また、性描写が苦手な方はご注意ください。
では、どうぞ。
南京、中華連邦本国江蘇省に位置する大都市だ。
過去の中華帝国において首都になったこともある伝統ある都市であり、東西を長江に貫かれる特殊な構造から、守るに易く攻めるに難い堅牢な軍事拠点でもある。
なお南京を要する江蘇省の沖合いの海上には、蓬莱島と言う潮力発電用の人工島があるのだが、それはあまり知られていないことである。
そして今、歴史ある南京の街は崩れ落ちようとしていた。
河南省……北部から撤退してきた中華連邦軍本隊と、南下するブリタニア軍による撤退・追撃戦が繰り広げられているからである。
どちらが優勢なのかは、もはや誰の目にも明らかだった。
「だぁ……しつこいねぇ、まったく!」
その地獄の撤退戦の中にあって、朝比奈が毒吐いた。
彼は『暁』と言う
だが今は正面・側面を問わず、モニターには敵機と敵の火線しか見えない。
制空権、それが中華連邦に無くブリタニアにあるものだった。
戦闘機を始めとする航空機の性能はもちろんのこと、ヴィンセント等の航空戦用ナイトメアを大量に投入するブリタニア軍は、終始中華連邦の地上軍を圧倒していた。
中華連邦は航空戦用ナイトメアを保有していない、例外は朝比奈達、黒の騎士団だ。
だが相手は、黒の騎士団の10倍の航空戦用ナイトメアを投入している。
「負け戦には良い加減慣れてるつもりだけど、これは僕の人生でもベスト5に入る酷さだよ……」
ヴィンセントの編隊の攻撃を回避しながらぼやけば、眼下にはブリタニア軍に占領された中州が見える。
長江の真ん中に浮かぶ陸地、それは河を渡って撤退する中華連邦にとっては落とされてはならない場所だった。
現に、中州の中華連邦軍を支援していた朝比奈が敵中に孤立してしまった。
「仙波さん! 千葉! ……あーあ、通信まで寸断されて!」
これは本格的な負け戦だな、と朝比奈は思う。
南京の空はこんなに澄んで青いのに、どうして自分はこんな所で敵に囲まれているのか。
……青と言えば。
「青ちゃんいなくて、良かったかもね……!」
操縦桿を押し込んで急上昇し、ヴィンセントの編隊を振り切りにかかる。
急激なGがパイロットスーツ越しに身体を潰そうとしてくる中で、朝比奈はそんなことを呟いた。
青鸞がここにいれば、朝比奈の代わりに殿を務めようとしただろうから。
朝比奈を始めとして、旧日本解放戦線のメンバーで青鸞がブリタニアのスパイだったなどと信じる者はいない。
まして告発したのがあのディートハルト、旧日本解放戦線から毛嫌いされていた男である。
自分とゼロの組織内の基盤を強めようとした結果だろう、大体がそう判断している。
むしろ青鸞の失踪のせいで下がった士気の方が問題で、派閥抗争に倒れた日本解放戦線の二の舞になりかねなかった。
『おやぁ……? 活きの良い獲物がいるじゃないかぁ』
急上昇する暁の隣に、明らかに量産機では無いナイトメアが姿を現した。
暁と併走するように飛翔するその機体は『パーシヴァル』、頭部に
ナイトオブテン、ルキアーノ・ブラッドリー卿の愛機だった。
「よりにもよって、吸血鬼かい……!」
『
「冗談!」
操縦桿を倒し、急上昇から急旋回へと移行する。
すでにヴィンセント隊は振り切った、こんな所で強敵とやり合うつもりは無かった。
まして自分は孤立している、朝比奈はそこまで猪では無いつもりだった。
「何……っ!?」
だがそこへ、朝比奈の道を遮るように別のナイトメアが回り込んで来ていた。
濃い緋色のカラーリングが施されたシャープな機体で、その機体――ナイトオブテン直属『グラウサム・ヴァルキリエ隊』の副官機『モリガン』――が振り下ろしたトンファーを、廻転刃刀で受け止めた。
しかし火花を散らせて鍔迫り合いを演じたのは一瞬、暁の機銃掃射から逃れるように離れていった。
そして代わるように、背後からピンクにカラーリングされた派手なヴィンセントが4機、朝比奈の暁を半包囲するように迫ってきていた。
正面には、今の一瞬で回りこんだパーシヴァル。
右手の4本のクローを回転させてドリルとしたその機体に、朝比奈としては溜息を吐かざるを得ない。
「……嫌になるなぁ、もう」
とは言え、死ぬつもりは無い。
力の抜けた表情を一息に改め、朝比奈は再び操縦桿を強く前に倒した。
生き残る道は、常に正面にある。
朝比奈は、そう信じていた。
◆ ◆ ◆
枢木青鸞の人生とは、いったい、どう称されるべきものだろうか?
日本の旧家に生まれ、兄に父を殺され、テロリストとして生き、戦いの最中にブリタニアに囚われ、皇帝の剣となり、幼馴染の少年に救われ、再び抵抗の象徴となり、しかし仲間だったはずの男に嵌められ、今こうして饗団のトップに収まっている。
はたして、彼女の人生をどう表現すれば良いのだろう?
たかだか十数年の人生でここまでを経験した彼女を、どう評価すれば良いのだろう?
しかしそれは結局、後の歴史家に委ねられるべきものなのかもしれない。
真実を知らず、情報の断片と己の判断で「歴史」と言う本にペンを走らせる歴史家と言う生き物の手に。
「えー……っとぉ、つまり?」
そしてギアス饗団の最奥部、神殿のような設えが成された「黄昏の間」。
かつては饗主以外に入ることを許されなかったその場所に、青鸞と、旧日本解放戦線の時代から彼女を守護してきた護衛小隊のメンバーがいた。
正確には生き残りだ、護衛小隊は人員の補充を長らくしていないから、今や10人程度しか残っていない。
「つまり青鸞さまは、宗教団体のトップになっちまったってわけですかい?」
「何か、そう言う言い方をされると……考え直したくなってくるかも」
山本のあけすけの無い物言いに、階段の上で青鸞が苦笑する。
青鸞は今、旧日本解放戦線時代からの仲間に事情を説明していた所だった。
少し前のように誤魔化しを入れず、何から何まで、コードからギアス、ブリタニアとの関係まで全てだ。
草壁が聞けば、また怒るかもしれない。
「それで、あの……青鸞さまは我々に何を?」
実際、上原を始めとする大多数の面々は困惑と不安を同居させている。
それはそうだろう、ギアスと言う超常の力――実際に見せてもらったが――の研究をしている機関のトップの座に青鸞がついたとなれば、普通は「自分達にもギアスの実験を?」と思うだろう。
青鸞のことを信じていても、そうなるのは仕方が無い。
「うん……まずは、これまでと同じように、ボクと一緒にブリタニアと。ブリタニア皇帝と戦ってほしいんだ」
「それは、日本の独立のためですか?」
「……それも、あるね」
階下から自分を見上げて問うてくる雅に、青鸞はやや寂しげな顔で応じる。
事実、今でも青鸞は日本の独立と復興を願っている。
しかし同時に「セイラン・ブルーバード」は、祖国と主君の間違いを正したいという欲求を持っている。
そして饗主としての青鸞――すなわち「A.A.」にとっては、饗団と言う組織のための行動だ。
コードに刻まれた記憶と情報により生まれたその
「それでは、何を? 饗団などと言う代物とは一切合切関係が無い私達に、どのような立場で、貴女は何を頼むと言うのでしょう?」
雅の言葉は厳しいが、それは事実を突いていた。
雅達にとって、饗団などと言う組織はどうでも良い存在なのだ。
だが青鸞は彼女達に頼んだ、彼女達に頼みたかったのだ。
これはエゴだ、強くそう思う。
「……饗団の子供達の、「先生」になってほしい」
別に教師になれと言っているわけでは無い、自分にとっての藤堂のような存在になってほしい。
外の、人間の世界で生きていけるように。
自分で道を見つけて、自分で何かを掴み、そして自分の失敗の責を自分で受ける。
そんな、普通の人間としての人生を歩めるように。
ギアスの瞳を抱えたまま、歩んでいけるように。
「……お願いします」
我侭を、身勝手を、エゴを自覚しながら。
青鸞は卑怯にも、自分が信じる人達に頭を下げたのだった。
◆ ◆ ◆
「ギアスを抱えたまま、生きていけるように……か」
護衛小隊の面々が去った黄昏の間に、静かな声が反響した。
柱の陰から現れたのは緑の髪の少女、つまり先々代の饗主C.C.だ。
彼女は1人で佇む青鸞を見つめると、口元にふふっと皮肉げな笑みを浮かべた。
その目は、まったく笑っていなかった。
「ギアスを得た子供が、普通の世界で生きていけると?」
「…………」
答えない青鸞に歩いて近寄りながら、C.C.はそう言った。
ギアスは……王の力は人を孤独にする。
いずれは暴走を始めて、自分ではどうすることも出来ない被害を周囲にもたらす。
人の形をした災害のようなものだ、手の施しようが無い。
「それにV.V.が造り上げたギアスの戦士団をどうする? ロロとか言うお前の弟、アレと同じように殺しと破壊しか知らない。それをお前はどうする? どう使う?」
「C.C.さん」
「……何だ?」
饗団にいる子供達、少年少女達は饗団の教えしか知らない。
饗主に従い、その命令に忠実であることしか知らない。
ギアスと言う超常の力を持ちながら自分の意思も幸せも知らず、ただただ短い人生を実験と破壊に捧げるだけの……人形のような子供達。
「ボクは契約したんだ、あの子供達を救うと」
「……それが、お前がコードに捧げた願いか」
「うん」
コード保持者は、己のコードに誓いを立てる。
それは世界に留め置かれる不死性の源となり、コード保持者に力を与える。
世界、すなわち根源との契約。
青鸞の立てた誓いは、饗団と言う組織の変革、在り方の変化。
それこそが、新たな饗主「A.A.」の契約。
教義を奪うわけでも、価値観を押し付けるつもりも無い。
人形ではなく、人間として生きてほしい。
ただそれだけが、青鸞があの子供達に願うことだった。
――――コードは、ギアスは、願いに似ている。
「……やれやれ」
それに、C.C.は溜息を吐いて首を横に振った。
未だ己の契約内容を誰にも伝えていない魔女は、己とは対照的な位置にいる年若いコード保持者に呆れのような感情を感じていた。
そして視線を流すと、黄昏の間にもう2人、人間がやってきたことに気付いた。
青鸞を饗主の座に祭り上げた張本人、ヴェンツェルとジェレミア。
どうも昔に何らかの縁があったらしい2人は、しかし仲睦まじくつるむわけでもなく、ビジネスライクな関係を維持している様子だった。
まぁそれについては、C.C.にとってはどうでも良いことだったが……。
「残った信者達の掌握については完了したよ、饗主A.A.。後、中華連邦の戦況についても」
「出来ますれば、我が君にご報告申し上げたいのですが……」
「……うん」
ヴェンツェルの言葉には素直に頷いた青鸞だが、ジェレミアの進言には表情を暗くした。
我が君、その相手が誰なのかを考えれば、おのずと理由も明らかになるだろう。
彼は、あの少年は、今……。
◆ ◆ ◆
しかしそうは言っても、2日や3日で饗団の体質が変わるわけでも無い。
そもそも青鸞は饗団に来てまだ日が浅い、組織自体の掌握はヴェンツェルなど古参の幹部の仕事だ。
青鸞の仕事は、言うなれば……ここでも、「象徴」なのだった。
「ヴィヴィアンと零番隊については、何とか私が押さえてる。でも藤堂さん達が南京でピンチって情報は統制できて無いから……それに、私だって」
「うん、わかってる。でも」
「そうね……ゼロが、ルルーシュがいないんじゃね……」
はぁ、と溜息を漏らすのはカレンだ。
今は零番隊を率いて饗団施設の治安維持や実験データの管理・抹消などを行っているのだが、内容が内容だけに、精神的にも肉体的にも疲労している様子だった。
現に今も、ヴィヴィアンの会議室の一室にやってきた青鸞の前で、椅子にぐったりと座り込んでいた。
手入れの暇も無いのか、髪と肌がやや荒れていることに気付く。
前髪をかき上げるように右手で顔の上半分を覆い、背もたれにもたれかかれば、緩められた赤いパイロットスーツの胸元から豊かな胸が僅かに見えた。
青鸞の視線に気付いたのか、カレンは青鸞を横目に見てふと笑った。
「……似合わないね、それ」
「うん」
否定せずに頷くのは、青鸞自身も己の格好を似合っているとは思っていなかったからだ。
蒼の司祭服、コードの紋章が刻まれた右掌と左の胸元が見えるようにデザインされたそれは、東洋人の青鸞にも良く似合ってはいた。
しかし、カレンや青鸞が笑ったのは外見の話ではなかった。
「まぁ良いよ、零番隊の方は私が何とかする」
「……ありがとう」
「良いよ……おままごとした仲だしね」
「ふふ、頼りにしてるよ、お姉ちゃん?」
「はいはい、任せて妹さん」
最後にはクスリと笑い合って、青鸞はカレンと別れた。
そしてそのまま、少し前まで自分が使っていた部屋のフロアへと足を進めた。
誰もいない、誰も来ないフロア。
それでも足を進めていると、1人のメイドに出会った。
東洋人、いや日本人のメイドだ。
露出の少ないシックなメイド服に身を包んだ彼女、咲世子は、青鸞を見て丁寧に礼をした。
青鸞が頷きを返すと、扉横の機器を操作して部屋の扉を開けた。
……そこはかつて、ナナリーが使っていた部屋だった。
「――――……ルルーシュ、くん?」
照明のついていない部屋は、酷く暗い。
だが通路の照明のおかげで、部屋の中を窺うことは出来る。
白いレースのカーテン、小物入れの引き出しのついた鏡台、壁にかかったはと時計、丸みを帯びたベッドの上にはぬいぐるみがいくつも置いてあって、いかにも少女趣味な造りの部屋だった。
そして、青鸞の声に返事は無い。
だが、見えた。
妹が眠っていたベッドの上に腰掛ける背中が、見えた。
背後で扉が閉まる音を聞きながら、青鸞は小さく息を吐いたのだった。
◆ ◆ ◆
さらに幾日かが過ぎて、中華連邦軍本隊は大陸から叩き出されるまでに追い詰められていた。
中華連邦有数の島である台湾島を背にする大小金門島と周辺の島々から成るその地域に、中華連邦軍本隊は逃げ込んでいた。
花崗岩の島々は居住には向いていないが、一般観光客の入島を制限した軍事拠点である。
そこに、十万余にまで目減りした中華連邦軍本隊がすし詰め状態で押し込められている。
要塞の至る所で負傷した兵の悶える声が響き、血と汗と泥の匂いが充満し、それを吸った空気は重く湿っているように感じた。
無傷の者を見つけるのが難しい、それくらいに傷ついた軍勢がそこにいた。
「……酷い……」
花崗岩の地面に足をつけて声を震わせたのは、1人の小さな少女だった。
しかしただの少女では無い、中華数十億の民の上に君臨する「天子」こそが彼女だ。
4つの髪飾りで纏められたシルバーブロンドの髪に薄い赤の瞳、大きく開く紫の腰添えと一体化した翡翠色の衣装が小柄な身体を覆っている。
最高級の生地で設えられたその衣装は、今は埃と泥でやや汚れていた。
「申し訳ありません、天子様」
「え、え……し、星刻? 何故謝るのです?」
兵達の無残さに心を痛め、それを表すかのように胸に手を当てた天子……その目の前で膝をついたのは星刻であって、だからこそ天子は慌てた。
どうして星刻が深刻な表情で謝ってくるのかがわからなかったし、それがわからない自分が情けなくもなり、天子の大きな瞳に透明な雫が溜まり始める。
しかし星刻にしてみれば、こうした惨状を天子に見られること事態が屈辱だった。
天子に朱禁城の外の世界を見せる、かつて交わしたその誓約は確かに果たされた。
だが、これは違う。
星刻が見せたかったのはこんな世界では無かった、だから彼は天子に頭を垂れたのだ。
「し、星刻、あの……あの、私は、そんな、えと」
「……有難きお言葉。しかし天子様、このような苦境を招いたのは我が不明。こうなれば、我が身に変えても天子様を」
「そんな顔色の殿方にそう言われて感動する女性はおりませんよ、大司馬殿」
「何……ぐはっ!?」
「し、星刻!?」
鈍い音が響き、星刻がその場にうつ伏せに倒れた。
慌てて縋り付いて星刻を呼ぶ天子の姿を、葵文麗は溜息を吐きながら見つめていた。
所々に泥をつけた女官服は周囲の兵の姿と比べても遜色は無い、温和そうに見えて過激な所がある彼女は、傍にいる近衛の張凛華に星刻を気絶させた所だった。
何しろこの1週間、星刻はほとんど寝ていなかったのだ……ただでさえ体調が悪いと言うのに。
まぁ、それでも槍で殴ることは無いだろうと周囲の兵は思ったりしたのだが、文麗がちらりと視線を流すと慌てて顔を背けていた。
宮殿の
「……それにしても」
周囲の兵の無残さを見て――別に目を逸らされて気にしているわけでは無い――文麗はもう一度溜息を吐いた。
「この十万余の民と兵、どうやって台湾まで逃がすか……」
制空権をブリタニアに握られている現在、大陸沖の台湾島までの撤退行がどれ程苦しい物になるか、想像に難くない。
そこではおそらく、想像を絶する地獄が展開されるはずだった。
絶望的な作戦、だがそれを実行しなければ滅びるだけなのだ。
そして、文麗は空を見上げた。
そこには夜空の中に佇む黒の航空戦艦がある、同盟者の船だ。
――――作戦の成否を決める、船だ。
「次の台湾への撤退戦、インドの援軍は間に合わないだろう」
その航空戦艦、「斑鳩」の艦橋では、藤堂が騎士団のメンバーに向けて訓示している所だった。
次の作戦の確認と、そしてそれ以上に気構えの話を。
それを聞く面々の表情は暗く厳しい、それだけ苦しい状況だと言うことだった。
中華連邦よりも遥かに戦力の小さい彼らにとっては、特に。
「畜生、ゼロはいったいどうしちまったんだよ!」
「……それはこっちが聞きたいね、また逃げ出したんじゃないの?」
「んだと!? ゼロは俺達を置いて逃げたりなんか……!」
「どうかな、キミ達だってセキガハラで僕達のことを置いて……」
「よせ!」
頭に包帯を巻いた玉城と、顔の左半分を包帯で覆った朝比奈の間に不穏な空気が流れる。
藤堂の制止で一応は止まるが、感情的な尖りが失われたとは思えない。
千葉が溜息を吐き、首を横に振っているのが良い証拠だった。
普段なら茶化しの一つも入れてくるラクシャータですら、椅子に寝転んだまま何も言わない。
「……でも藤堂さん、実際、ゼロからは何の連絡も無いんでしょう?」
「…………」
朝比奈の言葉に、藤堂は何も言わなかった。
ただ流石に眉が僅かに震えて、それを見逃さなかった朝比奈の右眼に不穏な気配が宿る。
玉城が泣き言を口にしているのが聞こえたが、何と言ったかは誰も覚えていなかった。
いずれにしても、彼らは危機にあった。
このまま何の要素も介入も無ければ、どうなるかは火を見るよりも明らかだった。
そんな彼らにとって必要なのは一つしか無い、希望だ。
だが、奇跡の源となるはずのそれこそが……今、一番不足しているものだった。
◆ ◆ ◆
「――――皇帝陛下が?」
珍しく驚いたような声を上げて、シュナイゼルはカノンに視線を向けた。
中華連邦……いや、旧中華連邦領福建省、その省都である福州市の市庁舎を仮宿としているブリタニアの帝国宰相は、柔和な微笑の中に困惑の色を見せていた。
副官カノンの報告は、それだけの価値があった。
現在、シュナイゼルは文字通り中華連邦を攻略している所だった。
圧倒的な兵器の性能差と制空権の確保により南下しつつ、中華連邦軍のゲリラ部隊による補給の寸断に対処しながら、中華連邦軍本隊への最後の攻勢のタイミングを図っている。
今はそう言う時期だった、だから意外だった。
「……陛下が自ら太平洋艦隊を率いて、こちらへ?」
「正確には、エリア11です」
落ち着きを取り戻したシュナイゼルに、カノンもまた淡々と返す。
書類を手にシュナイゼルに報告するその姿はいつもと変わらない、違う点があるとすれば、部屋がブリタニア調では無く中華風の造りになっている所だろうか。
しかし外の環境が変わろうと、内の関係が変化するわけでは無い。
「皇帝陛下はナイトオブワン、ビスマルク・ヴァルトシュタイン卿と共にエリア11に向かうそうです。名目上は中華連邦に降伏を迫るためとのことですが、実際はエリア11代理総督ユーフェミア皇女殿下の誅滅のためでは無いかと……」
「ユフィは、皇籍を剥奪されてしまったからね」
中華連邦でシュナイゼルが動いている間、エリア11でも情勢の変化があった。
本国の命令を聞かずにナンバーズ制度の改革を進めるユーフェミアに対し、皇帝シャルルは謀反を認定、この時期すでにユーフェミアは一人前の反逆者になっていた。
皇籍を剥奪され、ユーフェミアの実家は母后も含めて一族郎党皆殺しにされたと言う。
「それと、アフリカ方面とアラビア半島方面からイラクへ進出したエルンスト卿とクルシェフスキー卿が、中華連邦領ペルシア軍管区を陥落させたとのことです。ラウンズのお二方はそのまま、それぞれ一軍を率いて中央アジアの攻略に向かうそうで……」
「ふむ、そうなると……本国に戻ったアールストレイム卿と、枢木卿に代わって南太平洋の押さえをしているエニアグラム卿以外のラウンズが、全員中華連邦攻略に参加したことになるのかな?」
「いえ、エニアグラム卿はすでにニューギニアに進出していて……そのまま、太平洋上で陛下と合流なさるそうです」
「ほぅ……」
帝国の剣、ナイトオブラウンズ。
戦死が伝えられているセイラン・ブルーバード卿を除く8人の内、7人までもが極東の戦争に参戦。
EUがすでに半壊状態とは言え、イタリアやドイツはまだまだ踏ん張っている、随分と戦力を偏らせるものだとシュナイゼルは思った。
中華連邦を下せば世界はブリタニアの物、とは言え、疑問は感じるのだった。
「……私はいったい、何を望まれているのかな……」
「は?」
「ああ、いや。何でも無いよ」
シュナイゼルは取り繕うように微笑むと、話題を変えるように「それで?」と言った。
「金門島への攻撃準備は、どうなっているのかな?」
金門島とは、福建省南部の対岸にある小さな花崗岩の島である。
大陸と僅か数キロしか離れておらず、しかも人の居住に向かないが故に中華連邦軍の一大軍事拠点として要塞化されている。
現在、撤退した中華連邦軍本隊が大金門島を含む12の島々に逃げ込んでおり、ブリタニア軍としては攻略しないわけには行かなかった。
本当なら今すぐに攻撃を開始したいが、そうもいかない事情がある。
それが先程言っていた中華連邦軍――と言うより、それに呼応した数億の農民――のゲリラ活動により、補給線の一部が寸断されたためだ。
ブリタニア軍は都市と言う点を押さえてはいるものの、都市間の鉄道などの線を確保しきれていない面があった。
「そちらについても、枢木卿が中心となって進めているようです」
「……枢木卿、か」
ナイトオブセブン、枢木スザク。
世界唯一の第9世代KMFの騎士にして、対中華連邦戦の勲功第一。
しかし彼の名を口にする時、シュナイゼルの表情にやや陰が生まれた。
それに対し、カノンが首を傾げる。
「枢木卿に、何か気になる点でも?」
「いや、そう言うわけじゃないよ。ただ……」
「ただ?」
「…………」
カノンの再度の問いかけに、しかしシュナイゼルはそれ以上は何も言わなかった。
何も言わずに椅子から立ち上がり、市庁舎の窓から外を見る。
夜の闇に飲まれた中華の街に視線を下ろし、その灯の下にいる人々の生活はブリタニアと変わらぬものなのだろうか、などと思った。
そして、嘆息する。
だがその嘆息の意味を、彼の心を知る者は誰もいない。
誰も、いなかった。
……シュナイゼル本人を含めて、誰も。
◆ ◆ ◆
饗団には、多くの子供がいる。
100人規模の子供達の面倒を見るのは容易では無いことだ、だがここでは割と簡潔に見ることが出来る。
何故ならその子供達は、饗主を頂点とする饗団のピラミッド構造に忠実だからだ。
それが、当たり前だったからだ。
「ロロ、どう?」
「あ、姉さん」
青鸞の声にぱぁ……っと顔を輝かせたのはロロだ、V.V.に受けたダメージはすでに回復している。
「わぁ、やっぱりその衣装、似合うね」
「そう? ありがとう、ロロ」
「ううん。僕は本当に嬉しいんだ、姉さんが饗団のトップになってくれるなんて!」
本当に嬉しそうな顔をするロロに苦笑しながら、青鸞はロロの隣に立った。
そこはドーム型の大きな部屋で、所狭しと簡素な服を着た子供達がいる。
子供が集まった時特有の騒がしさはそこには無く、静けさだけがそこにあった。
例外があるとすれば、青鸞のコードに反応して顔を上げた時だけだ。
そして顔を上げた際、何割かの子供の眼には赤いギアスの紋章が浮かぶのだ。
「それで、どう?」
「え、あ、うん……正直、難しいかな。僕は暗殺者って仕事柄、外と接触する機会が多かったから姉さんと家族になれたけど……ここにいる子供は、ほとんど実験動物扱いで外を知らないから」
子供らしい感情も、人らしい心も、何も無い。
虚ろな目と、そしてギアスの瞳を持った子供達の姿に青鸞は哀しそうな顔をした。
ゲットーの子供達と異なり彼らは健康だ、実験のために栄養状態に気を配っていたのだろう。
だがゲットーの子供達以上に、心が死んでいた。
いや違う、かつてのロロと同じだ……まだ、生まれてすらいない。
「正直、この子達がまともに生きていけるなんて思えないけど」
「ロロ」
自分のことを棚に上げてそんなことを言うロロに、青鸞は哀しそうに言った。
「そんなこと言わないで。それにここにいるのは皆、ロロの妹や弟でしょ?」
「え……」
「違う?」
覗き込むようにして言えば、ロロは戸惑ったような表情を浮かべた。
彼にとっての家族は、姉だけだ。
しかし姉は、饗団の子供達をロロの弟や妹と言った。
それは、饗団を一つの家とする考え方だ。
ふわりと微笑し、頭を一撫でして去っていく青鸞の背中をロロは見送った。
そして、思う。
気付く。
青鸞が饗団をどうするつもりなのか、そしてその中でどう在ろうとしているのか。
ロロには、わかってしまった。
「……姉さん、またアイツの所に行くのかな……」
撫でられた頭に手を置いて、そんなことを呟く。
するとその時、自分の服の裾を引く子供の存在に気付いた。
……見上げてくる無垢な瞳に、ロロはどんな表情を向けたのだろう?
◆ ◆ ◆
青鸞が触れても、その少年は何の反応も返さなかった。
日がな一日、倒れて眠るまでただぼうっとベッドに腰掛けている少年。
目は隈が出来て落ち窪み、頬は何ヶ月も絶食したかのように痩せこけて見える。
憔悴、悲嘆……それらの単語が脳裏を掠める程に、今のルルーシュは弱く、小さかった。
「……包帯、変えるね」
そんな彼のシャツのボタンを外して、上半身を裸にする。
左肩にキツく巻かれていた包帯の結び目を解き、ゆるゆると解いていく。
1週間程度では治りようの無い銃弾の痕が目に入るが、何度も見ているため、騒いだりはしない。
消毒液に浸した清潔な布で傷口を拭う、痛みもあるだろうにルルーシュは反応しない。
新しい包帯を巻くために腕を持ち上げても、声をかけても、何の反応も返さない。
最初の内は何かにつけて話しかけていた青鸞も、今では諦めて何も言わない。
一日に一度、包帯を変えに来るだけだ。
だがそのことについて不満を述べるでもなく、青鸞は毎日この部屋に来ている。
たとえ、ルルーシュが何の反応も返さないとしても。
「……どうして、俺に構う……」
だが今日は、いつもと違った。
本当に久しぶりにルルーシュの声を聞いたので、一瞬、誰の声かわからなかった程だ。
「……もう、放っておいてくれ」
「そ……そう言うわけにはいかないよ」
「どうして?」
「ど、どうしてって……それは、心配、だから」
ナナリーを、最愛の妹を失って、ルルーシュの胸中はどうなってしまっているのだろう。
そう思えば、心配しないわけにはいかなかった。
そして今、ルルーシュの傍にいる人間でそれを一番わかっているのは、幼馴染の自分だ。
勝手な思い込みかもしれないが、青鸞はそう思っていた。
「心配? はは、冗談はよせ。どうせお前も、俺の……ゼロの存在が必要だから、俺に立ち直ってほしいだけなんだろう?」
「……ッ、ルルーシュくん、ボクは」
「ならお前が仮面を被れば良い。ゼロはただの記号だ、他の誰にでも出来る。別に俺でなくても良い、俺でなくてはならなかった理由は、もう……」
「そんなこと無いよ! ルルーシュくんがゼロだったから、ルルーシュくんがゼロじゃなかったら、出来なかったことが、たくさん……!」
ゼロがいなければ、ナリタが落ちた段階で日本の反体制派は壊滅していた。
ルルーシュがいなければ、誰がブリタニアの手から青鸞を救えたと言うのだろう。
だから、青鸞にとってゼロはルルーシュでなくてはならないし、そうあるべきなのだ。
そう言う意味では、最初のルルーシュの言葉は図星を突いていた。
「たくさん? たくさん、何だ? たくさん守れた? たくさん救えた? は、はは、ははは……何の意味も無かった。これまで守ってきた何かも、救ってきた何かも、もう何の意味も無い」
「そんなことは」
「あるさ、だってそうだろう? 俺は他の何かは救えたかもしれない、守れたかもしれない。だが一番大切なものを守れなかった、救えなかった……」
「でも、皆は貴方に救われた! 守られた! ボクだって」
「それに何の意味がある!?」
顔を上げて怒鳴ったルルーシュに、青鸞は息を呑んだ。
端整な顔をくしゃくしゃに歪めたルルーシュの顔に、言いようの無い衝撃を受けた。
そんな青鸞にはまるで構わず、口から唾を飛ばしながらルルーシュは叫んだ。
「ナナリーを守れなければ、救えなければ何の意味も無い――――意味が無いんだっ!!」
「る、ルルーシュく……」
「そのための黒の騎士団! そのためのゼロ! そのための俺なんだっ、なのに、なのに……!!」
それなのに、ナナリーは守れなかった。
何も知らず、何も得られず、ただただ流されて、そして。
失われてしまった、永遠に。
掌の中から零れ落ちてしまった宝石、それは砂の中に埋もれてもう見つけることは出来ない。
そんな事実に、現実に、ルルーシュは悲鳴を上げた。
頭を掻き毟りながら下を向き、全てを拒絶するように唸る。
肩に置かれそうになった青鸞の手を跳ね除ければ、傷の痛みに顔を顰めた。
「ルルーシュくん、傷が」
「五月蝿い、どうでも良いんだそんなことはぁっ!!」
「良くないよ! ナナリーちゃんだってきっと」
「お前にナナリーの何がわかる!?」
わかる、少しは。
青鸞だってナナリーの幼馴染だ、あの少女の気質は、性格は良く知っている。
だからわかる、ナナリーが今のルルーシュを見たらきっと哀しむと。
「……ッ、出て行け、俺に関わるな!!」
「嫌だ!」
「邪魔なんだよお前は、1人にしてくれ! お前を見ていると、お前なんか放っておいてナナリーの傍にいれば良かったと思ってしまう……!」
「……それでも良いよ」
それでも良いと、青鸞は思った。
それに極端な話ではあるが、間違いでは無い。
自業自得と言うべきかはわからないが、ルルーシュはあまりに手を広げすぎた。
妹の守護と皇帝への復讐、両立し得ない2つの目的。
ギアスの力を得た時点で妹の守護に傾倒していれば、あるいはナナリーを守れたかもしれない。
かもしれない、としか言えないのは、哀しいことではあるが。
だが、それでも。
「今のルルーシュくんを1人にしたら、ボクがナナリーちゃんに顔向け出来ない……!」
そうだとしても、あの場には青鸞もいた。
いや、もっと前から、ナナリーの傍にいたのに。
それなのに何も言わなかった、伝えなかった、自己満足の言い訳だけして。
幼馴染を、ナナリーを守れなかったのは青鸞も同じなのだ。
「……だったら」
「え……」
不意に近付いて来たルルーシュの顔に、青鸞は瞬間的に身を固くした。
しかし硬直は停止に繋がる、相手は止まらない、なら結果はおのずと知れた。
「んっ……んっ!?」
乾いた唇の感触に驚き、そして視界一杯に広がるルルーシュの顔に声を上げようとした。
だがその声はくぐもった音を立てるだけに終わり、代わりに青鸞は眉を顰めてルルーシュの肩を……掴もうとして、怪我を思い出して止めた。
だから、圧し掛かってくる少年の身を支えることが出来なかった。
ベッドの上に、身体を押し付けられる。
妹のために設えただろうそれは柔らかく少女の身体を受け止めて、鼻腔を微かな花の香りが擽った。
だがそんなことに心地よさを感じる暇も無く、青鸞は己の身にかかってくる重みに呻いた。
唇を塞がれ、押さえつけられる肩は痛く、ベッドから零れた細い足が居場所を探すように揺れる。
「ん、んぅ……っ。む、んっ、や……!」
それでも顔を横に振って唇を離し、ルルーシュの右肩を押すように彼の身体を押さえる。
いつもの彼からは想像も出来ない程に力が強く、それが本能的に青鸞を怯えさせた。
まして、見下ろす瞳を見てしまえば。
その目にまるで情欲の色が浮かんでいないことに気付いてしまえば、嫌でも。
「ちょ、何……!?」
「出て行かないと言うのなら……」
頬を触れ合わせるようにして耳元で囁かれて、ビクリと身体を震わせる。
怖かった、いつもの優しさはそこには無かった。
気遣いも、心も、青鸞を微笑ませてくれる何もかもが存在しなかった。
司祭服のロングスカート越しに、太腿を触る掌に気付いた。
青鸞が「ひっ」と息を呑む音が聞こえたのだろう、ルルーシュが太腿を強く掴んだ。
そんなことはあり得ないのに、痕が残ってしまうのではないかと思った。
ルルーシュは、囁いた。
「……慰めろ、女なら出来ることがあるだろう?」
その言葉に、青鸞は今度こそ震えた。
どうして、と心が告げる。
どうしてこんなことになってしまうんだろうと、心が泣く。
そして、そんな心の涙に合わせるように。
青鸞の瞳から、一筋の涙が零れ落ちた――――。
◆ ◆ ◆
言うまでも無いことだが、枢木青鸞はキョウトの血筋の娘だ。
それもキョウト宗家の一つ、枢木家の現当主である。
そしてキョウトは、現在でも黒の騎士団を始めとする反ブリタニア勢力の支援者だ。
当然、黒の騎士団の活動はある程度、彼らの意思に添う必要がある。
「どういうことか、納得の行く説明を」
そして皇神楽耶もまた、キョウト宗家の一つ、皇家の代表である。
外でキョウト宗家の血を遺す選択をした青鸞と対を成す彼女は、また別の形でキョウトの血を遺すために生き続けていた。
その神楽耶は今、キュウシュウ・カゴシマにいた。
旧ブリタニア軍のカゴシマ基地、すなわち現在の黒の騎士団の本拠地である。
最大の支援者である神楽耶の訪問、騎士団サイドからすればVIP待遇で迎えなければならない。
だが今は戦時中、そして訪問の目的が表に出せないものであるため、今回は極秘での訪問となった。
それ故に、末端の兵などは神楽耶の訪問を知らない。
「枢木青鸞はキョウトの人間、それをキョウトに一切の断りも無く更迭するとは。黒の騎士団は、我らキョウトを蔑ろにするつもりですか?」
「いえ、けしてそう言うわけでは……」
「では納得の行く説明を」
「それは……」
神楽耶に対しているのは、カゴシマ基地の留守を預かる扇だ。
しかし苦しそうに眉根を寄せる扇とは対照的に、神楽耶は眉を吊り上げていた。
「事前の断りも無く、納得の無い説明も無い。我らキョウトは黒の騎士団の走狗に堕した覚えはありません、それとも自分達に資金を出すのが当然だとでもお思いですか?」
「ですから、そうでは無くて。その……あくまでも任意での聴取と言う形で」
「嫌疑をかけたと言うこと自体が、問題だと言っているのです!」
黒の騎士団、その内の旧日本解放戦線は、あくまでも青鸞を象徴――元祖強硬独立派――としてまとまる、派閥の一つとして形成されている。
そこから青鸞を排除すれば当然、派閥は分裂する。
もしディートハルトが健在なら芋づる式にそれらを粛清することも出来たかもしれないが、現実にはそうはならなかった。
だから現在、黒の騎士団は分裂の危機にある。
青鸞がゼロの風下に立ち旧日本解放戦線の面々を宥めると言う構図は崩壊した、二度と戻らないだろう。
現にフクオカの草壁達は扇達の意思とは離れて行動しつつある、悪い流れだった。
「枢木青鸞はキョウトの貴重な血を持つ者。それを失わせるようなことをするのなら……キョウトは、血を守るために手を引くこともあり得ます」
「そ、それは……」
「大体、何故ゼロ様と連絡が取れないのですか? この件に関してゼロ様が関わっているとは思いませんが、それでもキョウトに対して説明をする義務があるのでは?」
そして、ゼロだ。
中華連邦やインドで活動していることはわかっているが、ブリタニアがモンゴルに侵入してくるのとほぼ同時に連絡が途絶えた。
それは扇やキュウシュウの居残り組も同じなのだが、それについては神楽耶は知らない。
だからこそ、扇としても言葉に詰まらざるを得ない。
しかし、ディートハルトの虚に実を与えたのは彼なのだ。
争い続けることの出来ない彼は、ある意味では、青鸞よりは彼に近かったのかもしれない。
あの少年、枢木スザクに。
(……青鸞)
そして、神楽耶。
彼女と青鸞、そしてスザク……これ程近しい出自の存在もいない、そしてこれ程にバラバラの道を行く者も。
だからこそ哀しいまでに交錯して、哀しいまでに……。
……この後、皇神楽耶が枢木青鸞と会ったと言う記録は残っていない。
この後の彼女達の顛末についてはもう少し後で語るにしても、公式の記録ではそうなっている。
あの日、あの場所、あの時間、あの瞬間。
『――――私が殿方だったら、貴女をお嫁さんに出来たのに――――』
唇を重ねたあの夜に、2人の少女の
異性では無い、たったそれだけの理由で。
皇神楽耶と枢木青鸞の人生は、交錯のポイントを見つけることが出来なくなってしまったのだから。
だからこの後、神楽耶は青鸞に二度と会えなかった。
そう言う星の下に生まれたのだと、諦めるしかない。
この恋は、この愛は。
叶うことも、届くことも無い、そう言うものだった。
――――ほんとうに?
◆ ◆ ◆
姫と言う立場で言えば、コーネリア・リ・ブリタニアもまたそうである。
ただし彼女の場合、行動理念の大半を動的な部分が占めている。
「父上は……罪を犯した」
饗団の施設が地下に隠された岩山、神殿のような設えがされた石畳の上でコーネリアが呟いた。
片眼にギアスの赤い輝きを宿した彼女は、砂漠の夜空を見上げていた。
肌寒い砂漠の夜、空気が澄んで空が高い。
そんな彼女の傍には、ブリタニアの軍服を纏った2人の人間がいる。
ヴィレッタとバトレー、数奇な運命から饗団に関わることになった者達だ。
この2人が今こうしているのは、まさに奇妙だと言える。
本来ならば、ブリタニアのエリート軍人として階梯を上がって行っただろうに。
そしてそれは、皇女としての階梯を上っていたコーネリアにも当てはまることだった。
「はい……皇女殿下。私は皇帝陛下に召し出されてここに、そしてここでおぞましい実験に参加させられておりました……」
「だがその前は、クロヴィスの命令で、か」
「……はい」
バトレーは、皇帝が饗団の非人道的な実験に関与していたと言う生き証人だった。
そしてクロヴィス、彼自身の罪――同じく、不死者たる魔女C.C.を再現しようとした人体実験――についても同様であり、そして皇帝がそれすら知っていたと言うこと。
皇帝とそれに連なる者達の、罪。
そしてもはや、コーネリアもその一端に足を乗せているのだ。
瞳に刻まれたギアスの刻印は、もはや消えることは無い。
だがこの刻印は、もはや契約の証となった。
――――ルルーシュ=ゼロとの、契約の証に。
「その……コーネリア殿下。よろしいのですか、ゼロと手を組んで」
「ふ、ゼロ……か」
ヴィレッタの問いに、コーネリアは失笑のような笑みを浮かべた。
その笑みが誰に向けられたものかはわからないが、だが不思議と悪意は感じなかった。
ゼロ、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア、コーネリアの義弟、クロヴィスの仇。
だがゼロがルルーシュとわかった時にはもう、コーネリアはその点に重きを置いていなかった。
それはクロヴィスよりルルーシュの方を好んでいるとか、そう言う話では無い。
(クロヴィスの器が、ルルーシュのそれに及ばなかった、それだけのことだ)
ブリタニア皇族は、互いに次の帝位を争うライバルだ。
それは生まれた時からそうで、生まれた順番がどうとか、廃嫡がどうとか、関係ない。
弱ければ淘汰され、強ければ生き残れる。
それだけのことだ、それだけのことなのだ。
コーネリアがクロヴィスの仇とゼロを狙ったのは、あくまでゼロがナンバーズのテロリストだと思っていたからだ。
だがゼロの正体がルルーシュ、つまりブリタニア皇族であるならば……それは対等の勝負の結果だ。
その結果に、コーネリアは一切の私情を挟むことは無い。
(……最も、ルルーシュに親近感を覚えていたのは確かだがな)
幼い頃に憧れたマリアンヌ后妃の息子、その血を受けた聡明な頭脳をコーネリアは評価していた。
そしてそれ以上に、何をおいても妹を守るという姿勢に共感を覚えていた。
それは、妹を愛していると言うだけでは無く。
手を汚した自分達に無いものを持つ妹を、光り輝く宝と思っていたからだ。
その意味において、コーネリアとルルーシュは似ていた。
「……だが、その
バトレーにもヴィレッタにも聞こえない程の小さな声で、コーネリアはそっと呟いた。
僅かに目を細めたその時、砂漠の空を小さな流れ星が駆けた。
それはまるで、幼い頃を共に過ごした……もう1人の妹の流した涙のようだった。
◆ ◆ ◆
衣擦れの音と、行われている行為に比べて静かな吐息が室内で聞こえる唯一の音だった。
包帯を変えるためにつけていたスタンドライトの薄い明かりに照らされて、ベッドの上で動く少年の影が壁に映し出されている。
そして影と同じように、ベッドの上で動いているのは1人だけだった。
組み敷かれた少女の側は、少しも動いていなかった。
柔らかなベッドに身を沈めて、ただ少年に……ルルーシュにされるがままになっている。
流した涙は最初の一筋だけで、その後は、苦労して自分の司祭服に手をかけているルルーシュを見上げるばかりだった。
「くそ……っ」
青鸞の衣装に手をかけていたルルーシュが、眉を顰める。
脱がせ方がわからないのか、あるいは冷静で無いからか、それとも両方なのかはわからない。
青鸞はただ、ルルーシュが自分のケープを取り、衣装の留め紐を解くのを見上げているだけだ。
ただ、ルルーシュの顔を見つめ続けている。
しかしそんな時間も、そう長くは続かなかった。
やがて衣装の留め紐を全て解き終えたルルーシュは、衣装のワンピーズ部分の襟元に手をかけた。
そして一呼吸置いた後、一気に衣装のワンピースを引き下ろした。
非力さがたたったのか、あるいはベッドと背中の間の摩擦に負けたのか……それは肩や鎖骨を完全に晒しはしたが、それだけだった、胸の上半分が見えるか見えないか程度のラインで止まっている。
(……寒い、な)
ふと、そんなことを考えた。
衣装ごと腕を押さえられる形になっているから、いつかのように隠すことも出来ない。
そしてそのいつかの時には死ぬほど恥ずかしかったのに、今はどうしてか、そう感じなかった。
ただ、寒い、そう感じた。
その時、胸元に熱を感じた。
それは人肌の温もりにしては小さくて、そして熱かった。
何かと思えば、それは涙だった。
涙の雫が、青鸞の胸元を濡らしていた。
「……どうして」
見上げて、息を呑んだ。
……泣いていた。
ルルーシュが、泣いていた。
瞳から零れた涙が頬を伝い、顎先から落ちて青鸞の胸元に落ちていた。
「どうして、抵抗、しないんだ……!」
随分と身勝手なことを言うなぁ、と、青鸞は思った。
慰めろと言ってキスしてきたのは、ルルーシュの方だろうに。
だが聞かれたことには答えようと、青鸞は口を開いた。
「無かったことに、出来ると思ったから」
「何……?」
言葉の意味がわからず、ルルーシュは訝しげに眉を顰めた。
そんなルルーシュに小首を傾げて見せて、青鸞は小さく微笑した。
「ルルーシュくんに、抱かれても……無かったことに出来ると、思ったから」
……今の青鸞は、不老不死だ。
どのような傷を受けても再生し、例え塵と化そうとも元通りに復活する。
そしてそれは、乙女の……純潔の証でも、同じことだった。
だから彼女は、永遠に乙女のままなのだ。
何が、あっても。
「……馬鹿な」
それを聞いて、ルルーシュはくしゃりと顔を歪めた。
そして顔が、身体が降りて来て、青鸞の身体に重なった。
今度は、青鸞も怯えなかった。
胸元に降りてきたルルーシュの頭を抱き締めるように、ゆっくりと腕を回した。
「馬鹿な、ことを……言うな……!」
「……ごめんね。ボク、ルルーシュくんみたく賢く無いから」
「馬鹿な……こ……!」
ぎゅっ、と、抱き締めた。
すると、ルルーシュは静かになった。
しばらくの間、互いの吐息と鼓動の音だけが聞こえる状態が続いた。
晒された胸元の肌に直接ルルーシュの吐息を感じて、青鸞はほぅ、と息を吐いた。
先程まであった静けさとは別の感覚が、その胸に芽生えつつあった。
冷たさとは逆の、温かな感情が。
やがて、青鸞の耳にはルルーシュの嗚咽が聞こえてきた。
「りぃ……ななりぃ、ななりぃ……!」
「うん……」
「ななりぃ、すまな……すまなぃ……!」
「……うん」
抱き締めて、何度も頷いた。
ルルーシュがナナリーのことをどれだけ想っていたのか知っていたから、青鸞はそれを受け入れた。
もしかしたら、青鸞も一緒に泣いていたかもしれない。
青鸞にとっても、ナナリーは大切な友人だった。
大好きで、少しだけ苦手な、そんな幼馴染だった。
過去形で語らねばならないことが、哀しくて仕方が無かった。
10分ほど、そうしていただろうか。
落ち着いたらしいルルーシュが、非常にバツの悪そうな顔で青鸞の胸元から顔を上げた。
「……青鸞、その。すまな…………んんっ!?」
その顔が白い手に挟まれて、引き寄せられた。
ルルーシュはそれに逆らうことが出来ずに、引かれるままに唇を重ねられた。
目を見開くルルーシュの視界には目を閉じた青鸞の顔があって、勢いのままに重ねられたせいか、前歯が少し痛かった。
数秒後、じんじんとした痛みを残しながら、唇が離された。
「せ、青鸞……?」
呆然とルルーシュが名前を呼ぶと、頬を染めた笑顔で青鸞は彼を見上げた。
瞳は先程の涙とは別の涙で濡れていて、その黒瞳にはルルーシュの顔が映りこんでいる。
「お返し……これで、お相子、だよ」
「いや、でも、俺は!」
「好き」
「……!」
その言葉に、今度はルルーシュが息を呑んだ。
そして今さらながらに、ルルーシュは自分が組み伏せていた少女のことを見た。
女性特有の曲線を描き始めたその身体は、柔らかさとしなやかさを併せ持つ日本刀のように輝いて見えた。
完全に花開く直前の蕾のような、青い果実のような張りのある白い肌が、ルルーシュの目に飛び込んで来た。
慌てて顔を逸らそうとするが、それは青鸞の掌に遮られて叶わなかった。
そんなルルーシュの反応に、青鸞は微笑を浮かべた。
目だけでは無く、ルルーシュの……「身体の反応」を足のあたりに感じて、嬉しくなった。
良かった、ちゃんと「そう言う対象」に見てくれていた、と。
「……好き、ルルーシュくんが、好き……」
「お、俺は……青鸞、俺は!」
「ごめんね。ボクみたいな子にそんなこと言われても、迷惑……」
「そんなことを言うな!!」
不意に怒鳴られて、青鸞は身を固くした。
すると我に返ったルルーシュは、「あ、いや」と目を泳がせた。
その時、青鸞はルルーシュが自分の腕で自分の体重を支えていることに気付いた。
青鸞に負担をかけないように、そうしているのだろう。
そんな少年の優しさに、さっきまで無かった思いやりに、青鸞は嬉しくなった。
「……ルルーシュくんが、好きです」
「青、鸞……」
「好き、好きなんです……ごめんなさい、大好きです。子供の頃からずっと、好きでした。トーキョー租界で再会できた時、凄く嬉しかった。チョウフや神根島で助けてくれた時、また好きになりました。ペンドラゴンに助けに来てくれた時、もっと好きになりました……」
好き。
その言葉を、何度も口にする。
「妹のために、家族のために一生懸命になれるルルーシュくんが、好きです。頭が良くて何でも知ってるルルーシュくんが、好きです。予想外のことに弱くて、何だか放っておけないルルーシュくんが、好きです。いつも自信たっぷりで、でも不安に負けそうになって1人で泣いちゃうルルーシュくんが、好きです」
強い所も、弱い所も、カッコ良い所も、情けない所も。
全部、全部、全部。
好き。
そっと、もう一度キスをした。
今度はゆっくりと、だけど引き寄せる力は弱く、ルルーシュが避けようと思えば避けられる程度に。
だけど、ルルーシュは避けなかった。
乾いているはずの唇は、熱く湿やかな潤みを持っていた。
「一度だけで、良いの……好きだって、言ってほしい」
唇を重ねる合間に、短い言葉が交し合わされる。
「……馬鹿なことを、言うな」
最初は2秒にも満たない短いキスだったが、回数を重ねるごとに長くなっていった。
「ごめんなさい……」
長くなればなる程に、忘却の一瞬が長く感じられるようになっていく。
「ル、ルーシュ、くん……ルルーシュくん、ルルーシュくん……っ」
「……青鸞!」
唇を重ねて、抱き締め合って……少年と少女の身体が、その影が、重なる。
やがて灯かりが消えても、静かな衣擦れの音が響くだけ、とはならなかった。
互いの名を呼ぶ声が、途切れることなく響いていた。
少年の労わりの声と、少女の泣くような声、交換される熱が冷たいベッドの上を温める。
そしてその温もりは、少年と少女の心をも癒してくれた。
少なくとも、2人にとってはそうだった。
この夜、1組の少年少女は……本当の意味で、心を合わせることになった。
◆ ◆ ◆
――――翌朝のことである。
睡眠時間を削って零番隊の状態を維持しているカレンは、ヴィヴィアンの士官専用食堂で久しぶりにルルーシュを見た。
立ち直ったのかと思い、ここは一発殴っても良いだろうと進めた歩みを「おや」と止めた。
何故なら、ルルーシュと同じテーブルに見覚えのある少女の姿を認めたからだ。
昨日と同じ服装をしていて、カレンは疑問符を浮かべながら青鸞のことを見た。
その時、コーヒーに入れる砂糖を取ろうとしたのだろう、砂糖の入った小壷に手を伸ばした青鸞の手が、同じようなタイミングで伸びて来たルルーシュの指先に触れた。
「「あ……」」
すると、お互いにぽっと頬を染めるのをカレンは見た。
しかしそれは急に気まずそうな表情に変わり、互いに目を逸らした。
ルルーシュはどこか情けなさそうに、そして青鸞は触れた手を胸に抱いて申し訳なさそうに。
「す、すまない……」
「う、ううん、ボクの方こそ……」
「いや、俺が」
「ううん! ボクの方が!」
「「あ……」」
……何だろう、あの空気は。
甘ったるさと同時に、微妙な遠慮や気遣いが透けて見えるあの空間は。
正直、近付きたくなかった。
「失敗したんだそうだ」
「は?」
不意にC.C.が来て、ニヤニヤしながらそんなことを言ってきた。
失敗? 何の話だと首を傾げる。
「いや、流石は童て……ルルーシュと言うべきかな。流石の私もまさか、はは」
「何よ、意地の悪そうな言い方して」
「ん? いやいや、簡単な話さ」
「ちょっと、くっつかないでくれる?」
ぐい、と肩を組まれて、しかし抵抗はしないカレン。
そんなカレンの耳元に口を寄せて、目はルルーシュ達の方を見つつ、C.C.は言った。
「……緊張のあまり、出来なかったらしい。出来る状態にならなかったと言うべきか、いやはや、私の予想の斜め上を平然と駆け抜けてくれる坊やだよ」
「だから、何の話よ」
「知りたいのか?」
「……やっぱり良いわ、遠慮しとく」
目を輝かせるC.C.から視線を逸らして、カレンは未だに微妙な空気を醸し出している2人を見やった。
そして、ふ、と微笑む。
何だか知らないが、とにかくルルーシュは立ち直ったらしい。
そうと決まれば、カレンがやることは一つだった。
C.C.から離れ、くるりと踵を返すカレンに、C.C.は不思議そうに声をかけた。
「おい、どこに行くんだ」
「決まってるでしょ」
立ち止まって、パタパタと手を振りながら、カレンは言った。
「寝るのよ、もー眠くて眠くて」
最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
ついにやりました……やってしまいました。
まぁ、卒業は出来なかったみたいですけど(何が!?)。
思わず2万字を超えてしまうくらい頑張りました、いや楽しかった。
誘い受けって、こう言うので良いんでしたっけ……?
まぁ、それはともかく本編も佳境に入りつつあります。
ここからは怒涛のボス戦ラッシュになります、最終的に世界がどんな形に収まるのか、私にもわかりません。
願わくば、「優しい世界でありますように」。
それでは、次回予告です。
『戦況は苦しい、引っ繰り返すなんて無理かもしれない。
けど、希望はある。
希望がある限り、ボクは戦いをやめない。
貴方と一緒なら、どんなことだって』
――――TURN:「希望 への 撤退」