コードギアス―抵抗のセイラン―   作:竜華零

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よし、修羅場だ。
では、どうぞ。


STAGE23:「コード と ギアス」

 陣容は、ほぼ整った。

 ルルーシュ=ゼロはそう確信していた、今こそ全てのカードは彼の手の中にあると。

 無論、彼の手の中にある戦力はブリタニア軍には遠く及ばない。

 しかしキョウトの支持がある以上、エリア11内の反体制派はある程度彼に従う。

 

 

 現在も、12日後……いや、もう11日後か、そのブリタニアとの決戦に向けて参加表明を行う組織は増える一方だ、入団希望者も増加傾向にある。

 最も、現段階で集う戦力にルルーシュ=ゼロは期待などしていなかった。

 せいぜい、予備部隊や囮、後方支援などに使える程度だろう。

 

 

『青鸞嬢は、もうお休みになられたのか』

「はい、つい先程。何か御用なら、お呼び致しますが」

『いや、構わない。それほど急ぎの用でも無い』

 

 

 実質的に青鸞サイドの旧日本解放戦線を束ねている三木と言う男――ルルーシュ=ゼロは彼のことを知らないが、有能なようではある――にそう言って、ルルーシュ=ゼロは背を向けた。

 三木はやや首を傾げていたようだが、しかし言葉の通り、ルルーシュ=ゼロは青鸞にこれと言った用があったわけでは無い。

 

 

 しかし自然、彼の足は青鸞にあてがわれている部屋へと向いていた。

 特に意味も無く、そうなっている。

 気になると言うのもあるだろう、スザクの一件もある。

 ただし彼は今ゼロだ、ルルーシュでは無い。

 

 

(青鸞の率いてきた2000と、俺の手元の8000。戦力として使えるのはこれくらいか……)

 

 

 やはり、主力は旧日本解放戦線の兵士達になる。

 数も多く、実戦を経ていて、命令に忠実で、強い。

 正規の軍人だけあって、レジスタンスや民兵中心の他のメンバーとは練度が違う。

 とは言え他の団員メンバーも、軍人程では無いが訓練された者達だ。

 そう言った物を換算して、ブリタニア軍と渡り合える精鋭は1万。

 

 

(戦力差の縮小はこれ以上は望めない、後は俺次第か……む?)

 

 

 青鸞の様子を見に足を向けていた最中、ふとルルーシュ=ゼロは足を止めた。

 それは、通路に立っていた見張りの騎士団員が倒れているのを見つけたからだ。

 一気に、緊張した。

 駆け寄って声をかけるが返事は無い、が、気絶しているだけのようだった。

 見れば、通路の先にも何人かが倒れている。

 

 

『アイツは……おい、どうした!?』

 

 

 その中に、佐々木と言う旧日本解放戦線の軍服を着た女性兵が含まれていた。

 彼女を助け起こせば、やはり気を失っている。

 眉根を寄せて軽く唸っている所を見れば、殴打でもされて気絶させられたのだろう。

 

 

 どういうことかと、仮面の下でルルーシュ=ゼロは表情を緊張させる。

 侵入者だろうか、しかしそれなら気絶で済ませているのはおかしい。

 彼がそんなことを思い、思考を進めていたその時。

 

 

「…………!」

 

 

 佐々木が倒れている位置から最も近い場所にある部屋から、何かが聞こえた。

 それは、声だ。

 それも女の声、加えて言えば穏やかではない。

 くぐもってはいるが、それは間違いなく――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 青鸞は、これで眠りは浅い方だ。

 寝ている間に衣服を脱ぐと言う癖も、ある意味では眠りの浅さの証明でもある。

 少なくとも、寝ている間に誰かに馬乗りになられれば気付く程度には浅い。

 だから目を開いて最初に見たそれに、彼女は意識を一気に覚醒させなければならなかった。

 

 

「……ッ!」

 

 

 詰めた息は、いったいどちらの物だっただろうか。

 青鸞は、目前で自分に大ぶりのナイフを振り下ろしている緑髪の少女の存在に驚愕した。

 C.C.は、直前で目覚めた黒髪の少女の危機への反応速度に驚嘆を覚えた。

 そしてそんな2人の中間で、銀のナイフが震えている。

 C.C.が両手で振り下ろしたそれを、青鸞が手首を掴む形で両手で押さえている。

 

 

 ナイフの切っ先は、青鸞の胸の膨らみの直前で止まっている。

 いや、僅かながらC.C.の方が力が強いらしい。

 少しずつ刃が押し込まれ、毛布のズリ落ちた胸の肌に切っ先が触れて小さな血の玉ができた。

 寝起きながら満身の力を込めて、青鸞はC.C.の体重の乗ったナイフを押し返そうとした。

 

 

「な、に、を……す――――……んっ!」

 

 

 息も超えも詰まっていて、言葉としては成立しない。

 だが雰囲気は伝わったのだろう、青鸞に覆い被さるC.C.の唇が僅かに動いた。

 薄暗い中、顔横を流れる長い髪が彼女の表情を隠している。

 ただ、前髪の間から見える瞳の光だけが……。

 

 

「だっ!!」

 

 

 腕力で押し返せない、そう判断した青鸞は必死に膝を上げて足を曲げた。

 曲げた足をC.C.の腹に押し当て、そのまま身体のバネを使って押し出した。

 蹴られる形になったC.C.の身が勢い良く後ろに飛ぶ、しかし半分は勢いを殺すために自分から跳んだような物だ。

 

 

 だから体勢の立て直しも早い、ナイフを腰だめに構えて飛び出してきた。

 そのダッシュを見た青鸞は自分の身体から毛布を完全に剥ぎ取ると、C.C.が突き出したナイフを巻き込むような形で回転させた。

 それでナイフの刃は脅威足り得なくなる、しかしそれで終わる程C.C.も甘くは無い。

 

 

「ちょ、待っ……!」

 

 

 あっさりとナイフを手放して毛布から手を出したかと思えば、今度は強烈な回し蹴りが飛んできた。

 青鸞はもちろんそれをガードする、スザク程では無いが重い蹴りの衝撃がガードに使った左腕の骨を軋ませる。

 顔を顰めて、ようやく思考が追いついてきた青鸞は思った。

 

 

(ボク、何で襲われてるわけ……!?)

 

 

 意味がわからない、しかも相手は自分が名前も知らないような相手だ。

 いや暗殺者としてはそれで良いのかもしれないが、彼女はゼロの仲間ではなかったか。

 ゼロの仲間が、どうして自分を襲っているのか。

 外にいたはずの佐々木はどうなったのかなども含めて、青鸞は混乱していた。

 

 

「何のつもり!?」

 

 

 聞けば、返ってきたのは嘲笑のような笑みだけ。

 だがそれは、どこか哀しい。

 そんな表情で、C.C.は爆発のような勢いで床を蹴った。

 虚を突かれた、目の前に迫った蹴り足に腕をクロスしてガード、対応する。

 蹴りの勢いは思ったよりも強く、青鸞は後頭部を壁に打った。

 

 

「う……」

 

 

 呻き声を上げて顔を上げれば、ナイフを拾ったC.C.が目の前にいた。

 息が止まるかのような心地でC.C.の無表情を見る、今度は胸を足で踏まれた。

 青鸞の白い胸元に、黒い靴跡がうっすらとついた。

 胸の圧迫感に、苦しげに呻く。

 

 

 しかしこうまでされてなお、青鸞は自分が殺されると言う事実を信じられないでいた。

 信じられないと言うよりは、実感が湧かない、感じられない。

 それは何故かと言えば、彼女を冷たく見下ろすC.C.の目が……。

 

 

『C.C.!!』

 

 

 その時、第3者の声がその場に介入してきた。

 黒の仮面と衣装に身を包んだ彼は、ゼロである。

 ゼロがその場に踏み込んだ時、彼の目に信じ難い光景が飛び込んで来た。

 C.C.が青鸞を押さえつけ、ナイフを突き立てようとしている光景。

 これは、なかなかに衝撃的だった。

 

 

『……よせ!!』

 

 

 迷うことなく飛び込んだ彼は、C.C.の腕を押さえにかかった。

 仮面の中身を知っているC.C.にとって、これは笑止千万な行為であると言えた。

 女の細腕にも劣る腕力の男に、何が出来ると言うのか。

 

 

『がっ!?』

 

 

 腕を掴んできた腕を逆に捻り、痛みで身が引き攣った所で腹部を殴打した。

 鍛え方の足りない身体が、その場に崩れ落ちる。

 それを冷然と見下ろした後、C.C.は改めて青鸞を見た。

 黒の瞳は、毅然と彼女を睨み返している。

 その内心は、混乱の極みにあったわけだが。

 

 

「…………」

 

 

 その唇が何事かの形に動き、直後、C.C.がナイフを掲げる。

 今度こそ少女の柔肌を貫くだろうそれの切っ先を、青鸞はむしろ無視した。

 その代わりに、C.C.の瞳を正面から見据えている。

 まるで、そこから何かを読もうとするかのように。

 

 

 そして、再びナイフが振り下ろされる。

 薄暗い空間に銀閃が走り、少女へと落ちる。

 しかしそれを、黒の少年が止めた。

 青鸞の目には、ゼロの黒いマントが視界を覆ったように見えた。

 

 

「な……!」

 

 

 そして今回ばかりは、C.C.も驚きの声を上げた。

 自身の横っ腹に飛び込んで来た少年を酷く鬱陶しそうに睨み、ナイフを持った手を押さえられながら、しかし逆の手で仮面の顔を掴んだ。

 揉み合う2人の姿に、一時の安寧を得た形の青鸞は驚きに身を竦ませることしか出来なかった。

 

 

「……この! 離せ、今……!」

『何をしているんだ、お前は!!』

「今、殺せば……地獄を見ずに済む!」

『馬鹿なことを!』

「馬鹿は……お前だ!!」

 

 

 C.C.が腕を振るい、ゼロを引き離そうとした。

 その際、ナイフの柄が仮面を打つ。

 それは何かを考えての行動では無く、単純な偶然ではあった。

 だが現実として、青鸞の目に飛び込んでくる。

 

 

 事実が。

 

 

 ナイフで打たれた拍子に、仮面の機構が壊れでもしたのだろう。

 小さな破片を散らせたそれが、宙を飛んで床に高い音を立てて落ちる。

 カラカラと床の上を滑って良くそれを、青鸞は見もしなかった。

 何故なら、もっと見るべきものがそこにあったのだから。

 

 

「ル……ひぁっ!」

 

 

 言葉を紡ぐ前に、身を抱かれる感覚に小さな悲鳴を上げる。

 それはゼロの腕が身体の上を滑った感触であって、彼女はその場から移動させられた。

 黒い衣装の腕の中にすっぽりと収められて、守られるように強く抱かれる。

 いや、実際に守られているのだ。

 彼に。

 

 

「……ルルーシュ、くん?」

 

 

 今、目に飛び込んで来た事実を確認するように小さく問えば、自分を抱く腕が微かに震えた。

 青鸞の胸の中に、驚愕と納得が少しずつ広がっていく。

 ゼロの仮面の真実を知って――前々から予測していたわけでは無いが――どうしてだろう、「ああ、そうか」と思う自分がいたのだ。

 そう、仮面のテロリスト、ゼロは。

 

 

「……よせ、C.C.。これ以上、青鸞に手を出すと言うのなら……」

「……お前に私がどうにかできるものか、坊や」

 

 

 言葉は勇ましい、だがC.C.の声には明らかに力が無かった。

 無表情だった顔には、今は大部分の諦めと僅かなバツの悪さがあった。

 カラリ、と、ナイフが床に落ちる音が響く。

 

 

「おい、C.C.!」

「……興が冷めたよ。心配しなくとも、私はもうそいつに手は出さないさ」

 

 

 信用していないゼロの……ルルーシュの目に何かを感じたのか、C.C.は初めて笑みのような表情を浮かべた。

 しかし、やはりどこか哀しげだった。

 見ていると、泣きたくなるような。

 

 

「……ここで殺された方が、幸福だったと思うがな……」

 

 

 小さな呟きは、しかしルルーシュの耳には届いた。

 自分を睨む少年に鼻を鳴らして、C.C.はあっさりとその脇を擦り抜けて部屋の外へと出た。

 本当に、もう青鸞を襲うつもりは無い様子だった。

 まぁ、だからと言ってどうしたと言うものでは無いが……。

 

 

「……大丈夫か、青鸞」

 

 

 正体を知られた、身体の痛みよりそちらの方が辛い。

 しかしそれでも、ゼロは、ルルーシュ=ゼロは青鸞を気遣った。

 己の腕の中にいる少女は、細い自分よりもさらに一回り小さく細い。

 それが、妙に儚く見える。

 

 

 一方で青鸞も、ゼロの仮面の真実に沈黙している。

 何と言えば良いのだろうか、ルルーシュがゼロだったと言う事実を前にして。

 だがこれで、ゼロがあれほど自分を救ってくれた理由がわかったような気がした。

 おそらく、半年前のスザクを処刑から救った理由と同じだ。

 それは、とても複雑な感情を彼女に与えたが。

 

 

「どうした、青鸞。どこか怪我をしたのか」

 

 

 沈黙する青鸞は、ルルーシュは不安げに問いかける。

 もちろん、打たれた部分は痛む。

 精神的な衝撃もなかなかのものだ、だが青鸞が沈黙している理由はそれだけでは無かった。

 問題なのは彼女らの体勢、そして。

 

 

「……あの、さ。ルルーシュくん、あのね……」

「ああ、何だ」

「いや、そんなやたらにカッコ良い声とかいらないから……あの、ね?」

 

 

 どこか言いにくそうにしている青鸞に、ルルーシュは眉根を寄せた。

 モゴモゴ言う彼女の声を聞こうと耳を近づけるが、そのためにより強く抱き締める必要があった。

 つまり、掌の力もより強くなり……ぴくり、と、少女の身が微かに震えた。

 きちんとした照明があれば、ルルーシュにも見えただろうか。

 青鸞の頬が、林檎のように真っ赤に染まっていたことを。

 

 

「……て」

「て?」

「て……手。手を、どけてくれると、嬉しいんだけど……」

 

 

 手、そう言われてルルーシュは思考した。

 おそらく状況的に考えて、手とはルルーシュの手のことだろう。

 だからルルーシュは、自分の手の状況を確認した。

 彼の腕は青鸞の身体を抱き締めると言うよりは脇に抱えようとしている形、だからつまり。

 

 

「……ほぁっ!?」

「ぅ……う~……!」

 

 

 気付いたらしい彼に、青鸞は小さく唸った。

 何故ならルルーシュの手は青鸞の胸元に回されていて、そして彼女は例の癖によって何も身に着けておらず、唯一の毛布は先ほどナイフを防ぐのに捨ててしまっていて、つまり。

 ……成長途上のそれが、ルルーシュの掌の中にすっぽりと収まっていた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「……違う。ただ、試したくなっただけだ……」

 

 

 後ろから聞こえる馬鹿な騒ぎを背中で受けながら、C.C.はゆっくりとした足取りで通路を歩いていた。

 どこか憔悴した様子で歩くその姿は、彼女を知る者が見れば驚愕するだろう。

 いつも、超然とした態度で他者と接した彼女が。

 

 

 C.C.が、「落ち込んで」いるのである。

 

 

 自分が意識を刈り取った者達の傍を露程も気にせず歩けるあたりはいつも通りだが、しかし、確実にいつもと様子が違う。

 それはまるで、初めて過ちを犯した幼子のような顔で。

 彼女は、虚空に向かって言葉を発する。

 

 

「餌を目の前にぶら下げられた時、自分がどうするのかをな」

 

 

 C.C.には、願いがある。

 彼女がルルーシュにギアスの力を与える契約を交わしたのは、その願いを叶えるためだ。

 その願いを叶えるためなら、何をしても良いと考えている。

 とっくの昔に、人の心を捨てているのだ。

 

 

 それなのに、どういうことだろう。

 気がつけばいつも、自分から全てを台無しにしているのだ。

 自分の方から、願いを押しのけるような行動に出ているのだ。

 嗚呼、何と……何と度し難い「自分」か。

 心の底から、呪わしい。

 

 

「そう言う物言い、お前は……相変わらずだな」

 

 

 今だって、止めてくれて良かったと思っているのだ。

 だから彼女は、自分のことが嫌いだった。

 度し難く、呪わしい自分自身が。

 世界で一番、嫌いだった。

 

 

「……マリアンヌ」

 

 

 この場にはいない誰かに、C.C.は瞳から水気を放ちながらそう呟いた。

 それはどこか、懺悔のようにも聞こえた。

 そして神は、魔女の懺悔を聞かない。

 

 

 神は魔女の言葉を聞かない、聞いてくれるのは神とは程遠い存在だ。

 いつだってそうで――――そして、今も。

 悪魔しか、彼女の話を聞いてくれない。

 そして。

 

 

「ぐ……」

 

 

 悪魔の囁きが、頭痛と言う形を取って彼女の身に現れた。

 長く接触を続けたせいだろうか、額から脳髄を刺されるかのような痛みにC.C.は呻き声を上げる。

 くるりと身を回してからその場に膝をついたのは、戻ろうとしたためだろうか。

 

 

「ル……」

 

 

 戻って、注意を促すためだったのだろうか。

 それとも、ただの偶然なのか。

 それは、誰にもわからない。

 ただ、事実だけが残る……そう。

 悪魔の、運命だけが。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 様々な意味で気まずい沈黙が、その場に流れていた。

 青鸞は濃紺のパイロットスーツを着直していた、胸元のファスナーが緩いのはとりあえず着込んだだけだからだ。

 一度脱いだパイロットスーツをもう一度着るのは、女の子としてはなかなか厳しい。

 

 

(でも、男の子の前で裸でいるわけにも……)

 

 

 しかも相手は幼馴染の男の子である、いや直前までただのテロリストだったはずなのだが。

 そして今までの経緯を思えば、相手の言葉の数々を思い出せば、妙に気恥ずかしくなってくる。

 キミが必要だと言われたことや、ガウェインに姫抱きで乗せられたこと、その他諸々。

 思い返せば、やたらに恥ずかしくなってきた。

 

 

 だがアレはゼロとしての言葉であって、必ずしもルルーシュとしての言葉では無い。

 しかしルルーシュはゼロなのであって、いやしかしゼロはルルーシュなのであって。

 ――――アレ?

 気のせいでなければ、青鸞の瞳がグルグルと渦を巻いているようだった。

 

 

「――――と言うわけで、俺にもC.C.のことは良くわからないんだ」

「え?」

「信用できないのもわかる、が、その、C.C.については俺も情報を持っているわけでは無いんだ。だから……」

 

 

 どうやら、C.C.について説明してくれていたようだった。

 しかし青鸞は、実の所あまり聞いていなかった。

 何故なら、目の前にいる黒髪の綺麗な少年のことで胸と頭が一杯だったからである。

 それでなくとも、C.C.と言う先程の少女のことは良くわからないままだったが。

 

 

「え、と。まぁ、それはそれで良いんだけど……ルルーシュくん、さ」

 

 

 ルルーシュからすれば、今回のことで青鸞と旧日本解放戦線の戦力が黒の騎士団から離れることを防ぐ意味でもC.C.のことは話す必要があったのだが、当の青鸞はそこまで気にしていなかった。

 何故なら、勘のようなものを感じていたから。

 あの少女、C.C.は、本心から自分を殺すつもりなど無かったと。

 

 

「ゼロ、なんだね」

「……ああ」

 

 

 青鸞の言葉に、ルルーシュは飾らずに応えた。

 そして、沈黙が訪れる。

 長い、長い沈黙だった。

 その沈黙の中で、少年と少女は何を思ったのだろう。

 

 

 それはある種、その後の行動で差が出たと言える。

 青鸞は俯き、ルルーシュは顔を上げた。

 薄暗い部屋の中で、毒々しい紅の光が輝く。

 ルルーシュの前髪の間、左眼の位置からその輝きは放たれていた。

 ズキリと痛むのは、胸か瞳か。

 

 

「――――青鸞」

 

 

 しかしその痛みに構うこと無く、ルルーシュは少女を呼んだ。

 そして言おうとした、「この場で見た全てを無かったことにしてほしい」と。

 たった一言告げるだけで、それは現実となる。

 だがその時、ルルーシュの脳裏に1人の少女の顔がフラッシュバックした。

 

 

 オレンジの髪、快活な笑顔――――それが失われ、苦渋と悲嘆に陥った哀しい顔。

 その目に映る自分の顔、酷い顔だった。

 そして奪った、かけがえの無い記憶を、関係性を、全てを。

 フラッシュバックしたそれらが、ほんの数秒だけルルーシュの行動を押し留めた。

 

 

「ありがとう」

 

 

 その数秒で、先に青鸞が言葉を紡いでしまう。

 それは、お礼の言葉だった。

 一瞬、ルルーシュは言葉を失った。

 

 

「ゼロの時にも言ったと思うけど、でもルルーシュくんにはちゃんと言ってなかったから」

 

 

 助けてくれて、ありがとう。

 たったそれだけの言葉、しかしその言葉でルルーシュは目を閉じた。

 瞳の痛みが、すぅ……っと消えていくようだった。

 

 

「ねぇ、覚えてる? 子供の頃にも、ルルーシュくんに良く助けてもらったよね」

「ああ、そうだったかもしれないな」

 

 

 キラキラと輝いて見えるのは、思い出と言う名の宝石だ。

 幼い頃、限られた時間を共に過ごした記憶だ。

 あの時、ルルーシュは真面目さからか面倒見の良さからか、スザクに置いていかれた青鸞の相手をしていたことがある。

 妹に同性の友達をと、そう思っていただけなのに……いつしか、それはかけがえの無い物になった。

 

 

 そしてここにいるのは、あの4人の半分だけ。

 兄妹の片割れ同士が、ここにいる。

 ――――同士。

 

 

「ナナリーちゃん、どうしてる?」

「今は、安全な場所にいる。1人じゃない」

「そっか」

 

 

 その言葉で、青鸞にはルルーシュの理由が見えた気がした。

 

 

「……ルルーシュくんがゼロになったのって、ナナリーちゃんのため?」

「…………」

 

 

 お前は父親のためか、などとは聞かない。

 そんなことは、聞かない。

 だから聞かないルルーシュに、青鸞は笑みを浮かべた。

 笑みを浮かべて、そっと両手を伸ばした。

 細い指先が、逆に俯いたルルーシュの頬に触れる。

 

 

「……ボクがチェスが嫌いな理由、知ってる?」

「将棋と違って、弾かれた駒に存在価値が無い冷淡な所が嫌だからだ」

「正解」

 

 

 それは、今、この時にして意味のある会話だろうか?

 あるのだろう、少なくともこの2人には。

 少年の顔を緩やかに持ち上げて、青鸞はルルーシュと目を合わせた。

 

 

 今だ、と、ルルーシュの中で誰かが告げた。

 今ならば、青鸞の記憶をギアスで縛れる。

 ダメだ、と、ルルーシュの中で誰かが告げた。

 彼女だけは、自分が守りたかった3人の内の1人である彼女にだけは、してはならないと。

 ルルーシュのエゴと言う名の別の自分が、真逆のことを告げた。

 

 

(……良いな)

 

 

 一方で、青鸞はナナリーを羨んでいた。

 ナナリーにして見れば、何の説明も無く兄がこんなことをして、迷惑も良い所かもしれないが。

 だが、昔からそうだった。

 

 

 兄の過保護に困っていたナナリーと、それを羨む自分。

 青鸞とナナリーは、そういった意味では妹として対極に位置する関係だった。

 一度で良いから、兄に過保護にされたい、きちんと相手をしてほしい。

 そう、思っていた時代があったのだ。

 そして今、ルルーシュはナナリーのためにブリタニアと戦っているのだと言う。

 

 

「……ボクの肩にはたくさんの命が乗っていて、ボクの意思だけで全てを決められないけど」

 

 

 だからね、ルルーシュくん。

 ボクの、真っ黒な皇子様。

 

 

 

「セイランは、貴方のモノになります」

 

 

 

 え、と、ルルーシュは目を見開いた。

 そんな彼に、青鸞は恥ずかしそうに笑みを浮かべた。

 そう言えば、ハンカチを借りっぱなしだった。

 後で返そう、そう思いながら一度身を離す。

 

 

「貴方が言ったんだよ、チョウフで、神根島で、船の上で……ボクが欲しいって。協力して、ブリタニアを倒すんでしょ?」

「あ、ああ……」

「だから、うん、良いよ。枢木青鸞はゼロの言いなりにはなれないけど、セイランはルルーシュくんの味方になる。ルルーシュくんの守りたいものはボクが守るよ、だからボクの守りたいものを、貴方も守ってほしいんだ」

 

 

 それは、相互扶助の約束。

 かつてスザクと結んだそれとは異なる、しかし別の形の誓約。

 それを今、青鸞は行った。

 ルルーシュの胸に、熱いものが灯ったのは無理からぬことだった。

 

 

「……ありがとう、青鸞」

「ううん、ボクこそ……ありがとう」

 

 

 どちらからともなく額を軽く当てて、微笑した。

 それはとても美しく、綺麗な光景だった。

 あまりに美しくて、今にも崩れ落ちてしまいそうな程に。

 

 

 しばらくして、2人は身を離した。

 互いに少しバツの悪そうな、気恥ずかしそうな表情を浮かべているのは仕方が無いだろう。

 だがそれは、嫌悪や憎悪とはまるで逆方向にある感情だ。

 

 

「それにしても、ルルーシュくんって本当に凄いね」

「何が?」

「ボクが7年かけて出来なかったことを、たった半年そこらでやっちゃうんだもん。何か、ちょっと、うん、妬けちゃうかな」

「ああ……」

 

 

 そこで、何故かルルーシュは少しだけ哀しそうな顔を浮かべた。

 青鸞は素直に「凄い」と褒めてくれたが、実はアンフェアな方法を使っていたからだ。

 権力やコネとは違う、超常の力を。

 

 

 相互扶助の誓約のせいか、それとも幼い頃の記憶か、いや目の前で少し落ち込んで見える少女の顔のせいだろうか。

 ルルーシュは少しだけ種明かしをすることにした、まぁ、俄かには信じ難い話でもあることだし。

 よほど気が抜けているのだろう、妙な頭痛すら感じる。

 左側、目のあたりが特に痛い。

 

 

「俺には特別な力があるから、だから半年でここまで来れたんだよ」

「何それ、僕は頭が良いんですーって自慢?」

「違う違う、そうじゃないって」

 

 

 ズキズキと、痛む。

 

 

「俺の命令には、誰も逆らえない。そういうことだよ」

「……病院に行く? ゲットーに病院は無いけど」

「だから、そうじゃない。そうだな、例えばこの場で青鸞、俺がもしお前に……」

 

 

 焼け付くような痛みが、左眼を焼いて。

 そして、告げる。

 その状態で、言葉を紡げばそれは。

 

 

 

「――――俺に従え」

 

 

 

 それは、絶対遵守の「命令」となる。

 知らぬ内に放たれた言葉は命令となり、飛ぶ。

 まるで、鳥の羽のように。

 

 

「なんて言ったら、俺に絶対服従の奴隷になる……」

「……ルルーシュくん、大丈夫?」

「だから、そうじゃなくて」

「目、何か――――赤いけど」

 

 

 その時、ルルーシュははっとした。

 左眼の痛みが引いていく、痛みが引いていくと言うよりは、馴染んでいる。

 そんな感覚が、少年の脳裏にある確信をもたらした。

 力が、深まった、その確信を。

 

 

 まさかと思った時には、もう遅い。

 瞳が赤く輝く、それは彼にとって重要な意味を持つのだ。

 だから彼は、反射的に目の前の少女の肩を両手で掴んだ。

 

 

「ダメだ、青鸞!!」

 

 

 ルルーシュの悲鳴のような叫びに、青鸞は大きく目を見開いた。

 その眼に、ルルーシュの左眼が映りこんでいる。

 真紅に輝くその瞳に魅入られたかのように、少女は唇を薄く開いた。

 

 

 望んで手に入れた力は、しかし望む世界を見せてくれる保証にはならない。

 そして。

 ――――そして、少年と少女の物語が幕を上げる。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 キュウシュウ戦役終結から5日後、セキガハラ決戦まであと9日。

 多くの人々が意外に見守る中、ブリタニア軍・テロリスト双方がトーキョー合意を遵守し、エリア11が「嵐の前の静けさ」に包まれているその日。

 枢木スザクは、空の上にいた。

 

 

「え、いない?」

 

 

 航空戦艦アヴァロンの通路、忙しい合間を縫ってスザクは携帯電話でアッシュフォード学園の先輩――この1週間、学校を休みっぱなしだ――であるミレイに連絡を取っていた。

 そのミレイに何も言わずに休んで申し訳ないと告げた所、ミレイ達もトーキョー租界にいないのだと言う。

 何でも、トーキョー決戦直前に租界の外のアッシュフォード家の別荘に移っていたらしい。

 

 

 だがスザクの「いない」は、ミレイ達がトーキョー租界にいないことを意味していない。

 トーキョー決戦以降、学園は休校状態なので、諸々の情勢を考えるとむしろ租界にいない方が良いのかもしれない。

 ナナリーやシャーリー、リヴァルにニーナも一緒だと言うから、それこそ良かった。

 しかしそこには、スザクの思う人物が1人欠けていた。

 

 

「ルルーシュがいないって、どういうことなんですか?」

『それがわからないのよ、たまに電話はしてくるから無事だとは思うんだけど……どこにいるのかはさっぱり。まったく、今度会ったら罰ゲームの刑よ』

「罰ゲームって……」

 

 

 声は苦笑しているが、しかし表情は笑っていない。

 この情勢下で行方が知れないと言うのは洒落にならない、特にスザクはルルーシュのことを良く知っている分、心配の度合いは上がる。

 いったい、どこで何をしているのか。

 まぁ、頭も良く行動力もあるルルーシュのことだ、何とかしているとは思うが……。

 

 

『カレンは租界の病院って話だけど、ルルーシュに関してはさっぱり。今回の合宿だって、ルルーシュが言いだしたのよ? 何と言うか、まぁ、タイミングばっちりだったから良かったけど……』

「そうですね、僕も会長や皆が無事でほっとしました。……それじゃ、ナナリーや皆によろしく」

『はいはい。根詰めるな……って言っても無駄だとは思うけど、たまには息抜きなさいよ。ただでさえ張り詰めてるんだから、スザク君は』

「あはは……じゃあ、また」

『ん、学校でね』

「……はい」

 

 

 電話を切り、僅かながら温かな気持ちを得たスザク。

 しかし、同時に一つの疑念が彼の胸の奥に芽生えていた。

 それは、「ルルーシュはどこにいるのか」ということだ。

 

 

 スザクは彼と言う人間を良く知っている、彼がこの状況でナナリーの傍にいないのは明らかにおかしい。

 彼の知るルルーシュならば、こんな時にナナリーの傍にいないはずが無い。

 もし離れる時は、離れた方が良い何かしかの理由があるか、それとも離れてまで何かしなければならないことがあるかだ。

 

 

(それに、このタイミングで予定に無かったイベントを入れる……?)

 

 

 あの会長をどう説得したのかも気になるが、それ以上にルルーシュの意図がわからなかった。

 もちろん、彼の考えすぎと言うことはあり得る。

 いや、むしろ考えすぎだろう。

 この時のスザクはそう考えた、普段は何も考えないくせに、一度考えると長いのは悪い癖だと。

 

 

「ふん、まさかこんな所で貴様のような者と再会しようとはな」

 

 

 その時、不意に声をかけられて、スザクは今度こそ思考を中断した。

 誰に声をかけられたかと声を上げれば、スザクは意外そうに目を見開いた。

 何故ならそこにいたのは、青の軍服に身を包んだ金髪の青年だったのだから。

 スザクはその顔を知っている、そして軍服の胸元で輝く赤い紋章を知っている。

 それは、「純血派」の証だ。

 

 

「貴方は……」

 

 

 名誉ブリタニア人であり、かつては皇族殺しの容疑をかけられたスザク。

 そんな彼にとって、最も縁遠く対極の位置に立つ男が、そこにいた。

 

 

「キューエル卿……!」

 

 

 スザクに名前を呼ばれたブリタニア人の騎士は、不快そうに鼻を鳴らした。

 ナリタでの軍功で今や純血派部隊を率いる立場にある男、キューエル・ソレイシィ。

 彼は、額から両頬にかけて広がる赤い傷痕を歪めながら、スザクを睨んでいた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 そして空の上で茶色の髪の少年が驚愕の再会を経験していた頃、溜息を吐いている少女がいた。

 その少女はトーキョー租界にいて、しかも軟禁されていた。

 軟禁、と言うのは正しくないのかもしれない。

 

 

 そこは政庁の彼女の自室であったし、外に出たいと言えば出ることも出来るし、政庁の敷地内であれば散歩に出ても誰にも咎められることは無い。

 だが、政庁の外には出られない。

 総督である姉コーネリアの命によって、ユーフェミアの行動は完全に管理されることになっていた。

 理由は、「ユーフェミアを守るため」である。

 

 

「ユーフェミア様、お紅茶が入りました」

「ありがとう」

 

 

 事務的な会話をする相手は、姉でも無ければダールトンでも無い。

 自室のテラスに置かれた白い椅子に座って外を眺めていた彼女の横から、緩やかな湯気を立てた紅茶のカップが差し出される。

 銀盆を持つのはメイドでは無く、黒を基調とした軍服を纏った少女だった。

 

 

 年はユーフェミアより下のはずだが、穏やかな口調と言いキビキビした動作と言い、ユーフェミアよりもよほどしっかりして見える。

 それもそうだろう、彼女は本国の士官学校のトップ成績者なのだ。

 名前はリーライナ・ヴェルガモン、元は姉コーネリアの従卒をしていた少女だ。

 その少女が今、ユーフェミアの身の回りの世話・警護を行っている理由は、一つしか無い。

 

 

(お目付け役、か……)

 

 

 温かい紅茶に口をつけながら、そう思う。

 事実、リーライナはお目付け役だった。

 コーネリアに忠実で、ブリタニアへの貢献心もあり、皇族への忠節を知り、能力があり女性である。

 これだけの条件が整っている年若い少女兵はいない、コーネリアが信を置くわけだ。

 

 

「あの、総督の下にいなくとも良いのですか?」

「お気遣い嬉しく思います、ユーフェミア皇女殿下。しかしコーネリア総督の下には、すでに私の後背が新たな従卒として配属されておりますので、ご安心ください」

「新しい従卒?」

「はい、マリーカ・ソレイシィと言いまして、優秀な後輩で私も安心しております」

 

 

 ソレイシィ、その名前には聞き覚えがある。

 確か純血派にそのような名前の騎士がいたはずだ、ならば妹も純血派なのだろうか。

 仮にそうであるのなら、姉コーネリアの周囲に徐々に純血派の勢力が浸透しているとも言える。

 一瞬、ユーフェミアの胸に不安が差し込んだ。

 

 

「それでは、何か御用などございましたら、お呼びくださいますように」

 

 

 礼儀正しく礼をして、リーライナは外へ出た。

 それを見送りながら、またユーフェミアは溜息を吐く。

 政庁という箱庭の中、トーキョー決戦で傷ついた者達の慰安にも行けず、何もさせてもらない。

 そんな日々に、少女の胸は徐々にだが焦りを覚えていた。

 

 

 コーネリアが自分を心配するのはわかる、自分は一度拉致されているのだ。

 しかもトーキョーと言う本拠に攻撃を受けて、それこそ余裕が無いのもわかる。

 だからユーフェミアを守ろうとして、安全な場所に閉じ込めるのもわかる。

 姉の気持ちを想えば、「閉じ込める」と言う表現も正しくは無いのだろう。

 しかし、である。

 

 

「……スザク」

 

 

 知らず、茶色の髪の少年の名を呼ぶ。

 彼ならばきっと理解してくれる、助けてくれる、何の根拠も無くそう信じていた。

 だが伸ばした手は、告げた騎士の誘いは脆くも断られて、自分が皇女として思い上がっていたことを知った。

 心のどこかで、自分が本気で頼めば通ると思っていたのだ。

 

 

(思い上がりも、甚だしい)

 

 

 閉ざされた世界は、ユーフェミアの心を蝕んでいく。

 無力感と、願いへの道のりの遠さ、そして倦怠感。

 どこか、薄い感覚。

 はぁ、と再び溜息を吐いて目を閉じる。

 

 

 どうしてだろう、と、いろいろな人の顔が瞼の裏を巡っていく。

 現在の記憶もあれば、過去、幼い頃の記憶もある。

 いなくなってしまった人達もいて、思う。

 どうして、失われてしまうのだろうかと。

 

 

「どうして……」

 

 

 それは皮肉にも、スザクに対して別の意味で問いかけた少女の言葉と同じだった。

 だが、意味はどこか似ている。

 どうしてそんなことをするのかと、どうして争うのか、傷つけあうのかと。

 心の底からそう思って、ユーフェミアの目尻から涙の雫が一つ零れ落ちた。

 

 

 

「酷い世界だよね」

 

 

 

 文字通り、ユーフェミアは飛び起きた。

 目を開いて慌てて横を見る、するとそこに見慣れぬ少年がいた。

 地面に引き摺る長い金髪、整っている幼い容貌、僧服のような奇抜な衣装。

 どこかこの世の物では無い、不思議な空気を纏った少年。

 

 

「だ、誰ですか? ここは……」

 

 

 皇女として発すべき言葉を、ユーフェミアは続けられなかった。

 それは、紫水晶のような瞳に魅入られたからかもしれない。

 

 

「初めまして、ユーフェミア・リ・ブリタニア。僕の名前はV.V.(ブイツー)

「ぶ、ブイツー?」

 

 

 人間の名前とは思えない記号を口にするユーフェミア、そんな少女の顔を不思議な少年は見た。

 V.V.と名乗った少年は、きょとんとした表情を浮かべる少女を見て、無邪気な笑顔を浮かべたのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 この時点で最も人々の話題に上るだろう人間の1人、シュナイゼルは、一時本国に戻っていた。

 時差の関係で、トーキョー租界が午前を終えようとしている時、帝都ペンドラゴンはまだ前日の夜である。

 その意味では、シュナイゼルは十数時間を得していると言えるのかもしれない。

 

 

「すまないね、カノン。任せていた仕事を放り出させて」

「構いませんわ、もう終わらせてきましたから」

 

 

 シュナイゼルがブリタニア本土に滞在する――「滞在」と言えてしまう程に、彼の身は常にどこかに在る――時に使う宰相府の執務室で、彼は1人の人物を迎えていた。

 彼、と言うには、いささか女性的な容貌をした男性ではあるが。

 女性用軍服の肩にかかる長い髪、薄いルージュに香る香水、そして女言葉。

 全て、彼――カノン・マルディーニ伯爵の趣味である。

 

 

「それにしても、驚きましたわ。殿下は相変わらず、人を驚かせることが好きですわね」

「別に驚かせるつもりでやったわけでは無いよ、必要だと思ったからやっただけなんだから」

「その結果が常人に推し量れる範囲であれば、誰も驚きなどしませんわ」

 

 

 ばっさりと上司を切り捨てるカノンに、シュナイゼルは苦笑のような表情を浮かべた。

 執務卓に座るシュナイゼルの前に立つカノンは、彼の側近中の側近だった。

 時にはシュナイゼルの代理人として飛び回ることもあるし、軍人と言うよりは軍官僚として、彼の手足として働いてくれる有能な人間である。

 

 

 そう言う意味では、シュナイゼルは今の皇帝、シャルルに似ているのかもしれない。

 能力主義。

 有能であるのであれば、本人の人格や性癖などは一切、気にしない、好きにさせる。

 ――――ただ、と、カノン自身は思うのだが。

 

 

(陛下に似ている、と言うより、模倣している、の方が近いかもしれないけれど)

 

 

 まぁ、それはまた、別の話である。

 

 

「それにしても、この時期にエリア11を離れるとは……殿下も大胆ですわね」

「そうでもないさ」

 

 

 それに対してははっきりと肩を竦めて、シュナイゼルは言った。

 シュナイゼルはこの時点で、少なくともゼロが合意を無視する可能性を考慮していなかった。

 一部の暴走があったとしても、ゼロがそれに乗じて攻勢に出ることはあり得ない。

 何故か、シュナイゼルにはそう言う確信があった。

 だからこそ彼は一時本国に戻り、様々な根回しや会談に従事しているのである。

 

 

「バトレーが面白い研究をしていてね、クロヴィスの遺産らしいんだが、使えるなら使おうと思っている。最も、これは純血派にも言えることだけどね」

「バトレー将軍に、純血派ですか。亡くなったクロヴィス殿下には申し訳ありませんが、私はあまり良い話は……」

「大丈夫、クロヴィスは何も間違っていないよ……クロヴィスはね」

 

 

 椅子の肘掛けに肘を置き、どこか薄い表情でそう言うシュナイゼルにカノンは心配そうな目を向ける。

 この主君は、時として人を「驚かせる」。

 だからカノンとしては、目を離すわけにはいかないのだった。

 主君としても、そして、ただ1人愛した男性としても――――……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 さらに数日が進んで、決戦1週間前。

 その時になると、黒の騎士団の主な仕事は各地から集まって来た民兵やテロリストの選別や再編、訓練へと移行していた。

 むしろ遅すぎるくらいなのだが、何しろ所詮はテロリストなのである。

 

 

 キョウトの支援があってもイレヴンの移動には何かと時間がかかる、物資の移動についてもだ。

 この点、ブリタニア軍には無い悩みだろう。

 それでも、不自然な程に集まって来たテロリスト・グループのリーダー達がゼロに協力的なのが気になると言えば気になるが……しかしそのおかげで、加速度的に指揮系統の再編は進んでいる。

 それに、中にはそうしたことに一切の不安を有していない人間もいる。

 

 

「扇さん! キュウシュウからの積荷の最終便、来たんでしょう?」

「あ、ああ……見ての通りだよ」

「へぇ~……これが中華連邦のナイトメアなんだ」

 

 

 その日、カレン達はオオサカの港に来ていた。

 そこには数隻の貨物船が入っていて、そのいずれもがキョウト名義の船だった。

 もちろん、表向きはダミー企業の所有物と言うことになっている船である。

 

 

 その内の1隻からは、ずんぐりした形のナイトメアが次々と荷降ろしされている所だった。

 クレーンを使って陸揚げされているのは、カレンの言った通りの代物である。

 カゴシマなどキュウシュウ南部で旧日本解放戦線側が拿捕した中華連邦のナイトメア、鋼髏(ガン・ルゥ)

 ブリタニア軍を相手にどこまで戦えるのかは不透明だが、騎士団にとっては貴重な戦力になるだろう。

 

 

「何だか、グラスゴー1機使うのに四苦八苦してた時代が嘘みたいだよね」

「…………」

「扇さん? どうかしたの?」

「……あ、ああ、いや、何でも無いんだ。疲れてるのかな、はは……」

 

 

 組織が大きくなっても、相も変わらず古ぼけたジャケットを着用する扇。

 凡庸で地味と言う評判もあるが、それでもカレンはこの副司令の青年を結構好いていた。

 だから妙に反応が鈍く、何かを考えている風な扇を見れば心配くらいはする。

 それに今に限らず、扇はここの所、変なのだ。

 今みたいにぼうっとしていたかと思えば、ソワソワしたり。

 

 

(……そういえば、この間明らかに女性物のお弁当食べてたけど)

 

 

 井上と一緒に目撃したのを覚えている、どう考えても男の料理では無い弁当を食べていた。

 タコさんウインナーとか、いやもしかしたら扇が自分で作っている可能性もあるが。

 まぁ、普通に考えれば恋人とか、そう言うものだろう。

 そのことでも考えているのだろうか?

 

 

「そ、それにしても凄いな、確かに」

 

 

 カレンの目がだんだんとジットリとしたものに変わるのを感じたからか、扇は慌てたように言った。

 

 

「これ全部、青鸞さま達が持って来たものだろ」

「……青鸞さま、か」

 

 

 キョウトの人間に対する敬意は、カレンも持っている。

 何しろキョウトの支援で抵抗活動をしているわけだし、その中でも青鸞はスザクの妹ながら最前線に立ち続けている。

 黒の騎士団の一員として最前線に立つカレンとしても親近感が持てる方だし、チョウフでは短い時間だが戦場を共にしたこともある――――……が。

 

 

「ゼロ様、こんな所にいらしたんですね!」

 

 

 が、である。

 カレンとしては、もう1人のキョウトの「お客様」はあまり好きになれない。

 何故なら彼女は、どう言うわけか騎士団と行動を共にして、しかもカレンの敬愛するゼロに――今だって、ゼロを信じているから不安など微塵も無い――まとわりついているのである。

 

 

『これはこれは神楽耶さま、青鸞嬢なら2番船の方に行っておりますが』

「あん、もう、青鸞は確かに大切な友人ですけれども、私は貴方に会いに来たんですのよ? 毎日毎日お仕事で、新妻を放ったらかしにして。いけない人!」

『お戯れを……』

 

 

 皇神楽耶、キョウトの生粋のお姫様である。

 青鸞がやや異色であることを思えば、まさに「姫」だ。

 それが何故、ゼロの「妻」を名乗っているのかはわからない。

 わからない、が。

 

 

「か、カレン? 神楽耶さまも大事なお客様だから……」

「わかってる。わかってますけども……!」

 

 

 何故かカレンは、釈然としない苛立ちを感じていた。

 それは、ここ数日は姿を見ていないが、C.C.と言う少女に向ける苛立ちとはまた別の物だった。

 しかし、いずれにしても。

 

 

「ゼロ様~!」

 

 

 何故か、無性に苛立つのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 中華連邦から拿捕したナイトメアや旧日本軍の兵器郡を積んだ貨物船を率いてきたのは、草壁である。

 義手義足に傷痕と以前にも増して貫禄と迫力が出ている彼は、厚い胸を逸らしつつ港で待っていた旧日本軍の面々と顔を合わせていた。

 旧日本解放戦線のメンバーだけでなく、決戦を聞きつけて集まって来た旧日本軍の人間もいる。

 そしてその多くは、戦後抵抗活動から離れていた三木が声をかけた面々であった。

 

 

「ご無沙汰しております、三木大佐」

「久しぶりだな、草壁君。活躍の程は良く聞いているよ……私は7年間何もしなかった男だ、上官扱いなどしなくとも構わない」

 

 

 船の前で握手をする草壁と三木は、言うなれば、戦後の行動において対極に位置する存在だった。

 草壁は最強硬派としてずっと抵抗活動に身を投じていたし、三木は早々とブリタニアに恭順の意思を示した軍人だ。

 その2人がこうして握手を交わしているのは、ひとえに1人の少女が間に立ったためと言える。

 

 

「草壁中佐!」

 

 

 旧日本軍の兵士が集まっている中に、場違いな程に明るい少女の声が響く。

 位置関係的に草壁の後ろから声は聞こえてきた、先に見えたらしい三木は少し意外そうな表情を浮かべた。

 その少女が浮かべているだろう喜色の表情を脳裏に描いて、気のせいでなければ草壁の両目が輝いたように見える。

 

 

「こんのぶぅああああああかもんがああああああああああぁ……あ?」

 

 

 振り向き様の怒鳴り声が、急激に萎んだ。

 何故ならそこにいた少女は草壁の想像通りの少女だったのだが、格好がいつもと違ったためである。

 

 

「青鸞お嬢様、そのお姿は……」

「あ、うん。どうかな、似合う?」

 

 

 くるんっ、とその場で回って見せる青鸞。

 ただいつもの着物と違い袖や裾が揺れることは無い、何しろ揺れる所が無いのだから。

 青鸞が身に纏っているのは、深緑色の軍服だった。

 千葉が着ている物よりもサイズが二周り程小さいが、確かにそれは旧日本軍の軍服だった。

 

 

 思えば、青鸞が旧日本軍の軍服を纏っていたことは無い。

 それは彼女の立場が軍人では無かったためだが、しかしそれ故にキョウトの人間であるとの証明のような物だった。

 しかし、旧日本解放戦線は日本軍が母体だが、厳密な意味で軍隊ではない。

 だから、軍人でなくとも衣装を着ることも出来なくは無いのだが。

 

 

「草壁中佐、どうですか、佐々木さんにお願いして用意してもら」

「こんのぶぁかもんがあああああああああああああっっ!!」

「ひっ」

「軍人でも無い小娘が軍服なぞ着てどうするか! 貴様と言う小娘が着るには覚悟も経験も器量も体格も年齢も何もかもが足りんわっ!! 今すぐ脱いでこい、軍服が泣くわ!!」

 

 

 火を噴きそうな勢いで草壁が怒る、身を竦めて怒声を受け止める青鸞は若干涙目であった。

 鼻息荒い草壁を三木が「まぁまぁ」と宥めるのだが、周囲の兵はどこか慣れた様子だった。

 どうやら彼らにとって、草壁は常に怒鳴る存在であるらしい。

 

 

「何だか、ナリタを思い出すね」

「それ程、昔のことでも無かったはずなんだが……」

 

 

 草壁に怒鳴り散らされる青鸞の様子をやや離れた位置から見守りつつ――ある意味、見捨てていると言える――朝比奈の言葉に、卜部は首を傾げた。

 しかし実際、ナリタで抵抗活動を続けていた頃と比べれば随分と変わった。

 と言うか、常識で考えればあり得ないことが多々起こっていると言える。

 

 

「今はゼロに協力を、ね。青ちゃんの言うこともわかるけど」

「何だ、俺も別におかしなことでは無いと思うが」

「まぁ、ね」

 

 

 朝比奈がどこか釈然としない表情を浮かべるのは、数日前から青鸞の様子が変わったと感じていたからだ。

 特に対応が変わったと言うわけではない、決戦に向けた協力は規定路線だ、だからそれ自体はおかしなことは無い。

 

 

 朝比奈が感じているのは、距離感の問題だった。

 以前の青鸞はゼロに対して適度な距離感を保とうとしている姿勢が見て取れた、だがここ数日、僅かながらその姿勢に変化が起きているような気がするのだ。

 もちろん根拠の無い、朝比奈の気にしすぎと言うこともあり得るが……。

 

 

(……気になるね)

 

 

 草壁に叱られている青鸞を見つつ、朝比奈は肩眉を上げる。

 まぁ、それ以上口に出すことは無かったが。

 彼として、青鸞から目を離すまいと思った。

 

 

「朝比奈、卜部」

 

 

 その時、低い声が彼らを呼んだ。

 朝比奈が振り向いたそこには、彼の上官がいた。

 藤堂である、手に刀を持った彼は朝比奈と卜部の間に立つと、目を細めて少し離れた場所を見た。

 

 

 旧日本軍の兵に囲まれる、青鸞の姿を。

 おかっぱの黒髪に深緑色の軍服を纏った少女の姿を視界に収めると、彼は表情を苦々しいものへと変えた。

 しかし彼は、それでも歩を進めた。

 話すべきことを、話すために。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 藤堂は、オオサカ・ゲットーから港まで持ってきたトレーラーのコンテナ部分に青鸞を招き入れた。

 人気の少ない場所ならどこでも良かったのだが、防音性の高い軍用トレーナーは都合が良かったのだろう。

 ナイトメアの収容前でスペースの空いたそこに、物資を椅子に見立てて2人で並んで座る。

 

 

「藤堂さん、お話って何ですか?」

「ああ……」

 

 

 今や黒の騎士団の精鋭1万の運用を任される藤堂は、ここのところ多忙だった。

 だからこうして青鸞と2人きりで話すのは、実はナリタ以来である。

 だがそれは都合が悪かったと言うよりは、やはり避けている部分があったのだろう。

 そして今も、どこか話しにくそうにしている。

 

 

 青鸞もそんな空気を察しているためか、それ以上は話を催促するような真似をしない。

 外は物資の搬入で非常に騒がしいのだろうが、防音壁に覆われたここは静かな物だ。

 だからほっそりとした足を揃えて座り、藤堂が話し始めるのを待つ。

 実直な性格の藤堂がこうして自分を連れ出した以上、誤魔化しは無い。

 そう、信じてのことだった。

 

 

「……ナリタから逃れてチュウブで別れる時、言ったな」

 

 

 そしてそんな少女の信頼に、藤堂は確かに答えた。

 青鸞は顔を上げて、隣に座る藤堂の厳しい横顔を見つめた。

 今も昔も日本を背負う軍人は、少女の視線を感じつつ言葉を続けた。

 

 

「決戦の前に、どうしても話しておかなければならないことがある。いや、本当はもっと早くに話しておくべきだったのだろう」

「……父様のことなら、いろいろな人から聞きました」

「そうか、そうだろうな。三木大佐がいた時点で、ある程度の覚悟はしていた。だが、三木大佐でさえ知りえないことが……」

 

 

 枢木ゲンブの晩年、距離をとっていた三木は知らない。

 7年前のあの夜、あの時点で、何があって、どんなことが話されていたのか。

 今から藤堂が話すのは、今の時点から調べたり、ゲンブの若かりし頃を知る人間に話を聞くだけではけして知りえないことだ。

 

 

 過去7年間、藤堂がずっと胸に秘めていた秘密である。

 知っている人間は、相も変わらずこの世に3人だけ。

 自分、桐原、そして……スザク。

 この3人しか知らない秘密を、藤堂は今日、青鸞に話すつもりでいた。

 何故ならば、おそらくは、決戦直前のこのタイミングこそが最後の機会だから。

 

 

「…………青鸞」

 

 

 深く息を吐き出すような声で、搾り出すように、藤堂は言った。

 

 

「私は、お前に話さなければならないことがある。そしてその後、もしお前が望むのであれば」

 

 

 手に持っていた刀の鍔を軽く鳴らして、藤堂はそれを青鸞に示した。

 少しばかり驚いたように目を丸くする青鸞に、藤堂は苦しげな表情で告げた。

 

 

「……私を、斬るが良い」

 

 

 藤堂の言葉に、青鸞は今度こそ目を見開いた。

 そして、藤堂は語り始める。

 7年前のあの日、何があったのか。

 最後まで青鸞の前にオープンにされていなかった真実が、目の前に現れて。

 その時、青鸞は――――……。




 最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
 どうにか軌道に乗ってきて、仕込みもいろいろやっている今話です。
 次話も似たような形になるかと思いますが、次話は少し遊んでみようと思います。
 次話はおそらく、青鸞と黒の騎士団の面々の絡みになるのかな、と思ったり。
 ようやく絡めます、長かった。
 と言うわけで、次回予告です。


『決戦まであと僅か、時間はあまりにも少ない。

 けど、出来ることはしておきたい。

 そして同時に、ちゃんと休まないといけないのもわかる。

 わかるけど……。

 ……この年になって、おままごとは恥ずかしい、かな』


 ――――STAGE24:「黒 の 騎士団」

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