お兄ちゃんを書くのは非常に疲れる、俺がゲシュタルト崩壊しそうだった。
俺は目覚めて尚、蒙昧であった。
何も見えないし、何も聴こえない、何も感じない。観る事は出来る。しかし、それに実体は無い。聴くことは可能だ。だが、それに我は無い。万象も感じ得る。が、それは我のものではない。
俺は、己は一体全体、何者であるのか?
鏡面に映るは、我に非ず。
他者が見るは、我のものに非ず。
己が感じるは、我のわれに非ず。
何処にも、俺が居ない。俺は、俺で、俺で在るべき筈なのにも関わらず。
俺は、俺のみで満ちる我が欲しい。無謬の平穏も、永遠の刹那も、未知の結末も要らない。ただ、ひたすらに俺で在りたい。
狂おしい程に、思考が捩れる。悟ったから何だと言うのか、死んだから、生まれたから何であるというのか。己が、己でいられないというのであれば最早、俺を取り囲むこの世には塵屑ほどの価値も無い。寧ろ、違和を押し付ける不快の源でしかない。
――嗚呼、ならば滅尽滅相の理念こそ相応しいのかもしれない。
捻じれた想念が、かつて何よりも忌避した衝動を呼び起こす。そこに、自己は無く模造された理法が形成されようとしているのを自覚する。森羅万象を己独りに帰結させる最悪の法が、脳裏に渦巻いている。
『五月蠅いぞ、なんだお前は』
頭を掻き毟り、思考の一切を駆逐する。傍から見るならば、狂人のソレだろうが、今の自分に自己以上に優先すべき事柄など無く、また、他者(塵屑)にかかずらう余地など微塵も残っていない。俺は、天狗ではない。この世界に神座なる物は存在せず、己とアレに共通する事柄など塵芥程の点も無い。
『嗚呼、鬱陶しいな、消えろよ。此処は俺の場所だ、俺だけの場所だ』
総身を無色の唯我が埋め尽くす。総じて偽り、確固としたモノ等何一つ存在しない伽藍堂であるが故に、尋常ではない渇望と成って、超重量の神格を更に膨張させる。
『俺以外全部、要らないんだよぉ』
俺は俺で俺だから、俺以外の存在は不要だ。己をアレと同一視する世界等、総じて要らぬ。
根拠も、中身も存在しない唯我の渇望は、しかし、廃絶の色を帯びる事無く自己へと集束する。他の誰よりも、己こそが自己を認められぬが為に。矛盾と呼ぶのも烏滸がましい齟齬を抱え、膨れ上がる神威は彼の唯一へと漏れ出るが、総体からして見れば把握すら出来ぬ量が零れたところで、それに頓着することも無い。そも、彼が把握している事など自己のみであり、外殻に執着する気概など端から持ち合わせていないのが現実である。
『オン・ビラジ・ビラジ・マカ・シャキャラ・バシリ・サタ・サタ・サラテイ・サラテイ・タライ・タライ・ビダマニ・サンバンジャニ・タラマチ・シッタギレイ・タラン・ソワカ』
唸る様に、声が響く。地を這う音声は、しかし、確実に周囲を侵食し、彼の理法へと塗り替えられる。
『無識無明――懺悔滅罪の道ォォ理』
彼の彼による彼の為だけの道理は、物理的な影響を及ぼす事は無い。だが、確固たる理法として遍く三界に刻み込まれる。
【唯、我で在りたい】
渇望と呼ぶには、普遍に過ぎ、切実に願う事などまず無い。それ故に、刻み込まれた後も、然したる影響は与えられないだろう。
――一部、彼との高い親和性、道理への適性を持つ者を除き。
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己は何者であるか?
自身にとってこれ程、無意味な問いも無い。なにせ、何も分からないのだ。気が付けば、悪魔等と呼ばれる存在になっており、気に入らない主人の眷属として畜生にも劣る所業を繰り返してきた。いつの間にか自覚した矜持も、知らぬ間に変わっていた肉体も、全てが蒙昧なまま、穢れきっていた。
己は何者であるか?
このような現状に陥る前に、主人に尋ねたことがある。その時の主人は、あからさまに嫌そうな顔をすると、吐き捨てる様に答えを投げ掛けた。
――お前は化け物だ。
何時から、等と聞く気にはなれなかった。自身が未だ自身である内に、或いは自身でいられる間に、そう思って出奔を決めた。手遅れである事等、承知している。その証左とも言うべきか、思い返せる記憶は微々たる物で、口を通るのは血の味ばかりであった。
己は己であるか。
名も知らぬこの町に来て、ふと思い至った答は、当ても無く彷徨って人畜を襲うばかりであった自分に随分と強く根付いた。最早、自覚できている時間の方が短い自己は急速に蘇り、ある程度、複雑な思考に耐えられる位には回復している。無論、己が何者であるかなど未だに分かっていない。分かっていないが、それが知らない方が幸せであるような予感もしている。確固とした己を持てること以上に幸福など無いと、断言してしまいそうになる程に今の自分は安堵していた。
「っん」
喉を鳴らし、水を飲み下す。ただの水が、これ程までに美味である事等、ただの一度も無かった。
「ふぅ」
大きく胸を膨らませて、息を吐く。呼吸することが、こんなにも心地よい事等、生涯で初めて知った。
己は、己であり、それ以外の何者でもない。
ただ、その事実がこの上なく、幸せであると感じる。畜生に堕ちたこの身が、救われる事など万に一つも有り得ないし、有り得てはならないと、胸にしまっていた矜持が語りかけてくる。糞の役にも立たない、小さなモノであったが、これこそが自分なのだと絶叫するソレが今はとても愛おしく感じられ、覚悟を決めさせる。
「えぇ、分かっているわ」
胸に手を当て、誓うように呟く。誇りなどという高尚な物ではない、下らない自尊心と自己愛、自己満足の結果だ。
私は私だ。しかし、この身は悪魔である。下劣畜生の権化であり、滅されるべき悪の体現者に他ならない。であるならば、自らの最期も自ずと決まっている。
「ただ、願わくば……願わくば己が最期に相応しい強者を」
闘争の果てに、血によって作られた道は己が血によって贖わなければならない。化け物の死に相応しい最期を望み、夜明けと共にはぐれ悪魔は眠りについた。
妹はブラコンを加速させ、兄貴は妹離れが加速する。
報われないな()
はぐれ悪魔さんが、誰であるのかは皆さん分かってらっしゃると思いますが、意味も無く掘り下げた上に、随分とお兄様に染まっております。
どうしてこうなった