コードギアス―抵抗のセイラン―   作:竜華零

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今週も無事にお会いできて嬉しいです。
今話は、ある意味でターニングポイントになります。
オリジナル要素、入ります。
では、どうぞ。


STAGE17:「カミ の いた シマ」

 伊豆諸島の早朝、まだ朝日が昇るか昇らないかと言う薄明の時間。

 冷たく波が穏やかな海の上を、1隻の小型ボートが走っていた。

 白基調に青の翼のような模様が側面に描かれた、オープンタイプのモーターボート。

 

 

「北緯34度15分、東経139度13分……」

 

 

 その運転席で1人(ハンドル)を握るのは、前髪と後ろ髪を揃えたおかっぱな黒髪の少女だ。

 黒のスタンダードシルエットブレザーのような服を着ていて、これは襟などにオフホワイトのトリミングが配色されているタイプだ。

 2つボタンのそれにグレーチェックのスカート、白のシャツと赤のタイ、膝丈までの黒ニーハイソックスに黒のローファーと、女学生のような出で立ちである。

 

 

 しかし少女、つまり青鸞は小学校を最後に学校には通っていない。

 実はキョウトの根回しで卒業資格は持っているのだが、通ったと言う実績はゼロである。

 学力自体はあるのだが、年齢に見合った学生生活と言うのは経験していない。

 まぁそれは7年前の戦争に負けて以降、日本人にとっては珍しくも無いことだが。

 

 

「たぶん、このあたりだと思うんだけど」

 

 

 彼女はともすれば朝霧で見失いそうな視界を、計器と地図を頼りに進んでいる様子だった。

 現代的な地図を片手で器用に畳み、変わりにブレザーの胸ポケットから古い紙を取り出す。

 風に煽らせるように開いたそれは、地外島の枢木邸で見つけた地図だ。

 これを今の地図に照らし合わせると、奇妙なマークをつけられた島が意外と近くにあることがわかったのだ。

 

 

「……アレ、かな?」

 

 

 水平線の向こうに、まだ小さいが島影が確認できた。

 地図と計器を確認すると、どうもあの島らしいことがわかる。

 距離はそれ程ではなかったが、無人島だけに測量データが無く、それだけが不安だったのだ。

 

 

 それも、1人で来ているのだから。

 何人かついて来てくれようとしたのであるが、青鸞の方から断ったのだ。

 何の意味がわかるかわからないし、これは自分のルーツ探しの一環なのだから。

 一応、緊急時の連絡方法だけ決めて……後の皆には、次の移動の準備を進めておいて貰っている。

 

 

「……カゴシマか」

 

 

 遠くに見えてきた島の影を目を細めて見つめながら、青鸞は呟いた。

 カゴシマ、つまりはキュウシュウ南部である。

 皆で話し合って決めたことだが、今度もなかなか厳しいことになりそうである……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 青鸞が次の行動目標地にカゴシマを提案したのには、いくつかの理由がある。

 カゴシマもそうだが、キュウシュウはホッカイドウ・オキナワと並んでトーキョー租界のコーネリア軍から最も遠い位置にあり、その圧力が比較的弱い。

 それ故に、トウブ・チュウブ・セイブ軍管区に比べて反体制派勢力が根強く残っている。

 

 

 そしてキュウシュウの位置だ、キュウシュウとホッカイドウにはある特徴がある、海外への亡命ルートを持っていることだ。

 前者は中華連邦、後者はロシア方面――ロシアへのルートは、すでにブリタニアによって封鎖されてしまったが――へのルートがあり、カゴシマは亡命の一大拠点なのである。

 そこにはそのルートを管理する旧日本の政治家達がいて、青鸞は彼らに会う必要を感じていたのだ。

 

 

「そう言うわけで、出来ればすぐに移動の準備に入ってほしいんだけど……」

 

 

 彼女がそう言う話をしたのは、青鸞が島へ向かう前の夜のことである。

 夕食後、子供達が寝静まった後での食堂での話し合いだった。

 数十人の軍人を前にしたプレゼンのような物であって、なかなかに緊張したのだが。

 

 

「青鸞サマ、黒の騎士団と合流するんじゃなかったんですかー?」

 

 

 山本あたりが非常に緩かったので、ナリタの幹部連を前にするよりは随分と楽ではあった。

 ほとんどが護衛小隊のメンバーであったことも、影響していたのかもしれない。

 

 

「黒の騎士団に合流するかどうかは、解放戦線の残存拠点との連絡を取ってる最中なので、今すぐどうこうと言うのはこの際考えなくて良いと思う、まだ、今の所は、だけど」

「ははぁ……でも、カゴシマねぇ。誰かカゴシマ出身か、配置されてた奴っているかー?」

 

 

 カゴシマは現在、ブリタニアの租界と軍基地がある土地だ、もちろん戦前には日本軍の基地だった。

 しかし山本が周囲に緩く聞いてみた所、周りの人々からは「いや」とか「さぁ……」とか後ろ向きな答えしか帰って来なかった。

 どうやらカゴシマやキュウシュウにいた人間はいないらしい、それ自体は珍しくも無い。

 

 

「俺、イワクニにいたことはあるんだけど……フクオカより南のことはわからないなぁ」

「情報部に配属されてた奴、いなかったっけか?」

「ここにいるの前線組か整備組でしょ? 情報関係はいないわよ」

「となると、ひょっとして観光本に書かれてるくらいのことしかわからない?」

「使えねーなー、俺達」

「あ、あのー……」

 

 

 ガハハハ、と笑い合いながらカゴシマとキュウシュウのことについて話す皆に対して、やや遠慮がちに

青鸞は声をかけた。

 その表情はどこか拍子抜けと言うか、意外と戸惑いを織り交ぜたような表情だった。

 

 

「えっと、カゴシマ行きで良いの?」

「良いも何も……」

 

 

 そう聞くと、逆にきょとんとした表情を返されてしまった。

 

 

「青鸞サマが行くって決めたなら、護衛としちゃそこについてくしかないでしょーよ」

「隊長の言はともかく、私達は私達ですでに決めているので……」

 

 

 何を決めているのか? それは、青鸞と共に行くことをだ。

 理由は様々だ、命令・情・流れ・成り行き・使命・責任、その他諸々。

 ただ青鸞と行くと決めた時から、彼らは一つ己の胸の内で決めていた。

 

 

 自分達は枢木青鸞と言う、日本解放に向けて愚直に進む少女を支持すると。

 ほんの数ヶ月だが戦場を共にして、そう決めたのだ。

 そして支持すると決めた以上、その判断に従うことを。

 1ヶ月前、キョウトで、何をすべきかを迷っていた自分達の所に青鸞が来た時から。

 

 

「むしろそうして包み隠さず話して頂けるおかげで、私共としても気を入れて事に当たれますので」

 

 

 佐々木が相変わらずのクールビューティーぶりでそう言う、それを青鸞は少し意外な心地で聞いていた。

 青鸞としては、上下関係の無い「仲間」と言う認識の方が強かったからだ。

 だからこそ方針を決める時は皆で話し合う、自分はあくまで提案役か何かだと思っていた。

 ついて来てくれる、というより、一緒にいてくれる、の方が意識としては正しいだろう。

 

 

 だからこそ、山本達の言葉は青鸞にとってはくすぐったかった。

 年上の軍人が自分のような小娘に信服している、などとは思えない。

 それこそ、草壁が言っていたように。

 

 

「で、どうするよ」

「まずは荷物の積み込みでしょ、役割分担……男って何人いたっけ?」

「「「あ、力仕事ですね。わかります」」」

 

 

 それでも、自分の提案について話し合いを続ける背中は頼もしくて。

 だから青鸞は、それだけで嬉しかった。

 今こうして、同じ何かを求めて誰かと行動できることが。

 前提が間違っていたとしても、今は正しいと思えるから。

 

 

「あ、そうだ……野村さん、ちょっと聞きたいことが」

「む、何ですかな」

「ええと、ちょっと知ってたらどんな人か教えてほしい人がいて」

 

 

 ここにいる人間では一番年季が入っているだろう野村に、青鸞はある人物について聞いてみた。

 それは、父の手記に何度も名前が出てきた男のことで。

 

 

「三木光洋、って言う人のことなんだけど……」

 

 

 それは、過去を追う旅でもあった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 時間を戻し、さらに進めて、青鸞はすでに島の中にいた。

 もふっ、と小ぶりな口に詰め込むサンドイッチは雅の作ってくれたお弁当である。

 すでに日は高く昇っていて、すでにお昼頃の時間だと言うことを示していた。

 

 

 小高い丘から緩やかに下る丘陵、そこにある低い岩の上にハンカチを敷いて座り、お弁当のサンドイッチを食べる少女。

 学生チックな衣服と相まって、まさに遠足に来たお嬢様の絵である。

 青鸞自身、自分が何をしに来たのか忘れそうになるほど穏やかな島だった。

 

 

「何かあるかと思ってやってきたものの……ま、同じ伊豆諸島の島だしねー」

 

 

 青鸞としても、特に何かを目的にこの島に来たわけでは無い。

 父の手記に挟まっていた地図が気になったことと、後はいろいろと考えたいことがあったのだ。

 1人で来たのには、そう言う理由もある。

 

 

 この時点で彼女が考えることと言えば、まず自分のことだ。

 枢木青鸞、名前ばかりの枢木家の当主。

 財産などの管理もキョウトの大人達がしているので、まさに名前だけだ。

 そんな当たり前のことも、今まで考えたことも無かった。

 ただ勘違いしてほしく無いのは、別にマイナスに考えてそう思っているわけでは無い。

 

 

「財産とかはどうでも良いけど、逆に言えば有効活用できてないってことだから……ね」

 

 

 お行儀が悪いかな、と思いつつ指先についたパンくずを舐め取る。

 岩から飛び降りて、お尻に敷いていたハンカチとサンドイッチの包みの布を手に取り、再び丘陵を下るように歩き出す青鸞。

 その間にも、彼女は周囲を散策しつつ考えを続けた。

 

 

 考えることがあるとすれば、他には日本解放戦線のことだろう。

 解放戦線は今、纏め役を欠いている。

 トップである片瀬を失い、コーネリア軍に拠点間のラインを潰され、統一した行動が取れずにいる。

 

 

「正直、ボクの名前だけじゃ集められないのは事実なんだよね」

 

 

 まがりなりにも少将の地位を得ていた片瀬とは、名前だけでも意味も重みも違う。

 ナリタを失った日本解放戦線の残党は、大きく分けて行動を3つに分けることが出来る。

 まず1つは黒の騎士団に吸収されるパターン、これが3分の1。

 そして2つ目はコーネリア軍に潰されるか降伏するパターン、哀しいが現実にあることだ。

 

 

 最後の残り3分の1が3つ目だ、あくまで反体制派として活動を続けるパターン。

 青鸞が現在日本解放戦線として認識しているのはここだが、先に言ったように統一された活動は行えていない。

 それこそ青鸞の名前だけでは動かせない、このままでは分裂してしまう。

 何とかしなければならないのだが、これがなかなか難しい。

 

 

「黒の騎士団に参加する……のも手ではあるけど、ただ参加するだけでも……」

 

 

 仮に参加するとしても、それではただの「保護」だ。

 それでは駄目だ、それでは日本解放戦線の兵達は納得しない。

 新参者の黒の騎士団の兵とのバランスが取れない、青鸞がこの段階で黒の騎士団への参加を躊躇うのはまさにその点だった。

 

 

 どの道、黒の騎士団の中で最大派閥となるのは日本解放戦線の兵だ。

 それを無視して合流することは出来ない、だがあのゼロがそれを認めるだろうか。

 まぁそれも、青鸞が日本解放戦線を再編できれば……の話だが。

 今の所、青鸞にはその手段が無かった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 丘陵を下り森に入ると、森の真ん中あたりで少し開けた場所に出た。

 潅木が生い茂る木々に囲まれて隠されていたそこは、地下洞窟のようだった。

 ナリタでも慣れ親しんでいる地下道が奥へと続く洞窟、その入り口に立つ。

 すると気のせいか、風が洞窟内に向かって吹いていて……まるで、吸い込まれそうな錯覚を覚えた。

 

 

「ここ、何だろ。自然に出来たにしては天井高いし……ん?」

 

 

 何も思わずに手近な岩に手をかけた時、青鸞は眉を顰めた。

 そのまま身を屈めて、岩の陰を見る。

 するとそこに、僅かだが何か重い物が沈み込んだような薄い穴が開いていた。

 それを見て、青鸞はますます眉を顰めた。

 

 

「……足跡?」

 

 

 土の盛り上がり方が強く、雨が降った日に重装備の人間がここに入ったのだろうと当たりをつける。

 岩の陰にあったため、それだけが巻き上げられた砂に消されずに済んだのだろう。

 警戒感が急速に鎌首をもたげるが、同時にその足跡がやや古い物であることもわかっていた。

 他の足跡が消えてしまっていることから、おそらく数日は経過しているだろうと思う。

 

 

 しかし例えそうだとしても、誰かがこの洞窟の中に入ったことは間違いなさそうだった。

 洞窟の中に向けて風が吹く中、青鸞は視線を洞窟の奥へと向けた。

 するとどうだろう、奥へ進むにつれて足跡の数が多くなっている。

 足が増えたのではない、最初からそれなりの人数が入り込んだのだ。

 

 

「……さてさて、鬼が出るか蛇が出るか……」

 

 

 無人島の洞窟で、誰が何をしていったのか。

 あるいは、今まさにしているのか。

 純粋な興味と懸念を得て、青鸞は奥へと進んだ。

 

 

 結果として言えば、これは間違いだった。

 

 

 心配せずとも、地下洞窟の中には今は誰もいない。

 この洞窟の奥にあるものを発見した者達はすでに去っており、今は無人だ。

 だから青鸞が奥へ進んでも脅威は無い、しかしある意味でそれ以上の事態が彼女を待ち受けていた。

 しかし二度に渡る「彼」との接触によって芽吹きかけた「それ」が、確実な目覚めを得てしまうことになる。

 

 

「……これ、人工物……?」

 

 

 緩んだ土を踏みしめる音と、天井の岩から滴り落ちる水滴の音、そして少女の息遣いだけが響く時間がしばらくの間続いた。

 しかし地下道は、それほど長くは続かなかった。

 その代わりにすぐに行き止まりに来た、断層がうねるように重なった地層の壁だ。

 

 

「扉……?」

 

 

 だが、地上の光がほとんど届かないそこには明らかに自然物では無い何かがあった。

 スカートの中、太腿に縛ったバンドから取り出したペンライトを振り、それを下から上へと照らしていく青鸞。

 断層を切り取って築いたようにも見えるそれは、石造りの両開きの扉だった。

 

 

 足元の階段を――これもやはり自然物では無い――ゆっくりと登り、それに近付く。

 やはり扉だ、暗くて全体像は見えないが間違いない。

 材質は石だろうか、かなり古いことはわかるが……どんな技術で作られたのかはわからない。

 ペンライト片手に顔を近づけてみても、考古学に造詣が深いわけでも無い青鸞ではさっぱりだった。

 

 

「何か、書いてある?」

 

 

 いや、描かれていた。

 明かりが小さいのでやはり全体像はわからないが、幾何学的な模様が刻まれていた。

 何故か、それが妙に気になった。

 だから青鸞は特に何を感じるでも無く、それこそその場の好奇心でもって。

 ――――それに、触れた。

 

 

「ん……?」

 

 

 ザラザラとした扉の表面に触れると、青鸞の顔が疑問に歪んだ。

 それは違和感となって身体に現れる、そして次の瞬間。

 血が、ザワめいた。

 

 

 そう感じる程の感覚が、突如身体の中を走ったのである。

 扉に触れた手が離せない、ペンライトを落とし、膝が崩れ落ち、触れた手の爪を削るように扉を引っ掻いた。

 額に脂汗が流れる、身体が震え出して止まらなくなる、息が出来ない。

 それらが全て、一瞬の内に起こった。

 

 

「あ、ぐ……。あ、ぁ……!」

 

 

 熱だ。

 熱が生まれる、血の源から、左胸の奥からそれはやってきていた。

 心臓から流される血の温度が突然200度上がったかのような熱が、一気に全身を駆け巡った。

 熱い、熱い、熱い。

 脳裏に浮かぶのはそれだけだった、視界が赤いのは熱のせいか、それとも扉が輝いているのか。

 

 

「な、なに……これは、なに……?」

 

 

 足元を失う浮遊感、頭の中でガンガンと声が鳴り響く、強烈なイメージが脳に直接叩き込まれるかのような痛みが数秒刻みで襲い掛かってくる。

 意味がわからない、何も考えられない、何が起こったのかわからない。

 誰か、助けを呼ぶ声はそれ以上の感覚によって焼き切られそうだった。

 

 

 脳に叩き込まれるのはイメージだ、グチャグチャの情報が一方的に叩きつけられる、整理されていないそれはもはやただの暴力だった。

 イメージは複数、人、声、光、白、女、影、言葉――――……。

 熱い、痛い、胸が、頭が痛い、死ぬ、死んでしまう、頭が痛い――左の胸が、痛い!

 

 

「……あつ、ぃ……!」

 

 

 うなされる熱病患者のような声で、石の扉に額を押し付けた青鸞が呻く。

 その声は、扉の模様が放つ薄く赤い輝きの中で哀しげに響いた。

 身体が、熱い。

 肌が焼かれるようなその痛みに、少女の目から涙が零れた。

 

 

「……あつい……よ、ぉ……!」

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 海中、潜水艦の中、その一室。

 潜水艦と言う本来なら狭苦しいはずの空間なのに、その部屋は意外と広い。

 しかし今は、そんなことは問題にならない、何故ならば。

 

 

「何……?」

 

 

 その部屋の中央に佇み、呆然とした表情を浮かべる少女こそが、この場における全てだったからだ。

 長い緑髪と白の拘束着が特徴的な彼女は、C.C.である。

 ルルーシュとナナリーの住むクラブハウスに居座っている彼女は、いつも冷然としていた。

 驚くことも動揺することもなく、むしろ見た目に反した落ち着きを持って事に当たっていたはずだ。

 

 

 しかし今、彼女は呆然とした表情を浮かべて天井を見つめている。

 天井には何も無い、だが彼女はまるでその先が見えているかのように見つめ続けている。

 瞳は驚愕に見開かれ、風も無いのに髪が揺れている。

 そして揺れる前髪の間から覗く額に、痣のような赤みがさしていた。

 いや、それは痣では無い。

 

 

「まさか、V.V.か……いや、そんなはずは無い。アイツは今……なら、誰だ。誰が動かした……?」

 

 

 軋む感情をそのまま表したかのような、頼りない声。

 今まで聞いたことが無い程の動揺が、そこにあった。

 室内に響くその声に応じる者はいない、だがC.C.はまるで誰かと話してでもいるように。

 

 

「お前達じゃない……? なら、本当に……?」

 

 

 誰と話しているのかは、わからない。

 だがC.C.の動揺は相当のものらしく、彼女はヨロめくように一歩を下がった。

 発作が徐々に緩んでいく病人のように、深い吐息を幾度も漏らして。

 

 

 そんな彼女の額には、ある刻印が浮かび上がっていた。

 赤く、額に刻まれたその印は、呪いだ。

 少女の額に痛々しく刻まれた、その印は……。

 ――――羽ばたく鳥のような、そんな形をしていた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ……気が付くと、扉から手を離していた。

 手を離し、膝立ちになって「何か」を見上げていた。

 その「何か」が何なのか、それはわからない。

 ただ仰ぎ見るように、闇の中で「何か」を見上げていた――――……。

 

 

「……あ」

 

 

 ビクッ、と身を震わせて、ぺたりとお尻を床につけた。

 スカートが汚れてしまうが気にはしない、ただ焦点が微妙に合っていないガラス玉のようだった瞳に、その震えは生気を戻してくれた。

 まるで、抜けた何かが戻るかのように。

 

 

 ぼんやりとしていた意識も、次第にはっきりしてきた。

 弛緩したように動かなかった筋肉も動くようになり、青鸞はこめかみに指を押し当てながら軽く頭を振った。

 その時、顔に当てていた側の手に何かが飛ぶのを感じた。

 

 

「……?」

 

 

 もう片方の手で、暗闇の中で床を探る。

 幸い、それ程離れていない位置で落としたペンライトが指先に触れた。

 気だるげな吐息を漏らしながらライトを照らし、手指についたそれを見た。

 

 

 赤い、液体。

 乾いていないそれは、血だ。

 引き攣ったように息を止めて、ゆっくりと顔に触れる。

 すると両頬が濡れていた、涙のように目尻から零れ落ちるようにして。

 いわゆる血の涙、だった。

 

 

「えっと……えーっ、と……」

 

 

 普段なら腰を抜かして仰天する所かもしれないが、今は妙に身体の反応が鈍い。

 それに見る限り、血と言うよりは血混じりの涙と言った方が正しいようだ、それでも大事だが。

 熱で脳のどこかが焼き切れてしまったかのように、今の青鸞の反応は鈍かった。

 左の胸の奥が、ズクン、と脈を打ったような気がした。

 

 

 その時、異変が起こった。

 いや、異変と言うのは正しくないのかもしれない。

 それは洞窟の中では無く、外で起こった変化だったからだ。

 洞窟の中にもその兆しがわかる、大型ジャンボ機が付近を飛行している時のような重厚感のある音が外から響いてきたからだ。

 

 

「こ、今度は何……?」

 

 

 青鸞のその疑問に答えるためには、視点を外へと向けなければならない。

 彼女がいる地下洞窟の直上、空にそれはあった。

 船である。

 そう、空飛ぶ船がそこにあった。

 

 

 御伽噺でもない、ふざけているわけでも無い。

 スタイリッシュなフォルムの戦艦が、空を飛んでいたのである。

 海でも地上でもない、空を。

 白い船体に黄色のトリミングを入れたカラーリングで、船体中枢を守るかのようにオレンジの装甲が陽光を反射していた。

 

 

「シュナイゼル殿下、予定より僅かに遅れましたが、到着致しました」

「うん、まぁ初めての長距離飛行にしては上手くいった方なんじゃないのかな」

 

 

 艦橋、一番高い位置に設えられた豪奢な椅子に座る男が、副官の報告に柔和に微笑した。

 金髪紫眼、スラリとした長身に柔らかな物腰、高位の皇族しか纏うことを許されない特別な紫の衣装。

 襟の高く丈が長い白い上着に身を包んだ彼は、どうやらその場で最も高い地位にいるらしい。

 

 

 艦橋には彼の部下の他に、エリア11では割と知られた顔が何人かいた。

 副総督であるユーフェミアがいる、シュナイゼルの権限で設立された特派の人間であるロイドとセシルがいる、そして――――……特派のデバイサーであるスザクが、どこか居心地悪そうな様子でそこにいた。

 椅子に座る男はそんな彼の様子が面白かったのか、品良く苦笑を浮かべていた。

 

 

「楽にしてくれて良いよ、枢木卿。ここにはキミの出自や人種を気にする人間はいないからね」

「は、いえ、あの……自分はまだ騎士ではありません、そのようなお気遣いは、その……」

「ああ、わかっているとも」

 

 

 楽にしてくれ、えてしてそう言う人間を前にして楽に出来る人間はいない。

 スザクはその1人だった、第一、彼はまだ「枢木卿」などと呼ばれるような身分を得てはいない。

 確かにナイトメアのパイロットは尊敬の念を込めて騎士と呼ばれるが、スザクは名誉ブリタニア人であって、どちらかと言えば「ランスロットのパーツ」として扱われているのだから。

 

 

 おまけに、今回は相手の身分が高すぎるのだ。

 何しろここにいるユーフェミアはおろか、トーキョーにいるコーネリアよりも上位の存在。

 それが、彼……シュナイゼル・エル・ブリタニアと言う男だった。

 神聖ブリタニア帝国第2皇子にして帝国宰相、あのブリタニア皇帝を補佐する人物なのである。

 正真正銘の、次期皇帝候補。

 

 

「ただ、ランスロットの開発の後ろ盾をしている私としては、キミにも幸せになってほしいからね」

「はぁ……」

 

 

 どう返答をしたら良いかわからず、曖昧に頷く。

 ロイドはいつも通りヘラヘラしているし、セシルも流石に緊張気味だ、ユーフェミアだけはニコニコといつもの様子で笑顔を浮かべていたが。

 ともかく反応に困る、それがシュナイゼルに対するスザクの感想だった。

 

 

 ――――それに、と、思う。

 艦橋のメイン画面の向こう、断崖絶壁に切れ込みが走ったかのような洞窟を見つめながら彼は思う。

 自分は……。

 

 

(僕は、幸せになってはいけない)

 

 

 脳裏に1人の少女を思い浮かべながら、スザクはそんな救いの無いことを考えていた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 現在、ルルーシュは黒の騎士団の規模拡大に動いていた。

 これには概ね2つの意味がある、1つは単純な組織の巨大化である。

 何しろ総勢65万とも言われるコーネリアエリア11統治軍と戦って勝利しなければならないのだ、兵力はあればあるに越したことは無い。

 

 

 もう1つは、黒の騎士団内部で急速に数を増しつつある日本解放戦線系列の兵に対する抑えだ。

 彼らの中にはルルーシュ=ゼロに対して忠誠・信頼を持っているわけでは無い、多くは藤堂のように「ゼロの才覚は有益」と判断して従っているに過ぎない。

 正直、配下としては扱いにくい兵達だった。

 特に四聖剣の朝比奈などは、隙あらば平然と独自行動を取りそうである。

 

 

(規模の拡大を急ぐためには、多少の主義主張の不一致は無視する必要があったが……)

 

 

 キョウトから供出させた黒の騎士団専用の潜水艦の通路を歩きながら、ルルーシュは黙して今後の戦略を考えていた。

 表情は黒の仮面に覆われて見えないが、仮面の下では必ずしも得意満面な表情を浮かべているわけでは無かった。

 むしろ、組織としての黒の騎士団は危機的な構造問題に直面していると言えた。

 

 

 元々、黒の騎士団と日本解放戦線では主義主張が微妙に違う。

 しかもお互いに「ナリタで助けてやった」「新参者の素人集団のくせに」と微妙な心理戦を繰り広げている、組織の中に組織があるような状態だ。

 黒の騎士団が日本解放戦線を吸収した、と言うより、黒の騎士団「と」日本解放戦線が同じ拠点で活動しているような状態なのである。

 

 

(青鸞がいてくれれば、それも少しは和らぐのだが)

 

 

 青鸞がいれば問題が解決すると言う意味では無い、ルルーシュが青鸞を信じていると言う心理的な意味だ。

 藤堂や朝比奈に心を許すルルーシュでは無いが、青鸞ならばあるいは、と言う意味だ。

 少なくとも、彼女ならば無断でルルーシュの背中を刺したりはすまい。

 朝比奈あたりなら平然とやりそうだ、ブリタニアを倒すと同時に返す刀で、などと言うのは。

 

 

 つまり彼は今、ゼロとしては黒の騎士団内で日本解放戦線閥に伍するだけの自派閥の数を必要としていて、ルルーシュとしては青鸞を必要としているわけである。

 この2つを手に入れることで、黒の騎士団は一応の完成を見ることだろう。

 元々、日本解放戦線上層部を崩壊させ、兵力と資源だけそっくり頂くのが計画だったのだから。

 

 

「C.C.、いるか?」

 

 

 ――――……まぁ、しかしである。

 ここに一つ、心理的な齟齬が存在することも忘れてはならない。

 つまり、青鸞の「ルルーシュへの信頼」がそのまま「ゼロへの信頼」にはならないと言うことだ。

 その点の解決策については、実際に青鸞が騎士団に合流した際のルルーシュの振る舞いにかかっていると言えよう。

 

 

「……どうした? 部屋の真ん中でぼんやりとして」

 

 

 ゼロ専用の部屋に入り、仮面を取りながらルルーシュはC.C.の横を通り過ぎた。

 ちなみにこの潜水艦は今日が初めて――試験航行は別として――の航海である、訓練も兼ねてナイトメアと人員を積み、トーキョー湾を抜けて伊豆半島近海の海中を進んでいる所だった。

 ちなみにC.C.が何故ここにいるのかと言うと、「ルルーシュを守るため」だそうだ。

 おかげで存在が騎士団の団員にバレたが、まぁ問題は無い。

 

 

「おい、C.C.」

 

 

 別にお喋りしたいわけでは無いが、こうまで公然と無視されると苛立ちもする。

 改めて声をかけるが、部屋の真ん中に立っているC.C.の反応はやはり鈍かった。

 その代わり、どこか胡乱げな、面倒事が増えたと言わんばかりの顔でルルーシュを睨んできた。

 

 

「ルルーシュ」

「……何だ?」

 

 

 いつになく苛立ちのこもった声に、内心で首を傾げる。

 ルルーシュはC.C.が嘲笑したり悲しんだりする所は見たことがあったが、八つ当たりのような怒りを向けられたのは初めてだった。

 まさか、ピザが無いことに対して不満があるわけでもあるまい。

 

 

「お前の女が1人、危機に陥っているぞ」

 

 

 何やら凄まじい偏見と誤解に塗れた言葉に、ルルーシュは思い切り顔を顰めた。

 妹に朝帰りを叱られてもここまででは無いだろう、それはそんな顔だった。

 しかし彼のそうしたある種の余裕は、C.C.の次の言葉で一挙に失われることになった――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 そこは、酷く非現実的な場所だった。

 石造りの祭壇のみが、夕焼けのように赤い空の上に浮いている空間。

 現実的では無い、どこか実感の湧かない世界。

 

 

 その祭壇に、1人の老人が立っている。

 いや、彼は本当に老人なのだろうか?

 髪こそ白髪で、顔に刻まれた深い皺は年齢を感じさせるが、眼光は鋭い。

 傲然と反り返った厚い胸板、この世でただ1人だけが着ることを許された豪華な衣装とマントに包まれたその身は老いによる衰えなど感じていないかのようだった。

 

 

「ほぉう……」

 

 

 夕焼けの世界で、その老人が感嘆するような声を上げた。

 重厚感のあるその声は、まるで空間全体に響き渡るかのようだった。

 しかしその空間も、今はどこか揺らいで見える……。

 

 

「やはり、彼の地か……」

 

 

 血のように赤い空を見上げながら、老人は呟く。

 その目はどこか遠くを見ていて、目の前の現実を映していないように見えた。

 

 

「嬉しい誤算、だ。……なぁ、マリアンヌよ……」

 

 

 その老人の名は、シャルル・ジ・ブリタニア。

 世界の3分の1を領有する大帝国、神聖ブリタニア帝国の頂点に君臨する男。

 彼はそう言って、彫りの深い顔に笑みを浮かべたのだった。

 

 




採用衣装:
相宮心さま(小説家になろう)さま提供:学生服風の服。
ありがとうございます。

 はい、今話でもしかしたら、この物語に青鸞がどう関わるのかが見えてきたかもしれません。
 現実世界と超常世界、2つの世界で戦うのがこの「コードギアス」の世界の特徴。
 理由・背景・展開、これから先は私にも予測できません。
 さぁ、頑張るぞ!
 というわけで、次回予告……今回は何と、魔王様にご登場頂きます!


ルルーシュ=ゼロ:
『俺の女の1人だと? C.C.め、相も変わらず意味のわからないことを。

 彼女はそんな存在では無い、だが無視も出来ない。

 ゼロとしても、ルルーシュとしても。

 ナナリーに友人を失わせないためにも、俺は行く。

 待っていろ、青鸞。

 スザク、お前が彼女を守らないと言うのなら……』


 ――――STAGE18:「仮面 の 皇子様」


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