――――しわがれた笑い声が、その空間に広がっていた。
年齢を重ねた老人特有の笑い声だ、しかも囲炉裏の火以外に明かりの無い薄暗い部屋の中とあっては、どこか妖怪じみて聞こえる。
それを受けているのが幼さを残した少女とあれば、なおさらである。
「カカ、カカカ……そうか、アレはまだ使えるか」
「はい、桐原公」
鶯色の着物に身を包んだ老人の背中に、平安風の衣装を纏った少女が頷きを返す。
相も変わらず御簾の向こうに座す神楽耶は、感情を窺わせない無表情を保っていた。
「ユーフェミアとの会談が決め手だったそうですわ、相も変わらず上からの理想論を振りかざされたのが気に入らなかったようで」
「ふふ、上からの理想論か……アレの兄のことでも思い出したか」
「かも、しれません」
鶯色の着物の老人、未だキョウトの重鎮として権力を握る男は、そこで初めて振り向いた。
顔だけを後ろに向けて、御簾の向こう側の少女の表情を見ようとしているかのようだった。
だが、神楽耶の表情に変化は無い。
それに対して、男……桐原は、再びカラカラと笑い声を上げた。
再び赤々と火を上げる囲炉裏へと視線を落とし、皺だらけの唇を愉快そうに歪める。
手にした火箸で炭をつつきながら、息を吐くように。
「嫉妬か、神楽耶よ?」
「さぁ、どうでしょうか」
淑やかに袖で口元を隠しながら、神楽耶は桐原に言葉を返す。
その胸中で何を考えているのか、顔に貼り付けたキョウトの女としての仮面のせいでわからなかった。
人は、
◆ ◆ ◆
するり、と、白い肌の上を襦袢が滑り落ちる感触の後、外気の冷たい空気が直接肌を冷やして、青鸞はぶるりと身体を震わせた。
外ならばまだ温かい季節だが、その部屋は一定以下の温度に保たれているのだ。
精密機械に囲まれたその部屋の気温は外より低く、寒い。
肌寒さを感じながらも、下着姿に――上は最初からつけていない――なった所で、青鸞は振り向いた。
どこか困ったように眉根を寄せて、しかし脱いだ襦袢を胸に当てて身体を隠す姿は、とても扇情的だった。
ただ、声音はどこか情けなかったが。
「身体検査って、本当に必要なの?」
「当たり前だろう? 半年もすれば身長も体重も、身体の中身だって変わっちまうんだ。ナイトメアの微調整だけじゃなく、パイロットスーツ1つとっても、そう言うパーソナルデータは必要なんだよ」
「はぁ……」
青鸞は関心なさそうな顔で頷いているが、ナイトメアが人間が動かすものである以上、それは必要なのだった。
これはあのルルーシュや藤堂、カレンですら行っていることだ。
ラクシャータは椅子に座り、キセルを咥えながらそれを指摘する。
それについてはまぁ、青鸞も理解はしているのだが……。
「……でも、別に服を脱ぐ必要は無くない?」
「どうせパイロットスーツも新調するんだ、検査と一緒に採寸した方が効率的じゃないか」
「それはそうかもしれないけど……」
「ああ、はいはい。良いから、とりあえずそのキモノはそこに置いといて、こっちに来な」
「はぁーい……」
微妙に納得していない顔で返事をして、青鸞はやや恥ずかしそうに頬を赤くしながら襦袢を側の長机に置いた。
ふぁさ……と柔らかに丁寧に置いて、もう一度振り向く。
そして手招きをするラクシャータの方へと歩を進めようとした所で、事件は起きた。
ラクシャータは割と適当な性格をしている、効率的だからと言う理由で青鸞を剥いているのが良い証拠だ。
もちろんそれなりに淑女の観念も理解しているので、他に人がいる場でそれを迫る程では無い。
今は2人きりで、かつ他に人が来る予定も無いからそうしていただけである。
が、である……ここに唯一、事前の許可なしで入れる人間がいることを失念していた。
『ラクシャータ、少し良いか。青鸞嬢に重要な話……が』
黒い仮面と黒い衣装、もはや説明するまでも無い人物である。
つまり、ルルーシュ=ゼロ――今さら言うまでも無く、所謂、異性である。
確認するが、青鸞は今、身体を隠す唯一の物を置いた所である。
そして青鸞はゼロの正体を知っている、よって衝撃は二倍となる。
知らない異性に見られるよりは、と言うのは、この際は何の役にも立たない。
最初は理解が追いついていなかったようだが、仮面の向こうの視線が――あくまで青鸞の想像だが――鎖骨のあたりから胸元、おへそを通り、さらに腰から太腿のラインを通ったあたりで、目尻に微かな雫を浮かべた。
ラクシャータが「あー……」と頭を掻き、ルルーシュ=ゼロが「ま、待て、違……」と声をかけようと手を伸ばしかけた中、青鸞はその場に物凄い勢いでしゃがみこんだ。
そして。
「……っ、ひ、きゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっっ!!??」
次の瞬間、比喩で無く時間が「停止」した。
さらに机の上に置いた襦袢が肩からかけられて、反射的にそれを両手で掴む青鸞。
顔を紅潮させたまま、目尻に涙を浮かべて顔を上げれば……。
「大丈夫!? 姉さん!?」
「ろ、ロロ……?」
「うん、僕だよ!」
いったいどこから現れたのだろうか、右眼にギアスの輝きを宿した少年がそこにいた。
見ればルルーシュ=ゼロとラクシャータの動きも止まっている、どうやらロロが己のギアスで時間を止めたらしい。
本当に、どこにいたのだろう。
「……って、ロロ! ダメ! べ、別にそこまでショックだったわけじゃないから!」
「でも、姉さん」
「でもじゃなくて……ふ、あっ!?」
「……っ、姉さん!?」
不穏な表情で懐からナイフを取り出したロロを止める青鸞、ロロの視線がルルーシュ=ゼロに固定化されていたので、ヤバいと思って止めたのだ。
ただ急に立ち上がった際、襦袢の裾に足を取られて転んでしまった。
ロロの背中に圧し掛かるような形で、その場に倒れこむ。
その拍子に、ロロのギアスも解除されてしまった。
『せ、青鸞嬢、これは……っと、何!?』
「アンタ、いつの間に入って来たんだい?」
驚くルルーシュ=ゼロとのんびり首を傾げるラクシャータの前では、小柄の少年の背中に圧し掛かる半裸の少女、と言う図が完成していた。
何故か、非常に背徳的な構図だった。
ルルーシュ=ゼロはそれに仮面の下で目を細めるが、しかし襦袢の間から覗く少女の柔肌を目にすると、慌てて顔を背けて……。
「何事だ、ゼロ! ……ぬ」
「今、青ちゃんの悲鳴が……! って、あ」
直後、ルルーシュ=ゼロと一緒に来ていたらしい藤堂と朝比奈が室内に駆け込んできた。
彼らもまた、襦袢の間から覗く少女の秘めやかな身体を目にして、かつて寝起きの彼女を見た時のように気まずそうに顔を背けた。
何とも言えない表情で顔を背ける彼らに対して、青鸞はプルプルと震えながら。
「もっ……何なんだよぉ――――っ!!」
自らの両腕で身体を掻き抱きつつ、弟の上で、やるせない叫びを上げたのだった。
◆ ◆ ◆
「また貴様か、小娘ええええええええええええええええっ!!」
「ボクは今回被害者なのに!?」
――――と、騒ぎを聞きつけた草壁の説教を受けたのが、30分前のこと。
今はきっちり着物を着こんでいるが、何となく頬を赤くして胸元を気にしている様子だった。
ちなみにルルーシュ=ゼロ、藤堂、朝比奈の3者は部屋の隅にいた。
何となく気まずそうな様子なのだが、そんな風にされると逆に青鸞も困ってしまう。
なお3人が青鸞に声をかけないのは気まずいと言う気持ち以上に、傍に立っている千葉と茅野の目が冷たいことに原因があると思われる。
ラクシャータは散々爆笑した後、古川と雪原に引き摺られる形でどこかへ消えた、身体検査はどうしたと言いたい。
ロロは……人が増えたことに警戒して青鸞の背中に隠れている、これはこれで何故だと言いたい。
「あー……何だったんだろう、このくだり」
『む、青鸞嬢……』
「青鸞さま、少し良いですか」
片手を寂しげに上げるルルーシュ=ゼロには、かつて無い程にカリスマのカの字も存在しなかった。
代わりに茅野が一本に束ねた黒髪を揺らしながら進み出て、青鸞の耳元で何かを囁いた。
すると青鸞は表情を一気に明るくした、けして草壁がいないからでは無い。
そのまま茅野に伴われる形で部屋を出る、そして向かうのはカゴシマ基地の外だ。
旧カゴシマ租界の港側、ゲットーから日本人が移されている区画だ。
ブリタニア人の財産を奪うようなことはしないが、オープン前の集合住宅地を接収して部屋を割り振っているのである。
それでも全く居住スペースが足りず、何組かを一つの部屋に押し込んでいる状況なのだが……。
「お……おぉ……っ」
はいはい、それは赤ん坊の移動手段である。
特に1歳くらいになると移動範囲も広がり、リビングから玄関に行くくらいはわけが無くなる。
つまる所、ナリタで生まれたあの赤ん坊が青鸞の所まではいはいでやってきただけである。
「お……お~、さくらぁ、凄い! 凄い凄い凄い凄い!」
「うふふ、桜の凄さはここからですよ、青鸞さま」
「え、え? どゆこと? じゃない、どういうこと?」
「ふふ、抱っこしてみてください」
廊下にまで溢れている日本人達が「何で、青鸞さまがここにいるんだろう」と言うような反応をしている中、青鸞は足元までやってきた桜の脇に手を入れて――思ったより、ずっと重くなっていた――抱っこする。
そんな青鸞に微笑みかけるのは、かつては伊豆諸島まで行動を共にしていた女性、愛沢である。
茅野を通じて青鸞に桜の様子を伝えてくれていたのだが、今日は特別だった、何しろ……。
「あー、おー」
「?」
「あおー、あーおー、ぅあー、おー」
「……あお?」
抱っこして首を傾げると、桜がにこにことした笑顔で青鸞の頬をペチペチと叩いている。
何やら同じことを言っているのだが、未発達故に何を言っているのかピンと来なかった。
愛沢がクスクスと笑いながら、教えてくれる。
「青鸞さまのこと、呼んでますよ」
「ふぇ?」
「あーおー、あぅおー……あお!」
あ、そして、お。
慌てて視線を下げれば、自分の頬をぺちぺちする笑顔の赤ん坊。
意味を理解すると、青鸞は随分としっかりしてきた桜の身体をぎゅっと抱いた。
10キロ近いその身体は抱っこするのも大変だが、今のテンションではそれを感じることは無かった。
だが青鸞が興奮と歓喜の叫びを上げる前に、別の叫び声が外から聞こえてきた。
「何だとてめぇっ! もういっぺん言ってみろぉっ!!」
「あ、ぅ……うぇえええええええええええっ!」
問題は、外から響いた声に驚いた桜が泣き出してしまったことだ。
それまで緩んでいた青鸞の目が剣呑な雰囲気になってしまったのは、まぁ、それ故に無理は無いだろう。
それにしても、何事が生じていたのであろうか。
◆ ◆ ◆
カレンがそこを通りがかったのは、偶然のようでいて必然であったのかもしれない。
何故なら彼女はルルーシュ=ゼロの頼みで青鸞を呼び戻しに来たのであって、まるっきり偶然でそこに居合わせていたわけでは無いからである。
まぁ、それは良い、問題なのは……。
「ちょっと玉城、何やってんのよ!?」
「うるせぇ、お前はすっこんでろ!!」
「んなっ……アンタねぇ!」
カレンがむっ、とした表情を浮かべるのも無理は無い。
彼女は日本人でごった返しているカゴシマ租界の集合住宅地いる、つまり周囲には多くの日本人がいて、彼女達の行動を見ているのである。
少なくとも、玉城が取り巻きと一緒になって旧日本解放戦線組のメンバーの胸倉に掴みかかっていて良い場所ではない。
つまる所、それは喧嘩なのだった。
面倒なことを眉を顰めて、カレンは掴みかかられている方へと視線を向けた。
そこにいるのは、護衛小隊のメンバーでもある大和だった。
セキガハラでは玉城と同じ戦線にいたはずだが、どうも戦友として認め合っているわけでは無さそうだった。
「榛名……少尉? これはいったいどう言う……?」
「……別に。コイツが興奮してるだけだ」
「てめぇが言ったんだろ、俺達のことを腰抜けだってよ!」
静かに答える大和と、興奮して顔を真っ赤にしている玉城のギャップが凄まじい。
カレンが内心で首を傾げていると、玉城の方が答えを教えてくれた。
「この野郎、俺達のことを臆病者呼ばわりしやがったんだ!」
「……拡大解釈するな、お前だけだ」
「な、なんだとおぉっ!?」
それでカレンにはわかった、思わず顔を顰めてしまう。
先に述べた通り、玉城と大和はセキガハラ決戦において同じ戦線で戦っていた。
普通ならそれで戦友意識が芽生えても良いはずだが、実際は真逆のことになっていた。
セキガハラ決戦で、黒の騎士団の部隊が総崩れになったからだ。
ゼロとの通信が途絶し、奇跡を起こす存在を失った黒の騎士団は浮き足立ち、壊乱状態に陥った。
特に玉城の部隊は予定まで戦線を支えきれず、それどころか途中で放棄して後退した。
それを代わりに支えたのが旧日本解放戦線であり、大和達だったのである。
大和達からすれば、ゼロが不在と言うだけで逃げ出した腰抜けと移っても仕方が無い。
……その行動で、彼らの仲間が戦死したのだから。
(……止めないと!)
しかしだからと言って、こんな公衆の面前で喧嘩をさせて良いわけでは無い。
実際、周囲で様子を窺っている人々の顔には不安と不信の色が見える、これは不味い。
黒の騎士団への人々の支持が揺らぐことがあっては、甚だ不味いのである。
いくら黒の騎士団と旧日本解放戦線の間の溝が深くなっていたとしても、少なくとも今は一緒にやっている仲間なのだ。
だからカレンは、2人の男の間に割って入ろうと歩を進めて。
「ちょっと、玉城、榛名少尉……!」
「……いったい、何の騒ぎですか」
その時、カレンとは反対側の道から静かな、しかし有無を言わさぬ力強い声が聞こえた。
カレンや玉城、大和だけでは無く、周囲の日本人もそちらを見る。
「あれは……」
「青鸞さまだ」
「そうだ、青鸞さまだ」
「青鸞さま……!」
周囲から聞こえるのは、未だに期待と希望のこもった声で囁かれる存在。
実と虚が混ざり合った有名の下に語られるその名前は、日本の抵抗の象徴の名前だ。
肩下まで伸びてきた黒髪と、濃紺の着物に身を包んだ1人の少女。
枢木青鸞が、不機嫌そうな色を瞳に湛えてそこにいた。
◆ ◆ ◆
「……どうしたんです、急に2人で話したいだなんて」
カゴシマ基地の情報部、外界から完全に隔離された防音室。
そこは現在、2人の男性によって使用されていた。
細長い部屋の両側に長椅子を設置しただけの狭い部屋で、向かい合って座れば膝が触れ合ってしまう程だ。
1人は扇、相も変わらず古ぼけたジャケットを愛用しているが、れっきとした黒の騎士団のナンバー2である。
そしてもう1人は、これまた黒の騎士団の幹部であるディートハルトだった。
この2人の組み合わせは正直珍しい、普段なら会議の場でくらいしか会わない。
「いえ。騎士団の今後について、副司令の意見も伺っておきたいと思いましてね」
「俺の意見……?」
ディートハルトが笑みと共に発した言葉に、扇は首を傾げた。
正直な所、黒の騎士団における扇の発言力はそれほど高くない。
それは黒の騎士団がゼロを頂点としたトップダウン型の組織だだからで、扇は良く言って組織内のクッション役でしか無いのだ。
「副司令、貴方は以前からブリタニアとの対話を唱えていましたね」
そしてその言葉が、扇に警戒心を抱かせた。
ディートハルトは組織内の内偵も担当している、裏切り者がいればこれを捕縛し、スパイがいればやはりこれを捕縛する。
いわゆる、粛清だ。
そんな相手に自分の思想のことを問われれば、それは身構えもするだろう。
しかし当のディートハルトはと言えば、そんな扇の様子を見て笑みを浮かべた。
笑みを見ても安堵できない人種と言うのは、意外といるものだ。
「いえいえ、副司令のそうした考え自体をとやかく言うつもりはありません。ただの世間話ですよ、そんな考え方をお持ちの副司令であれば、ユーフェミアとの会談の失敗は残念だったのだは無いか、とね」
「それは、まぁ……」
実際、ユーフェミアと青鸞の交渉は決裂に終わった。
最初から最後まで噛み合わなかったと言うが、穏健派に偏りつつある扇からすれば、確かに残念だ。
まぁ、彼の場合は個人的な事情も影響してはいるのだが……。
「それで、そんな世間話のために俺を?」
「まさか、そこまで暇ではないでしょう……お互いにね」
いちいち癪に障る言い方をする男だ、扇は改めてそう思った。
だがその後に続いた言葉に、扇は眉を顰めることになる。
「扇さんは、最近の青鸞さまについてどう思われます?」
「青鸞さま……? それは、まぁ、無事に戻って来られて良かったと」
正直、予想していなかった方向からの話に面食らってしまう。
「それが、何か?」
「いえ、どうも以前に比べて青鸞さまの言動に差異が見られるようでして。ほら、ヴィヴィアンを襲撃したと言うあのブリタニア人の子供、ロロとか言いましたか……どういうわけか、青鸞さまの傍にいるではありませんか」
「それは……確かに、不思議ですが」
ロロ・ブルーバードとか言ったか、扇も良くは知らない。
ブリタニア人がいること自体は、まぁそもそもディートハルトもそうなので今さらだが、あんな子供が
青鸞の護衛と言う名目で出入りしている理由はわからない。
青鸞がブリタニアから連れてきた形らしいが、ヴィヴィアンを襲撃したとも聞く。
不幸な行き違いと言う奴なのかもしれないが、それでも良くわからなかった。
「先日の会談も青鸞さまが決裂を主導したと聞きますし、それに青鸞さまが戻ってから騎士団内で不協和音がより目立つようになっています」
「それは……いや、ディートハルト、まさか」
ディートハルトの瞳に不穏な色を見取って、扇は緊張で顎先を上げた。
対してディートハルトは表情を変えない、相も変わらず薄い笑みを顔に貼り付けている。
「どうしたんです、扇さん? お話はこれからですよ」
扇には何故か、それが酷く恐ろしいもののように感じられたのだった。
影とも違う、闇とも違う。
もっとおぞましく、気色の悪い、何かだった。
◆ ◆ ◆
当然のことではあるが、ルルーシュ=ゼロは別に青鸞の裸を見るためにラクシャータの部屋を訪れたわけでは無い。
青鸞に伝えたいことがあったから来たわけで、タイミングが最悪だっただけである。
……まぁ、青鸞にしてみれば「それが何かの慰めになるのか」としか言えないが。
「はぁ、まぁなぁ。ナリタの温泉で男側に来ようとした青鸞さまがねぇ、随分とご成長あそばされたもんでねーの?」
『隊長、不敬ですよ』
「いや、あの状態の青鸞さまに威厳なんて欠片も無ぇだろうよ」
通信機から聞こえる上原の声に対して、護衛小隊の隊長である山本はどこ吹く風だった。
彼らの目の前にはブリタニアから鹵獲した航空戦艦「ヴィヴィアン」があり、カゴシマ港に急遽用意されたドックに無理から停泊させられている。
それに伴い彼らの周囲では、ヴィヴィアンの調査・補修・ナイトメアを含む積荷の積み込み作業を行っている騎士団の関係者や公共事業として雇われた日本人労働者の姿がある。
本来ならもう少し緊張していても良さそうな物だが、山本は自分のナイトメアのコックピットの中で寝そべりつつ、やはり何の緊張も感じていない様子だった。
そんな彼が見つめる側面モニターの片隅には、何でもゼロに裸を見られて悲鳴を上げたと噂の――噂の元? さて心当たりは無いと言っておこう――青鸞の姿が見えている。
「つーか、今日は大和の野郎も一緒か」
青鸞と2人、大和が何故かドックの床と言うか地面に正座していた。
彼女らの前には例によって草壁がいて、何やらクドクドと説教されているらし。
旧日本解放戦線では、もはや見慣れた光景だった。
もちろん組織の外でそんなことはしないだろうが、やはり青鸞に言わせれば「それが何かの慰めに以下略」でああろう。
「珍しいこともあるもんだなぁ、オイ」
『珍しいことついでに、隊長ももう少しだけ真面目に……』
「まぁまぁ、あんま拗ねるとせっかくの綺麗な顔が台無しだぜ?」
『なっ!?』
そして上原が顔を赤くして山本を怒鳴っていたちょうどその頃、青鸞も草壁のお説教と言う名のコミュニケーションから解放された所だった。
今日も今日とて「部下の管理が……云々」だり「無用な騒ぎを……云々」だり「そもそも貴様には自覚が……云々」だりと、それはそれは有難いお言葉を頂戴した青鸞だった。
しかし今日に限っては、青鸞にも「ちょっと待て」と言いたい部分があった。
「大和さん……ちょっと、本当に……本当に、もう、ちょっと……」
「……申し訳ない、です」
黒の騎士団サイドと諍いを起こすと言うのは、組織的にあまりによろしく無い行動だ。
しかし大和達が黒の騎士団サイドに対し隔意を持つのは仕方が無い、が、黒の騎士団サイド――特に玉城あたり――が旧日本解放戦線サイドを未だに見下している様子なのが問題だった。
以前から両者の仲は微妙だったのだが、セキガハラ決戦以降はそれに拍車がかかっていた。
草壁あたりは本当に組織を飛び出して行きかねないので、相当切実な問題である。
今、反体制派で分裂するのは自殺行為でしか無い、何としても避ける必要がある。
とは言え末端の兵にまでそれを理解しろと言うのは酷であって、その意味では青鸞にも他の誰かを責めることは出来なかった。
2人揃って叱られるというのも、親近感が湧いて……いや、それはどうなのだろう。
「ははは……まぁ、あまり気にしないでください。草壁君も、そのあたりのことはわかっているはずなので」
その時、不意に青鸞達に声をかける存在があった。
その場に立ち上がって振り向けば、そこにいたのは旧日本解放戦線の軍人だ。
島にいた頃の名残か、黒く焼けた肌と軍服を押し上げる筋肉が特徴の男だった。
旧日本解放戦線の後方司令官、三木。
そして三木の後ろで軽く頭を下げているのが、三木の部下である前園である。
三木を前にすると、青鸞はやや眦を下げた。
何故なら真備島から彼を連れ出して以降、青鸞の行動と結果は彼の期待に添えていないもののはずだったからだ。
信じてついて来てくれたのに、ブリタニアに拉致されて洗脳までされて……と、良い所が無い、引け目の一つも感じると言う物だ。
偉そうなことを言っていた分、余計に。
「ふふ……草壁君の話が長かったので時間も押しているようですな。青鸞お嬢様、艦の中を改めてご案内致しましょう。こちらで8割は掌握済みですので」
だが、三木はそのことについては何も言わない。
青鸞も何も言えない、それは草壁や藤堂とは別種の「大人」を見ているからかもしれない。
何故なら理由はどうあれ、三木が自分で決めたことだからだ。
決めたなら、それで十分。
そして三木もまた、決めたのだ。
もう一度だけ、夢を見ようと。
かつて枢木ゲンブに見ていた夢を、もう一度だけ、青鸞に見ようと。
今度はただ待つだけでなく、自ら動くことで。
◆ ◆ ◆
三木の言ったように、黒の騎士団がブリタニアから強奪した航空戦艦『ヴィヴィアン』は、艦橋や射撃所、デッキ、機関室、兵舎や格納庫に至るまで、ほとんど全てを騎士団の調査・解析班によって掌握されていた。
しかし、絶対に掌握できない場所があることを青鸞は知っている。
「ナナリーちゃん、やっほー」
「あ、青鸞さん」
艦内にある、ナナリーの部屋だ。
ここだけは誰も来ることが出来ない、カメラも無いので覗かれることも無い。
まぁ、あのルルーシュがナナリーの部屋にカメラの設置などするはずも無いが。
そこは、どうやら父親とは一戦を画したらしい。
とは言え、ナナリーの状況はおよそ健康的とは言えない。
部屋から外には出れず、また会いに来る人間はルルーシュ本人、青鸞、カレン、そして稀にC.C.くらいのもので、例外としてノエル・咲世子のメイド衆がいるだけだ。
正直、青鸞がナナリーの立場なら気が滅入る所では無い、心の病になってもおかしくは無いだろう。
「……私がここにいることで、お兄様のためになるのなら」
ノエルの淹れてくれた紅茶を傍らに、青鸞の持ち込んだ将棋をしながらのナナリーの言葉がそれだ。
意見とも言えない意見だ、兄に対して完全依存の究極従属宣言である。
まぁ、他にどうしようも無いと言うのもあるのだろうが……つまり、何かを諦めている状態だ。
ちなみに、ナナリーの分の将棋の駒は青鸞が動かしている。
ナナリーは盤を見ずに打てるタイプだ、天才スキルを平然と使うあたりは流石と言おうか。
(……やっぱり、不味いよね)
何より、世界で一番大切――比喩では無く――な妹に対して、碌な説明をしていないのは頂けない。
ルルーシュが言うには、近くカゴシマ租界にナナリーのための生活圏を用意するとか何とか。
だが、やはり何も言わずに結果だけ与えているのはダウトだ。
そもそもそれは、ルルーシュの方針に反することではなかったのか?
ここ数日、ルルーシュのナナリーへの対応について不満を溜めている青鸞だった。
とは言え同じ穴の
ルルーシュには重ね重ねの恩もある、さてどうしたものかと……。
「あ、青鸞さん。そこは1一角成でお願いします」
「あ、うん」
なお、ナナリーの将棋の打ち方は意外と攻め気質。
可愛らしい見た目に騙されて手を抜くと酷い目に合う、今も容赦なく青鸞の陣地に攻め込んできているのだ。
ニコニコ笑顔で急所を刺して来るタイプの打ち手だ、実は青鸞と同じくらい強かったりする。
……だからと言うわけでは無いが、実は幼い頃はナナリーのことが少し苦手だった。
兄にたくさん構ってもらえると言う環境もさることながら、車椅子の上で生活している割に行動的な所があって、子供の視点で見るとなかなかに不気味な存在だったのだ。
だが逆に言えば、子供だからこそ人種や身体のこととは気にせずに友達になれた。
今も、そうだと信じている。
「……羨ましいです」
「え?」
「青鸞さんは、お兄様のお手伝いが出来て……」
「いや、お手伝い……なのかなぁ、どうなんだろ」
寂しげに笑うナナリーを見て、微妙な表情を浮かべる。
正直、自分とルルーシュの関係を一言で言い表すことが出来なかった。
そして今、ナナリーとの関係が昔ほど真っ直ぐなものなのかわからない。
だが先にも言ったように、青鸞の口から何かを言うべきなのかどうなのか。
まぁ、それにルルーシュとナナリーのことが無かったとしても。
そもそも、青鸞にも余裕があるわけでは無いのだから。
◆ ◆ ◆
――――不思議な赤い輝きが、部屋と視界を満たしていた。
それは穏やかに広がっているようで、しかし同時に毒々しく禍々しい気配を放っていた。
見ていると、何かに酔ってしまいそうになるくらいには。
「……お前の記憶障害は、お前の持つコードの発現率の低さが原因だ」
部屋を満たしている赤い輝きは、2人の少女の身体から放たれている物だった。
1人は額から、彼女は長い緑の髪を揺らしていたそれが徐々に輝きを消していくのに合わせて、静かな口調で言葉を紡ぐ。
告げられるのもまた少女、はだけた着物の左胸から赤い輝きを放っていた彼女は、相手の呼応するように反応していたそれに、小さく吐息を漏らした。
それから、目前の少女――C.C.を見つめる。
ここの所の青鸞の一日は、こうしてC.C.からコードに関する講義を受けて終わる。
任意でコードの能力を発動するにはどうすれば良いのか、ギアスを与えるとはどう言うことか、そもそもコードの特性とは何か、etc。
青鸞は知らないことだが、C.C.が他者に積極的に知識を与えるのは珍しいことだ。
「お前の持つコードの力が強くなれば、自然、記憶の混乱は収まってくるだろう。それはブリタニア皇帝のギアスによる結果だからな、まぁコードの発現とギアスの力が同時に発生することは無いから……その意味では、前例が無いから時期についてはわからんな」
「そっか……」
青鸞自身にしても、どうしてC.C.が自分を気にかけてくれるのかはわからない。
ただ自分の身体に発現した以上、受け入れていくしかない。
だからコードのことについて教えてくれる分には、有難い。
有難いが、理由はわからなかった。
「良いか、コードの完全な発現……いや、『継承』のためには、管理者のことを認識する必要がある。これにはまず、コードの…………何だ?」
「あ、ううん。ただ、随分と熱心に教えてくれるなと思って」
青鸞がそう言うと、C.C.はむっとした顔をして。
「必要ないなら即座に辞めるが」
「あ、いや! 凄く助かってるんだけど!」
「ならばピザを寄越せ、話はそれからだ」
「いや、こんな遅くにピザはやめた方が……」
「大丈夫だ、私達はいくらカロリーを摂取しようが体型は変わらん。……まぁ、成長もしないが」
人の胸を見て何と言うことを、C.C.の哀れむような視線に今度は青鸞がむっとした表情を浮かべる。
それを見て何を思ったのかは知らないが、C.C.が微かな笑みを見せた。
しかしそれも一瞬のことで、すぐにいつもの仏頂面に戻る。
結局、どうしてコードについて教えてくれるのかはわからずじまいだ。
「それより、またどこかに行くらしいなアイツは。お前も一緒に行くのか?」
「あ、うん……今度は、また別の国に」
そしていつの間にか、話題は別の物になっている。
キュウシュウに集った反体制派だが、閉じこもっていても事態は打開できない。
ならばと言うことで、今――ユーフェミアによってブリタニア軍の行動が鈍っていると言う意味で――こそ、対ブリタニアの行動を取る。
実は気になる情報もあり、海外情勢も無視できない事態になっているのだが……。
そうしていると、不意に部屋の扉が開いた。
この時、青鸞は未だ着物をはだけた状態である。
二の腕のあたりまで下げられた着物は、鎖骨から胸元の白い肌を外気に晒している。
幸い、着直そうとやや上げた所だが……はたして、どれ程の慰めになるものか。
『C.C.、お前、青鸞と何を……ぐ」
「あ」
仮面を外しながら登場したのは、ルルーシュである。
しかし顔を上げた彼は顔を顰めた、気まずさを通り越して何か別の感情に目覚めそうな顔をしていた。
まぁ、それは青鸞も同じだったが。
「実は狙ってるんじゃないのか、童貞坊や?」
「……うるさい」
苦虫を噛み潰したような表情で唸るルルーシュに、C.C.は悪戯っぽく笑っていた。
ギアスとコード、あるいは絆。
少年と少女達を繋ぐのは、目に見えない何かだ。
しかしこの繋がりは、いつか世界を変える……かもしれない、何かだった。
ただ、今確実に言えることは。
本日二度目の事態に憤慨した1人の少女が、半泣きで少年に手近な物を投げつけたことだろうか。
なお少年がそれで気絶し、少女自身の膝の上で介抱されたことは言うまでも無い。
◆ ◆ ◆
「――――……妹姫さまが、彼女と接触したらしいよ」
どこか愉快そうな少年の声が、空間全体に広がるように響き渡った。
空間に反響しているのは、小さな少年の声だ。
長い金の髪を指で絡めては離して弄び、まるで暇を潰しているかのようにも見えた。
「まぁ、僕としてはユーフェミアの方はタッチするつもりは無いんだけどね。彼女がこっちに来るって言うなら、シャルルのためにも僕が手を打つべきだよね」
つい……と視線を動かせば、彼が座る玉座のような椅子から数段下の所に妙齢の女性が立っていた。
濃い紫を基調にした軍服調の衣服を身に纏っているが、豊満な胸元や肉付きの良い太腿などは隠しようも無い。
まぁ、本人はそんな部分に興味も無いのだろうが。
より注目すべきなのは、手足を拘束する電子枷の存在だろうか。
あるいは玉座に――謁見の間と言うよりは、宗教的な聖室のような印象を受けるが――座る少年を睨む、鋭い眼光だろうか。
いずれにしても、両者の関係が穏やかな物ではないことは確かだった。
「……キミもそう思わないかい?」
そして。
「ねぇ――――コーネリア」
左眼に宿る、赤い輝き。
それはまるで、コーネリアと呼ばれた女性の胸中を象徴しているかのような、苛烈な輝きを放っていた。
しかし少年は、その毒々しい輝きに深い……深い笑みを浮かべたのだった。
酷く無邪気で――――それでいて、邪悪な笑みを。
最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
とりあえず今回はお休み回で、次回からが「饗団編」です。
うん、すでに何があるかバレそうな感じです。
それでは、次回予告です。
『海を渡った先には、大陸がある。
何百年、ううん、何千年も前から交流がある土地が。
戦争と貧困、文化と繁栄。
その全てのルーツを、共有している場所が。
その場所の名前は、中華連邦――――』
――――TURN10:「巨象 の 庭で」