またの名を進撃のオーバーロード。コンセプト「抗え、最期まで」。人類の守護者ルート。
モモンガがナザリック抜きの単独転移し、かつカルネ村を助けた後「山頂とか海底行く!」ってなって大陸から脱走したその後の話。
モモンガ「帰ったら人類が末期だった」
鬱展開でしかも内容が継ぎ接ぎだらけの読み切り短編。

※この作品は書籍九巻までの情報をもとに作成しております。

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 モモンガがナザリック抜きにして単独転移・カルネ村救出後大陸を脱走。帰って来たら地獄だった、ていう鬱展開話。
 継ぎ接ぎ短編なのでこっちに投下。

 ※この作品は2016/04/末で感想返しを締め切ります。
 


OVERLORD Alternative

 

 

200/

 

 

 

 大陸の、世界の果ての国で黄昏の空を綺羅綺羅と輝く星が幾つも弾け、そして消える。

 

 

 

 空に浮かぶ幾つもの、巨大な竜の影。その中で一際大きく、そして輝く白金の巨影が音の壁を突破しながら大空を舞っていた。

 白金の巨竜はまさしく王者の風格で、その白金の鱗を沈みゆく太陽の光が反射し綺羅綺羅と輝いていた。

 黄昏の空を舞う白金の流れ星。その輝きは白金の流れ星が決して墜落しないほどの力強さを信じさせた。

 

 ――それはまさしく幻想(ユメ)のような光景。誰もが幼い頃、ふと脳裏を過ぎる憧憬の夢だ。

 

 しかし一方で、その幻想に水を差すように漆黒の、ちっぽけな穴のようなものが黄昏の空に浮かんでいる。

 それは竜の巨大な影とは対照的に小さく、しかしキャンパスに付着して取れない染みのように存在感があった。

 さながら、それは奈落の闇であった。あるいは宇宙の果てにあるという深淵の孔か。一度引き込まれれば、もう二度と地上へ出る事が叶わない底なし沼。

 

 奈落の闇が大空を自由に舞う白金の流れ星を見つめる。白金の流れ星もまた、奈落の闇をずっと見つめていた。

 

 それは不倶戴天。宿敵。あるいはコインの表と裏か。

 

 決して互いに交わる事の無い、同じ方向を見つめる事が無い鏡の向こう側。奈落の闇と白金の流れ星は互いをじっと見つめている。

 

 

 

 ――世界の果ての国で、黄昏の空を綺羅綺羅と輝く星が幾つも弾け、消えていく。その輝きが弾け消えるごとに、空を舞う竜の影が減っていく。

 

 

 

 奈落の闇と白金の流れ星は、その世界の終わりのような姿を背景に、互いをじっと見つめていた。

 

 彼らは不倶戴天。宿敵。あるいはコインの表と裏。決して交わる事の無い、鏡の向こう側。

 

 互いが、互いの守るべきもののために戦っていた。決して引く事の出来るものではない。

 ……それは生存競争に似ている。どちらかを生かせば、どちらかがこの世から消えるしかない決まり事。

 正しいのはどちらで、間違っているのはどちらか。それは明白で、互いにその事を理解していた。

 しかし、それでも引けないのだ。退けないのだ。例えそれが正しい事でも、生きているかぎりは生を謳歌し続ける。

 

「故に、滅びろ。勝つのは俺だ。人類史の開闢に散る花となれよ」

 

 奈落の闇が白金の流れ星を見つめながら、呟いた。

 知っている。正しいのは相手で、間違っているのは自分だと。

 しかし引けぬ。退けぬ。譲る事なぞ出来るはずも無し。

 

 何故なら、生きているのだから。

 

 例えその生を謳歌した果てに、その星を食らい尽くして世界を滅ぼす事になろうとも、最後の瞬間まで生を謳歌する事をやめないだろう。

 そして奈落の闇は、そんな彼らが見せるちっぽけで、けれど眩しい刹那の輝きを愛しているから。

 だから奈落の闇は、ずっと彼らを守り続ける。

 

 ――そしてなればこそ、白金の流れ星もまた引く事は出来ぬ。退けないのだ。

 

 正しいのはこちらである。彼らを生かす事は出来ない。際限のない欲望に突き動かされて、自ら破滅へ至るだろう。何もかもを道連れにして。

 許せぬ。認めぬ。消えてしまえよお前ら。

 生きるという事に嘘も真も無くとも、それは許される事ではない。誰かを犠牲にしてでも生きていたいという執念は認めよう。お前達の中にあるちっぽけな輝きも認めよう。

 しかし何もかもを犠牲にして生きていく事が正しいはずがない。それを許していい道理にはならない。

 だから白金の流れ星は、彼らを滅ぼす。

 

「故に、滅びろ。勝つのは私だ。世界の調停のための礎となれよ」

 

 奈落の闇と白金の流れ星は、黄昏の空の中で互いをじっと見つめている。

 ……この太陽が沈む時、おそらくどちらかの命もまた共に沈むのだろう。

 

「――来るがいい、ツアー」

 

 何もかもを呑み込む、奈落の闇。その闇を払わんと、白金の流れ星が空を駆けた。

 

「――いくぞ、モモンガ」

 

 

 

 世界の最果ての国。黄昏の空。幾つもの星が、綺羅綺羅と輝いていた。

 

 

 

 

 

0/

 

 

 

 『ユグドラシル』と呼ばれるゲームがあった。二一二六年に日本のメーカーが発売したDMMO-RPGであり、当時のゲームとしては“異様なほどに自由度が広い”ゲームであった。

 しかしそれも一昔前の事。十二年間続いたゲームも、その日、サービス終了を迎えようとしていた。

 

 そして『ユグドラシル』において悪の華と謳われたギルド『アインズ・ウール・ゴウン』。僅か四十一人からなる伝説の少人数ギルドも、その十二年間で徐々にギルドメンバーは減りほぼ引退。僅かに残ったギルドメンバーも片手の指で数えられるほどになり、そしてログインする確率は低く……。

 

 ギルド長たるモモンガは、たった一人でサービス終了日を迎えたのだった。

 

 ――しかし、終わりを迎えて強制ログアウトされるはずが、何故かログアウト出来ない。

 いや、それだけではない。『アインズ・ウール・ゴウン』のギルド拠点であるナザリック地下大墳墓にいたはずが、いつの間にか夜の草原に一人放り出されている。

 

 ……見渡すかぎり広がる大自然。ゲームではあり得ない再現度。ゲームのキャラになったまま、彷徨い歩くモモンガ。

 彼は漠然とだが悟る。ここは『ユグドラシル』ではないと。ゲームの世界ではあり得ないと。

 そうして彷徨い歩いたモモンガは、ある日小さな村を発見する。人間達の住む村。中世の世界観に似た、みすぼらしい開拓村だ。

 

 そして、その小さな村では地獄の宴が始まっていた。

 

 人が、人を殺している。甲冑を着た兵士達が、村の住人達を殺して回っている。

 その時彼が思ったのは、面倒事に関わった場合のリスクだった。

 

 ――心の変化に驚愕する。人が人を殺している姿に何も思わない事。恐ろしいから逃げよう、ではなく。関わったら面倒な事態になりそうだから、見なかった事にしようという無情。

 自分の心の変化に、彼はその時心底驚いたのだ。しかし、その驚愕さえすぐに鎮静化する。

 

 モモンガはどうするか少し悩み――結局のところ、村を助けてやる事にしたのだった。

 理由は幾つかある。それは、村人達はともかく、兵士達からはおそらく現状を確認するための話を聞けないだろう事。あるいはかつてとは異なる世界の戦力に対する疑問。

 モモンガはそのために、村人達を救ってやる事にした。

 

 ――そして、その小さな開拓村――カルネ村は通りすがりの魔法詠唱者(マジック・キャスター)に救われた。

 モモンガは最初に助けた姉妹に身を守るためのマジックアイテム、ゴブリン将軍の角笛と呼ばれるアイテムを与えてやり、村長達から話を聞く事が出来たのだ。

 だが、事態はそれで終わらない。その後現れた王国戦士長のガゼフ・ストロノーフと、その部下である戦士達。そして、そのガゼフを殺すために現れた法国からの刺客。六色聖典の内の一つ、陽光聖典と彼らが率いる召喚された天使達。

 ガゼフは村をモモンガに頼み、村を出て村人と部下達のために戦う。

 その輝きに目を細め、モモンガは結局ガゼフを助けてやる事にした。陽光聖典はモモンガに対し、為す術無く全滅した。

 ガゼフはモモンガに礼を言って部下達と共に村を去る。村人達はこれからの事を不安に思いながらも、彼らもまたモモンガに礼を言った。

 

 ――この時、モモンガはふと考えたのだ。この見知らぬ世界で。

 生きている者では決して辿り着けない未開の地。酸素の薄い山の頂上では何が見えるのか。山の頂上から見る夜空の星はどれほど近いのか。山から見る朝日はどれほど美しいのか。そして海の底には何が広がるのか。どのような生物が棲んでいるのか。海から見上げた太陽の光はどのようなものなのか。

 モモンガはそれが気になった。その美しい未知に惹かれた。

 よって、モモンガはこの大陸を去る。村を出た後トブの大森林を進み、アゼルリシア山脈を登り、そうして山を降りて海を目指した。

 

 

 

 その結末に至るための過程を、モモンガは知らない。

 

 

 

 人類の守護者。殲滅専門部隊の陽光聖典亡き後、人類がどれほどの苦境に立たされたのか。ガゼフの属する王国がどれほど終わっていたのか。人間という種族が、どれほどこの世界で生き辛かったのか。モモンガは知らない。

 何故なら、モモンガはこの大陸を去ったから。ユグドラシルプレイヤーの気配も、全く気にせず未知へと冒険に出てしまったから。

 モモンガは、その結末に至るための過程を知らない。

 陽光聖典さえいれば、あるいはモモンガが大陸を去らなければ――もしかすれば、この結末には辿り着かなかったのかも知れない。

 

 モモンガは、その結末に至るための過程を知らなかった。

 

 

 

 

 

90/

 

 

 

 大海原の底で、歪む太陽を存分に楽しんだモモンガは、ふと思い立って元の大陸に帰る事にした。

 海底を歩くモモンガにはあれから何年の月日が経過したか、という詳細は分からないが、しかし随分と長い間海の底を彷徨っていたような気がするのだ。

 美しい海の底を歩き、陸へと再び出たモモンガは再び装備品を着て、骨の顔と体を隠すための仮面とガントレットを装備すると、砂浜の奥にある森の中へ身を入れる。何十年ぶりかに見る森はやはり美しく、モモンガの心を慰めた。

 ああ、しかし何故だろうか。少しばかり、モモンガの知る景色と違っているような気がするのだ。

 歩く内に原因はすぐに知れた。声が聞こえない。森の中で囁く鳥達の鳴き声が、小動物達の囁き声が皆無なのだ。

 美しいと思った森は死の森であった。生きている木々はただ直立不動であり、彼らの周りは既に音が死に絶えている。風による騒めきさえ聞こえず、まさにそこは人外魔境。

 不思議に思いながらも、モモンガは森を抜け山を登り山頂へと到達する。そうして高みから地上を見下ろす。その小さな地上の光景に、思わずモモンガは悲鳴を上げそうになった。

 

 トブの大森林と呼ばれていたはずの大きな森は、単なる更地になっていた。あったはずの木々は存在せず、荒れた大地が広がるのみであったのだ。

 

 モモンガは冷静になって、山頂から地上を見下ろす。アゼルリシア山脈にあるはずの山小人(ドワーフ)の国はどこにいったのであろうか。トブの大森林にあった湖は、その湖に棲む蜥蜴人(リザードマン)達の集落はどこへいったのであろうか。微かに見えていた人間の街の灯りはどこへ消えたのだ。

 あまりにも変わり果てた光景に、モモンガは呻き声に似たものを声帯の存在しない喉から発し、恐る恐る山を降りかつて森であった場所を抜けて出る。

 かつて森であった更地を抜けて歩くモモンガは、暫くすると大きな馬車が前方から近付いて来ている事に気がついた。特に気にもせず、モモンガはその馬車の邪魔にならぬよう脇へと移動する。

 見えてきた馬車は御者が座るべきところに、一体のビーストマンが座って手綱を引いていた。その馬車の荷台らしきところには、巨大な鳥籠のような牢がある。モモンガは首を傾げながら、その馬車が通り過ぎるのを待った。

 しかし御者のビーストマンはモモンガを見ると馬車を止め、モモンガに声をかけたのであった。その仮面を取れ、と。

 その意図が見出せないモモンガは首を傾げながら、素直にその仮面を取る。人間相手であれば渋ったであろうが、相手はビーストマンである。人間でない生き物に、アンデッドの顔を晒すのは特に気にならなかったのだ。

 実際、ビーストマンはモモンガの骨の顔を見ると、一言謝ってから再び手綱を引いて馬を走らせ、馬車はモモンガを通り過ぎて去っていこうとする。その姿を見送ろうとして、そして視界に入った牢の中身に驚愕した。何人もの人間が入っていたのである。

 人間達はモモンガには目もくれず、泣きながらそれぞれ蹲っている。その人間達は女であったり、男であったり、老人であったり、子供であった。多種多様、人種も何も関係無しに牢に閉じ込められていて、誰もがその後の自分達に訪れる絶望の恐ろしさに震えていた。

 驚いたモモンガは、ビーストマンへと語りかける。彼らを連れて、一体どこへ向かうのか、と。

 モモンガの問いにビーストマンは困惑しながら、これから家畜を出荷する予定である事を告げる。

 ――そう、後ろの人間達は家畜であった。彼らの胃に収まるべき食事。これから彼らは生きたまま魔物達に貪り食われるのである。

 ビーストマンの言葉を聞いた家畜(にんげん)達は、泣き叫んで牢の中で暴れ回った。明確に告げられた事で恐怖が爆発し、狂ったように暴れ回る。

 ビーストマンはそんな人間達の喧しさに怒り、腰に下げた剣を抜くとそれを暴れ回る一人の老人の腕に突き刺した。老人の絶叫に、他の者達が震え上がる。ビーストマンはそのまま剣を滑らせ、老人の手を切り落としてしまった。

 老人の絶叫と啜り泣きは響くが、他の者達は押し黙る。それに満足したビーストマンは、老人の切り落とされた手を掴むと嬉しそうに頬張った。モモンガはそんなビーストマンに胸糞悪さを感じながらも、呆れかえって指摘する。それが家畜であると言うならば、今お前は他人の腹に入るべき食物を勝手につまみ食いした事にならないのか、と。

 そう指摘されたビーストマンは、しかしモモンガに笑いながら告げたのだった。

 

「大丈夫ですよアンデッドの旦那。こんなモン、いくらでも調達出来ますから少し齧るくらい平気でさぁ」

 

「なるほど。しかしあの老人は出血多量で死んでしまうのではないか?」

 

「死んだって構いやしませんって」

 

 アンデッドの旦那は心配性ですなぁ、と言ってビーストマンはモモンガに別れを告げると再び馬車を走らせていく。馬車が通った後はあの老人から滴り落ちた血が跡を作り、馬車の行き先を告げていた。

 ……かつての知識ではここは人間の国であったはずだが、いつの間にかビーストマンの国へと変わってしまっていたらしい。モモンガはそう納得すると、再び当てもなく歩き出した。

 ――そうして数日間歩いたモモンガは、ようやっと人間らしき国を発見する。遠くからでも分かる、大きな砦と壁が見えたのだ。

 この数日間である程度学習したモモンガは、砦と壁には向かわずに近郊の森に身を隠して装備を普段のものから、単なるみすぼらしいローブに切り替える。モモンガが見たのはビーストマンだけではない。この数日間でモモンガは様々な異形種や亜人種を見つけたのだ。そしてその誰もが、嬉しそうに人間を頬張っていたり、人間を使って遊んでいた。

 人の国は随分と押されてしまったのだな、という物悲しさをモモンガは感じながら、けれどそれ以上の感傷は持たずモモンガはアイテムボックスから遠くを見るための鏡の形をしたマジックアイテムを取り出し、砦と壁の中を探る。

 やはり、砦と壁の中に棲んでいたのは人間であった。彼らは疲れた顔をしながら、ふらふらとした足取りで歩いている。

 モモンガは死角になるような場所を探し、転移魔法を使って壁の内側に入る。使用する魔法は第十位階の〈転移門(ゲート)〉だ。この転移魔法は距離無制限であり、転移失敗率はゼロという最高位の転移魔法である。

 それを使って壁の内側にこっそりと侵入したモモンガは、大通りらしき場所へ出た。そして、人間達の様子を見て回る。

 

 ……人間達は、誰も彼もが疲れた様子で蹲っていたり、あるいは精気の無い表情で歩いていた。そこかしこで聞こえる声に、モモンガは内心で震えながら――けれどそれもすぐに鎮静化され、冷静に彼らを見て歩き回る。

 

「我々は兵士を募集しております! 誰か志願する者は――」

 

「ああ――いやだ、頼む、もう嫌だぁ……!」

 

「誰か、誰かこの子にお乳を……」

 

 誰も彼もが痩せ細った姿で、身を縮こませて震えながら叫んでいる。遠くで兵を求めて大声を出す剣士。傷だらけの体で怯えながら現実を否定している兵士。抱いている赤子に乳を求める母親。そして――モモンガの服の裾を力弱く握った誰か。

 

「水を……水をくれぇ……」

 

 痩せ細った姿で、這いつくばった男がモモンガの服の裾を握って水を求めていた。肌に張りは無く、唇は乾燥しきってカサカサに罅割れている。

 ――当然、モモンガは水を持っている。新鮮な水を幾らでもモモンガはアイテムボックスに持っていた。しかし、それを今アイテムボックスから出して男に与えるのは憚られた。

 何故なら、キリが無いのだ。周囲を見回せば幾らでも男と似たような存在がいる。更に言えば男の状態である。彼に水を与えても、焼石に水のような気がしたのだ。

 そうしてモモンガが悩んでいる内に、モモンガの服の裾から男の指が離れた。男はそのまま動かなくなる。しゃがみ、男を引っくり返して心臓の鼓動と呼吸を確認した。呼吸も心臓も、既に止まっていた。

 モモンガは立ち上がると、近くを歩いていた兵士らしき男に声をかける。

 

「すみません。この男死んでしまったのですが……」

 

「ああ……」

 

 モモンガの言葉に、兵士は覇気の無い声で答えると、大声を出して更に兵士達を呼ぶ。

 

「おい! 一人死んだぞ! 工場へ運べ!」

 

 その声に同じような表情の兵士達が現れると、彼らは死んだ男を持ち上げて砦へと向かっていった。なんとなく、モモンガはその後ろ姿が気になって先程の兵士に声をかける。あの男の死体をどうする気か、と。

 兵士の答えは単純明快であった。あの男の死体はこれから砦の奥にある工場へ運ばれて、血抜きをし皮を剥いた後巻物(スクロール)に加工されるのだと。そうして皮を剥がされ残った死体は燃やして灰にするのだと。

 何故ならば、残しておいたらアンデッドになってしまうから。兵士はそう不思議そうに、何を当たり前の事を訊ねているのかとモモンガに告げて、また去っていった。

 兵士の言葉を聞いたモモンガは、呆然と男の死体が運ばれた先を見つめる。これは男の死体が特別なのではない。病に倒れ動けなくなった者、身体を欠損しもう生きていけない者もそのような運命を辿るのだと教えられたからだ。

 

 ――ここは、人類生存競争の最前線。生きるために足掻き続ける者達の最後の砦。

 

 モモンガは呆然としながら、もはや滅びゆくだけの人間達の砦を眺める。

 疲れていた。誰も彼もが疲れていた。

 ……そうして呆然と彼らを見ていたモモンガであるが、背中に受ける衝撃に振り返る。すると、そこには誰かにぶつかった事に気がついた老婆が慌てて頭を下げていた。

 

「ああ……申し訳ありません。私は、もう目が見えないので……ご迷惑をおかけしました」

 

 老婆は、既に目が見えなくなっていたため、立ち止まっているモモンガに気がつかずぶつかってしまったらしい。モモンガは目が見えない、と言う老婆に不思議そうに訊ねた。どうしてお前は体が不自由なのに、工場へ連れて行かれないのか、と。

 老婆はモモンガの問いに苦笑して、静かに語ってくれる。

 

「私は……少しばかり法国様の御役に立てたので。だからそちらの役割は免除されているのです」

 

 モモンガはそこから、更に幾つかの問いを老婆に投げかけた。自分は今まで辺境に引き篭もっていた魔法詠唱者(マジック・キャスター)なのだが、一体何が起こってこのような事になってしまったのか、と。

 無知なモモンガを笑う事もなく、老婆は優しげにモモンガの問いに答えてくれた。

 

「始まりは、何だったでしょうか……。おそらく、トブの大森林から現れた大きな魔物であったと思います」

 

 人類未開の地、トブの大森林。小鬼(ゴブリン)の帝国が、蜥蜴人(リザードマン)の集落が、数多の魔物達が棲む比類なき人外魔境。そこには恐ろしい大きな魔物が封印されていた。

 封印が解かれた恐るべき巨大な魔物はトブの大森林を蹂躙し、そのまま王国へと侵攻した。数多の冒険者が、兵士が、王国に住む人間達が必死に戦ったが傷つける事は叶わず、その一方的な虐殺は法国が虎の子たる漆黒聖典を持ち出し、彼の魔物を退治するまで続いたと言う。

 その後法国はもはや国としての機能を保てなくなった王国を吸収し、かつての王国は法国民となったのだ。

 ……しかし当然、そのまま元王国民が法国で幸せに暮らしていけるはずが無かった。法国は何を思ったのか、彼らを兵士として徴兵し、最前線へと並べて自分達は後ろへ下がったのだと言う。

 最前線。そう最前線だ。王国民は誰も気づいていなかったが、法国は常に亜人種や異形種と戦い続けていた。彼らがいる場所は人類の生存競争、その最前線であったのである。

 法国は長年の戦いで消耗していたのか、王国民が足止めしている間に自分達の体勢を整えるために後ろへ下がった。おそらく、同じく最前線であった聖王国や竜王国はそんな法国を止めなかっただろう。むしろ早く体勢を整えて再び最前線に戻って来てくれる事を祈っていた。

 しかし、王国民は法国が思っているより遥かに愚かだった。多少の足止めにはなるだろう、そう思って最前線に投入した王国兵士。民兵。しかしその誰もが法国が思うほど戦線を保てなかった。法国が体勢を立て直す暇もなく、彼らは魔物の恐怖に怯え、逃げ出し、戦線を放棄したのだ。

 ――どうして気づかなかったのか。貴族があまりにも腐り過ぎて、王族があまりに不甲斐なさ過ぎて、彼らが支配する民衆達の本質を見誤ったのだ。

 王国が腐ったのは王族が悪いから。貴族が悪いから。それだけではない――何もせず、ただその場その場で楽な方に流されて、誇りを取り戻すために立ち上がらなかった民衆達も悪いのだ、と。普通なら、とっくの昔に各地で暴動が起きているし、冒険者達も貴族達の横暴さに怒り革命を起こしているはずなのだ。

 それが起きなかった時点で、民衆達もまた王国を腐らせた者達なのだと……人類を助け、人類を信じていた法国は気づかなかった。

 ――そして当然、いきなり戦線を放棄された法国も聖王国も竜王国も大混乱である。糞の役にも立たなかった者達を追って脱走兵として処理する暇も無い。消耗した法国は軍力を立て直す暇もなく、再び最前線に進み出る事になった。

 ……法国がどれほど消耗していたのか、その後の彼らの戦いがそれを証明している。元王国民達は今度も法国が助けてくれる事を期待していたのであろうが、それは当然虫のいい話である。法国は次第に押されていった。消耗した力を補給する暇無く最前線に出されたのだ。当然、補給タイミングを逃した法国は後はひたすらに消耗していくだけである。

 各国が法国の消耗ぶりに気づいた時、既にもう取り返しのつかない事態へ全ては発展していた。毎年ビーストマンに侵略されていた竜王国はここにきて一気に押し込まれ滅び、聖王国もまたアベリオン丘陵より侵略しに来たオーク達に滅ぼされる。法国はそんな彼らに挟まれ次第に奥へと押され、砂漠の空中都市は孤立した。

 

 そして、帝国もまた魔物達の進軍に悩まされるようになった。最初は第六位階魔法さえ使える大魔法詠唱者(マジック・キャスター)がいたから何とかなった。しかし、その魔法詠唱者(マジック・キャスター)が寿命で死んでからが彼らの受難の始まりである。種族的身体能力の差、寿命の差、そして数の暴力により帝国も徐々に押されていくようになった。

 

 そうして、人類はかつてない劣勢に立たされた。そこで法国が取ったのが最後の手段――戦女神の出陣である。

 戦女神は年を取らない。そして最強である。彼女は一騎当千の活躍で魔物達を相手に無双した。

 どうしてすぐに彼女を戦線に投入しなかったのか。どうしてこうなるまで彼女を隠しておいたのか。人類の誰もが法国を猜疑の目で見たが、その理由はすぐに評議国からもたらされる事となった。

 

 ――――“彼女の存在は協定違反である”。

 

 評議国の竜の王がそう告げ、今まで人類に僅かながら送っていた支援を切ったのだ。

 これに仰天したのは、当然法国の上層部以外の人類である。今まで助けてくれた者達が、彼女の登場を機に人類を見捨てたのだ。その後評議国は完全に沈黙し日和見に移行したが、他の人類は法国を責めた。

 どうして、そんなものを隠していたのか。どうして、そんなものを戦線に投入したのか。おかげで、我らは更なる苦境に立たされたではないか。誰もがそうこぞって法国を罵倒したが、法国の対応は冷静そのものであり――認めざるを得なかった。

 

 評議国はそもそも、人間の国ではなく竜達が統べる亜人と異形の国である。彼らが今まで静かであったのは、法国にかつていた六大神達と協定を結んだからである。確かに、先に協定違反をしたのはこちらであるが、そもそも彼らは我らを最後まで助けてくれるのか。

 彼女を戦線に投入しなかったら――――人類は滅んでいたかもしれないのに。

 

 そう、評議国は確かに人類の国を支援してくれていた。しかしそれは僅かなもので、決して戦線に出て戦ってくれるわけではない。

 ……戦女神が戦線に投入されたのは、もはや後が無いという絶望的状況である。この状況で出さなければ、いつ出すというのか。法国は仕方なしに、評議国に見捨てられるのが分かっていながらも、苦渋の決断で彼女を戦線に投入するしかなかったのだ。

 

 何故なら、評議国が人類を見捨てるのは、遅いか早いかの違いでしかないから。

 

 ――そして、人類は今も劣勢に立たされている。もはや滅びるのは時間の問題だ。背後の評議国は固く門を閉ざしており、これ以上は下がれない。全ての国は滅んだ。今はただ、かつて法国と呼ばれていた国の住民達が人間としての誇りと、最期の気力を振り絞ってひたすらに抗っているのみである。

 戦女神を象徴として。力の限り生き続けていた。

 

「……私ですか?」

 

 全ての話を聞き終わったモモンガは、目の前の老婆に問う。老婆は法国の役に立ったのだと言う。彼女は一体、何をしたのだろうか。

 老婆は胸に手を当てて、思い出すようにゆっくりと語った。

 

「私は王国の農村で生まれました。しかしある日、恐ろしい帝国の騎士達が襲って来たのです」

 

 それは老婆がまだ若かった頃の話。

 

「もうダメだと妹と思ったその時、通りすがりの魔法詠唱者(マジック・キャスター)の方に助けていただいたのです。その方は私達姉妹だけでなく、村もまた救っていただきました。――そしてその時、私はこれで身を守るようにと言われ、小さな角笛のマジックアイテムをいただいたのです」

 

 そのマジックアイテムからは十数体の小鬼(ゴブリン)達が出て来た。彼女はその小鬼(ゴブリン)達と村の生活を助け――しかしある日、トブの大森林から出て来た大きな魔物に村を襲われたのだという。

 奇蹟は何度も続かない。今度は通りすがりの魔法詠唱者(マジック・キャスター)は来なかった。しかしそんな魔法詠唱者(マジック・キャスター)から貰ったマジックアイテムはある。

 しかしその時、残った最後のマジックアイテムを使う事は無かったという。

 

「逸早く危険を察知した小鬼(ゴブリン)さん達は、私と妹を連れて村を出ました。私は小鬼(ゴブリン)さん達が何を考えていたのかも知らず、小鬼(ゴブリン)さん達に促されるままに、村を去ったのです」

 

 そして、結果として彼女達は難を逃れた。逸早くトブの大森林から離れた姉妹はその後村を襲った悲劇と遭遇する事は無かった。

 姉妹は小鬼(ゴブリン)達に守られながら、近くにある大都市を目指した。知り合いを頼って。……もっとも、その知り合いは既に死亡していたのだが。

 姉妹が目指した大都市は、既にアンデッド達に支配されていた。そしてまたしてもそれに逸早く気づいた小鬼(ゴブリン)が、その死都から離れた事で姉妹は難を逃れたのだ。

 ……彼女達の放浪は続く。王国が魔物に襲われ滅びいく中、彼女達は紙一重で難を逃れ続けていた。――そして彷徨い歩く内に、法国へと辿り着いたのだと言う。

 当然、彼女の持つマジックアイテムはすぐに法国へと露見した。彼女はそれがどれほど価値があるものか分からず、無造作に持ち歩いていたからだ。法国から取り調べを受けた彼女は、包み隠さず今までの事を話し――法国に見逃された。

 もっとも、これ以上彼女達が逃げる場所は無い。小鬼(ゴブリン)達は彼女を守るため、法国の望む通り最前線で戦い続けた。

 何故なら、その頃には人間達だけでなく――既に小鬼(ゴブリン)山小人(ドワーフ)森妖精(エルフ)達さえ絶滅の危機に瀕していたからだ。

 もはや逃げるべき場所は世界の何処にも存在しない。故に、彼らは彼女達を法国に任せ、最前線で戦った。

 

「私は、そんな彼らを助けたかった。いつも守られてばかりで、御世話になりっぱなしの彼らに報いてあげたかったのです。――だから、最後の角笛を吹きました。その時、奇蹟が起こったのです」

 

 角笛から召喚されたのは、十数体の小鬼(ゴブリン)ではなく――数千もの小鬼(ゴブリン)達の軍勢だったのである。

 彼女達はこれを奇蹟であると讃えた。小鬼(ゴブリン)達の軍勢によって、人類は少しは息を吹き返したかのように見えた。――それが、既に焼石に水だったとは思いもせず。

 

「……話はこれで終わりです。小鬼(ゴブリン)さん達は最期まで私達を守るために戦い、死にました。それからまもなく、妹も病で倒れ父と母、村の皆さんのもとへ旅立ちました。あとには、私だけが残されたのです。……幸い、妹が天に召された時巻物(スクロール)の件についてはまだそのような事に手を染めていませんでした。なので、妹がそのような事になるのは避けられました」

 

 老婆はそう締め括り、モモンガに頭を下げる。

 

「旅の御方、このような老婆の話を聞いて下さりありがとうございます」

 

 その、どこか記憶に引っかかる老婆の話に、モモンガは口を開こうとした。けれど、モモンガから何か言葉が漏れる事は無い。その前に、この壁に守られた全てに聞こえるほどの、魔法で拡大された大声が響き渡ったからである。

 

「――――敵襲ぅぅぅぅッ!! 敵襲ぅぅぅぅッ!! 全員急いで持ち場へ向かえぇぇぇぇええええッ!!」

 

「――――」

 

 その声に弾かれたように誰もが顔を上げ、緊張の面持ちで武器を取り、それぞれが決められているのであろう持ち場へと急いで去っていった。その中には足を引き摺りながら向かう者も、片手に武器を、もう片手に子供の手を握った母親の姿もある。

 そう――女子供でさえ、武器を手に取って走ったのだ。

 

「ああ――――」

 

 老婆は、皺くちゃの手で顔を覆った。嘆くように、諦めたように――静かにぽつりと囁いた。

 

「もう、人類は終わりですね」

 

 

 

 

 

 

 壁の外、不可視化の魔法を使って空に浮かびながらモモンガはその光景を眺める。

 男も女も、子供も老人も皆武器を手に取って壁の外へ出る。その先頭にいるのは髪と目の色が左右で違う戦女神だ。彼女は人間達を率いて、『ユグドラシル』の装備で全身を固めながら魔物達の群れに向かっている。

 人類の戦力は十万も無いだろう。対する魔物達の群れは倍以上……百万の軍勢だ。戦女神がどれほど強かろうと、戦女神がどれほど彼らに勝利しようと数の暴力で人類は死ぬ。

 ――もはや、勝負はたった一人の英雄でどうこう出来る事態ではなかった。たった一人無敵で最強がいても、もはや事態は解決しない。彼女は最後まで生き残るだろう。だが人類は死ぬ。

 それが、数の暴力だ。必要なのはたった一人の英雄ではなく、無数の軍勢である。

 

「――――」

 

 モモンガは、その地獄絵図を眺める。

 飛び交う魔法。吹き飛ぶ手足。崩れいく戦線。蹂躙される人間達。響き渡る怒号と絶叫。その中でたった一人、十も二十も百も千も魔物達を殺し続ける戦女神。

 もはや、無駄な事は分かっているだろうに。それでも彼女は戦う事を止めなかった。

 いや、彼女だけではない。彼女だけではなく、人間達は武器を手に取り、必死になって足掻き続けていた。

 先程まで泣き言を言っていた兵士は立ち上がり、武器を手に戦っている。赤子に乳を求めていた母が、武器を手に戦っている。誰も彼もが疲れた顔をしていたのに、今そこに宿る表情は燃え盛る炎だ。瞳には、ひたすら生き残ろうとする意志が宿っていた。

 何が彼らをそこまで駆り立てるのか。何が彼らをそこまで足掻かせるのか。

 分からない。分からないけれど――――

 

 

 

 それは、ひたすらに綺麗だった。

 

 

 

 綺羅星の如く輝く彼らを見ながら、モモンガは手で顔を覆う。骨の手、骨の顔。ただカラカラと音が鳴るだけ。

 

「――――エンリ・エモット」

 

 ――逃げないのか。

 

 ――逃げ場など、どこにあるでしょう。ただ、旅の方。どうか貴方の旅路を祈らせて下さい。

 

 ――何故だ。

 

 もはや目の見えない老婆は、そんなモモンガに優しく微笑んで――――

 

「貴方の声が、とても懐かしかったからです」

 

 老婆はそう囁いて、モモンガのこれからの旅路を祈った。

 貴方に祈らせて欲しい、ではなく。貴方のために祈らせて欲しい――と。

 

「ああ――――」

 

 その笑顔を思い出しながら――モモンガは、この異世界で最初に出会った懐かしい少女を思い出す。

 

「お前が俺のために祈ってくれると言うのなら、俺は祈ってくれたお前のために戦おう」

 

 優しく微笑みモモンガのために祈ってくれた少女へ、モモンガは小さく囁いた。

 

 

 

 

 

 

 戦女神はその手に持つ武器を振りながら、縦横無尽に走り回って魔物達を狩り続ける。

 しかし彼女がどれほど武器を振ろうと、討ち漏らした数は数千以上。そして既に顔が亜人・異形種連合軍に割れている彼女は、とっくに彼らに避けられていた。

 勝てない相手とは戦わない。彼らは彼女を無視しようと散開し続ける。故に彼女は走り続け、ひたすらに武器を振り回す。

 だが、数が多過ぎる。討ち漏らした数は数千以上。その討ち漏らしたたった一体で、人間達は死んでいくだろう。

 これが生まれ持った身体能力の差。埋められない種族の壁。そして戦争とは――数の暴力であるという実情。

 どれだけ戦っても意味が無い。どれだけ戦っても勝ち目が無い。どれだけ殺しても――人は死ぬ。

 

「ああ――――」

 

 もはや何十年戦い続けたのか。神人はもはや戦女神ただ一人。漆黒聖典含めて六色聖典は滅びている。法国の神官は代替わりを繰り返し、もはや神人の血を引く者は一人もいない。

 これが寿命。生きている以上逃れられない死の運命だ。

 人は身体能力で劣っている。人は寿命の差で劣っている。自分達は、何もかもが相手に劣っている。

 

 でも、生きたい。生きたい。生きたいんだ――戦女神は背後で、人間達の魂の絶叫が聞こえているのだ。

 

 だから彼女は、命あるかぎり武器を手に取り、それを振り続ける。

 でも、心の奥底で泣きそうになった。――スルシャーナ様、六大神様……どうか私達を御救い下さい。七〇〇年前、救って下さったように。

 竜達の慈悲はもはや尽きた。亜人種と異形種の大海嘯は止められない。人類はこのまま、ただ磨り潰されていくのみである。

 苦しくて、辛くて。たった一人でずっと守り続けるのは心が挫けそうで。それでもそれしか出来ないから、ただひたすら前を向いて戦い続ける。

 

 もう、答えは出ている。どうしようもない。人類は滅ぶ。彼女は人間を助けられない。竜達は人間を助けない。

 これは既に決まっていた事。七〇〇年前、六大神達が覆した現実が今再び訪れようとしているだけなのだ。かつて彼らが覆した人類の滅び。それが今、現実を否定した代償として返しの風が訪れる。

 

「ああ――――」

 

 嘆きの声が彼女から漏れた。何故ならもうどうしようもなく、もはや答えは出ているから。

 たった一人の英雄では現状を覆せない。彼女がどれだけ強くても、再び六大神達のような者が訪れても、もうこの現実は覆せない。必要なのは軍勢だ。圧倒的な数の暴力だ。足りないのは『数』なのだ。

 だからこの現実は、覆らない。

 

 戦女神の心が折れかける。いや、既にもう折れかけていたのか――彼女の心の隙間を縫うように、彼女の周囲の魔物達が手に持つ武器を振り回して、彼女は滅多刺しにされた。

 

「――ッ、あ」

 

 幾つかの武器が防具を貫通した。彼女の体を幾つもの刃が貫通する。内臓が傷つけられ、肺と胃から血液が噴き出し彼女の口から零れ出た。彼女の意識が現実へ戻ってくる。

 

「ず、おぁぁぁあああああッ!!」

 

 気合いを入れ、雑魚達を薙ぎ払う。口の中に溜まった血液を吐き出してその辺に捨て、再び魔物達に襲いかかる。この程度のダメージなど、彼女にとっては些細なものだ。よって戦女神は未だ無敗。女は魔物達の命を刈り取り続ける。

 

 しかし――けれど――悲しいかな。どれだけ彼女が強くとも、生きている以上疲労は存在する。数の暴力はそれを押し潰す。どれだけ長く戦い続けても、生きている以上は途切れてしまう。

 戦女神は勝ち続けるだろう。しかしベルトコンベヤーのように次から次へと湧いて出る魔物達に、彼女の疲労はいつかピークに達し、彼女の心は折れるだろう。

 最強のまま、戦女神はいつか敗北するだろう。戦略的勝敗はとっくの昔に決定していたのだから。

 戦女神は勝ち続ける。

 人類は滅ぶ。

 魔物達は、人類を滅ぼす。

 その姿を、竜達はひたすらに天上から見下ろし続けるのだ。

 

 

 

 ――――だから、その声はきっと、奇蹟だった。

 

 

 

『――おい、女』

 

「――――」

 

 頭の中から響いた声に、彼女は心底驚愕し……それが、魔法によるものである事を経験から気がついた。

 だが、おかしいのは声の主だ。彼女はこの声の主に覚えが無い。今の人類側の戦力としては、魔法詠唱者(マジック・キャスター)は貴重である。その中で更に信仰系魔法詠唱者(マジック・キャスター)は貴重だが、魔力系魔法詠唱者(マジック・キャスター)も貴重な存在だ。彼女が知らない、というのはあり得ない。そして巻物(スクロール)を使用したにしても、やはり彼女に話しかけるような存在となると彼女が知らないというのはあり得ないし、彼女にここまで不躾に話しかける人間はいない。

 故に彼女は内心首を傾げ、声の主に問うた。

 

「誰よ、貴方」

 

『通りすがりの魔法詠唱者(マジック・キャスター)、とでも言っておこう。特大級の魔法を使ってやろう。どこに撃って欲しい? 俺は生憎だが、PVPはともかく、こういった大規模戦争についての知識は無い。どこに撃てば効率的だ?』

 

「――――」

 

 その時、彼女の中にはあらゆる可能性が脳裏を過ぎった。その可能性の中でももっとも高いのが、これが敵の罠である可能性。そして一番確率が低いのが、この言葉が真実の可能性。

 

「――――」

 

 彼女は考える。考えた。一瞬の間に様々な事を考えた。しかし最後に脳裏を過ぎったのは――彼女も話を聞いた、かつて通りすがりの魔法詠唱者(マジック・キャスター)に助けてもらったという、ある姉妹の話だった。

 

「……あそこに撃って」

 

 彼女の戦闘経験から導き出された、おそらくもっとも苦しい状況になっている、自分がいる位置とは違う場所を声の主に説明する。そして――彼女は最後に、ぼそりと呟いた。

 

「お願い、助けて――神様(ぷれいやー)……」

 

 彼女の耳に、声の主が「是」と答えたのが聞こえた。

 

 

 

 ――そして、最初に彼女が異変に気づいた。

 彼女の目には、黒い風が先程魔法詠唱者(マジック・キャスター)に説明した箇所を通り抜けていくような光景が映ったのだ。当然、そんな黒い風が見えたのは彼女だけだ。他の誰も気づいていない。そして風が通り抜けた後、魔物達が同じようなタイミングで倒れ、初めて他の者達も異常に気がついた。

 そしてその誰もが死に絶えた地に、黒い粘着質な液体が地面に落ちて弾ける。粘着質な黒い液体は徐々に形を作っていき――幾つもの触手が生えた、五体の黒い仔山羊が姿を現した。

 黒い仔山羊達は愛くるしい鳴き声を発しながら、全力で魔物達の群れに突進し薙ぎ払っていく。その姿を呆然と、戦女神と人間達は眺めている。

 魔物達は絶叫を上げ、大慌てで撤退していく。その後ろ姿さえ、黒い仔山羊達は追いかけていった。

 しかしずっと追いかける気はなかったのか。一定の距離まで魔物達が逃げ出すと黒い仔山羊達は足を止め、散開して周囲を歩き回る。戦女神はふと視線を空へ上げた。

 

 空に、漆黒のローブを纏った仮面の魔法詠唱者(マジック・キャスター)が浮いている。

 

「あ……」

 

 その魔法詠唱者(マジック・キャスター)が先程の声の主だと、戦女神は察した。仮面の魔法詠唱者(マジック・キャスター)は地面に降りると、戦女神の前に立つ。

 豪奢な漆黒のローブにマント。その装備から見て取れる圧力から、仮面の魔法詠唱者(マジック・キャスター)の正体を戦女神は察した。戦女神の装備と同じような気配を感じ取ったからだ。目の前の仮面の魔法詠唱者(マジック・キャスター)はスレイン法国が――戦女神が長年求めてやまなかった、救いの主(ぷれいやー)であった。

 

「貴方は、神様(ぷれいやー)……?」

 

「……ああ。俺はユグドラシルプレイヤーだ」

 

 戦女神の言葉に、仮面の魔法詠唱者(マジック・キャスター)は頷いた。戦女神は頽れる。地面に座り込み、涙を流して喜んだ。戦女神のもとまで駆けていた神官も、その話を聞いて嬉し涙を流す。

 ずっと待ち望んでいた、救世主。魔法のたった一撃で、広範囲を殲滅する事が可能な高位の魔法詠唱者(マジック・キャスター)。今ここにいるのは、まさしく彼女達が求めてやまなかった真実の救世主だ。

 たった一人の英雄では無い。たった一人だけれど、でも数の暴力を引っくり返せる、本物の救世主がようやく、人類の前に現れたのだ。

 

 

 

 

 

200/

 

 

 

 死の神と戦女神に率いられた人類は息を吹き返した。死の神は数多のアンデッドを召喚し、壊されるまで決して消えぬその死者の軍団は疲労を知らず戦い続けた。

 戦場で戦う者達は死の神に嘆願する。どうか頼む、我らは死しても人類のために戦いたい。だからどうか、我らをその死者の軍勢に入れて欲しい――と。

 死の神はその嘆願を聞き入れ、戦場で死んだ者達は死の神の力が続く限りアンデッドとして再誕した。そして死者から作られたアンデッド達は決して消えない。壊されるその瞬間まで、全力で戦い続ける。

 

 それはまさに神話の軍勢だった。決して疲労せぬ、永遠に戦い続ける死を撒き散らす死者達。

 

 そしてそのおかげで人類には僅かではあるが余裕が出来た。その間に、彼らは全力で立ち上がる。

 死者の軍勢に入れぬ者達……その日の人数制限に入れなかった戦死者や、病気で死んだ者達は残らず皮を剥がされマジックアイテムに加工された。その死体は後日、死の神が死者の軍勢に組み替える。戦争からの生還率が上がった人間達は経験値を蓄え、次第に強くなっていく。魔法の位階が上がっていく。

 更に、死の神の叡智は深く……人間達に最適な職業構成を組み立てていく。ジェネラル、ガーディアン、レンジャー、ドルイド、ウィザード……そこに法国の今までの経験が合わさり、更に生まれながらの異能(タレント)が追加されるのだ。人類の戦力は次第に強化されていった。

 

「――ありがとうございます。死の神よ。貴方のおかげで、我らは救われました」

 

 ――死の神は、モモンガはそう言って死ぬ人間をもう何度看取ったか分からない。誰もが、彼に感謝の言葉を捧げ、魔物達に怨嗟の声を上げ、これからも人類のために戦い続ける事を喜んだ。

 人類は狂っている。彼はそう思う。人々らはもう人類が生存競争に勝ち残るためならば、既に自らの命を捨てるほどに追い詰められていた。

 けれど、それを美しいと思う。彼らは輝いていた。人類が生きているかぎり、いつか出逢える運命の人を待っていた。人々は来世を信じて息を引き取っていく。いつか訪れる平和を、心の底から信じていて、愛していた。

 

 モモンガは信じている。信じたいと思っている。いつかきっと、人々が愛する人と出逢える事を。いつかまた、ただ生を謳歌する人間達に出逢える事を。

 そのためにモモンガは戦い続けた。その輝きを愛していた。その輝きを守るために戦い続けた。

 戦女神はモモンガが切り開く道に続いていく。その後ろを、人類が懸命に走っている。

 モモンガも戦女神も、本当はもっと速く走れるのだ。モモンガも、きっと戦女神も、もっとずっと速く走れるし――モモンガに至っては、きっとこの世の終わりまで静かに過ごそうと思えば過ごせただろう。

 人類の歩みはゆっくりだ。彼らはどれだけ走ってもモモンガや戦女神の強さに追いつけない。そして二人より長く生きられないから、道半ばで倒れていく。

 

 それでも―――彼らの道は続いていた。まるでリレー競争だ。バトンを渡して次世代に繋ぎ、彼らは懸命に走っている。

 平和を目指した。それがきっと、単なる幻想の中にしか無いのだと分かっていても。その奇蹟に向かって、彼らはずっと、命が続く限り走っている。

 

「だから俺は――その輝きを愛しているんだよ、ツアー」

 

 だから人の輝きを愛する死の神は、目の前の白金の竜の王にそう告げた。

 

 

 

 そこは世界の最果ての国。竜達の王国。黄昏の空の下で、死の神と竜の王は対峙している。

 

 

 

 人類の前に死の神が再臨してから一〇〇年――その間沈黙を守っていた評議国はついに動き出した。いや、あるいは死の神のマジックアイテムが尽きるのを待っていたのかも知れない。

 彼らはユグドラシルプレイヤーを憎む者。この世界の調停者。混沌を嫌う、秩序を好む真なる天上の主達。

 だが、彼らの俯瞰は天上の主であるが故に、矮小なる人類の姿など見えていない。見えていたとしても、たかが一種族の滅亡などに心など動かさない。

 何故なら、竜とはひたすらに強大で、巨大だから。人が蟻の姿が見えぬように、彼らに人類の姿など見えはしないのだ。

 

 人間種達が滅びゆく事に興味が無く、彼らはひたすらに世界を見据えている。

 だからこそ、彼らはユグドラシルプレイヤーを憎んでいる。

 静かに何もせず暮らすのならば許そう。あるいは人間種達が自らの力で戦況を引っくり返すのならば見過ごそう。

 だが、人間種達はもっとも彼らが嫌う手段で滅びを回避しようとした。ユグドラシルプレイヤーの力によって、再び滅びの運命を忌避しようとしている。

 それは世界の調停者たる竜の王にとって、見過ごせるものではない。

 

 故に、竜の王は、ツアーは、ここに二代目の死の神と対峙した。

 

「その輝きを否定しない。生きているかぎり、ひたすら死を避けようとするのは生命としての最低限の責任だ。生まれたのならば生きなければならない。私はその生への貪欲さを、生を謳歌しようとする浅ましさこそが“命の輝き”である事を否定しない」

 

 死の神の言葉を、竜の王は肯定する。その執念から生まれるドラマを美しいと思う心も否定しない。

 

「けれど、彼らは死ぬべきだ。スレイン法国を見るがいい。八〇〇年前この世界に訪れた六人のぷれいやーの手で作られた国の末路を。ひたすらに生き足掻こうとした者達の生き汚さ。滅びを回避しようとするあまり、彼らは周りに滅びの要因を押し付けている」

 

 死の運命を受け入れられない、という言い分は分かる。ひたすらに生きたい、と願う気持ちも分かる。生きるという事に嘘も真も有りはしないだろう。

 だが、だからと言って自分達以外に滅びを押し付けていいはずが無い。そうして滅びを押し付けていって、最後に人間種だけが残った時――彼らは自滅するだろう。そうして、最期には何も残らない。

 

「その末路を、この世界に生きる一個の生命として、私は受け入れることが出来ない。生存競争の果て、最期に訪れるのが誰も残らない自滅だなんて――そんなものを許していいはずがない。育まれた命の行き先が、自滅という名の愚かしい行き止まりだなんて、そんなことを許していいはずがあるものか。君は、その未来を肯定すると言うのか、モモンガ」

 

「いいや、俺はその未来を肯定しない」

 

「ならば――」

 

 けれど、死の神は竜の王に告げる。

 

「けれど、俺はその輝きを愛している。彼らの行き先がどうしようもない自滅だとしても……俺は、彼らを好きになった。俺にとっては、それだけが事実で、真実だ」

 

 滅びの間際、自分のために祈ってくれた少女がいた。

 勝ち目の無い戦いの中、生きたいという者達のために戦っている女がいて。

 懸命に、命をすり減らしながら未来を信じて戦うちっぽけな命がある。

 

「俺は、彼らと共に生き――彼らが滅びる時、共に死のう」

 

 抗うのだ。最後の、最期まで。その奇蹟に辿り着ける可能性を信じて。

 

「――――」

 

 竜の王は押し黙る。もはや死の神の説得は不可能だ。彼はとっくの昔に不治の病に侵されている。人間種への恋煩いという、どうしようも無い病に侵されている。

 故に、竜の王が死の神のために出来る事はこれだけだ。

 

「――どれだけ君が信じても、自滅(それ)が彼らの現実(みらい)だ」

 

 その、未来に訪れる現実を、ユグドラシルプレイヤーだけは知っていたはずだ。何故なら彼らの世界は末期で、今まさに人間種のみが生を謳歌し、滅びに向かおうとしている最中なのだから。

 

「分かっている。俺は間違っているのだろうさ、ツアー。人間は死ぬべきだ。助けてやったところで、きっといつか忘れ去られる日が来るだろう。きっとこの戦争の中で彼らが見出した答えも、時間の流れの中で忘れられる。後には当たり前に生を謳歌するあまり、命の価値と輝きを忘れた者達だけが残される。きっと、未来はそうなるだろう」

 

 死の神は竜の王の言葉を否定しない。どれだけ輝きを愛していても、その先に訪れる破滅がユグドラシルプレイヤーである彼には視えている。人間種だけが生き残った未来の果てから、彼らはこの世界にやって来たのだから。例え奇蹟を信じても、嫌なところで冷静な彼には現実が視えていた。

 

「それでも、俺は彼らを信じたいんだよ、ツアー」

 

「――それを信じていいのは、この世界で生まれ生きる者達だけの特権だ。モモンガ――君達(ぷれいやー)が信じるべき人類は、この世界になど存在しない」

 

 それは不倶戴天。宿敵。あるいはコインの表と裏。決して交わる事の無い、鏡の向こう側。

 決別の言葉は成った。後はただ、終わりに向かって加速するだけである。

 

「故に、滅びろ。勝つのは俺だ。人類史の開闢に散る花となれよ」

 

「故に、滅びろ。勝つのは私だ。世界の調停のための礎となれよ」

 

 世界の最果ての国。黄昏の空。幾つもの星が、綺羅綺羅と輝いている。

 

「――来るがいい、ツアー」

 

「――いくぞ、モモンガ」

 

 白金の竜の王が黄昏の空を駆ける。漆黒の死の神は流れ星を落とさんと再び空に花火を打ち上げた。

 太陽が沈み空から光が消えると共に、どちらかの命も潰えるだろう。

 

 ――――大陸の、世界の果ての国で黄昏の空を綺羅綺羅と輝く星が幾つも弾け、そして消えた。

 

 

 

 

 




 

 エンリは「浄化の光」を放った!
 番外席次は「浄化の光」を放った!
 人類は「浄化の光」を放った!

 魔王モモンガが仲間になった!

 ■人類滅びの要因
 ・陽光聖典 壊☆滅
 ・モモンガ、大陸を脱走する
 ・ツアー「ぷれいやー、死すべし」

 ……単なる妄想一発ネタだから、この話を本気にしちゃだめだよ。


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