コードギアス―抵抗のセイラン―   作:竜華零

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TURN3:「二重 の 記憶」

 赤い夕焼けの世界、祭壇の上。

 白髪以外に老いの見えないその男は、厚い胸板を傲然と逸らしてそこに立っていた。

 濃紺の衣装とマントを赤く染めながらは、ブリタニア皇帝シャルルは静かに佇んでいる。

 

 

「――――陛下」

 

 

 そんなシャルルに、声をかける存在がいた。

 シャルル程では無いが年齢を重ねた壮年の男性で、シャルルよりもなお引き締まった身体つきをした男。

 彫りの深い顔に長いウェーブがかった黒髪、ラウンズの騎士服の服に白いマント。

 

 

「ビスマルクか」

「は……」

 

 

 片膝をついて跪くその男に、シャルルはちらりと視線を向ける。

 それから、ふと口元を緩めて。

 

 

「今、マリアンヌと話しておった。アレらのことについて」

 

 

 ビスマルクと呼ばれた男は、膝をついたまま沈黙を保った、主君が返答を求めていないことに気付いていたからだ。

 それに対してシャルルも何かを続けることは無かった、別にビスマルクに何かを言うつもりもなかったためである。

 すでに幾十年の付き合いの2人にとって、今さら形だけの会話など不要だった。

 

 

 必要なものは、誓約と忠誠。

 2人の間には、すでにそれがあった。

 あくまで同志ではなく、主従として。

 

 

「……それで、何用か」

「は、畏れながら陛下、陛下に直接の謁見を求める者がおります」

「ほう」

 

 

 唇を歪めて、シャルルは初めて振り向いた。

 その瞳にはどこか苛烈な覇気がある、それが彼の彼たる所以だと言うかのように。

 そんな彼に対して、ビスマルクは深く頭を垂れるのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 青鸞は今、酷く不安定な状態にあると言えた。

 理由は彼女自身、より言えば彼女の頭と心の中にあった。

 記憶と言う、普通ならばたった一つしか無いもの。

 

 

 だが、青鸞の中には2つの記憶が混在している状態だった。

 

 

 一つは、ナイトオブラウンズ「セイラン・ブルーバード」としての記憶。

 偽物の記憶だ、家族も経歴も地位も、何もかもが作られたもの。

 しかし、それは確かな名残として青鸞の中で息づいている。

 そしてもう一つ、日本最後の首相の娘「枢木青鸞」として記憶。

 彼女が取り戻した、本当の記憶だ。

 

 

(……正直、気持ち悪い)

 

 

 長期間に渡り失っていた記憶を取り戻した記憶障害の患者、今の青鸞はまさにその状態だった。

 違うのは、刷り込まれていた記憶が嫌に精巧な造りをしていて、本物と区別がつかないことだ。

 今だってそうだ、偽物の記憶の中では何度も訪れたこの謁見の間、自分の身体を覆う帝国の剣(ナイトオブラウンズ)の騎士服、跪いて「主君」を待つこの姿勢……何もかも、虫唾が走るのに。

 一方で、しっくりくるとも感じるのだった。

 

 

 記憶は取り戻した、だからもう自分は「セイラン・ブルーバード」では無い。

 だが、名残として残るその記憶を無碍にも出来ない。

 アイデンティティの動揺、そう言う意味で今の青鸞は不安定な状態だった。

 どうすれば良いのか、青鸞自身にも未だ答えは出ていない。

 しかし、今は。

 

 

(……この状況を、何とかしないと)

 

 

 ルルーシュやナナリー、そしてエリア11に残してきた人達のためにも。

 今は、この状況を。

 その時、式部官の声が高らかに響いた。

 次いで儀礼音楽と共に靴音が響き、跪いて待つ前でその音が止まる。

 

 

「……ナイトオブイレヴン、我が従僕よ」

 

 

 ぎゅっ、とバイザーを持つ少女の手に力がこもる。

 役職名を呼ばれた青鸞は顔を上げて、「主君」を見た。

 そして豪奢な玉座に座る皇帝シャルルの姿を認め、その瞳が不穏な色に染まりかける。

 それを途中で戒めたのは、皇帝の横に1人の男が立っていたからだ。

 ラウンズの騎士服に白いマント、それはナイトオブラウンズ筆頭の証。

 

 

(ビスマルク・ヴァルトシュタイン……!)

 

 

 ラウンズは席次の順はあっても同格の騎士だ、しかし1人だけ例外がいる。

 それが帝国最強の騎士、ナイトオブワン、ビスマルクである。

 皇帝シャルルの股肱の臣であり、かつてシャルル自身に対して行われたクーデター「血の紋章」事件でもシャルルを裏切らず、守り抜いた歴戦の騎士である男。

 

 

 ビスマルクは左眼を閉じている、隻眼なのだが、その眼に睨まれると身が竦む思いがした。

 圧倒的な強者のみが醸し出すことの出来る、そんな風格を全身から放っている。

 いや、これは威圧されていると考えて良い。

 彼が傍にいる限り、皇帝シャルルには手が出せない。

 

 

「ナイトオブイレヴン、貴重な皇帝の時間を割かせて何用か」

「……は」

 

 

 記憶との付き合いをつけられない、そのような状況ではあるが。

 そんなことを考えていられる時間は無い、だから。

 

 

「畏れながら申し上げます、皇帝陛下」

 

 

 だから今は、少女は仮面を被ることにした。

 

 

「――――どうか私を、来るEUとの決戦の戦列にお加えください」

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 謁見の間の外に出た時、青鸞は深く息を吐いた。

 緊張と不安、あるいは別の何かか、とにかく疲労を感じてそうしたのだ。

 両端が見えない程に広い廊下は、等間隔にブリタニアの名匠が手がけた絵画や美術品が並んでいる。

 ただの廊下に敷くにしては柔らかすぎる赤いカーペットの感触を足の裏に感じながら、青鸞は一歩を踏み出そうとして。

 

 

「おーい、セイラン!」

 

 

 声をかけられて、慌てて手にしていたバイザーを顔につける。

 危ない所だった、そう思いながら振り向く。

 するとそこにいたのは、青鸞が思い描いていた通りの人物だった。

 

 

「……ヴァインベルグ卿、アールストレイム卿」

「何だよ、そんな呼び方して……いや、それよりお前、急にどうしたんだよ!」

 

 

 ジノとアーニャ、ラウンズの同僚である。

 ちなみにこの2人を除けば、ラウンズの過半数近くはすでに本国を立っていた。

 青鸞とビスマルク、そしてスザクを除くノネット、モニカ、ドロテアはそれぞれシベリア、サハラ、南アフリカに出撃し、ルキアーノも今朝早くに欧州に向けて出発しているはずだ。

 

 

 ――――大征服戦争――――

 

 

 ブリタニアは今、国内でそう呼ばれる程の戦争を各地で引き起こしている。

 ロシアから中華連邦・モンゴル自治区にかけての戦争、サハラ中央部から地中海にかけての戦争、南アフリカからインド洋にかけての戦争、そして三極の一つ欧州・EUとの戦争……大きな戦争だけでも、数え上げればキリが無い程だ。

 いや、この国が戦争をしていない時間などそもそも無い、と言うべきか。

 

 

「いきなり陛下に奏上って、何かと思って調べてみたら……EUとの戦いに参加したいだって?」

「あ、えーと……うん」

 

 

 肩に手を置かれて迫られて――日本人の感覚で、の話だ――青鸞は、曖昧に頷いた。

 あからさまに引くような姿勢は見せていないが、それでも過去との違いに気付かれていないだろうか。

 しかしどうやらジノは気にした様子も無く、心配そうな表情で。

 

 

「どうしたんだよ、本当。お前、確か前にEUとの戦争には興味無いって言ってたじゃんか……なぁ?」

「……うん、そう言う記録がある」

 

 

 携帯電話を弄りながら、尋ねられたアーニャは静かに答える。

 そんなアーニャの返答に自信を持ったのか、ジノは笑顔を浮かべて青鸞を見た。

 コロコロと表情の変わる青年だ、いや良く知っているが、初めて知ることでもある。

 実に、混乱する状態だった。

 

 

 実際、「偽物」の記憶の方ではそんな話をしたこともある。

 EUとの戦争も含めて、外国との戦争にはあまり興味が無いと。

 むしろ自分は本国で主義者などの対テロ戦に集中したい、そう志望していた。

 させられていた、と言う方が正しいか。

 

 

「んー、でもアレだな、セイランが行くなら俺も行くかなぁ。陛下に直談判すれば、行けるかな?」

「たぶん、無理」

「あー、そうかぁ……あれ、でもそれだとセイランの方も無理じゃないのか?」

「かもしれない」

 

 

 自分の心配をしていたはずなのに、いつの間にか別のことを考えているジノ。

 そしてそのジノに静かに相槌を打っているアーニャ、共に半年間を過ごした同僚。

 特にアーニャとは、少なからぬ時間を過ごしてきた。

 青鸞としては、非常に複雑な心境ではあった。

 

 

「ああ、いやいや俺の話じゃなくて。本当にどうしたんだお前、いきなり従軍、それも欧州希望。何かあったのか?」

「うーん……特には何も。ただ、ボクもたまには何か、と思って、さ」

 

 

 心にも無いことを言って、青鸞は複雑に笑う。

 頭を掻くジノ、そしてじっと見つめてくるアーニャの視線を感じながらも、青鸞は仮面を被り続けた。

 他には、どうすることも出来ない。

 

 

 そして彼女は、今日の行動の理由を考えた。

 いや、思い出していた。

 記憶の混乱から完全には脱していない彼女が、それでも事態の打開に向けて行動を起こした理由。

 思い出すのは、青鸞が自身の記憶を取り戻したあの夜――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 記憶を取り戻した直後、感じたのは哀しみでも屈辱でもなく、怒りにも似た感情だった。

 同時に感じた嬉しさは、甘さとして捨てた。

 怒りに似た、失望とも重なる、非難めいた感情で彼女は囁くように叫んだ。

 

 

「ばか……!」

 

 

 大声で叫ばなかったのは、相手の顔が近くにあることと、パーティ会場側を気にしてのことだ。

 カレンやルルーシュがギアスで操っている近衛兵が厚いカーテンの向こうを張っているとは言え、ブリタニアのお歴々がいるのである。

 大声など、出せるはずも無かった。

 

 

「どうして、こんな、危ないこと……!」

「……他に方法が無かった」

「どうして!」

「他に、お前を取り戻す方法を考え付けなかった。俺がブリタニアに戻る以外に、何も」

 

 

 救いに来てくれた、檻の中に囚われた自分を救いに来てくれた。

 感情としては、嬉しい。

 嬉しくないわけは無い、頬に手を添えられたままの体勢で表情をくしゃりと歪めたのが、その証拠だ。

 

 

 頭が痛い、膨大な記憶が一気に押し寄せて混乱している。

 自分を取り戻した、その証拠たる記憶は今、青鸞の頭の中にある。

 名前も経歴も、誇りも、何もかも。

 そしてこの半年の屈辱と罪悪も、何もかも。

 しかし、自分は何と言うことをと後悔するよりも先に。

 

 

「ルルーシュくんに何かあったら、どうするの……!?」

 

 

 ルルーシュに対して、感情を動かす必要があった。

 元皇子のルルーシュがブリタニアに戻る、それがどれだけ危険なのことなのかなど、いちいち青鸞が説明するまでも無いことだろう。

 救いに来てくれたのは嬉しいけれど、どうして来たと言わなければならなかった。

 

 

「……良いんだ」

 

 

 やはり囁くような声で、ルルーシュはもう片方の腕を青鸞のマントの中に滑り込ませ、騎士服の上から彼女の腰を抱いた。

 青鸞が息を詰める、涙を湛えた瞳が儚く揺れた。

 半年前に比べて伸びた黒髪が、さらりとルルーシュの手の甲を滑る。

 

 

 額を擦り付けるようにして、目を閉じながら囁く。

 子猫が親猫にするような触れ合いに、青鸞も瞳を閉じた。

 どちらのものとも知れぬ涙が一筋、少女の頬を流れ落ちる。

 ――――左胸が、心臓が、掴まれたかのように苦しくなった。

 まるで、刻まれていた何かが疼くように。

 

 

「青鸞をあの男から取り戻せるなら、俺はそれで良い」

「ルルーシュ、くん……」

「それで良い、それに約束しただろう。俺はお前が、そしてお前は俺が守ると」

 

 

 相互扶助、相互守護、相互救済――――契約、誓約。

 

 

「俺は、嘘を吐かない――――吐きたくない、お前には」

「……ばかだよ。頭良いくせに、本当に、ばか……」

「そうかもしれない、だが……それなら俺は、馬鹿で良い……」

 

 

 本当に、馬鹿だ。

 腕の中にある熱く小さな少女の儚さに、少年は声を震わせざるを得なかった。

 額や腰に触れる少年の温もりに、少女は肩を震わせざるを得なかった。

 そうしてようやく、本当の意味で黒い少年と青い少女は再会を果たしたのだった。

 

 

 ――――そして、もう一つ。

 

 

 少年が認識し、少女が忘却している事実が一つ。

 いや、(コード)が一つ、束の間の惰眠から解き放たれようとしていた。

 幾百年ぶりに発現したそれは、眠気を払うように、それでいて微睡(まどろ)むように。

 ――――少女の胸に、確かに宿っていた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「前々から思ってはいたが、お前は本当に人をたらす才能があるな」

「人聞きの悪いことを言うな。……そう言うのじゃない、青鸞は」

 

 

 部屋のソファの一つ丸々占拠しながらのC.C.の言葉に、ルルーシュは眉を顰めて反論した。

 ルルーシュが仮住まいとして与えられている離宮は広く、また住み込みの者達は全てギアスで「全力でC.C.を無視する」よう言いつけているため、C.C.の存在が外に漏れることは無い。

 まぁ、そのせいでC.C.の世話を誰もしてくれないと言うデメリットがあるのだが……それは、ルルーシュにとっては大した問題では無かった。

 

 

 とにかく、C.C.がルルーシュのことを「たらし」と呼ぶのは、もちろん青鸞のことを念頭に置いている。

 C.C.の目から見ても、ルルーシュはナナリーに次ぐような位置に青鸞を置いていた。

 実際、先日のパーティでの青鸞との接触はギアスとカレンの協力が無ければ成立しなかったろう。

 

 

(……実際の所、この男にとっての優先順位はどこにあるのかな)

 

 

 C.C.はすでに、一部を除いて大体の事情をルルーシュに話してしまっている。

 特に『コード』についての知識に関しては、ルルーシュはもうかなりの部分まで理解しているだろう。

 だからこそ、C.C.は思う……あのまま、記憶を取り戻さずにおいた方が良かったのでは無いかと。

 力を封じられたまま、覚醒することなくいた方があの娘のためだったのでは無いかと。

 ……あの、根源によって刻まれる(コード)を。

 

 

(まぁ、あの娘も自分の印について気付いていない様子ではあるが。どうするかな、教えてやる義理は無いと言えば無いが……さて)

 

 

 父への復讐、友への信義、妹への愛、幼馴染の少女への潔癖な独占欲。

 様々な要素が今のルルーシュを形作っていて、そしてそのためなら彼は自分の命を危険に晒すことには躊躇しないのだ。

 ――――夢想、する。

 

 

(もし、あの時……)

 

 

 あの時代、あの場所に……自分の傍に、こんな男がいたのならば。

 はたして自分はその後、どう生きていたのだろう。

 数百年を生きた呪われた魔女は、つまるところ、そんな夢想をしてしまうのだった。

 ルルーシュと、青鸞を見ながら、そんなことを。

 

 

「――――は言っても、ブリタニア本国には俺の自由に出来る戦力はほとんど無い。別に軍事力に限った話では無いぞ、内乱を起こしたとしても今はまだ勝てない、口惜しいがな」

「……ルルーシュ皇子には、人望が無いからな」

「否定はしないさ、ぽっと出の皇子様についてくるほどブリタニアの人間は甘くない。せいぜい、怪しまれない範囲で何人かの貴族をギアスで『ルルーシュ皇子の味方』にするのが関の山だったからな」

 

 

 何とか会話についてきていたかのように返答をするのがやっとだった、が、ルルーシュはそんなC.C.の様子を気にした様子は無い。

 内心で僅かに息を吐いて、C.C.はさらに言った。

 

 

「とは言え、まさか登場と退場が同時だとは敵も思わないだろうな。流石に忙しないというか何と言うか……」

「褒められたと受け取っておくよ。青鸞の協力で、条件はほぼクリアされるはずだ。後はナナリーを救い出し、安全な場所へ連れて行く。そしてナナリーさえいなくなれば、遠慮なくブリタニアを崩壊させることが出来る……」

 

 

 またこれだ、C.C.は呆れを通り越して感心すら覚えた。

 他はともかく、ルルーシュはナナリーのことに関しては一切のブレが無い。

 ブレが無さ過ぎて、正直引く。

 

 

「だが、今さら欧州戦線への参加を申し出てもどうにもならないんじゃないのか。あの娘が未だラウンズとしての権力を持っていても、編成済みの部隊に捻じ込むのは無理があるだろう」

「問題は無い、言ったろう、条件はすでにクリアされつつあると。確かに欧州方面への派兵部隊は編成済みだ、だが……」

 

 

 不意にルルーシュが言葉を止める、理由は部屋の扉がノックされたからだ。

 C.C.も声を落として様子を見る、するとやってきたのは離宮でルルーシュの世話をしているメイドだった。

 先に言ったようにC.C.の存在はギアスで無視される、だから特に隠れるようなことはしなかった。

 

 

「失礼致します、殿下。お客様でございます」

「ほう、誰だ?」

 

 

 次の瞬間、メイドの告げた名前にルルーシュは思い切り眉を顰め、しかる後に笑みを浮かべた。

 来客の名は、帝国宰相にして第2皇子シュナイゼル・エル・ブリタニア。

 半年前、彼とセキガハラで決戦を演じた男だからである。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 一台のリムジンが、皇宮ペンドラゴンから高級住宅地エリアへと進んでいた。

 黒塗りの防弾コーティング、見るからにVIP仕様のそれには2人の少女が乗り込んでいる。

 黒髪の少女と、桃色の髪の少女。

 青鸞とアーニャ、ナイトオブラウンズの少女達を乗せたリムジン。

 

 

 しかし以前であれば柔らかな空気が流れていたはずの車内には、やや緊張感を孕んだ空気が流れていた。

 アーニャの様子は変わらない、いつもと同じように携帯電話でブログの更新を行っている。

 変わったのは、青鸞の方だった。

 

 

(お、送ってくれるって言うから、断るのも変かと思って甘えちゃったけど……)

 

 

 話題が、無い。

 いや、本当はあるはずなのだ、前に2人で変装して行ったブティックについてだとか、最近のアーニャのブログについてだとか、以前であればいくらでも話題はあった。

 だが記憶を取り戻した青鸞は、アーニャとの距離感が掴めずにいた。

 

 

(アーニャ・アールストレイム、ナイトオブシックス……)

 

 

 ちらりと横を見れば、無表情に携帯電話を操作しているアーニャの姿がある。

 友情、のようなものは感じている、正直な所。

 しかしあくまでそれは「セイラン」のもので、青鸞とは違う。

 だが今さら、この半年の関係や記憶を無かったことにも出来ない。

 

 

 いけない、と思う。

 これまでとまったく違う自分にアーニャが違和感を感じてしまうかもしれない、それは避けなくては。

 だから青鸞は話題を探した、何か無いかと必死に。

 そして、ふと思い出した。

 それはアーニャの現在の任務で、しかも今の自分が無視してはいけない話題……。

 

 

「あ、あのさ、アーニャ。ナナリー……殿下の護衛任務って、最近、どうなってるの?」

「…………」

 

 

 不意にかけられた声に、アーニャは静かに視線を横へと動かした。

 その視線はとても静かで、何の感情も読み取れない。

 そして、やはり静かに携帯電話を閉じた。

 

 

「今日のセイラン……変」

「え」

 

 

 青鸞は固まった、表情を固くした青鸞をじっと見つめるアーニャ。

 

 

(し、しまった、ナナリーちゃんのことが聞ければと思ったけど、墓穴を掘った……!)

 

 

 思えば、セイランとアーニャはお互いの仕事内容に深く触れたことが無かった。

 それに今日の突然のEU戦参戦の要請、変に思われても仕方が無い。

 内心でダラダラと汗を流す青鸞、そんな彼女にアーニャは首を傾げた。

 

 

「いつもと違う」

「そ、そんなことないよ、普通だよ」

「普通って、何?」

「ふ、普通は、普通……かな」

 

 

 再び携帯電話を開くアーニャ、何やらカチカチと操作した後、すぐに閉じて。

 

 

「記録と答えが違う、やっぱり変」

「き、記録って何……?」

「記録は記録、不確かな記憶を埋めるピース」

 

 

 後部座席の背もたれに手をついて、アーニャが顔を近づけてきた。

 鼻先が触れ合う程の距離にまで近付けば、思わず唇を閉じて息を止めてしまった。

 その唇と触れ合う直前の位置で、アーニャが言葉を紡ぐ。

 

 

「記憶なんて曖昧なもの、でも記録は変わらない」

「き、記憶だって、大事なものだと思うけど……」

「記録の方が大事」

 

 

 背もたれについていたアーニャの手が、背もたれから青鸞の手、二の腕、肩、胸元へと白魚のような指先が滑っていく。

 騎士服越しに感じる僅かな指先の感触に、青鸞はくすぐったさを覚えた。

 顔の位置は変わらない、だから動けない。

 

 

 そうこうする内、アーニャの手が青鸞の頬にまで上がってきた。

 奇しくもそこは、パーティの夜にルルーシュが触れていた場所だった。

 だからだろうか、胸が少しだけ大きく鼓動したのは。

 アーニャとルルーシュが、重なって見えたのは。

 

 

「だって、私の記録と記憶は食い違うから。私の記憶には無い記録が、いくつもあるから」

「記憶に、無い……?」

「そう、だから記憶なんて曖昧で、頼りにならない」

 

 

 コツ、と、アーニャの人差し指と中指が青鸞の額を小突く。

 まるで、そこにある何かに触れようとするかのように。

 しかし、青鸞はそれとは別の部分を気にした。

 

 

 記憶に無い、と言うその言葉に。

 記憶、青鸞が最も過敏に反応しなければならない部分。

 それをアーニャが口にした、普通ならばあり得ない記憶障害を訴えた。

 だから、青鸞はまさかと思った。

 

 

「……もしかして」

 

 

 青鸞の唇のすぐ傍で、アーニャの小さな唇が動く。

 喉を鳴らして唾を飲み込む青鸞、アーニャは無感動な瞳で同僚の顔を覗き込みながら。

 

 

「……あの日?」

「え」

 

 

 先のものとは別の意味で固まる青鸞、アーニャの言葉の意味が脳内を駆け巡る。

 かっ、と、身体が熱を持つのを感じた。

 言った当人はそれで気が済んだのか知らないが、さっさと青鸞から離れて携帯電話を手に取っていた。

 何やら凄い勢いでブログの更新を行っている、何故か止めないといけない気がした。

 

 

「ついた」

「へ?」

 

 

 さらに言えば、いつの間にか目的地、つまり「ブルーバード家」の屋敷の前だった。

 何だか肩透かしを食らった心地だが、目的地についても降りないのも変である。

 もごもごとお礼を言って、青鸞はリムジンから降りた。

 開いた窓越しに手を振るアーニャに微妙な表情を向けつつ、青鸞はリムジンを見送った。

 その胸に、僅かに芽生えた疑念を抱えて。

 

 

 ……姿の見えなくなったリムジンをいつまでも見ていても仕方が無い、青鸞は息を吐いた。

 そして振り向く、そこには十分に上流階級と言うべき屋敷がある。

 青鸞はそれを少しの間見つめた後、ゆっくりとした足取りで玄関まで進んだ。

 アーニャのことやナナリーのことは、もちろん気にかけるべきことだ。

 だが、青鸞にはもう一つ、気にすべきことがあった。

 

 

「姉さん、お帰りなさい!」

「あ、うん……」

 

 

 扉を開くと、中から1人の小柄な少年が青鸞を出迎えてくれた。

 偽物の記憶、存在しないはずの家族。

 そう、つまり。

 

 

「……ただいま、ロロ」

 

 

 偽物の、弟。

 そして、神根島で自分を撃った少年。

 心の底で蠢く穏やかな感情に、青鸞はどうすれば良いのかわからなくなってしまった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 今のブリタニア皇帝、シャルルは、徹底的な実力主義者であることで知られる。

 力による強引な侵略で国を大きく育てた皇帝に相応しい主義だが、彼の凄い所はそれを自らの後継者決めにまで適用している所だ。

 争え、奪え、勝ち取れ、がブリタニアの国是。

 

 

 ブリタニアの次代の皇帝、すなわち皇太子は未だ指名されていない。

 本来なら第1皇子オデュッセウスがその座にあるべきなのだが、シャルルは生まれの順序で皇太子を決めなかった。

 法律的な皇位継承順位はあっても、現実的な継承者はいない、それが今のブリタニア。

 数十数百いる皇位継承者の内、勝ち残った者を次代の皇帝とすると言うのが、現在の方針だった。

 

 

「懐かしいね、昔はこうして良くチェスをしたものだ」

「そうですね、兄上」

 

 

 そしてこのシュナイゼルこそ、皇子時代のルルーシュにとって、最大の障害だった。

 継承順位も成績も、チェスですらも、ルルーシュはシュナイゼルに勝てた試しが無い。

 こと頭脳労働においては、かのコーネリアですら一目を置いていたルルーシュ。

 そのルルーシュをして「勝てない」と思わしめた男。

 帝国宰相にして第2皇子、長兄を差し置いて次代の皇帝に最も近いと目される存在。

 

 

(さて、どうやら特に俺のことを探りに来たと言う風でも無いが……)

 

 

 表面上はにこやかに「兄弟の再会を祝してチェス」としゃれ込んでいるルルーシュだが、内心はかなりドス黒いことを考えていた。

 隙あらばギアスをかけていろいろしようとも思うのだが、どう言うわけかシュナイゼルはルルーシュと目を合わさない。

 じっとチェス盤を見下ろして、柔らかな椅子に身を沈めながら話をしているのだ。

 

 

(まさか、知っているのか……俺のギアスを?)

 

 

 それこそまさかであるが、可能性として考慮はしておくべきだろうか。

 最悪の可能性として想定はしておくべき、しかし解せない点もある。

 ルルーシュのギアスのことを知っているのならば、何故ルルーシュに会いに来たのか。

 しかも連れてきた部下やメイドを下がらせて、2人きりと言う状況まで作って。

 

 

「しかし驚きました、まさか兄上の方から私を尋ねてきてくださるとは」

「うん? はは、まぁね。8年間死んだと思っていた弟が帰ってきたんだ、興味を引かれても仕方ないとは思わないかい? この8年間、何をしていたのか、とか」

「それはまぁ、私にもいろいろとありましてね。一言では言い表せませんよ。兄上も、この8年のことを一言で説明しろと言われれば、難しいのではないですか?」

「ふむ、それはそうかもしれないね」

 

 

 狐と狸の化かし合い、などと可愛い表現が通るのかどうか。

 

 

「戻ってきてからは、随分と精力的に各所を回っているそうだね。軍やナイトメア部隊、空港や企業の人間とも、実に多忙なことだ」

「戻ってきた皇子が珍しいのでしょう、慣れないことばかりで、恥ずかしい限りです」

「キミはとても優秀だよ、ルルーシュ。恥ずかしいことなんてないさ」

「兄上には及びませんよ、とてもね」

 

 

 互いが一言を話す間に、チェスの局面が二回は変わる。

 穏やかな会話の割にチェスは激しい、ルルーシュが攻めてシュナイゼルが守る。

 有利なのは、守るシュナイゼルだった。

 

 

「……キミは知っているかな、ルルーシュ。私はね、昨年にエリア11である男と戦った」

「聞いています、セキガハラ決戦ですね?」

「ああ、まぁ、結局よくわからない終わり方をしたんだけどね……」

 

 

 にこやかに応じながら、内心で腸が煮えたぎる思いのルルーシュ。

 何しろセキガハラでシュナイゼルと戦ったのは、ルルーシュ=ゼロなのだから。

 そしてあの戦いでルルーシュは事実上の敗北を喫し、多くのものを失ってしまった。

 だから、ルルーシュが憤怒の感情を覚えるのは極めて自然だ。

 しかし一方でシュナイゼルにしてみると、少し異なる見解を持っているようだった。

 

 

「……あの戦いで、私は奇妙な体験をした、したと思う。どうしてキミにそんな話をしようと思ったのかは私にもわからないけれど、ルルーシュ」

「…………」

「何となく、キミならわかってくれるんじゃないか――――なんて、思ってしまうのだけどね」

 

 

 カッ……ルークを動かして、シュナイゼルが逆攻勢をかけてきた。

 一手で盤上の戦局が変わる、それはあたかもあのセキガハラの戦場のように。

 

 

「どう言うわけかな、セキガハラ決戦の後から本国行きの専用機の中で気が付くまで、私は私が何をしていたのか、良く覚えていないんだ。そしてエリア11は今、ユフィが治めている。これは、どう言うことなのかな……」

 

 

 独白のように呟くシュナイゼル、ルルーシュはそんな彼を目を細めて見つめた。

 

 

(……そうか、貴方は……)

 

 

 そして、気付いた。

 シュナイゼルは己の身に起きた異常を理解している、そしてその類稀な直感力によって同じような異常であるルルーシュの帰還が無関係では無いと勘付いている。

 もしかしたなら、ゼロとの会話の中でルルーシュの気配を感じていたのかもしれない。

 

 

 だが、そこまでだ。

 

 

 そこから先には踏み込めていない、つまりギアスのことは知らない。

 いや、もしかしたなら知っているのかもしれない、しかし個々のことは知らない。

 つまりシュナイゼルがここに来たのは、牽制と調査、そんな所だろう。

 シュナイゼルに罪は無い、むしろ褒めるべきだ、しかし届かない。

 

 

「おや……」

 

 

 初めてシュナイゼルが感嘆したように吐息を漏らす、どこか面白そうですらある。

 それに対するルルーシュの手には、黒のキングが握られていた。

 普通、キングがそうそう動かす駒では無い。

 

 

「王から動かなければ、部下はついて来ませんから」

 

 

 そう言って、ルルーシュは鋭い音を立ててキングをチェス盤に叩きつけた。

 

 

(……ユフィ……)

 

 

 脳裏に、両眼にギアスを宿した優しい皇女を思い浮かべながら。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 カレン・シュタットフェルト、いや、紅月カレンはすでにゼロの秘密を知っていた。

 何故ならば、それがゼロ、すなわちルルーシュにとって必要だったからだ。

 ナナリー、そして青鸞を救い出すためには、ブリタニア本土に行かなければならない。

 

 

 だが黒の騎士団のトップであるゼロには無理だ、可能性があるとすれば「ルルーシュ皇子」だけ。

 だが仮に皇子として帰還しても、信頼のおける味方がいなければ、例えギアスをもってしても目的は達成できない可能性が高い。

 そしてルルーシュが知る限り、同行できる程の実力と身分を持つ者は1人しかいなかった。

 すなわち、彼女である。

 

 

「……良し、これでOKっと」

 

 

 ゼロが、生徒会の仲間であるルルーシュであると知った彼女は、どうしたか?

 まず、ルルーシュを殴った。

 それはもう、完膚なきまでに殴り倒したと言う。

 酷いことのように聞こえるが、彼女には他に感情を発散する方法が無かったのである。

 

 

 他に、どんな方法があったのだろうか。

 ルルーシュをゼロとしてブリタニアに引き渡す、あり得ない。

 では他の騎士団のメンバーに告げて彼を告発するのか、それも出来ない。

 ならばもう、鬱憤を晴らすためにぶん殴るしか無かった。

 ……まぁ、ルルーシュが一発目で気絶したのは予想外だったが。

 

 

「それにしても、事前のルート設定なんてどうやって見つけたんだか……ま、いつものことか」

 

 

 そう呟く彼女自身、シュタットフェルト家の本国タウンハウスに滞在する身だ。

 母親はともかく、父親は彼女に娘としての愛着を少しはもっている、頼めばこれくらいは可能だ。

 元々、カレンの父親――父親と思いたく無いが――は彼女がブリタニア人として生きることを望んでいて、エリア11から出て欲しいと思っていたのだから。

 

 

 しかし、それも今日までである。

 何しろ今回の「作戦」が成功すれば、今度こそカレンはシュタットフェルトの名を捨てる。

 テロリストとして指名手配もされるかもしれない、そうなればシュタットフェルトもおしまいだ。

 実母はすでに薬物法違反で逮捕入院中の身、もはやあの家に未練などあろうはずも無い。

 ならばこれは、彼女なりの復讐なのだ――――母を妾にし、その後放置した父親への。

 

 

「お母さんと、妹のために……ね」

 

 

 ルルーシュがブリタニアと戦う理由は、わかった。

 だからカレンはゼロを告発しない、彼の戦う意思は本物だと思った。

 母の復讐、妹の守護、どちらも良くわかる。

 ブリタニア人に弄ばれた実母とブリタニア軍に殺された兄を持つカレンには、良くわかる。

 だから、彼女自身の見極めが終わるまでは従う。

 

 

「……失望したら、輻射波動で溶かし殺すからね」

 

 

 データ通信用の端末にデータ消去用のディスクを差し込みながら、カレンは呟く。

 その身にドレスを纏おうと、西洋様式の屋敷の部屋の中にいようと、彼女の心は常に東にある。

 だから彼女は迷わない、決めるまでは。

 迷いつつ、しかし迷わない。

 

 

 しかし同時に、彼女はふと思うのだ。

 詳細はまだ知らない、が、ルルーシュが妹の他にもう1人の少女を救いに来たことは知っている。

 カレンに自分の正体を告げたのも、無茶を承知でブリタニアに来たのも、全てはその少女のためだ。

 

 

「……たらし、ねぇ」

 

 

 呆れたように告げる言葉には、僅かながら羨望の色が混ざっていたような気がした。

 きっと、気のせいだろうが。

 そんなように、聞こえたのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――薄暗く、狭苦しく、湿気の多い空間。

 無数のパネルだけが光源のその場所には、十数人の人間が肩を狭めるようにして立っていた。

 彼ら彼女らは一様に深緑色の衣装を身に着けていて、どこか鋭い雰囲気を纏っている。

 その中心にいるのは、1人の少女である。

 

 

 しかしその少女は、とてもその集団の中心にいるべき人間には見えない。

 割烹着と言うのだろうか、1人だけ妙に雰囲気の異なる服装。

 年の頃は16、腰まで届く艶やかな黒髪の美しい少女だ。

 彼女は周囲の人間を見渡すと、小さな端末を手に持ったままにこやかに微笑み、礼をするように膝を曲げた。

 

 

「紅月さまから連絡がありました。私達の主君が、見つかったそうです」

 

 

 少女の言葉に、周囲の人間は様々な反応を返す。

 頷く者、息を吐く者、首を振る者、手を合わせる者……だが、思いは一つだ。

 彼ら彼女らは今、振り下ろされるのを待つ拳のようなもの。

 だから。

 

 

「それでは皆様……迎えに参りましょう、私達の青鸞さまを」

 

 

 だから、彼ら彼女らは動き出した。

 深い深い海の底で、獲物を狙う鮫のように。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 数日後、ルルーシュはブリタニア皇帝による招聘を受けた。

 ラウンズや皇族・大貴族を筆頭とする文武百官が居並ぶ謁見の間、玉座に座る皇帝シャルル――ではなく、その前で皇帝の名代として詔書を読み上げる第1皇子オデュッセウスの前で、ルルーシュは片膝をついていた。

 

 

(……やはり、皇帝自身は出てこない、か……)

 

 

 半ば予想できていた事態に、ルルーシュは内心で舌打ちしていた。

 もしこの場に出てきていれば、また違った策を使えたのだが。

 そしてこれではっきりした、皇帝はルルーシュのギアスを知っている。

 

 

 一方で、ルルーシュも皇帝のギアスを知っている。

 記憶操作のギアス、青鸞の存在が彼にそれを教えてくれていた。

 青鸞自身の証言を聞くまでは俄かには信じ難かったが、だが彼女が記憶を失う直前に持つ最後の記憶が「皇帝シャルルのギアス」なのである。

 状況を聞くに、ルルーシュと同じ、目を合わせることで発動するギアス。

 

 

「第11皇子ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアを、ポリネシア侵攻軍の総司令官に任命する」

 

 

 オデュッセウスを通じて下された勅命は、通常ではあり得ないものだった。

 しかしこれは一つの結果、そしてルルーシュの思惑通りのものだ。

 ギアスで協力させた中堅貴族達の後押しと、ギネヴィアやカリーヌなどルルーシュに非好意的な皇族達の陰日向の根回し、それらがあって初めて成し得る策。

 

 

 欧州本土の侵攻軍の編成は済んでいて、もう手の出しようが無い。

 だからこその、中部太平洋のフランス領に狙いを定めた軍の進発なのだ。

 表向きは、帰還したばかりのルルーシュ皇子の初陣、と言うことになる。

 敵の規模も少なく、まさに手頃な標的と言える。

 

 

「第11皇子ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアは、ニューカレドニア、タヒチを含むフランス領ポリネシア(ポリネジー・フランセーズ)を制圧、主都パペーテにて神聖ブリタニア帝国エリア23の設立を宣言した後、本国より派遣される総督に権限委譲を行い、速やかに帝都ペンドラゴンに帰還せよ」

 

 

 要するに、ポリネシアを制圧したら掌握した軍を置いて帰って来い、と言うわけだ。

 なかなかに勝手だが、しかし当然だろうとは思う。

 あの皇帝が、何の首輪も無くルルーシュに軍を与えて外に出すわけが無いのだ。

 問題は、あの皇帝が今、どういう思考をしているかなのだが……。

 

 

「しかし第11皇子はまだ帰還して日が浅く、経験も少ない。そこで皇帝陛下は特別の恩寵を与え、ナイトオブイレヴン、セイラン・ブルーバード卿を補佐としてつける」

「イエス・ユア・ハイネス」

 

 

 場がザワめく、武官の列からバイザーとラウンズの騎士服を纏った青鸞が歩み出て、ルルーシュの横に膝をついた。

 ラウンズを皇子につけるなど、なかなかに無いことだ。

 しかしこれもルルーシュの策、青鸞をひとまずブリタニアの外に出すための策だ。

 

 

 これには、ルルーシュもうっすらと唇を笑みの形に歪める。

 全てが予定通り、彼の策の通りだからだ。

 ブリタニアでは皇帝は絶対権力者だが、貴族・皇族の動きや枢密院への根回しなど外堀を埋めれば、何もかもを引っ繰り返せるわけでは無い。

 そう思えば、あの皇帝にも付け入る隙も……。

 

 

「……さらに加えて」

 

 

 ん? と、ルルーシュは内心で眉を顰める。

 続きがあるとは思わなかったからだ、しかし表面には出さない。

 そんな彼に対して、皇帝の名代であるオデュッセウスは詔書の最後を読み上げた。

 彼自身も多少驚いているのか、温厚そうな顔にやや呆けたような表情を乗せて。

 

 

「……枢木スザク卿の同行を、命じるものである」

「……!」

(何……!)

 

 

 息を詰めた青鸞の横で、ルルーシュが瞳を見開いた。

 文武百官からも動揺のざわめきが起こる、ラウンズを2人も、との驚きだ。

 だがその驚きは、ルルーシュや青鸞とは質の異なるものだ。

 何故なら2人にとって、スザクの名前は特別な意味を持つから。

 

 

(……そう言う、ことか!)

 

 

 ルルーシュの策が成ったわけではなく、皇帝があえてルルーシュの策に乗ってみせただけ。

 つまりはそう言うことで、それだけのことでしかなく。

 ルルーシュの瞳の奥に、初めて苛烈な色が灯った。

 

 

「イエス・ユア・ハイネス」

 

 

 そして、1人の少年が武官の列から前に出る。

 ラウンズ「唯一」のナンバーズ出身者、裏切りの英雄、ナイトオブセブン、枢木スザク。

 おそらく、確証無く全ての事情を知る唯一の少年は。

 

 

「……皇帝陛下の、御心のままに」

 

 

 自分を睨み上げる2つの視線を受けてなお、表情を変えなかった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 予定外のケースではあるが、予想外のケースでは無い。

 ルルーシュが幾十通りも考えたルートの中には、スザクが監視役としてついてくるルートも想定されていたのだから。

 とは言え、実際にそう言う状況になるとなかなかに堪えるものがあった。

 

 

「……なるほど、話を聞く限り、スザクにかけたギアスはそのままのようだな」

 

 

 送迎用のリムジンの中で、ルルーシュは青鸞にそう語りかけた。

 運転手はギアスで掌握し、他はリムジン周囲の護衛車くらい、盗聴器の類も無いし、会話が盗み聞かれる心配は無い。

 作戦行動の打ち合わせと言う名目で青鸞を皇宮ペンドラゴンから連れ出した形のルルーシュではあるが、その脳内は皇帝やスザクとの政戦両略面での戦いについてだ。

 

 

 そして今の言葉は、ナイトオブイレヴンとして活動していた青鸞の言葉を受けてのもの。

 ルルーシュが半年前に神根島でかけた、「妹を守れ」と言うギアス。

 何かと青鸞を庇っていたと言う話を聞くに、まだ継続中なのは間違いない。

 ただ、青鸞が酷く微妙な顔をしているのが気になると言えば気になった。

 

 

「とは言え、青鸞に関すること以外は全てアイツの意思だ。となると、俺がゼロである可能性が濃いと知っているアイツの行動は、場合によっては邪魔になるわけだ。皇帝め、敵ながらなかなかいやらしい手を打ってくる、見え透いているが的確な手だ」

 

 

 現状、ルルーシュにとってスザクは敵でしかない。

 もちろん、過去を共有すべき幼馴染だと言う情はある、あるが、しかしそれでも、スザクが皇帝にしたがっている限りは敵なのだった。

 一方で、より複雑なのが青鸞だった。

 

 

 父の仇、日本の裏切り者――――そして、8年前、勝手に自分を助けた人。

 ラウンズの仲間、気になる相手――――そして、半年間、自分を監視していた人。

 血の繋がった、兄。

 いろいろな事象が重なりすぎて、眩暈が起きそうだった。

 

 

(……本当、気持ち悪いよ)

 

 

 記憶とは、「自分が誰か」を形成する重要な要素だ。

 それが揺らいでいる今、青鸞は酷く脆い存在だった。

 だからこその複雑な心境なのだが、皇帝から青鸞を取り戻したと思っているルルーシュがそれに気付くことはなかった。

 元々、心理学には長けていても他人の感情の機微には疎い少年だから、無理も無いのかもしれない。

 

 

「えっと、それで結局、どうするの?」

「当然、計画は続行する。そして……ナナリーを救い出す」

 

 

 ナナリー、その名前を告げた時のルルーシュの表情は苛烈そのものだ。

 無理も無い、妹の存在は彼の全てだ。

 それは言い過ぎではあっても、過小では無い。

 

 

「皇帝は俺の策にあえて乗ってやったつもりだろうが、その余裕が命取りだ。最大限に利用してやる……ふふ、ふふふ、ふふははははは……」

「…………」

 

 

 苦笑する青鸞は若干引いていたのだが、当のルルーシュは気付いていない。

 やはり、他人の感情の動きに疎いのかもしれない。

 しかし妹の話が出たからか、ふと青鸞は言いにくそうな顔を浮かべつつ。

 

 

「あ、あのさ、ルルーシュくん」

「うん? 何だ青鸞、まだ何かあるのか?」

「あ、あー……うん」

 

 

 言い澱む青鸞に、流石のルルーシュも怪訝な表情を見せる。

 そんな彼に、青鸞は言った。

 

 

「ロロのことなんだけど、出来れば……」

「ロロ? ああ、お前の家にいる偽物の弟か。それもどうせ皇帝側の人間だろう。どんな立場の人間かにもよるが、せいぜい利用してボロ雑巾のように捨ててやれば良い」

「……そう、だね」

 

 

 浮かない表情を浮かべる青鸞に、今度はルルーシュも何かに気付いた。

 青鸞の表情は、とても「ボロ雑巾のように捨てる」ことが出来るようには見えなかったからだ。

 ロロ・ブルーバード、皇帝側が用意した弟役、早い話が監視役である。

 

 

「まさか、青鸞……そいつのことを気にかけているわけじゃないだろうな」

 

 

 厳しさを滲ませたルルーシュの声に、青鸞はやや肩幅を小さくした。

 その様子は、叱られる子供のようでもあった。

 

 

「そいつは皇帝側の人間だ、お前を監視していた……偽物の弟だ、俺達の敵なんだぞ」

 

 

 わかっている、唇を噛みながら青鸞は頷いた。

 しかし、心の中はどうしても揺らいでしまう。

 二重の記憶が、青鸞の心を苛んでいた。

 

 

 ロロ・ブルーバード。

 偽物の弟、敵、監視者、自分を撃った少年、わかっている。

 わかっているけれど、でも。

 

 

(――――ボクは……)

 

 

 想って、しまうのだった。

 




 最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
 青鸞が記憶を取り戻し、あと未説明かつ無自覚ですが力を取り戻し(詳しくは次回あたりですかね)、ある意味で真の第一回です。
 でも、何だろう、すでにいろいろごちゃごちゃしているような……。
 ちなみにフランス領ポリネシア、コードギアスの世界には無いかもしれませんが、このお話ではあると言う前提で進めたいと思います。
 では、次回予告。


『仕込みは上々、後は仕上げをごろうじろ。

 でも、そんなには上手くいかない。

 作戦も、それに、ボクの心も。

 そんなボクに、あの魔女の人が語りかける。

 ……教えよう、と』


 ――――TURN4:「ブリタニア脱出作戦」

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