・シッタギレイ・タラン・ソワカ』
既存の法理から逸脱した、不条理を体現する道理が鬩ぎ合う。
『無識無明――懺悔滅罪の道ォォ理!』
互いの魂を懸けた衝突に、音が消える。否、掻き消されている。拳の一打が、剣の一振りが、轟く雷鳴が、唸る滅相の波動が、聴覚の許容を越えた無音を奏で、唯一人の敵(己)へと殺到する。肉を抉る、臓を削る、血が沸き、身が滅される殺意の奔流に、個我は更に輝きを増し、総体を流れる充実感に、哄笑すら漏れる。心身から込み上げる、多幸感に身を任せ、拳を振るう。一切の術技から外れた、稚拙な拳打は、しかし、ソレに伴う威力を以て魔技へと昇華し破壊を振り撒く。同時に、極限にまで高められた肉体が崩れゆく音が、脳裏に響く。それでも尚、高まり続ける自我が、相対する彼我以外の事象を慮外へと放り投げる。
「アーハッハッハ、楽しいなぁ、愛おしいなぁ、私は、我は今、此処に在る」
「――。」
対峙する紅い軍勢は、何と言ったのか、潰れた聴覚では知覚する事が出来ない。だが、己さえ在れば良い。戦える、その事実のみを以て五体は駆動する。断裂した筋繊維が、砕けた骨が、崩壊と再生を繰り返しながら攻勢を懸ける。剣刃が閃く、右腕の根元を半ばまで絶つと、折れ砕けるが、左の拳を突き出す頃には別の剣で以て防がれる。小さな拳が迫る、自分の知らない術理に則った打撃は斬撃にも劣らぬ切れ味で右腕を切り飛ばす。雷光が瞬く、駆ける光明に、失った右腕を突き出すように体を傾け、傷口を焼き潰す。満身創痍と言っても、過言ではない風体だが、体内で渦巻く力は、依然、衰える事無く膨れ上がる。
――まだ動く、まだ使える、まだ、まだ……。
痛みは無い、腕は千切れ、目は見えぬ。しかし、我が在る、彼が在る。
「っつ雄ォォ!!」
意味を持たない咆哮を上げる。我、我、我だ。際限の無い自己主張、文字通り、全身全霊を懸けた突進を、消滅の波動が迎え撃つ。突き出した左腕が、繰り出した前脚が、欠片も残さず消えていく。末期の輝きを、無色の闇が呑み込む。
――我は、我だ。我、我、我……私は、己は、
「私は、誰だ……?」
「私の敵よ」
冷徹でありながら、非情な響きを持っていなかったのは、彼女なりの敬意の表れなのかもしれない。冷たく、物悲しい声音を聴きながら、周囲を見渡す。
「お……終わった?」
余りに唐突に、バイサーと呼ばれた悪魔は消えた。ただ、振るわれた暴威の痕だけが、彼女の存在が現実であったことを証明しており、一夜の夢であったと言われれば信じてしまいそうになる程、現実離れしている。
「えぇ、終わりね。どう?」
独り言が聞こえていたらしく、先輩が問い掛けてくる。
「どうって、言われても」
「驚いた?」
「そりゃあ、当然」
「ふふ、私もよ」
聞いてみれば、『はぐれ』となった悪魔の多くは知能が低く、身に宿す悪魔の駒による制限もあってか、弱体化するのが常であるらしい。主を裏切る様な愚者や、眷属としての誓いも反故にするような輩に、何の報いも無い程、悪魔は甘くないと語る先輩の表情は、苦々しげに歪んでいる。
「彼女は、バイサーは、強かったわ」
言葉と共に吐き出された溜息には、どういった思いが込められているのか。自分達の弱さへの憤りか、自己を見失った敵への憐憫か、眺める事しかできなかった自分では、窺い知る事が出来ない。
――強くなるって、決めたのに。
知らず、拳を握りしめる。倒れ伏す先輩達を前に、立ち塞がる敵を前に、俺は、どこまでも無力であった。見る事しか出来なかった、震える事しか出来なかった。守りたい等と、嘯いた俺自身が、守られていたのだ。
「部長……」
「なに?」
「強く、強くなりたいです」
零れ落ちそうになる、涙を堪え、震える拳を握りしめ、懇願する。
「イッセー」
「はい」
「貴方は、私の眷属よ」
「はい」
「弱いままなんて、許されないわ」
「はい」
「ならば、強く在りなさい。貴方が、足掻き続ける限り、私が愛してあげるわ」
俯いていた顔を上げ、先輩を見る。柔和に、峻厳に、気高く微笑む彼女を見て、胸中に熱が宿る。
「強く、なります。先輩の為に、自分の為に」
希望を、決意へと転換する。目指す頂は、遠く、険しい。しかし、孤独ではない。自らが王と定めた彼女の為に、愛おしいと思った日常の為に、天龍は翼を広げる。
「貴女の為なら、神すら殺そう」
「楽しみにしているわ」
「……あの?」
「なにかしら」
「良い雰囲気のところ、申し訳ないんですけど――」
片付け手伝って貰えませんか? 等と、シリアスな雰囲気を台無しにする木場の提言に、二人揃って顔を赤くする。無駄に黒歴史が増えてしまい、悶絶しながらも指示に従い瓦礫の撤去に集中する。
「貴女の為なら、神すら殺そう」
嘲笑交じりに呟かれた台詞に、顔面を思い切り瓦礫に叩きつけたくなる。勿論、自分のである。
「こら、小猫さん、余りからかうモノではありませんよ? 一世一代の、決め台詞なんですから、多少、センスが古くても目を瞑るべきです」
姫島先輩からの追撃に、心が折れそうになる。否、もう折れている。
「すいません、片付けに参加しなかったのは謝りますから、勘弁して下さい」
「あらあら、何を仰っているんです、格好良かったですよ。一昔前の臭い芝居を見ているようでした」
悪意満点である。
「コラ! 無駄話してないで手を動かしなさい」
顔を真っ赤にしたリアス先輩が吼える。何がどうしてこうなったのか、世の不条理に憤りを覚えていると、肩に手が置かれる。振り返ると、木場が同情を多分に含んだ眼差しを投げ掛けている。
「ドンマイ」
心底、もうこれ以上ないと言える程に、優しげに、人を小馬鹿にしたような労いの言葉が吐き出される。刹那、周囲にも聞こえているのではないかと思える程大きく、何かの切れる音が聞こえた。
「う、があぁぁ! うるせぇ! さっさと片付けろ、俺はもう眠い!」
「イッセーうるさい!」
「はい! すいません!」
一夜の闘争は終わりを告げ、彼らは思い出したように、騒ぎ、笑い、在るべき日常へと回帰していく。
夜が明け、曙光が街を照らす。
言い訳をするなら、仕事が忙しかった所為なのですが、読者の皆様には関係の無い話なので、重ねて謝罪させて頂きます。
申し訳ありませんでした。
因みに、リアスさんの詠唱はフランス語です。
恐らく、間違っているんだろうなと思われる翻訳ですが、ある有名な歌の替え歌だったりします。