コードギアス―抵抗のセイラン―   作:竜華零

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今週は月金の投稿になります。
では、どうぞ。


STAGE19:「ゲンブ の 影」

 9月下旬、島に一つだけある小さな船着場に彼はいた。

 踏めば軋む木造のそこに立ち、首にかけた小さな双眼鏡で水平線を窺っている。

 古ぼけた小さな漁船が停泊しているだけのそこは、煙にも見える朝靄に覆われていた。

 

 

 やや頬のこけた顔、だが対照的に身体はガッチリとしていて、肌は赤銅色に焼けていた。

 小柄だがそう見えないのは、骨格と筋肉がしっかりとバランスよくついているからだろう。

 使い古された黒のタンクトップにカーキ色のカーゴパンツを着用しており、どこか現場労働者然とした雰囲気を漂わせている。

 

 

「……ふぅ」

 

 

 水平線の向こうに何も無いと確認したのか、彼は息を吐いた。

 それはどこかほっとしているような、それでいて残念そうな、そんな吐息だった。

 そして彼が踵を返して島に戻ろうとした、その時。

 

 

 パシャリ、と、水が跳ねたような音が響いた。

 

 

 男が驚き振り向くと、船着場下の海水の中から誰かが這い上がってくる所だった。

 てっきり船か何かでやってくると思っていたため、足元を見るのを忘れていた。

 その人物はまず上半身を押し上げ、足を船着場の床板に乗せて身体全体を上げた。

 身体にフィットするダイビングスーツのおかげで、その人物が女性であることがわかる。

 いや、女性と言うより発育途上の少女と言った方が正しいだろう。

 

 

「おお……」

 

 

 男が息を呑む前で、その少女が男の前に立つ。

 顔を覆うゴーグル越しの視線が、男を静かに見つめていた。

 凹凸の未発達な少女の身体を覆う濃紺のダイビングスーツは、脇の下から腰にかけてのラインが薄青で、腰に幅の太いベルトを巻いたデザインになっていた。

 そして少女がゆっくりとゴーグルを取ると、水分を含んだ黒の前髪が揺れる。

 

 

「……初めまして、いえ、父様の手記によれば1歳頃に会っているそうなのでしたか」

 

 

 朝靄のかかった船着場に、少女の涼やかな声が響く。

 

 

「お久しぶりです、三木の小父さま」

 

 

 その少女、枢木青鸞の言葉に、三木光洋はどこか哀しげに眉を寄せた。

 どこか過去を見るような男の瞳を、青鸞は顎を引いて受け止めた。

 かつて父が最も信頼したと言うその軍人の、何かを諦めたようなその瞳を。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 神根島での作戦からおよそ1ヶ月、この間にルルーシュ=ゼロは2つの大きな変化に直面していた。

 第1にスザクとの関係だ、週に1度のペースで学校に来る彼とはすっかり疎遠になっていた。

 これはルルーシュの側が避けているのであって、直接会えば青鸞のことについてアレコレ言いそうになってしまうためだ。

 

 

 そして第2、こちらはゼロとしての活動も関わってくる。

 ナリタの戦いで、シャーリーの父親が巻き添えになったのは先に説明した通りだ。

 そのシャーリーに、ルルーシュがゼロであると知られたのである。

 原因は、マオと言う青年。

 

 

「……他に、俺以外に契約者はいないのだろうな?」

「ああ、いない」

 

 

 クラブハウスの自室、眠っていないのだろう、ルルーシュの目の下にはうっすらとだが隈が出来ている。

 自室の机に座り、組んだ拳に額を押し付けている。

 そんな彼を、入り口の扉にもたれかかったC.C.が見ている。

 

 

 ルルーシュの力、ゼロの奇跡の源である「ギアス」は、C.C.が与えた物だ。

 そしてマオも、C.C.によって10年前に力を与えられていた。

 C.C.が彼を捨てた理由は知らない、だが「他人の心を読む」力は脅威だったとだけ言っておこう。

 結果として、マオとの争いによってシャーリーがルルーシュの秘密を知った。

 ――――そして、その記憶をルルーシュのギアスによって封じた。

 

 

「…………」

 

 

 珍しく、C.C.はルルーシュに対して毒を吐かない。

 別にマオ――最終的にはC.C.自身の手で殺した――の件で負い目を感じているわけでは無い、

 何故なら、彼女が負い目を感じる必要はどこにも無いからだ。

 自分以外の契約者がいるかと聞かれたことも無ければ、自分以外にギアス遣いがいるかと確認されたことも無い。

 

 

 積極的に話す気も無かったが、消極的に黙っている気も無かった。

 マオの死にしても、感傷的になることはあっても……結局、「契約」を果たさなかったマオの責任だ。

 どうせ死ねば「同じ場所」に行くのだし、C.C.にとってはそれが……。

 ……いや、今は良い。

 

 

「……潜水艦を移動する拠点にするのには、利点もあるが限界がある……」

 

 

 その時、ルルーシュが小さな声でそんなことを呟いた。

 それはゼロとしての言葉であって、C.C.には彼がゼロとしての活動に意識を向けることで現状を抜け出そうとしているように見えた。

 実際、ゼロにとっても今が正念場なのである。

 

 

 日本解放戦線の残党の半数以上を吸収し、自派閥とも言える騎士団のメンバーも増え、さらにキョウトの支援によってエリア11最大の武装勢力へと成長しようとしている。

 結成から僅か数ヶ月、まさに異常な成長速度だ。

 それも、ギアスを用いた「ゼロの奇跡」のおかげと言えた。

 ――――最も、C.C.は似たような手段でより大きくのし上がった男を知っているが。

 

 

「組織を「国」へと発展するには、やはり拠点がいる。拠点に固執するつもりは無いが、日本人の心に訴えかけるような拠点があれば……」

 

 

 そういえば、と、ルルーシュは僅かに顔を上げる。

 青鸞が今、カゴシマにいるのだったな――――と、そう考えながら。

 カゴシマ、旧名サツマ。

 約150年前、当時のトーキョーの中央政権を打倒した歴史を持つ土地。

 そこに、彼女がいるのだったな、と。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 スザクは、戸惑っていた。

 それはもちろん、今までの人生で戸惑ったことが無いなどと言うつもりは無い。

 学校でルルーシュが口を聞いてくれないとか、神根島の一件で青鸞をゼロに攫われたりとか、戸惑うことばかりだ。

 

 

 しかし、これはまた別種の物では無いかと思う。

 ある意味では今、彼は人生最大の危機に陥っていた。

 どのくらいの危機かと言えば、ナイトメアに例えるならばいざと言う時に脱出機構が故障するくらいだ、ランスロットには脱出機能はついていないが。

 

 

「どうかしましたか、枢木准尉?」

「あ、いえ、何でも……」

 

 

 何でも、とは言っても、スザクはどこか居心地悪そうにそのソファに座っていた。

 柔らかな素材のそれはどうも座りが悪く、何度も位置を直している。

 ちなみに彼に話しかけているのはユーフェミアである、場所はブリタニア軍地上空母G1ベースの一室だ。

 皇族にあてがわれるだけあって、高級感のある家具が揃えられている。

 

 

「と、ところで、その……」

「はい?」

 

 

 小首を傾げるユーフェミアに、スザクとしては苦笑いを浮かべる他無い。

 皇女の自室に招かれると言う状況は、実はスザクにとってプラスには傾かない。

 それは先程まで給仕をしていた侍従の目が有体に物語っていた、「名誉ブリタニア人が皇女殿下に何の用だ」と目で語っていた。

 呼んだのは、ユーフェミアの側であるのに。

 

 

 ちなみに何故、この2人がG1ベースで揃っているのかと言えば……エリア11を視察に来たシュナイゼル臨席の下での、統治軍の演習のためである。

 場所はシズオカのヒガシフジ演習場、コーネリア軍の火力戦闘演習だ。

 帝国宰相シュナイゼルにエリア11統治軍の精強さを見せると同時に、最近ウラジオストク方面で不穏な動きを見せている中華連邦への牽制を行うための演習である。

 

 

「いえ、ですからその、自分に用があると言うお話でしたので」

 

 

 ユーフェミアがいるのはもちろん、エリア11副総督としての公務だ。

 あまり軍事には関与しない彼女だが、帝国宰相が来ているのにそれを無視と言うのも不味い。

 それにコーネリアは自ら演習に参加するので、シュナイゼルをホスト出来る身分が彼女しかいなかったと言う事情もある。

 

 

 そしてスザクはと言えば、これも特派のナイトメアの操縦者として演習に参加していた。

 特派はシュナイゼルの指揮下にある組織なので、その成果を見せる意味合いもある。

 今回に限っては、流石のコーネリアも特派を演習場の隅に置いておくだけ、と言うわけにはいかなかった。

 そう言うわけで、ランスロットとスザクもそれなりの活躍を見せたわけだが。

 

 

「あ、はい、そうでした」

 

 

 ポン、と笑顔で手を叩くユーフェミアに、スザクはやはり苦笑いだ。

 正直、自分がここにいるのはユーフェミアの立場からしても良くない。

 演習後に呼ばれて何事かと思えば、部屋に招き入れられお茶を出されてしまった。

 用件があるなら素早く聞いて、なるべき早期に戻る必要がある。

 

 

「私、アレからいろいろと考えてみたんです」

「アレから、と言いますと?」

「チョウフの時からです」

 

 

 ああ、とスザクは頷いた。

 チョウフ事件、青鸞がユーフェミアを拉致し、ゼロと結託して囚人を強奪した事件。

 まぁ、ユーフェミア拉致に関しては世間に出ていないが。

 

 

 ユーフェミアはあの事件で、スザクの妹青鸞と少なくない時間話をした。

 その中で彼女がただの悪人では無いことには確信を持った、そして一方で、総督としてスザクに踏み絵を踏ませようとした姉コーネリアの姿も。

 それら見て、聞いて、そして考えて出した末の結論。

 

 

「枢木スザク准尉、神聖ブリタニア帝国第3皇女ユーフェミア・リ・ブリタニアとして貴方にお願いしたいことがあります」

「はっ、何でしょうか」

 

 

 不意に凛とした空気を纏ったユーフェミアに、スザクも背筋を伸ばす。

 さぁ何だと内心で身構える彼に、ユーフェミアは真剣な表情のまま告げた。

 

 

(わたくし)の、騎士になりなさい」

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 真備島と言うその島は、実は一般の地図には載っていない島である。

 無名と言うわけではなく、ただ必要ないので名前が記載されていないのだ。

 青鸞が何故、カゴシマで旧日本勢力と会っている忙しい時間を縫ってこの島にやってきたのか。

 それは、三木光洋と言うたった1人の男に会うためだった。

 

 

「お美しくなられましたな、青鸞お嬢様。とは言っても、私が貴女のお姿を拝見したのは、船着場で言われた通り1歳の頃でしたが」

「……すみません。ああは言ったものの、(ワタシ)にはそのあたりの記憶が無くて」

「はは、無理も無い。貴女は幼かった」

 

 

 ガラスの無い窓の向こう、茶色い畑が見える部屋に青鸞は通された。

 レンガ造りの横長の建物の一室、ガタガタと脚が音を立てる机を挟み、背もたれの無い粗末な木椅子を勧められる。

 勧めてくれたのは20代後半の長身の青年だった、確か前園と言う名前だったか。

 

 

「ありがとうございます」

 

 

 一言お礼を言うと、前園は小さく驚いたような表情を浮かべた。

 しかしすぐに直立の体勢を取って、青鸞の向かい側に座る三木の後ろに立った。

 その後、様子を見ていた三木は感慨深そうに息を吐いた。

 

 

「枢木首相のことを、窺いに来られたとのことでしたな」

「はい」

 

 

 先程も説明したが、真備島は地図に載っていない小さな島だ。

 普通なら誰もいないような島だが、この島には複数の人間が住んでいる。

 何故三木とその部下数名がこの島にいるのかと言うと、有体に言って島流しにされたのである。

 

 

 軍民屯田政策、戦争直後にブリタニアが元軍人などに未開の土地の開拓をやらせた事業である。

 実情は開拓とは名ばかりの強制労働と思想教育であって、三木達はこの真備島に派遣されたわけだ。

 この建物も、元々は日本人……イレヴンの労働者を閉じ込める檻として作られたものだ。

 ただ、それは2年前までの話。

 

 

「父のことを聞く前に、一つ、窺ってもよろしいでしょうか」

「何でしょう、私で答えられることであれば」

「……どうして、今もこの島に留まっているのですか?」

 

 

 青鸞の言葉に、三木は机に肘をつき、静かに目を伏せた。

 ……三木と部下達が島流しにされた軍民屯田政策、実は2年前に終了している政策なのだ。

 しかもカゴシマで得た情報によれば、三木光洋は名誉ブリタニア人資格を有している。

 戦後、片瀬や藤堂などの同僚と行動を共にすることなく……いち早く、ブリタニアへ恭順の意を示した。

 

 

 ある意味、青鸞が好むことの出来ない人物であると言える。

 それでも青鸞が三木自身に嫌悪を抱いていないのは、三木がスザクのように名誉ブリタニア人として他の日本人を虐げていないからだ。

 こんな島にいたのでは、正直、名誉の資格も持っているだけでしかない。

 だからこそ青鸞は聞いた、どうしてこの島に留まっているのかと。

 

 

「……青鸞お嬢様、質問を質問で返すようで申し訳ないのですが」

「構いません、何でしょう」

「お嬢様は、日本を愛しておいででしょうか?」

 

 

 一瞬、意味がわからなかった。

 三木の意図が咄嗟にわからず、青鸞は片眉を上げる。

 しかし質問の意味は明確だった、故に青鸞は即答する。

 

 

「愛しています」

 

 

 背筋を伸ばし、今も日本の各地で独立と抵抗のために戦っているだろう人々を想いながら断言した。

 過去に失われた者も、今を生きる者も、そして未来に存在するものも。

 ブリタニアに支配される前の日本も、ブリタニアの支配を跳ね除けるための戦いを続ける今の日本も。

 今の青鸞は、愛していると言うことが出来る。

 

 

「……良い答えです」

 

 

 何度も頷きながら、眩しそうな顔で青鸞を見つめる三木。

 しかしその顔も、すぐに沈んだものになる。

 陰の差したその顔を、今度は青鸞が首を傾げる。

 

 

 それから、机に肘をついたまま三木は僅かの間黙った。

 目を閉じ、何かに悩むかのように眉間に皺を寄せる。

 そして50秒の後、背筋を伸ばして待つ青鸞に、三木は告げた。

 

 

「私は……」

 

 

 私は。

 

 

「私は、日本に戻りたくないのです」

 

 

 私はもう、日本を愛していない。

 そう、告げた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「お嬢様はおそらく、ブリタニアの支配からの解放でもって、日本人を救おうとされているのでしょう」

「当然です」

 

 

 愛国心を否定されたような心地で、やや固い声で青鸞は応じた。

 少しでも良識を持つ日本人なら、今の日本人の状況を良しとするわけが無い。

 出来るわけが無い、ゲットーを一度でも見たことがある人間ならば。

 

 

 一部の富裕層か特殊技能を持つ名誉ブリタニア人を除いて、日本人の生活は最底辺だ。

 労働は過酷で低賃金、数千万のゲットー住民は一日100円未満の生活しか出来ず、毎日のように治るはずの病気や得られるはずの食糧を得られずに死んでいく人が何百人もいる。

 自分達が作った作物を一口も口に入れられずに飢え死にする農民もいる、親の病を治すべく薬を盗んだ頭を割られた子供もいる、戯れに辱められボロ雑巾のように捨てられる女性もいる――。

 

 

「ブリタニア人だけが優雅な生活を送り、大多数の日本人(イレヴン)は飢えと病で死んでいく……そんな状況を、黙って見ていられるわけがありません」

「……素晴らしい見識です、清廉で、正しい。まるで昔のあの方を見ているようだ……」

 

 

 昔のあの方。

 その人物が誰なのか、何となくだがわかる。

 青鸞の言葉を聞いた三木は、懐かしそうに……そして、苦しそうな顔で目を開いた。

 

 

「あの方も、今の貴女と同じことを語っておられました。汚濁に塗れた政治の世界に身を浸しながら、弱者を救い、貧しいものを救い、この国の不公正を正したいと。私は、そんな理想を掲げるあの方に魅せられ、自分に出来ることなら何でもしようと思っていました」

 

 

 思い出話を語るように、三木は言う。

 そして実際、それは思い出話だった。

 三木がかつて、枢木ゲンブと言う若い政治家に希望を見出していた時代の話だ。

 

 

「お嬢様は今、ブリタニア人だけが豊かな生活を享受するのはおかしいと申されました。全くその通り、私もそう思います。ですが、私には……今のエリア11も、昔の日本も、そう違いがあるようには見えないのです」

「……どういう意味ですか?」

 

 

 声を低くする青鸞に、三木はあくまでも苦しそうな表情で応じる。

 今は豊かなブリタニア人と貧しい日本人と言うわかりやすい構図だが、戦前はもっと救いようの無い構図だったと三木は言う。

 いや、むしろ同じ民族同士での格差だけに戦前の方が醜かったとすら言える。

 

 

 民主主義・平等主義とは名ばかり、キョウトを代表格とする一部の富裕層とエリートだけが豪華な生活を送る中で、今のゲットーのような場所で暮らす貧しい者達もいた。

 政財界はキョウトに掌握され、改革など成されず、豊かな者はより豊かになり貧しい者はより貧しくなる。

 祖国の汚れきった状況に、戦前、三木は絶望を覚えていた。

 

 

「だからブリタニアを打倒し、以前の日本を取り戻そうと誘われても……私は、片瀬少将や藤堂君のように戦う気にはどうしてもなれなかったのです」

 

 

 せめて、と、三木は想う。

 せめて、あのお方が清廉なままでいてくれたなら、と。

 

 

「私にとって唯一の希望だったあのお方も、清廉な理想家だったはずのあのお方も、権勢の座について2年もする頃には変わられてしまった」

 

 

 あのお方、日本最後の首相――――枢木ゲンブが、首相の座に就く前のままでいてくれたなら。

 まだ三木も、日本のために戦おうという気になったかもしれない。

 枢木ゲンブが未来に描く日本を守るために、戦ったかもしれない。

 

 

 だが今は、ただ戻りたくない。

 以前の日本にも、現在のブリタニアに支配された日本にも戻りたくない。

 だから、三木はこの島に留まっている。

 この日本人にもブリタニア人にも忘れられている小さな島で、世界に関わることも無く、ただ静かに過ごして、そして死にたいと思って。

 

 

「だから、私はこの島に留まっているのです。青鸞お嬢様が本当の所、何を求めて私の下を尋ねて来られたのかはわかりませんが……」

 

 

 それ以上のことは言わず、三木は口を閉ざした。

 話すことはこれで全部、そう言う雰囲気だった。

 そんな三木の背中を、部下の前園と言う青年がどこか痛ましそうに見つめていた。

 

 

 そして前園は、その視線を三木の正面にいる少女へと向けた。

 あの「売国奴」枢木ゲンブの遺児、兄の方はブリタニア軍にいると言う。

 前園は軍人として一般的な感性の持ち主だ、故に父兄に対する評価は厳しい。

 しかし一方で、娘に対してはそれ程でも無い。

 

 

(ん……?)

 

 

 そしてその娘、青鸞の表情に、前園は片眉を上げた。

 哀しんでいるのでも怒っているのでも無い、青鸞は笑みを浮かべていた。

 ほんの僅かな微笑、唇を薄く開いた美しい笑み。

 しかし、その瞳には強い輝きが揺らいでいる――――そんな、覇気のある笑みに前園は一瞬とは言え魅入ってしまった。

 

 

 そして、青鸞が三木に返した言葉は一言だけだった。

 たった、一言。

 たった一言、青鸞は自分の倍以上生きている男に対して、こう言った。

 

 

「――――その時、貴方は何をしていたのですか?」

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 青鸞が真備島で三木に対していると同じ頃、カゴシマにおいて彼女の仲間達もまた動いていた。

 彼らの現在地はカゴシマ・オオスミ半島中央部のタカクマ山地、キュウシュウ南部の武装勢力「葉隠」の拠点だ。

 しかしそれだけでは無い、ここは旧日本の政治家・官僚が密かに集っている地でもある。

 

 

 この山はナリタのように要塞化こそされていないが、カゴシマ租界とカゴシマ湾を挟んで隣接し、またオキナワ・東シナ海を経て中華連邦とも繋がっていると言う立地上の利点がある。

 そしてその山の拠点で、雅は薄青色の着物姿である殿方を歓待していた。

 殿方と言っても、相手は青鸞に会いに来た客であるが。

 

 

「そうですか、青鸞嬢はおられないのですか」

「はい、お帰りは明日の朝になる予定です」

「そうですかそれは残念です、あの方の淹れた抹茶はとても美味だったのですが」

「青鸞さまには及びませんが……」

「いえ、雅嬢の抹茶もまた美味そうです」

 

 

 楽茶碗の中に丁寧に入れた湯と抹茶を茶筅でかき回しながら、雅が応じる。

 タカクマ山の拠点内に設けられた茶室で、男は言葉程には残念がっていない様子で雅の手前を眺めていた。

 実際作法に則って淹れられた抹茶は、なかなか良い色と泡を立てているように見える。

 

 

 彼の名は原口久秀(はらぐちひさひで)、36歳、中肉中背黒髪黒目、切れ長の目以外には大した特徴の無い男性である。

 しかし彼はこう見えて旧日本の与党議員だった男だ、総務・安保委員会に所属していた。

 何故戦犯として裁かれなかったのかと言うと、7年前、戦争の1ヶ月前の補欠選挙で議員になったばかりの「ピカピカの1年生」であったためだ。

 

 

(そして現在は、キョウトが支配するNAC……イレヴンの自治組織NACの暫定議員)

 

 

 原口の顔を横目に茶を点てつつ、雅は想う。

 はたして彼女の主たる少女は、茶の湯一つでこの男を味方に出来るだろうかと。

 しかし今は自分の茶で、青鸞が戻るまでの間を埋めようと思った。

 

 

 そして雅のように静かに戦いを続ける者もいれば、やたらに騒ぐ者もいる。

 タカクマ山の保存林の中、男達の大きな声が聞こえる。

 上半身裸の男達が、綱で作ったリングの中央でがっぷり組み合っている。

 まぁ、つまりは相撲である。

 

 

「おおぉ! 竹下どん、そげな奴に負くいな!!」

「投げ飛ばせぇ!!」

 

 

 やんややんやと声を上げるのは、厚い筋肉に覆われた胸を惜しげもなく外気に晒す男達だった。

 いずれも無精髭を生やしており、濃い胸毛と厚い筋肉と赤銅色の肌が逞しい。

 十数人の男達が囃すように声を上げ、土俵の真ん中で余所者と組み合っている身内を応援している。

 

 

「じゃっどん、あん男もなかなかやうなぁ!」

「ほーじゃほーじゃ、余所者にしてはなかなかやう!」

 

 

 身内の男は彼らの中でもなかなかの力自慢だ、それとがっぷり組み合って一歩も引かない相手のことも彼らは称賛した。

 そのあたり、彼らは非常に公正であるようだった。

 そして土俵の真ん中で筋肉質な男と上半身裸で組み合っているのは大和である、こめかみに青筋を立て、満身の力でもってカゴシマ兵と押し合っている。

 

 

「……ぬぅうん!」

「ぬ、お……!」

 

 

 ジリジリと相手を押し込むその背中は、力と汗に満ちている。

 こちらもこちらでまた、青鸞が戻るまでの一日を持たせようとしているのだろう。

 礼の妹、武の兄、キョウト分家はそれでもって本家を支える。

 なお、もちろん彼らだけでは無いのだが……。

 

 

「ふ、今日はここまでにしておいてやるぜ」

「隊長、物凄くカッコ悪いです……」

 

 

 大和より先に相撲で投げ飛ばされた山本は、木を背中に逆さまに倒れていた。

 そしてそんな山本を、上原が何とも悲しそうな目で見ているのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ここでさらに視点を転じる、シズオカでスザクの前にいるユーフェミアの視点だ。

 彼女はチョウフで、スザクが青鸞と対しているのを見て、哀しくなったのだ。

 兄と妹が戦場で対さねばならない、そんな現状を許すことができなかった。

 いや、そうでなくてもエリア11に赴任してきてからずっとだ。

 

 

 ブリタニア人だけでは無い、あのシンジュクにいたイレヴンの人々のことも。

 本国人と植民地人を区別するのはブリタニアの国是、しかしユーフェミアはブリタニア皇族でありながら、この国是に違和感を覚えていた。

 まさにその国是こそが、ここエリア11のブリタニア人の生命を危機に晒しているのではないだろうか、と。

 

 

「騎士任命は皇族の特権、その人選については皇帝陛下でさえ介入することは許されません。ですから、私が貴方を自分の騎士として任命することに口を挟める者はいないのです」

 

 

 騎士、ここで言う騎士とは単純なパイロットと言う意味では無い。

 コーネリアにとってのギルフォードのような存在のことを言うのであり、皇族個人に忠誠を誓い、これを守護し、支え、傅く者である。

 ある種、毒蛇の蔓延る皇宮において唯一信頼できる味方を作ると言うことでもある。

 場合によっては、皇族同士の騎士が代理決闘を行うこともあるのだ。

 

 

「私の騎士と言うことになれば、お姉さまももう貴方に命令を下すことは出来なくなります。もう、兄妹で争う必要もなくなります」

 

 

 言ってしまえばそれは、欺瞞であったろう、偽善であったろう。

 日本を侵略したブリタニア人、それも皇族が何を言っているのかと笑われもしよう。

 ユーフェミアに、そこまでの力も権限も無いのだから。

 そんな理屈は、ユーフェミアにもわかっている。

 

 

 だからこれは、素直な感情の発露だった。

 結局の所、スザクと青鸞が戦い合い、殺し合う様を見たくなかった。

 だから、彼女はまずそうならないようにしたかった。

 感情、それが彼女の原動力。

 理屈は、後からついてくるもの――まぁ、つまり、考え抜いた結果、勢い余ったと言う形である。

 

 

「……ありがとうございます」

 

 

 スザクは、まず有難いと思った。

 ユーフェミアの言葉の端々から彼女の善意と感情が見えて、本当に有難いと思った。

 彼女の人となりを知り、そしてその上で、彼は。

 

 

「ですが、自分には……そんな大命を配する資格はありません、皇女殿下」

「資格なんて……」

「自分は」

 

 

 彼はいつもと同じ、哀しげな目で微笑した。

 

 

「自分には……僕には、そんな資格は無いのです」

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「貴方に、父様に絶望する資格は無い」

 

 

 青鸞は、怒りと言う名の感情を発露していた。

 しかしそれはおそらく、三木の言動が少し前の自分と似ているからだろう。

 違いがあるとすれば、三木がゲンブを知っていて青鸞が知らないと言うだけだ。

 だが、この2人は同じだ。

 

 

 戦い、行動する理由をゲンブに求めながら、しかしゲンブ自身を理解しようとしない所がである。

 その意味で青鸞に三木を批判する資格は無いのかもしれない、だが。

 だが、羨ましいのだ。

 この男は、自分の知らない父の実像を知っているのだから。

 ――――知っているのに、知っていて、何もしなかった!

 

 

「今の日本が、昔の日本と同じ? 栄える者の名前が変わっただけ? 厭世家を気取って、いったい何を見てきた……!」

 

 

 戦前、確かにキョウトや一部のエリートが日本の富の何割かを占有していたかもしれない。

 貧困層もあったろう、それこそ今のゲットー住民のような生活をしている者達もいただろう。

 それをもって、三木は昔も今も根本は同じと言うのだろう。

 

 

 ――――ふざけるな。

 

 

 キョウト出身で、何不自由なく幼少期を過ごした……つまり、富裕層である青鸞が何を言っても、説得力は無いかもしれない。

 しかし言う、ブリタニアの侵攻で貧困層が何倍になったと思っているのか。

 富裕層も貧困層も中間層も無い、ブリタニア人の下で一部を除く日本人は全て貧困層になった。

 三木も……そして、あのスザクも過去と未来を見るばかりで、なぜ今苦しんでいる人を見ないのか。

 

 

「父が権力に堕し、清廉さを失う様を見て絶望した。それはわかる、(ワタシ)だってそう」

 

 

 桐原公の言葉に絶望を覚えた自分もまた、その意味ではやはり差は無い。

 その時の少女の声に何を感じたのか、三木が顔を上げて青鸞を見た。

 

 

「青鸞お嬢様」

「……!」

 

 

 宥めるような声を発した三木に、青鸞は懐から取り出した小さな手帳を投げつけた。

 机の上に叩きつけられたそれは、父ゲンブの手記である。

 権力の座に座った父が、絶望していく過程を記した手記だ。

 「三木と同じように」、絶望していく父の姿を遺した言葉だ。

 それを手にし、中身を見た三木の目が……やがて、驚愕に見開かれる。

 

 

(ワタシ)は……ボクは悔しい。もしこの時、父様の傍にいられたなら、きっと何かをした」

 

 

 何をしたのかはわからない、その場にいなかった青鸞にはわかりようも無い。

 でも、きっと絶望を共有することは出来たはずだ。

 あの時、もし父の傍に絶望を共有してくれる誰かがいれば。

 1人でもいてくれさえすれば、何かが変わっていたかもしれないのに。

 

 

「……父様を知ろうともせず、ただ世の中を憂えて何の行動もしないで、自分の理想を父様に重ねて満足していただけの貴方に、父様を評価する資格は無い」

 

 

 それは、何も知らなかったかつての自分に対する言葉でもある。

 何かを知る努力すらしなかった、過去の自分への決別の言葉だ。

 しかし外見には、年端も行かぬ小娘が喚いているようにしか見えない。

 だからだろう、何も言わない三木に代わって前園が一歩を前に出た。

 

 

「待て、前園」

「しかし……!」

「良いんだ」

 

 

 前園を抑え、しかしそれ以降、三木は何も喋らなくなった。

 後はただ、青鸞に投げつけられた手記のページをめくる音だけが響く。

 その他には、ただただ沈黙だけがあった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 三木が手記を読み終わるまで、青鸞はただ待っていた。

 そして三木が最後のページを読み終わるのを見届けると、静かに席を立った。

 生乾きのスーツにやや不快を感じながらも、何も言わずに扉を潜ろうとして。

 

 

「青鸞お嬢様」

 

 

 疲れたような溜息を吐き、三木が少女を呼び止める。

 立ち止まった青鸞は後ろを振り向いた、そして座ったまま身体を横に向ける三木と目を合わせる。

 その静かな眼差しに、三木は目を細める。

 

 

「……確かに、私は枢木首相に己の理想を見るばかりで、実際には自分で何をしようともしなかった」

 

 

 小さく首を振りながら、三木は述懐するように言う。

 僅かな後悔と膨大な哀愁、十数年の積み重ねがそこにはある。

 軍人としての人生の後半を諦観と絶望で過ごした男の陰が、ありありと映っていた。

 

 

「ですが私は、やはり以前の日本に戻りたくない。貴方のようにかつての日本を取り戻そうと言う気概はもてないのです」

「……ボクは別に、かつての日本を取り戻すために戦ってるわけじゃない」

「では、何のために」

「日本の独立と抵抗のために」

 

 

 それだけを断言して、青鸞は三木を見下ろしていた。

 そもそも、以前の日本をそのまま取り戻すことなど出来ない。

 取り戻すには、時間が経ち過ぎた。

 各地の都市は租界とゲットーとして作り変えられ、フジの山は形すら失い、数千万の貧民で覆われた大地は疾病と貧困が満ち溢れている。

 

 

 極東の経済大国、日本などもう存在しないのだ。

 だから、以前の日本を取り戻すことは出来ない。

 しかしだからこそ、それを日本に押し付けたブリタニアには抵抗しなければならない。

 例えその主張が、強硬派と呼ばれるごく一部の人間にしか認められないのだとしても。

 

 

「この抵抗で、皆で新しい日本を手に入れる――――それが、今のボクの戦う理由!」

 

 

 瞳の奥を輝かせて、青鸞が断言する。

 純粋、しかし汚濁の一部を見てきた上での言葉。

 惨状を超えて修羅場を見、友の喝を受けて進み仲間を得た者の言葉だった。

 

 

「ブリタニアを打ち払った後、どんな日本が生まれるのかはボクにもわからない。ただ一つ言えるのは、それは以前の日本とは違う日本で、また父様や貴方の理想とした日本とも違うかもしれない」

「……あの方と、私の……!」

「自分の理想は、自分で叶える……それを手伝ってくれる人がいたら最高、ボクはそう思う」

 

 

 そう告げる少女の目を、三木はただ目を見開いて見つめていた。

 見事、目はそう告げている。

 キョウトの娘、しかし、彼がいつか聞いたキョウトの男と同じことを言っているようで。

 しかし僅かに、ほんの少しだけ違う娘。

 その少しの違いは、三木の中に新鮮なさざ波を引き起こしている。

 

 

 そして、青鸞は去った。

 父ゲンブの話を聞くことも無い、ここで得られる父の話は何も無いと判断したからだ。

 扉を潜る最後、せめてものお礼に彼女は告げた。

 

 

「……真備島近海にメタンハイドレートの堆積層が発見された。ブリタニアの開発企業がこの島の権利を買い上げるのも時間の問題、注意してください」

 

 

 メタンハイドレート、燃える水、エリア11に存在する豊富な資源の一つ。

 サクラダイト程では無いが、重要な戦略資源だ。

 そのメタンハイドレートの膨大な堆積層が真備島近海で発見された、それが意味する所は一つ。

 三木達は、そう遠くない将来にこの島を追われるのだ。

 

 

「……世捨て人になれるくらいのエネルギー、出来れば無駄にしてほしく無かったけど」

 

 

 そうして、1人の少女の背中が三木の視界から消えた。

 後に残されたのは、かつて三木が己の理想を重ねた男の遺した手記だけだ。

 己の父の形見のはずのそれを、置いていった少女。

 

 

「……私は、間違っていたのだろうか」

「三木大佐、お気になさらずに。あんな少女の言うことなど……」

「違う、そうじゃない。いやもちろん、お嬢様の言葉は効いたが……そう言うことでは無いのだ」

 

 

 小さな手帳を握り締めるようにしながら、三木の呟きは続く。

 かつての自分の絶望が間違っていたとは思わない、だが、絶望への接し方を間違えていたのかもしれない。

 三木の大きな胸の奥に、僅かだが疼くものがあった。

 かつてに比べれば小さいが、しかしより大きな衝動を過去に感じたことがある。

 

 

 かつて、若かりし彼が枢木ゲンブに出会った頃に感じた衝動。

 それが今、僅かな燻りとなって疼いている。

 ただ、今は――――かつて信じた故人を、想いたかった。

 

 

「枢木閣下……!」

 

 

 あの方に、自分は理想を見た。

 だがはたして、自分は本当の意味であの方を知ろうとしたことがあっただろうか。

 理解し、共有しようとしたことがあっただろうか。

 

 

 それは、自分の理想を押し付けただけだったのではないか。

 そんなものは同志でも無ければ仲間でも無い、では、何だったのだ。

 あの時、あの方の前にいた自分は――――……いったい、誰だったのだろう?

 

 

「――――我が小父、三木光洋に対し、別れの言葉を告げさせて頂きます!」

 

 

 ガラスの無い窓の向こう、船着場方面から少女の声が聞こえてきた。

 よく通る声だ、五月蝿くは聞こえないのに耳に響いてくる。

 

 

「……どうか幾久しく、ご健勝なままで!」

 

 

 不快では無い心地に、三木自身が戸惑いを覚える。

 

 

『自分の理想は、自分で叶える……手伝ってくれたら最高』

 

 

 枢木青鸞、彼女の言葉が妙に胸の内で響くのは何故だろう。

 頭の中に父が、そして胸の内に娘が。

 今、三木の中で何かが鎌首をもたげようとしていた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「青鸞お嬢様!」

 

 

 三木が青鸞の背を追ったのは、10分の後のことだった。

 間に合わないかと思って半ば諦めていたが、青鸞は船着場にいた。

 まさか、待っていたのだろうか。

 

 

 前園を伴い、船着場の端に立つ青鸞の背中から10歩の位置で止まった。

 その手にあるのはゲンブの手記だ、彼はそれを手に青鸞を追ったのである。

 何を言うつもりか、実の所彼自身も自信が無い。

 30も終わりになり、今さら燃え上がる何があると言うのかと。

 

 

「お嬢様、私は……む?」

 

 

 その時、三木は青鸞の様子がおかしいことに気付いた。

 と言うのも、彼女の身が震えていたからだ。

 怒り? 哀しみ? それはわからない。

 ただ肩を震わせ、拳を握りこんで水平線の彼方へと視線を投げている。

 そしてその片手に、通信機らしい端末を握り締めていたのである。

 

 

 とっさには何があったのかわからなかった三木、しかし持ち前の明晰さでもって何かを察知した。

 彼は駆け出すと青鸞の隣へと並び、首にかけていた双眼鏡に目を当てた。

 そして朝靄が消え明瞭になった視界、水平線の向こう、暗雲を引き連れるようにして海上を駆ける数隻の船の影を見た。

 深いグレーの色に煌くそれは、十数キロ離れていても影を見られる程に大きい。

 

 

「アレは……!?」

 

 

 漁船ではない、タンカーの類でも無い、ならばこの辺鄙な海域を進む船と言えば海上演習に向かうブリタニア軍の艦船くらいのはずだ。

 だが、違う。

 カラーや信号、航法が違う。

 ならば、どこの所属か。

 

 

 ここはエリア11の、ブリタニアの領海だ。

 カゴシマとオキナワの間を進む大型艦船の群れ、それをこの位置に投入できる組織は国内には無い。

 そう、ブリタニア自身を除けば、国内には無い。

 すなわち、アレは。

 

 

『――――青鸞さま、一大事です!』

 

 

 通信機から響く佐々木の声に、青鸞は奥歯を噛んで遥か水平線の上を進む船の群れを睨んだ。

 それは、ある意味ではブリタニアの艦船を睨むよりも激しさを秘めた瞳だった。

 何故なら、通信で叫ばれた艦船の所属国は。

 

 

「……中華連邦艦隊……!!」

 

 

 エリア11、日本に隣接する、世界の三大国の一つ。

 中華連邦。

 その艦影を見た先に、青鸞は……日本の抵抗を体現する少女は、何を思うのだろうか。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 皇暦2017年9月下旬、キュウシュウにおいて戦端が開かれた。

 10月に入るまで続くことになるその戦端は、後世のブリタニアの歴史書では「戦争」とは記載されていない。

 しかしそれは、まさに「戦争」であった。

 

 

 旧日本政府・第二次枢木政権で官房長官の職に就いていた男、澤崎敦。

 彼が中華連邦の力を借りてフクオカ・サセボ・カゴシマに侵攻したことで始まった一連の「戦争」は、様々な要素を持って歴史に名を残すことになる。

 独立戦争・侵略戦争・反乱鎮圧……立場によって変わるその呼び名は、本質とは関係が無い。

 だが、結果だけは誰の目にも残る。

 

 

 澤崎という一個人が起こした小さな波紋は、やがて大きな波紋を生むことになる。

 結果論だが、その意味ではやはり彼の行動に意味があったのである。

 たとえそれが、澤崎敦という一個人の欲から出た物であったとしても。

 

 

 ――――キュウシュウ戦役――――

 

 

 少なくとも当時、最も多くの識者にそう呼ばれていた「戦争」が、この時、始まった。

 始まってしまったものは、抜かれた剣は、血を見るまで収まらない。

 はたして日本は、ブリタニアは、エリア11統治軍は、黒の騎士団は、日本解放戦線は、そこに存在する勢力と個人は。

 流れた血に見合うだけの何かを、手に入れることが出来るのだろうか。

 

 

 それは、戦端が開かれた時点では誰にもわからなかった。

 人にも、誰にも――――神ですらも。

 何者にも、わからなかった。

 

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――その頃、同じタイミングでナゴヤの港を出た船があった。

 所有はNAC、書類によれば積荷は流体サクラダイト。

 輸送先はブリタニア領エリア10、いわゆる戦略物資の輸送である。

 

 

 船室の一つ、備え付けのテレビの中で1人の男が演説をぶっている。

 独立主権国家日本の再建を宣言するその男の後ろには、しかし、中華連邦のナイトメア部隊がズラリと並んでいた。

 だからだろうか、それを見ていた男はふんと鼻を鳴らした。

 

 

「逃げ出した臆病者の澤崎ごときには、アレが限界だろう。これならまだ、あの……」

 

 

 男は、水夫……では、無い。

 まず服装は軍服だ、幅広の肉厚な身体を窮屈そうに深緑色の軍服に身を包んでいる。

 ただ右腕の部分が中身が無く垂れていて、男が隻腕であることを示していた。

 また左頬全体に刻まれた火傷の跡が、薄暗い照明の下で痛々しく覗く。

 

 

「中佐、艦橋がカゴシマへのルート変更のポイントについてご相談したいと」

「わかった、今行く」

 

 

 重苦しい声で頷いて、男は立ち上がった。

 両足が硬質な音を立てる、どうやら両足共に義足のようだった。

 そして男はもう一度、テレビの中の男を睨んで。

 

 

「……これなら、まだあの小娘の方が幾分かマシだわ」

 

 

 ただ一言、そう呟いた。

 




採用キャラクター:
無間さま(小説家になろう)提供:原口久秀。
ありがとうございます。

採用組織:
佐賀松浦党さま(ハーメルン):葉隠。
ありがとうございます。

 最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
 何でしょうね……本当に何故か今、無性に作中で泥沼な状況に持っていこうとする私がいます。
 アレでしょうか、原作の流れに飽きたのでしょうか。
 うん、飽きたな。
 というわけで、キュウシュウ戦役編、ナリタ張りに荒らします(え)。
 それも、今度は展開を変える勢いで。
 ……出来ればですけどね!


『正当なる独立主権国家、日本の再建。

 目と鼻の先で宣言されたその名前に、何を想うのか。

 そこにいる中華連邦軍に、何を思うのか。

 何かを成すためにも、まずは足場だ。

 そして……』


 ――――STAGE20:「カゴシマ の 戦い」


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