コードギアス―抵抗のセイラン―   作:竜華零

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TURN8:「トーキョー の 女王」

 今の日本人にとって、飛行機と言うものは手の届かない乗り物だ。

 それはブリタニア人にのみ許された特権であって、名誉ブリタニア人でさえ飛行機の使用は制限されているのである。

 だから青鸞は、複雑な心境で窓の外を見つめていた。

 

 

 白銀に輝く太陽光パネルと階層構造の壁に包まれた、1000万人以上の人間が暮らす世界的な大都市。

 そして周辺をエリア11最大のゲットー群に囲まれた、世界的な貧困都市。

 ブリタニア支配の象徴、政庁を戴くトーキョー租界。

 

 

「……これが、今のトーキョー」

 

 

 フクオカ空港から乗ってきた飛行機、その窓際の座席で青鸞が呟いた。

 眼下で煌くトーキョー租界は、半年前の戦いでのダメージを完全に回復している様子だった。

 近郊にあるブリタニア軍の基地に着陸するため、人々の様子を窺うことは出来ない。

 それでも青鸞は、胸の内に広がる感情を堪えることが出来なかった。

 

 

「姉さん、大丈夫?」

「……うん、大丈夫だよ。ロロ」

 

 

 隣から聞こえてきた声に、青鸞は微笑みを浮かべて見せた。

 やや陰のある微笑、しかしロロはそれ以上の言葉を重ねなかった。

 その代わりに、自分の手に重ねられた姉の手をしっかりと握り返す。

 

 

 そして再び、青鸞は窓の外へと視線を向けた。

 窓の向こうに広がる、トーキョー租界の姿を視界に収める。

 ブリタニア軍の管制に従って飛行機が旋回を始めた後も、ずっと見つめていた。

 彼女ら日本人が取り戻すべき、その場所を。

 

 

「――――青ちゃん、そろそろ……」

「うん、わかってるよ。省悟さん」

 

 

 後ろの座席から朝比奈が声をかけてきて、青鸞はそれにも頷いた。

 その際、朝比奈とロロの間で不穏な視線が交わされたが、青鸞はそれに対しては小さく息を吐いただけだった。

 周囲に他の人間がいたことも、それ以上の衝突が起こらなかった要因だろう。

 

 

「原口さん、最初の予定は……」

「ええ、そのままですよ。まぁ、まさか政庁側が認めてくるとは意外でしたけどね」

 

 

 ロロと通路を挟んだ左隣、そこでブリタニア語の経済新聞を呼んでいたスーツの男が、特に意外に思っていない声音でそんなことを言った。

 原口久秀、半年前、カゴシマで青鸞が出会った反体制派の暫定議員の男だ。

 以前と同じ、表見だけは表情豊かに笑みなど浮かべている。

 

 

 そして彼女らの周囲には、スーツや旧日本軍の軍服を纏った人間が同じように座席に座っている。

 青鸞を筆頭とする彼ら彼女らは、黒の騎士団から派遣された交渉団である。

 政庁、すなわちエリア11代理総督ユーフェミアと行われる対話、その代表。

 

 

「……そう。なら、後は……」

 

 

 着物に覆われた胸に手を添えて、自分を落ち着けるように目を閉じる。

 しかし右手が触れた左の胸には、消えない刻印が刻まれている。

 その力の気配を色濃く感じながら、青鸞は、これから入るだろう相手の「フィールド」にも気付いていた。

 

 

「……予定通り、か」

 

 

 ――――この日、新たな歴史の一ページが刻まれることになった。

 そしてそのページは、枢木青鸞とユーフェミア・リ・ブリタニア。

 2人の少女の手で、共に開かれるモノだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 表の歴史が紐解かれる時、裏の歴史もまた動く。

 ただし裏の歴史と言うものは、往々にして陰湿で、それでいて異臭を放つものだ。

 そしてここ、皇宮ペンドラゴンもまた、そうした匂いを放つ場所だった。

 

 

「ルルーシュ、それにユーフェミアよ……それでわしを出し抜いたつもりか」

 

 

 皇帝の座を抱える謁見の間、トーキョーから遠く離れたその地は今は夜。

 正確には前日の夜と言うべきだろうが、それはあまり関係が無い。

 重要なのは世界最高の権力を持つ男の存在と、その前に立つ桃色の髪の少女の存在だ。

 

 

 前者は当然、神聖ブリタニア帝国第98代皇帝シャルル・ジ・ブリタニア。

 しかし常に轟然とした態度で全てを見下していた彼は、今はすこし柔らかな雰囲気を漂わせているように見えた。

 そして後者はナイトオブシックス、アーニャ・アールストレイムである。

 皇帝の騎士である彼女は、普通ならばその場に膝をつき頭を垂れるべき立場の人間であるはずだ。

 

 

「まぁまぁ、そう怒らないのシャルル。V.V.が余計なことしていろいろ大変なのはわかるけど」

 

 

 ところが今、アーニャはまるで皇帝と対等の存在かのように話している。

 むしろ剥き出しのおへそを晒すように腰に手を当て、どこか挑発的な笑みを顔に貼り付けてさえいた。

 そして可愛らしい大きな瞳は爛々と赤い輝きを放っていて、それが少女の豹変振りと相まって不気味だった。

 

 

「ナナリーはちゃあんとルルーシュの所に帰ったし、3つ目のコードを持ってる女の子も。エレベーターだってもうすぐ完成するじゃない。後はまぁ、中華連邦とEUを侵略するだけなんだしさ」

「侵略など雑事よ。先日のシュナイゼルからの戦略案、お前も読んでおるだろう」

「あんな優等生の書いた書類、読まずに捨てちゃった♪」

 

 

 てへっ、と少女のように――実際、少女なのだが――片目を閉じて笑むアーニャに、シャルルは苦笑のような表情を浮かべた。

 

 

「後で枢密院に回すはずだったのだぞ――――まぁ、それもまた雑事。構わぬ、か」

「流石シャルル、やっぱり男は細かいことを気にしちゃダメよねー。その点、本当V.V.ってば、目的は一緒だけど連携取れていないから、もう、本当「余計」って感じ」

 

 

 やれやれと肩を竦めるアーニャ、そんな彼女を見つめるシャルルの目はやはり優しい。

 普段からは想像も出来ない姿だ、他の者が見れば腰を抜かして驚くかもしれない。

 だが「今の」アーニャは、シャルルが本来誰よりも優しい男だと知っているから、そんなことは無い。

 そして不意にアーニャは腕を組み、頬に指を当てて「うーん」と可愛らしく首を傾げた。

 

 

「うーん、でもルルーシュが饗団の所在地を突き止めちゃったりすると、面倒かもね。C.C.もいるし……まぁ、それこそV.V.の仕事なんだけど……って、あらら」

 

 

 玉座を立ち、奥へと歩き出したシャルルを見て、アーニャはクスリと笑みを浮かべた。

 どこへ行くのかなどと聞かず、上機嫌にスキップなどしながら後を追う。

 夜にシャルルが向かう所など、寝所か祭壇かのどちらかしかない。

 彼女としてはどちらでも良いのだが、などと考えた後、ふと思い出したように。

 

 

「ところでシャルル、あの子はどうしたの?」

 

 

 アーニャ言う所の「あの子」――――彼は、遠く海の彼方にいた。

 現在はニューカレドニアにいて、ルルーシュが率いるはずだった艦隊を指揮してポリネシアの島々を制圧した「ブリタニアの白き死神」。

 指揮系統の乱れた艦隊の力を借りることなく、ほとんど独力で島を制圧した最強の騎士。

 

 

 ナイトオブセブン、枢木スザク。

 彼は今、黒煙の漂うニューカレドニアの旧フランス軍基地にいた。

 ブリタニア本国と違い、南洋の太陽が降り注ぐ午後のことである。

 

 

「枢木卿、本国から勅命であります! 急ぎハワイに向かい、シュナイゼル殿下と合流せよとのことです!」

 

 

 背後から響いたブリタニア兵の声に、かつて滑走路として機能していたボロボロの道の上に立つ彼は応じなかった。

 ただ静かに北東の空を見上げて、目を細めただけだ。

 彼は独り、そう、独りきりだった。

 

 

 たった独りきりで、太陽の眩しさに目を細めながら北東の方角を見つめる。

 その向こうにいるだろう誰か達を思って、彼はしばらくそうしていた。

 ただ、独りきりで。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 そして、ここにも独りきりの存在がいる。

 ただし彼女は、自らが独りきりだなどとは露ほども思っていなかったが。

 ふわりとした桃色の髪に白いシルクのドレス、顔に浮かぶ穏やかな笑顔に、そして。

 ――――両眼を彩る、赤いギアスの輝き。

 

 

「貴女達の懸念もわかります。しかし、せっかく私達の対話要請に応じてくださった相手のたっての頼みなのです。そして私はそれを叶えると約束しました、約束を違えるのは良くないことでしょう?」

「それはもちろん、左様ですが……」

 

 

 総督が座す謁見の間、皮肉にも時同じくして父と同じ状態。

 しかし豪奢な椅子に座りながら、与える印象は真逆の物だ。

 総督の椅子に座るのは当然、代理総督のユーフェミアだ。

 穏やかに微笑むユーフェミアだが、その実、かなり過激なことをしている。

 

 

 だが今はとにかく穏やかに笑いながら、自分の目の前で膝をついている3人の騎士を見下ろしていた。

 キューエル・ソレイシィとその妹マリーカ、そして姉コーネリアの従卒だったリーライナの3人。

 今や純血派を束ね、ユーフェミアの親衛隊とも言える舞台を率いる者達だ。

 3人は一様に、困惑したような表情をユーフェミアに向けている。

 

 

「しかし、彼奴らがあの男との面会を申し入れてきたのは、何かしかの陰謀を巡らせてのことに違いなく!」

「キューエル卿、彼女は……青鸞は、亡きお父様の友人に会いたい、その一心で私に頼んできたのです」

「ですが、危険ではありませんか!?」

「キューエル卿」

 

 

 懸念を伝えるキューエルに対して、ユーフェミアは視線を合わせた。

 目を細めてじっと見つめれば、赤い輝きが増した。

 その輝きは相手の心に宿った警戒心を和らげ、代わりに穏やかな感情を芽生えさせる。

 だから、ユーフェミアはにこりと笑顔を見せた。

 

 

「疑ってはいけません、それは哀しいことです。黒の騎士団の方々も私達と同じように平和を望んでいると、そう信じましょう? ね?」

「は……はぁ……」

 

 

 そしてその様子を、柱の陰から見守る2人の影があった。

 1人は知的さを思わせる眼鏡の男性で、もう1人は顔に傷のあるがっしりとした身体つきの男だ。

 ギルフォードとダールトン、エリア11総督コーネリアの腹心中の腹心である。

 しかし彼ら2人の傍に、コーネリアの存在は無い。

 

 

「……どうして、こんなことに」

「言うな、たとえ姫様の行方がわからずとも、ユーフェミア様をお支えすることが……」

 

 

 沈痛な表情を浮かべるギルフォードに、ダールトンが宥めるように声をかける。

 黒の騎士団がこの半年、青鸞を見失っていたように、彼らもまたコーネリアを失っていた。

 半年前、シュナイゼルの手で砲撃を受けてから忽然と戦場から姿を消した第二皇女。

 遺体は発見されていないため、公式には行方不明と言うことになっている。

 

 

 この半年セキガハラを中心に探してはいるが、手がかりすら見つかっていない。

 だから彼らは焦るのだが、しかしその焦りすらも気が付くと消えてしまう。

 まるで何かに抱かれるように萎んでしまいそうになるその気持ちを、彼らは必死に維持することしか出来なかった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 実は租界近郊の軍基地に着陸したのは、ブリタニア側の事情もあるが、青鸞側の希望を満たすためでもあった。

 何故ならその軍基地は政治犯収容所も兼ねているためで、ユーフェミア代理総督就任以前、つまりコーネリア総督の代で裁かれた犯罪者が収監されている場所だ。

 

 

 そして青鸞は、そこに用があったのだ。

 原口達をとりあえず待たせておいて、青鸞は朝比奈とロロだけを連れて施設の地下へと進んだ。

 と言うのも、ここに来ることがトーキョー訪問の一つの目的だったからだ。

 

 

「――――……国家を形成する三条件、知っていますよね?」

 

 

 最下層、国家反逆罪の罪で収監される者が入れられる独房層。

 特別に用意された面会の部屋で、ガラス越しにその男に声をかける。

 やや禿げ上がった前髪に蝙蝠を思わせる細身の男に対して、静かに。

 

 

 そして彼女の問いかけは、主権国家と言う物について少し知っている者なら誰でも答えられるレベルの物だった。

 国家と認められるために必要な三つの条件、つまり領土・国民・政府の3つだ。

 この3つが揃い、かつ外国に認められて初めて、その勢力は独立主権国家だと認められる。

 

 

「ボク達は日本の一部を実効支配し、そしてそこに住む日本人はボク達を支持してくれている。黒の騎士団と言う統合された軍事組織もある」

 

 

 しかし、青鸞達には決定的に足りないものがある。

 

 

「ボク達の……つまり、日本人の利益を代弁する政府が無い」

 

 

 青鸞を始めとするキョウトの人間は、あくまでも裏の支配者だ。

 あの桐原でさえ表には出ようとしない、奇しくもかつて三木が言ったように、それが日本の支配構造であったためだ。

 しかし戦後8年が経過して、政治指導者として立てる程に実力と人望を兼ね備えた人材はほとんど失われてしまった。

 

 

 キュウシュウにおける鍋島のように地域のドンのような政治家はいても、全国レベルでの知名度を誇る者はいない。

 いくら亡命政権、あるいは暫定政権とは言え、実力も人望も無い者をトップに据えることは出来ない。

 そして今、青鸞の目の前にいる男は、もしかしたらそうなれたかもしれない可能性を持っていた数少ない政治家の一人だった。

 

 

「ふん、恥知らずな裏切り者が……困り果てて私の人脈を頼りに来るとはな」

「…………それで?」

 

 

 その男が口にする皮肉にも、青鸞は反応を返さない。

 あくまで事務的な口調と態度で接する、それに男は不機嫌に鼻を鳴らした。

 沢崎敦と言う名前の、その男は。

 

 

「態度まで枢木そっくりな娘だ、見ているだけで不愉快になる程にな」

 

 

 半年前に中華連邦の助力を得て日本に戻り、一時は独立主権国家日本の再興を宣言までした男。

 第二次枢木政権の官房長官を務めたという経歴は、それだけで彼が全国区の政治家であったことを示している。

 しかし政治犯として収容されている今、その経歴にどれだけの意味があるのかは不明だが。

 

 

 そして青鸞が彼に会いに来たのは、神楽耶の依頼だからである。

 独立派の日本人の間で「国賊」認定を受けている彼を救出して暫定政権の首班に、と言うことでは無い。

 彼の他にそうなれるだけの経歴を持つ政治家が生き残っているかどうか、それを探りに来たのである。

 

 

「私の質問に答えては頂けないのですか?」

「答えると思うのか、この私が? 汚らしいキョウト、それも枢木の娘を助けるために?」

 

 

 はっ、と鼻で笑う沢崎、だがこんな態度を取られるだろうことはわかりきっていた。

 青鸞はキュウシュウで沢崎の軍を直接叩いたことを覚えているし、沢崎もそうだろう。

 だから、両者の間に協力関係は成立し得ない。

 仮に成立するとすれば、それは何らかの取引だけだ。

 

 

「……協力してくれるのであれば、相応の対価は用意しますが?」

「浅ましい、それにおぞましい提案だ。流石はキョウト、やり口が相も変わらずだな……だがあえて答えてやろう、否だ。そもそも枢木の政権にいた閣僚経験者は私を含め、キュウシュウ戦役で捕まった者で最後なのだからな」

(……この人も、三木大佐と同じか)

 

 

 キュウシュウ戦役の際、沢崎はキョウトに無断で行動を起こした。

 どうやらそれは中華連邦への配慮と言うよりは、純粋なキョウトへの嫌悪から来ていたらしい。

 

 

「やはり貴様もキョウトの娘だな! 裏から操るなどと悠長なことをせずに、一度くらい自分達が矢面に立とうとは思わんのか! 民意で選ばれた首相を金としがらみで縛り、甘い汁を啜ってきた餓鬼共め!」

 

 

 実際、沢崎の言う通りではあるのだ。

 キョウト六家は稀に例外を出しつつも、基本は財界に根を張る家々だ。

 青鸞の父ゲンブのように、政治家として表に立った人間はほとんどいない。

 賄賂、色仕掛け、脅迫、天下り、買収……そうした汚れた手段で歴代の政権を傀儡にし、利益を得てきた。

 

 

 青鸞の実家である枢木家や、神楽耶の実家である皇家でさえ例外では無い。

 だがその汚れた金でブリタニアへの抵抗運動が出来ているのだから、皮肉ではある。

 それでも、キョウトと言う存在が純粋な尊敬を勝ち得るような綺麗な存在では無いことは確かだった。

 その意味では、もしかしたなら……沢崎は父ゲンブと同類だったのかもしれない。

 キョウトの支配を脱し新時代を築こうとしたと言う、その一点において。

 

 

「……貴方は、父やキョウトのことが本当に憎いのですね」

「ああ、憎い。権力を弄び甘い汁を啜るキョウトが憎い。枢木もそうだ、傲慢で醜悪な男だった……だが奴は奴なりにキョウトの呪縛から逃れようとしていた、そこだけは私も認めていた」

 

 

 それは、青鸞も知っている。

 父の手記を見たことでそれを知り、だからこそ彼女は。

 

 

「貴様も、父親をキョウトに殺されたような物だろうに」

 

 

 沢崎の弾劾のような言葉に、青鸞はそっと目を閉じた。

 目を閉じ、胸の内で考えを反芻し、そして次に目を開けた時には席を立っていた。

 ガラスの向こうで沢崎が身体を揺らしたが、気にもしなかった。

 

 

「日本は独立を果たします、以前とは違う形で……貴方はそこで、ずっと、貴方の手によらない日本の復興を見ていると良い」

「ふん、復興か……貴様、今のトーキョーがどうなっているか知っていてそう言うのだろうな?」

 

 

 最後の言葉には答えず、青鸞は面会のために用意された部屋から外へと出た。

 少女の背中に注がれる沢崎の視線は、どこまでも冷たい。

 その冷ややかさを気配として感じながら、青鸞は沢崎と別れた。

 この後の人生において、青鸞が沢崎と交わることは二度と無かった。

 

 

「……さようなら、新時代の人」

「せいぜい苦しめ、旧時代の娘」

 

 

 だがはたして、沢崎は気付いただろうか。

 青鸞は、沢崎の言葉を否定はしなかったと言うことに。

 そして、そのことが持つ意味に。

 気付いて、いただろうか。

 

 

 面会の部屋から出た青鸞を出迎えたのは、控え室で待っていた2人の人物だった。

 朝比奈、そしてロロ。

 そしてその2人がどう見ても仲の良い雰囲気では無かったため、そして青鸞の姿を認めたと同時にそれぞれ笑顔を浮かべたため、青鸞は苦笑した。

 

 

「行こう、省悟さん、ロロ――――トーキョーへ」

「うん、姉さん」

「Ok、ようやくだね」

 

 

 同じ言葉を同じ顔で告げつつも、お互いを見る視線は妙に刺々しい。

 それに対しても苦笑して、青鸞はそのまま速度を落とすことなく歩みを続けた。

 そして舞台は、ついにトーキョー租界へと移る。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 青鸞が公式の歓待を受けず、一市民としてトーキョー租界に入ったことには理由があった。

 ブリタニアの歓待を喜ぶ人間が青鸞側にいないと言うのが一つ、そして明日のユーフェミアとの直接会談の前に、トーキョー租界の様子を見ておきたかったからだ。

 そして、確認したかった。

 

 

「そう言えば、省悟さんとこうして歩くのって久しぶり……と言うか、初めてかもね」

「そうかもしれないね」

 

 

 傍らの青年を見上げれば、にこりとした微笑みが落ちてくる。

 そこには沢崎との面会の緊張した空気は無く、どこか穏やかな空気が流れていた。

 目立たない格好――朝比奈は軍服では無く、青鸞は着物では無いと言う意味で――に着替えた青鸞は、緑豊かな自然公園を歩いていた。

 

 

 ここはトーキョー租界、中心部からやや外れた地区だ。

 そこには老若男女が午後の一時を過ごしていて、とても穏やかな空間が広がっていた。

 シャツにジーンズ姿の朝比奈とブラウスにスカート姿の青鸞がいても、何ら不自然は無いくらいに。

 そう、「不自然が」無いのだ。

 

 

「姉さん、あっちにカフェがあったよ」

「あ、ロロ」

 

 

 そしてそこへ、やはり私服姿のロロがやってきた。

 ロロの元いた組織も今はトーキョー租界には近付かないとあって、ついて来た彼。

 だが休憩スペースを探して来てくれた彼は、青鸞に子犬のような笑顔を見せた後、彼女の隣にいる朝比奈を見て刺々しい表情を浮かべた。

 

 

 もちろん、朝比奈も似たようなものである。

 旧日本解放戦線時代からの古参である朝比奈と、新参でブリタニアからの転向者であるロロ。

 この2人の関係がどうなるかで、ある意味、キュウシュウ勢力の中身が決まると言っても過言では無い。

 無いのだが、この2人は出会った時から妙に仲が悪い様子だった。

 

 

「貴方は呼んでいません、僕は姉さんを呼んだんです」

「生意気だね、新参者が。大体……」

「ま、まぁまぁ……それにしても」

 

 

 そんな2人を宥めつつ、青鸞は改めてあたりを見渡した。

 先程も言ったように、老若男女あらゆる人間が楽しそうに、穏やかに過ごしている。

 あらゆる人間、つまりブリタニア人と日本人だ。

 日本人が租界の中で、ブリタニア人と共に過ごしている。

 

 

 ブリタニア人と日本人が、分け隔てなく暮らす世界。

 青鸞の目の前に広がっているのはそう言う世界だった、しかも誰もが穏やかな笑顔で過ごしている。

 半年前にはあり得なかった、「平和な世界」がそこにあった。

 当然それが自然に出来たとは青鸞は欠片も信じていない、そして彼女はそのカラクリに気付いていた。

 

 

(微弱だけど、ギアスのフィールドを感じる……)

 

 

 それはトーキョー租界に到着してから感じていたもので、コードを持つ青鸞だからこそ異物だと感じることが出来たのだ。

 そして同時にユーフェミアのギアス、その範囲が租界全部に及びつつあると言う証拠だった。

 流石にこのあたりは弱いが、中枢に近付けば近付く程に強くなるのだろう。

 

 

 その意味において、青鸞はユーフェミアとの交渉と同時に、交渉団の身の安全――もとい、心の安全について考えなくてはならなかった。

 そのために出した希望が交渉団の租界外での宿泊、これは意外とすんなり通った。

 流石に青鸞は租界の内にいてほしいとの要望が先方から出されたため、朝比奈やロロなど一部を連れて租界内のホテルに宿泊することになっていたが。

 

 

(沢崎敦が言っていたのは、こう言う世界のことか……)

 

 

 優しく、穏やかで、ただそこにある世界。

 朝比奈とロロの間の雰囲気が刺々しいのは、まだ効果が表れていないからだろうか。

 しかしいずれは、彼らもその世界に飲まれてしまうのだろう。

 それはコードを持ち、「優しいギアス」のフィールドに影響を受けない青鸞からしてみれば。

 

 

 ――――酷く、気持ちの悪い世界だった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「いらっしゃい! あ、お客さん日本人の人?」

 

 

 ロロが見つけたカフェは、通りを挟んだ向かい側にあった。

 立地条件としてはなかなか良い、シックな色合いのカフェテーブルとチェアが並んだオープンカフェだった。

 実際なかなか盛況のようで、カフェには多くの客が訪れている。

 

 

 そんな中、青鸞達に声をかけてきたのはブリタニア人の店員だった。

 青鸞よりもやや年上らしい少年で、アルバイトであることを示す名札には「リヴァル」とあった。

 どことなく人懐っこそうな雰囲気の少年で、青鸞達を認めると素直な笑顔で迎えてくれた。

 

 

(……前に来た時は、物を投げつけられただけで笑顔なんてとんでも無かったけど……)

 

 

 営業的では無いリヴァルの笑顔に、青鸞はふとそんなことを考えた。

 最も、その「前に来た時」はもう1年も前の話になるのだが。

 それに彼は青鸞達のことを「日本人」と呼んだ、イレヴンと呼ばずに。

 

 

「……ねぇ。今キミ、僕達のことを……」

「あ、お客さんもしかして最近来た人? だったらまぁ、変に感じるよね。トーキョー租界の他じゃ、まだイレヴン……あ、気を悪くしたなら」

 

 

 朝比奈も青鸞と同じことを感じたのだろう、そんな朝比奈にリヴァルが謝罪を交えて会話をしてくれた。

 そして同時に、やはりトーキョー租界の中だけがこの状態なのだと、リヴァルの言葉から読み取ることが出来た。

 

 

「まぁとにかく席に案内しますんで……会長―っ! 3名様ご案内で――すっ!」

「はいよ――っ! ほら、シャーリー!」

「押さないでくださいってば! あ、い、いらっしゃいませ――♪」

 

 

 リヴァルが厨房のある店内の方へ声をかけると、中から2人の若い女性の声が聞こえてきた。

 会長と呼ばれた方は腕しか見えなかったが、その腕に押し出される形になったウェイトレスの少女は、青鸞達の姿を認めるとリヴァルと同じように笑顔で迎えてくれた。

 この少女達は親しい関係なのだろう、ファーストネームで呼び合っていた。

 

 

 ウェイトレスの少女――オレンジのレースを添えた白ブラウスにオレンジのチェックスカート、なかなか凶悪な可愛らしさを発揮している――シャーリーは、そのまま笑顔で空いている席に青鸞達を案内した。

 ロロがどうも警戒感……と言うか、人見知りを発動して青鸞にぴったりとくっついていたこと以外は特に問題なく座席に座れた、人種による差別(せきをわけられる)をされることも無く。

 そして当然、他の座席もブリタニア人と日本人が入り混じっていた。

 

 

「はいはい、遠慮せず座って座って~……よっと、ふぅ」

「ちょっとリヴァル、何お客様と一緒に座ってるの!」

「良いじゃん良いじゃん、外から来て事情を知らないって言うし。サービスサービス!」

「もう! あ、すみません、ご注文を……」

 

 

リヴァルの態度に呆れていたシャーリーだが、青鸞達の視線を感じたのか、慌てて注文表を胸の前に取り出した。

 青鸞達が適当にコーヒーと軽食を注文すると、リヴァルを軽く睨みつつ奥へと戻っていった。

 再び姦しい声が聞こえてきて、何やら楽しげな雰囲気が伝わってきた。

 

 

「……ルルーシュの馬鹿野郎」

 

 

 シャーリーの背中を何とは無しに追っていた時、不意にそんな声が聞こえた。

 ぱっと振り向けば、青鸞の隣に座っていたリヴァルもまたぱっと表情を改めた。

 どこか悔しげで哀しげな表情が、一瞬で元の笑顔に戻る。

 

 

「ルルーシュ?」

「ああ、いや、何でもないんですよ! ただまぁ、馬鹿な悪友が何だかんだでいなくなって、まぁ、女の子を泣かせたってだけの、よくある話なんで!」

「良くあるのかい、それ」

 

 

 どこか呆れたように声をかける朝比奈に、リヴァルが誤魔化すように笑った。

 ロロはまだ何も話さず、警戒心たっぷりにリヴァルを見ている。

 そして青鸞はと言えば、ルルーシュと言う名前が出たことに純粋に驚いていた。

 ブリタニア人の間でも「ルルーシュ」と言う名前はそうあるものでは無い、ただ「もしかして」と問いかけることも出来ない。

 

 

(……キュウシュウに戻ったら、聞いてみよう)

 

 

 そう言えば、ルルーシュは昨年まで学生だったはず。

 もしかしたなら、その時の知り合いなのかもしれない。

 ……まぁ、女の子を泣かせたらしいと言う情報は激しくアレだったが。

 ちょうどその時、シャーリーでは無い別の少女がコーヒーを運んできてくれた。

 

 

「あれ? ニーナ、シャーリーは?」

「み、ミレイちゃんが、何か……」

「あー、またですか」

 

 

 ニーナと言うらしいその少女は、カタカタとカップを震わせながら青鸞の前にそれを置いた。

 目が合うと逸らされる、が、すぐに怯えた表情を消して、穏やかな顔になっていた。

 どうやらユーフェミアのギアスの影響を特に強く受けているらしいのだが、もちろん彼女にも不用意に声をかけられるはずも無い。

 ……リヴァルの友人らしい彼女も、ルルーシュの知り合いなのだろうか?

 

 

「ああ、そうそう。それでトーキョーがこの半年でどう変わったのかだけど……」

 

 

 思い出したように語り出すリヴァルに、しかし青鸞は意識の一部を別のことに割いて聞いていた。

 意識の一部を割いて思うのは、トーキョー租界で過ごしたルルーシュの8年間についてだ。

 自分がナリタの山奥で反体制運動に身を投じていた時間、ルルーシュはここでナナリーと2人で過ごしていたのだ。

 その時間を示すものの一部が、目の前にいる少年達なのだろう。

 

 

 そう、ルルーシュである。

 実は青鸞は今、ルルーシュに関して少し考えていることがあるのだった。

 それは、ルルーシュとナナリーの関係にも影響することだ。

 ナナリーと再会して、話して、少しずつその気持ちを大きくしてきた。

 それは……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――ナナリーとの再会は、もちろん、青鸞にとっても重要な意味を持っていた。

 幼い頃、共に兄を持つ少女として温かな関係を築いた相手なのだから。

 だが仲が良かったかと言うと、実は微妙だったような気もする。

 いや、仲が良いことは良かったのだが……。

 

 

(まぁ、お互いに微妙にやきもち焼いてたもんね……ボクの場合は、やっかみ半分だったけど)

 

 

 ルルーシュと言う兄に構って貰えていたナナリーへの、嫉妬混じりのやっかみ。

 幼い頃の青鸞にはそれがあったし、そして何だかんだで面倒見の良いルルーシュがスザクに置いて行かれた自分を構うことで、今度はナナリーがそれに嫉妬すると言う循環が生まれていた。

 まぁ、それでも仲の良い友達であったと思う。

 

 

 それはヴィヴィアンの中で突然の再会を果たしたあの日も変わっていなかったし、当然、青鸞はナナリーと再会を喜び合った。

 ただ今は、それがやや辛い方向に動いているのも事実だった。

 と言うのも、今のナナリーの置かれている環境こそが問題だった。

 

 

『お兄様に会えたのは、嬉しいのですけど……』

 

 

 再会の翌日、ヴィヴィアン艦内にあてがわれた部屋でナナリーが寂しそうな顔をしていたことを、青鸞はついさっきのことのように思い出すことが出来る。

 ナナリーは基本的に部屋を出ることは無い、外は黒の騎士団がいるのだから当然と言えばそれまでだ。

 青鸞やルルーシュなど一部を除けば人も来ない、まさに外の世界と隔絶された状態だった。

 

 

 正直、良くないと思う。

 ブリタニア皇帝の手から救い出してもこれでは意味が無い、意味が無いのだ。

 ルルーシュはナナリーを鳥籠の鳥にしたかったわけでは無いし、これでは離宮にナナリーを閉じ込めていた皇帝と何も変わらない。

 

 

(アッシュフォード学園に帰したい……って、それは無理でしょ)

 

 

 せっかくの再会も、これでは素直に喜べない。

 ナナリーの側に立ってみれば良い、父と兄の手で8800キロの距離を行ったり来たり、かと思えば離宮や艦内に軟禁状態、たまったものでは無いだろう。

 体調を崩しがちなのも、体力的な理由よりそうした精神面での不調が原因のような気がする。

 

 

 日も沈み、ブリタニア側が用意したホテルの一室、そのテラスからトーキョーの夜景を見下ろしながら、青鸞は溜息を吐いた。

 リヴァル達からトーキョー租界の現状を聞き、実際に自分の目で見て、ホテルに入ったのはついさっきのことだ。

 シャワーも浴びずにいろいろと考えてしまうのは、まぁ、ここ最近の傾向ではある。

 

 

(……やっぱり、ちゃんと話すべきじゃないかと思うんだけど……)

 

 

 正直、無理だろうな、とは思う。

 と言うかその点では、自分もルルーシュと大差は無い。

 人に話せないことが多すぎるし、隠し事も多く、周囲から見れば違和感が多分に存在することだろう。

 

 

 しかしせめて、ナナリーにはきちんと話をすべきでは無いのか、とも思う。

 自分が神楽耶に打ち明けたように、話を。

 ナナリーの不安を払拭し、何かを共有し、互いの安心を得るための話を。

 ――――ルルーシュが、ゼロだと言うことを。

 

 

「ルルーシュくん……」

 

 

 ルルーシュの策に乗る形でトーキョー租界に来たは良いものの、問題は何も解決していない。

 と言うより、解決するような問題では無いのかもしれない。

 だが、それでも前に進む。

 もし自分が間違えたとしても、背中を刺して止めてくれる人間がいるのだから。

 

 

「青ちゃん」

 

 

 不意に声をかけられて、青鸞は後ろを振り向いた。

 テラスの手すりに片手を置いた体勢で振り向けば、そこには朝比奈がいた。

 いつもの微笑を湛えた青年は、普段より幾分か穏やかな雰囲気を漂わせているように思う。

 もしかしたら、徐々にギアスのフィールドに影響されてきているのかもしれない。

 

 

(言いたいこととか、あるよね……省悟さんも)

 

 

 きっと、あるだろう。

 たくさんあるはずだ、聞きたいことも言いたいことも。

 神楽耶曰く、「聞かないだけ、言わないだけ」――だ。

 

 

 もし何かを言うことがあるとすれば、それは自分からだろうと青鸞は思う。

 自分の口から、自分の気持ちで、自分で話すべきなのだろうと思う。

 ここの所は、そう言うことばかり考えている。

 

 

「どうしたの、省悟さん。こんな時間に」

 

 

 まぁ、そう簡単に話せればうじうじ悩んではいないのだが。

 

 

「うん? そうだね、この半年で随分と雰囲気が変わった青ちゃんに、悪い遊びでも教えようかな、と」

 

 

 ……それまでの感傷や緊張が全て崩れ去って、青鸞はジト目で朝比奈を見つめた。

 気のせいか、冷たい風が2人の間を吹き抜けていった。

 

 

「あはは、冗談だよ、冗談。そんな顔しないで、でも半年前より綺麗になったのは本当だよ」

「……あ、うん、ありがとう。帰ったら凪沙さんに話してみるよ、もしかしたらウケてくれるかもしれないから」

「わわっ、だから冗談だってば!」

 

 

 なかなか示唆に富んだ冗談だが、正直、いろいろな意味で笑えなかった。

 ふぅ、と息を吐いて、腰に両手を当てつつ身体ごと朝比奈に向ける。

 

 

「それで、どうしたの?」

「ああ、うん、本当に大したことじゃないんだけどね……ねぇ青ちゃん、ギルフォード卿って知ってる?」

「ギルフォード卿? それはまぁ、コーネリアの騎士で親衛隊の?」

「そう、それそれ」

 

 

 青鸞の言葉にうんうんと頷く朝比奈、反体制派でコーネリアの騎士の名を知らない者はいないだろうに、青鸞は不思議そうに首を傾げた。

 何しろ、戦場で向き合ったこともあるのだから。

 ただ、このタイミングで聞くには妙な名前であることは確かだった。

 

 

「その人が、何?」

「うん、今来てるんだよ、部屋の前に」

「……? 誰が?」

「ギルフォード卿が」

「……? どこの部屋の前に?」

「この部屋の」

 

 

 言葉の意味を理解するのに数十秒を要したとしても、彼女を責める者はいないだろう。

 だから青鸞は、穏やかに微笑む――どこか悪戯っぽくも見える――朝比奈の顔を見つつ、叫んだ。

 

 

「えええええええええええええええええっっ!?」

 

 

 それのどこが大したことない話なの!?

 そう言う青鸞に、朝比奈は本当に楽しそうな顔を向けるのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ギルバート・G・P・ギルフォード。

 エリア11統治軍の中では知らぬ者はいないであろう、エリア11総督コーネリア・リ・ブリタニアの唯一の騎士の名である。

 しかしコーネリアの失踪以来、その名前は陰りと共に言の葉に乗せられていた。

 

 

 だがそうは言っても、ギルフォード卿である。

 ナリタで煮え湯を飲まされた青鸞としては忘れ得ない名前であるし、どちらかと言えば「倒すべき敵」としての認識が強い。

 そして今、青鸞の前にそのギルフォード卿が姿を見せていた。

 

 

「自己紹介の必要はありません、用件だけ、お願いします」

「……わかった。では単刀直入に聞きたい」

 

 

 夜分遅く、まさにその時間に青鸞の下を訪れてきたギルフォードは、人目を忍ぶようにやってきた。

 と言うより、人目を忍んで来たのだろう。

 朝比奈は事前に聞いていた可能性もあるが、今は睨んでもかわされるだけだろう。

 なので内心で息を吐いて、改めて目の前のギルフォードを見る。

 

 

 眼鏡の奥の理知的な瞳は、少しだけ疲れているようにも見えたが……。

 お連れの1人もおらず単独行動、それも青鸞を名指しで面会を希望。

 別に会う義理は無かったのだが、明日の会談の席上にはギルフォードもいる、ここで悪印章を与えるのは得策では無いと判断した。

 

 

(まぁ、目的は何かって言うのもあったし……ね)

 

 

 椅子に座ってギルフォードと向き合う青鸞の後ろ、青鸞の背中とギルフォードの顔を見下ろす形で朝比奈は相手を観察していた。

 理知的な細面に眼鏡、シャープな顔立ちに軍服をきっちり着こなした男。

 コーネリアの2人の腹心の内の1人、ギルフォード。

 

 

 そんな男が、人目を忍んで何の用か。

 朝比奈が観察する前で、ギルフォードは口を開いた。

 そこから飛び出してきたのは、驚くべき言葉だった。

 

 

「姫様の、コーネリア総督の居場所について、心当たりは無いだろうか」

 

 

 ……数瞬、鼓動を収めるのに時間を要した。

 コーネリアが行方不明であることはすでに述べた、が、それをまさか青鸞が問われるとは思わなかったのだ。

 しかし考えてみれば、当然の結論であるとも言えた。

 

 

 半年前、コーネリアは青鸞、ルルーシュ、スザクと共にセキガハラから消えた。

 そしてその内の3人までもが表舞台に戻っているのに、コーネリアだけが戻らない。

 残されたギルフォードが、その中の誰かに接触しようとするのは何ら不思議では無い。

 まぁ、現実的には消失したわけではなく、あくまでセキガハラで行方不明になっただけだが。

 コードの力で神根島までジャンプしたなど、朝比奈の前ではとても言えない。

 

 

「……僕達がそんな質問に答えると? こっちとしては、コーネリアはいない方が良い有能な司令官なんだけど?」

「無論、そちらの事情は承知している」

 

 

 朝比奈の皮肉混じりの応答に、苦しそうな表情でギルフォードが頷く。

 実際、青鸞の側がコーネリアの捜索に協力する義理は無い、その逆はあったとしてもだ。

 だが、それでも青鸞は思った。

 

 

(……コーネリアのことが、大事なんだね)

 

 

 ギルフォードは苦しんでいる、これはユーフェミアのギアスの範囲内にいるのならおかしなことだ。

 ユーフェミアの与える穏やかさの中にいながらそれでもなお苦しんでいると言うことは、彼がユーフェミアのギアスの抵抗し続けていることの証左だ。

 コーネリアへの想いだけで、ユーフェミアの「優しい世界」を拒絶している。

 

 

(その優しさと強さを、どうして日本人には向けられないんだ……って、前のボクなら思ったよね)

 

 

 きっと、そう思ったろう。

 だが今の青鸞には、日本人としての感情と共にブリタニア人としての経験がある。

 その2つの視点から物事を見ることが出来る――と言うより、見えてしまう、見えざるを得ない――青鸞にとって、いわゆる「どちらがどちら」と言う議論は意味は無かった。

 それぞれが掲げるそれぞれの正義の意味を、知ってしまったから。

 

 

 ギルフォードが今、どれほどの恥を忍んで自分の前に現れたのか。

 まさに自分のプライドなどかなぐり捨てて、己の主君のために。

 それは非常に感動的で、そして「皇帝の騎士」であった青鸞にとっては感傷的なものだった。

 

 

「……さぁ、どうなのでしょうね」

 

 

 結論。

 感動と感傷と感嘆、それらの感情の果てに青鸞が出した結論は、曖昧な態度を取ることだった。

 知っているとも言わず、知らないとも言わず。

 しかしこの場での回答を拒否すると言う意思だけは、確実に伝える。

 

 

(……ボクは、日本人だ)

 

 

 今も昔も、そうだった。

 だから今の青鸞は、ギルフォードに対して温情を見せない。

 見せるわけが無い、それはギルフィードの側もわかっていたことだろう。

 その上で来たのだ、彼は。

 

 

「……けれど」

 

 

 けれど。

 

 

「いなくなってしまった皇女を想うより、今は――――ユーフェミア皇女の方を見ておられた方が良いと、思いますけどね」

 

 

 けれどその一言は、青鸞がそうあろうとするならば明らかに余分な言葉だった。

 朝比奈には意味がわからないだろうし、ギルフォードにとってもどうだろう。

 意味がわからない、あるのかどうかすらわからない言葉。

 もし今の青鸞の言葉の意味がわかるのであれば、それは。

 

 

(……姉さん)

 

 

 何故か部屋のクローゼットの中に隠れていた、ロロだけであったろう。

 ちなみに姉の部屋を訪れたは良いが外の姉に声をかけられず、逆に朝比奈が来たためにギアスを使用して隠れ、今に至っていたりするのだが。

 それはまぁ、明日行われるだろう会話の中では、些細なことだろうと思われる。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

『――――ラクシャータ、例の話はどうなっている?』

「ああ、ゼロかい。まったく、私にらしく無い仕事をさせてくれたもんだねぇ」

『すまないな、それで?』

 

 

 カゴシマ基地の兵器整備課、ブリタニア軍が使用していただけあって最新の設備が揃ったそこは、今では黒の騎士団のナイトメア開発の最前線となっていた。

 そうなると当然、城の主はラクシャータを始めとする技術開発・整備のメンバーになる。

 そのため、組織のトップであるゼロもそう頻繁に訪れる場所では無い。

 

 

 ところが最近、その頻度が上がっていることに古川は気付いていた。

 最近は専ら護衛小隊と言うより整備の仕事ばかりしている彼だが、ヘッドホンで押さえていても聴覚は良すぎる程に良い、なのでゼロが週に何日訪れているのかも把握していた。

 そしてそれは、どうもゼロが乗る新たな指揮官機の開発に関するものでは無いらしい。

 

 

「ふぁ、ふぁふぃふふふぉ……?」

「演算処理にズレが生じます、アナタはきちんと手元の画面を見ていてください。それともアレですか、褐色白衣と黒仮面の組み合わせはドルイドシステムのデータより素敵な何かに見えているのですか」

「ふぉ、ふぉうふぅふぁふぇあ……」

 

 

 雪のように蒼い瞳を不機嫌の色に染めた雪原が、何故か端末の記憶媒体で古川の頬を押していた。

 頬プニに見えないことも無いが、ねじり込むように金属製の記憶媒体を押しつけているのを見るに、とてもそんな優しい物には見えなかった。

 まぁ、周囲の研究者や技術者達はそんな2人を生暖かい目で見ているのだが。

 

 

『……随分と和やかな職場なのだな』

「まぁねぇ、トップの仮面が甘ちゃんのロリコンだからねぇ」

『何だそれは』

「下々の話だよ。それよりあっちの話だろ? まぁアンタも、良くまぁそれだけ二枚舌三枚舌……ああ、いや、私には関係の無い話さ」

 

 

 肩を竦めて見せた後、ラクシャータはキセルを咥えながら目を細めた。

 自分が仕込み、育てた技術者達が子供達(ナイトメア)を弄るのを見つめながら、ルルーシュ=ゼロに頼まれていた仕事の結果を伝えた。

 それに対して、ルルーシュ=ゼロは力強く頷いた。

 

 

 その後、ラクシャータの城から出たルルーシュ=ゼロは、別の人間に連絡を取った。

 相手は彼が裏で動く時には外せない人材、ディートハルトである。

 情報や諜報、根回しや統制、そう言う方面に稀有な才能を有している男だ。

 

 

『ディートハルト、例の件を進める。青鸞嬢が戻り次第、実行に移す。準備は出来ているだろうな?』

 

 

 通信の先にいる男は、自らがプロデュースしていると信じている仮面の救世主の言葉に頷いた。

 当然、彼が自分の仕事を怠るはずが無い。

 彼は優秀だ、稀有な程に優秀なのだ。

 しかし優秀すぎて、他のことにまで手を回してしまう。

 彼は、そう言う男だった。

 

 

「――――もちろんです、ゼロ。すでに人員・物資を含む準備は全て……ええ、はい、ええ」

 

 

 端末のモニターの光だけが、薄暗い部屋で男の顔を浮かび上がらせていた。

 そして彼、ディートハルトは片手で耳に通信機を押さえつつ、もう片方の手で端末のキーを操作していた。

 その瞳に、モニターに映る画像が映り込んでいた。

 

 

 モニターに映っているのは、2人の……否、1人の少女だ。

 蒼い着物を着た日本人の少女と、ブリタニアの騎士服を着た日系人の少女。

 それを見つめながら、彼は。

 

 

「はい、ゼロ。全て順調です――――全て、ね」

 

 

 彼は、口元に薄い笑みを貼り付かせていたのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 黒の騎士団とブリタニア政庁、枢木青鸞とユーフェミア・リ・ブリタニアの会談は、午前9時から行われた。

 後に「史上最年少の和平交渉」と呼ばれることになるこの会談は、体制側・反体制側の首席交渉官が10代の少女と言う珍しい会談だった。

 

 

 しかし立場は、会談や交渉と呼べる程に対等の物であったかは微妙な所である。

 黒の騎士団とブリタニア軍の戦力差はもとより、片や半年間で数十の武装勢力を言葉だけで降伏させた平和の皇女、片や敗走・敗戦を続けてキュウシュウに引き篭もる組織の象徴的存在。

 もし人間の格を「光」で表現するのであれば、その光量の差は歴然としていた。

 

 

「いかがでしたか、久しぶりのトーキョーは?」

 

 

 だからだろうか、開口一番にユーフェミアの口から告げられた言葉に、青鸞は眉をピクリと動かした。

 今、彼女とユーフェミアは十数人に武官・文官を互いに並べた長机に座って向かい合っている。

 ユーフェミアの両隣にはダールトンとギルフォードがいて、青鸞は一瞬だけギルフォードと視線を絡めた。

 そんな青鸞の両隣には朝比奈と原口がおり、彼らにはユーフェミアが笑顔を見せている。

 

 

「……以前と、何一つ変わっていませんでした」

 

 

 しかし普段は会議にでも使っているのだろうオフィスフロアには、所属の異なる者同士が向かい合った時特有の緊張感……が、薄かった。

 原因は、会談の参加者達が穏やかに過ぎたからだ。

 普通、体制側と反体制側が会談の場を持てば、牽制を兼ねて相手を批判するだろう。

 

 

 だが今は、それが無い。

 そしてその原因を、青鸞は正しく理解していた。

 まさに目の前に座るユーフェミア――純白のドレスに身を包んだ、優しい笑顔を浮かべた皇女――の両眼に宿る、真紅の輝きのせいである。

 すなわち、ギアスだ。

 

 

「相も変わらず、日本人はブリタニア人に虐げられているまま。その構造が変わらない限り、いかなる状況の変化も進歩とは認められません」

「ですが、今やこのトーキョー租界で……いいえ、その周辺のゲットーでさえも、不当に虐げられる日本人の方はおりません。皆、穏やかに共存の道を歩んでいます」

「それは仮初です。確かに租界の中を自由に歩けるようにはなっていましたが……そもそもそれは、当たり前の話です。マイナスの所から幾分かマシになっても、所詮はマイナス、プラスにはなりません」

「ですがキュウシュウでは犯罪率も上がり、食糧も不足していると聞きます。人々のためにも、ここはお互いの禍根を忘れ、手を携えるべきではありませんか?」

「……忘れる?」

 

 

 黒の騎士団側の要求は、非常に単純だった。

 日本の独立承認と前提としてのブリタニア軍の日本からの撤退、不当な手段で得た権益の返還と賠償請求、政治犯を含む拘束中の日本人の釈放、及びブリタニア政府による正式な謝罪。

 これらの条件を認めて初めて、日本はブリタニア帝国との間に「正常な関係」を招来せしむる。

 

 

 一方、ブリタニア政庁側の返答も、非常に簡潔だった。

 即時の独立は認められない、戦後8年でブリタニアの体制がエリア11に定着している現状、即時の独立を行っても反体制派が国家の体を保てるとは思えない、ブリタニア軍の撤退と権益の返還も同様。

 政治犯は法によって服役中であり、贖罪を終える前に釈放することは社会と本人のためにならない。

 一方的な謝罪・賠償も後に禍根を残し「平和的では無い」ため難しい、つまりゼロ回答だった。

 

 

「ブリタニアのしたことを、忘れる? それこそ妄言です、認められない。肉親を殺した強盗に仲良くしようと言われて、手を取る人間がいるとでも?」

「ですが強盗の肉親も殺されているのです。殺し、殺され、戦い、戦われ、そんなことをしても何も解決しません。だからこそ今、我々が過去を水に流し、手を取り合って平和を築くこと。これこそが、今まで亡くなられた方々の犠牲を無駄にしないために必要では無いでしょうか?」

「っ……それを、貴女は母親を殺された子供に言えるのか!」

「言えますよ。先日もテロリストにお父様を殺された子供に、恨まないよう「お願い」してきた所ですから」

 

 

 ユーフェミアの言動は、ブレない。

 むしろ青鸞の側が、今回は浮いていると言えた。

 1人だけ激しい言動を繰り返しているのだから無理も無い、本来は朝比奈や原口の援護を貰える所なのだろうが。

 

 

「青ちゃん、ひとまず落ち着こう」

「まずは、相手の言い分を聞いては遅くは無いでしょう……接点を見つける所から、進めるべきかと」

 

 

 政治家として妥協点を探る原口はともかく、軍人の朝比奈までが強硬路線から離れている。

 だが青鸞はそれを責めなかった、ユーフェミアのギアスに対抗できるのが自分だけだと知っているからだ。

 なら最初から1人で行けば良かったじゃないかと言う声もあるだろうが、そうもいかないのが政治と言うものだった。

 

 

 とは言え、状況が悪いのも事実。

 先程ユーフェミアも言っていたが、トーキョーだけに限れば確かに改善しているのだ。

 リヴァルが言っていたことを思い出す、イレヴン……日本人向けの社会保障が充実していると。

 ゲットー住民への食糧配給や医療支援はもちろん、租界内への日本人の出入りも自由。

 それでいて治安は回復しているのだから、ユーフェミアの名前はすでに奇跡の代名詞扱いだ。

 

 

(……ルルーシュくんと、ある意味で似てる)

 

 

 ルルーシュは己の目的を達するためにギアスを使っている、ユーフェミアもそうだ。

 自分の欲しい何かのためにギアスを使う、たとえ他人の心を踏み躙ってでも。

 ユーフェミアの場合は、それが本当に「いいこと」だと思っているのだろうが。

 

 

「……ユーフェミア皇女殿下、一つお願いしてもよろしいでしょうか」

「何でしょう、私に出来ることであれば良いのですけれど」

 

 

 コードを持つ自分には、ギアスは効かない。

 だから青鸞は、ユーフェミアを見つめて。

 

 

「少し、お時間を頂けますか? 2人きりで……お話したいのですが」

「なっ……貴様!」

「キューエル卿? 私の友人に無礼は許しませんよ?」

「し、しか……あ、はぁ、申し訳、ありません」

 

 

 一瞬だけ激昂の構えを見せた護衛の騎士が、しかしユーフェミアに視線を向けられるとすぐに落ち着いた。

 ……こうして見ると、ユーフェミアのギアスの強度が酷くまちまちに見える。

 まぁ、今はユーフェミアのギアスについて考察すべき時ではない。

 青鸞はキューエルと呼ばれた騎士と一瞬だけ視線を絡めると、すぐに外して……。

 

 

(……そういえば、どこかで聞いた声のような気も)

 

 

 ユーフェミアの穏やかな、赤く輝く瞳と視線を絡める。

 キューエルから視線を戻したユーフェミアは、そんな青鸞の視線に微笑を浮かべた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 将棋をしましょう、と、ユーフェミアは言った。

 以前のようにたどたどしくショーギと言うのでは無く、きちんとした日本語の発音で将棋と言った。

 会議室の隣にある小さな部屋で2人、テーブルに置かれた板状の将棋盤を挟んで向かい合う。

 

 

 初手はユーフェミア、発音ほど美しくない持ち方で駒を持ち、たどたどしく盤に置く。

 歩を動かした相手に対し青鸞も歩を動かす、こちらは持ち手も美しい。

 人差し指を曲げ中指で押さえてバチンと音を鳴らし、先の升目に置いた駒を目的の升目まで引く。

 並の打ち手であれば威圧されたようにも感じる打ち方だが、ユーフェミアは相も変わらず笑顔だった。

 

 

「お上手ですね。私も練習してるんですけど、なかなか上手くならなくて」

「まぁ、数をこなさないと上手くなれませんからね。こう言うものは」

「いつもの口調で大丈夫ですよ、お友達なんですから」

 

 

 それには答えず、ただ駒を動かす青鸞。

 ユーフェミアはあくまで笑顔だ、駒を取られても笑顔、無視をされても笑顔。

 非常に穏やかなその気性に、両眼の赤いギアスが奇妙なコントラストを生み出している。

 ギャップ、と言うのとはまた違う気もする。

 

 

「ルルーシュにチェスを教えて貰ったこともありましたけど、やっぱり将棋の方が好きです」

 

 

 取った駒を指先で弄びながら、ユーフェミアはそんなことを言った。

 チェスでは取られた駒は盤外に弾かれて「死ぬ」だけだが、将棋では新たな味方として使える。

 日本と西洋の、戦国時代の将の扱いの考え方の差とも言えるルールだ。

 青鸞はそんなユーフェミアを見つつ、再び強く駒を打った。

 7七飛、成り。

 

 

「でも、最後に勝つのは一方だけ」

 

 

 そして告げる、この世の真理を。

 勝つのは片方だけだ、引き分けなどめったにあるものでは無い。

 それに対して、ユーフェミアも頷く。

 

 

「でも、引き分けを選べるのも人です」

 

 

 それも真理、言葉の無い駒と違って人には言葉がある。

 互いの違いを乗り越えて対話し、手を取り合って歩むことが出来る。

 それが、人と言う存在。

 

 

「……私達は、本当は戦わなくても良かったはずの存在」

「でも、ブリタニアが戦いを仕掛けてきた」

「ええ、ブリタニアの正義のために」

「じゃあ、日本の正義は?」

「ええ、日本の正義も。でも正義をぶつけ合って、傷つけ合って、その先に幸福がありますか? いいえ、ありません。だって、それは結局繰り返しでしか無いのですから」

 

 

 次第にユーフェミアが動かす駒が王将だけになってきた、詰みが近い証拠だ。

 逃げる王将を、青鸞の銀や飛車が追い詰めていく。

 

 

「正義を叫び、平和を叫びながら、その手に銃を取る。それはとても哀しいことです。ブリタニア、日本、些細な違いが哀しみの連鎖を生んでいます。私はそれを、無くしたいと考えています」

「……日本人の、そしてブリタニア人の誇りを無視して?」

「誇りも大切です、それは尊重されるべき物です。でも、そのためにお互いが傷つけ合うなんて、間違っています」

 

 

 ――――もし、仮に。

 仮に青鸞がユーフェミアと「相容れない」と感じる箇所があるとすれば、ここだったろう。

 何故ならば今、ユーフェミアは「日本人」としての彼女と「ブリタニア人」としての彼女、両方の青鸞(セイラン)を否定したからだ。

 

 

(……もしか、したなら)

 

 

 もしかしたなら、ユーフェミアは究極の反差別主義者なのかもしれない。

 何故なら彼女は日本人とブリタニア人を分け隔てない、悪意ある言い方をすればこうだ、「民族とか国とかどうでも良いじゃないですか、同じ人なんですから」。

 だけど多くの者にとっては、それが大事なのだ。

 民族主義では無い、ただこだわりとして持っている何かなのだ。

 

 

 ――――バチンッ!

 

 

 ……最後の一手を今まで一番強く、感情を込めて打ち込んだ。

 そしてその結果を、ユーフェミアは穏やかに受け止める。

 終局82手、スピード決着、後手……青鸞の勝ちだ。

 青鸞は最後に打ち込んだ駒から指先を離すと、音を立てて椅子から立ち上がった。

 そんな青鸞を、ユーフェミアが穏やかに見上げる。

 

 

「……今、わかったよ。ユーフェミア・リ・ブリタニア」

「何がでしょう?」

 

 

 答えず、背を向けて、青鸞は部屋の扉に向けて歩き出した。

 ユーフェミアを見つめないその瞳の奥には、苛烈な色が浮かびかけている。

 それはかつて、ナリタやカゴシマ、セキガハラの戦いで見せた輝きに似ていた。

 ブリタニア皇帝の下にいた半年間が最近の青鸞を苦しめていた、だが今、彼女は決意することが出来た。

 

 

 ユーフェミアとの再度の思想戦が、彼女の迷いを吹っ切らせたのだ。

 何故なら彼女は、あらゆる意味で青鸞(セイラン)の「敵」だったから。

 敵を目の当たりにした時、ようやく、本当の意味で青鸞は「自分」へと返ることが出来た。

 だから、彼女は。

 

 

「貴女は――――ボクの、ボク達の敵だ」

「いいえ、青鸞。私達はお友達です、そうでしょう?」

 

 

 敵、お友達。

 お互いをそう呼び合って、しかしそう呼び合うからこそ、少女達は決裂した。

 数多あるものの中で、それは珍しくも無い例なのかもしれないが。

 これもまた、一つの結果だ。

 

 

 かくして史上最年少の和平会談は、決裂と言う形で歴史に刻まれることになった。

 これが後の歴史のどのような色を加えるのか、それはまだわからない。

 ただ一つわかっていることは、一つだけ。

 ――――今日、歴史が動いた……それだけである。




 最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
 く、苦しかった……でも、今話で帰還編は終わりです。
 次回からは「饗団編」に入り、また世界が動き出します。
 まぁ、次は少し足踏み話になるかもしれませんが。
 これからも頑張りますので、応援よろしくお願いします。
 では、次回予告です。


『皆の所に帰ってきて、まだ時間は経ってないけれど。

 でも、やっぱり皆は皆でいろいろある。

 当たり前だよね、人なんだもの。

 人……ボクは今でも。

 自分を、ヒトと呼べるんだろうか?』


 ――――TURN9:「雌伏 再び」

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