コードギアス―抵抗のセイラン―   作:竜華零

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と言うわけで、第1部の最後です。
では、どうぞ。


STAGE27:「平和 の 敵」

 夕焼けの空の中に、半ば朽ちた祭壇が浮かんでいる。

 いつかどこかで見た光景に似ているが、しかしけして同じ場所では無い。

 だが、「同じ」ではあることを彼女は知っていた。

 

 

「――――久しぶりだな、V.V.」

 

 

 夕焼けの祭壇、その世界に涼やかな少女の声が響く。

 少女は人形めいた美しさを持っていた、風に流れる緑の髪にバランスの取れた身体つき、そして白貌と言うべき顔の造形は見る者の視線を奪ってやまないだろう。

 名前はすでに無く、持つのはC.C.と言う記号だけの少女。

 

 

 一方、彼女の視線の先にいる少年も同じく造りものめいた容姿を持っていた。

 床まで届く波打つ金髪に紫の瞳、司祭服を思わせる白い服に黒紫のマントを羽織った男の子。

 V.V.と呼ばれたその少年は、外見上は10歳そこらにしか見えない。

 だがC.C.は知っている、その少年が自分と「同じ」存在であり、人間で言う老齢に差し掛かっている男だと言うことを。

 

 

「久しぶりだねC.C.、まさかこんなに上手くキミを誘い出せるとは思わなかったよ」

「何を馬鹿な、人の契約者に手を出しておいて……」

 

 

 いけしゃあしゃあと、子供らしく無邪気に言うV.V.にC.C.は僅かに顔を顰める。

 しかしその表情も、V.V.の隣にいる人物を見て変化した。

 まぁ、気を失って眠っている人間を「いる」と表現して良いのかは微妙だが。

 

 

 それでもそこにいるのが赤の他人であったなら、C.C.は気にも留めなかっただろう。

 だがそこにいるのが車椅子の少女で、ふわふわの髪の可愛らしい少女であることに驚いたのだ。

 つまり、ナナリーである。

 正直な所、C.C.としては珍しくぎょっとした心地だったのだ。

 

 

「何となく感じてはいたが……本当にどう言うつもりだV.V.。セキガハラから神根島だと? 後でどう説明をつけるつもりだ、大体、契約者に関することでは手を出さないと言うのが……」

「キミが契約者に執着するのはわかるけどね、C.C.」

 

 

 どこか宥めるような声音で、V.V.が言う。

 C.C.は僅かに苛立ちのこもった瞳で少年を見やったが、しかし必要以上に感情を動かすことも無かった。

 

 

「でも、キミが悪いんだよ。突然嚮団を抜けて姿を晦ませて、行方を知らせることも無くさ」

「何? それは……」

「けど良いよ、こうして神根島に来たってことは、そう言うことでしょ? まぁ、いろいろ連れてくるとは思わなかったけれども、概ね予定通りだしね」

「……?」

 

 

 何故なら、V.V.の物言いに違和感を覚えたからだ。

 ナナリーを攫ったこともそうだが、まるでC.C.が自分の意思でここに、セキガハラから遥か離れた伊豆諸島の島に来たと思っている様子だった。

 

 

(まさか……何も聞いていないのか?)

 

 

 だから、違和感を感じた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 馬鹿な、とルルーシュ=ゼロは仮面の下で瞳を見開いた。

 ギアスの紋様が輝く左眼を一杯に見開き、どこかの遺跡らしき洞窟、石版にも扉にも見える壁を背に立つ昔馴染みを見つめる。

 ユーフェミア・リ・ブリタニア、言わずと知れたコーネリアの実妹である。

 

 

 今となっては信じられないことだが、かつてルルーシュ・ナナリーの兄妹とコーネリア・ユーフェミアの姉妹はかなり親しかった。

 それこそ、日本におけるスザク・青鸞の兄妹との交流のように。

 毒蛇の巣とも言われるブリタニア皇室においては本当に稀有な例で、当時のルルーシュも彼女らだけは自分達の味方だと信じていた。

 

 

(そのユフィが、何故こんな所に……!?)

 

 

 再会によって得られる郷愁も何もあった物では無い、いやもちろん、ルルーシュもユーフェミアとの再会に喜びを感じないわけでは無い、無いのだが。

 状況が、それを許さない。

 そして彼女の状態が、それを許さないのだ。

 

 

(ギアス、だと……!?)

 

 

 穏やかな微笑を浮かべるユーフェミアの双眸に浮かぶ、紅の紋様。

 赤い鳥が羽ばたくようなそれは、紛れも無くギアスだった。

 問題は、ギアスが何故ユーフェミアの眼に刻まれているのかだ。

 

 

 まさかC.C.か、と一瞬思う。

 かつてマオと言う契約者がいた、自分以外にギアスを持つ者がいるのは不自然とは言えない。

 だがC.C.は他に契約者はいないと言っていた、それが嘘だとは思えない。

 ならば、何故。

 

 

「ゆ……ユフィ……?」

 

 

 そしてルルーシュ以上に呆然と呟くのはコーネリアだ、意味がわからない、と言うような表情を浮かべている。

 それだけ、目の前に立つたおやかな女性の存在を信じられなかったのだ。

 と言うより、誰が想像しただろう?

 こんな場所にいて良い存在では無いだろう、彼女は。

 

 

「お、お前……どうして。お前は、政庁の自室で休養しているはず……ヴェルガモンはどうした、護衛の者はどこで何を」

「ごめんなさい、お姉さま」

 

 

 いつもの聡明さはどこへ失せたか、銃を下げて狼狽するばかりの姉にユーフェミアは謝罪した。

 あまりにもあっさりとした謝罪に、コーネリアはどこか毒気を抜かれたような表情を浮かべる。

 場違いながら、子供の頃、悪戯好きだった妹を叱った時のことを思い出したからだ。

 

 

「でも、もう大丈夫だから」

 

 

 あくまで優しいその微笑は、普段の彼女と何も変わらない。

 誰もに安心感を与え、温もりを与え、そして安らぎを与える彼女。

 コーネリアには無い資質を持った、ブリタニア皇室に聖女がいるとすれば彼女だと称えられる皇女。

 ――――……そう。

 その微笑みは、見る者全ての穏やかさを「与える」――――。

 

 

「もう、争わなくて良いから。皆で平和に、穏やかに、優しい場所で、一緒に……」

(な、何……だ……?)

 

 

 胸に宿る安らかさに、一歩を下がった者がいる。

 スザクだ、彼もまたユーフェミアの突然の登場に自分の目を疑った1人である。

 しかしそれ以上に彼が驚いたのは、自身の感情についてだった。

 

 

 元々、彼は心の奥底で罰せられることを望んでいた人間だ。

 

 

 ルールに固執するのも、危険の中に自らを晒すのも、根源はそこだ。

 誰かに罰せられたい、その罰は重ければ重い程良く、死すら受け入れるつもりだった。

 それだけの厳しさをもって、生きていた。

 彼はしかし今、殺伐としたその感情が少しずつ失せていくのを感じていたのである。

 あれだけ大きく自分の胸に圧し掛かっていた物が、ここに来て急に。

 

 

「……皆で、ただ穏やかに……」

 

 

 穏やかな、気持ちになる。

 とても安らかで、母の腕に抱かれているような、苦しくも辛くも無い感覚。

 7年前、父を殺してから……何年ぶりだろうか、こんなにも穏やかな心地になったのは。

 深く息を吐いたその顔は、どこか優しかった。

 

 

 ルルーシュもまた、父と父の帝国への敵愾心・復讐心を忘れつつあった。

 コーネリアも、先程までの闘争心が嘘のように穏やかな表情を浮かべている。

 それを見て、ギアスの輝きを両眼に宿したままユーフェミアが微笑んだ。

 微笑んで、まるで慈母のように両手を広げる。

 

 

「もう、戦わなくて良いんです。争いの無い、優しい世界で生きて良いんです。だって、争って傷つけあって、そんなの、哀しいだけでしょう?」

 

 

 ユーフェミアの言葉が、ルルーシュ達の胸の奥に少しずつ浸透していく。

 耳元で囁かれているかのように彼女の声が頭の中を反響して、そして溶けて行く。

 ルルーシュ達の中から、棘のある感情が失われていく。

 ユーフェミアの優しい声だけが響く中で、彼女の双眸の輝きはより強さを増していった。

 そしてそれに呼応するかのように、ルルーシュ達の瞳が赤い輪郭を帯びて行く……。

 

 

 

「違うね、間違ってるよ……ユーフェミア・リ・ブリタニア」

 

 

 

 いや、1人だけ。

 ただ1人だけ、ユーフェミアの言葉を聞かない者がいた。

 ユーフェミアの優しさが、穏やかさが、伝わらなかった少女がいた。

 彼女は、ユーフェミアを下から睨め上げながら。

 

 

「辛くても、苦しくても、戦わなくちゃいけない時がある。争ってでも勝ち取らなくちゃいけないものがある、そのために」

 

 

 そのただ1人、青鸞は力強くそう告げた。

 ユーフェミアの前に対峙して、ある意味で対極にいる2人の少女が互いを認識する。

 

 

「そのために、ボク達は今までを過ごしてきたんだから」

 

 

 そしてその青鸞を、ユーフェミアは酷く哀しそうな瞳で見つめていた。

 赤き鳥が羽ばたくその瞳を青鸞に向けて、彼女は本当に哀しそうに眉を下げたのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――感情の伝播だ、と、穏やかな心地の中でルルーシュはそう結論付けた。

 父への復讐心が穏やかさに取って代わられつつある中、それでもギアスに関する知識を持つルルーシュは気付いていた。

 ユーフェミアのギアス、その正体に。

 

 

(マオと同じ範囲型、それも相手の心を読むのではなく……自分の心を「伝える」能力か!)

 

 

 言うなれば、範囲内にいる人間の心に訴えかけるギアスだ。

 争うな、戦うな、傷つけるな、優しく在れ――――闘争心や攻撃的な意思を鎮め、代わりに優しさや思いやりの感情を強める。

 闘争を嫌い融和を好む、ユーフェミアそのものとも言えるギアス。

 

 

 聞きようによっては心優しい能力に聞こえるが、とんでもない。

 これは、ある意味でルルーシュの「絶対遵守」よりタチが悪い。

 ルルーシュはギアスに関する知識があったからこそ違和感に気付き、能力まで予測できた。

 しかしギアスについて何も知らなければ、自分でもわからない内に穏やかさの中に沈んでいただろう。

 

 

(事実俺も、そしてあのコーネリアでさえユフィのギアスに呑まれている。だが……)

 

 

 ルルーシュ=ゼロの黒い仮面が、1人の少女の方を向く。

 濃紺のパイロットスーツに身を包んだその少女の眼差しには、コーネリアやルルーシュからは失われつつある闘争心の色があった。

 反抗の色であり、反発の色であり、そして抵抗の色が。

 

 

(何故、青鸞には効果が無いんだ?)

 

 

 以前にも自身のギアスで感じた、その疑念。

 その疑問に応えられる人間は、今はここにはいない。

 だがその代わりに、ルルーシュ=ゼロの思考を肯定するように青鸞は口を開いた。

 

 

「日本の独立を勝ち取るまで、ボク達は戦いをやめない」

「戦って、戦って……戦い抜いて。それで、何が得られると言うのですか? ブリタニアと戦って、お兄さんと戦って、それで、本当に貴女は幸福になれるのですか?」

「ボクが幸福になれるかどうかは、この際、どうでも良いんだよ」

 

 

 ぴくり、その言葉にルルーシュが微かな反応を見せる。

 それを視界の隅に収めつつ、青鸞は両手を広げた。

 

 

「ただ、欲しいんだ。ボクが大事に想っている人達が平穏に過ごせる国が、世界が、時間が。それを手に入れるために戦う必要があるなら、ボクは迷わず銃を取るよ――――ボク達の望む、平和のために」

 

 

 父が始めたことだ、兄が続けたことだ、だから妹である自分が終わらせる。

 この、愚かしくも哀しい日本とブリタニアとの闘争を。

 日本の独立と言う、ハッピーエンドで。

 

 

「と言うか、ブリタニアの皇女様にそんなことを言われても……詭弁にしか聞こえないよ、ボクら日本人にはね」

 

 

 大前提、日本はブリタニアに占領され、日本人はほぼ一方的に差別され搾取されている。

 支配者と、被支配者。

 支配者の側が平和だの愛だの優しさだの……そんな物、そんな言葉に。

 いったい、どれだけの価値があると言うのか。

 

 

「……そうですね」

 

 

 そしてそれを、ユーフェミアも否定はしない。

 出来るはずが無い。

 争え、奪えを国是とするブリタニア、その皇女が彼女だ。

 例え彼女自身が心優しい性格でも、外せない原則と言うものが存在する。

 

 

 穿った見方をするのであれば、彼女の「戦わず、平和に」とは「逆らうな、従え」と言っているも同然なのである。

 ブリタニアの支配と言う現状を受け入れて、無駄な抵抗はやめろと、そう言っているのだ。

 例えユーフェミア自身に、そんなつもりは欠片も無かったのだとしても。

 その意味で、青鸞とユーフェミアは決して相容れない関係にあると言える。

 

 

「私達ブリタニアは、多くの戦争を経て成長してきた国です。多くの人間を傷つけてのし上がって来た国です。多くの人々を下位層に押し込めて発展してきた国です」

「ユフィ……!」

 

 

 僅かに、コーネリアが咎めるような声を上げる。

 しかしユーフェミアが微笑みながら姉を見ると、その「咎める」と言う感情すらも和らいでいった。

 他者を咎めないこと、それもまた平和には必要なことだから。

 

 

「でも、それも今日までです」

「……?」

 

 

 流石に意図を計りかねて、青鸞は眉を顰めた。

 ギアスに輝く皇女の両目と、日本の姫の黒瞳が交錯する。

 

 

「ずっと、考えていました」

 

 

 争いの無い、優しい世界を。

 全ての人がそう願っているはずなのに、どうして皆が争い合うのか。

 友人同士で、兄妹同士で、どうしてそんな哀しいことをするのか。

 間違っていると知っているのに、それを止められない悔しさ。

 

 

「間違っていると指摘するのであれば、正しいことを示して見せるべきでしょう? 私にはその力が無かった、けれど……手に入れた、力を」

 

 

 だから。

 

 

「私の力が強くなれば、より多くの人々が平和を愛してくれるようになります」

 

 

 ギアスは、使えば使うほどに力を強めていく。

 今は半径数十メートル程の効果でも、いつかは空間一つ、土地一つ、国一つ。

 そして、やがては世界の全てを。

 

 

「私はこの力で――――ブリタニアを、そして世界を変えて見せます」

「……ユフィ、お前、それは!」

「皇帝にでも、なるつもり……?」

 

 

 驚愕に揺れるコーネリア、そして訝しげな青鸞。

 しかし、それ以外の意味には取れない。

 その場の視線を一身に受けて、しかしあくまでユーフェミアは微笑んでいた。

 そしてギアスに輝くその瞳を、彼女は仮面の少年へと向けた。

 

 

「――――ルルーシュは、どう思う?」

『…………ッ!?』

 

 

 ユーフェミアの何気ない言葉に、その場の空気が固定化された。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 かつて、「何か」を信仰している人々がいた。

 人々は自分達が信仰している「何か」が目の前にある一つしか無いのだと思っていた、何故ならばそこにある「何か」は言葉では説明できない物であったためだ。

 神の御技以外の説明が出来ない、合理的ではない力を放つ「何か」だ。

 

 

 しかし実際には、それを信仰する人々は世界中に存在していた。

 文明が発展し、移動・通信が発達すると彼らはお互いの存在に気付いた。

 世界中に存在していた「何か」に気付いた、気付いて興味を持った。

 自分達が崇めていたこれは、いったい何なのだろうかと。

 

 

「ねぇC.C.、そもそもギアスって何だと思う?」

「……他者と『溶け合う』力だ」

「ロマンチストだね」

 

 

 C.C.の回答に、V.V.はどこか満足そうに頷いて見せた。

 

 

「じゃあ、コードとは何だと思う? 受け継いだ者に副産物の不死を与え、ギアスと言う他者と『溶け合う』力を人々に与えるその存在は」

「……刹那の時間に人と世界を固定化する物だ」

「何のために?」

「人が…………ために」

 

 

 その後に続いたC.C.の言葉に、V.V.は嬉しそうに頷いた。

 今度は先の頷きとは違い、心の底から「そうなんだよ」と言いたそうな顔だった。

 

 

「そう、僕はシャルルと約束をした。僕達は溶け合う、だから僕は史上最高のコード保持者となる、そして……」

「そして、お前はどうなる」

「世界そのものになるのさ、『皆』とね」

 

 

 そうか、とC.C.は頷いた。

 彼女は笑わなかった。

 そうだよ、とV.V.は頷いた。

 彼は笑っていた。

 

 

 ――――ギアス嚮団、と呼ばれる組織が存在する。

 歴史の闇の中に隠れ、密かにギアスの研究を続ける特別機関。

 それは、かつて世界中で「何か」を崇めていた人々の末裔だ。

 今では2つしか残っていない「何か」を崇め畏れるのではなく、解明し究明し説明するための存在。

 その嚮団の頂点に君臨する者こそが、C.C.の目の前にいるその。

 

 

「だがなV.V.、お前は少し思い違いをしているよ」

「何だい、僕の思い違いって」

「それはな」

 

 

 今度は、C.C.が笑う番だった。

 対照的にV.V.の顔から笑みが引く、それを確認しながらC.C.は少年の横で眠り続ける車椅子の少女を見つめた。

 そして、ふ、と笑みの吐息を漏らす。

 

 

「お前が思っているよりもずっと、私「達」はアイツのことを買っているよ」

 

 

 妹のために。

 妹のために世界を壊し、世界を創造しようと言うあの少年。

 幼い頃の思い出に縋りながらも、ひたすらに前に進む少年。

 本人が思っている以上に、C.C.はルルーシュのことを買っている。

 そして……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「ルルーシュ……?」

 

 

 その呟きは、誰の唇から漏れたものだろうか。

 その場にいる5人の人間をあえて分けるのであれば、3つ。

 驚愕が2つ、これはスザクとコーネリア。

 動揺も2つ、これはルルーシュと青鸞。

 

 

「ユフィ、今、何と言った……? ルルーシュ、だと?」

 

 

 スザクはもちろん、コーネリアも幼い頃に交流のあったルルーシュ「皇子」のことは知っている。

 7年前、日本へ人質へ出され、戦争の混乱の中で命を落としたはずの幼馴染。

 だがその記憶と目の前の義弟の仇「ゼロ」とは、どうしても結びつかない。

 

 

 一方、スザクはコーネリア程の驚愕は感じていなかった。

 むしろ納得の方が強い、スザク本人も意外と思える程にすんなりと彼の中に入ってきた。

 ゼロと言う人間と接すれば接する程に、感じていた僅かな違和感。

 青鸞への、ゼロのあのこだわりにも納得が行く。

 そしてスザクの視線は、青鸞へと向く。

 

 

(……不味い)

 

 

 その青鸞はと言えば、頬に一筋の汗を流していた。

 理由は明白で、ルルーシュの正体が何故かユーフェミアの口から暴露されていることだ。

 もちろんルルーシュ自身が否定することは簡単だ、簡単だが、同時に難しい。

 何故ならここには、「敵」が2人いる。

 

 

 コーネリアと、スザク。

 そこで初めて青鸞はスザクの視線に気付いた、自然と足裏に力を込める。

 2対1、残念ながら腕力でルルーシュは戦力にならない。

 ルルーシュの味方はこの場では自分1人、青鸞はそれを改めて自覚した。

 

 

「ルルーシュ、大丈夫だから」

 

 

 安心させるように、重ねてユーフェミアが告げる。

 そして「大丈夫」と言葉をかけるその間にも、彼女のギアスは力を放ち続けている。

 皮肉なことに、他者の闘争心や悪意、敵愾心を失わせるそのギアスが事実としてルルーシュ=ゼロの身を守っていた。

 当然、そこには青鸞のことも含まれている。

 

 

「……ルルーシュ、私ね、最近、日本のショーギが好きになったの」

『……?』

 

 

 いきなり何の話かと、ルルーシュは仮面の下で訝しげな表情を浮かべる。

 

 

「昔、貴方に教えてもらったチェスも好きだけれど。例え敵でも、味方になれるって言うショーギのルールがとても好きなの」

『……!』

「だから、ルルーシュ。私は貴女を裁いたりなんかしない、お願い、7年ぶりに顔を見せて頂戴」

 

 

 それは、皮肉なことにいつか青鸞が言った言葉と同じだった。

 加えて敵意を失いつつあるルルーシュの心の中に、ユーフェミアの言葉はすっと入ってくる。

 だから彼は、数十秒の後、ユーフェミアの視線に負けたかのように仮面に手を添えた。

 

 

「ダメだよ」

 

 

 そしてその手を、青鸞が押さえた。

 ルルーシュの正体が完全に露見するのを、防いだ。

 ユーフェミアのギアスの影響を受けない彼女は、ルルーシュのその手を取って彼の行動を止めた。

 

 

「ユーフェミア・リ・ブリタニア、ボクはゼロの仮面の下を見たことがあるよ」

『青鸞……お前』

「彼はルルーシュなんて名前でも無ければ、貴女が知っているような人間でも無い。全く無関係の人だよ」

「そんな嘘を吐かなくとも、私はルルーシュを傷つけたりは……」

「嘘じゃない」

 

 

 厳しい表情で告げる青鸞を、ユーフェミアは不思議そうな表情で見つめていた。

 思えば、これ程に対極に存在する者がいるだろうか。

 片やブリタニアの皇族の娘、片や日本最後の首相の娘。

 帝国の皇女は武力闘争を否定し、財界の姫は武力闘争を肯定する。

 

 

 それでいて、同じ少年を守ろうとしているのであるから皮肉だ。

 スザクに対しても、そう。

 庇護を与えようとする女性と、闘争を与えようとする妹。

 その対比が、この場では皮肉に見えて仕方が無かった。

 

 

(……そうか、青鸞。そう言うことか……)

 

 

 存在そのものが乱の芽とも言われた少女の手の温もりに、仮面の下でルルーシュは瞑目した。

 そして仮面から手を放して、下ろす。

 仮面を外さず、被り続けた。

 仮面は、外さなかった。

 

 

『ユーフェミア殿下、一つ良いだろうか』

「何かしら、ルルーシュ」

 

 

 名を呼ばれて、仮面の下で僅かながら眉を顰める。

 だが今度はそれを表に出すことも無く、ルルーシュは顎を上げた。

 毅然としたその姿で、彼は舞台の中心へと上がっていった。

 

 

 そっと、青鸞の手を放して。

 少年が少女の前に出て、立つ。

 青鸞はそれに、目元を少しだけ柔らかくした。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ルルーシュには、戦いの原点がある。

 それは当然、妹のナナリーである。

 彼女が暗殺に怯えずに過ごせる世界をと、ルルーシュは願った。

 そして、母を殺した人間と母を守らなかった皇帝(ちち)への復讐のため。

 

 

 2本柱、それがルルーシュを戦いへ駆り立てる原点だ。

 思い出してしまえば、そして意図してしまえば、それはギアスの力に惑わされることも無い。

 ユーフェミアの言葉は、その内の1つ、妹ナナリーの望んだ「優しい世界」とそう遠い物では無い。

 しかし、である。

 

 

『私のとても大切な知り合いが、貴女と同じようなことを言っていた。誰も争わない、誰も傷つかない、誰も憎まずに済むような、そんな「優しい世界」が欲しいと』

「それは、とても素晴らしいことだと思います」

 

 

 ルルーシュ=ゼロの言う「知人」が誰なのかわかるのか、ユーフェミアはますます柔らかな微笑を浮かべた。

 それを目にしつつ、少年は告げる。

 

 

「じゃあ、貴方も……」

『そう、当然、望んでいる』

 

 

 頷いて、頷くが、しかし彼は続ける。

 それはかつて、彼が鮮烈なデビューを飾った時の言葉だった。

 

 

『私は戦いを否定しない、何故ならば現実は様々なものに支配されていて、抗わなければならないものが多く存在するからだ』

「だけど、それはとても哀しいことです」

『確かに、だが私はこうも思う』

 

 

 抗うこと、抗い続けること、そこにこそ本当の意思があるはずだと。

 反逆と――――……抵抗。

 それが、原点。

 

 

 そして願う、いつか人は己の意思で「優しい世界」に踏み込んでくれるのでは無いかと。

 ユーフェミアのギアスでも、ましてやブリタニアの武力などではなく。

 自分の意思、それ一つで。

 人が戦うのは、守りたい何かを守るためであるはずだと信じているから。

 誰もが、きっと。

 

 

「ボク達が望んでいるのは、上から与えられる平和なんかじゃない」

 

 

 ルルーシュの言葉を、青鸞が繋げた。

 日本の抵抗の象徴である彼女は、存在そのものが乱。

 すでにそうなりつつある少女は、ユーフェミアを見上げて、しかし対等の目線で言う。

 

 

 その姿を、スザクは静かに見つめていた。

 恩義のある皇女に、言葉を投げるテロリストの妹を見つめる。

 その視線を、彼女はどう思っているのだろうか。

 仮面のテロリストと、ユーフェミアがルルーシュと呼ぶ彼と並んで立つ青鸞の姿を見てスザクはそう思った。

 

 

「それでもボク達を批判するなら、ボク達は、ボクは、『平和の敵』で良い」

『撃って良いのは……撃たれる覚悟のある奴だけだ』

 

 

 少年か少女か、似たようなことを違う言葉で告げた、その時だ。

 それに対してユーフェミアが何事かを答えようとしたその刹那、それは起こった。

 とは言え、そのことに気付いていない。

 いや、気付けない。

 

 

 何故ならばその時、世界の……いや、その場の空間の時間が止まったのだから。

 時間が、止まる。

 そんな非現実的なことが、起こるだろうか。

 起こる、何故ならば。

 

 

 

「……そう、撃たれる覚悟があるなら僕も楽で良いですね」

 

 

 

 「その少年」の右眼には、赤い鳥のマークが浮かんでいたから。

 そしてその手には、コーネリアが持っていたはずの剣型の銃が握られていて。

 コーネリアはもちろん、他の面々が固まったように動かない世界で。

 

 

「え……?」

 

 

 ただ1人、青鸞だけがその光景を見ることが出来た。

 岩場の陰から薄い髪色の少年が現れて、固まったコーネリアの手から銃を奪う様を。

 そして、そのままゆっくりと青鸞に銃口を向ける。

 青鸞はそれを、呆けたように見ているだけで。

 

 

「じゃあ、撃たれてください」

 

 

 対してその少年……ロロは、迷うことなく引き金を引いた。

 濃紺の、少女の心臓に向けて――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 聞こえてきた音に、C.C.は瞳を鋭くした。

 そこには、やや剣呑な雰囲気がある。

 行動の意味を知っているが故のことで、それに対してV.V.は改めて笑みを浮かべた。

 

 

「V.V.、お前」

「その通りだよ、C.C.」

 

 

 何が面白いのかわからないが、V.V.は本当に嬉しそうに笑っていた。

 その傍らでナナリーが微かに声を漏らした、うなされるのかもしれない。

 だがV.V.はそれをまるで気にも留めなかった、むしろ嘲っているようにも見える。

 C.C.の視線の圧力を受けてか、仕切りなおすように肩を竦める。

 

 

「……『クルルギ』」

「何?」

「僕達のルーツの一つ、キミだって知ってるでしょ? ううん、「気付いていた」でしょ? だって、一度は殺そうとしたんだもんね……目覚める前にさ」

「…………」

 

 

 今度は、黙った。

 図星を指されたからか、それとも他に理由があるのか、押し黙るC.C.。

 事実、C.C.はあの少女を殺そうとした。

 押し付けるつもりだったのか、それとも……。

 

 

「でも、もう遅いよ。神根島へのジャンプが特に致命的だったね、他のコードの刺激を受けて、ましてギアスの力まで受けて、アレが活性化しないわけが無い。目覚めないわけが無い。だから奪うんだよ、あの少女の命を」

 

 

 だから今日は、歴史的な日になる。

 V.V.はそう言って笑い、C.C.はそれを聞いても笑わなかった。

 むしろ、どこか哀しげだった。

 本当に、哀しそうだった。

 

 

 それはもしかしたら、彼女なりの優しさだったのかもしれない。

 魔女を自称する彼女の、優しさだったのかもしれない。

 でも彼女は知っているのだ。

 彼女の手は血に塗れていて、彼女の背は十字架が多すぎて、誰も救えないのだと。

 そう、思い込んでいたから。

 

 

「――――アレを得るには、一度死ななくちゃダメだからね」

 

 

 だから、C.C.には彼女を救うことが出来なかった。

 もし、救える者がいるとするならばそれは彼女では無い。

 それは、もっと別の誰だだろう。

 C.C.は目を閉じて、その「誰か」のことを想った。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 刹那の時間、少女の精神はこの世から離れた。

 どこかであり、どこでもあり、いつかであり、いつでもあり、何かであり、何でもある。

 全であり一、一であり全、全知であり無知、無知であり全知。

 人智の及ばない、それでいて人智の大本となった「何か」。

 

 

 膨大な情報(こんげんのうず)が、少女の精神を犯した。

 

 

 それが「何か」はわからない、ただ普通の人間が遭遇することの無い「何か」であることは間違いが無かった。

 思いやりなど無く、ただそうであることを受け入れることを強制する「何か」。

 その「何か」が少女の肌を焼き、嬲り、舐めるように滑り、擦り上げて穢した。

 

 

 清らかさを残すまいとするように、少女の全てを奪いつくそうとするかのように。

 肌を、身体を、心を、精神を、魂を食べ尽くされるかのように、乱暴に、乱雑に、暴力的に――――犯されて、侵されて、少女は悲鳴を上げた。

 汚れを知らぬその身に、確かな汚濁を擦り込まれるかのように。

 

 

 暴虐の向こうに、女を見た気がした。

 

 

 巫女のようにも見えるが、枢木神社のそれとは違うようにも思える。

 ただ、覚えのあるものもあった。

 白無地の絹一幅の中央に切れ込みを入れた貫頭衣は知らないが、女の顔には覚えがある。

 鏡を見たことがあれば、見覚えもあるだろう。

 

 

 黒い髪、黒い瞳、白い肌、細い身体つき、和装。

 そして顔立ちが、どこか自分に似ている。

 自分では無いと思うのは、身長が低いことと、女の顔を彩る化粧のせいだろうか。

 紅で顔に模様を引く独特の化粧法、それは枢木神社の神事に伝わる、古い古い……。

 

 

 そして、刹那の世界を通過した少女の意識は現実へと帰還する。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――瞬間的には、何が起こったのか誰にもわからなかった。

 それはそうだろう、本人ですら理解までに十数秒を要したのだから。

 だから周囲の人間が気付くまでに1分を要したとしても、仕方が無かった。

 何しろそれと同じだけの時間、「自失」状態にあったのだから。

 

 

「は……っ」

 

 

 少女の唇から次の吐息が漏れた時、異変は起こった。

 次いで、かふっ、と、息が詰まった時特有の音が、溢れるような音が唇から漏れる。

 だから気付いたのは、自覚したのはその時だ。

 生温かい鉄錆の味が、口の中に広がってからだ。

 

 

「ふ……」

 

 

 痛みは、感じなかった。

 熱さも、苦しさも、不思議と感じなかった。

 感じたのは、ただ、立っていられなくなるほどの脱力感だけ。

 

 

 唇の端から、咳き込みと同時に赤い水が飛び散った。

 咳き込みは一度では終わらず、二度三度ち続いて少女の身体から力を奪い取っていった。

 濃紺のパイロットスーツには、左胸のあたりが不自然な程に濃い染みのような物が浮かんでいた。

 それは数秒が経過するごとにどんどん領域を広げて、胸を濡らし、腰を濡らし、そして太腿にまで達した所で。

 

 

『せ……』

 

 

 少女が、その場に仰向けに倒れた。

 倒れ行くその手に伸ばした仮面の少年の指は、少女の指先を掠めただけで届くことは無かった。

 鈍い音、地面に何か重い物が落ちる音、擦れる音、駆け寄る音。

 そして、抱き上げる音が続けざまに響いた。

 

 

『青鸞ッッ!?』

 

 

 気が付けば胸から血を流して倒れ伏していた青鸞に、ルルーシュ=ゼロは絶叫のような声を上げた。

 いや、それは絶叫だった。

 撃って良いのは、撃たれる覚悟のある奴だけ。

 それは彼の言葉だ、だから撃った青鸞が撃たれるのは当然のことだ。

 しかし、それでも。

 

 

「……、……っ」

『くっ……!』

 

 

 意識はある、瞳は光を失っていない。

 しかし、それがいったい何の慰めになると言うのか。

 咄嗟に自分のマントを手の中に丸めて少女の胸の傷口に押し当てる、小さな薄い胸から溢れる血を少しでも押し留めようとしての行動だった。

 しかし、それがいったい何の助けになると言うのか。

 

 

(不味い……!)

 

 

 医者では無いから自信は無いが、これは絶対に不味い傷だとルルーシュ=ゼロは確信する。

 左胸、心臓のある位置、即死は免れたようだが重要な血管に傷がついた可能性が高い。

 傷のつき方から銃創だとわかる、だから彼はこの場で自分を除いて銃を持っている存在に向けて顔を上げた。

 

 

『コーネリア! 貴様……ッ』

「な……い、いや、私は……」

 

 

 コーネリアの銃、その銃口には微かな焦げ目があり、発砲直後特有の熱まで放っている。

 儀礼用にも見えた美しさが、若干だが失われていた。

 しかしコーネリア自身は、狼狽の色を隠せていなかった。

 

 

 撃った、覚えが無い。

 

 

 しかも位置がおかしい、青鸞は正面から胸を撃たれている。

 だがコーネリアの位置は青鸞の最後の立ち位置からすれば、横だ。

 撃ったとしても左胸に当たるわけが無い、無いのに、しかし青鸞は撃たれている。

 流石のコーネリアもやや混乱した、石段の上から来る実妹の視線も気にしているのかもしれない。

 

 

「く……枢木、クルルギ・セイランを捕縛しろ」

 

 

 それでも何とか体面を保ったのは、エリア11総督としての矜持のおかげか。

 

 

「聞こえないのか、枢木スザク准尉!!」

「え、あ……は、はい」

 

 

 一方で、スザクの動きは緩慢だった。

 茫然自失とはまた違う種類の自室に陥っていた彼は、青鸞と、そしてユーフェミアの後ろにある遺跡の壁を交互に見つめていた。

 身体が、動かない。

 

 

 血が騒ぐ、とでも表現すれば良いのだろうか、胸の奥で泡が吹き出すようなザワザワとした感覚を覚えていた。

 焦燥感、寂寥感、そういった感情が浮かんでは消えていく。

 ために、スザクは動けずにいた。

 

 

「い、イエス・ユア……」

 

 

 言葉ではそう言っていても、身体は動かなかった。

 ユーフェミアのギアスの影響下にあってなお、胸の奥の焦燥感は消えない。

 妹が、青鸞が倒れ伏すその姿は、彼の信じるルールに従うなら当然のことなのに。

 その赤い、あまりにも赤い血の流れに、スザクは動けずにいた。

 胸の奥で、何かが騒いでいるのを感じていたから。

 

 

『……ふざけるなよ……』

 

 

 ゼロの声が、言葉がスザクの身を打つ。

 ユーフェミアが「ルルーシュ」と呼びかけた仮面の男が、青鸞の胸に手を置いて血を止めようとしている男が、言った。

 彼には、ルルーシュ=ゼロには許せることでは無かった。

 

 

 妹を神聖ブリタニア帝国に引き渡すと言う、その行動も。

 自分が正しいと思ったルールを疑うこともせず、正しければ妹さえ死なせても良いと言うその姿勢も。

 彼、ルルーシュ=ゼロには認められなかった。

 そもそもブリタニアに「正しさ」など、存在するはずも無いだろうに。

 

 

「お姉さまも、スザクも……ルルーシュも」

 

 

 僅かに咎めるような声と共に、ユーフェミアのギアスの圧力が強まる。

 それはルルーシュ=ゼロから怒りの感情を奪う、スザクから焦燥感を奪う、コーネリアから不快感を奪う。

 不自然な程の穏やかさが、3人の心を覆おうとしていた。

 

 

 しかし、ルルーシュ=ゼロはそれに抵抗した。

 ギアスへの抵抗など並みの精神力で出来ることでは無い、だが今だけは出来た。

 何故ならば、彼の手には彼女の血の感触があるからだ。

 勢いを弱めていく、冷たくなっていく血の感触があるからだ。

 

 

『ゼロが、命じる』

 

 

 だから。

 

 

『妹を』

 

 

 だから。

 

 

『――――守れッッ!!』

「あ……?」

 

 

 仮面の左眼部分のシャッターが開き、そこから現れた赤い左眼が目前のスザクを射抜く。

 これが、今のルルーシュの精一杯。

 ギアスの上書き、切り札。

 青鸞を守るために出来る、唯一のこと。

 そのために、彼は親友の信念を捻じ曲げた。

 

 

 スザクの両目に赤い輝きが宿り、戸惑ったように一歩を下がる。

 その内心に響くのは、2つのギアスによる「命令」だ。

 穏やかであれと囁く声と同時に、「妹を守れ」と叫ぶような声が響く。

 魂の奥底に影響を与えるそれらの声は、スザクの信念を捻じ曲げる。

 

 

 

「妹を……青鸞を、守る!」

 

 

 

 身体の向きを変えるスザク、その視界の正面にはコーネリアの姿があった。

 それに対してコーネリアが咎めの声を上げる一瞬前、ルルーシュにも異変が起こっていた。

 胸を押さえる彼の手を、より小さく細い手が掴んだからだ。

 

 

『せ……?』

 

 

 フラッシュバック、した。

 シンジュク事変、ルルーシュがギアスの力を得たあの時。

 同じように撃たれながら、そして彼の手を掴んだ緑の髪の魔女の存在が。

 何故かフラッシュバック、した。

 

 

 どうしてかと問うなら、こう答えよう。

 おそらく彼女のすぐ傍で、彼女の胸に手を当てている彼にしか見えなかっただろうから。

 枢木青鸞、その少女の左胸の銃創、その位置に。

 

 

『この、紋章は……!』

 

 

 赤い、血のように赤い紋章。

 鳥が羽ばたくような、マーク。

 ルルーシュの左眼に鋭い痛みが走る、手首を掴む少女の手の力が増した。

 左胸に、ギアスの紋章の輝きを放ちながら。

 

 

『……ダメだ!』

 

 

 それは、『コード』と呼ばれるもの。

 かつて、人々が崇めていた神であり、「カミ」であり、「何か」であったもの。

 枢木――――否。

 その昔、『クルルギ』の家が保有していた『コード』。

 「カミ」の、先祖返り。

 

 

『待て、青鸞ッッ!!』

 

 

 無意識の内に、ルルーシュはそう叫んでいた。

 叫んだ彼は、しかしどうすることも出来ない。

 何故ならそれは、少女の意思によるものだから。

 朦朧とした意識の中で、少女が唯一、「せめてこれだけは」と成した奇跡だから。

 

 

 だからルルーシュが見ることが出来たのは、少女の顔だけだ。

 それだけが、視界に焼き付いて離れないことになる光景。

 血に濡れた、青鸞の笑顔だけ。

 それを最後に、彼だけが救われることになった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 戦闘自体は、夜になるまで続いた。

 しかしそれがいずれは戦闘と呼べる代物にならないだろうことは、誰の目にも明らかだった。

 ゼロと言う実の指揮官を失い、枢木青鸞と言う名を失った反体制派の軍。

 その半数が、すでに瓦解を始めていたのだから。

 

 

『どうすれば良いの!? このままじゃ……!』

『た、助けてくれ、敵が……敵がぁっ!!』

『誰か指示してくれよ、俺達はどこに行けば良いんだよ!』

『ゼ、ゼロ……ゼロさえ、ゼロさえ』

『『『ゼロさえいてくれれば、勝てるのに!!』』』

 

 

 特に、正規の黒の騎士団の兵力の崩れ方が酷かった。

 民兵よりは強いが、やはり正規の訓練を受けた軍人ほどでは無い。

 それは兵個人個人の意識の問題であって、要するに、指示してくれる人間がいなくなった途端に軍隊として動けなくなってしまったのだ。

 

 

 これまではゼロの指示通りにしていれば良かった、ゼロの作戦に従えば勝てた。

 ゼロの奇跡に、ただ乗っていれば良かった。

 命を失うリスクはあるにしても、それはあまりにも楽な勝利と思考だった。

 ゼロさえいれば勝てる、逆に言えば、ゼロがいなければ勝てないのだ。

 ゼロが、いなければ。

 

 

『終わりだな、トードー!』

「く……!」

 

 

 味方の半数の体たらくを見て――今やまともに戦っているのは、旧日本解放戦線の部隊のみ――藤堂は歯噛みする、彼は朝比奈、千葉、仙波などの部隊を糾合しつつ戦線を下げ、ダールトンの部隊の相手をしながらも、何とか秩序ある後退を保とうとしてた。

 だが、他の味方があまりにも脆過ぎる。

 

 

『藤堂さん! 両翼の後退が早すぎて、このままじゃこちらが孤立します!』

「わかっている、だが……」

『7番隊、全滅!』

「何!?」

 

 

 前線以外の部隊は、藤堂の指揮下には無い。

 仮に合ったとしても、そこまで気を回せないのが現状だ。

 ゼロだけでなく青鸞までもが姿を消した今――戦死したという報告もある――藤堂に出来ることは、正面の敵兵力を押し留めることだけだった。

 

 

 しかし、その敵も万全ではなかった。

 例えばダールトンの部隊が前に出ている割に、コーネリアの親衛隊を率いるギルフォードの部隊の姿が見えない。

 これは消息を絶ったコーネリアを捜索しているためで、その意味ではダールトン達も普段の実力を出し切れていない、だからこそ反体制派の軍もまだ秩序を保っている。

 

 

「……両翼が脆すぎる」

『畜生、ゼロさえいれば勝てるのによぉ……ゼロはどこに行ったんだよぉ!?』

 

 

 青鸞を見失った護衛小隊もまた、元々の位置から下がりつつグラストンナイツの部隊を押し留めている。

 黒の騎士団の部隊との共同行動ではあるが、仲間の仇と士気が上がるグラストンナイツの部隊の圧力は想像以上に強い。

 大和の乗る中遠距離型ナイトメア「黎明」では、とても全てを押し留めることは出来ない。

 

 

『も、もうダメだ! 保ち堪えられねぇっ!!』

「あ、おい……!」

 

 

 その時、黒の騎士団の部隊をまがりなりにも纏めていた玉城が、予定よりも早く後退した。

 黒の騎士団の部隊が下がり、その穴にグラストンナイツのミサイル攻撃が集中してくる。

 戦線に一度穴が開けば、塞ぐことは出来ない。

 

 

「……所詮は、ゼロにおんぶに抱っこの連中か……!」

 

 

 日本解放と弱者救済を掲げていた癖に、いざとなれば崩れる。

 ゼロがいないと言う、それだけのことで。

 温厚な大和ではあるが、この時ばかりは舌打ちを禁じ得なかった。

 

 

「ちぃ、腑抜けどもがぁっ!!」

 

 

 ほとんど全滅した鋼髏(ガン・ルゥ)隊、その1機の中で草壁が叫ぶ。

 彼は青鸞の事について知らされていないが、しかし違和感を感じていはいた。

 黒の騎士団の部隊の惨状は明らかに指揮系統の乱れからのものだ、旧日本解放戦線の部隊だけが踏ん張っても仕方が無い。

 

 

『草壁中佐、ポイント120まで転進を!』

「何ぃ、馬鹿を申すで無いわ! ここで後退してどうなる!?」

『しかし、このままでは撤退のタイミングを……』

 

 

 援軍に来た無頼隊の指揮官、野村に草壁が怒鳴り返す。

 実際、もはや撤退の場所は無いに等しかった。

 何しろ彼らのいる山は、すでにブリタニア軍の占領下になりつつあったからだ。

 

 

『逃げるぅ? 馬鹿め、貴様らイレヴンに逃げ道など……あぁるものかぁっ!!』

 

 

 どこか愉悦に歪んだ声が降ってくる、それと同時に草壁の目にある光景が入ってきた。

 それは彼の鋼髏(ガン・ルゥ)と併走していた野村機に起こったことで、背後からコックピット・ブロックをランスに貫かれて爆発すると言う物だった。

 撃墜された、脱出などもちろん出来ない。

 

 

『貴様らイレヴンに残された道は、ここで死ぬことなんだよぉっ!!』

「貴様ぁ……!」

 

 

 グロースター、キューエル機。

 草壁が睨むその先で、キューエル機が炎の残る無頼の残骸を踏み付けながらランスを構えた。

 その時、草壁の耳に警告音が響き渡った。

 それは鋼髏(ガン・ルゥ)のエナジー切れを示すもので、機体の動きが急激に鈍くなった。

 舌打ちする草壁、その動きを見逃すキューエルでは無かった……。

 

 

「……神楽耶さま」

「大丈夫です、雅」

 

 

 ディートハルトの預かる後方部隊、そっと話しかけてきた分家の少女に神楽耶は静かに応じた。

 彼女はディートハルトが去った後も、同じ場所に座して動かずにいた。

 その目は、青鸞が姿を消したと一報が入ってからも逸らされることは無かった。

 ただ真っ直ぐに、前だけを見つめていた。

 

 

 しかし、状況は最悪だ。

 多くの黒の騎士団や民兵の部隊はすでに潰走状態にあり、もはや軍としての体裁すら成していない。

 このままでは戦局が確定するのも時間の問題であって、それは誰にもどうすることも出来ない。

 それこそ、ただ1人の人間を除いて……。

 

 

 

『黒の騎士団、総員に告げるッッ!!』

 

 

 

 その時、黒の騎士団の通信網にある声が響き渡った。

 

 

「――――ゼロ!?」

 

 

 喜色を浮かべたのは朱色の髪の少女、通信機から響いた声に顔を上げる。

 その少女の駆る真紅の機体の回りには、捻り潰されたようなサザーランドの残骸が広がっている。

 味方のいない絶望的な状況の中、それでもカレンが希望を持ったのは「その声」のおかげだ。

 

 

『黒の騎士団総員、ポイントD-17に集結せよ! しかる後、時を待って反攻する!!』

 

 

 ゼロの声、勝利の声、奇跡の声だ。

 それを聞いて、黒の騎士団は息を吹き返した。

 しかしそれだけで戦局を逆転することは出来ない、普通なら。

 普通、なら。

 

 

『ポイントD-17に集結……』

『……D-17に集結……』

『……集結……』

 

 

 その通信は、黒の騎士団だけに聞こえたものではなかった。

 ここで、通常では起こり得ないことが起こる。

 世界最強のブリタニア軍、正規軍では起こり得ないことが起こった。

 

 

『な、何だ貴様、俺達は味方……!』

『ど、どこを見て撃ってい……ぐああああぁぁっ!?』

 

 

 一部のブリタニア軍部隊、いや、それぞれの部隊で数機ずつのナイトメアパイロットが突然、味方機を背後から撃ち始めたのである。

 各所で疑心暗鬼と同士討ちが引き起こされ、勝ちの勢いに乗っていたブリタニア軍の陣形が乱れる。

 前線が崩れ、補給が乱れ、中級指揮官達の腕ではどうすることも出来なくなっていく。

 

 

「シュナイゼル殿下……」

「……ふむ」

 

 

 副官カノンの気遣わしげな視線を受けて、シュナイゼルは首を傾げた。

 その視線は戦略モニターから動いてはいない、が、少しばかり予定外と言う表情でもある。

 とは言え、予想外ではなかったらしい。

 

 

 実際、シュナイゼルに予想外と言う言葉は似合わない。

 味方の一部が離反したからと言って、それを戦局全体に広げなければ良いだけの話だ。

 そもそも一部の兵が離反しても、ブリタニア軍の規模から大したものでは無い。

 それだけの念を入れて、彼はブリタニア軍の陣形を工夫しておいたのだから。

 しかし、そんな彼にも。

 

 

「ん……?」

 

 

 不意に、顔を上げる。

 肩に手を置かれれば誰でもそうするだろう、そうしてまず目に入ったのはカノンの驚いた顔だ。

 しかしシュナイゼルの肩に手を置いたのは、彼では無い。

 ならば、誰か。

 シュナイゼルは、その少女を良く知っていた。

 

 

「兵を引いてください、シュナイゼルお兄様」

 

 

 ウェーブがかった桃色の髪に、同じ色合いのドレス。

 その穏やかで美しい顔を、シュナイゼルは良く知っていた。

 しかし、ただ一つだけ。

 

 

「哀しい争いは、終わりに致しましょう」

 

 

 赤く輝くその両目だけは、知らなかった――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「――――説明してもらうぞ、C.C.」

 

 

 そして同じような輝きを左眼に宿したまま、山の頂きから戦場を見下ろす少年がいた。

 黒髪に深い紫の瞳、すらりとした細身。

 赤い左眼を隠すことも無く立ち、手にしていた通信機をその場に折って捨てて、少年は後ろを見上げた。

 

 

 そこには、漆黒の巨大なナイトメアが膝をついた姿勢で存在していた。

 開いたコックピット・ブロックの下の座席には、美しい緑の髪の少女が座している。

 その額には、何かに共鳴しているように赤い鳥のようなマークが輝いていた。

 しかし少女に向ける少年の瞳は、左眼の禍々しい輝きと同じくらい鋭く厳しい物だった。

 

 

「もはや隠し事は許さない、話してもらうぞ……全て」

 

 

 口調は緩やかだが、声は強く厳しい。

 憤りと、怒りの色。

 対する少女の瞳は、どこか哀しい。

 

 

 

「――――全てだ!!」

 

 

 

 哀しい少年の声が、暗い戦場の山に木霊した。




 最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
 とりあえず、本話を持ちまして第1部は完結です。
 次話のエピローグでセキガハラ決戦の結末やら何やらを描くことになるとは思いますが、同時にR2編プロローグへ向けた仕込みをするわけですが。
 ……うん、原作から随分と遠くに来たかもしれません。

 それでは、今回は次回予告無しです。
 また次回、第1部の結末を楽しみにしてくれると嬉しいです。

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