「それでは両チーム、紳士的なゲームを心がけるように」
「「よろしくお願いします!」」
インド側との交渉から1週間後、約束のクリケットの試合が始まった。
国際大会も開かれるコルカタのグラウンド、緑の芝生の上で黒の制服と緑とオレンジの制服を着た集団が向かい合って礼をしている。
言うまでも無く日本とインドのチームだ、インド側はナヤルが率いている。
クリケットの試合は、1チーム11人で行われる。
グラウンド中央に設置された半径70メートル程のフィールド「オーヴァル」の中で行われるスポーツで、中央に22ヤード(約20メートル)の長方形のピッチがある。
最大5日間かかるスポーツなのだが、今回は1イニング20オーバー(ピッチャーが120球投げたら終了)と言うルールで行う、これでも約3時間はかかる。
「っしゃあ! 行くぜぇ!!」
「まぁ、程々にね」
野球のバットに似た、しかし平べったい木製のクリケット用バットを構えてピッチに立ったのは、1番バッターである玉城と2番バッターである朝比奈だ。
彼らは長方形のピッチの両端に立ち、ウィケットと呼ばれる3本の棒の前に立っている。
目前には敵側のピッチャーであるナヤルがいて、野球に似た縫い目が真っ直ぐのボールを持っている。
『クリケットにおいては、野球と違いバッターが常に2人存在する。またストライクによるアウトと言う概念も無い、あるのは……』
「どおおりゃあああああああっ!!」
ナヤルが助走と共に投げた――これも野球と異なり、ピッチャー(正確にはボウラー)は好きな歩幅で投球できる――ボールが、玉城の後ろのウィケットを全て薙ぎ倒した。
通常1球で全て倒されることは無いのだが、中途半端にチップしたために倒されてしまった。
そしてこれがクリケットにおける「アウト」だ、ウィケットを倒されるとバッターが交代する。
『だがその代わり、11番を除くバッター10人がアウトになるまでは攻撃を続けることが出来る。その間に取った点の多さで勝敗を決める。なるほど、なかなかに奥が深いスポーツだな』
「そうだな……」
3番バッターとしてスタンバイしていた藤堂だが、いつもの仮面姿のゼロを横目に見つつ、しかしそれでも何も言わずに黙々とピッチへと歩いて行った。
何か言いたいことでもあったのだろうか、ゼロはやや首を傾げた。
だがそれ以上は気にせず、また何か言い訳をしながら戻ってきた玉城についても何も言わず、グラウンドを見渡す。
見れば、朝比奈がナヤルの投げるボールを上手くチップし、ウィケットを守っている所だった。
玉城を1番にしたのは、そもそも他の面々にクリケットのピッチングがどういうものかを見せるため、そう言う意味では玉城は見事に役目を果たしたと言える。
だが相手は国技としてクリケットを何年もやっているメンバーだ、付け焼刃の日本側がどこまで食い下がれるか、まだまだ容易には想像できない状況だった。
「なぁ大和、何でアイツはユニフォーム着ても仮面は外さねぇんだ……? かなり変なんだが、気になって集中できねーんだが」
「……知らない」
試合は、まだ始まったばかりなのだから。
◆ ◆ ◆
日本側のメンバーは、ルルーシュ・藤堂・朝比奈・仙波・玉城・杉山・南・古川・大和・山本・青木。
そして観戦・応援として、女子メンバーが観客席から試合を見守っていた。
マハラジャ達インドの要人が上の段の貴賓席にいることを思えば、真に慎ましやかな存在だった。
ガッ……鈍い音を立てて、朝比奈がボールを打ち上げた。
そのボールは短い放物線を描きながら飛び、フィールダーと呼ばれる相手の守備要員がノーバウンドでキャッチしてアウトになってしまった。
一瞬上げかけたお尻を椅子に戻して、青鸞はほうと溜息を吐いた。
「今からそんな風にしていたら保たんぞ、クリケットの試合は長い。ピザでもどうだ?」
「いや、朝からピザって重くない?」
「太らないだろう、どうせ」
「嫌味なこと言ってるわね、アンタ……」
青鸞の隣には同じように観戦しているC.C.がいる、女性が貞淑さを求められるインドにおいても服装を変化させることもなく――まぁ、ラクシャータもだが――どこから調達したのか、朝からピザをもふもふと食べている。
そして実際に彼女は太らないのだが、さらにその隣にいたカレンは別の意味で受け取ったらしかった。
「藤堂中佐、ランです! ラン!」
「千葉少尉、そんなに興奮しないで……」
その時、不意に歓声が――主に一つ上の段にいた千葉と佐々木のいるあたりから――上がった。
視線を戻せば、ピッチ上で藤堂が走っていた。
ボールを打ったのだ、青鸞は慌てて傍らに置いてあったクリケットのルールブック(英語版)を手に取る。
「ええと、クリケットではランで得点が加算される。逆サイドに到達すれば1点、後は往復するごとに2点、3点と取れる点が1点ずつ増えていく、で……」
「ランナーが戻るまでに守備側にウィケットを倒されれば、アウトになってしまうな」
「あれ、C.C.さんってクリケットやったことあるの?」
「前に少しな。ほら、それよりアイツが出てきたぞ」
適当にはぐらかされたような気もするが、確かにピッチにはルルーシュ=ゼロがいた。
黒のユニフォームに仮面が凄まじく似合っていない、と言うかギャップが凄すぎる、いろいろな意味で青鸞は溜息を吐いた。
その際、同じように溜息を吐いたカレンと視線が合った。
間にC.C.を挟み、ヒソヒソと会話をする。
「ねぇ、ルルーシュって……」
「うん、スポーツはてんでダメだよ。いやダメって言うか、無理って言うか、そもそも才能が無いって言うか、チームにいたらむしろ邪魔だから出ないで欲しいって言うか……」
「お前も凄いことを平然と言うな」
何故か感心するC.C.だった、しかし実際、ルルーシュにスポーツの才能は無いのだ。
むしろ重い物を持たせてはいけないし、走らせてはいけないし、喧嘩などしよう物ならまず負ける。
別にひ弱と言うわけではなくて、単純な相性の問題なのだ。
そしてそれは幼い頃から変わらない、ルルーシュにはスポーツの選手が……。
次の瞬間、ルルーシュ=ゼロのバットから快音が響き渡った。
一瞬、何が起こったのかわからなかった。
だがルルーシュ=ゼロが見事なスイングで打ち返したボールが、野球で言う所のホームラン、「バウンダリー」と呼ばれるエリアにノーバウンドで落ちた。
バウンダリー6、つまり6点である。
野球で言うホームランだ、日本側の選手が歓声や感嘆の声を上げる中で。
「な……っ!?」
「そんな馬鹿なっ!!??」
今度は完全に立ち上がって、青鸞が驚愕の叫びを上げた。
あのC.C.でさえ目を見開き、ピザを取り落としている。
ルルーシュ=ゼロの運動能力について良く知っている2人の反応は、今起きた事態がどれだけ異常なのかを如実に物語っていた。
今までの人生でこれほど驚いたことは無い、そう言っても過言では無かった。
「あ……アイツが、バウンダリー……だと……!」
「どう言うこと? 何で、どうして!?」
見るからに動揺している青鸞とC.C.の様子に、やや離れた位置に座っている雪原と上原が首を傾げていた。
彼女らはそれぞれ、古川と山本の応援に来ていたのだが。
「何をあんなに驚いているんでしょう……?」
「さぁ、わかりかねます」
そして再び、ルルーシュ=ゼロがバウンダリーエリアにボールを打ち込む音が響き渡るのだった。
◆ ◆ ◆
ほぅ、とチームの所に戻った藤堂は感嘆の吐息を漏らした。
朝比奈と自身のランで20点を稼いだ彼は、玉城や杉山のように興奮するようなことも無く、静かに試合を見守っている。
そんな彼の視界には、やけに素早くランを繰り返すゼロの姿があった。
「意外とやりますな、ゼロも」
「そうかな、そりゃ1人で40点も稼げば少しは凄いのかもしれないけど」
両極端ながらも評価は同じ、朝比奈と仙波の言葉に藤堂は苦笑する。
しかし実際、クリケット選手としてのゼロは非常に優秀だった、正直少し意外だ。
バウンダリーを連発し、陸上選手もかくやと言う速度で走り、今も得点を増やし続けている。
前々から前線に出てはいたが目立った活躍はしておらず、てっきり人並み程度なのだと思っていたが。
「お茶をご用意致しました、よろしければどうぞ」
「む? ああ、ありがとう」
その時、給仕らしき少年がお茶とお茶菓子が人数分乗ったカートを持ってきてくれた。
クリケットでは休憩にお茶をすることがあり、これはそのための物だろう。
日本側への配慮なのかインドの物と日本の物が半々ずつ用意されていた、このご時勢に饅頭など良く用意できたものだと感心する。
一方、お茶を持ってきた少年は丁寧に頭を下げ、そのまま振り向く形でその場を立ち去った。
グリーンのキャップを目深に被っているため表情は見えないが、見る者が見ればそれが誰だか一瞬でわかっただろう。
すなわち、その少年が誰なのか。
(ふ……ふふふ、まさかこの俺が、正々堂々真正面からスポーツマンシップに則って素直にクリケットの試合に参加するとでも思っていたのか?)
そんなことはあり得ない、少年――ルルーシュがグラウンドの外に向けて歩きながら、唇を三日月の形に歪めていた。
少なくとも素直な笑みでは無い、スポーツマンシップとは程遠い。
しかしここで疑問が生じる、ここにルルーシュがいるならあのゼロは誰なのか。
(ええと、棒が倒されるよりも早くターンを続けて……私もクリケットは初めてなので勝手が)
咲世子である。
アッシュフォード家のSPにしてルルーシュの忠実な家政婦、変装術の達人だ。
特殊なマスクと接液、バンドによって顔の造形はもちろん、身体まである程度変えることが出来る。
その身体能力は凄まじく、ラウンズから逃亡した実績さえあるのだ。
彼女を影武者にクリケットに参加させ、自らは裏でいろいろと動く。
例えば、今からインド側にもお茶やお茶菓子を持っていく。
もちろん、ただ持っていくような親切をするつもりは無いが……。
(……む?)
その時ふと、ルルーシュは観客席の方を見た。
そこでは何やら日本チームの応援をしている女性陣がいるのだが、そこにあるべき顔が無いことにルルーシュは懸念を感じた。
軽く片眉を上げつつ、首を傾げる。
(青鸞の姿が見えないが……ふむ?)
ルルーシュの視界に、観客席から身を乗り出すC.C.の姿があった。
相も変わらずピザを食っている、何だか姿を見るだけでイライラするのは気のせいだろうか。
と言うか、C.C.のあの適当な身振り手振りは、いったい何を示したいのだろうか……?
◆ ◆ ◆
観戦の最中、青鸞はインド側にある誘いを受けた。
曰く、殿方のスポーツなどずっと見ていても仕方無いでしょうから、是非お茶会でも、と。
青鸞のみに誘いが来たのは、おそらく枢木の家柄のためだろう。
インドは血族や位階を重んじる社会だ、他国人と言えどそこは重視するらしい。
「――――ようこそ、クルルギ様」
不思議な声音で話す女性だ、と、その女性の声を初めて聞いた時にそう思った。
案内されたのはグラウンド
そしてその内の2つは、すでに他の人間によって埋められていた。
「どぉう? うちの古川、頑張ってるぅ?」
「古川さんは一応、うちの所属なんだけど」
「くく、良いじゃない、そんな細かい区分け。どっちにしろ今は私の下にいるんだからさぁ、それでどうなの? 試合、良い感じ?」
「予想外の活躍を見せる人がいてね」
「へえぇ?」
ラクシャータである、いつも通り愛用のキセルを振りながら、喉奥で笑う独特な笑い方を見せている。
相も変わらず、白衣の下に覗く褐色の肌が扇情的で仕方が無い。
しかし今はラクシャータとお茶を飲んでいた相手、それも自分をお茶会に誘った相手の方が重要だった。
痩身でありながらふくよかな身を白のサリーで包み込み、ボリュームのある金髪の間に見える額に包帯を巻いた女。
髪の間から見え隠れする耳は福耳で、インド人らしく肌はラクシャータよりも色素の濃い褐色だ。
ただし両の瞳は伏せられていて、どうやら見えていないようではあるが。
「――――どうぞ、おかけになってください」
手ずから紅茶を淹れるその様には、一切の迷いが無い。
本当は見えているのか、単純に慣れているのか、そこには盲目故の溜めや戸惑いが一切無かった。
今も青鸞のいる方を見失っている風では無かったし、唯一青鸞について来た雅――無論、応援対象は兄の大和――が青鸞のために椅子を引いた際も、不思議そうな空気を纏いながら首を傾げていた。
「――――ダージリンの茶葉は我がインドの特産品です、
喋り方が独特だ、英語だからとかそう言うことでは無い。
不思議と耳に残るが、距離感がわからなくなりそうだ。
青鸞が席に着くと同時に、ラクシャータがキセルでその女性のことを示して。
「コイツはシュリー、シュリー・シヴァースラ。本名は私も知らないけどねぇ」
と、いきなり偽名であることを示唆……と言うか、告げてきた。
どう言う神経をしているのであろう、ああ、無神経だったのかと酷いことを考える。
当のシュリーがクスクスと笑わなければ、場の空気が一度に悪い方へと流れていただろう。
青鸞の手前にダージリン・ティーのカップを置きながら、シュリーは笑みを見せて。
「――――別に偽名と言うわけではありませんよ。ただ生まれた時に親から与えられた名は、すでに神に捧げてしまったと言うだけで」
「……聖職者、なんですか?」
「――――まぁ、そのような物です。そういえば、クルルギ様も日本では聖職者の家のお生まれだとか?」
それは確かに青鸞の実家は神社だが、かと言って聖職者の家かと聞かれるとそうでも無い気がする。
席に着き、出された紅茶の色を眺めながら内心で息を吐く。
はたしてこのお茶会は、どのような目的で開かれたのだろうか。
まさか本当に暇そうだから、と言うわけでも無いだろう。
そもそもこのシュリーと言う女性、どのような立ち位置の人間なのかもわからない。
聖職者だと言うが、それがどれ程の意味を持つのかもわからない。
すると瞼を伏せたままのシュリーの顔が 青鸞の方を向いた。
瞳の見えない顔が、ふと笑顔を浮かべる。
「――――ごめんなさい、マハラジャ翁やナヤル様が言っていた娘がどんな子なのか知りたくて」
その笑みは、本当に聖なる者のように透明だった。
「――――勝ち目の無いブリタニアとの闘争に、その身を捧げる乙女がいると」
妙に気恥ずかしい表現をしているが、要するに正気を疑われている。
青鸞はそう感じた、感じたから、彼女はようやく紅茶に口をつけた。
上品に、しかし一息に紅茶を飲み干して、音を立てずにカップを置く。
そしてニヤニヤとしたラクシャータの見ている前で、久しぶりに枢木の仮面を被った。
……そう言うことなら、話は早い。
ブリタニアに勝ち目が無い、正気を疑う? なるほどそう言う話か。
ならば、と青鸞は思う。
シュリーが片眉を動かす程の綺麗な笑顔を浮かべて、唇を薄く開き。
――――毒を吐いた。
◆ ◆ ◆
一方で、クリケットの試合の方も大詰めを迎えていた。
試合の様相は打ち合いと言った所だろうか、だが咲世子扮するルルーシュ=ゼロが獅子奮迅の活躍を見せる日本側と違い、インド側の攻撃は精緻を極めた。
リーダーであるナヤルを筆頭に上手く攻撃を繋げ、不慣れな日本側の守備を切り崩している。
「不味いな……」
そう呟いたのは藤堂だ、今はピッチャーとしてボールを握っている。
クリケットは野球と異なり一定数投げるとピッチャーを交代しなければならず、チームメイト全員がピッチャーになることも珍しくない。
まぁそれは置くとしても、状況は悪かった。
攻撃は先のルルーシュ=ゼロ(咲世子)のおかげでかなりの点を稼げたのだが、相手もそれに勝るとも劣らない攻撃を見せ、あと10回もランを許せば逆転を許してしまうと言う状況だった。
そして日本側がインド側の攻撃を終了させるまでには、後50球はボールを投げる必要があるのである。
これまでの傾向を考えるに、非常に危ない。
「藤堂さん」
「うむ……正直、私も自分にスポーツの才能があるとは思っていないが」
藤堂は軍人であってクリケット選手では無い、体力はあっても技術が無い。
そもそもクリケットは今回が初めてだ、その意味では他の面子と変わりが無い。
だからいかに優秀な戦術家である藤堂と言えど、スポーツの状況を引っ繰り返せるわけでは無い。
素人がプロ級の選手に勝てるなど、それこそ漫画の話だ。
そう、それこそ――――。
『うろたえるな!』
――――奇跡のような。
『まだ窮地に陥ったわけでは無い、私の指示に従ってくれれば勝てる。うろたえるな』
「勝てるって、そっちだってクリケットに関しては素人じゃ」
『心外だな、この試合で最も得点を稼いでいるのは私だったはずだが』
「へへ、流石は親友! スポーツも出来んだかんなぁ!」
そこに現れたのは――咲世子と入れ替わった本物の――ルルーシュ=ゼロだ、彼は藤堂の下に集まっているメンバーの所に歩いていくと、朝比奈や玉城の顔を見た。
頭から信じ切っている玉城とゼロに反感を持っている朝比奈は黒の騎士団の端と端に立っているような存在だ、だから共にいると非常に目立つ。
とは言え、今はそこは重要では無い。
ルルーシュ=ゼロはゆっくりとした動作で周囲を見た、そこにいるメンバーを1人1人見る。
信じきっている者、胡散臭そうにしている者、取り立てて表情に変化が無い者。
個人個人それぞれだが、ルルーシュ=ゼロが告げる言葉は同じだった。
『藤堂』
「何だ?」
『それに他の者も、これから私が言う通りに投げてほしい。コントロールは大体で構わない、それで勝てる』
「はぁ? 何だいそれ、何かの冗談?」
『いや本気だ。良いか藤堂、次のボウラーに対して投げる球種は――――ストレートだ、それもど真ん中の』
ストレートのど真ん中、それは相手からすれば絶好の打つべきボールのはずだ。
当然、訝る声や反対の声もあったが、ルルーシュ=ゼロはそれを全て押し切った。
唯一藤堂だけが何も言うことなく定位置に立ち、ゼロの指示に無言で従っていた。
この場合、そうすることで他の面々に範を示したと言えるのかもしれない。
(さて、どうやらここまでのようだけど……思ったよりはやった方かな)
そしてバッター、つまりボウラーはナヤル。
藤堂がゆっくりとした動作で投げたボールを見て、ニヤリと笑う。
実はこの試合、別に勝敗はあまり関係ない。
インドの国技であるクリケット、いやクリケットでなくともスポーツにはチームの特色が出る物だ。
今の所日本側は慣れないスポーツに真剣に取り組んでいて、極めて紳士的だ。
子供の頃からクリケットを嗜んでいるインド人のチームを相手に善戦したと言える、その点、ナヤルは相手を認めていた。
先週の一件もあり、彼としては共に戦うことに否やを言うつもりは無かった。
(どの道、中華連邦がブリタニアに身売りすればこっちもナンバーズ。選択肢は無いんだから、さ……!)
来た、ど真ん中のストレート。
腕と足、そして腰に力を溜めて、ナヤルは打つ体勢に入った。
そしてボールが目の前にまで来た時、ナヤルはバットを力一杯に。
「え……?」
声を漏らしたのは、誰だったろうか。
何故ならナヤルのバットから響いたのは快音と言うより鈍い音で、明らかに芯を外した音だったからだ。
直前の体勢が完璧だった分、困惑は大きかった。
しかしその困惑と驚愕は、不意に「意識を取り戻した」ナヤルの方が大きい。
(な? 何で……?)
ナヤルが打ち損ねたボールは、短い放物線を描いて日本人の守備、玉城によってキャッチされていた。
アウトだ、玉城が1人で上げる歓声が妙に耳に響く。
驚愕の表情を浮かべるナヤル、その瞳は僅かだが赤い輪郭を浮かび上がらせていた。
『く、くくくく……言っただろう、俺はスポーツマンシップなどに興味は無い、と』
伊達にインド側にお茶を持って行ったわけでは無い、もちろんギアスによる仕込みを済ませてきた。
それは残りのボールが55球を切った時に発動する仕掛けで、その意味で点数管理が大変ではあったが、おかげで「ギリギリの勝負」を演出することが出来た。
これからの55――今の1球で54――球について、インド側はルルーシュが予め指定した打ち方しかできない。
もちろん、あまりにもあまりな打ち方ではマハラジャ達が不審を抱くかもしれない。
だからあくまでも自然に、それでいて接戦を演じて、そして日本側が勝たなければならなかった。
そして今、現段階を持って全ての条件はクリアされた。
ブリタニアを打倒するこの身、クリケットごときに手こずってはいられない。
『さぁ、残りのボウラーを全て打ち取り……勝利を確実な物とするのだ!』
「「「おう!」」」
仮面の中で静かに笑いながら、ルルーシュ=ゼロは思った。
悪いな、インドの諸君……どうやら、相手が悪かったようだ、と。
そしてそのまま、試合はまさにルルーシュ=ゼロの思惑通りに進み――――……。
◆ ◆ ◆
終わってみれば、131対130、1ラン差での日本側の勝利となった。
ルルーシュ=ゼロにとっては計算され尽くした試合結果だが、他の者にしてみればギリギリの接戦のように見えただろう。
ここでも、ギアスの隠匿性が役に立ったと言える。
とは言えそれは、ギアスの存在を知っている者だけが抱く感想だ。
現にC.C.は完全にシラけた視線を送っていたし、カレンも何となく相手の攻めの崩れについて疑っている様子だった。
ここに青鸞がいればどう――と、そういえば、青鸞はどこに行ったのだろうか。
「おや、本当に試合終わった所だねぇ。アンタの言った通りだよ」
「――――音でわかるだけですから、大したことではありませんよ」
その時、2人の女がやってきた。
1人はラクシャータ、1人はシュリーである。
そしてその2人に挟まれる――肉感的な意味では無い、念のため――形で青鸞が、そしてその3歩後ろに雅の姿があった。
それに対して、ルルーシュ=ゼロが僅かに歩を進めようとした所で。
「ゼロ、と言ったか。見事な試合であった、久しぶりに胸が熱くなったものよ」
観客席の最上段から試合の様子を窺っていたインドのドン、マハラジャが降りてきていた。
部下なのか仲間なのか、あるいはその両方か、インドの面々を連れて。
その右側にはナヤルがいて、そして左側に例のシュリーが歩み寄り、何事かをマハラジャの耳に囁いていた。
それに満足そうに頷くマハラジャが、ルルーシュ=ゼロには印象に残った。
だから彼は自分の傍まで歩いて来た青鸞に改めて視線を向けると、横髪を手で払う彼女に目を細めつつ尋ねた。
あのシュリーと言う女性と、何を話していたのか。
「何を話していたのって聞かれると、少し困るかな。建前論が主だったし、言質取られたくないから本音は遠まわしに伝えるしか無かったし」
『ふむ』
「まぁ、それでもあえて一言で纏めると……そうだねぇ」
そこで青鸞は、僅かに口元を綻ばせて。
「大和撫子ナメんな……って、伝えといたよ」
『……そうか』
全くもってわからなかったが、察するに、日本勢の能力を示すことが出来たのだろうと思う。
それは男子にとってはスポーツで、女子にとってはお茶会で。
それぞれの戦場で、それぞれの成果を出してきたと言うことだろう。
もちろん、青鸞はそのような物言いをしたわけでは無い。
自分達がいかに祖国を愛し、取り戻したいと願い、そのためにどれだけの犠牲を払ってきたのか。
犠牲を払い敗北し、それでもなお存在を主張し続けてきた者が、いかにして再起を繰り返したのか。
青鸞の己の義務として、それをインドの女に伝えた。
そしてインドの女もまた、祖国が異なると言う点以外の違いを青鸞に見出さなかった。
(そう言う意味では、あのお茶会は本当、ただのお茶会だったなぁ)
交渉では無い、相対でも無い、対峙ですら無い。
己と相手の距離を測り、伝えて、そして僅かの間を詰めるためのもの。
だから、「お茶会」だ。
日本の女とは違う、インドの女のやり方だ。
「ゼロ、お前達がどのような人間か、我々をただ食い物にするような者では無いことはわかった」
『当然だ、我々黒の騎士団は不当な暴力を振るう者を敵とする。その我々が不当な暴力を行使すれば、我々は自らの足元を自ら崩すことになる』
「――――良かろう、その言葉、今は信じよう」
そしてこの日、日本とインド。
極東の竜と南亜の象、かつてそう呼ばれた地において、それぞれ虐げられていた者達が手を結んだ。
その握手は固いが緩く、事あるごとに補強しなくてはならないだろう。
しかし彼らは強権に歯向かう者同士として、共に歩むことを決めた。
虐げられる、弱者同士の同盟。
それが後の世界史においてどのような形で語られるのか、まだわからない。
この時点では、まだ。
不老の者も、未来のことまでは読めないのだから。
◆ ◆ ◆
クリケットの試合の後は、再びバンク・オブ・コルカタの本店での話し合いとなった。
とは言え1日で今後のことを詰められるわけでも無いので、どちらかと言うと今後の吉事を祝しての宴会と言う色彩が強かったが。
酒が入れば本音も漏れる、つまりはそう言うことだろう。
「楽しいか? 自分の思い通りに出来て」
『別にそこまで思いあがってはいないさ、ただ、上手くいっているのは確かだ』
「いや、それって否定してるようでしてないからね?」
だがルルーシュ=ゼロが珍しく機嫌が良さそうなのは事実だ、だから彼の後ろを歩く青鸞とC.C.は互いの顔を見合わせて肩を竦めあった。
実際、インドを味方に引き入れることには一応は成功したわけだ。
機嫌がよくなるのも、わからないでは無い。
「それで、次は中華連邦本国か? 忙しないことだな」
『余裕があるわけでは無いからな。周香凛の要請に乗る形でやることになるだろう、もちろん向こうもこちらを利用する気だろうが、お互い様だ』
(良く喋る、本当にご機嫌なんだねー)
インドの次は中華連邦、C.C.の言うように本当に忙しない。
だがルルーシュ=ゼロの言うように余裕は無い、何しろ中華連邦を味方にしたからと言ってブリタニアに勝てるわけでは無いのだから。
キュウシュウ、中華連邦、インド、その全てはブリタニアへの抵抗に必要だからそうしているだけだ。
まぁ、上手くいっているのは確かだが。
一方で、上手くいっていないこともある。
最近になって急浮上してきた問題なのだが、進展がまるで無い。
と言うより進展させようにもやりようが無い、と言うのが正しいか。
ブリタニアを、いや皇帝シャルルを裏から支えるの例の集団については。
どうにも、上手くいっていない。
『……む』
「っと、どうしたの? って……」
通路で不意にルルーシュ=ゼロが立ち止まった、視線……と言うより仮面の向きを追えば。
「雨?」
「そのようだな」
青鸞の疑問にC.C.が頷く、真っ暗な空から降り注ぐ雨粒が、窓を叩き始めていた。
宴会の喧騒から離れたから気付けたのかもしれない、そして最初はゆっくりだったそれは次の瞬間には叩き付けるような豪雨に変わる。
窓が揺れる程の豪雨に、怖いもの見たさで窓の外を覗くと。
「ひゃっ?」
稲光、雷である。
日本のそれより遥かに大きくて派手な音と光に、青鸞はビクリと肩を竦めた。
一瞬の光に目を瞬かせる、後ろでC.C.が声を殺して笑っているが、気にしない。
……そして、ふと気付く。
表通り、突然の豪雨に外に出ていた人々が最寄の屋根の下に避難している。
別に何も無い、普通のことだ、何の不思議も無い。
だが1人だけ、移動せずにぽつんと通りの真ん中に立っている女性がいた。
「うわ、冷たくないのかな……」
変な人だと思って、あるいはインドの文化的な何かなのかとも思って、青鸞は目を凝らしてその女性のことを見た。
深くフードを被った、紫のマントの女性。
気のせいでなければ、向こうもこちらを見ているような……。
「ひっ……!」
『どうした?』
次の稲光で、青鸞は先程よりも強く肩を竦め息を詰めた。
ルルーシュ=ゼロの心配の声は遠い、そして今のは雷に怯えたわけでは無い。
もっと別のものに驚いて、そのために行われた所作だった。
そしてその原因は、通りの真ん中からこちらを見ている――――否、睨んでいる女性にあった。
一瞬の稲光の中で見えた鋭い眼光と、照らされた白面。
そこにいたのは、コーネリア・リ・ブリタニアだった。
採用キャラクター:
曲利さま(ハーメルン)提案:シュリー・シヴァースラ。
ありがとうございます。
最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
所詮、私にスポ魂ものなんて無理だったんです。
そしてルルーシュが普通にスポーツなどするはずが無い、何て卑怯な原作主人公なんでしょう。
でもそんな勝てば良かろうなのだー精神、嫌いじゃないです。
『……クーデター、暴力で現状を変えようとすること。
褒められた行為じゃない、歴史を見ればそれくらいわかる。
でも、叛乱も叛逆も、虐げられる人間にとっては必要なこと。
例え、歴史に悪名を残すことになろうとも』
――――TURN12:「インド 大 反乱」