コードギアス―抵抗のセイラン―   作:竜華零

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TURN7:「青姫 の 帰還」

 神聖ブリタニア帝国領エリア11、キュウシュウ・ブロック。

 対外的には未だブリタニアの植民エリアの一部であるその地は、現在、ブリタニアの支配力が及んでいない地域となっていた。

 理由は、黒の騎士団を主力とする反ブリタニア勢力によって実効支配されているためである。

 

 

 半年前のキュウシュウ戦役からセキガハラ決戦へ至る流れの中で、キュウシュウのほぼ全域からブリタニアの勢力が失われ、代わりに反体制派が「不法占拠」する。

 かつてのナリタ連山同様、そしてそれ以上の規模での「解放地区」が今のキュウシュウだった。

 近年のブリタニアの歴史の中で、これ程までに反体制派が勢力を持った事例は存在しない。

 

 

「……帰ってきたんだ」

 

 

 キュウシュウ南部、カゴシマ湾内。

 その日、湾内に大型の船舶が2隻、ゆっくりと入ってきた。

 エリア11内外との港湾取引が急減し、ほぼ海上輸送の止まっているカゴシマ湾に久しぶりに入ってきたそれらは、しかし商船などではなかった。

 

 

 巨大な潜水艦、そして航空戦艦の姿に、湾を見下ろす村々の人々は畏れの混じった噂話をすることになった。

 それでも恐慌が起こらなかったのは、浮上して航行している潜水艦が日本の国旗を掲げていたからだろう。

 そう、今やこの湾にブリタニアの軍艦が入ってくることは無い。

 

 

「本当に」

 

 

 そして入る側、航空戦艦ヴィヴィアンの艦橋でも、スタッフが安堵の吐息を漏らしている所だった。

 その中にあって、特に1人の少女が感慨深そうな息を吐いている。

 艦橋のモニターを広く見渡せば、懐かしさすら覚える光景がいくつも目に入る。

 半年前の戦闘の痕が窺える港湾設備、旧ブリタニア軍基地、湾内の隅にどかされている中華連邦の駆逐艦の残骸、彼方に連なる緑と桜の山々……。

 

 

 その全てに、懐かしさすら覚える。

 景色、気温、湿度……そして、空気。

 ブリタニア製の艦の中にありながら、それでも肌で実感することが出来た。

 肌に馴染む、その空気を。

 

 

「……日本に」

 

 

 セキガハラ決戦から半年間、そして「記憶」を取り戻してから数週間、加えてハワイ沖の会戦から4日間。

 それだけの時間を経て、ようやく少女は故国へと帰ってきた。

 もう1時間もしない内に、実際に足裏に故国の土の感触を思い出すことだろう。

 

 

 日本の抵抗の象徴、枢木青鸞。

 彼女はこの日、ようやく日本への帰還を果たした。

 新たな抵抗の道を、歩むために。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 足の裏に踏み締めたのは、故国の土。

 半年前にナイトメアで疾走したその場所に立った青鸞は、今、非常に困難な状況にあった。

 理由は、港に降り立った彼女以外の面々の存在にある。

 

 

「えっと、あの……」

 

 

 ラウンズの騎士服を脱ぎ捨て、久方ぶりの濃紺の着物に身を固めている青鸞。

 現在エリア11の一般人の間では、枢木青鸞について2つの話が流れている。

 まず一つはブリタニア本国が――何故かエリア11の政庁ではなく――発表した処刑説。

 もう一つは、外国各地を回って反体制派のテロ・ネットワークの構築に尽力していたと言う説。

 外国語が堪能な彼女だからこそ、信憑性の高まる話ではある。

 

 

 しかしそれはあくまで対外的な、それも一般人に向けた情報操作である。

 

 

 青鸞本人に近ければ近い程、それが真実で無いことを知っている。

 だから青鸞は、潜水艦から降りてきた護衛小隊の面々の前で緊張しているわけだ。

 佐々木や青木、林道寺など、すでにヴィヴィアンに乗り込んでいたメンバーも含まれている。

 黒塗りの潜水艦をバックに並ぶ十数人の小隊メンバーの視線も、半年ぶりに見る青鸞に集中している。

 

 

「ボ、ボクは、この半年……その、本当は」

「「「…………」」」

 

 

 言えば良い、ブリタニアの捕虜になっていたと。

 ナイトオブイレヴン、セイラン・ブルーバードとの繋がりはただ否定すれば良い。

 ルルーシュは青鸞にそう言っていた、ギアスのことを明かせない以上、それが一番だと。

 また青鸞はルルーシュが最終的には絶対遵守のギアスで場を収拾させようとしていることを知っていた、出来ればそれはさせたくなかった。

 

 

 護衛小隊のメンバーは、ただじっと青鸞の次の言葉を待っている。

 姿勢はそれぞれだが、待っていると言う点では同じだった。

 その時、ふと青鸞は別の感情のこもった視線を感じた。

 

 

(あ……)

 

 

 見てみると、港のコンテナの陰からこちらを窺っている少年がいた。

 色素の薄い髪を持つ繊細そうな少年は、何となく心配そうな目で自分のことを見ている。

 コンテナの陰から出て何かしようとする彼に小さく首を振って見せた後、青鸞は意を決したように顔を上げて。

 

 

「ご……!」

「みぃ~~……♪」

「え?」

 

 

 そして言葉を発しようとした瞬間、それに割り込むように声が響いた。

 いや、それは声では無く歌だった。

 伴奏も何も無い、しかし確かなリズムを刻む……重苦しく、それでいて人を奮い立たせるフレーズ。

 驚いて視線を向ければ、山本が青木と肩を組んで歌っていた。

 

 

 ――――軍歌。

 単純に言えば軍隊で歌われる士気高揚の歌だ、そして山本達が歌っているのは旧日本軍時代の歌だ。

 黒の騎士団のメンバーには歌えない、旧日本解放戦線のメンバーだけが歌える歌である。

 最初は青鸞と共に驚いていた他の面々も、次第に歌を口ずさみ始めた。

 あの寡黙な茅野や大和でさえも、同じだった。

 

 

「きょ~~……♪」

 

 

 そして、当然……青鸞にも、その歌は歌える。

 覚えている、忘れるはずは無い、どれだけの時間が経っても。

 ナリタで過ごした数年間と、旧日本軍の歌は分かち難い物だったのだから。

 

 

 だから青鸞は歌った、調子っぱずれな山本の音程に皆が表情を引き攣らせても、笑って歌った。

 笑って、歌えた。

 そのことがもう、すでに答えだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ……歌自体は数分も経たずに終わる、誰からともなく再び口を閉ざす。

 一方で青鸞は口を閉ざさなかった、歌で震えた胸の内を吐き出すように口を開く。

 そして、腰を90度に倒して下げた。

 

 

「ごめんなさい!」

 

 

 どよどよ、と護衛小隊の面々がざわめく。

 何か「うぉ何か物凄い勢いで謝られたぞ」「隊長は黙っててください今マジメな所ですから」とか聞こえたが、それに構わずに言葉を続けた。

 残念ながらギアスを含めた話は出来ない、ために、いくらかボカすことになるが。

 

 

「……この半年、ボクはブリタニア軍に協力して、ブリタニア本国の反体制派を潰して回っていました」

 

 

 捕らえられ、洗脳されて、ブリタニア皇帝のために働いていた。

 そう告げても皆からの反応が何も無くて、怖くて握った拳が震えた。

 そんな彼女に声をかけたのは、最も青鸞に近しい少女だった。

 

 

「青鸞さま、僭越ながら……一つ、伺ってもよろしいでしょうか?」

「え、うん……」

「……青鸞さまは何故、そのようなお話を私達になさったのでしょう?」

「それは……」

 

 

 小さく首を傾げ、微笑しながらの雅の問いに、青鸞は数瞬の躊躇を経て。

 

 

「……出来るだけ、皆に、嘘を吐きたくなかったから」

『何だ、その目は』

「いや、別に」

 

 

 少し離れた位置で、何故かC.C.がルルーシュ=ゼロを見上げていた。

 しかしそれとは関係なく、青鸞はゆっくりと顔を上げて、護衛小隊の面々の目を1人1人見つめた。

 

 

「資格云々とかじゃ無くて、皆が……ボクと一緒に戦うかどうかを、決める材料、に……?」

 

 

 その時、どこかから声が聞こえてきた気がして、青鸞は一時言葉を止めた。

 キョロキョロと左右を見渡せば、何故か地響きさえ聞こえてきそうな気がして。

 そして、今度は確かに耳に声が届いた。

 

 

「くぅぉおおおぉぉんのぅぉおおおおぉ……!!」

「ひぃっ!?」

「ぶぅぁあああぁかもぉんがあああああああああぁぁぁっっ!!」

 

 

 鈍い、鈍すぎる音が青鸞の頭の上で確かにした、次いで鈍い痛みが生まれる。

 ジンジンと頭頂部から身体の下へと降りてくるようなその痛みも、実に半年振りだった。

 忘れもしない、拳骨である。

 誰の? それはもちろん。

 

 

「く、草壁中佐ぁ?」

「気ぃをつけええええぇぇぇいっ!!」

「は、はいぃっ!」

 

 

 頭を押さえて涙目で見上げれば、鼻息の荒い大きな顔が目の前にあった。

 あまりにもどアップであったため本気で怯えた青鸞は、その場で直立不動の体勢をとった。

 ちなみに何か言おうとしたらしい雅は、固まったまま声を出せないでいた。

 それほどの衝撃だった、草壁と言う男の登場は。

 

 

「――――馬鹿か、貴様は!? そんな自己満足の言葉を部下に告げてどうするかっ、それで部下はどう反応すれば良いと言うのだ!? 少しは考えて物を言わんか小娘がぁ!!」

「か、考えた結果、こうなったわけでありまして、その」

「口答えするな、小娘が!」

「す、すみません!」

 

 

 いつもより3倍鼻息荒く迫られて、青鸞は肩を跳ね上げるようにして謝罪した。

 そしてそんな様子を見た所で、草壁の巨体が止まるはずも無く。

 

 

「大体、貴様は軟弱なのだ! 敵の(とりこ)になるだけでは飽き足らず、洗脳だと!? そんな惰弱なことで反体制運動など出来るか、今すぐにやめてしまえ!!」

「そ、それはやめません! ボクはこれからも、日本の独立のために……!」

「小娘が語るで無いわぁ! 耳が腐るわ! それに大体、指揮する立場の人間が最前線に自ら出ておいてロストするなど、自分の立場を弁えておらんからそんな情け無いことになるのだっっ!!」

『……何だ、その目は』

「いや、別に?」

 

 

 やはりC.C.がルルーシュ=ゼロを見上げていたり、コンテナの陰の少年が右眼を赤く輝かせていたりしていたが、草壁の登場で全ての流れが決まってしまった。

 それに対して息を吐いたのは、誰だっただろう。

 どこか呆れたようなそれには、どこか安堵が乗っていた。

 

 

「最初にいきなり謝罪から入られた時はまさかって思ったけど、今の話を聞く限りじゃ心配はいらねぇみたいだな」

「……そうだな、林道寺の言っていた通り」

「出来れば最初は、ありがとうとかから入ってほしかったんですけど……」

 

 

 山本も大和も、上原も……護衛小隊の面々は、安堵していた。

 元より不満のある者は今日までに去っている、ここにいる人間は、青鸞が草壁に告げた言葉だけで良かったのだ。

 それだけで、青鸞を守ることが出来るのだから。

 

 

「……どうやら、心配は不要だったようですね」

 

 

 そして、そんなタイミングで彼女がやってきた。

 艶やかな黒髪と平安風の衣装、青鸞と同じキョウトの姫。

 皇神楽耶が、柔和な微笑を青鸞へと向けていた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 草壁が来た段階で想像は出来たが、緊張の状況と言うのは連続するものなのかもしれない。

 何しろ続いてやってきたのは旧日本解放戦線の面々、つまりは藤堂であり、四聖剣であったからだ。

 その傍らには三木を伴った神楽耶もいて、さらに緊張の度合いは増したが……草壁が前にいては、直立不動の体勢は崩せなかった。

 

 

「と、藤堂さん……皆」

 

 

 卜部はいない、そのことにやや表情を翳らせる。

 だが藤堂や朝比奈、千葉や仙波を前にすると、別の意味で表情を翳らせる。

 それでも彼女は胸を張った、背筋を正した、引け目は消えなくともそうした。

 先程の草壁の叱責には、そうした意味もあったはずだからだ。

 

 

 この場で申し訳なさや引け目を前面に押し出すようなことをすれば、それは弱さでも未熟でもなく甘えになってしまう。

 叱責されたばかりでそれをすれば、今度こそ失望を買うだろう。

 最悪を避けるためにも、だ。

 

 

「……!」

 

 

 そんな青鸞の前に突き出されたのは、一本の刀だった。

 青鸞が以前に使用していた物とは違う、それよりもやや大ぶりの軍用刀だ。

 千葉の手によって突き出されたそれを、手の中に落とされる。

 半年経っても変わらない千葉の怜悧な顔に視線を向けると、彼女は静かに頷きを返した。

 

 

「……卜部の刀だ」

「え……?」

「生前、お前にやりたいと言っていた。藤堂道場の慣行だ、お前はまだやっていなかったからな」

 

 

 驚いて、手の中の軍刀を見る。

 半太刀拵の軍刀、製造年を日本の紀年法の暦に換算して九八式軍刀と呼称される物だ。

 目釘2本、鯉口は防塵2分割式、暗色塗装、実戦向きの刀として採用された。

 軍人の魂とも言えるものであるが、実は旧式である。

 

 

 そして藤堂道場では、卒業生に先輩が軍刀を与える慣行がある。

 皇歴2003年に新式の軍刀との入れ替えがあったために生まれた慣行で、藤堂の道場だからこその慣行であるとも言える、卒業生はそもそも大多数が陸軍に行くのだから。

 青鸞は軍人では無かったため、道場を卒業しても刀を受け継ぐことは無かった。

 自前で持っていたために必要なかった、と言うのもあったのだが……とにかく。

 

 

(巧雪さんの、刀)

 

 

 その柄を両手でぎゅっと握り締めれば、少女の腕には少し辛い重みが伝わってくる。

 セキガハラで自分を庇った道場の先輩の顔が、脳裏にチラついた。

 そしてその様子を見て、初めて千葉は表情を緩めた。

 朝比奈もうんうんと笑顔を見せ、仙波も深く息を吐きながら頷いて見せた。

 言葉を重ねようとはしなかった、彼らもまた草壁と青鸞の会話を聞いていたからである。

 

 

「青鸞、良く戻った」

「藤堂さん」

「戻って早々悪いが、話したいことがある。今の我々の状況についてだ」

 

 

 実務的な会話ながらも小さく笑みを浮かべる藤堂の視線を追えば、そこには神楽耶がいる。

 彼女はそれまで何も言わずにいたのだが、藤堂の視線を受けて頷くと。

 

 

「実は、私達には青鸞、貴女の帰還を喜んでいる暇も無いのです」

 

 

 神楽耶の言葉に首を傾げると、彼女は青鸞に対して語り始めた。

 キュウシュウ、いや、日本が今置かれている状況を。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ブリタニア軍が使用していたカゴシマ基地、そこは今や黒の騎士団の本拠地となっていた。

 特に近代的なのがブリーフィングルーム、壁に画面をかけるのでは無く、床に設置された立体映像装置によって三次元的な映像を参加者全員に見せることが出来る。

 今では、黒の騎士団が有難く使わせて貰っているのだが。

 

 

「けっ、今さら帰ってきて何だってんだよ。言っとくけど、お前にやるポストはもうねーからな!」

 

 

 まぁ、ブリーフィングルームに入ると同時に聞こえてきた悪態は、機能の内には入っていないだろうが。

 ちなみに悪態を吐いたのは玉城である、壁に寄りかかって唇を尖らせ、入室してきた青鸞に不機嫌そうな視線を向けている。

 直後には杉山に腹を打たれ井上に脛を蹴られ、沈んでいたが。

 

 

「ああっ、どーもすいません、気にしないでやってください」

「自分が幹部落ちするんじゃないかって思ってるだけなんで、本当に気にしないでやってください」

「は、はぁ……」

 

 

 黒の騎士団サイドからの風当たりは特に強いだろうと思っていたので、予想外と言うことは無い。

 むしろ井上や杉山達の対応の方が大人だ、青鸞の後ろに立つゼロの存在感もあるのだろうが。

 しかし実際、騎士団の幹部の中で青鸞の立場は微妙だ。

 青鸞と接点の無い下層の兵達には言い繕えても、幹部となるとそうもいかない。

 

 

『青鸞嬢も戻った、これでようやく動き出せる』

 

 

 それを無理やり抑えているのがルルーシュ=ゼロ、ほとんど唯一、青鸞の半年間の真実を知っている男。

 つまるところ黒の騎士団組の方はそれで何とかなる、旧日本解放戦線組についても先程のやり取りで一応は何とかなった。

 ひとえに、半年前までの青鸞の行動の賜物と言える。

 

 

「それでは、私の方から説明させて頂きます」

 

 

 それはともかくとして、今はキュウシュウの状況の確認である。

 列の中から前に出たのは三木である、今や黒の騎士団・旧日本解放戦線の後方統括を務める軍人だ。

 彼は青鸞に目礼した後、手にしたリモコンのボタンを押した。

 同時に、床から三次元で再現された日本列島が浮かび上がる。

 中心がキュウシュウと言う特異な映像ではあるが、物資の流れや人口、部隊配置などの情報が矢印でわかりやすく示されている。

 

 

 それによると現在、黒の騎士団はキュウシュウ全土を実効支配している。

 域内のブリタニア人の本州への移送とサセボの中華連邦軍の撤退はすでに終了し、関門海峡の封鎖を続けると共にオキナワへの諜略を進めている状況だ。

 ただ経済・社会、そして軍事的には窮地に陥っていた。

 

 

「経済的には、深刻な食糧難が喫緊の課題です。1000万人の域内人口を養うには、キュウシュウの農業生産力はあまりにも不足しています。エネルギーに関しても、ミヤザキ・カゴシマのサクラダイト鉱山の稼働率が予定より上がらず……」

 

 

 またキュウシュウの外から物資を調達しようにも、対外的な窓口すらない状況では輸入も出来ない。

 そもそも船舶が不足しているし、ブリタニア海軍の哨戒網を抜けるのも至難の技だ。

 そう言う意味では、キュウシュウはまさに孤立しているのである。

 

 

「また社会的にも、人々の将来への不安が増しています。ブリタニアの迫害はなくなったものの、食糧も少なく仕事も無く、生活水準そのものに目立った変化が無いためです」

 

 

 加えてセキガハラでの不可解な撤退により、黒の騎士団の求心力が落ちていることも要因だ。

 今は他に頼るものが無いから問題は起こらないが、このままの状況が続くようなら、その限りでは無いだろう。

 つまり黒の騎士団とキュウシュウは、経済的に行き詰っているのである。

 キョウトの資金があってもモノが無いのでは、どうしようも無い。

 

 

「そして軍事面、現在我々は関門海峡を挟んでブリタニアのエリア統治軍と睨み合いを続けているのですが……この半年、ブリタニア軍側に目立った動きはありませんでした。むしろトーキョーからは、ユーフェミア代理総督の名で対話要請が出され続けています」

 

 

 そして黒の騎士団は、その対話要請をこれまで悉く拒否している。

 これがまた対外的なイメージダウンに繋がっている、何しろ相手……エリア11代理総督ユーフェミアは一切の武力行使を自制し、多くのテロ組織を対話で解体している平和の領主なのである。

 理由も示さず拒否すれば、体裁が悪くなるのは当然だった。

 

 

(な、何か、思ってたより大ピンチっぽいんだけど……)

 

 

 頬に一筋の汗を垂らす青鸞、実はキュウシュウの内情を詳しく知るのは初めてだった。

 元々知っていただろう他の面々も、改めて言われると思う所があるのか、難しい顔をしていた。

 しかし青鸞は、視線をさらに動かして1人の男を見つめた。

 

 

 仮面で表情を隠した少年、ルルーシュ=ゼロ。

 ルルーシュならば、何か考えがあるのでは無いか。

 そう思う青鸞の心の声が聞こえたわけでは無いだろうが、ルルーシュは顎先を上げて一歩前へと進んだ。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「ユーフェミアの対話要請に応じる、だってぇ?」

 

 

 そう声を上げたのは朝比奈である、不信感を隠そうともしないその声音は、しかしその場の人間の気持ちを代弁しているとも言えた。

 ゼロ……ルルーシュ=ゼロが告げたのは、そう言うことだったからだ。

 

 

 そもそもユーフェミアの対話要請を黒の騎士団が拒否していたのは、トップであるルルーシュ=ゼロの意思に従った結果である。

 対話に応じるべきでは無いかという意見を全て無視したのはルルーシュ=ゼロだ、そうした背景を無視して方針転換したと言われても、まさに「どう言う風の吹き回しだ」としか言えないのである。

 

 

『青鸞嬢の帰還によって全ての状況が変わった。ユーフェミア皇女と面識のある彼女であれば、会談の場に立っても無碍に扱われることも無い。また枢木の名前は、日本の全権代表として相応しいだろう……私のような得体の知れない男よりはな』

「客観的に自分を見れているじゃないか」

 

 

 軽口を叩いたC.C.に対してジロリと――仮面では意味が無いが――視線を向けた後、ルルーシュ=ゼロは青鸞の傍に寄り、彼女の背中と腰の間に手を沿えるようにした。

 青鸞を前に出すような仕草、何だと視線で問いかけても答えは返ってこなかった。

 でも本当は言葉は無くとも、わかる。

 

 

 ルルーシュがどうして、青鸞が戻ったタイミングでユーフェミアとの交渉に応じるのか。

 おそらくC.C.を除いてしまえば、青鸞だけが真意を読むことが出来た。

 青鸞だけが表舞台に立てる、そしてユーフェミアに影響されない人材だからだ。

 これまで応じなかったのは、そう言うわけだろう。

 

 

(……でも、ギアスについて話せば、もっと簡単に……)

 

 

 それくらいの可能性はルルーシュも考え付いているだろう、だが彼はそれをしない。

 信用されないからか、それとも信用できないからか。

 いずれにしてもそれは哀しいことで、寂しいことだった。

 しかしそんな彼女の視線には気づかずに、ルルーシュ=ゼロは三木の映し出しているキュウシュウ……そしてトーキョーの映像を睨みながら。

 

 

『そして私が得た情報によれば、ユーフェミア皇女は本国の意図しない行動を取っている。これは半独立とも取れる動きだ、先頃の彼女の政策がそれを証明してもいる』

 

 

 ユーフェミアの肩書きはあくまで代理総督、つまり総督である姉コーネリアの代理ということだ。

 まぁ、そのコーネリアもセキガハラ決戦以降、行方不明とされているが……。

 

 

『故にこそ、対話に応じるならば今。ブリタニア本国の意思を離れつつある彼女と何らかの妥協が成立する可能性もある……あくまで彼女が、ブリタニアに叛する意思を持っていることが前提だが』

「……ゼロ、あの皇女様にそこまでの覚悟はあるとは……」

『それを探るためにも、何らかの接触は必要だろう』

 

 

 カレンの疑念は最もだ、ユーフェミアのイメージに「叛逆」の二文字は最も遠い。

 しかしルルーシュ=ゼロには確信があった、今のユーフェミアが本国の意思とは無関係に行動していることに。

 だがそれを言葉で説明することは出来なかった、だから別方向からの理由が必要になる。

 

 

『ラクシャータを通じて行っている策もある。これを使うにはもうしばらくの時間が必要だ、時間を稼ぐ意味でも、相手の目を逸らす必要がある』

「で、その策とやらについても説明は無し、と……」

「それはともかく、ゼロ。ならユーフェミアとの対話は……その、形だけのものになるのか?」

 

 

 目を細める朝比奈をよそに、不安そうな声を上げたのは扇だ。

 黒の騎士団のサブリーダーである彼は以前は組織のクッション役のような役目を担っていたが、最近では立ち位置を穏健派の方へと変えてきていた。

 それによって組織内のパワーバランスがおかしなことになっているのだが、それはまた別の話だ。

 

 

『いや、扇。対話自体は誠実に、そして本気で行う。妥協が成立するならそれに越したことは無いからな』

「なら、もし何らかの合意が成立すれば……ユーフェミアと共存を?」

『可能性は排除すべきでは無いな』

「そ、そうか……」

「妥協だと? 馬鹿め、そのような物がブリタニアとの間で成せるものか!」

 

 

 そして穏健な意見を持つ者が納得すると言うことは、逆に言えば過激な意見を持つ者は納得しないと言うことだ。

 

 

「そもそも妥協の余地が無い! 奴らは侵略者、日本の国土から叩き出す以外の選択肢があるものか!」

『無論、その可能性も排除しない。私とてブリタニアの打倒を掲げている以上、その策についても考えている。ラクシャータ経由で進めている策がそれで、まだ説明できる段階では無いが……』

 

 

 ギアスのことが説明できない、それだけで全ての話に無理が出ている。

 ほとんど全ての真実を知る青鸞は、そう感じた。

 青鸞自身ですらそうなのだ、ルルーシュ=ゼロならばもっとだろう。

 

 

 そして青鸞は、ふと藤堂と神楽耶の視線を感じた。

 その何かを訴えるかのような視線で、彼らが見せたかったのはこれかと思った。

 キュウシュウだけでなく、組織の内情。

 非常に、芳しくない。

 自分がいない間に、随分と――――……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「……………………」

 

 

 様々な人間が発現している中で、不気味な程に沈黙を保つ男が1人いた。

 ディートハルト、黒の騎士団の情報・諜報担当の幹部である。

 最重要の役職の一つを占めるにしては人望が無く、誰かとつるむと言うことをしない男だ。

 

 

 基本的にゼロと言う存在をプロデュースすることに生きがいを感じているマスコミ、と言うのが認識としては正しい。

 しかしその実、何を考えているのかわからない所もある。

 そんなブリタニア人の幹部は今、プロデュースすべきゼロでは無く、ゼロが連れ帰った少女の方へとその青い瞳を向けている。

 

 

「……………………」

 

 

 彼は何も言わない、ただ、少女をじっと見つめている。

 不意に少女が視線に気付いて彼を見れば、今度は彼の方から視線を外した。

 首を傾げて少女が目を離せば、やはり彼は少女へと視線を向ける。

 

 

 瞳の奥に、何か暗い色が蠢いているような。

 どこかどろりとした視線だ、あまり心地いい物では無い。

 しかし事実として、ディートハルトは少女、青鸞を見つめていた。

 何かを考えているその顔は、傍目に見て、清々しさとは真逆の物だった。

 

 

「……はん」

 

 

 そしてそれを密かに見ていた緑の髪の魔女が、微かに鼻で笑ったのは……また、別の話である。

 この一連の動作が後にどのような意味を持ってくるのか。

 この時点では、まだ誰にもわからなかった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――どうすれば良いのだろうか。

 会議終了後、夜になってもなお青鸞は悩んでいた。

 正確に言えば4日前、いやそのずっと前から、記憶を完全に取り戻してからずっと悩んでいた。

 

 

 しかも悩みは一つでは無い、複数の重い課題が青鸞の両肩に圧し掛かっているのである。

 一つ、ブリタニアで過ごした時間とその結果について。

 ラウンズやブリタニアの要人と「ブリタニア人として」過ごした事実は消えない、近い内に現実の問題として彼女に降りかかってくるだろう。

 

 

「……はぁ」

 

 

 二つ、日本に帰還した結果と問題について。

 藤堂や雅達が一応でも自分を迎え入れてくれたのは、あくまでも青鸞の意思が「日本独立」にあると信じているためだ。

 信頼、それは普段はとても固く、しかしともすればすぐに解ける縄に似ている。

 そしてそれは、この半年間の空白を無かったことにすると言う意味では無い。

 

 加えて言えば、黒の騎士団サイドはさらに不味い。

 表立って反感を口にした玉城、あまり好きでは無いが、それでも幹部メンバーの意思を全く代弁していないわけではあるまい。

 多かれ少なかれ、自分への不審を胸の中に持っているはずだ。

 

 

「…………はあぁ」

 

 

 そして3つ目、これがある意味で一番面倒くさい、しかし喫緊の課題だった。

 『コード』、である。

 C.C.が保有している物とは別の、しかし同種の「何か」。

 カミそのもの、根源の渦と交信する手段、永い時をたゆたい続けるモノ。

 

 

 『ギアス』の源。

 

 

 ヴィヴィアンでC.C.にコード同士を接触させられてからと言うもの、左胸にあるそれが気になって仕方が無かった。

 頭に無理やり叩き込まれた情報や知識は断片的に過ぎてよくわからない、これから徐々に慣れていくしか無いにしても……不老不死。

 正直、泣きたかった。

 

 

「はあああぁぁ……」

「ね、姉さん、大丈夫?」

「……うん、大丈夫大丈夫。ロロは優しいね……」

 

 

 ヴィヴィアン艦内、「セイラン・ブルーバード」に割り当てられていた部屋をそのまま使っている。

 ちょっとしたリビング並みに広い部屋は、白の壁紙と赤のカーペットが敷かれ、どこか貴族趣味的な雰囲気を漂わせていた。

 正直あまり趣味では無いが、それすら気にならない程に参っている青鸞だった。

 

 

 そしてそんな青鸞を、ロロが心配そうな眼で見つめている。

 彼は今、青鸞の個人的な「客」として遇されていた。

 ルルーシュなどは良い顔をしなかったが、青鸞が説得した。

 この子は私の家族だから、連れて行く――――そう言って。

 

 

(……僕は)

 

 

 もちろん、互いに迷いは――特にロロの側――ある。

 今でもロロは青鸞をしかるべき所に連れて行くべきでは無いかと思っているし、事実、もし可能であればそうしたかもしれない。

 そして今も、どこか値踏みするような視線でソファに埋まる姉を見て……。

 

 

「はぁ~……ロロは温かいね」

 

 

 やや訂正、姉に腕の中から見上げていた。

 ソファに座る青鸞の膝の間に座るような形で、青鸞はロロの後ろ髪に顔を埋めている。

 ロロは少しくすぐったそうにしつつも、しかし振り払うようなことはしなかった。

 部屋に戻ってきたと思ったらこれである、どうやら相当に疲れていたらしい。

 

 

 まぁ、それも仕方ないだろうと思う。

 それだけ青鸞が抱える問題は多く、しかもどれにも正解の無い問題だ。

 だから癒しを求めて弟をモフっても仕方が無い……いや。

 青鸞の中の兄弟像は、どこかズレているような気がするロロだった。

 

 

(まぁ、僕も家族とかは、良くわからないけれど)

 

 

 半年間で家族の何たるかがわかるはずも無い、そしてそれ以前には家族ごっこをする相手すらいなかった。

 ロロと言う少年の半生は常に殺伐としていて、今、青鸞から与えられている温もりこそが異常なのだ。

 考えていると、ロロはふと何かに気付いたように顔を上げた。

 それに対して、青鸞は不思議そうに首を傾げて。

 

 

「青鸞、入りますよ」

 

 

 そして、来訪者が訪れる。

 来訪者の名は、皇神楽耶。

 彼女はロロを抱き締める青鸞の姿を認めても表情を変えることなく、そこに立っていた。

 にっこりと、ただ微笑んで。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「勘違いをしないでくださいね」

 

 

 ロロが警戒と羞恥の間のような表情で退出し、さてじゃあとりあえずお茶でも、とソファから腰を上げかけたタイミングで、神楽耶はそう告げた。

 広いソファに互いの衣服が擦れ合うような近さで座りながら、しかし機先を制するように。

 その口調には、一切の妥協が存在しなかった。

 

 

「私や雅、桐原の爺様やキョウトの方達、そして藤堂中佐や草壁中佐、三木大佐や四聖剣、旧日本解放戦線の方達、そして扇さんや黒の騎士団の方達も、皆、貴女を無条件に迎え入れているわけでは無いと言うことを」

「…………」

 

 

 上げかけた腰を再び下ろして、青鸞は神楽耶の言葉に耳を傾けた。

 そして、ただ、頷いた。

 神楽耶は正面を向いたままだが、その頷きは見えていたはずだ。

 

 

 皆、何も言わずに自分を迎え入れてくれた。

 そんな簡単なことであれば、どれだけ気が楽であっただろう。

 だが違う、皆は表面上確かに青鸞を迎えてくれたが、それは彼らが大人だったと言うだけの話だ。

 

 

「言わなかっただけです、言わなくてもわかっていると思ったから。聞かなかっただけです、いつか自分の口で話すだろうと思ったから。それだけです」

 

 

 言っても仕方が無く、聞いても意味が無い。

 そしてその対象に一定上の信頼を置いていた時、人は、何も言わず何も聞かなくなる。

 無関心とは違う、無視とも違う、ただ。

 ――――ただ、何も言わないだけだ。

 

 

「でも私は今宵、あえて言いに来ました。そして聞きに来ました、青鸞」

 

 

 衣装が触れ合う程の距離で、神楽耶は真顔で言った。

 

 

「貴女はこの半年間、どこで、何をしていたんですか?」

 

 

 ……それは、今、青鸞が聞かれると最も困る質問だった。

 何しろ青鸞だけの話では無いし、仮に青鸞だけのことを話したとしても、信じて貰えるかどうかがわからなかった。

 有体に言えば、怖かった。

 

 

 本当のことを話しても、信じて貰えなかったなら?

 人はそう疑問した時、恐怖するしか無い。

 それこそ……それこそ、ロロが言っていたように。

 他者に受け入れてもらないことを、人は極端に恐れるから。

 特に神楽耶は、青鸞にとってとても――――……。

 

 

(あ……?)

 

 

 その時、青鸞はあるものを目にした。

 それは、小さな手だ。

 神楽耶の膝の上に綺麗に揃えられた、小さく細い、白く美しい手だ。

 何の苦労もしたことが無いような綺麗な手は、そうあるべしと強いられた結果だ。

 

 

 その手が、小さく震えていた。

 

 

 そもそも、である。

 神楽耶の立場ならば、遥か遠くブリタニアの地で「セイラン・ブルーバード」なる日系ブリタニア人がナイトオブラウンズに加入したことを知っていただろう。

 バイザーで目元を隠していた所で、青鸞に近しい者が見れば一目瞭然のはずだ。

 つまる所、青鸞の口から説明する必要が無い程に「何もかも」を知っていてもおかしくは無いのである。

 

 

「……か」

 

 

 ぐ、と、唾を飲み込むように言葉を飲み込んだ。

 今、神楽耶の名前を呼ぶことに躊躇を覚えたためだ。

 そしてそこから、少なくとも数十秒間の沈黙が続いた。

 

 

 永遠とも思える、静かな時間。

 忍耐と葛藤、信頼と不安、愛情と慕情。

 そうした物が目に見えるのであれば、今まさにこの空間を駆け巡っただろう。

 そして、青鸞は。

 

 

「…………ギアスって、知ってる?」

 

 

 青鸞は、長い話を始めた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 自分に関する話は、全て話した。

 ギアスのこと、コードのこと、身体のこと、記憶のこと。

 ブリタニアのこと、そこでの生活のこと、家族(ロロ)のこと。

 ルルーシュ=ゼロのことやナナリーのことには触れず、自分のことだけを話した。

 

 

 もしかしたら聡明な神楽耶には、ゼロが何らかの関係を持っていることくらいには気付いたかもしれない。

 それでも神楽耶は何も言わず、口も挟まずにただ青鸞の告白を聞いていた。

 荒唐無稽で突拍子も無いその話を、ただただ静かに聞いて、そして。

 

 

「……ごめん、神楽耶。ボク、別に熱は無いんだ」

「あ、そうなんですか」

「うん」

 

 

 意を決して話して――それも極度の緊張で何度かトチりながら――みれば、この対応。

 何だか、泣きたくなった。

 しかし無理も無いと思う、神楽耶の側に立ってみればわかりやすいだろう。

 例えば自分の幼馴染がある日、突然。

 

 

『ギアスって言う超常の力で洗脳されて、しかもコードって言うやっぱり超常の力で不老不死になったんだ。しかもこれ、隔世遺伝らしいよ』

 

 

 と、言ってきたのである。

 頭がおかしいとしか言えない、だから青鸞としても何も言えなかった。

 

 

(そりゃあそうだよ、うわ、ボク恥ずかしい……事実なだけに余計に、哀しいくらいに)

 

 

 そうして落ち込んでいると、不意に温もりを感じた。

 その温もりは青鸞の頭を引っ張ると、ぽすん、と自分の胸に抱え込んできた。

 何かと思えば、視界には平安衣装の胸元がある。

 神楽耶が、青鸞の頭を抱き締めていたのである。

 

 

「正直な所、俄かには信じ難い話です」

 

 

 ――――信じたくない、話です。

 

 

「……うん」

 

 

 ――――ボクも、だよ。

 

 

「それでも……話してくれて、ありがとう」

「うん」

 

 

 神楽耶の胸の中で目を閉じながら頷くと、そっと身を離された。

 神楽耶の黒くて大きな瞳が、青鸞を見つめている。

 少女の震えはもう止まっていて、いつの間にか重ねられていた掌は熱を持って熱かった。

 

 

 すっ……と、神楽耶が目を閉じた。

 

 

 軽く顎先を突き出すようにして、やや眉根を寄せて、きゅっと青鸞の手を握り締めて、身を寄せて。

 微かに朱に染まった頬が、少女の羞恥を示しているようだった。

 これに混乱したのは、青鸞である。

 いくらそう言うことに疎い青鸞でも、これはそう言うことだとわかる。

 

 

(え……っと? え、これってつまりそう言う、え?)

 

 

 だって前に一度、経験しているのだから。

 脳裏にあの時の神楽耶の、視界一杯に広がった神楽耶の顔がフラッシュバックして、そして目の前の顔とそれが重なって。

 だから青鸞は、混乱した。

 

 

(え、今の今までボクが真面目な話をしていた所じゃ。と言うか神楽耶って何しに来たんだっけ? いやでも神楽耶待ってるし、でも待ってるから何って、いやいやそうじゃなくて。えーと……ボク、何してたっけ? こうして見るとやっぱり神楽耶って実は綺麗系だよね、それが目を閉じて待っててますます綺麗……これ、ボクが行くべきなのかな。いや行くって何を? ボクにそんな趣味は……でも神楽耶が、あれ?)

 

 

 ふと気が付くと――グルグルしていた目が正常に戻ったと言う意味で――いつの間にか神楽耶は目を開けていて、口元に手を当てて肩を震わせていた。

 彼女は目尻に涙を浮かべながら青鸞を見ると、先程までとは打って変わった明るい表情を浮かべていた。

 

 

「うふふ……良かった、私の知ってる青鸞のままで」

「何か、いつか聞いたような台詞だね」

「ええ、それを確認しに来たようなものですから」

 

 

 そう言って微笑する神楽耶の顔は、どこまでも楽しそうで、綺麗で。

 

 

「うふふ、うふふふふ」

「笑わないでよ……」

「ごめんなさい、でも、うふふふふふ……っ」

 

 

 その楽しそうな笑い声は、青鸞の耳と心を優しく撫でてくれた。

 帰ってきたんだと、そう思えるから。

 そう思えることこそが、今の青鸞にとっては重要なのだと。

 まるで、そう教えてもらっているような気がした。

 

 

 だからいつしか、青鸞の顔にも笑顔が戻ってきた。

 そして2人の少女は、そのまま長い時間を一緒に過ごした。

 朝まで、ずっと、いろいろな話をしながら。

 時間を取り戻そうとするかのように、記憶を確認しようとするかのように……。

 ……長い、時間を。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――エリア11、トーキョー租界。

 ブリタニア人居住区である租界を取り囲むようにして点在するゲットー、その内の一つに、珍しい人間が1人いた。

 おそらくはほとんど唯一であろう、その女性は……。

 

 

 ブリタニア人でありながら、ゲットーに住んでいる女性と言うのは。

 

 

 言うまでもなくゲットーは日本人の居住区だ、そして彼らの多くはブリタニアを恐怖すると同時に憎んでいるとも言える。

 その中に丸腰のブリタニア人女性がいればどうなるか、などと考えるまでも無い。

 ふらりと姿を見せれば、数分後には路地裏に引き込まれている、ここはそんな場所だ。

 

 

「はぁ……」

 

 

 その女性の名前は、「千草」。

 日本人風の名前だが、しかし彼女は日本人では無い。

 長い銀色の髪に褐色の肌、秀麗な顔立ちには憂いの色が濃いが、それがまた儚げな雰囲気を生み出しているのだった。

 

 

 壁紙の無い、無骨な雰囲気の部屋。

 どこかのアパートなのだろうそこは、正直に言ってあまり住み心地が良さそうには見えない。

 それでも良く掃除されていて小綺麗で、人が暮らす分には何の問題も無い。

 問題があるとすれば、その部屋が彼女の持ち部屋では無いことだろうか。

 

 

「要さん、ちゃんとご飯食べてるかしら」

 

 

 ほぅ、と息を吐く姿も絵になっていて美しい。

 どうやら彼女は誰かと共に住んでいるらしく、またその相手がどこかに行っているらしかった。

 名前からして相手は日本人、それも男だろうか。

 このご時勢、日本人とブリタニア人の同棲カップルとは奇跡と言えた。

 

 

「もう半年も帰って無いし、電話はあるけど……」

 

 

 彼女は基本的に部屋を出ない、当たり前と言えば当たり前だ。

 それでも生活自体にはそこまで困らない、彼が万一の時のためにの残していったお金や物々交換用の品を使っているし、それに最近のブリタニアの政庁の政策で……。

 ……はぁ、と溜息を吐く千草。

 

 

 ただ彼女がどうしてここにいるのか、実は彼女自身にもわからないのだ。

 い続けるのは同棲のためだが、最初は……覚えていない。

 記憶が無いのだ、自分がどこの誰なのか、今まで何をしていたのか。

 まるで思い出せない、霞がかかったように何も。

 

 

「……っ?」

 

 

 日課とも言える作業、霞がかった記憶の向こうに意識を向けた時に玄関からけたたましい音が響いた。

 驚いて顔を上げる、もしやイレヴンが……と思ったのだが、違った。

 何故ならそこにいたのは、貴族風の白い衣装を身に纏った男だったからだ。

 白人、ブリタニア人だとわかる。

 

 

 しかし、ただのブリタニア人とは思えない。

 と言うか、人間なのだろうか。

 顔の半分を機械的な仮面のようなもので覆っているし、他の部位についても妙に硬質的だった。

 大げさかつ丁寧にドアを開けたらしいのだが、その男はどこか不遜さすら漂わせてそこに立っていた。

 

 

「え……っと、どちら様でしょう、か? あの、要さんのお仕事関係の方、とか?」

「……ふむ、どうやら本当に記憶喪失のようだ。陛下のギアスであれば私の力で何とかできたのだが、な」

「……?」

 

 

 男の言っていることがわからなくて、千草は首を傾げた。

 そんな彼女に対して、男は静かに手を伸ばす。

 まるで、ダンスにでも誘うように。

 

 

「キミを迎えに来た、我が副官ヴィレッタよ。さぁ、私と共に再びブリタニアのために」

 

 

 この日、ゲットーから1人のブリタニア人女性が姿を消した。

 それはゲットーでは良くある話で、誰にも気にも留められない。

 そんな、事件だった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 そしてこちらはゲットーのような「辺境」では無く、「中枢」。

 ブリタニアのエリア11支配の象徴、トーキョー租界のブリタニア政庁。

 トーキョー租界の中心にそびえ立つその建造物は、半年前のダメージをすっかり回復したトーキョー租界の街並みを睥睨するように存在していた。

 

 

 夜の闇の中、警戒のサーチライトが政庁の白い壁面を照らす。

 光を反射するその姿は、舞踏会の場でドレスを広げる姫のようにも見えた。

 そしてそこは今、まさに1人の姫によって治められていた。

 

 

「代理総督、キュウシュウの黒の騎士団より先程、政庁に連絡が入りました。代理総督の対話要請を受け入れる、とのことです」

「そうですか」

 

 

 総督のみが座ることを許された、ブリタニア国旗を背後にする謁見の間の豪奢な椅子。

 その上に身を乗せるドレス姿の少女の前で膝をついているのは、金髪碧眼の青年だった。

 顔面に大きな火傷の痕があるその青年は、キューエルと言う名の騎士だった。

 

 

 いわゆる純血派と呼ばれる派閥を率いるタカ派の人間のはずだが、反体制派である黒の騎士団の名前を口にする時、特に嫌悪の色を浮かべることは無かった。

 いやむしろ、どこか穏やかな顔で目前の主君……長い桃色の髪の姫を見上げている。

 穏やかな顔で穏やかな言葉を紡ぐその姿からは、隣人愛に満ちた柔らかさすら感じることが出来た。 

 

 

「それはとても、良いことですね」

 

 

 そしてそれを受ける少女の顔にもまた、穏やかな、それでいて嬉しそうな笑顔が浮かんでいた。

 その姿は、抑え目の照明の下でも輝いているように見える。

 身に纏っているドレスは以前とはデザインが違う、白いシルクの生地に金糸の模様が描かれたドレス。

 ふわりと広がる白いロングスカートに、ドレス全体を彩る金糸の模様の締めにはダイヤが散りばめられ、スカートの下からは白のエナメルの靴が覗いていた。

 

 

 ウェディングドレスと言っても通用しそうなそのドレスに彩を加えているのは、チョーカーから下げられた大きなトパーズだ。

 友愛と繁栄を約束するその宝石は、まさに今の彼女を体現していると言える。

 だがそれ以上に目を引くのは、ドレスでも笑顔でも無く――――。

 

 

「これでまた一歩、世界は平和へと歩みを進めたのですから」

 

 

 ――――ユーフェミア・リ・ブリタニアの両眼を彩る、赤い輝きだった。




 最後までお読みいただきありがとうございます、竜華零です。
 難産でした、とにかく難産でした。
 それでも何とか出せてよかったです、次回以降も難産になりそうですが。
 次回は、さて以前から話にあの皇女様について……。


『トーキョーは、以前とはまるで違う場所になっていた。

 それはきっと、とても良い変化なんだろうと思う。

 だけどそれが、酷く気持ちの悪いものに見えてしまうのはどうしてだろう?

 どうしてこんなにも……怖く、見えるのだろう。

 平和で、穏やかな――――優しい世界、なのに』


 ――――TURN8:「トーキョー の 女王」

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