コードギアス―抵抗のセイラン―   作:竜華零

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STAGE3:「奇跡 と 四聖剣」

 ――――珍しいこともあるものだと、皇神楽耶(すめらぎかぐや)はそう思った。

 とは言え声には出さない、ここでは彼女が何かを喋ることは求められていないからだ。

 と言うよりも、必要が無い。

 

 

 長く艶やかな、まさに烏の濡れ羽色と言う表現が似合いそうな小柄な少女。

 年は15歳、しかし平安貴族が着るような肌を見せない淡い色の衣装と、大きなくりっとした瞳が彼女をより幼く見せている。

 彼女は薄暗く狭い空間にいる、だが別に閉じ込められているわけでは無い。

 

 

「……ご機嫌ですな、桐原公」

 

 

 少女を狭い場所に押し込める元凶、いわゆる御簾の向こうで行われる会話を――この場合、御簾の内側にいるのは神楽耶の方だが――聞く。

 それは、先程から年齢の割に豪快な笑い声を上げている存在に向けられた声だった。

 ただ、窘める声は僅かに不快さを滲ませていた。

 

 

「クカカカッ……いや、すまぬな。年甲斐も無く嬉しくなってしまってのぅ」

 

 

 笑っていたのはその場にいる人間で最も小柄な人物だった、しかもおそらく最高齢でもあるだろう。

 鶯色の和服に皺くちゃの顔、だがどこか粘着質な雰囲気を漂わせた男だ。

 桐原と呼ばれたその老人は笑い声を収めつつ、同じような表情で自分を睨む他の4人の男達を見やった。

 

 

 桐原泰三(きりはらたいぞう)、そして皇神楽耶。

 さらには刑部辰紀、公方院秀信、宗像唐斎、吉野ヒロシを含めて6名。

 日本の対ブリタニア戦争以前から、そしてその以後も、隠然たる影響力を持つ旧財閥系家門の集合体。

 キョウト六家。

 

 

「しかし、楽しくもなろう。よもやあの娘、いきなり武勲を上げるとはの。わしとしても、少々驚いておるのよ……こう言うのを、鮮烈なでびゅう、とでも言うのかの?」

「桐原公も、ブリタニアにかぶれてきましたかな」

「しかしながら、我らにも無断であの娘に専用機を渡すなど……少々、早いのではないですかな」

「左様、これでは一斉蜂起を遅らせてきた意味が薄れる。片瀬は以前から現在の立場から退きたがっているし……」

「何、アレももう15。予定外であることは確かだが、何も早すぎると言うことはあるまい。片瀬が退きたいと言うなら退かせれば良い、元々、アレの成長を待って枢木の代わりをさせる予定で……」

「それは……」

「うむ……」

 

 

 本来はここにはいない枢木家当主も含めて七家であるが、現当主が若年のためその権限と財は彼らに一時預けられている。

 そして今、彼らが話しているのはその若年の枢木家当主のことなのだった。

 桐原によって専用機を与えられ、その機体を駆ってブリタニアのナイトメアを撃破した少女。

 

 

(……青鸞(せいらん)……)

 

 

 御簾の向こうで語られる老人達の清廉とは言えない会話、それを聞きながら神楽耶は目を閉じた。

 その小さな胸の内で呟くのは、親戚であり幼馴染である少女。

 8歳より2年を共に過ごした、あの枢木家の……。

 ……キョウトの、もう1人の姫を。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「王手」

 

 

 澄んだ空気の道場に、少女の声が響く。

 声と共に、パチッ、と言う乾いた音がして……少女と向かい合っている男、鋭く尖っているような容貌の男が微かに唸った。

 2人の前には将棋盤があり、駒の位置は終局を示していた。

 

 

 1人は長い黒髪に胴着姿の少女、枢木青鸞(くるるぎせいらん)

 もう1人は同じく胴着姿の男、藤堂鏡志朗(とうどうきょうしろう)

 日本最後の首相の娘と、日本解放戦線最高の将と呼ばれる軍人。

 将棋盤の前に座る2人の横には竹刀が置かれており、稽古の後であることが窺えた。

 

 

「109手で終局……三間飛車からの穴熊崩し、見事だった」

「いえ、先達の方々の努力の賜物です。ボクはそれをお借りしただけです」

「いや、それでも玉を動かさずに攻撃の態勢を築いたのは見事だ。私も防ぎきれなかった」

 

 

 日本解放戦線の民間居住区にある藤堂道場、早朝にその場所を2人で使い、藤堂は青鸞と稽古終わりの将棋を指している所だった。

 まぁ、それももう終わってしまったが。

 こう見えて、青鸞は将棋が得意なようであった。

 

 

(もう、8年になるのか……)

 

 

 青鸞と向かい合いながら、藤堂はふと意識の一部を過去へと飛ばした。

 8年前、ブリタニアとの戦争が始まる数ヶ月前まで。

 その当時、藤堂はある事情で一組の兄妹に剣道を教えていた。

 その内の妹が今、目の前にいる青鶯である。

 

 

 彼女の兄は、そう言う方面においてはまさに天才だった。

 彼は剣を自身の一部として扱うことが出来たし、何より反射神経において天性の物があった。

 しかし、青鸞は違う。

 途中、一時的な中断はあるにせよ8年間稽古をつけた今でも剣ではおそらく兄には敵うまい。

 もちろん彼女には彼女の、兄とは異なる才能もあるだろうが。

 

 

「……青鸞」

「はい」

 

 

 自分が相手から取った駒の余りに指先で触れながら、藤堂は言った。

 

 

「将棋においては、時として駒を捨てねばならぬ時がある。それは何故だかわかるか?」

「捨て駒が無ければ、勝利への布陣を敷くことが出来ないからです」

「その通り、指し手はいかに効率良く捨て駒を作るかで腕前を測られる。それが将棋だ、だがな青鸞」

「はい」

 

 

 素直に頷く青鸞に過去の少年を重ねながら、藤堂は言う。

 

 

「将棋においては、駒はただの駒に過ぎない。だが実際に戦場に出れば、駒にはそれぞれ兵士の命が乗っている」

「…………」

「将棋の駒は簡単に捨てられるだろう、だが兵の命は簡単には捨てられない。もし兵の命を将棋の駒同然に捨てれば、その者に指揮官たる資格は無い。しかし兵の命を惜しんで勝利を逃せば、またその者は指揮官たる資格が無い」

 

 

 戦争と言う非生産的な行為において兵の指揮を執る者は、常にその想いを胸にしていなければならない。

 兵の命は重い、だが惜しまず必要なら捨て駒にする、その狭間で常に苦しむことになる。

 それはある意味で、目の前で戦友や無辜の民が殺されるのを見るよりも辛い所業だ。

 

 

 指揮官として部下の命を預かり、7年前の戦争から戦場を潜り抜けてきた藤堂。

 そんな彼だからこそ、数々の戦場で部下の兵の命を効率よく捨て駒にして来た彼だからこそ言葉に重みが出る。

 青鸞には、藤堂の背負う重みはまだわからない。

 

 

(でも、もし本当にボクが父様の跡を継ごうとするなら……)

 

 

 いつかと言わず、今からでも必要になるかもしれない気構えだった。

 だから藤堂は、自身の経験を重ねて青鸞に教えてくれるのだろう。

 それがわかるから、青鸞は全てはわからないまでも、真剣な顔で頷きを返すのだった。

 

 

 それにしても、今日の藤堂は良く喋ると青鸞は思った。

 柄にも無い説教をしたと照れているのかもしれない、そう思うと胸の奥が温かくなるのを感じた。

 だから青鸞は、ふと表情を崩して。

 

 

「藤堂さんは厳しいけど、相変わらず優しいね」

「む……」

 

 

 ふわりと微笑した青鸞に、藤堂の左手がぴくりと動きかけたのは気のせいか否か。

 藤堂が何かを誤魔化すように咳払いをすると、青鸞は今にも笑い声を上げそうな表情を浮かべた。

 それが面白くないのか、藤堂は強面の顔をやや背けるようにして。

 

 

「中佐」

 

 

 藤堂が何か話そうとしたその時、弛緩しかけていた道場の空気に異物が入り込んできた。

 いや、異物と言うものでもないだろう、そこにいたのは藤堂の部下、卜部だったのだから。

 彼は道場の中の2人に視線を向けると、2人に向けて告げた。

 

 

「青鸞、中佐。片瀬少将がお呼びです、至急会議室まで来てほしいと」

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「先日、大阪で起きた爆弾テロ……と、ブリタニアの連中が呼んでいる事件を知っているか?」

「はい、概要は」

「うむ……」

 

 

 開口一番に問われたことに、青鸞が若干目を白黒させながらも頷いた。

 先日も呼ばれた板張りの大会議室、しかし先日と違い3人しかいないその場所。

 軍服姿の片瀬と藤堂、そして大急ぎで藤色に花流水の着物に着替えた――汗を流す時間は無かったので、拭ったけだ――青鸞。

 

 

 ちなみに大阪の爆弾テロと言うのは、そのままの意味である。

 大阪の中心にあるブリタニア資本のビルを何者かが爆破した事件で、ニュースによればブリタニア人8名を含む59名が犠牲になったと言う。

 なお、ブリタニア人犠牲者以外の51名には日本人(イレヴン)も含まれている。

 

 

「片瀬少将、それが何か……?」

「まぁ、待て。もうすぐブリタニア側の放送が始まる」

 

 

 こちらの問いかけにはそう応じて、片瀬は手元のリモコンを操作した。

 すると天井の一部が開き、そこから細いワイヤーに吊るされた巨大なモニターが降りてくる。

 ちょうど片瀬達の目線の位置にまで下がったそのモニターは、僅かな起動音を立てて光を放つ。

 繋がりが悪いのか若干映像が乱れているが、映っているのは先程も話に登った大阪のテロに関するニュースのようだった。

 

 

 不意に、ニュース映像が途切れる。

 変わりに現れたのは、国旗だった。

 青地に赤十字の中央に王冠と盾を配し、盾の中にライオンと蛇が描かれている。

 それは、現在日本をエリア11と呼んで統治している神聖ブリタニア帝国の国旗だ。

 

 

『お待たせ致しました、神聖ブリタニア帝国第3皇子、エリア11総督、クロヴィス殿下よりの会見のお時間です』

 

 

 どこか機械的なアナウンサーの声の後、さらに映像が切り替わる。

 ブリタニア国旗があるのは変わらない、しかしそれを背景として立つ男がいた。

 長い金髪に、いかにも王侯貴族が着るような紫の衣装と白いマントを纏った男だ。

 ブリタニア帝国の皇子――――そして、今の日本の総督(とうちしゃ)

 

 

『帝国臣民の皆さん、そして私の統治に協力して頂いているイレヴンの皆さん。私はこのエリア11を預かる――――』

「……クロヴィス・ラ・ブリタニア」

 

 

 口の中だけのその呟き、しかしそれが聞こえたのか藤堂が切れ長の瞳を青鸞の横顔へ向ける。

 ……戦争に敗れた日本はブリタニアに「エリア11」と言う呼称を押し付けられ、統治されている。

 総督と言うのはまさに植民地を預かり、皇帝の代理としてその領土を統治する行政官だ。

 日本の場合、今モニターに映っている男がその総督と言うことになる。

 

 

『我々はテロには屈しません、何故ならば我らは正義だからです。無関係な市民を狙い撃ちにする悪逆非道なテロリストを討ち果たし、この地に秩序をもたらすことこそが凶弾に倒れた者達への餞として――――』

「……どう思う、藤堂?」

「どうもこうも……いつもの美辞麗句でしょう。この総督は派手好きなことで有名ですから」

 

 

 日本を侵略しておいて、こちらの反抗を秩序への挑戦とこき下ろす。

 それはまさにブリタニアらしい言葉で、ある意味ではクロヴィスと言う男は非常にブリタニア的なのだった。

 まぁ、国政に影響力を持つ第3皇子ともなれば当然だろうが。

 

 

「……それで、片瀬少将。どうして(ワタシ)をお呼び頂いたのでしょう、もしかして今の放送を見せたかったのですか?」

「それもあるが、本題はそこではない。本題は大阪の件の方だ」

 

 

 クロヴィス総督の会見が終わるとモニターも消えて、片瀬は改めて青鸞の顔を見た。

 そして彼は、大阪で爆弾テロを起こしたグループが保護を求めてきていることを告げた。

 

 

「保護?」

「うむ、どうやら我々の傘下に……より言えば一員にしてほしいと言うことだ。普通なら一考にも値しないのだが、大阪の件を手柄に、と言うことらしい」

「しかし、それだけではない」

「……流石だな、藤堂。彼らは旧日本軍の末端兵だった者達らしいのだ、それに手土産としてセイブ軍管区における政治犯リストを持っていると言ってきている」

 

 

 政治犯、要するに反ブリタニア組織の人間や旧日本政府・旧日本軍の人間のことだ。

 そのリストがあるとなれば、そうした政治犯の救出活動に大いに役立つことだろう。

 

 

「そこで、海路と陸路を経て大阪からこちらに向かっているグループが今日にも付近に到達することになっている。青鶯には彼らを迎えに行ってもらいたいのだ」

「……(ワタシ)が、ですか」

 

 

 意外な言葉に、僅かに驚く様子を見せる青鸞。

 そんな彼女に頷いて見せる片瀬を、藤堂は目を細めて見つめた。

 まるで、この解放戦線のリーダーが考えていることを読もうとするかのように――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 先にも似たようなことが話に出たかもしれないが、日本解放戦線における青鸞の立場は、実は曖昧だ。

 曖昧で、そして微妙だった。

 そもそも7年前の戦争以降、故枢木ゲンブ首相の遺児の存在は秘匿されてきた。

 特に外部に対して……それも、この5年でだいぶ緩んでしまったが。

 

 

 理由は大きく3つある、第1に幼かったこと、第2にブリタニアの追跡をかわすため。

 そして最も大きな第3の理由、日本側でもどう扱うかが決まっていなかったからだ。

 そうこうする内に、2人いた遺児の内息子は姿を消してしまった。

 ただこれは本人の意思に拠る所が大きく、キョウトの一員として家に残ることを選択した娘と違い、あっさりとブリタニア側に捕捉されて……いや、それは今は良いだろう。

 

 

「藤堂さんは、出迎え部隊にボクが入ることに反対ですか?」

 

 

 片瀬の前を辞した後、青鸞は複雑そうな表情を浮かべる藤堂にそう聞いた。

 着物の肩に流した黒髪を揺らしながら、不思議そうに首を傾げる青鸞。

 

 

「ボクでは、力不足でしょうか」

「いや……」

 

 

 そう言うわけではない、藤堂がそう言うと青鸞は微笑した。

 実際、彼女は初陣の新兵ではない、すでに実戦を経ている。

 自身の目的のために、手段を履き違えないだけの思慮も持っていると思う。

 しかし、「だからこそ」。

 

 

「…………」

 

 

 任務の準備があると去っていく青鸞の背中を、藤堂はやはり複雑な表情で見続けていた。

 そこには、彼にしかわからない苦悩があった。

 15にもならない生娘を戦場に出したことか?

 それともこうなるとわかっていて、青鸞を5年前にナリタを連れてきたことか。

 それもある、しかしそれは一要素でしかない、彼をより苦しめているのは。

 

 

 ――――(ワタシ)は、父の遺志を継ぎます。

 

 

 青鸞が、故枢木ゲンブの唱えた「徹底抗戦」の遺志を継ぐと公言していることだ。

 ナリタにいる人間は元々それを当然視していた所もあるし、兵の中にはそんな彼女を支持する層も確かに存在する。

 だが彼女が「枢木首相の唱えた徹底抗戦」について口にする度、藤堂は苦しむのだ。

 何故なら、何故なら藤堂は……。

 

 

「……私は、あの子をどうすれば……」

 

 

 エリア11最大の反ブリタニア武装勢力、日本解放戦線のリーダー片瀬が頼りにする懐刀、藤堂鏡志朗は、普段の明敏さも欠片も無い声音で誰かに尋ねた。

 しかし誰に尋ねた所で、答えてくれる人間など誰もいないのだった。

 

 

「……桐原公……」

 

 

 ここにはいない誰かは、問いかけに永遠に答えてはくれない。

 そんな彼の目から見れば……青鸞の去った後の空気は、酷く無味乾燥だった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 パタパタと部屋の中を小走りに駆けているのは、キョウトの分家筋の少女、雅だった。

 青鸞付きの人間としてナリタにいる割烹着姿の少女は、何か慌てた様子だ。

 ナリタ連山の日本解放戦線の本拠地、ナイトメアの女性パイロット用のロッカールーム。

 そこで彼女は、青鸞の着替えの世話をしていた。

 

 

「まったく、急にまた出るだなんて……」

「いや、別に毎回違う着物とか用意しなくても良いんだけど……」

「そうは参りません。キョウトの家からも枢木家の当主に相応しい服装をさせるようにと、キツく言われてるんですから」

 

 

 むんっ、と何故か胸を張る雅の姿に、青鸞は何とも言えない表情を浮かべた。

 彼女としては貧しい暮らしに耐えている民衆もいるのだから、あまり高価そうな着物を出されるのも気が引けるのである。

 ただ、それを言うと。

 

 

「逆です、このナリタで青鸞さまの存在を知らない人はいないのですから。枢木家の当主がみすぼらしい格好をしていたら、それこそ皆が不安になりますよ」

「……そう言うものかな」

「そう言うものです」

 

 

 あんまり自信満々に言われるものだから、青鸞もそう言うものかと思うしかない。

 

 

「そう言えば、桐原の爺様も父様はそう言うのが凄く上手かったって言ってたね」

「はい! ……それに、神楽耶さまと私の楽しみが」

「何か言った?」

「いいえ、何も?」

 

 

 にこりと首を傾げる雅、何故かその後ろにキョウトの幼馴染の姿がダブって見えたのだった。

 

 

「……ところで、青鸞さま」

「何?」

 

 

 雅の他に誰もいないので、青鸞の口調は軽い。

 いわゆるただの「青鸞」の状態であって、人の目を気にすることも無いのだ。

 彼女は着ていた着物の帯を早々と解くと、ひょいひょいと袷を解いて脱いでいく。

 

 

 照明の下に白い肌が晒されていく姿は、未完成な少女故のアンバランスな魅力を放っていた。

 透明感のある肌は、地下で過ごす時間が多いからこその肌色なのかもしれない。

 その一つ一つの布を受け取り、拾いながら、雅が言う。

 

 

「……別に、下着まで脱いでしまうことは無いと思いますけど」

「え、で、でもこれってそう着るんじゃ、ライン出ちゃうし……ボク、今まではそうしてて」

 

 

 襦袢を放られたあたりでそう指摘すると、下着から足を半分抜いた体勢で青鸞はぴたりと固まった。

 ほぅ、とどこか生暖かい目線で雅が青鸞を見る。

 そして。

 

 

「……パイロットスーツは、下着を脱がずとも着れるものです」

「…………そうなの?」

「はい、専用のサポーターと言う物があります」

「そ、そうなんだ……」

 

 

 どこかしゅんとして下着を着直す青鸞に、雅は苦笑を浮かべる。

 頬に手を当てて困っている風だが、何故だろう。

 どこかゾクゾクとしているように見えるのは、気のせいだろうか。

 やはり、キョウトにいる幼馴染が乗り移っているような気がする……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――ザザ、ザ……と、砂嵐のような音が狭い空間に響いた。

 そこはまるで鉄の棺桶のような場所で、しかし無数のディスプレイとランプが照明となって明るく照らしてもいた。

 その明るさが照らしているのは、整った容姿の金髪の男だった。

 

 

『――――キューエル卿、衛星が逃走中のテロリスト達を捕捉しました。予測ではあと30分程で、ボウソウのトウブ軍管区に入ります』

「ふん、イレヴンめ……コソコソとどこに向かっているのやら」

『すぐに対処致しますか?』

「……いや、今は泳がせておけ。とはいえそこまで付き合う気も無いが、まぁ、結局はただ犬が逃げているだけだろうが……暇を持て余していたのも事実」

 

 

 くくっ、と喉奥で笑いながら、キューエルと呼ばれたブリタニア人はそう言った。

 イレヴン、暇潰し、いずれもまさにブリタニア人が口にする単語だった。

 彼はぴっちりとしたパイロットスーツに身を包んでいた、今いるのもナイトメアのコクピットの様子、そしてパイロットスーツの胸には赤い羽根飾りが付いている。

 

 

「犬同士、他に仲間がいる可能性もある。もう少し監視を続けろ、2時間経過して何も無ければ、その時は……」

『イエス・マイロード』

 

 

 通信が切れた画面を面倒そうに見つめて、キューエルはコクピットのコンソールに肘を置いた。

 どことなく面倒そうな仕草ではある、実際、面倒なのだろう。

 しかし同時に、どこか猟奇的な笑みさえ浮かべて。

 

 

「クロヴィス殿下の治世を乱すゴミめが」

 

 

 そう、言ったのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――実を言えば、青鸞はクロヴィス総督の他にブリタニアの皇族をあと2人知っている。

 いや、本当の意味で知っていると言えるのは、やはりその2人だけだろうと思う。

 幼い頃、枢木の家で僅かな時間を共有した……。

 

 

「青鸞さま」

 

 

 トレーラーの中、横から聞こえてきた声に青鸞は現実の世界を認識した。

 3人座れる運転座席の左端に座った彼女が横を向けば、そこには2人の人間がいる。

 どちらも解放戦線のメンバーであり、大阪から来るグループを迎えに行く一行の一員だった。

 万が一に備えてトレーラーに積んであるのは青鸞の無頼、使わないで済む可能性の方が高いが、新たな機体のため持ち出す回数が多ければ多いほど良いのである。

 

 

「そろそろ合流時間です、準備はよろしいでしょうか」

「はい、大丈夫です」

 

 

 頷きを返せば、相手も同じように冷静な顔で頷きを返してくる。

 声をかけているのは真ん中に座る軍人、名前を佐々木遥(ささきはるか)と言う。

 黒のショートヘアに細い眼差しの女性で、20代後半と言う若さだが、7年前の戦争にも参加したベテランである。

 そして今は、上官に命じられて青鸞の傍についている……目付け役だ。

 

 

「実際の事は全て草壁中佐がなさいますので、青鸞さまにはお姿を見せないよう、ここで見守って頂きたく思います」

「……そうですか」

 

 

 別に元よりでしゃばるつもりは無かったのだが、そうまではっきり言われてしまうと流石に返答に間が開いた。

 片瀬の依頼で来ているものを何故草壁が掣肘するのかはわからない、が、青鸞が今はまだ何の公的地位も得ていないことも確かだった。

 信用度のわからない相手の前に出したくない、と言うのもあるのだろうが……。

 

 

(別に、直接言わなくても……)

「別に、そんなはっきり言わなくとも」

 

 

 不意に青鸞の思考を代弁するかのような声が響いて、彼女は顔を左へと動かした。

 

 

「何か言ったか、青木伍長」

「いえいえ、何も何も」

 

 

 青木だった、どうやら青鸞の機体を運ぶ役目を自任でもしているらしい。

 先日と違い軍服姿、軍服についているエンブレムは旧日本軍の空軍部隊の物で、彼は青鸞と視線が合うと軽く肩を竦めて見せた。

 それに、青鸞は僅かに笑んで頷きを返した。

 

 

「ふん、いい気なものだな」

 

 

 ナリタから数キロ離れた位置にある、倒産した旧日本資本の建設資材置き場。

 草壁はコンテナが並ぶそこで――例の、会議場で片瀬に噛み付いていた旧日本軍の中佐だ――大阪から来ると言うテロリスト・グループを待っていた。

 森を切り開いて作ったそこは開けているものの、周辺を放棄された資材や山に囲まれている。

 山の時間は早い、日が沈んでしまえばあたりは真っ暗だ。

 

 

 草壁が電子式の双眼鏡で見上げる先は山の中腹の森林だ、そこに一台のトレーラーが潜んでいる。

 そこには彼の部下2名とあの少女がいる、日本最後の首相の息女。

 ナリタで彼女のことを知らない者は今ではほとんどいない、片瀬が慎重に情報を浸透させた結果だ。

 そして草壁は、青鸞に対する片瀬のそうした見え透いた行動が気に入らなかった。

 

 

「しかし草壁中佐、確かに青鸞さまの前では大阪のグループを我らの仲間とするのは難しいのは確かですが……片瀬少将に苦言を呈されませんか」

「少将には私から、身辺の安全のためと報告する。問題ない」

 

 

 低い声で傍らの部下に応じて、草壁は双眼鏡を他の部下に投げ渡した。

 ここで言う「我らの仲間」とは、解放戦線の仲間と言う意味ではなく、草壁の派閥へ編入すると言う意味である。

 しかも相手は政治犯リストを強奪できる実力を持った旧日本軍人だと言う、好条件だった。

 

 

 しかし、である。

 草壁の表情は険しかった、とてもこれから自分の派閥を強化しようとしている者の顔とは思えない。

 だからだろうか、周囲の部下達も草壁の真意を測りかねて戸惑いの表情を浮かべている。

 

 

「……中佐、やはり青鸞さまもお呼びした方が良いのでは。真っ先に逃げ出した枢木首相の娘とは言え、日本最後の首相の娘と言う肩書きを持つ者を遠ざけるのは、やはり得策とは……」

「馬鹿者!!」

 

 

 威圧が場を制した、周囲の部下が草壁の巨体が何倍にも膨れ上がるかのような錯覚を覚える程に。

 

 

「貴様らは、あんな小娘に頼らねば日本の独立は成せぬと言うのか!? そのような弱腰だから、貴様らはいつまで経ってもキョウトにすら侮られるのだっ!!」

「も、申し訳ありません!」 

「わ、我らが考え違いをしておりました。軍人でもない女子に頼るなど、そんなつもりは……」

「……わかれば良い」

 

 

 案外あっさりと矛先を収めて、草壁は部下に用意させた持ち運び式の椅子にどかっと腰を下ろした。

 そのまま腕を組み、先方が到着するまで待つ。

 周囲の部下は草壁が怒りを収めたことにほっとした気配を漂わせる、だが、実はその雰囲気を感じるだけでも草壁は苛立った。

 

 

 ――――日本最後の首相の娘を遠ざけるのは、得策では無いだと?

 そんなことは賢しげに言われなくともわかっている、あの娘を旗頭に日本中の勢力を糾合して一斉蜂起を行い、ブリタニアを海の向こうに叩き返す……誰でも考え付く策だ、草壁でなくとも、誰でも。

 本人もそのつもりで亡父の後を継ぐつもりなのだろう……そして。

 

 

「片瀬の腑抜けめ……」

 

 

 誰にも聞こえない小さな声音で、草壁は毒吐く。

 脳裏に浮かぶのは、何かにつけて藤堂の意見を窺う解放戦線のリーダーの顔だ。

 そして、青い着物を着た少女の色の薄い顔……。

 

 

「……あのような小娘に背負わせられる程、日本は小さくは無い。あのような年端もゆかぬ娘に頼らねばならぬ程、我らは死んではいない……」

「中佐! 来ました、大阪のグループです!」

 

 

 草壁が怒りと不満以外の感情を瞳の奥に一瞬だけ見せた時、部下が彼に声をかけてきた。

 暗視機能もついた電子式の双眼鏡を再び受け取ると、放置されて荒れた道を走ってくる一台の小型トラックを確認した。

 トラックのライトを明滅させて信号を送ってくる、それは……。

 

 

「ぬ!?」

 

 

 それは、草壁が姿を確認した次の瞬間、炎の中に消えた。

 何事かと思ったが、双眼鏡から目を離し、夜の闇を轟音と赤黒い炎で照らすそれを見て気付いた。

 大阪から来たというトラック、そのエンジン部に突き刺さっていたアンカーを見て、気付いた。

 スラッシュハーケン、ナイトメアの基本装備――――。

 

 

「ナイトメア……ブリタニア軍! 尾けられていたか、大阪め!!」

 

 

 苦々しげな表情で草壁が叫んだ次の一瞬、トラックを破壊したらしいナイトメアが木々の間から姿を現した。

 そしてそのナイトメアは顔面部のセンサーを開くと、ゆっくりと草壁達の方を見て。

 ……独特の電子音と共に、赤いセンサー波が輝いた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「枢木首相の遺児を旗印に、今はバラバラに動いている反体制派を糾合する」

 

 

 板張りの会議室で、将棋盤を前に片瀬はそう言った。

 将棋盤の向こう側にいるのは藤堂だ、片瀬の前で盤を睨みながら自分の駒を動かす。

 それに対して軽く唸ると、片瀬は次の手をどうするかと顎を撫でて考え込む。

 

 

「あの娘をいつどのように扱うか、それがここ5年の我々の最大の課題だったわけだが……」

 

 

 パチリ、駒を打つ片瀬。

 対する藤堂は、非常に難しい顔をしている。

 対局に対してでは無いことは、即座に駒を動かしたことでわかる。

 

 

「……しかし、まだ早いのでは」

「キョウト側の意向でもある、そろそろあの娘の存在を正式に公表(アピール)したいと。それに、ブリタニアも我々の側の捕虜などからあの娘の存在を嗅ぎつけつつある、情報の秘匿も限界だ」

 

 

 元々、難しい課題ではあったのだ。

 後々の支持を得るために解放戦線の内部には存在を広め、それでいて外のブリタニアに対しては所在を秘匿する、それがどれほどの労力と神経を使うものであったか。

 ブリタニアの捕虜になれば拷問と自白剤で嫌でも吐かされる、そうなるくらいなら死ねと命じられる片瀬ではない。

 

 

 だから片瀬にできることは、仮に存在を嗅ぎつけられてもどこにいるのかを隠すこと。

 戦後7年、未だナリタの存在はブリタニア軍には発見されていない。

 これはもちろん、有り余る財力でブリタニア政庁内に網の目を張っているキョウトの協力があってこそ可能な荒業だった。

 

 

「専用機も得て、美しく成長し、本人も亡父の跡を継ぐことを希望している。そろそろ、準備をしても良い頃だろうと私も思う。ブリタニアに対する一斉蜂起の計画も、幾度も延期しつつも基本は秒読み段階なのだからな」

「だからこそです、だからこそ……このまま、あの娘を表に出すことなく、切り札を切ることなく蜂起を成功させることは出来ませんか」

 

 

 藤堂の言葉に、片瀬は駒を持った手を止める。

 それはまさに、自分が今打とうとしている手を躊躇するかのような動きだった。

 そして実際、このタイミングで青鸞の存在を公表するメリットがどれだけあるだろう。

 

 

 確かに日本中の反体制派を糾合する旗印にはなる、しかしそれは日本解放戦線の存在で代用できることなのではないのか。

 日本最後の首相と言う個人では無く、日本解放戦線と言う組織を核にはできないか。

 しかし、片瀬はそれに力の無い笑みを浮かべた。

 

 

「藤堂、自分の信じていないことを私に信じろと言うのは、聊かお前らしくないな」

「…………」

「……確かに、日本解放戦線が、我々が核となって糾合できれば良い。しかし、出来なかった」

 

 

 理由は、日本解放戦線が一枚岩の組織ではないからだ。

 方針の纏まらない組織など、いくら大勢力でも烏合の衆に過ぎない。

 ブリタニアに対する姿勢ですら纏まっていない、完全な独立を勝ち取るまで戦うべきだとする強硬派もいれば、高度な自治を取って良しとする穏健派もいる。

 

 

 第一、片瀬とて参加している者の中で最も旧日本軍での階級が高かったからトップに据えられているだけだ。

 比較的に高い地位にあったと言うだけでトップに立っただけの男になど、階級を絶対とする軍人はともかく、外の組織がどうして従うだろうか。

 諸勢力の糾合には旗印が、天性でも人工でも良いからカリスマが必要だ。

 

 

「そのカリスマ、核となる人間に能力があれば良し。また無かったとしても藤堂、お前が支えれば良い。今、こうして私を支えてくれているように」

「片瀬少将、しかし……!」

「藤堂」

 

 

 その時、藤堂は息を呑んだ。

 目の前で、自分の手の中の将棋の駒を見つめる老齢の将軍が。

 

 

「……私は、もう疲れた」

 

 

 片瀬が、酷く年老いて見えたから――――。

 

 

「……少しょ」

「藤堂さん!!」

 

 

 その時、会議室の扉が荒々しく開かれた。

 そこにいたのは少年のような風貌を持つ眼鏡の男で、彼は片瀬の存在に気付くとその場で敬礼をした。

 しかし慌てたような雰囲気は変わらず、藤堂が息を整えて何事かと聞くと。

 

 

「青ちゃ、じゃない、大阪のグループを迎えに出た青鸞さま達が……」

「何だと……!?」

 

 

 続けられた言葉に藤堂が膝を立てる、同時に彼は片瀬の視線を感じた。

 いつもと同じ、どうすれば良いのかを藤堂に求める目だ。

 ただ、それはけして片瀬が無能であるが故のことではない、逆だ。

 藤堂の有能さ、それも「奇跡」とさえ称される彼の手腕への期待がそうさせている。

 

 

 だから彼は、片瀬を見下したりはしない、情けなく思ったりはしない。

 ただ、恨むだけだ。

 自分の名に「奇跡」の名を上乗せさせた、今は遠くにいる誰かを。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 草壁達の前に現れた3機のナイトメアは、ブリタニアの騎士(パイロット)キューエルに率いられた小部隊だった。

 実はこのあたりはすでに日本解放戦線の勢力圏ではあるのだが、彼は気にも留めなかったようだ。

 何故なら、彼は「純血派」と呼ばれるブリタニア至上主義者だからだ。

 

 

『キューエル卿、この近辺には我が軍の駐屯地がありません。政治犯リストの強奪犯は殲滅したことですし、撤退した方が良いかと……』

「臆するなチャールズ、我らは世界で最も優秀なブリタニア人だぞ。それに見た所、ここはテロリスト共の合流地点だったようだ。アレらを皆殺しにして、初めて殲滅したと言える」

 

 

 ナイトメアのコックピットの中で、まさにブリタニア人らしい金髪の青年が笑う。

 彼の目の前のメインディスプレイには、廃棄された建築資材置き場の様子が映し出されてる。

 夜のため暗視・温度探知での索敵になるが、資材置き場の各所で人間らしき熱源を探知することが出来る。

 

 

「――――こちらブリタニア軍、トウブ軍管区所属、親衛隊のキューエルだ。資材置き場にいる者達に告げる、今すぐ出てきて顔を見せろ! テロリストで無いか確認する、栄光あるブリタニア臣民であるのならば――――」

 

 

 通信機を使用してのキューエルの勧告、それへの返答は簡潔だった。

 キューエルが操縦桿を引いて機体の胸を上げ、内蔵された機銃を撃ち放った。

 それは唸りを上げて飛翔するロケットランチャーの弾丸を脆くも葬り去り、同時に資材置き場の一部に潜んでいた敵兵を資材の詰まったコンテナごと吹き飛ばした。

 

 

「ふん、文化的な言葉が理解できぬ猿め」

 

 

 相手がブリタニア語を理解できるかどうかは、この際は関係が無かった。

 いずれにせよ敵だとわかった、それ以降のキューエル達には容赦が無かった。

 破壊しても放棄された資材置き場だ、誰に文句を言われるわけでも無い。

 だから彼らは自分のナイトメアの一斉射撃で、一気に終わらせようと――――。

 

 

「……ん?」

 

 

 それまでニヤついた笑みで、資材置き場を右から左へと薙ぎ払っていたキューエルが眉を潜める。

 3機のナイトメアが背中を合わせるように機銃掃射を行っていたのだが、正面の彼から見て左側に突然新たな大きな熱源反応が生まれたのだ。

 しかも、警告のレッドランプを伴って。

 

 

 反射的に操縦桿を立てて押し込み、キューエルが自分のナイトメアを前進させる。

 キューエルの左側にいたナイトメアも回避に成功する、しかし背中を見せる形だったもう1機は反応が遅れた。

 

 

『ぬわあぁっ!?』

「チャールズ!!」

 

 

 僚友の悲鳴に機体を翻せば、薄紫に頭と肩を赤に塗った機械人形(ナイトメア)が、左の二の腕と右腿の上部にアンカーを打ち込まれていた。

 スラッシュハーケンのワイヤーがたわみ、次いで急速に引き戻されて張るのをキューエルは見た。

 爆発四散する僚機からコックピットが排出されるのを確認して、キューエルはスラッシュハーケンが戻る先へとセンサーカメラを向けた。

 

 

『ナイトメア! テロリストか!?』

 

 

 残った僚機のパイロットが叫ぶ、実際、資材置き場横の森の中から姿を見せたのはナイトメアだった。

 ただしキューエル達の乗る物とやや異なる形状のナイトメアで、キューエル達が引き起こした資材置き場の火災で照らされるカラーリングは濃紺だ。

 顔面部のカバーが開き、こちらを探るようにセンサーを放っている。

 

 

『キューエル卿、お気をつけください。ブライとか言うイレヴンのナイトメアです!』

「ふん、グラスゴーもどきだろう? 知っているさ、所詮は劣等民族の猿真似……!」

 

 

 そして自分の方へと突っ込んできた敵ナイトメア――無頼を見て、しかしキューエルは余裕を崩さなかった。

 エリア11のテロリストがグラスゴーのコピー機を使うことは知っていたし、大体、総督直轄の騎士(パイロット)である彼は過去に何機もの同型機を撃破しているのだ。

 地方に展開されているようなパイロットとは、格が違うのである。

 

 

 だから彼は自分のナイトメアに突撃槍にも似た武装を構えさせると、相手の無頼が振り下ろしてきた刀を冷静に捌いた。

 ランスの表面を滑らせるように刃を逸らす、その時、確かに相手の動きが軋んだ。

 動揺したのだろう、もしかしたら若いパイロットなのかもしれない。

 キューエルは、唇に浮かぶ嘲笑を隠そうともしなかった。

 

 

「グラスゴーもどきで、このサザーランドの相手が出来るものか!」

 

 

 叫んで、キューエルは無頼を押し返すように自身のナイトメア――第五世代ナイトメア『サザーランド』、グラスゴーの後継機――を前進させた。

 拮抗していた力が、サザーランド側に有利になっていく。

 

 

 一方、無頼の中で青鸞は息を呑んだ。

 濃紺の、身体のラインが浮き出てしまうくらいぴったりとしたパイロットスーツに身を包んだ少女は、目の前のディスプレイ一杯に映し出される敵ナイトメアに怯んだのである。

 先日戦ったグラスゴーとは違う、性能も、技量も――――青鸞は敏感にそれを感じ取った。

 

 

「強い……!」

 

 

 少なくとも、自分よりも実戦経験のある相手だ。

 しかしだからと言って、ただ負けるようなつもりは青鸞には無い。

 彼女は機体の前進力を強めるべくさらにペダルを踏み込んだ、ランドスピナーの回転が増して、押し込まれかけていた機体の体勢を整える。

 

 

 だがそれは間違った対応だった、相手のナイトメアは逆に後退したからだ。

 一見、無頼が押したように見える。

 しかし逆だ、サザーランドが無頼を引いたのである。

 結果、前進の力が過ぎた無頼はたたらを踏むようにバランスを崩す。

 

 

「……ッ!」

 

 

 操縦桿を立て、ボタンを押し、レバーを引き、ペダルを踏む。

 ナイトメアの操縦は一見単純な作業だ、しかしその作業の一つ一つに順序がある。

 それを間違えるか間違えないか、それがパイロットの生死を分ける。

 例えば、今のように。

 

 

 無頼を引き込んでバランスを崩させたサザーランドは、自らはランドスピナーの非対称回転によってターンしながら無頼の背後に回った。

 剣とランスの表面が削り合って火花を散らす中、それはさながらダンスのように見える。

 遅れて無頼も同じようにターンをする、それで辛うじて突き込まれた槍を刀で逸らすことに成功した。

 これにはキューエルの方が驚いた、まさかグラスゴーもどきが超信地旋回とは。

 

 

『猿真似もここまで来れば、なぁ……!!』

「……無頼……ッ」

 

 

 自分の刀ごと相手のランスをかち上げ、胸部スラッシュハーケンを撃つ。

 当たらない、サザーランドはグラスゴーとは比較にならない――青鸞の無頼と比較しても――素早い反応を返して、大きく後退しながら迂回すると言う手段で回避した。

 スラッシュハーケンを巻き戻す間に肉薄され、ランスの石突部分で脇を押された。

 

 

「あ……ッ」

 

 

 それでも機体の姿勢を何とか保って、青鸞は無頼をその場で2回ターンさせた。

 巻き戻りかけたスラッシュハーケンが鞭のようにしなり、サザーランドの動きを一時的に牽制する。

 それで作った僅かな時間で、青鸞は側面のディスプレイを見つめた。

 

 

「草壁中佐、早く……!」

 

 

 逃げてください、そう呟いた次の瞬間、サザーランドの突撃でコクピット全体が揺れた。

 そのディスプレイの中、資材置き場の一角にトレーラーが一台突入してきた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「馬鹿者! 何故にあの小娘を連れて逃げなかったか!!」

 

 

 自分達が身を潜めていたコンテナの側に横付けしたトレーラーに対して、草壁は怒鳴った。

 資材置き場はすでに火災で真っ赤に燃え上がっている、空気が熱で歪み、煌々と照る炎の明かりが周囲に異常を伝えるだろう。

 つまり、撤退までの時間が限りなく少ないと言うことである。

 

 

 しかもナリタ連山の基地が近すぎて直接の救援は呼べない、逃げても同じだ、だから草壁は逃げる気も助けを呼ぶ気も毛頭無かった。

 そのため、自分達を助けに青鶯のナイトメアとトレーラーが突っ込んできた時は発狂しそうだった。

 何で出て来るんだと怒鳴りたく……あ、いや、すでに怒鳴っていたか。

 

 

「佐々木! 何のために貴様をつけたと思っておるか!?」

「も、申し訳ありません! しかし、味方の窮地を放っておくことは出来ないと……」

「ええい、もう良い! 青木、貴様の通信機を寄越せ!」

「あ、ちょっと!?」

 

 

 コンテナの陰に隠れた部下達を――生き残りを――トレーラー後部の荷台に駆け込ませながら、自身は青木のいる運転席の窓に飛びつく。

 そして草壁はハンドル横にかけてあった通信機を奪い取ると、深く息を吸った後に大声で。

 

 

「こちら草壁だ! 小娘、1人で3機を相手にするつもりか!!」

『1機は潰しました!』

「馬鹿者め! ならば逃げろ!! 貴様のような小娘の手など借りずとも……ぬおっ!?」

 

 

 轟音を立てて、程近いコンテナが真上に吹き飛んだ。

 建機の中に残った燃料にでも引火したのだろうか、火の粉が降り注いでくる程の距離に草壁達も身を竦める。

 

 

『こちらで気を……ます……転……!』

「む、むむ……おいっ、どうした!?」

「――――中佐!!」

 

 

 衝撃が電波を乱したのか、通信機の感度が急激に下がった。

 草壁が通信機の受信部を殴りつけた次の瞬間、佐々木の声で顔を上げた。

 するとそこに、横から殴打されたようにひしゃげたコンテナが吹き飛んできたのだ。

 地面と摩擦して火花を散らし飛んでいくそれを、草壁は額に汗を流しながら眺める。

 

 

「ぬぅ……ブリタニアめ……!」

 

 

 毒吐く視線の先には、コンテナを吹き飛ばしながらこちらへと回り込んできたらしいナイトメアがいた。

 サザーランド、走り込んで来たブリタニア軍のナイトメアは顔面部のセンサーを赤く輝かせながら草壁達のトレーラーを確認した。

 そして、胸部のスラッシュハーケンを放とうとした所で。

 

 

「……小娘!!」

 

 

 横からさらに、濃紺のカラーリングが施された無頼が突撃してきた。

 草壁が見ている前で、無頼のショルダータックルでバランスを崩されたサザーランドは吹き飛ぶ。

 中途半端に放たれたスラッシュハーケンはワイヤーがたわみ、アンカー部分はパイロットの意図せぬ場所へと落下した。

 

 

 そのまま連撃を加えようとした無頼は、しかしそれを行う前に機体を180度回して体勢を入れ替えた。

 理由は、無頼の背中めがけて放たれたスラッシュハーケンを防ぐためだ。

 無頼のスラッシュハーケンは間に合わない、だから無頼は手に持っている刀で2本のスラッシュハーケンを弾き飛ばそうとした。

 

 

「……ッ、刀が……!」

『ふん、イレヴン如きにはこんな芸当は出来まい……!』

 

 

 スラッシュハーケンを弾くことには成功した物の、ワイヤーが刀身に絡まって強く引かれた。

 つまり動けない、スラッシュハーケンの位置を空中で微細に動かさなければ出来ない技術だ。

 やはり強い、しかし感心してもいられない。

 手元のスイッチを操作し、ランドスピナーの出力を二段階引き上げる。

 

 

 そうしなければ、スラッシュハーケンの戻りに巻き込まれて引き摺られるからだ。

 拮抗する力、こうなってくると純粋な機体のパワーが物を言う。

 そして、専用チューン機とは言え無頼ではサザーランドには勝てない。

 

 

『死ね、イレヴン共!!』

「……!」

 

 

 させない、青鸞は無頼の左手を刀から離した。

 引かれる力に右腕が軋みを上げるが、変わりに機体の左半身を若干だが自由に出来るようになった。

 その自由で何をするのか、まずランドスピナーの回転数を左右で変えて左へと機体を寄せる。

 そして左腕を一杯に伸ばして、背後に転んでいたサザーランドの機銃掃射からトレーラーを守った。

 

 

 右腕を刀ごと引かれ、左腕のナックルガード部分を盾として機銃を受け止める。

 正直、機体の稼動領域を上回る無理を成している状態だ。

 実際、トレーラー全体はガード出来ていない、中にいる解放戦線の兵は無事だろうか、青鸞が気にしているのはまずそこだった。

 3機目を潰しておいて良かった、でなければやられている、確実に。

 

 

『ほぅ、頑張るではないか……しかし』

 

 

 前方のサザーランドから響く声に青鸞はコックピットの中で顔を顰める、状況は非常に不味い。

 刀は離せない、離せば唯一の武装を失ってその後に何も出来ずにやられる。

 ではせめて左手を自由にすべきだと理性が告げる、トレーラーを捨て、スラッシュハーケンの戻りを利用して突撃、目前のサザーランド倒せば良い。

 

 

 あるいは隙を作り、自分は撤退できるかもしれない。

 ……どうするか。

 選択肢は2つ、捨てるか捨てないか。

 

 

『将棋においては、時として駒を捨てねばならぬ時がある。それは何故だかわかるか?』

 

 

 ――――それは、捨てねば勝利への布陣を敷けないからだ。

 内心で脳裏に響いた声に応じて、青鸞は操縦桿を握る手に力を込めた。

 そして、彼女は……。

 

 

『馬鹿者め! ならば逃げろ!!』

 

 

 ギッ……!

 左の操縦桿を強く握って、しかし引かない、青鸞はそのままの機体姿勢を維持した。

 だって、左手がどうしても動かなかったから。

 

 

(捨てる……? 将棋の駒みたいに? ボクに逃げろと、ボクが逃げたら死ぬのに、でも逃げろと言ってくれた人達を、将棋の駒みたいに)

 

 

 もしかしたら、自分は馬鹿なことをしているのかもしれない。

 そんな自覚を持ちながらも、しかし青鸞は動かない。

 青鸞だって、死ぬのは嫌だ。

 目的があって生きている、だから死ぬわけにはいかない。

 

 

 このままではやられる、だが、だけど、それでも。

 今、自分が機体の左手で守っている人達は日本人で、解放戦線の仲間で、生きていて、だから。

 ――――将棋の駒では、断じて、無い!

 いつか捨てるべきだとしても、それは、今では無い!

 

 

(捨てられない……捨てて堪るか。捨てずに、穴熊だって攻略してみせる……!)

 

 

 それは、ある意味では青鸞の精神的な潔癖さを表していたのかもしれない。

 極めて愚かで、青く、夢見がちで、非現実的な感情の発露。

 だがもし、ここで自分の意思で誰かの命を見捨ててしまえば。

 彼女は、二度と「彼」を責める資格を失う気がしていたから。

 

 

 しかし、それは逆に言えば危機が継続するというコトだ。

 そしてそれは、地上で守られているトレーラーにいる人間達の方がわかっていた。

 要するに、自分達の存在が大変な重荷になっていると言うことに気付いていたわけだ。

 

 

「こ、こりゃヤバい……!」

「…………ッ」

 

 

 特に運転席にいる者達は、まさに目の前でそれを見ているわけだからそれがわかる。

 とはいえトレーラーは動けない、無頼のガードの外に出た瞬間に機銃掃射に晒される。

 先日も青鶯と戦いを潜った青木はともかく、青鸞の戦いを初めて見た佐々木は目を大きく見開いていた。

 彼女が特に衝撃を受けているのは、自分が守られていると言う点だ。

 

 

 それも、あの枢木ゲンブの――――誰も守らず、言いっぱなしで逃げ出した首相の娘にだ。

 ……7年前の戦争において、彼女は乗っていたヘリを撃墜された。

 それぐらいなら普通だろう、戦争なら良くある話だ。

 だがそのまま終戦まで救助が来ず、彼女以外の仲間は全滅してしまった。

 友軍が救助に来れない状況では無かった、敵軍の規模も大したことが無かったからだ。

 

 

(枢木の自殺で、指揮系統が麻痺しなければ……)

 

 

 助かった、とは、言わない。

 それでも無駄な犠牲は減ったはずだ、抗戦を貫くにしろ降伏するにしろ。

 だが今、彼女はその自分が軽蔑する枢木首相の遺児に守られて……そこで、佐々木ははっと気付いた。

 

 

「中佐!」

「――――撃てぇいっ!!」

 

 

 草壁がいつの間にか、トレーラーの左側に回っていた。

 しかも丸腰ではない、中にいた何人かの部下と共に折り畳み式のロケットランチャーを構えていた。

 発射器前部の押し込み式トリガーを引き、点火と同時に後部噴射口からガスを噴射させながらロケット弾を放つ。

 66mmの成形炸薬弾が照準に従って進み、指定された熱源に向けて一直線に飛翔した。

 

 

『何ぃっ!?』

 

 

 それらは無頼の刀にスラッシュハーケンを巻いているサザーランドに直撃した、オレンジの小さな爆発が薄紫の装甲の上でいくつも爆ぜる。

 もちろんその程度で特殊な加工がされたサザーランドの装甲は貫けない。

 しかしバランスは崩せた、スラッシュハーケンのワイヤーがたわんで緩む。

 

 

「……!」 

 

 

 そして、青鸞はその力の変化を見逃さなかった。

 

 

『キューエル卿! ……なっ!?』

 

 

 無頼の手首を回すことで緩んだワイヤーの中から刀身を引き抜き、マニュピュレータを器用に動かして逆手に持ち直した。

 そしてランドスピナーを左右共に逆回転、後退しながら後ろのサザーランドを突いた。

 突き自体はランスで捌かれるものの、機銃掃射をやめさせることに成功する。

 草壁達の援護と、刀を離さなかったからこそ出来たコトだ。

 

 

『そうだ、それで良い!』

 

 

 その時、無頼とトレーラーの通信機から低い声が響いた。

 全員、その声に聞き覚えがあった。

 だからコックピットの中で青鸞が顔を上げ、地上で草壁が忌々しそうに鼻を鳴らした。

 

 

「ふんっ、奇跡でも押し売りに来たか――――藤堂!!」

 

 

 次の瞬間、深緑の無頼が戦場に降り立った。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――奇跡の藤堂。

 7年前、ブリタニア軍との戦闘で唯一勝利を掴んだことに対する実績を賞賛する呼び名だ。

 その勝ち戦は戦場の名を取って「厳島の奇跡」と呼ばれ、それ故に藤堂は解放戦線を始めとする日本中の反ブリタニア勢力にその名を轟かせているのだった。

 

 

『悪いが、私には奇跡などと言う大層な物は起こせんよ』

「藤堂さん!」

『気を抜くな、三天鋭鋒陣(さんてんえいほうじん)!!』

「――――はいっ!!」

 

 

 燃え盛るコンテナの道を突き破って背後に降り立った新たな無頼、それに応じて操縦桿を前に倒す。

 2機対2機、一見すれば状況が互角に転じたように見える。

 しかしそれは青鸞側から見た話であって、相手は異なる理論に身を置いているだろう。

 

 

『キューエル卿! 新手が!』

「臆するな、所詮はグラスゴーもどきのイレヴン! 我々の敵では無い!!」

 

 

 それにしても、とキューエルは思う。

 2機もの無頼、いったいどこから現れたのか。

 まさか魔法のように湧いて出たわけでもあるまい、どこかにアジトがあるのか。

 

 

「イレヴンは1匹見たら30匹は湧いて出ると言うしな……!」

 

 

 突撃してくる青い無頼をディスプレイに捉えながら、キューエルは見下した思考でそう言った。

 優良人種(ブリタニアじん)が、劣等人種(にほんじん)に負けることなどあり得ない。

 あってはならないのだ、正面から戦う限りにおいて……!

 

 

『ぐああああああああああぁぁぁっ!?』

「トーマス!? どうし――――!」

 

 

 その時、彼は見た。

 自分の反対側にいる僚友の機体が、森の中から伸びて来た4本のスラッシュハーケンで機体の四肢をもがれている姿を。

 火花と金属が散り、僚友のサザーランドが崩れるように後ろへと倒れていく。

 そしてその眼前に、先ほど青い無頼の援護に降り立った無頼が。

 

 

『き、キューエル卿、キューエル卿! 助け――――』

「……ッ」

 

 

 通信機から響くのが悲鳴から耳障りな雑音へと変わり、キューエルは顔を顰めた。

 次いで、画面の一部に赤い爆発を確認した。

 今度は、脱出した気配も無い。

 

 

(伏兵だと!? いつの間に――――!)

 

 

 響き渡る警告のレッドランプ、方角は左右、続いて衝撃がサザーランドのコックピットを揺らした。

 損害を報告してくるプログラムの画面を見なくてもわかる、先程の僚友のように機体の四肢をスラッシュハーケンで抉られたのだ。

 小爆発の衝撃が立て続けに起こる、キューエルの耳に甲高いアラームが鳴り響いてくる。

 

 

「これで……」

「――――王手だ」

 

 

 呟くのは、朝比奈と千葉。

 彼らに卜部、そして仙波と言う男を加えた4人は「四聖剣」と呼ばれている。

 藤堂の「奇跡」を支える腹心、たった4人の忠実な部下。

 朝比奈と千葉はそれぞれコンテナ置き場と森から、キューエルのサザーランドを無頼のスラッシュハーケンで抉っていた――――3機1組で敵を仕留める、これぞ三天鋭鋒陣。

 

 

 4本のスラッシュハーケンで穿たれた敵は、身動きすることも出来ない。

 キューエルはぞっとした、彼は僚友の末路を知っている。

 伏兵に貫かれた僚友は、そのまま正面の無頼のスラッシュハーケンでコックピットを貫かれていた。

 そして眼前には、全速で駆けてくる青い無頼がいる。

 

 

「はああああああああああああああぁぁぁっっ!!」

「うおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉっっ!?」

 

 

 それぞれの叫びがそれぞれの機体の中で響く、しかし意味は異なる。

 青鸞のそれが裂帛の叫びであるのに対し、キューエルのそれは恐慌の叫びだ。

 この時には、ブリタニア人も日本人も無い。

 次の瞬間、無頼の刃が袈裟懸けにサザーランドを切り裂いた。

 

 

 そしてキューエルが気付いた時、彼はすでに宙を待っていた。

 機体が吹き飛んだのではない、機体の爆発に巻き込まれたのでもない。

 視線を下げれば、彼の両手は座席下のレバーを引いていた。

 コックピットの脱出装置を起動するためのレバーだ、それを認めた瞬間彼の視界が真っ赤になった。

 

 

(わ、私が、誇り高きブリタニアの、純血の私が……!?)

 

 

 負けた、いや、それ以上の屈辱にキューエルは歯軋りした。

 宙を舞うコックピットの中、警告灯の明かりしかない――ディスプレイも消えた――狭い空間で、彼は頭が沸騰しかねない程の頭痛を感じていた。

 ――――イレヴンに、劣等人種に恐れを成して逃げ出したと言う事実に。

 

 

「この屈辱、忘れんぞ……!」

 

 

 もはや何も映らないディスプレイの向こう、そこにいるだろう相手に叫ぶ。

 

 

「忘れんぞ、青い……ブライイイイイイイイイイィィィッッ!!」

 

 

 キューエルの屈辱に嘆く叫びが、誰に聞こえることもなく響き渡った。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 その後は藤堂指揮の下で、青鸞達はナリタ連山地下の本拠地へと戻った。

 途中、ナリタまで通じる地下道を一つ潰してきた。

 自然の岩崩れに偽装し、後の捜査・索敵の目を誤魔化すためだ。

 それだけのリスクを犯して、藤堂達は青鸞や草壁達を救いに出撃したのである。

 

 

「余計なことをしてくれたな」

 

 

 点呼と報告のため、ナイトメアの格納庫に一時集結した一同。

 ワイヤーを使ってコックピットから降りてきた青鸞を迎えたのは、そんな言葉だった。

 ポニーテールの髪先をまさに尻尾のように揺らして振り向けば、そこには巨体を大きく膨らませた草壁が立っていた。

 

 

「貴様のような小娘などの手を借りずとも、我らの手だけで凌いで見せたわ!」

「…………」

 

 

 それに対して、青鸞もいろいろと思うことはあった。

 しかし結局、彼女は何も言わなかった。

 ただ目を閉じて、軽く会釈した程度である。

 「枢木」としての対応であって、今後のことを考えての対応でもあった。

 

 

 一方で草壁はと言えば、そんな青鸞に視線を向けて鼻を鳴らしただけだ。

 ……何故か数秒の間視点を止めた後、回収できた自分の部下達を引き連れて歩き去っていく。

 ほぅ、と息を吐いて、青鸞は顔を上げた。

 草壁達の背中を追うように視線を上げれば、最後尾に青鸞を見る目があった。

 佐々木である、彼女はじっと青鸞を見た後、軽く会釈を返した。

 

 

「……?」

 

 

 内心で首を傾げつつ、見送る。

 そうして再び息を吐いていると、そんな彼女の傍に別の人間が立った。

 微かに顔を上げると、今度は青鸞も表情を明るい物にした。

 

 

「仙波さん」

「先程は危なかったな、青鸞。肝を冷やしたぞ」

 

 

 現れたのは大柄の男だ、それもかなり年配の白髪の男性。

 丸々した身体に横長な顔が特徴的だ、しかし彼はベテランの軍人でもある。

 階級は大尉、藤堂の部下「四聖剣」の中では最も高齢だ。

 仙波崚河(せんばりょうが)と言うその男と青鸞が並べば、一見祖父と孫のようにすら見える。

 彼は遠ざかる草壁達の姿を青鸞の共に見つめると、溜息を吐いて。

 

 

「気にしてやるな、彼奴らはああ言うしか無いのだ」

「……はい」

 

 

 わかっている、青鸞も良く知っている。

 人の言動が立場に縛られる場面を、彼女は生まれた時から見続けているのだから。

 しかし、青鸞がそれに倣う必要も無い。

 彼女は仙波を見ると、草壁にしていたのよりはやや深く頭を下げて。

 

 

「あ、仙波さん。皆も……来てくれてありがとう。来てくれなかったら、ボク」

「いや何、直接お前を助けたのは朝比奈と千葉だ。それに藤堂中佐も褒めていた、良くやったと」

「藤堂さんが……?」

 

 

 視線を動かせば、青鸞と同じように無頼から降りてくる藤堂の姿が目に入った。

 精悍な顔は相変わらずむっとしていて、こちらに視線を向けるようなことはしない。

 代わりのつもりなのか何なのか、朝比奈が軽く手を振っていた。

 

 

「…………ふふ」

 

 

 溜息のように浮かぶ微笑を、仙波は頷きながら見ていた。

 何倍も年の離れた少女に優しげな眼差しを見せて、自身も仲間達の所へ戻ろうとした時。

 

 

「青鸞さま!」

「……雅?」

 

 

 ナイトメア格納庫には不似合いな割烹着姿の女の子が、歩幅短く駆けてきていた。

 珍しいと言うか、これまで無かったことである。

 実際、彼女に奇異の目を向ける者も多々いる、しかしそれよりも優先すべき何かがあるのか、雅は青鸞の下まで駆けてきた。

 そして、何事かを青鸞の耳に囁き始める。

 

 

「……ふむ?」

 

 

 仙波は太い肩を竦めると、しかし取り立てた何も言わずに背を向けて。

 

 

「何だと、シンジュクが……!」

 

 

 そこで、藤堂が解放戦線のメンバーから青鸞と同様に何事かを囁かれていた。

 そして藤堂にしては珍しいことに、感情を表に出している様子だった。

 

 

「……ブリタニア軍が……?」

 

 

 仙波からすると後ろ、少女の声が揺れていた。

 彼が振り向くと、雅に信じられないような表情を向ける青鸞がいる。

 こちらも珍しいことに、狼狽している様子だった。

 今は2人が何に驚いているのか、仙波にもわからない

 しかし青鸞と藤堂が別ルートで得た情報は、後に同一の物であったことがわかる、それは――――。

 

 

 ――――皇暦2017年のこの日、シンジュク事変と呼ばれる事件が発生する。

 それは「演習を兼ねた区画整理」を名目として、エリア11総督クロヴィス・ラ・ブリタニアがシンジュク・ゲットーと呼ばれる日本人居住地を住民ごと破壊(ぎゃくさつ)した事件であり。

 そして――――……。

 

 

「「……虐殺を……?」」

 

 

 青鸞と藤堂の呆然とした呟きが、ナリタの夜に消えていく。

 そしてこの時より、時代は激しく動くことになる。

 誰にとっても、激動の時代が訪れる――――。

 




採用キャラクター:
KAMEさま提供(小説家になろう):佐々木遥(軍人)。
ありがとうございます。

 最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
 今話で原作のイベントが発生したので、次回あたりから青鸞が解放戦線以外の原作キャラクターと関わりをもって行く形になっていくかなと思います。
 まぁ、と言ってもアウトローな部分になっていかざるを得ない気もしますが。

 そしてまさかの草壁中佐プッシュ、今後もどんどん行ってほしいです。
 密かにキューエル卿も登場、何か妙なフラグを立てたような気もします。
 大丈夫か純血派。
 あ、あと前回後書きで青鸞の属性で一つ忘れていたのを、読者の方に指摘されて思い出しました、「脱ぎキャラ」です(え)。

 それでは今回も次回予告、語り部はもちろん枢木青鸞。


『わかってた。

 自分達に力が足りないことぐらい、言われなくてもわかっていた。

 だから、皆から何を言われても仕方ないと思う。

 だけど、一つだけ。

 ボクらは、日本を諦めたことなんか無い――――』


 STAGE4:「シンジュク ゲットー」

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