航空戦艦『ヴィヴィアン』、試験艦である『アヴァロン』で実証されたフロートシステム搭載型の戦艦である。
正式名称はアヴァロン級2番艦『ヴィヴィアン』、太平洋上のフランス領を制圧し、豪州やインドネシアに圧力を加えるために派遣された空飛ぶ戦艦だ。
そしてその艦橋、アヴァロンと良く似た造りのそこにルルーシュはいた。
玉座にも似た指揮シートに深く座り、肘掛に置いた腕に顎を乗せながら、彼は正面の戦略パネルを見つめていた。
そこには北太平洋の地図があり、ヴィヴィアンの試験飛行を兼ねて通ったハワイ基地が徐々に遠ざかっている様子が映し出されていた。
「ハワイ基地よりの通信を確認、『貴艦の航海の幸運を祈る』、以上です」
「うむ、見送りの艦隊に礼文を撃て、気を付けて帰島するようにとな」
「イエス・ユア・ハイネス」
ルルーシュは鷹揚な返答に、通信官はほっとしたような声で応じた。
実はハワイでの補給などが基地側の事故で遅れて、2日も時間をロスしてしまったのだが、艦橋スタッフが怯える程にルルーシュは怒っていない様子だった。
皇族の怒りを買えばブリタニアでは生きていけない、その意味でプロフィールの良くわからないルルーシュ皇子との距離感を図りかねている者もいるのだった。
「あはっ、殿下ぁ。フロートシステムは何も問題なし、ランスロットもラグネルも、いつでも使えますよぉ」
「現地に到着するまではナイトメアに用は無い、いちいち報告は必要ない」
「あはは、まぁ、でも暇ですから。ご機嫌伺いにでもってねぇ」
とは言え、中にはそんなことをまるで気にしない人間もいる。
例えばルルーシュの艦に同乗しているナイトオブラウンズの片割れ、枢木スザク卿の専属KMF開発部隊「キャメロット」主任、ロイド伯爵などがそうだ。
元々特派と呼ばれていた部署の主任だったのだが、スザクのKMFについてくる形で配置換えとなったのだ。
皇族相手でもその姿勢が変わることは無いのだが、それはあくまで彼だけであり、彼の傍に立っているセシルなどは溜息を吐いている。
しかし、ルルーシュはそれを咎めたりはしなかった。
もちろん度が過ぎればその限りでは無いだろうが、いちいち咎めるつもりも無かった。
「すでに欧州本土ではシュナイゼル宰相の指揮の下、フランス上陸作戦が行われているだろう。我らも急ぎポリネシア制圧艦隊と合流し、任務の遂行に当たらねばならない。皇帝陛下の御名の下、皆、全力で作業に当たってほしい」
「「「イエス・ユア・ハイネス」」」
ルルーシュの言葉に、流石にロイドも含めて、返答がある。
ヴィヴィアンはフロートシステムの調整も兼ねてハワイを経由している、その分、侵攻ペースはゆっくりなものになっていた。
勅命を受けてからすでに1週間が経過しており、ポリネシア侵攻艦隊とは明日には洋上で合流する予定だった。
その時、ルルーシュはふと視線を感じた。
顔を動かさず視線のみでその主を探せばすぐに見つかる、ルルーシュは口元にうっすらと笑みを浮かべた。
戦略パネルを見て一つ頷き、その場に立ち上がる。
「私は自室に戻る、何かあれば呼ぶように」
「「「イエス・ユア・ハイネス」」」
そしてそのまま艦橋から黒い衣装の裾をはためかせながら立ち去るルルーシュを、1人の少年が追いかけた。
ラウンズの騎士服を着たその少年は、鋭い眼差しを崩さずに静かにその後を追う。
その少年、スザクの背中を目で追いながら、セシルはふと息を吐いた。
「……幼馴染、か」
「複雑だねぇ」
セシルの呟きに、ロイドが訳知り顔で頷いたのが、妙にシュールだった。
◆ ◆ ◆
ヴィヴィアンの通路を奥に進めば進む程、つまり司令官であるルルーシュの自室へと近付く程、歩哨に立つ警備兵も含めて人の影は少なくなっていった。
これは、艦内のエリアがいくつかに区分されていて、警備兵と言えどもある程度以上の身分が無ければ入れないエリアが設定されているためだ。
当然、司令官であり皇族であるルルーシュに入れない場所は無い。
そして皇帝直属であるスザクにも、原則として入れない場所は無い。
故にこそ、「皇子ルルーシュの自室」は最も都合の良い場所だった。
「どうした、入れよ――――話があるから、ついてきたんだろう?」
そのルルーシュが、誰もいない自室のソファに纏っていたマントを放り投げながら、砕けた口調でそう言った。
受けたスザクは、数秒の逡巡の後に室内へと足を踏み入れる。
扉が自動で閉まり、艦内で唯一監視カメラの存在しない部屋には少年2人きりになる。
しばし、沈黙が続いた。
スザクは厳しい眼差しでルルーシュを見つめ、ルルーシュは人の良さそうな笑みを顔に貼り付かせている。
だが、表情程にお互いの関係は固まっていないようだった。
「そんな怖い顔をするなよ、ここには俺達しかいない……スザク」
「……なら、ルルーシュ。聞きたいことがある」
「ん?」
どこか緊張しているスザクに対して、ルルーシュはあくまで自然体だ。
そこがまるでアッシュフォード学園の生徒会室であるかのように振舞うルルーシュに、瞬間的にだがスザクは毒気を抜かれたような表情を浮かべた。
だがそれもすぐに生真面目なものに変わり、詰問するかのような口調で。
「ルルーシュ、どうしてブリタニアに戻って来たんだ?」
「何だ、まるで戻ってきちゃダメだったみたいな言い草じゃないか」
「そ、それは……そう言うわけじゃ、無いけど」
質問の内容が間違っている、ルルーシュは心の中でそう思った。
「どうして」戻ってきたか、ではなく、「どうやって」戻ってきたかの方がこの場合は重要だ。
スザクはルルーシュがブリタニアを恨んでいると知っている、だからこそ戻ってきたと言う行為自体の理由など聞く必要も無い。
だから聞くべきは、その方法だ。
まぁ聞かれたとしても、ルルーシュはすでにスザクを煙に巻けるだけの
もしかしたなら、ルルーシュのギアスについてもすでに知っているのかもしれないが……。
(だが、俺がギアスを持っていると言う証拠は無い。ゼロであると証明することも出来ない)
である以上、スザクがこの場でルルーシュに対して実力行使に出る可能性は0に等しい。
だからこそ皇帝もこのような回りくどい方法で尻尾を掴もうとしたのであろうし、スザクも己の疑心を明確なものにするためにルルーシュの監視を行っているのだろう。
ルルーシュがこのまま、ブリタニアから姿を晦ますのでは無いかと。
「……戻った理由、か。そうだな、確かに俺はブリタニアが、ブリタニア皇帝が憎い。だが……」
だが、スザクはルルーシュがそう出来ないことを知っている。
ナナリーだ。
ナナリーが皇帝の手中にある以上、ルルーシュがそれを見捨てて逃げるなどあり得ないと知っている。
だからこそ、ルルーシュの今回の行動の意図がわからないのだ。
そもそもブリタニアに戻った時点で、ルルーシュには2つの道しか無い。
攻めるか、退くか、そのどちらか。
幼少期のように本国の内側でナナリーを守るか、あるいは奪い取って共に逃げるか。
ルルーシュのギアスが現状、数十数百の人間に同時にかけられる程に強いものでは無い以上、可能性としては後者が濃い、だが今ルルーシュはナナリーを本国に置いている。
(ナナリーに会わせて欲しいと申請しなかったこと自体も、何かおかしい)
この点、スザクの勘は正しい。
ルルーシュが「何か」企んでいることを勘付いている、しかしそれが「何か」まではわからない。
こうした心理戦で、スザクがルルーシュに勝るなどあり得ないのだから。
「――――ナナリーのためだ、スザク。俺の全てはナナリーのためにある、そうだろう?」
「ルルーシュ……」
だからこそ、望む答えが返ってきても、スザクは身体の緊張を解かなかった。
両手を広げ、笑顔でそこに立つ幼馴染の少年。
かつて、自分を救おうとしてくれた皇女がゼロだと断じた少年を前にして、スザクはどうしても彼の言葉をそのまま飲み込むことが出来なかった。
しかしこの時、ルルーシュは真実を告げていたのだ。
ルルーシュの秀逸な点は、こう言う所だろう。
普通、嘘を信じさせるにはほんの僅かな真実を混ぜるべし、と言うのだが。
彼の場合、100%全てが真実で、嘘なのだから。
「ナナリーがブリタニアにいるから、戻った。それだけのことだ、何か不都合があるか?」
「…………いや」
事実、ルルーシュは。
あくまでも妹の、ナナリーのためにここにいる。
「俺達は妹を守る、そうだろう、スザク。俺達は……
「あ、ああ……」
戸惑うような表情のスザク、その瞳に赤い輪郭を見つけてルルーシュは笑みを浮かべる。
その笑みは、友情とは程遠い物だったが――――。
◆ ◆ ◆
サアアアアァァ……と、熱いお湯が頭上から降り注ぐ。
ヴィヴィアン内の自室に備え付けられた広いシャワールームの中は、シャワーのお湯によって生まれた湯煙によってうっすらと白んでいた。
その中に、降り注ぐお湯を全身で受け止める少女が1人いる。
湯に濡れた前髪が額に貼り付き、横髪や後ろ髪から湯の雫が滑り落ちていく。
お湯を受け止めているために目は閉ざされているが、形の良い眉や睫まで濡れて煌き、水を弾く若くみずみずしい肌がシャワールームの淡い照明を受けて輝いているようにも見えた。
首元にかかったお湯はそのまま鎖骨を過ぎ、成長途上の、未だ1人の少年しか触れたことの無い胸元を濡らし、隠すように組まれた細い両腕の間から下へとお湯を流し続けていた。
引き締まった腰から綺麗な臍、そして少女の秘めやかな部分から白い足を伝い、床へと落ちていくお湯……。
「……はぁ」
枢木青鸞、ヴィヴィアン内におけるナイトオブラウンズの1人である。
最もそちらはあくまで「セイラン・ブルーバード」であるわけだが、それはもはやどうでも良い。
重要なのは、ハワイの基地空港で起こった燃料庫の爆発事故を収拾するために徹夜明けだった彼女が、眠気を払うためにシャワーを浴びていると言う点だった。
(アレもルルーシュくんの策の一つだって言うけど、何の意味があるのかな……)
とは言え、青鸞が溜息を吐いているのはそんなことが理由ではなかった。
ルルーシュの策に協力するのは吝かでは無い、ただ彼女には気がかりがある。
それは、ルルーシュに言わせれば笑止千万な話なのだろうが……ブリタニア本国に残してきた「弟」のことが気がかりだったのだ。
「ロロ……」
偽物の弟、ブリタニア人、皇帝側の監視役。
もしかしたら向こうはそんなことを思っていないのかもしれない、だが、少なくともこの半年共に過ごした「家族」だったのだ。
それを、騙すと言うか……嘘を吐いて別れてきた、と言うのが。
『姉さん、気をつけて。生きて帰ってきてね、絶対だよ』
脳裏に甦るのは、ハワイへの出向前日、遠征に出る胸を告げた時の会話だ。
生きて帰ってきてほしいと告げた「弟」の不安そうな顔、あれが嘘だなどと思いたくは無かった。
だからつい、普段はしないことをしてしまった。
『……姉さん、これは?』
『えっと、指きり。小指を絡めて約束を交わすと、絶対に破っちゃいけなくなるんだった。どこかの国の風習だったような……嫌かな?』
『嫌じゃないけど、今までこんなことしなかったから……』
その時の戸惑ったような「弟」の顔が可愛くて、青鸞はクスリと思い出し笑いをした。
だが、すぐに萎む。
騙して置いて来たも同然の「弟」、自分が消えた後、どうなるのだろうか。
粛清などされなければ良いと思う、たとえ偽善と言われようと、願うくらいはしたかった。
そしてもう一つ、こちらは極めて個人的な悩みだ。
お湯が目に入るのも構わずに目を開けると、目の前の姿身に視線を向ける。
右手で鏡を拭き、僅かの間だが透明になる鏡面。
そこに映るのは、若さに満ちた少女の裸身だ。
ただ、その一部分を見て青鸞は表情を翳らせた。
「この痣……何だろう」
それは左胸、少女の控えめなそこにうっすらろだが確かに痣があった。
痣と言うより、どこかマークのように見える。
わからないのが、そのマークに見覚えがあることだった。
飛び立つ鳥のようなそのマークは、かつて父の遺した手記の中で見たそれに酷似していた。
「前までは無かったのに、どうして急に……」
これが戦でついた傷痕ならまだ大丈夫だっただろうが、こんな痣だと流石に困る。
(……ルルーシュくん、変だとか言わないかな……って、いやいや、何でルルーシュくんに見られる心配してるんだろ、ボク)
「意外と余裕があるな、お前」
「え、ボク声に出し……て、って!?」
ひたり、と腰のあたりに細く冷たい手の感触。
それを感じて慌てて振り向けば、そこには裸の少女がいた。
シャワールームなので裸でも問題は無いのだが、ここが青鸞の自室で、背中にしなだれかかるようにくっつかれる覚えも無く、加えて言えば。
「し、C.C.さん……!?」
金色の瞳が、静かに青鸞を見上げていた。
かつて自分を殺しに来た相手、C.C.。
あれ以来特に接触の無かった相手だが、それが今自ら会いに来たと言うのだろうか。
しかし、もし仮にそうだとしても。
……別に、シャワー中に来る必要は無いだろう。
◆ ◆ ◆
C.C.と言うその少女の裸身もまた、輝くばかりに美しいものだった。
世界に一つしか無いような艶やかな緑髪、くすんだ金の瞳、東洋系には出せない透けるような白い肌。
年の頃は変わらないように見えるのに青鸞のそれより成熟したスタイルは、同性でも目に毒だ。
「……こうして見ると、意外と筋肉は少ないんだな、お前」
「ひゃっ」
お腹をモニっとされて、変な声を上げてしまう。
同時に混乱の度合いが増す、反射的にシャワーのお湯を止めようと手を伸ばすが、あまりに慌てていたためか足を滑らせてしまった。
盛大な音を立てて、すっ転ぶ青鸞。
お腹と胸の間に腕を回されて引っ張られたからか、後ろに仰向けに転んだ。
シャワールームの床にしたたかに頭をぶつけて痛みに顔を顰める、しかしふと疑問に思う、自分の後ろにいたはずのC.C.はどこへ失せたのかと。
それは、痛みで閉じた目を開ければ――――目の前に、見つけることができた。
「あ……」
シャワーのお湯が降り注ぐ中、しかし青鸞の身体の一部にはお湯がかからない。
何故ならば、仰向けに倒れた青鸞の上にC.C.が圧し掛かっているからだ。
体勢的には、C.C.が青鸞を押し倒しているような形だろうか。
青鸞の肩と首の横に両手を置き、また青鸞の足の間に己の膝を入れて絡め、足を閉じられないようにしている。
――――身の危険を、感じた。
それでも青鸞が抵抗の素振りを見せなかったのは、C.C.の瞳を見たからだ。
感情の無い、もちろん情欲に濡れているわけでも無い、乾いた瞳が。
そして何よりも、その額。
前髪の間から覗く白い額に、うっすらとだが痣が見えたからだ。
青鸞の胸にあるのと同じ、羽ばたく鳥のようなマークが。
「そ、それ……ひゃ、あ?」
左胸のあたりに冷たい肌の感触を感じて、言葉を止めてそちらを見る。
するとそこに、控えめな膨らみに触れるC.C.の細い指先があった。
そこにある痣の輪郭を撫でるように指先を這わせ、そして全体を包むように掌の腹で撫で擦る。
何とも言えないくすぐったさに、青鸞は片目を閉じて身をよじった。
「え、ちょ、あの……な、何して」
ナイフを振り下ろされるよりはマシだが、しかしだからと言ってこれも困る。
神楽耶に知られたら何と言われるか、危機的状況の割に余裕のあることを考える青鸞だった。
「……やはり、不完全だな」
「え……?」
「老化は極限まで抑えられているが不老では無く、再生能力は異常だが不死では無く、根源と繋がり固定化されるはずのコードが、不完全なまま発現している。休眠期間の長さが原因なのか、それとも失われていた数百年前の時点で何かあったのか……ギアスに対する抵抗力も、私やV.V.程では無い」
……はたして、どう反応すべきだろう。
と言うか、他の女性に聞きたい。
胸を揉まれながら電波なことを言われたら、どんな反応を返せば良いのだろうか。
いくら同性でも、これは困る。
「教えよう」
一瞬の後、鼻先が触れ合うような位置にC.C.の美しい顔があった。
額のマークが薄く輝いていて、その輝きが明滅すると、呼応するように左胸が痛み始めた。
その痛みに身を竦ませた次の瞬間、唇に柔らかな感触を感じた。
驚きに目を見開けば、そこにC.C.の白い顔がいっぱいに広がっていた。
唇に降りてきた感触は、懐かしさすら覚える。
柔らかで、しかしどこか冷たい。
だけど。
(……神楽耶のとは、違うんだ)
そんなことを考えて、青鸞は視界が暗転するのを感じた。
◆ ◆ ◆
――――それは、膨大な情報だった。
大津波に晒された人間に何が出来るだろう、ただ押し流されるだけだ。
あまりの情報量に、脳は壊され肌は焼け、人間としての形を失ってしまうだろう。
神根島では、その衝撃で覚醒直後の『それ』が再び眠ってしまった程に。
『人は、根源の渦より生まれ渦の中に帰る』
しかし神根島の時と違うのは、その情報を制御し、教え導いてくれる者の存在があることだ。
数百年に渡りコードを持ち続けたその存在が、受け継いだばかりの小娘を導いてくれる。
情報の大津波を、掻き分けて小波へと変えてくれる。
○○○管理者と言う、記号を持つ存在が。
『「コード」とは、根源の渦から散った
それは、かつては常に行われていたこと。
根源の渦を介して、固定化された「1人」と「1人」が、巫女同士が繋がる現象。
出会う場所は、<Cの世界>。
『かつて、世界には12の「コード」が存在していた。しかし今はそのほとんどが根源の渦へと溶けて消えてしまった……「コード」の本質、真の意味での発現を成し得ないままに』
――――かつて、死に瀕した幼い少女がいた。
彼女は生を望むが故に、聖女の皮を被った魔女に誘われて契約を交わした。
幼い少女は、力を得て生を得た。
多くの者に『
しかし、幸福は磨耗する。
力が強まれば強まる程に、その胸の内は空虚さで満ちていく。
『私達は、永遠の囚われ人』
そして、裏切りの瞬間は訪れる。
聖痕の移譲、それは「死」から始まるのだ。
「死」から転じて「生」と成す、契約の魔女に殺されることで移譲は完了する。
胸の肉を切り裂き、抉る音。
噴き出た血液が顔を濡らし、大地に吸われ、『コード』に啜られたそれが新たな契約を生む。
断末魔の悲鳴と狂った笑い声の中、地獄の底で契約は成される。
『コード』は、ただそこにある。
膨大な情報と記憶、それを背負わせて管理させるための、魔痕。
『炎で焼かれたこともある、槍で貫かれ銃で撃たれ、刃と言う刃に抱き締められて閉じ込められて、皮を剥がされ臓腑を掴み出され、人類の進歩と共に効率的になっていく拷問と殺害、絶望と諦観、血の赤と暗闇の黒、それだけが――――いずれ、お前の日常になる』
今は良くても。
1年が経ち、10年が経ち、100年が経ち、それでも変わらない若さを見れば。
誰だって、いつかはそうなる。
『逃れる術は一つしか無い、誰かにそれを押し付けること』
脳裏に浮かぶのは、1人の黒い少年。
強いギアスの素養を持つ彼、全てを受け止める広さを持つ彼。
優しくて、脆くて、支えてあげないと崩れれてしまいそうな、そんな。
そんな少年に、押し付けることしか。
嫌だと拒絶すれば、やってくるのは地獄だけ。
「死」が絶え間なく襲ってくる、気が狂いそうな時間だけ。
でも気が狂うことは無い、固定化されているから。
狂うことも出来ずに、ただ「死」の苦しみだけが永遠に続く。
永遠に、永久に、終わることなく、ずっと、ずっと――――ずっと。
◆ ◆ ◆
穢された、その感情だけが残った。
穢した、その感情だけが残った。
C.C.は、自分の腕で目元を隠す青鸞を見下ろしていた。
熱い湯が降り注ぐ中で、しかし触れ合う肌は恐ろしく冷たかった。
(……哀れな女だ)
自分が穢し、涙を流させておきながら、C.C.は心の底から青鸞を哀れんでいた。
これから先、永い時間を独りで生きていくことになろうだろう少女を、哀れに思っていた。
家族も、友人も、誰も彼もを通り過ぎて、それでも死ねずに生きていく。
今は不完全なクルルギの『コード』も、ちょっとしたきっかけがあれば完全に目覚めるだろう。
そう言う意味で、この娘はすでに人間では無い。
だからC.C.は、青鸞の記憶を取り戻させたルルーシュを本当に残酷だと思う。
いっそのこと、忘れさせてやっていれば良かっただろうに。
「……嫌だ」
不意に耳に届いた声は蚊の鳴くように小さかったが、しかし確かに聞こえた。
C.C.はそれに、目を伏せるようにしながら。
「嫌だと言っても、事実は変わらない。お前はすでに受け継いでしまった、『コード』を」
拒絶の言葉を紡いだ青鸞を、しかしC.C.は責めなかった。
C.C.自身、最初の頃はそう思っていたのだ。
だがどれだけ否定しても、何も変わらなかった。
結局、現実と言う名の地獄だけが延々と広がっていて……。
「だから、諦めろ。後はせいぜい、気をつけて……」
「ボクは、誰にも押し付けない」
その言葉に、C.C.は声を止めた。
『コード』たるは何かを教えた相手が、押し付けないと言うなら意味は一つだ。
そう、一つしか無い。
「押し付けたくない、あんな風に……誰かに、『これ』を」
「……………………そう、か」
『コード』に関する知識を与えるために、C.C.は己の過去の一部を見せた。
その中で『コード』の移譲に関する儀式もあり、青鸞はそれに対して拒絶の言葉を告げた。
そしてそれに対しても、C.C.は責めなかった。
むしろ、頷いてすら見せた。
普段の彼女を知る者が見れば、それはとても意外に映ったかもしれない。
だがC.C.にしてみれば、今の青鸞の言葉に懐かしさすら覚えたのだ。
かつて、自分も『コード』を受け継いだ時には同じことを思ったのだから。
自分はけして、契約者を裏切るような真似はすまい、と。
……それも、いつしか消えてしまったが。
「今はそれで良い、今は……」
だからだろうか、あまりにも懐かしさを感じて、C.C.は青鸞に手を伸ばした。
その手がどこに向かっていたのか、知るのはC.C.だけだった。
叩こうとしたのかもしれないし、撫でようとしていたのかもしれない。
しかし結局、その手がどこかに触れることは無かった。
何故ならば、シャワールームが……否、『ヴィヴィアン』全体が、不自然に揺れたためだ。
振動する床に、目元を隠していた青鸞も慌てて身を起こす。
そして続くのは
◆ ◆ ◆
航空戦艦『ヴィヴィアン』、太平洋の上を飛翔する空飛ぶ戦艦ではあるが、その実、単艦で保有する航空戦力は大したことは無い。
VTOL機を中心とした艦載機12機と、フロートユニットを持つ『ランスロット・コンクエスター』のみ。
後は陸戦用の『ラグネル』とサザーランド4機、その程度しか無い。
ポリネシア諸島を制圧するだけなら十分だろうと言うその戦力も、要するに他国にアヴァロン級に対抗できる防空能力が無いと言う判断から来ている物だ。
だからこそ、移動中の奇襲という事態は想定していない。
ましてやここは、ブリタニアの内海とも言える太平洋なのである。
「攻撃機は散開して敵に当たれ、敵の動きは鈍い、数も少ない。自分が前面に立って撃破する!」
『『『イエス・マイ・ロード!』』』
しかしスザクは現実に、その限られた航空戦力を全て動員して事態への対処を図っていた。
ルルーシュの自室で幼馴染と話していたらアラートが発生し、ハワイ海域の北西方面から所属不明の編隊が迫っていると報告を受けたためだ。
それも、輸送用VTOL機にナイトメアをブラ下げての奇襲である。
『スザク、俺は艦橋に戻る、お前は航空部隊を率いて迎撃に向かってくれ。飛べるのはお前のナイトメアだけだからな』
そう言う事態だから、自分に出撃要請があることはわかっていた。
わかっていたが、しかしスザクはルルーシュへの疑念を消せずにいた。
何故なら彼は、スザクとの会話の中で一度も青鸞のことを口にしなかったからだ。
セイランが青鸞と同一人物であり、不自然な記憶を持っていることに気付いているはずなのに。
なのにルルーシュは、そのことに一言も触れなかった。
そのことがスザクには引っかかっていて、納得も出来ない部分なのだった。
まして、スザクがヴァリスの照準を合わせている敵の奇襲部隊は。
「黒の騎士団が、どうしてここに……!」
今やエリア11のキュウシュウ・ブロックを不法占拠しているテロリスト集団、黒の騎士団。
昨年のセキガハラ決戦以後は動きを見せていなかったはずだが、しかし今、蒼穹の空には黒の騎士団のナイトメア『無頼』がVTOL機にアンカーを接続して近付いてきているのだ。
まさかあの状態でキュウシュウから来たわけではあるまい、どこかに母船があるはずだが、見つかっていない。
ブリタニアの内海である太平洋のど真ん中、半世紀以上前の戦争で旧日本軍が似たようなことをやった記録はあるが、その時とは次代も技術も違う。
不可能なはずの奇襲、常識を覆す奇策、転じて奇跡。
こんなことが出来るのは、1人しかいない。
「ゼロ……!」
だが、ゼロであるはずのルルーシュはヴィヴィアンに乗っている。
どう言うことなのか、まさかルルーシュはゼロでは無いのか。
それとも、彼が持つと言うギアスによる物なのか。
スザクがヴィヴィアンを背に防衛線を敷き、そうした諸々を考えていた時、さらなる異変、いや異常が発生した。
スザクの両翼に広がっていた攻撃機やVTOL機が数機、爆発四散したのだ。
そのオレンジ色の爆発に驚愕の視線を向けるスザク、何が生じたのかと混乱する。
彼らの後ろには、ヴィヴィアンだけが存在しているはずなのに。
「何……!」
ランスロットを振り向かせると、そこにはやはりヴィヴィアンが存在していた。
次いで、赤とオレンジ色の軌線を描いて対空砲火に晒される。
アヴァロン級航空戦艦の対空防御機構が働き、敵を排除しようとしているのだ。
ただし、ここで排除しようとしているのはスザク達、つまりブリタニア軍だ。
味方を砲撃している、明らかに異常だ。
「まさか……ルルーシュ!」
不意にスザクの瞳が鋭く細まる、やはりルルーシュはゼロだったのか。
表情を引き締め操縦桿を握り、スザクはヴィヴィアンの対空砲火を掻い潜って強行着艦しようと。
『――――スザク君!』
「セシルさん! ……ロイドさんも? いったいどうして……どうしてそんな所に!?」
その時、メインモニターに通信と通信の発信源が映し出された。
通信の相手はセシル、そしてロイドと……ヴィヴィアンの艦橋スタッフのようだった。
そして彼女らがいるのはヴィヴィアンの下方で、つまりいるべき場所の外にいるのだ。
ヴィヴィアンに搭載されている脱出艇を5隻メインモニターに見つけて、ますます驚く。
状況は完全に混乱している、とにかく脱出艇を守るために残存の航空部隊をまとめなければならない。
ヴィヴィアンと黒の騎士団、両側を挟まれての危機に対応する。
いったい、何が起こっているのか。
それを説明するためには、ほんの少しだけ時間を遡る必要があった――――。
◆ ◆ ◆
それは、スザクを送り出したルルーシュがヴィヴィアンの艦橋に戻ってきた時のことだ。
ルルーシュが戻った時、艦橋はすでに緊張の極みにあった。
当然だろう、あるはずの無い奇襲に晒されているのだから。
「ル……ルルーシュ殿下!」
「そのままで作業を続けろ、状況は?」
「はっ、北西方向に所属不明の編隊が突如出現! 現在回避できるようコースを再設定していますが、所属不明の編隊はこちらの勧告に応じることなく、直進を続けております!」
「勧告を続けよ。また枢木卿の航空部隊を展開させつつ、艦内は第2種戦闘配備を通達、急げよ」
「イエス・ユア・ハイネス」
慌てた様子の無いルルーシュを頼もしげに見て、通信官が手元の端末を操作する。
オペレーターから来る報告についてもよどみなく指示を出し、ルルーシュはブリタニアの皇子として、また司令官として揺ぎ無い姿勢を見せた。
その様子に艦橋スタッフが冷静さを取り戻した頃には、スザク率いる航空部隊が敵編隊の迎撃に入っていた。
敵編隊の規模は思った程では無く、ましてスザクはナイトオブラウンズ。
ラウンズの戦場に敗北は無く、それだけの信頼が士気を維持した。
しかし、そこで予想外の事態が艦橋を襲った。
ズ、ズン……と、艦全体が揺れたのだ。
「何事か」
「はっ、は……こ、後部ハッチで火災発生! か、艦載機の射出口でも、火災が……!」
「何!?」
ここで初めてルルーシュが顔色を変える、こんな時に自然発火などあり得ないからだ。
俄かに騒然となる艦橋、オペレーターが次々と艦内の異常を報告してくる。
そこから明らかになることは明らかだった、すなわち。
……侵入されたのだ、敵に、艦内に。
「……墜ちるか、このヴィヴィアンが……」
ポツリと呟いて、ルルーシュは指揮シートに座ったまま背筋を伸ばした。
緊張の視線を艦橋中から感じながら、ルルーシュは告げた。
「艦を放棄する、全乗員はすみやかに脱出艇に向かい、しかる後にこの空域を離脱、ハワイ基地に救援を求めよ」
「そんな!」
声を上げたのはセシルだ、彼女はスザクの機体の様子を映していた端末から顔を上げてルルーシュを見つめる。
スザクの幼馴染だと言う少年は、しかし笑みすら浮かべてそれを受け止めた。
「大丈夫だ、父上の勅命に背いてしまう形にはなるが……責任は全て私にある。故に私はここに残り、最後まで艦と運命を共にすることで責任を取ろうと思う」
「いけません、殿下! 外にはスザクく……枢木卿もおられ、内にはブルーバード卿も! 状況はいくらでも逆転できるはずです!」
「いや、後部ハッチに侵入した敵はまず動力部を押さえにかかるだろう。そうなればどの道、この艦は終わりだ。敵が自爆を狙っていたらどうする」
「それは……しかし、殿下だけをお1人にするわけには!」
セシルにすれば、スザクの友人であるらしい皇子を残すことなど出来なかった。
それに艦橋の端々から同様の声が起こる、ルルーシュはそれを聞いて僅かに俯いた。
感極まったかのように左眼のあたりを押さえ、しかしすぐに顔を上げる。
そこには、自信に満ちた笑顔と。
「キミ達の忠義、嬉しく思う。だが私は、そのようなキミ達を道連れにすることは望まない。だから……」
左眼を覆う、赤い輝きがあった。
「私を置いて、逃げろ」
それまで反対を訴えていた者達が、そんな一言で動くはずが無い。
中でもセシルは急先鋒だろう、だから受け入れる者などいないと誰もが思う。
しかし、状況は動いた。
セシルが、ロイドが、艦橋にいる全ての人間がその場に立ち上がり、胸の前で腕を掲げて敬礼した。
そして。
「「「イエス・ユア・ハイネス」」」
そして、誰もいなくなる。
閑古鳥が鳴くとはまさにこのこと、そして艦橋のスタッフが戻ってくることは絶対に無い。
他の乗員についても、艦橋スタッフを通じて退艦命令が出されているはずだ。
ルルーシュ皇子の命令となれば従わざるを得ない、後は所定のマニュアルに従い、脱出艇に分乗して艦を放棄するだろう。
これによりヴィヴィアンの乗員約1000名は10分もしない内に脱出するだろう、艦のコントロール自体は当面はコンピュータが制御するため問題は無い。
あくまでも、当面、ではあるが。
いずれにしても、これでルルーシュの策のための条件はほぼクリアされた。
「くく、父上の勅命に背いてしまう……か。くくく、くははは……ふははははははははははははっ!」
誰もいない環境に、ルルーシュの笑い声が響く。
茶番によって策を成した少年の笑い声に引き寄せられるかのように、指揮シートの後ろ、ルルーシュやラウンズの私室に繋がる扉が開く。
「おい、もう良いのか」
「……ルルーシュ、くん」
そこから出てきた2人の少女、C.C.と青鸞を見て、ルルーシュはさらに笑みを深める。
「くくく……さぁ、策の仕上げに入るとしよう」
C.C.が投げて寄こした衣装を手に掴んで、ルルーシュは立ち上がった。
青鸞が大切そうに差し出してきた黒の仮面を受け取り、それを顔につける。
その際、青鸞が暗い表情を浮かべていたのが気にはなったが……予定通り。
ルルーシュは、青鸞を抱き寄せた。
◆ ◆ ◆
脱出艇をひとまず航空部隊に護衛させて放しつつ、スザク自身は戦場に残った。
当然セシルは止めたのだが、最終的には無視する形で押し通した。
一応、表向きはルルーシュ皇子の救援だ。
脱出艇の中にルルーシュ、そして青鸞はいない、そのことがスザクに決断させた。
(ルルーシュはゼロ、そして青鸞は……記憶を取り戻している!)
何の根拠も無いただの勘だが、当たっている可能性は高いはずだった。
あのセシルがルルーシュを置いて逃げるなどあり得ない、そして実際、そのことを問い詰めるとセシルは答えることが出来なかった。
むしろ記憶が無いと言っていた、その意味はすなわち……。
「――――ギアス!」
ランスロットを空域から離れていくヴィヴィアンに向けて、スザクは操縦桿を握り締める。
その時だった、ランスロットの秘匿通信画面に通信が入ったのは。
メインモニター上の小さなサブモニターに映し出されたそれは、どうやらスザクが向かおうとしているヴィヴィアンから発せられているようだった。
「ルルーシュ、キミは……!」
『ルルーシュ? 違うな、間違っているぞ、枢木スザク』
画面に映っていたのは、漆黒のマントを身に着けた仮面の男。
ゼロ、エリア11にいるはずのテロリスト。
その仮面を見て、スザクは明らかに表情を歪めた。
この状況でゼロがルルーシュで無いなど、スザクには思えなかったからだ。
『私は――――ゼロ!』
「何がゼロだ! ルルーシュ、今すぐにヴィヴィアンの進路を変更するんだ! さもなければ……!」
フロートユニット上に備えられたコンクエスターユニット、そこに折りたたまれていた火砲を構えるランスロット。
砲身が右肩の上に伸び、さらにヴァリスをソケットに差し込むことで一体化する重砲。
ハドロンブラスター、かつてガウェインにも装備されていたハドロン砲を撃つための兵器だった。
その照準は、明らかにヴィヴィアンに向けられていた。
『スザク君!? 何を――――』
セシルからの通信を強制的に切り、スザクは正面画面のゼロを睨んだ。
仮にルルーシュ皇子を見殺しにして撃った、などと言われたとしても、ブリタニアではそれが許される。
例え皇族と言えど、敵の手中に落ちるような者は見捨てられて当然。
勝利こそが、ブリタニアの求めるものなのだから。
『撃てるかな? キミに、このヴィヴィアンが。そして……』
「……ッ!」
『……彼女が』
スザクの秘匿通信画面に、ラウンズの騎士服を着た1人の少女が現れた。
画面が引くことでようやく見えたその少女は、固い面持ちでただそこに立っていた。
銃をこめかみのあたりに突きつけられているが、それに対して緊張しているわけでは無いとスザクにはわかる。
その証拠に、抵抗らしい抵抗はしていないでは無いか。
枢木青鸞、スザクの実妹にしてナイトオブイレヴン、だが今は記憶を取り戻しているだろう敵だ。
だからスザクは、ハドロンブラスターの引き金から指を離すことは無かった。
しかし、その引き金を引くことは――――。
『妹を守れ!!』
――――出来なかった。
スザクの瞳の輪郭に赤い輝きが生まれ、それが彼の意思に反して引き金から指を離させたのである。
画面の向こう、そこにいる妹ごと撃つことなど出来ないと。
しかし同時に、そのギアスは妹を救うための行動を彼に促した。
操縦桿を握り、ランスロットをヴィヴィアンへ向けて急加速させたのがそれだ。
ヴィヴィアンの自動制御の対空砲火など、スザクとランスロットにとって大した意味を成さない。
その判断に間違いは無かったが、しかし一つだけ失念していることがあった。
『――――隙ありです、
通信では無く集音、それに気付いた時には何もかもが遅かった。
ギアスの拘束によって生まれた自失していた一瞬の隙をついて出現したそれは、黒の騎士団と共にこの空域に来ていたナイトメアだ。
ダークブルーの装甲に銀の関節部、そして全身に装備した追加装甲と刀。
以前と違う点は、ランスロットのように背中に備えられた翼。
(ど、どうして、この機体が……!)
振り下ろされた桜色の刀、それが的確にランスロットのフロートの翼を切り飛ばした。
それを成した機体の名は『
だが青鸞は艦内にいる、ならば誰が操縦しているのか。
先程の声、聞き覚えがあるような気がするのだが……。
「く……ルルーシュッ!
フロートを失い、墜ちていく
アラートが鳴り響くコックピット・ブロックの中で、スザクが叫び声を上げた。
目の前に映し出されるヴィヴィアンの艦体が、無常にも遠ざかっていくのをただ見つめながら。
◆ ◆ ◆
戦闘空域を離れつつあるヴィヴィアンは、高度を下げて海面近くを低空飛行していた。
艦体上部に展開された光学迷彩――特殊なシリコン被膜を施した艦体装甲に、解析・修正した周囲の映像を映し出す兵装――によって衛星などの探知を逃れつつ、中速で飛行を続けている。
そしてその真下の海面から、1隻の黒い潜水艦が浮上してきた。
しかしそれは黒の騎士団の専用潜水艦では無く、葉巻型と呼ばれる旧日本軍の物である。
改造型のくろしお型潜水艦、リニア推進の採用により海中をほぼ無音で航行できる、旧日本軍が最後に開発・建造した潜水艦だ。
これは黒の騎士団ではなく、旧日本解放戦線の協力艦である。
「…………
上空のVTOL機も付近に集まり、潜水艦やヴィヴィアンの格納庫へとナイトメアと人員を下ろしていく。
ヴィヴィアンは現状ほぼ無人で動いている、これは「侵入者があった」と言うそもそもの情報と矛盾するのだが、そちらはルルーシュ……いや、ゼロがギアスで艦内の兵を使った擬態であった。
故に艦体に致命的な損傷は無い、が、人員の補充は急務だった。
そしてそのヴィヴィアンの後部格納庫、ハッチが破壊されて風が吹き込むその場所に青鸞はいた。
バイザーとマントは脱ぎ捨てているがラウンズの騎士服のまま、立ち竦むように見上げるのはダークブルーのナイトメアだ。
半年程度見ていないだけだが、まるで十数年会っていないかのような懐かしさがあった。
「……!」
その時、彼女の周囲に無頼隊から降りてきた黒の騎士団の団員達が駆け寄ってきた。
この半年間で入れた新兵なのか、あるいは最初から知らない人間なのか、青鸞が覚えていない顔の人間達だった。
その手に銃を持ち構えている所を見ると、騎士服を着た青鸞を敵と認識しているのかもしれない。
『待て』
後方より声が降る、マイク越しのその声は黒の騎士団の団員は神の声に等しいものだ。
『彼女の顔を忘れたか、その方は亡き枢木ゲンブ首相のご息女、青鸞嬢だ』
「ぜ、ゼロ!」
「し、しかし、ブリタニアの騎士服を……」
『青鸞嬢には、今回の作戦のために艦内に潜入して貰っていたのだ。多くは機密事項のため語れないが、ここは私を信じて銃を下ろして欲しい』
「は……はっ!」
ゼロの言葉に従い、団員達が銃を下ろす。
着替えておけば良かったろうか、そんなどうでも良いことを青鸞が考えていると、月姫のコックピット・ブロックが開いた。
ゼロが団員達を艦内に散らせて人払いをしている中、彼女は降りてきた。
その顔を、青鸞は良く知っていた。
「……雅?」
やや疑問符を浮かべたのは、濃紺のパイロットスーツ――青鸞が使っていた物に似ている――を身に纏っていたからだ。
しかしその少女は、間違いなく榛名雅だった。
青鸞よりも胸元が少々苦しそうな、長い黒髪の少女。
「はい、青鸞さま。お帰り、心よりお待ち申し上げておりました。長らくの外国ご訪問、お疲れ様でございました」
「それは、どういう」
「はい。この半年間、青鸞さまはブリタニアの監視の目を逃れて、外国や各エリアの反体制派と会談を重ねていたことになっております」
それは、少々虫の良すぎる話のように思えた。
青鸞が処刑されたと言う報道を受けた者、ブリタニア国内でしか活動していなかった「セイラン」の情報を知る術の無い一般の日本人、エリア犯罪者である枢木青鸞のことをそもそも知らないブリタニア本国の一般人はともかく……雅などの騎士団上層部が知らないはずは無いだろうに。
非常に政治的な技術だ、枢木の家に生まれればそんな事例はいくらでも聞いたことがある。
青鸞が日本に戻る上でも、それが必要だとわかっている。
しかしいざ自分がその対象になると、どうしようもない後味の悪さを感じるのだった。
「はい、青鸞さまのご不在の間、日本ではそのように情報操作がされておりました。これも分家の勤め、だから青鸞さまがそれをお気になさる必要はありません。神楽耶さまも、青鸞さまのお帰りをお待ちしております」
そう、雅は分家、そして青鸞は本家の人間だ。
だから雅は青鸞を守るべく行動した、そのためにナイトメアも持ってきた。
だけど、と青鸞は思う。
今の自分が純粋な意味でキョウト本家の人間に相応しいのか、自信が無かった。
雅のような人間の献身に相応しい人間なのか、その自信が。
『青鸞嬢、少し良いだろうか』
そうやって悩んでいると、ルルーシュ=ゼロが声をかけてきた。
彼は青鸞の傍に歩み寄って来ると、少し首を傾げるようにしながら。
『貴女に、見てもらいたいものがある』
「……?」
首を傾げ返す青鸞に対し、表情の見えない仮面の向こうで、ルルーシュは微かに笑んでいた。
◆ ◆ ◆
ヴィヴィアンの艦内は広い、全体を把握している者はまずいないだろう。
オペレーターや設計に携わっている者達でさえ、コンピュータに頼ってようやくと言う所だろう。
まして艦内の部屋の全てを知る者など、それこそいない。
と言うわけで、青鸞は見覚えの無い通路を歩いているのだった。
「ルルーシュくん、どこへ行くの?」
「すぐそこだ、とは言え、人払いは徹底してあるがな」
言葉の通り誰もいない通路だからか、ルルーシュはゼロの仮面を外している。
青鸞はそんなルルーシュの横顔を見つめながら、僅かに首を傾げる。
ルルーシュの意図が読めない、いやそれは昔からではあるのだが。
それにしても、と、青鸞は溜息を吐く。
今日は本当、いろいろありすぎて疲れた。
何があったのかといちいち挙げ連ねるのも疲れる、肉体的にも、精神的にも……。
と、そうこうする内に目的の部屋についたらしい。
「ここだ」
扉横のキーに12桁の暗証番号を打ち込み、扉が静かに開く。
そこは士官用の物と同程度の広さの部屋だが、白を基調とした、どことなく女の子が好みそうな内装になっていた。
白いレースのカーテン、小物入れの引き出しのついた鏡台、壁にかかった鳩時計、丸みを帯びたベッドの上にはぬいぐるみと、いかにも少女趣味の部屋だった。
しかし、青鸞が目を丸くしたのは部屋の趣味がどうのと言うことでは無い。
むしろそこにいた人間が問題なのだ、だから青鸞は言葉を失ってしまった。
何故ならその部屋にいたのは、そこにいるはずの無い人間だったからだ。
「ナナリー……ちゃん?」
「え?」
ふわふわの長い髪に淡い色のロングドレスの少女、閉じた瞳が特徴的な少女だ。
もう5年もすれば絶世の美女になるだろう容貌のその少女は、車椅子の上で小さな顔を入り口へと動かした。
驚きに染まっていたその顔は、数秒の後に喜色を浮かべて。
「その声、もしかして……」
車椅子を動かし、ナナリーが青鸞の傍まで寄って来た。
そしてその小さな手を伸ばしてくる、目が見えないはずなのに正確に。
反射的に伸ばした手を、ナナリーが掴む。
すると彼女は、得心がいったと頷いた。
「もしかして……青鸞さんですか?」
「え、と……そうだけど、良くわかるね。声変わりとかしてるんだけど……」
「声は少し変わっても、雰囲気とかはそのままですから」
嬉しそうな顔と声、8年ぶりの再会なのだから無理も無いだろう。
青鸞もそっと手を握り返す、小さく柔らかな掌がその中にあった。
嬉しくないわけが無い、大切な幼馴染で、8年前には妹同士として交流したのだ。
だが、今はそれ以上に疑問の方が大きかった。
ナナリーはルルーシュよりも早くブリタニアに戻り、アーニャの守護の下で他者と関わりの無い生活を送っていたはずだ。
帰還したルルーシュはもちろん、記憶を取り戻した青鸞でさえ会うことは出来なかった。
そのナナリーが、どうしてここに。
「あ……」
声を漏らしたのは、どちらの少女だっただろうか。
手袋を外したルルーシュが、重なっていた2人の少女の手に自分の手を置いて、包み込むようにして握ったのだ。
目の見えている青鸞にも、目の見えないナナリーにも、それで伝わる。
「もしかして……」
ナナリーの目端に透明な雫が輝く、それを見つつ青鸞は思った。
ルルーシュが何かしたのだ、間違いない。
思えばルルーシュがナナリーをブリタニアに置いてくるはずも無い、考えてみれば当たり前のことだ。
ルルーシュは、妹を必ず守り抜くのだから。
(……ちょっとだけ、複雑だけど)
「シスコンなだけだろう」
いつの間にか扉に寄りかかるようにして立っていたC.C.が、割と酷いことを言っていたが。
しかしおかげでセンチメンタルな気分はすぐに消えてしまい、青鸞は落ち着いて考えることが出来るようになった。
いったい、どうやってナナリーをブリタニアから連れ出したのか。
ナナリーを連れ出す、言う程簡単なことでは無い。
ブリタニアを出し抜いて皇女を攫うなど、普通は出来ない。
だがルルーシュには普通では無い力がある、類稀な智謀とギアスだ。
「いったい、どうやって……」
青鸞の言葉に、ルルーシュは口元の笑みを深くした。
自信に満ち溢れたその笑みを見るのは2人の少女、そして聞くのは1人の少女。
3人の少女の前で、彼は種明かしを始める。
それは、ルルーシュ渾身の策の全貌だった。
最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
最後の最後でまさかのナナリー奪還、次回はその実行シーンが主になるかと思います。
うん、つまり「説明せねばなるまい」な回です。
はたしてどのような手段でナナリーをヴィヴィアンに連れてきたのか、ハードルが無駄に高いことになりそうです。
『ルルーシュくんの宝物、ナナリーちゃん。
ブリタニアに囚われていたはずだけど、どうやったんだろう。
いや、昔からルルーシュくんはナナリーちゃんのためなら能力5割増しで頑張る人だったけどさ……。
……それで、ルルーシュくん、どうやったの?』
――――TURN5:「ナナリー奪還作戦」